旅の写真
               
 11時から出発した私達の列車は、8時間かけてサンクト・ペテルブルクへ到着する。4
人ブロックの寝台列車でまあまあ快適。このツアーは大学企画の外国人旅行。いろんな
国からの人たちが集まる。アメリカ、ハワイ、スイス、コロンビア、そしてもちろんロシアの
人たちも。中には夫婦やカップルの人たちも。みんなで大体20人程。5泊6日のサンクト
の旅、とっても楽しみ。さらにサンクト・ペテルブルクは今年300年!
                
私達日本人は5人。夜遅くまで初めて会った人たちとおしゃべりをし、ギターを弾き、歌
い、そして4時間ほど眠ったところで、サンクトに到着!

       
 サンクト・ペテルブルクのモスクワ駅           300年祭の旗

 
着いたときは肌寒く、天気も悪かったが、建物がとってもきれい!これぞヨーロッパ!


      川が流れ、それに沿って、どこも綺麗に統一された町並みにみとれてしまう
 

   
           巡洋艦オーロラ
 立派な船があった!1917年のロシア革命の始まりの合図に、この船がボーンと発砲
!現在は海軍中央博物館分館となっていって、1905年の日露戦争のとき、日本海海
戦で日本軍がこの船を砲撃!その絵画が、この中にある。

            
               中央海軍博物館
       かつての商品取引所。岬の端には旧取引広場もある。

  
              ロストラの燈台柱
「ロストラ」とは船の先っぽを意味する。船首がバラの棘のごとくひっついているのがおわ
かりになるはず。敵軍の船首を切り取り、柱の飾りにして、勝利を祝った古代ローマの習
慣をとりあげた。かもしれないこの古い燈台は、1810年に、トム・ドゥ・トモンの設計で、
高さは32メートル。

 
ロストラの燈台柱からみる景色は本当に最高!大河のネヴァ川の偉大さとそれにしっか
りと対抗した美を醸し出す、エルミタージュ美術館の眺めにため息がでる。

ペトロパヴロフスク聖堂
     
この離島に鉄片がとがった金色の建物。スイスの建築家ドメニコ・トレジィニにより173
3年に完成した聖堂。とんがった先に避雷針という雷よけがなかったために、何度も火
災にあった。1850年には鉄骨の塔となり、高さ128.8メートル!サンクトで一番のノッ
ポの建物である。

    
中の装飾は約20年もかけて作っただけあって、眩しい!さらに太陽の光が充分に入っ
てくるつくりなので、さらに輝いている。柱、大理石の壁、金箔の塑像、シャンデリ
ア・・・・・。

    
なぜそこまで輝いているのかというと、ここに、ピュートル大帝から、アレクサンドル3世
までの歴代ツァ−リのお墓があるのだ。
                        
     
    ピュートルがここに眠っている。その隣には、エカチェリーナ2世も。でも、こんな
にキラキラ眩しくて、観光客が訪れるところで、彼らは落ち着いて寝られるものなのか。

    
たくさんの牢獄があった。そしてここに誰が入っていたか、しっかり写真もある。他にも造
幣局があり、ロシアの金貨や記念メダルもここで作られている。

    
 船に乗り、、サンクトの町を遊覧する。。   急に雲が去り、眩しいくらい太陽が水に
ちなみにこのおばちゃんは今日のガイドさん  反射する。

 
 
 川から見える、たくさんの有名な建物。しっかりと一つずつ船のおばちゃんが解説してく
れる。その解説を付けたいところだが、ロシア語理解不可能だったため省略。

   
   サンクトのサーカス劇場          この運転手はすっごく退屈そう

  
          たくさんのいろんな形、模様の橋をくぐり抜ける。
    
 本当に、目に見える建物すべてが淡いピンクや黄緑色などでコーティングされ、小さな
おもちゃの模型の町に入って冒険しているよう    


   
 そして最後の扉の前ででユーターン   雲が去り、ヘリコプターが飛び出していく

デカブリスト広場
 
この像はピュートル大帝の像「青銅の騎士」。これはドイツ出身のエカテリーナ2世が
ピュートル大帝の後継者を誇示するために、1782年に作らせたロシア最初の記念像。
詩人プーシキンが叙情詩「青銅の騎士」でうたったためこの名前がついたそうだ。
 そしてもう一つ大切な出来事。デカブリストの乱は名前だけでも聞いたことがあるだろ
う。1825年ナポレオン戦争に勝ち、フランスにしばらくい駐在していた、ロシアの青年貴
族たちは、フランスの自由主義をしって、ロシアの体制に反感をもち、この広場で革命を
起こそうとしたが、失敗し、多くの死刑者とシベリア流刑者をうんだ。1925年、それまで
広場の西側にある元老院にちなみ、元老院広場と呼ばれていたが、「12月に革命を起
こした人々」ロシア語で、「デカブリスト」を記念しデカブリスト広場と改名された。

            イサク聖堂
   
世界で3番目に大きなロシア正教の聖堂。長さ111.2メートル、幅97,6メートル、高さ
101.5メートルで、1万4千人も収容できる。30階ビルと同じ位の高さだそうだ。
1818年から40年間も建築が続けられた。というのも、サンクトは湿地帯なので、これ
だけのものを建てるには、基礎をしっかり固めなければならないので、すでに1万1千本
の杭が打たれていたが、さらに、6メートルの杭を1万3千本打ち、その上に、花崗岩
や、石灰石を敷いた。

  
内装には、22人の芸術家のてが加えられ、聖書のばめんや、聖人が150以上も描か
れている。モザイク画も62点あり、またこれも豪華。

 
長い長い階段を上がると、サンクト・ペテルブルクの景色が一望できる。

エルミタージュ美術館
 
サンクトに訪れたなら、必ず行っておきたいエルミタージュ美術館。やはり、世界に名の
知れるだけあり、おっきい!広場の中央にアレクサンドル円柱があり、高さ47.5メート
ル、重さ600トン!
エルミタージュは歴代ツァーリの住まいであった「冬の宮殿」と他4つの建物が、廊下で
つながれている。1,050の部屋とそこにある300万点のコレクション。さらに、外部の
屋根にも、176の彫像が立っている。この美術館にはとんでもない程のお金がつぎこま
れている。
 どうやってエルミタージュ美術館はできたのだろうか。これはピュートル大帝の娘によっ
て1750年くらいから始められ、その後、エカテリーナ2世が、4、000点以上の絵画を
西欧から買い集めたそうだ。それからもコレクションは増え続け、宮殿は、世界文明にか
かわる品で一杯になった。


 西欧美術だけでなく、ロシア、トルコ、インド、中国、ビザンティンなど、世界遺品や、芸
術品も多く展示され、すべてを観て満足するためには、時間と体力が大いに必要。私は
最後のほうで、適当に流し観をして、何とかすべてをみたが、ピカソをもう一度見たいと
思ったが、迷いそうなので、あきらめた。さすがエルミタージュ(隠れ家という意味)。

           エカテリーナ宮殿

            
  エルミタージュ美術館の前にそびえているこの立派な宮殿は、日本と関わりがある。
  というのは18世紀末、日本の大黒屋光太夫が船長の船がロシアに漂流し、彼らは、
  北洋の海から、サンクト・ペテルブルクまで行き、エカテリーナ女帝に拝謁して、帰国
  の許可をもらったというのがこのエカテリーナ宮殿だ。生き残ったのはたった3人で、
  10年後に日本の地に戻れたそうだ。
  エカテリーナ女帝の命より、ロシアバロック様式を代表する建築家ラストレヒの設計 
  により、1756年に完成した。
           ぺテルホフ
  
 すごく速い船に乗り、ぺテルホフへ40分。向こう側にフィンランドがみえ、天気も最  
 高!
  
 
  
 

  
着いたところにはたくさんの自然が広がり、音楽隊のメロディーがゆったりとした風に乗
り、安らかな気分になる。
ここはオランダ語で「ピュートルの宮殿」を意味するペトロドヴァレェツとよばれるまで、た
だのぺテルホフという皇帝の地所だったが、ピュートル大帝が1714年にここに、1723
年から、夏の宮殿建設を行い、多くの建築家、造園技師、彫刻家により200年かけて完
成した。ここは「下の公園」と「上の公園」からなる。すごく広大1,000ヘクタール!

 
奥へ進むと宮殿が見え、たくさんのひとたちがいた。今日はセレモニーだったようで、花
火があがり、オーケストラが音楽を奏で、当時の服を着た人たちが踊っているた。まる
で、その時代にタイムスリップした気分になる。
「ロシア芸術の真珠」ともいわれる下の宮殿は、この上の写真がメインとなり、11時にな
るといっきに噴出す。左右の7段の階段から、水が滝のように流れ落ち、「ライオンの口
を引き裂くサムリン」と呼ばれるサムリン像(1802年コズロフスキー作の復元)のライオ
ンの口から、20メートルも水が吹き上がる。サムリンとは聖書の中の英雄で、スウェー
デンとのポルタヴァ戦で、ロシア軍が勝利した日が「聖サムソニア」の記念日だったの
で、ピョートル大帝が、この像を置くようにいったそうだ。そしてその他にもたくさんの噴
水があった。ここは噴水の楽園だ。
  

  

  
     花に囲まれた噴水                  花の形の噴水

     
      いたずらの噴水
              
              ぺテルゴフ大宮殿
  
宮殿の中に足を踏み入れると、大理石と金だらけ。息を呑んでしまうほどの豪華絢爛
さ。この宮殿の中には、小さなたくさんの部屋があり、ピュートル一世の時代の面影を、
色濃く残しながら、絢爛豪華なバロック様式と、厳粛な古典主義様式とがとなりあった1
8世紀の部屋に、さらにコロロ様式の19世紀の美術が垣間見れる。この「多重構造」は
大建築家達の作品とともに歴史という深みを加えている。この中には、絵画、彫刻、家
具、を始めとする美術品が貯蓄されている。1714年に始められ、その後何度か増改築
されたが、第二次世界大戦で、ナチス・ドイツ軍により焼き払われ、1958年に復元され
た。

    
                  王座の間
公用ホールがたくさんある中でも一番大きいのが、この部屋。1761年までのエリザベ
ータの1世の治世には、戴冠式、祝賀晩餐会、舞踏会などに使われていたそうだが、時
代と共に、美術は変化し、ここも改築され、1777年Y・フェルテンによって内装が改めら
れ、古典主義様式のホールに新生した。元は天井に多きな壁画があり、この部屋は金
で埋め尽くされていたが、天井は石膏の浮き彫りと緑のデザイン、そしてメインは東の壁
に集中された。この左上の肖像画は、女帝になったばかりのエカテリーナが隊長の制服
を着て、サンクトから、ここぺテルゴフまで、愛馬ブリリアントで駆ける姿をデンマークの
画家V.エリクセンが描いている。

           
                      謁見の間
この部屋は、19世紀から、「女官部屋」と呼ばれ、戦前まで、フェルデンの改築の影響
をうけぬままラストレッリ建築を残していた。ラストレッリは二重構造の窓と、大きな扉、
数々の鏡と鏡窓がぎっしりと配置し、、合わせ鏡の中に次から次へと浮かぶ展望に、誰
もが無限の広がりを感じたそうだ。そして、1753年に基本工事が終わると、最後にイタ
リアから来た画家P.バラリーニが、天井のおおきな絵を完成する。これは、第一回十字
軍遠征を描いた「開放されたエルサレム」。ホールは1979年に元の姿に復元される。
         
                    白の食堂
ずっと豪華なホールが続いているところを通り過ぎ、この金を用いていない白の食堂へ
足を一歩踏み入れると、少しほっとするが、やはり豪華。ここは元はバロック様式だった
が、フェルテンにより古典主義様式に取って代わる。壁にはキューピットや、神話のとい
う題材も使われていて、さらにこれらの食器はすべて本物。エカテリーナ2世が注文した
ヨーロッパ唯一の陶器だ。
 このほかにも中国風の書斎や、絵画の間、化粧部屋などすべてがが隅々まで手の凝
った部屋が並んでいる。ここは本当に見物。
 このぺテルゴフはサンクトの観光の中で、とびっきりよかった。天気もよく、自然もあ
り、綺麗な噴水もたくさんそして、ゴージャスな建物。サンクトに来たら、必ずここを訪れ
てほしいです。


   
  音楽の町サンクト。あちらこちらで、楽器や歌声がきこえてくる。バイオリンをいつも
一人で弾く少女。エルミタージュの前で、ギターを弾く若者。「今からイエスタデイを弾くぞ
ー!」と、はりきりながら雨の中でバイオリンを弾くおじさん。いろんな音楽家達が、歩く
人のそして私の足も止める。

     
  動物の町サンクト(私が思うに)。ウサギも、くまも、蛇もいる。みんな人に飼われて
る。犬も猫も、ジプシーもここでも、人の助けもらい生きている。
 
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