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にっき

2003年08月11日

ノヴゴロドに出発!夜9時20分の列車に乗り、朝5時くらいにノヴゴロドに着く。4人のコンパートメントに私達3人だけの貸切状態だったので、友達からもらったおいしいシャウルマを食べながら、ギターで歌ったり、これからのノヴゴロドについてのおしゃべりなどをして過ごしました。
2003年08月12日

朝早いのに、ビクトル先生とホームステイ先の人たちが迎えに来てくれ、私は、ニーナさんのうちへ行くことになった。ニーナさんの祖父母が住んでいたアパートだったようで、すごいロシアの雰囲気をかもしだしている家。シャワーを浴び、ニーナさんがブリヌイというクレープみたいなのを作ってくれ、ロシア語と日本語と少しの英語で会話をした。ニーナさんはとってもいい人。朝ニーナさんが仕事へ行ってしまったので、テレビを見て、散歩をした。40分くらい歩くと、もう町の中心の駅に着いてしまった。小さな町なので、町のはしからはしまで1時間もかからないと後から聞いた。この町は猫が多い。
 ニーナさんと一緒に夕方から始まる授業へ行った。そこには10人くらいの日本語を勉強しているビクトル先生の生徒たちがいて、第一回目の授業をした。最初はかんたんな自己紹介で、名前の意味や、私達へ質問などのあとに、これからの予定を教えてもらった。夕方の授業は土・日以外すべてあり、明日はノヴゴロドの観光、明後日は小学校での授業という予定だ。
2003年08月13日

朝に、ノブゴロドのクレムリンを観光した。私達3人を案内してくれたイリーヤさんがロシア語と英語で解説してくれ、歴史のある街だと実感。モスクワ以外の町で編集中!
観光のあと、イリーヤさんが働いている図書館へいき、この図書館で、日本庭園を作る計画や、生け花などの日本文化紹介などをしたいらしいが、日本人の助けがないらしく、どうしようかと相談された。私達もなにもできないので困ってしまった。この町には、日本に興味をもってくれる人が多いようみたいだ。
観光の後、やすよのホームステイ先のトーニャの家へいき、ご飯をいっぱい食べた。その後に家族の写真や、トーニャのお父さんのビクトル先生の若いころの海軍の時の写真や、結婚式の写真をみせてもらった。
 今日の夕方の授業は、あいさつの練習や、梅干紹介でみんなに梅干を実際にたべてもらった。おいしいといってくれる人が多くて意外でうれしかった。
 10時半くらいに帰ってきて、ニーナがご飯を作ってくれた。素朴なのにとてもおいしかった。ロシア人はご飯をたくさん食べた後でもすぐに紅茶と甘いお菓子をたべる。わたしも食後のお茶はいい習慣だと思う。今日は充実した一日だった。
2003年08月14日

今日は小学校の授業をした。7人の生徒がいて、私達はあいさつと自己紹介を教えた。みんなつまずきながらも一生懸命に練習してくれた。先生が日本の知っている曲、さくらともう一つ私達が知らない曲を弾いてくれ、ゆかいな先生だなあとおもった。休憩をはさんで、ビデオ”千と千尋の神隠し”をみせると、みんな真剣に見ていた。「あした授業をしたいですか」という先生の質問にみんな即座に手をあげてくれ、うれしかった。
今日は本当に疲れた。小学校の授業と夕方の授業を終え、思っていたよりも初心者の人たちが多かったので、私達が準備してきた授業内容を大幅に変えることにした。みんなで、やすよのホームステイ先に泊まりこみ、これからの授業内容を相談。かなり長いあいだ相談したが、2時間半もある授業があと5回もあり、それを埋めてくれる内容が多くは出てこない。とにかく明日の授業内容だけ考えて、役割分担をし、どう教えるかを個人で考えることにした。事前に細かくすることを決めて授業をしないと、実際かなりあせってしまう。とにかくがんばろう!
2003年08月15日


思っていたより順調に授業が進んだ。毎回授業が終わるたびに「あ〜おわったー」とおもう。でも生徒であるみんなは興味をもって授業に参加してくれる。特に"となりのトトロ"はすごく好評。日本語で、ある程度までビデオをながし、そのあとに、生徒に役を決めロシア語で台詞を言ってもらい、もう一度日本語で、同じところを観る。みんな台詞を読むのがとても上手い。
 歌も教えた。坂本九の”上を向いて歩こう”この歌は、私が個人的にすごく好きな曲で、ゆっくりなメロディーだし、スキヤキソングとして、アメリカやオーストラリアでも有名な曲。小学校でも夕方の授業でも、みんな気に入ってくれたので、ノートに書いて覚えてもらうように宿題をだした。帰り道で、みんなと何度も歌って帰った。
 いつも夕方の授業前にやすよのホームステイ先へ行き、お昼ご飯をご馳走してもらって、いつもおなかいっぱいになって、授業へ行く。そして家へかえるとニーナが”おなかはすきですか”といつも言ってくれるので、お言葉に甘え、またご飯を食べる。ロシアの家庭料理はおいしい。
2003年08月16日




今日はみんなと車でドストエフスキーの家へ行った。車の中で、みんなが歌を歌っていた。わたしは山のないどこまでも見える大きなロシアの大地をずーっと眺めていた。到着したところはすごく静かな町。ここに、約100年前に、日露戦争で捕虜になった日本人3000人が住んでいたそうだ。博物館で、その資料を見せてもらった。日本人の兵隊さんたちはここの人たちと仲良く交流していたそうだ。ここの近くにここで亡くなった人達のお墓があると聞いていたのでいくと、草むらに埋もれて4つの墓石があった。本当は24個あるそうだが草だらけでどこにあるかみあたらなかった。その近くで、火をおこして、ジャガイモをゆで、みんなが持ち寄ったソーセージやパンや野菜やチーズを食べた。そして、お墓のところへいき、追悼をして、ウォッカを飲んだ。来年で、日露戦争から100年が経つので、もっとこのお墓を日本人の若者達と整えたいと、ビクトル先生が言っていた。
 海のような大きな川もあった。虹もでた。
帰ってから、私のホームステイ先で、私達はカレーを作った。とても好評だった。ビクトル先生の話によると、日本人が一番よく食べるのはカレーだそうだ。言われてみればそうかもしれない。今日もとても楽しかった。
2003年08月17日




今日はひろむのホームステイ先のジーマのダーチャ(別荘)へ行った。ロシア人は夏になるとダーチャで余暇を過ごし、庭で採れる新鮮な野菜や、木の実をたべ、シャシュリクというバーベキューみたいな、串にさした肉を焼く。みんなにんじんや葉っぱなど生でバリバリ食べていた。近くに教会もあったので、行ってみた。すごく古くて神聖なる場所だ。途中で、引っ付き虫の草で付け合いをして、みんなとあそんだ。かなりおもしろかった。
またまたおなかがいっぱいなのに、なぜかももう一食たべ、そのあとさらに、おかしとお茶を飲んだ。ロシアンティーの飲み方は、コップに濃い紅茶を少し入れ、お湯を注ぐ。昔はお湯が入っている入れ物は、サモワールと呼ばれる写真のようなカラフルで大きな入れ物に入っていて、そこからお湯を注ぐ。。最近は特別なときにしか使わないらしい。前にトーニャにお茶を入れてもらったときに、お湯を足すことを知らなかったので、間違えてもっと入れて欲しいと言い、入れてもらって以来、私は濃いお茶が好きなのだと思われたらしく、最後まで、人の倍も濃いお茶をいつも入れてもらった。
 おなかいっぱいになり、さらに疲れたので、8時くらいに帰り、少し寝ると言ったまま朝まで寝てしまった。きょうもいろんな体験ができて楽しかった。
2003年08月18日
小学生の授業でおはしを使ったゲームをした。まずおはしの持ち方から、つかみ方まで一から教えて、ゲームをしたが、なかなかみんなつかみにくそうだった。ニーナに親子丼を作ったときに、ニーナはおはしで食べていて、一言、「日本人がご飯を食べるのが遅いわけが分かりました。」と言っていた。
2003年08月19日



今日はロシアで一番古いという教会へ連れて行ってもらった。木造で、16世紀の建物。とても静かなところで、気持ちよかった。おみやげの笛を吹きながらのんびりあるくと、水色のモスクや、教会、そして大きな川もあってみんなでたそがれた。
2003年08月21日



今日はヴォルハフ川の遊覧船に乗り、ノヴゴロドを一周した。その後に、クレムリンの城壁の中にあるレストランに入って、ノヴゴロドだけにあるという、蜂蜜で作ったお酒をのんだ。みんなこれは、アルコールは低いと言っていたけれど、私にはとてもきつく、すぐに酔ってしまった。前にもここに連れてきてもらい、そのときもノヴゴロドだけにしかないというエスプレッソコーヒーに、シナモンを混ぜたような味の物を飲んだ。二つともとても変わった味だった。
この町は、モスクワほど人も多くなく、なんとなくのんびりしていて、町並みはどこかサンクト・ペテルブルクに似ていて、ちょっとバスで乗るとすぐに、あのロシアの広大な大地の景色に変わる。そして、ここの人たちは、このノヴゴロドには、モスクワほどの活気はないけれど、ロシアで一番古い町だと言うことに、誇りを持っているようだ。
 
2003年08月21日


今日は最後の授業で、折り紙をおしえたり、手遊びを教えたりしました。いろいろ準備など、大変だったけれども、みんなが私達の授業にいつも参加してくれ、日本のことをたくさん学んでくれて、ほんとにがんばってよかったです。
2003年08月22日


今日はノヴゴロド滞在最後の日。ニーナが仕事を休んでくれ、一日中いろんなことをした。一緒に、クレムリンにも上った。クレムリンの塔の一番上まで行くと、ノヴゴロドの景色が一望できた。大きなかわと、自然とノヴゴロドの町。ふりかえってみると毎日いろんなことがあり、あっという間の10日間だった。クレムリンを出るとニーナが「小さなプレゼント」と言ってすごくいい音が鳴るちいさな鐘の置物をくれた。昔からロシアの鐘はノヴゴロドで作っているそうだ。そして、結婚式を終えたカップルを2組見た。8月はノヴゴロドでは、結婚式が多いらしく、週に2、30の結婚式があるらしい。
家に帰り、ニーナはボルシチを、私はおにぎりと肉じゃがを大量に作ってみんながくるのを待った。みんが集まり、食事をし、お茶を飲み、私達は最後の歌ゆずの”いつか”を歌った。
 みんな列車まで見送りにきてくれ、チョコレート、ピロシキ、漫画の絵、ソ連時代の古いお金など小さなプレゼントをたくさんもらった。お別れは寂しいものだけど、必ずこの町は再び訪れるだろうと思った。みんなありがとうございました。
 列車の自分達の席に戻り、思い出に浸るのもつかの間、同じコンパートメントにロシア人の男の人2人がいたので、挨拶はしたもののかなり雰囲気が怖く、固まっていると、毛布を出してくれたり、お茶をたのんでくれたり、以外とすごくやさしい人達だった。そして案の定ウォッカも出てきたが、一人の人は、けして飲まないと断言していたので、どうしてなのかと聞くと、警察で車を運転するからだそうだ。ロシアにしっかりとした警察がいて安心した。
 楽しい10日間でした。寮に帰って。日本人のみんなに会うと、みんなも、イギリスやフランス、エジプト、トルコなどさまざまところへ行っていて、楽しい夏休みをおくれたようでした。
2003年09月07日


今日はセルギフ・パッサードというモスクワ郊外の町へ行ってきた。初めて乗る郊外電車で1時間半。やっぱりロシアの大地の景色は最高。電車の中もなかなかおもしろい。地下鉄ほど車内はうるさくないので、いろんな物売りがやってくる。携帯裁縫道具がけっこう売れていた。10歳くらいのアコーディオンを持った女の子が、小さな弟と一緒に歌を歌ってお小遣い稼ぎをしていた。歌は子供らしくかわいかったが、アコーディオンはプロ並みだ。前に座ってたおばちゃんが、とうもろこしを2本食べていて、そのうちの一本を下に落とした。でも拭かずにそのまま食べていた。スゴイ。
 着いた町は小さな町。でも観光地でもあるので、人もたくさん、店もたくさん。メインの教会へいくとツアー客がたくさんいた。日本人もいた。なにかの聖水なのだろう、人が並んでいたので私もその水に触れたく並んでいると、おじさんにどうどうと抜かされ、さらにチョロチョロと出る水から5リットルのペットボトルを取り出し長いこと聖水を我が物にしていた。こうなると聖水のありがたみも消えてしまう。ロシア人は順番抜かしをするうえに、遠慮がない。よく口げんかしているのも見かけるし、「ここは私の場所だ」といってからしばらく帰ってこないこともよくある。ロシアで生活するには、日本時人的な考え方でいくと気が狂ってしまうほど矛盾が多い。焼け石に水でイライラするほど無駄である。かえってここの生活に慣れた後で日本に帰るのが怖い気もする。
 聖水も浴び、教会も見学し、帰りの電車に乗る。満員電車だ。みんながモスクワへ帰るので、1時間半、くさくて、窮屈な満員電車にゆられる。唯一の救いは景色が本当に綺麗なこと。
2003年09月07日


セルギフ・パッサードから帰ったあと、昨日と今日はモスクワの856歳の誕生日なので、街中へ行ってみた。いろんなコンサートが行われ、あらゆる場所がビックに飾られている。京都で言ったら祇園祭り、神戸でいったら神戸祭りみたいな感じだ。道路も歩行者天国になっていて、軽い荷物チェックを受けて中に入る。ボリショイ劇場の隣のマーリー劇場で、日本フェスティバルが行われていた。日本の舞踊、武道、水墨画、歌、和太鼓などなどさまざまな日本文化を垣間見ることができた。舞踊など生まれてこの方初めてみるので、うれしかった。昔の上級階級の女性は、あんなにおしとやかに動き、可憐だったのだろう。楽しかったのは関西のおばちゃんが、元気よくモダンなダンスを踊っていて会場から何度も笑いがもれた。休憩時間になると彼女達はロシア人にサインをもとめられていて「うわー、サインなんてはじめてやわー、どないしょう」と楽しそうに漢字を書いていた。あと最後の和太鼓はすごかった。ドンドンという単調な音が心臓まで響き、劇場の中も太鼓の音で鳴り響き、最後のドラムやラッパをプラスした創作的な曲と、中国風の踊りで、お客さんたちもみんな見入り、演奏が終わると、ブラボーの嵐喝采で、立ち上がる人もいた。日本文化は奥が深い。
2003年09月11日

今日は由紀さおり姉妹のコンサートへいってきた。チケットがなかったので、その場で買おうとうろうろしていると、日本語のうまいロシア人のガイドさんが「ただです」といってチケットをくれた。ラッキーだ。中に入ると、お客さんは3分の1くらいは日本人だった。このコンサート主催のみちのく銀行の社長さんがなかなかおもしろい長い演説をしてくれた。そのお話のなかで、小さい時に父親と乗ったシベリア鉄道で、一緒に乗り合わせたロシア人が、当時では貴重な黒パンを半分にちぎり、そのパンを眺め、少し考えた後、明らかに大きいほうをくれたというおはなしだ。白人のなかでもロシア人だけは違う、心優しく、日本人を差別はしないといっていた。確かに、この劇場へ行くときに道を尋ねた女の人は、親切にもそこまで連れて行ってくれ、そのときに「ロシア人は日本人が好きです」と話していた。しかし、もうモスクワに住んで5ヶ月以上経つが、冷たくあしらわれたことも幾度とあり、ロシア人は冷たいなあと、何度も感じた。外国人も多く、人も車も多い都会のモスクワなので仕方がないのかもしれない。田舎に行くほどとても親切だという話を聞く。ロシア人は内に優しく、外には冷たいそうだ。
コンサートは本当に感動した。テレビの紅白歌合戦でしか見たことのない、あの姉妹の歌とそのハーモニーは、私の小・中学校の記憶を蘇らせ、歌って本当にすばらしい!と心からあらためておもった。学校で習った歌は、今改めて聴くとすごく感動する。私もきっと大人になったんだろう。昔日本でもロシアの歌が何曲か歌われていて、それを歌い終わった後にはロシア人の人たちもたいへん喜んでいた。このコンサートを終えて、日本とロシアはこんなにも交流が深かったんだと感心した。
2003年09月14日
友達に誘われて入場無料のオルガンのコンサートへいってきた。一列目に座った。とっても大きなパイプオルガン。弾き手の女の人は二人の助手と指と足を使っていろんな音色を作り出す。大きなパイプから小さなパイプまでいろんなパイプ鳴り響く。メロディーが心地よく、一列目なのに寝てしまった。
 コンサートの後、赤の広場へ行くとずっと工事中だったねぎ坊主の聖ワシリー聖堂が完成していてとってもきれかった。近くへ行くとあまりにもべったりしたいろなので遊園地みたいに見えた.
モスクワは見るべき所が本当に多いので、帰るまでにガイドブックに載っている所は全部訪れたい。
2003年09月15日
ずっと寒く、曇りで雨だった天気が、最近珍しく晴れている。ロシアではこんな秋晴れの9月の始めの2週間を、”バービエ・レータ・ドーマ”という女性のための日らしく、よく夏に働いた女性はこのあったかい秋の日に休むそうだ。ほんの少ししかこんな朗らかな日がないような気がしたので、銀の森というロシア人が憩いの場とする自然公園へ足を運んだ。地下鉄とバスで少し行ったところの大きなマンションの隣に、たくさんの木と、大きな池が広がっていた。自然の空気を大きく吸って心身共に気持ちよくなった。湖の木陰に腰をおろし、ツルゲーエフの”初恋”を読んでみたりした。するとカサカサと音がしたので顔をあげてみると服を着ていないロシア人がいた。かなりあせって、その場をはなれると、砂浜っぽいところにでた。そこにもそんなロシア人が何人かいた。即帰った。夏にはここでロシア人がたくさん裸で泳いでると聞いていたが、今の季節までいるとは。確かに解放的な気分にはなる気持ちも分かるが。今日もロシアの一面を垣間見た。
2003年09月17日



モスクワに江戸職人達がやってきた。江戸すだれ、べっ甲細工、ちょうちん、江戸刺繍、鋏鍛冶、おろし金。職人達が、これらの日本の伝統文化を実際、目の前で作り、見に来てくれたロシアの人たちにも体験してもらう。そこで私はそんなに話せないにもかかわらず、通訳の手伝いを頼まれた。2日間11時から6時まで職人さんのとなりについて、ロシア人からの質問を通訳していく。私はべっ甲細工の磯貝さん担当で、べっ甲細工についてなにも分からないので、前日勉強し、ロシア語に訳し、覚えてきた。でも一夜漬けで覚えた単語は全く口からでてこない。あまりのできなさにみかねて、見学に来たロシア人の人も通訳を手伝ってくれた。かなりありがたかった。しかし、磯貝さんの作るべっ甲細工はすばらしい。透明の輝くような黄色に黒い斑点がある。今はワシントン条約で国際取引が禁止されているタイマイという2メートル弱ある亀の甲羅を使って、かんざしや、ネックレスを作っているそうだ。どうして取引が禁止されているのに今も作っているのか、ときくと、「私の祖父が買って残っているタイマイの甲羅を今も使っている。」といっていた。ということはかなり高価なものだ。値段をきくと、ひとつ15万とか、30万えんとか・・・。海外に持ち出しすることができないので、牛の角を使って今回は実演している。でもその牛の角一つでも5千円はする。それを見に来てくれたロシア人の人たちに一人30分くらいかけてネックレスを作ってもらう。みんな一生懸命になってきったり削ったり、見るのは簡単だがするのは本当に難しそうだった。なかには、おしゃべりをしながらする人もいた、もらえるという目的でするひともいた。でも磯貝さんは根気よく、おこらずに対応していた。それでもだめなときは、「これ、いくら位すると思う?」と、一生懸命にして欲しいことをアピールする。職人さんと聞くとすごく怖い人たちだと思っていたけれどみんな本当に優しい人達だった。
2003年09月18日



江戸簾、田中義弘の考える「職人とは」 のお言葉をかりました。
 最近は職人のなかにも「偽者」が多くて頭を抱える時代だ。コスト削減のため海外へ製作工場を移し、模倣品が日本で出回るが、本物の「職人」が作ったとは出来が違う。最近の職人は見本つくりになってしまい、それを見た海外業者が模倣し、安価で売っている。ブランド名で商品価値を判断する人が多くなったこの世の中で、品物の良さ、悪さの区別ができなくなっている。「・・・で売っているものだから安心だ」と口にする人を最近見るようになった。職人はちゃんとしたものを作ってちゃんとした事をしなければならない。お客さまにも本物を分かって欲しい。仕事をしているとき職人はよく「怖い顔をしている」といわれる。作業をしている職人は真剣に、一生懸命、物を作るから人に呼ばれてパッと振り向くとどうしてもキリッとした顔つきのままだからそれが「怖い顔」ととられてしまう。自分が幼い頃は家業を継ごうと思うことはなかった、すし屋の見習いで1年程働き、自分の家を離れて初めて物事を客観的に見ることができ、「仕事は何をしても同じだ」と気づく。ついに家業を継ぐ決心がつく。大学にも行きたかったのは事実。今でも夢に出てくるくらい。継ぐ、継がないに関しては”継がせて”はならない。先代の背中をみて、継ぐ意思が芽生えて初めて「継ぐ」というのであろう。最初は真似ることから始まる。まねる=学ぶ ではないでしょうか。
 この職人さん達は、以前にもフランスや、サンクト・ペテルブルクへいき、そして、このモスクワの後にポルトガルのリスボンへ職人の技と心をみせにいく。訪れたロシア人の中には、職人の作る品物を買いに来た人たちもたくさんいたが、今回は展覧と言うことでがっかりして帰った人達も多かった。今年はモスクワでは日本祭が行われており、日本に関するイベントが数多くある。この職人さん達も、日本の文化をロシア人たちに、興味深く紹介してくれた。ロシアの有名なテレビ局もきたし、野村大使もいらっしゃった。ここで私が友達になったロシア人も「本当に楽しかった」と言ってくれた。通訳を手伝ってくれた、やすよ、としえちゃん、綾子さんもお疲れさまです。本当にたくさんの人たちが見に来てくれ、このデモンストレーションは成功に終わり、最後の一本締めは本当に気持ちがよかったです。
2003年09月25日





モスクワとサンクト・ペテルブルクに私の家族達がやってきた。みんなが泊まる”ロシア”という赤の広場の隣にある大きなホテルのロビーで、夜の12時に会うはずだったけど会えずじまい。久しぶりの再会でどきどきして1時間半待ったけど誰も来ず、フロントにこういう日本人の名前の人はいるかと聞いたけど、愛想悪く、いないと答えられ、その日はあきらめて寮に帰ってしまった。でももう一度フロントに電話をしてたずねると、”はい、います”とすんなり電話もつないでくれた。ハーッ。結局次の朝出会えることに。聞いたところ、このホテルは出口のロビーが4つもあり、違うところでみんな待っていた。みんな旅の疲れもなく元気そうで安心。さっそく赤の広場へ行き、写真をいっぱい撮った。そして、国立百貨店のグムで、40円のアイスクリームをトライしてもらった。一口目でみんなおいしいと絶賛。 次にクレムリンの武器庫へ行きたかったけど、あいにく休みで.なので、さっそく私の通うモスクワ大学へ行くことに。地下鉄に乗り、大学に到着。ちょうどモス大(モスクワ大学)にある木々は紅葉の季節で、黄色く染まった並木道をのんびりあるいた。。ロシアの葉っぱは日本と違い、主に黄色なので、日本の”紅葉の秋”にたいして、"黄金の秋”と呼ばれる。モス大のメインビルディングに入る。ここの警備はあまり厳重じゃない。一人がパスポートを見せるとみんなさあーと入れる。私もたまに見せないで入れることもある。それほど平和なのかもしれない。中に入り23階くらいから頂上の28階まである生物学や、地質学などの博物館を見学する。トナカイや、山猫、ねずみ、鳥などのはくせいがあったり、いろんな化石や、石があったり興味深い。そしてなによりここからの景色はモスクワを眺められる。曇っていてはっきりとは見れなかったが、みんな満喫だったと思う。おなかが減ってきたので地下にある学食へ行った。ここはおぼんを持ってサラダやパンお菓子を取り、メインディッシュは食堂のおばちゃんに”これと、これ”という風に指差して皿に入れてもらう。ここのジャガイモのピューレとキャベツロールがおいしい。実が入ったジュースは激甘。ケーキ類も甘い。みんな肉の量の多さに驚いていた。それでも一人200円か300円くらい。
 結構食べたので一息してから地下鉄へ向かう。ロシア人の友達カーチャに地下鉄を案内してもらった。モスクワの地下鉄の駅は本当に綺麗なので見所がたくさん。モザイクのカラフルな絵がたくさんある駅や、”白いロシア”と名のついている本当に白い駅や、彫刻の像がたくさんある駅やシャンデリアの駅。カーチャも日本語で一生懸命説明してくれた。たくさん歩き、とっても疲れたので、ジュースを飲んで一休み。カーチャにお礼を言うと”ガイドの経験をどうもありがとう”と感謝された。こちらこそ。
 この日の締めくくりはボリショイ劇場のバレエ。インドの踊り子のバレエだ。3階だったけど1列目で私がいままで行ったなかで一番見やすいし、前に手を置けるので快適な場所。インドの衣装を着た踊り子が元気よく踊る。両サイドの母さんとおばあちゃんも気持ちよく眠る。さぞ歩き疲れたんだろう。でもクライマックスの白い衣装の出演はとてもよかった。サンクトへ行ったときもおばあちゃんはフィンランド湾を眺め、「私がいま日本からこんなに離れている所に立っていることが信じられないです。ありがとう。」といってくれた。みんな満足してくれて本当によかった。
2003年10月15日

もう私は2ヶ月ちょっとくらいしかモスクワにいないことになる。思っていたよりもロシア語は上達しないものだ。もう今頃はペラペラに日常会話程度はできるものだと誰もが思っていたのだが、私を始め、みんなそういうことは言っている。
 最近毎日のように寮の前でアジア人がロシア人にからまれている。主に中国人だが、殴られたり、パスポートを破られたり。あー怖い。おもに殴られるのは男の子だが、日本人の友達も明日はわが身と思っているようだ。気候的にまだ暖かいので早く寒くなることを願う。一般的なロシア人の性格をいうと、彼らには仲間という輪があってその輪の中の人にはとってもやさしい。しかし外には冷たい。日本人もそうだが、日本人みたいに愛想はない。私のロシア人の友達はほとんどが日本語を勉強していたり、興味がある人たちなので、とてもやさしくしてくれる。
 例えば例を挙げるとしよう。ここは郵便局で、国際郵便物を送りたいと思う。受付のおばさんに片言の言語で言うが通じない。英語で言ってみるが彼女は英語がいまいち通じない。そこでおばさんはなんというか。まず、日本の場合。「本当に申し訳ありません。わたしには英語が分からないものですから、もういちどゆっくりおっしゃってください。」あるいは、「少々おまちください、ただいま英語の分かるものをつれてきます。」といったことをいうだろう。しかしこれがロシアだと、「なんて?わからないわ。(無視。。)次の人どうぞ。」 お客様は神様ではないのだ。これは最悪の場合だが、わたしはこんな経験を何度かした。しかし、通りすがりの人に道を尋ねるとみんなわからなくても絶対親切に教えてくれる。ロシア人の性格をいい風に言えば、裏表がはっきりしていてわかりやすい。怒るときは怒るし、その後にであっても本当に普通に接してくる。日本人のように「顔は笑っているけど本当は何考えているか分からないわよ」っていうのはあまりないように思う。半年ここに住んで感じたり聞いたりしたロシア人についてでした。
2003年12月10日
今日はまたテロが起こった。ロシア人の友達といたときに、電話がかかってきて「今テロがあって人が死んだらしいから」と、いつも何か大事件がおこると、安全確認の電話がくる。マジで!と私は驚いてそれを友達にいうと、「どうしてそんなにおどろいているの?」といわれた。あまりにもテロが起こるのでもう珍しくないのだろうか。たしか、数年前に起こった須磨で、小学生の生首を校門に置いていたという事件で、私達は毎日その話題ばっかをし、おびえながら過ごしていたのだが、ロシアでは普通にみんな過ごしている。
 ということでそのまま東洋博物館へいった。ここには、韓国、中国、モンゴル、日本などの服や家具や人形などがたくさん置いてあって、いろんな東洋の国の文化を垣間見れた。ロシア人は東洋が好きだそうだ。どうして?ときくと、ロシアはもとはチンギス=ハンのモンゴルの国だったから、ロシアは西洋にも関心はあるけど、東洋に関しても興味をもっていて、いろんな文化をとりいれているそうだ。よくロシア人が中国のお金で真ん中に穴の開いたのを髪飾りにしているのもたまにみかける。そういえば、普通に緑茶も飲んでいる。


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