ちょうちんおばけ
2004/12/16


 らしいです。
 やっぱり、あまりおいしくはありませんでした。

 で、今日の本当のオススメは「愛」についてです(ちょっと恥ずかしい)。なにせ、写真撮れないのでワンクッション置かせていただきましたよ。
 以下、今日の授業中(今日は授業サボりまくりで散々…)に書いた文章を、ほぼ”まま”で載せています。ただ、読み手を意識して書いていたわけではないので表現がおかしい箇所はあります。読んでくださる方には、あらかじめご了承をお願いします。


 愛を以って接することはできるのか。キリスト教の人にはできるのかな。神様から愛をもらって、それを仲間やまだ見知らぬ人々とシェアすることはできるのかな。神は人間が頭の中で創り出した存在(もし存在(というコトバ自体適当かどうか分からん)するなら失礼な話だが)であれば、神の愛は、つまり人間自身による愛ということになる。これは「我々に心があるのであれば、我々を含んでいる宇宙にも心はある」という帰納に通じるところがあるかな。別段キリスト教でなくても、愛に準ずる(いや、意味するところが違うから「準ずる」なんて優劣をつけるのはおかしいか)ものを表現している。儒教しか知らないけれど。仁義礼智。この四つの漢字、いやこれは象形文字だろうか。どこからきた漢字(つまり思想だ)なのだろうか。僕は、できることなら、自分の努力次第でできることなら、この四つともに通じたい。これは果たして欲張りだろうか。でも、こんな欲なら神様もご先祖様も許してくれるかな。慈愛の心もそうだけで、求めたい、求め続けたいものだもの。
 人はひとりなのか。「結局」ひとりであるのが真実であるならば、それもいいけどね。近しい人を含めて、多くの人たちと歓びを求めていきたい。そういう傾向でありたい。なぜなら、みんなが好きだからね。愛を以って接している(つもり、だけかもしれないけれど)のだよ。男女の愛は二の次で、隣人愛や友愛を重んじていたい。人間である、ということだけが同じで、あとは全然違う人間たちが仲良くやっていくには、それこそが大切なのだと思う。

 カウボーイ・ビバップ#SesssionXXの最後のテロップに、”Do you have a comrade?”があった。”comrade”は「仲間、同志」という意味。高校生だった当時であるが、この一文に衝撃を受けた。
 そして今気になったのが、”a”なのだ。”a”は「ひとりで充分」ということなのかな。もしかしたら「自分自身が自分の同志(=自分をよくみる、につながる?)」ということすらも表しているのかな。
 いや、仲間は多い方がいいよ、やっぱり。
 助け合っても傷つけ合っても、それも愛そのもの。仲間は仲間、友だちだ。


 以上です。ご意見・ご感想などございましたら、直接でもよいので僕までお伝えください。まだまだ勉強したいので。(ま、このHPを見てる人じたい、少ないだろうから僕の方から訊いて回るかもしれません。その際は快く応じていただければと思います。)

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