わき水研究所レポート

名水百選が選ばれて以来、湧き水・名水ブームがいまもなお続いている。おいしい水が湧き出るところに人々が集まり、語らいが生まれる。全国津々浦々、地域に根づく湧き水を訪ね、"湧き水文化"を探っていくことにしよう。


1.羅漢の井

映画「男はつらいよ」で知られる葛飾・柴又帝釈天の東、江戸川の土手にたたずむと、対岸の千葉県市川市側に森が帯状に長く続いているのが見える。大地の下の断崖に生い茂るこの斜面林が涵養したのが、地域の名水「羅漢の井」だ。

京成線国府台から里見公園を目指し二十分ほど歩くと、江戸川に通じる坂道に出る。水は坂道を下った右手に二か所湧いており、ふだん水汲みに訪れる人の姿が絶えない。弘法大師空海が東国をまわっていたとき、この地の人々が飲料水に困っていたため、羅漢をまつって念仏を唱え錫杖を突いたところ、清水が湧出したという。こうした「弘法清水」の伝説は各地に伝わっている。和漢の井は天保五年(一八三四)完成の江戸名所図絵ににぎわう姿が描かれていたほどだから、それ以前から地域の人々に親しまれてきた湧き水だったに違いない。

    

湧き水を汲みに来た人たちの列に混じって話を聞いてみた。「順番待ちをしたくないから明け方に家を出る」という江戸川区の三十歳代のバイクの青年。市川市内の六十歳代男性は「水割りの水に使うと、まことに美味い」。また「うちはご飯を炊く水に使ったり、お茶を沸かしたり。一度使ったら、水導水には戻せませんよ」と近所の年配女性も。湧き水のすぐ脇には「飲用されて病気等になっても責任は負えません」という市役所の看板があったが、そんなことおかまいましだ。

  

だが五十歳代の男性は「気になるのは、湧き出る水の量がこのごろ減ってしまったことなんだよ。以前は推量はもっと豊富だった」と言っていた。

確かにその通りなのだ。実は、この羅漢の井、筆者の自宅からも近いので、月に三、四回、観察に出かけているのだけれど、台風が相次いで来襲した昨秋の一時期を除くと水量は減る一方。晴天続きだった今年一月に行った時は、桶から出る水は糸を引くよう。十リットルのポリタンクがいっぱいになるのに七十分近くかかった。水が出なくなれば集まる人々も減り、語り継がれることもなくなってしまう。緑が生い茂る初夏のころには、江戸名所図会にあるような豊かな水量が復活していることを願わずにいられなかった。

 


明水百選ばかりが傑出して有名になってしまったが、それ以外にも地域の人々に親しまれている湧き水はたくさんあるはず。「私の街にはこんな湧き水がある」という連絡をお待ちしています。わが「湧き水文化研究所」のメンバーが皆さんから寄せられた情報をもとに現地を訪ねます。
 

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