ここに一つの記録がある。
甚三が金銭の出し入れに使っていた、峰延農業協同組合の
貯金通帳の内容である。
これは昭和13年の記録である。
この年に大きな金の動きがある。
これは妻・トメの入院の治療代として払うために引き出した
ものである。
年月日 支払い出し 残高
13年7月29日 50円也
13年8月 6日 100円也
13年8月14日 200円也
13年9月13日 100円也 60円90銭也
調べてみるに,この年、昭和13年は米1俵が(13円40銭)
である。
500円といえば40俵分のお金である。
1反あたり3俵か4俵しか取れない頃である。
貯金のほとんどは使われてしまった。
(この頃、農家の1ヶ月の生活費は30円くらいだろうと
思われる)
甚三はこの頃、2町歩位しか作っていなかった。
手間もなく、毎年、作男
(森 政義、向山十一、中野渡二太郎さん)
などを雇っていたのである。
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