1月の手抜き日記。(2001)
1月1日。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。って更新止まってんじゃん(爆)。
1月9日。
調子が悪いのか、なにも考えずに眠りたいと思う。親が事務所に行っていて家にいないのをいいことに、あれやこれやとりあえず薬を飲んでみる。種類多数。ちっとも効いてこないので半分ヤケになる。20錠飲んだところで気がふれる。「20錠飲んだら、30も40も一緒だー」。というわけで結局40錠飲み干す。適当に風邪薬なんかも飲んでみた。こんなもんでは死なないと身体で知っているので、自分では何とも思わず、ベッドにもぐり込む。そのまま眠ったらしい。
1月10日。
気が付いたら、知らない天井が見えた(エヴァ風味)。シューシュー音がするので見てみると、5分おきぐらいに自動で計測する血圧計なんかが左腕に巻かれていた。おまけに左手の甲に点滴まで刺さっている。腕を切りまくっていた痕が丸見え。さらに言うなら尿道カテーテルまで刺さってる! なんか知らんがとんでもないことになっているようだ。
右側に母親が座っていたので、ここまでの経緯を聞いてみて改めてビックリした。前日の薬40錠で私は意識を失ったのだが、夜ご飯に起こされて意識のないまま起きて、しかも手づかみ(!)で食べ、その後に本格的に昏睡したそうだ。私の身体もヤワになったもんだ・・・・とバカなことを考えた。そして、そのあと、慌てて両親は消防署まで私を連れて行き、そこから救急車でこの病院に搬送(クリニックには入院施設がないので、別の普通の救急病院)。両親と私と両方の世間体を考え、自宅に救急車を呼ばなかったそうだ。私より世間体か・・・・とちょっと思う。放っておけば勝手に目を覚ましたのに、余計なことを・・・・などと罰当たりなことも考える。死ぬ量を飲んだかどうかは、私にしか分からないのだから、親が慌ててしまうのも仕方ないのにね。
目が覚めてからはなんかボーっと現実感がなかったのだが、病院食を昼食・夕食ときちんと食べて帰宅(だから太るんだよ)。
自分の部屋に行って驚いたこと。私のカバンをあら探しされていて、薬を全部取り上げられていた。勘弁してくれ・・・・。
1月11日。
診察。緊急診察ではなく、通常通り。救急車からか運ばれた病院からか、どっちからかは分からないが連絡がいっていて、O先生は騒ぎを知っていた。そのO先生に向かって「アナフラは渡せない」と言い放つ。押し問答がちょっとあったが、結局アナフラだけは返してくれることになった。ただし全部じゃなくて、3分の2ぐらい。母親も呼ばれてこの話をされたので、他の薬は諦めるしかなくなった(泣)。
断薬の刑に処されそうだったが、母親を呼んだらあっさりそれは回避された。ただし、母親は「今まで以上にしっかり管理するように」と言われていて、ちょっと可哀想だった。母親の管理してる薬を飲んだ訳じゃないのにな。結局、薬は今まで通りの処方。これにはかなり安心した。
1月13日。
退院して間もないというのに、東京へカラオケオフに行く。どうも興奮状態が続いているようで歌いまくる。リモコンとマイク離さず。他の人もいたっていうのに、迷惑この上ない。あんまり歌えなかった人ごめんなさい(謝)。でも私は楽しんでしまった。っていうか、反省しろ、自分。
この状態で外出させてくれた親に感謝。「ダメ」と言われるかと思っていたよ。ただし、この時点では親の心情を思いやる気持ちに欠けていたので、へらへらと出かけたのだった。
泊めてくれた、豪邸にお住まいのMちゃん、どうもありがとう。
1月14日。
2日連続でオフ。泊めてくれたMちゃんとお出かけ。東京駅待ち合わせだったのだが、私は東京駅にまったく詳しくないのでとても助かりました。ありがとう。
F県から来たFを囲んでのオフ会。昼ご飯を食べて、お茶をしてのまったりオフ。こういうのもいいですな。
昨日も今日も、誰にも何も言われないのがかえって心に痛かった。謎にこのオフで、薬を飲んだことを反省する。そして、謎に悟る。何を?と言われると困るのだが、幸せの敷居は下げないといけないのだな・・・・なんてことをぼんやりと思い始める。怪我の功名(違)。
1月15日。
カウンセリングを延期してもらう。
1月18日。
診察。反省してることを伝える。前回の診察ではまだ興奮状態にいたので、そんなことを思っていなかったので。この時かな。断眠するので眠剤を増やしてもらう。おまけに抗鬱剤も増やしてもらう。って、本当に反省してるのかよ・・・・。でも、大量服用をする気は失ってるんだよ。
1月20日。
延期されていたカウンセリングが行われる。当然、カウンセラーHさんも騒ぎを知っていて、騒ぎの前に行われたカウンセリングのせいも半分あると言って謝っていた。「違う」と言ったけど、カウンセラーHさんもゆずらない。本当に違うんだが、「カウンセラー」が言うんだから当たってるのだろうか。
母親に連れて行ってもらっていたので、前々から懸案だった携帯電話の機種変えを帰りに決行する。メーカーも変えたので、番号も変わった。iモード。画面はカラーじゃないけどね。新しい番号は、徐々に、ゆっくりと、みんなに教えていくつもり。電話恐怖は相変わらずで出られないので、番号を教えてかけてもらっても申し訳ないだけなんだよね。でも、気分的に、誰からもかかってこないと思うと、つかの間の安息に浸りたいなどとも考えてしまう。いやいや、教えるよ。ただちょっと待ってね。少しずつ教えていきます。
っていうか、iモードなんだから携帯メールをすればいいんじゃん、自分。
1月25日。
診察。パキシルを飲んでから1人で出かけられなくなっていたが、久し振りに、本当に久し振りに、1人で車を運転してクリニックに行った。思わず、下の喫茶店で長居をしてしまう。下の喫茶店、名前が正式に決まったそうだ。「オールマスターズ」・・・・全員がマスターという意味らしい。
診察ではあまりたいした話をしなかった・・・・と思う。
1月29日。
かなりショックなことを朝に知ってしまい、激鬱。とてもじゃないが、身体を動かせない(物理的な意味ではなく)。仕方ないので、またカウンセリングを延期してもらうことにした。カウンセラーHさんには、本当に悪いことをしているなと思いつつ、自分の身体なのに動かせない。ごめんね、Hさん。
<総括>
こうやって書くと、すこぶる調子が悪いみたいですねぇ、1月。今は割と落ち着いてるんですけどね。大量服薬・入院・オフとこなしていくうちに悟り、なんだか1人勝手に安定したようです。幸せの敷居は下げすぎても卑屈になりますが、ある程度下げないとダメなんだと思う次第です。両親には心配かけましたが、ちょっと良かったのではないでしょうか。
でも1つだけ。退院して帰ってきた私に、なんともいえない表情で父が「もう止めてちょうだいよ」と言いました。今になって、少々怒りがわきます、この言葉。好きで飲んだ訳じゃねぇ、と。でも、リウマチなんだよね、父。その痛い腕で私を担いで車に運んだわけですから、相当痛かったと思います。それについては本当に申し訳ないと思います。が。やっぱり、父はまだまだ理解できていないんでしょうね、私の病気・症状などを。
まぁ、今の私は落ち着いてますので、ご安心ください。薬も取り上げられたので手元にはないし(アナフラはいざ(?)というとき用)、腕も切っていません。謎に安定しています。昼夜逆転もなんか治ってきたみたいで、テレホタイムに眠くなってしまい、チャットに思うように行けないのが悩みといえば悩みです。って、軽いな、悩み(苦笑)。本当は色々あったりもするんですが、まぁ、いいでしょう。落ち着いてるってことにしておきます。
ではまたね(^.^)/~~~
2月4日。