トクシマへの道(第一編)
*なんか黒板ぽくしたかっただけで、この色です。
*ジャイナ教そっちのけでこんなん書いてるのは、逃避です。
八月四日
もう2週間くらいずっと腹痛に悩まされている。朝起きると決まって下腹が痛いのだ。今まではそれで収まって
いたのだが、最近断続的に痛みだすようになってきた。微熱もあるし、「腹膜炎」か?と悩む私を尻目に、日
々はどんどん過ぎ去って行き、遂に徳島行き前日になってしまった。お腹の調子が悪いので、夕食は温かい
蕎麦で済ませ(あー天ザルが食いたい)、ひとまず実家へ帰る。
今回の徳島行きの主たる目的は墓参りである。母親の実家が徳島なのだ。そして日蓮宗系のナントカ寺とい
うところに、我が祖父山岡辰五が眠っているのである。
しかし、毎年ロクに墓参りなど行かないうちの母親が、何故子供が修士論文を抱えているときにそんな事を
言い出すのか・・・といぶかっていたのだが、どうも最近、母は毎晩の様に祖父の夢を見るらしい。夢の中で
母は中学生である。母が中学校の帰り道を歩いていると、前方に辰五じいさんが笑顔で手を振って迎えに
来ている。喜んでそちらの方へ母が駆け寄ると、おじいさんはいつのまにかいなくなっている・・・というので
ある。この夢が毎晩続くので、母としては相当不安になったらしい(別に母親は信心深い方ではないが)。そ
れで一念発起、久しぶりに墓参りぢゃ!というわけで私も召還されたわけである。
本当の所、私は今回の旅をぶっちする気でいた。ところがうちの父も墓参りに行くというではないか。血の
繋がりの無い人間が行って多少とも血の混じっている私が行かないというのはマズイのではないか?という
わけで参加を決意したのである。あと、個人的にあまりに調子が悪いのも気になっていたし、何か運気を変
えてくれそうなものを内心求めていた事も事実である。
というわけで午後十時ごろ実家に帰ってきたわけだが、私は明日何時に出立するのか知らなかった。そこ
でまだ起きていた母に聞くと、
「知らん。あんたの父親が起きた時なんちゃうの」
とまるで他人事の様に吐き捨ててモノを言う。相変わらず夫婦仲は悪そうである。大体、自分の亭主の事を
「あんたの父親」などと一般的な家庭では言うのだろうか・・・?まあ、そんな事はどうでも良い。しかし、何時
に起こされるのか解らないというのは不安である。しかしこれ以上母にツッコムと膨大な量の愚痴が噴出す
る慣わしであるので、今の会話を無かった事にして、風呂に入り、風邪薬を飲んで(熱あったのだ)、自室へ
戻る。そのまま素直に寝ていれば良かったのだが、昔のCDとか聞き出すと止まらなくなり、結局三時半頃に
寝たと思われる(最後に時計を見たのが三時過ぎだったので)
八月五日
内線でモーニングコール。なんと六時半である。幸い浅い眠りの時に起こされた様で、眠気は思ったほど無
いが、それでもやっぱりフラフラだ。
「殺す気か!」
とぼやきながら(寝なかったわしが悪いんだけどさ)下に降りる。バクハツ的な量の朝食を何とか平らげる。
しかしこんなに早くに起きて出てしまうと、逆に阪神高速の渋滞に巻き込まれるのではないか・・・?と思って
いたら、親父が突然
「十時くらいに家を出よう」
とほざき出す。そしたら何でこんな早起きせなあかんねん・・・と思っていたら、案の定母親がそんな内容の事
を言って、親父に食って掛ってた。朝の正しい日本の食卓風景だが、相当に見苦しいものである。
結局「子はかすがい」と言うわけで、私が強行に早朝出発を主張すると、折れた。だって折角早起きしたのに
幾ら渋滞があるからって家でダラッとしているのはムカツクではないか!!・・・と、この時点で、私はまだ、私
がクルマを運転して行くという厳然たる事実を全く考慮に入れていなかったのである。
7時半、なにやら膨大な量の手土産をラゲッジに積んで、我がH6年式シビック(メタルブルー)通称「リチャー
ドくん」は動き出し、一路とりあえず阪神高速の入り口を目指した。外は小雨がぱらついていた。
ところで、私は高速道路にあんまり縁が無い。これは私がつい最近までバイク乗りだった事に起因する。バイ
ク乗りの何人くらいがわかってくれるのか知らないが、バイクに乗っていると、高速道路というのは結構メン
ドーで疲れるもんなんである。ハイウェイカードを持っている時はまだマシだけど、無い時の料金所なんて修
羅場である。しかもそういうときに限って、細かいのを持ってなくって往生するわけである。それに体剥き出し
で長時間ハイスピードで走るとかなり疲れる。特に冬場に高速に入るなんざ、人知を超えた行いだ。私は金
が無くって冬用のグローブを持ってなかったし(雨用で通していた)。あと、バイクだと下を走っても上を走って
も、時間的にそんなに大差はないのである。あとツーリング中に高速に入るのは風情に欠けるとか、色々あ
るけど、まあそんな理由であんまり高速道路とは縁が無いのだ。
閑話休題。大阪城の辺りで阪神高速に入る。するといきなり豪雨が振り出す。これがもしバイクだったら半泣
きになってるところだが、クルマだと濡れないので嬉しい。しかしその分バイクより運転に気を遣う。バイクだ
ったら仮に転倒して事故っても自分が死ぬか重体になるだけだが、車だとそうはいかない。特に今回は親な
んて乗せているので、余計に気を遣うわけである。それに度々親父の指導が入るし鬱陶しいったら無い。神
経すり減らしまくりである。
神戸辺りから11キロの渋滞に捕まる。豪雨+渋滞というわけである。ま、雨の時は渋滞の方が気楽で良い。
と思うのは私だけだろうか?とか何とか言いつつ、何となく渋滞も脱出し、ようやく明石海峡大橋を渡る。奇妙
な事に、橋では一車線が完全に封鎖されている。理由はわからないが、交通量が少ない時は見物を防ぐた
めにこんな事をしているんだろうか。橋を渡り、淡路ICでトイレ&腰休憩を取る(腰痛持ちなので、2時間以上
運転席に連続して座りつづけるとタイヘンな事になる)。
淡路IC
は充実している。みやげ物も豊富(大阪・神戸のものと、四国のものが両方置いてある)だし、景色も
素晴らしい。そのせいかみんながここで休憩するみたいで、どえらい混雑である。明らかに窓際と思われる郵
便局員が外で記念はがきを売っているのを見て、桂小金治みたいな感慨にふける。
缶コーヒーを飲み干して、我々は再びリチャードくんに乗りこむ。親父が
「淡路を抜けたら運転を交代してやる」
とのたまう。だから淡路島抜けたら鳴門から徳島なんてめっちゃ近いっちゅうの。
高速道路は淡路を南北に縦断している。平日の盂蘭盆会前と言う事で、想像以上に道は空いている。ついつ
い100キロとか150キロとか出したくなるのがバイク乗りの性だが、今回は両親の厳しい指導が入るので、80キ
ロキープというとてつもなくスリルに欠けるドライヴを展開する。それでもかなりあっさりと淡路を縦断してしまう。
大鳴門橋を渡り、徳島市街地へ南下する。親父はさっきの交代劇の話などすっかり忘れている。こっちもうざっ
たいので話を蒸し返すのは止める。
徳島の地図がなかったのだが、道路標識で何とかなるやろと思っていたのが甘かった。徳島の道路標識はか
なり大雑把で、私が目にするのは「徳島」という表示と「高松」という表示ばっかだった。うう、となりながらも何と
か徳島県庁前まで辿りつくが、ここからが大変である。この後直進か右折かで、父母がかなり感情的な会話を
始める。ちなみに母は出身こそ徳島のものの、免許を持ってないので道など全く知らない。父はと言えば、出身
は兵庫の山奥で16の時からずっと大阪。徳島の道なんか知ってるわけがない。
母「こっち右やゆうてるやんか」
父「左車線走っとるから入られへんのわかっとるやろ、あほか」
母「知らんわよそんなん、免許持ってへんねんから」
父「あほか」
母「兎に角右行ったらええがな」
父「まっすぐや、言うてんねん」
(中略)
わたくし「取り敢えずまっすぐ行くで。どうせこっからやったら右折できへんねんから」
父「ほんなら好きにせえや。知らんぞ」
・・・たかだかこれしきのことで、どうしてここまで険悪になれるのか。我ながら不思議な家庭に育ったもんである。
ちなみに、結局右折するのが正しかった(ここで再び香ばしい舌戦が繰り広げられましたがあまりにダルいので
省略します)。
結局母親の実家に連絡を入れて道を聞きつつ、何とか母親の実家に辿りついたのだが、今度は母親の兄貴が
居ない。ばあさんに聞くと、我々を迎えに車で出たという。私がどんな車に乗っているかも知らないのに。どうも
みんな頭が焼け焦げている。
それにしても徳島は涼しい。大阪より気温が5度くらい低いように感じる。実際、ばあさんの家には冷房機器は
何にもないのだが、はっきし言って無用である。
ここで母親の兄貴なる人物が如何なる者かを紹介せねばなるまいが、ちょっと長くなるかも知れないので第一編
はここで筆を(キーボードを?)置こう。