青い鳥

 十年以上も前の話ですが、家の近くの銀行の窓に看板がかかっていて、とても明るい楽 しい絵がかかれていました。若い夫婦がかわいい子供を連れて、手をつないで立ってにこにこ笑っている、見るからに楽しそうな絵なんです。で、その奥さんの肩に青い鳥が止まっているんですね。その下に「今期のボーナスはぜひ当銀行へ 幸せをよぶ『青い鳥預金』」と書いてありました。

 その看板を見ていて、ふっと何か気持ちに引っかかるところがあったのは、「幸せをよぶ『青い鳥預金』」という言葉です。その「青い鳥」とはいったいなにを意味するのだろう、と。これはもちろん幸福とか、希望とか、そういうことにちがいない。その「青い鳥」はどこからきたかというと、これはメーテルリンクという人の書いた「青い鳥」というお話からきたものですね。

 チルチルとミチルという二人の子どもが、幸福のシンボルで、何でもかなえてくれる青い鳥を探す旅に出て、結局見つからずに、がっかりして帰ってくると、実はその青い鳥は自分たちのベッドの横の鳥かごの中にいた。幸福は遠いところへ探しに行っても見つかるものではない。本当の幸せというものは自分たちの身近に、日常生活のつつましい喜びの中にあるのだ、ということに気づく。そういう話だと勝手に思いこんでいました。

わたしたちは日常、「青い鳥」という言葉を、希望とか、、幸せの代名詞として使います。その銀行の広告もそういうふうに使ってあるのですが、そのときちょっと引っかかったのが自分はその「青い鳥」という本を読んだことがあるのだろうか、ということだったんですね。どうも原作は読んでいないような不安にかられて、さっそく書店に行きました。

 まあ意外なことがたくさんありました。やはり読んでいなかったんです。読んでびっくりしたのはまず、それが物語でも童話でもなくて、シナリオだったことです。つまり戯曲なんですね。それを読んでいくうちに、もっともっとおどろくことがあったんです。

 この話のあらすじですが、とても貧しいチルチルとミチルという子どもがいた。夢の中で魔法使いの老婆が現れます。その魔法使いにそそのかされてどんな希望でもかなうスーパー・バード、青い鳥、それがいるから、それをつかまえてくれば、あなたたちは豊かになりますよ、おとなりの足の悪い子どももすぐ治っちゃいますよ、というふうに聞かせられてまぼろしの青い鳥を求める大旅行に出かけるわけです。けれども、結局二人は青い鳥をつかまえて手にすることができずに、打ちひしがれて家に帰ってくるのです。

 それで二人は同時に夢から覚めて、「青い鳥って結局いなかったね。」と言って、がっかりしながら顔を見合わせて、ふっとかたわらをふり返ると、おどろいたことに、自分たちの部屋に以前から鳥かごに飼っていた、きたない、なんでもない鳥が、二人の見ている前でしだいに青い色に変わってゆく、そして、以前とは全然ちがった鳥に変身してしまうんですね。「あ、青い鳥はここにいたんだ。」と言って二人はびっくりする。そこへとなりから来た足の悪い女のこに、その鳥を持たせてやりますと、たちまち足が治ってしまう。ぼくたちはなんでも希望のかなう青い鳥を見つけたんだ、この鳥にはなにを食べさせようかと鳥かごから出した青い鳥をとりっこしている間に、その青い鳥はばたばたと羽音高く遠くへ飛び去ってしまうのです。

 これが問題なんですね。ぼくは予想もしませんでした。二人はその青い鳥をだいて幸せに暮らしました、という結果かと思っていましたら、そうではなくて、ミステリーにどんでん返しと同じように、青い鳥は飛んでいってしまう。

 そして最後の幕切れで、チルチルが舞台の先のほうに立って、お客さんのほうに悄然とした声でうったえます。

「どなたかあの鳥を見つけた方は、どうぞぼくたちに返してください。ぼくたち、幸福に暮らすために、いつかきっとあの鳥がいりようになるでしょうから。」という力のないセリフで、幕がさーっとおりるわけです。

 これはいったいなんだ、と、ぼくは読んでびっくりしたのです。つまり、ここでメーテルリンクがみんなに言っているのは、結局、人間は青い鳥をつかまえることはできないということなんじゃないのか。

 いったんはつかまえたような気持ちになって、青い鳥を手中にする。そして自分たちの青い鳥はここにあるのだ、と喜ぶ。空想的な旅行をして遠いところに青い鳥を探しに行っても青い鳥なんかいない。自分たちの身近なところに、生活の中に、労働の喜びの中に、家族とのだんらんの中に、友情の中に地味だけれどもつつましい生活の中にこそ本当の青い鳥はいるのだということに気づいたしゅんかん、そのしゅんかんに青い鳥は空高く舞い上がって飛んでいってしまうのです。

 これはなにかといいますと、メーテルリンクは、人間は永遠に青い鳥をつかまえることはできない、と教えていることになります。一見、つかまりそうに見えるけれども、人間は最終的に青い鳥を手中にすることはできない。だけど人間は青い鳥がなくては生きていけないのだ、だからだれか青い鳥がいるのを見つけた人は知らせてください、と。これがあの芝居の最後のセリフなんです。

 メーテルリンクは、どうしてこういう結末にしたのでしょうか。かれの暗示しているのは、こういうことではないかと思います。

 人生には「青い鳥」なんかいない。しかし人間には「青い鳥」が必要だ。だったらどうするか。この世に「青い鳥」が必要なら、それは自分の手でつくるしかないんだよ、と。

はじめから用意された「青い鳥」、つまり希望なんかない。しかし人間にはそれが必要だ。だからこそぼくたちは、それを自分で生み出すしかないんじゃないか。希望も、夢も、幸福も、すべて準備されてはいない。それは自分で作り出すしかないのだ、と。メーテルリンクは、それを教えたかったのではないか。

そう考えるようになってきたのですが、みな
さんはどう思われますか。

(五木寛之作「教える」による)