makkunの西遊記
タイ植林編第7回
今回のタイ旅行の主たる目的であった「植林」を、私は少し恐れていました。 というのも、タイのジャングル奥深くで、ヘビに咬まれ、また熱帯気候独特の高温多湿の中で植林活動をしなければならないと思っていたからです。 それで急にお休みしていたジムにも通いだしたというわけです。
ところが、実際には村々の小学校を訪れて、既にセッティング済みの苗木を穴の中に埋め、上から土をかけてあげるだけでした。 その作業を村人や小学生の子供たちと一緒にやるわけです。 その作業が終わると、一緒に食事したり、バレーボールやサッカーを楽しみ、時には村人たちが夜に歓迎会を開いてくれたりしてくれました。 何カ所も結果的に回ったんですが、訪れる度にまず歓迎式典が行われます。 村長(らしき)人の歓迎のあいさつ、小学生または女性たちによるタイ舞踊、日本の使 節団長の挨拶と式典はすすんでいきます。 でも訪れる場所ごとに本当に歓迎してくれて、今までそんな経験がなかった私はとて もうれしかった。 何回も何回も同じ光景を見たとしても、多少あいさつが長かったとしても。
植林は普通、平地ではなくて山の中で行われます。 といっても学校の裏の山ですが。 そして間違いなくそこは、きれいに切り開かれた雑草のほとんどない山です。 村人たちが、私たちがそこへ訪れる前に一生懸命にきれいにしてくれたのでしょう。 しかし、そこに木がない理由はもう一つあるのです。 それは、突き詰めていくとお金の問題です。 タイ北部の村は収入源に乏しく、当然生活は厳しいものがあります。 収入は専ら農業に頼っている場合が多いとのこと。 では、農業のほかに何で稼ぐか? それは、山を焼くこと、なんだそうです。 タイは熱帯雨林気候のため、山に火をつけて木を焼き払うと、後にキノコがすぐ生え る、それを売って生活するということなのです。
ともあれ、私は日本語しか話せないし、先方もタイ語しか話せない。 であれば、お互いに母国語を言い合うしかありませんよね。 でも、「ここに木を置いてくれ。」とか「土を盛ってね。」と日本語で言えば一生懸 命やってくれるし、一本植え終わった後「OK」とサムアップすれば向こうもサム アップする、そんな感じで楽しく作業できました。 最初の頃は雨が降れば合羽を着て作業したのですが、タイの日中はほとんど雨がふる ものだとわかると合羽もうざったくなり、そのうちにタイの人たちと同じように、降 られたままで作業するようになっていきました。
そんな中で一番印象に残っている場所は、タイ北部の少数民族の村の小学校です。 おりからの雨で、そこに行くにも一苦労でした。 チェンラーイからバスで約1時間ほど山の中に入り、途中までは行けるのですがそこ から先は村人のピックアップトラックの荷台に乗っていかなければなりません。 道はぐちゃぐちゃで、途中で何回も荷台から降りてトラックを押さなければなりませ ん。 でも、荷台に乗って、タイの山中をはちまきして風に吹かれていると、なんかハリ ウッド映画のヒーロー(ランボーのような)みたいな気がしてなかなかいいものでし た。 着いてみると、山に囲まれた木造の校舎が二つひっそりと建っていました。 が、そこは民族衣装で着飾った老若男女でいっぱいでした。 歩いていくと、小学生たちが花のレイをかけてくれました。
いつものように歓迎式典がおこなわれている最中に、ふと校舎の方を見るといたずら そうな子供たちに囲まれてきれいな若い女の先生がにっこりとこちらを見ていまし た。 式典の後、トイレに行きたくなったので、その先生にどこか聞いてみたところ、親切 に教えてくれました。 用を済ませた後で困ったなと思いました。 手を洗いたいのですが、瓶と柄杓があるだけで水をこぼしてもよさそうなところがな いのです。 たぶんこの日本人のおにいちゃんわからないだろうなと思ったかどうかわかりません が、先ほどの先生が親切にも心配してくれ、こうやって洗うんだと見本をみせてくれ ました。 ありがとう、先生。 植林は裏の山で行ったのですが、非常に急勾配の山で女性は上るのにも一苦労でし た。 植林終わりの合図で、下へ降りようとふと向かい側の山を見ると、中腹にいくつもの 藁葺きのようなちいさな家々が肩を寄せ合って建っていました。 まるで映画やニュースで見る、ゲリラの家のような。 そこから、食事の用意でしょうか煙があがっていました。 それが何ともいえなくて、ここにも生活がありそして人生があるんだって実感しまし た。 食事がこれまたまずかったのですが(ゴメン!)、「もっと食べてください。」と本当 によくしてくれて、申し訳ないくらいでした。 校長がとても若くてたぶん30歳前後に見えたのですが、彼はとにかくドリカムの中 村にそっくりでした。 でも目が合うとにっこりとほほえんでくれ、でもその目は本当に知的かつ責任感にあ ふれたものでした。
ここに済んでいる少数民族はアカ族、カレン族、ミエン族(只今ガイドブック参照中) で、実際に私が会ったのも彼らだったのですが、民族の違いを超えて一緒の小学校へ 通っているのだそうです。 歓迎式典の中で、子供たちが彼らの遊びをモチーフにしたものを見せてくれたのです が、民族によって異なっていました。 かごめかごめみたいな遊びを披露してくれる民族、ラインダンスのようなものを見せ てくれる民族・・・。 贈り物ももらったのですが、それも彼らの民芸品でした。
彼らの問題も金のようです。 最近、ラジオが入ってきたとかで、町へ働きに出た若者たちが村の親のためにと持ち 込んできたということです。 近々、電気も引かれてくるそうです。 しかしながら、こうした家電製品が彼らにとって安かろうはずもなく、今までの少数 民族の生活様式を壊していくだけでなく、それらを買うためにあるいは生活のため に、娘を町へ売るのも当たり前らしいのです。
村を離れるとき、たまたま私は最後になってしまい、私とツアー中一緒に行動した高校(日本の)若い先生とこの後チェンマイで一緒にカラオケに行くことになる女の子と3人取り残されまし た。 でもお迎えの車がくるまで、子供たちと話したり、子供たちや村人たち、先生と私た ち3人と一緒に集合写真をとったり、少し得した気分でした。 車が村を離れると、人々はちぎれんばかりに手をふってくれたばかりか、何かお土産 を渡そうと車を追いかけてくれました。 でも乗っているのが荷台なので、運転手にわかるはずもなく、彼らの人影は小さく なっていきました。
最後にバスのところまで行く道中で、日本人の若者たちの少数民族ツアーの車とすれ 違いました。 私たちもある意味で観光だったのかもしれません。 しかし、あのように日本人が殺到したら、と心配になりました。 彼らが金を持ち、彼らの生活様式を捨ててしまったら、観光のためにだけ民族衣装を 着ることになったら、日本人を単なる金蔓とおもうようになったら・・・。
これは勝手な考えかもしれませんが・・・。 西洋式文明が決して人々を幸福にするものではないと思うんです。 確かに、今のままでいったら彼らの生活は昔のままで不便かもしれません。 でもそれによって失う部分も大きいと思うのです。 そして、植林も我々の独善を彼らに押しつけているだけなんじゃないか、きれい事だ けでは人は生きていけないのに。 いろいろなことを考えさせられました。
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<注>ここに書いた内容はあくまでも私の個人的な意見です。