過去 1

 

 

 

みやちゃん。都ちゃん。

今日は何時ごろ帰ってくるの?

何でいつもそんなに遅いの?

僕ね…

 

俺は夢を見ていた。俺がまだ幼くて何も知らなかった頃の夢を。

何も知らない俺は無邪気に都にまとわり付いていた。

それはどれほど邪魔っけで、都の頭痛の種になったことだろう。

 

俺が都に引き取られたのは八つの年だった。

その時都は二十五歳。

結婚さえしていないのに何でそんな若さで八つのガキを引き取ろうと思ったのか。

そんな事当時の俺は考えてもみなかった。迷惑なのかどうかさえ。

八歳児の悲しい所だ。そこまで知恵が回らなかったんだよ。

 

会社帰りの親父が車にはねられた。

打ち所が悪かったのか、結局最後の日まで立って歩けるようにはならなかった。

病院のベッドに寝たきりになりながら、ことさら元気そうに振舞う父の姿。

お世辞にも名演とは言えなかったな。

子供心にも俺を心配させまいと親父が張り切って無理してるのが分かったし。

でもどうしていいのか分からないから、俺も信じている振りをしていた。

ガキの浅知恵なんてそんなもんだ。でも親父は結構だまされてたぜ?

 

そうこうしているうちに親父の様態は徐々に悪化していった。

そしてある日の午後、何の前触れも無くあっさり死んだ。

ドラマとかとはえらい違いだった。

テレビとかだと様態は必ず急変して、医療器具がピーピーうるさい中で死ぬだろ?

やけに慌てふためく医者と看護婦ももれなくセットになって付いてくるし。

でもまぁ、実際に人が死ぬってのはこんなもんなんだろうね。

 

親父が死んで、誰が俺を引き取るかという事が問題になった。

親父とお袋は俺が四つのときに離婚していた。

その時の取り決めで俺の親権は親父のものとなり、俺はそれ以来一度もお袋と会った

ことがない。

あっちが会いたいといってきた事もなかったし。

 

親父が死んで、こういう場合はお袋が俺を引き取るべきだと皆考えたらしい。

でも正直な話、俺は気が進まなかった。

俺の覚えているお袋は、いつでも俺に冷たかった。

離婚する時もあっさり俺を置いていった。

だから俺もあんまりいい印象を抱いてなかったんだよな。

それを今更一緒に暮らすなんて…。はっきり言って気まずいだろ。

 

しかし俺の心配は杞憂に終わった。

お袋と連絡が取れなかったんだ。

お袋の親戚筋が言うことには、再婚してどこかの外国にいるそうな。

ホステスのアルバイトをしていて、そこで知り合った外国人と結婚したらしい。

ホステスね。

その言葉は記憶の中のお袋とおかしな程しっくり来る。

いかにもあいつのやりそうな事だった。天職かもしれない。

 

俺のお袋は決して美人ではなかったが、男受けのするタイプだった。

あくまで今思うとだぞ。昔そんな事思ってたらそりゃませ過ぎだ。

明るくて軽めでちょっと頭ぱーぷりんな感じでな。

それに派手好きだった。胸元が大きく開いた服以外覚えてないし。

ま、それを言うなら都も決して地味とは言えないけど。別の意味で。

 

 

 

 

 

 

過去 2

 

 

 

玄関の鍵が開く音がした。

都かな?

 

「いや〜、こう暑いとヘバるよな。おっ、透学校どうしたんだ?」

「…もう終わったよ」

 

今何時だと思ってるんだよ。

そう呟くと権藤のヤローはおっ、そうか。そーいやもう9時だよなぁ。とぬかしやがった。

 

…今更ながら人の神経を逆なでする野郎だぜ。

何だって都のヤロー、こんな奴と付き合ってるんだ?

しかも鍵持ってるから勝手に入ってくるし。

プライバシーも何もあったもんじゃない。

 

そう言えばこいつらどういう仲なんだろう。

付き合ってるとかそういう関係ではなさそうなんだよな。

何だかそれにしては色っぽさっていうか、機微みたいのが微塵も感じられないんだよね。

 

まっ、それは俺がいるからかも知れないけどさ。

 

「おい透〜。メシ食いに行こうぜ〜。俺腹減った。お前は?」

 

権藤のあの間延びした喋り方が嫌だ。癇に障る。

それを知ってか知らずか奴はやたらと間延びした喋り方をする男だ。

出来ることなら絞め殺してやりたい。いっそのこと。

 

「…都は?」

 

見れば野郎は勝手に冷蔵庫からあさったビールを勝手に飲んで勝手にくつろいでいる。

うぅぅ、腹立つ風景。

おまけに勝手にテレビまでつけやがった。

本気でしばいたろか?

 

「ああ、今日急に当直になったからって。二人でメシ食えってさ。」

 

また当直か。確かおとといもそうだったと思うんだけどな。

折角メシ作ったのに。都の好きなミートソースのスパゲティ。

都は特に俺の作るこのミートソースが好きなんだ。

だから腕によりをかけて作ったのに。

学校から帰ってすぐ、3時間もかけて。

さっき出来上がったばっかりのほっかほかの作りたてなのに。

 

やれやれ。それなのに俺の傑作ミートを何でこいつと食わなきゃなんねーんだよ。

でもこんな事もあろうかとちゃーんと3人分作ってる自分が悲しいぜ。

 

「メシ、作ってある。」

「おっ、そうか。透の作るメシはうまいからな〜。お前、いいおムコさんになるぜ。」

 

疲れているわりには妙に身軽な動きで立ち上がり、もう台所に向かっている。

てめ〜、本当に仕事してんのか?

都に当直押し付けたの、まさかてめーじゃないだろうな?

 

権藤の後について台所に入ってみれば、野郎はすでにテーブルについて待ってる。

ちっとは手伝おうって気はないのか?ああ?

 

しかしこいつにそんなこと言っても無駄だと過去の経験で十分知っているので、

何も言わずに俺の力作パスタを皿に盛り付けて出す。

フォークも出してやったさ。出せばいいんでしょ?出せば。

 

「うっまそ〜!!いっただ〜きま〜す。おい、先食っちまうぜ。」

 

俺の返事なんか聞く気も無いくせに。ほら、もう食い始めちまってるし。

はぁ。溜息をつきながら野郎の向かい側の席に座る。

何が楽しくて男と差し向かいでメシ食わなきゃならないわけ?

しかもこんな奴と。

こんな事なら千春とメシ食いに行けば良かったぜ。

しつこくメシ食い行こうって誘ってたのに。

 

「しっかし透は料理上手いよな。何なら俺が嫁に貰ってやろうか?」

むごむごと口を動かしながら言う。

メシ食う時くらい黙ってられねーのか?

 

「悪いけど、俺男だから。」

これ以上なく当たり前な返事をして、後は完璧に黙殺した。

 

「いいって、いいって。俺もその手の趣味はないが、これくらい料理が上手けりゃOK

上手い料理は性別の差も越えるのよ。あ〜俺本当に毎日透の作ったメシ食いて〜」

 

食ってるだろうが。ほぼ毎日。

おめーが当直の日以外はほとんど毎日うちに来てメシ食ってんだろうがよ。

しかもメシだけならまだしも、何でお前が泊まってった後俺がてめーの洗濯までしなきゃなんねーんだよ。パジャマやらシーツやら。

 

考えれば考えるほど腹が立ってきた俺に気付いてないのか、気にしてないのか知らないが権藤の野郎は一皿目をあっさりと片付けやがった。

 

「都もな〜、料理がお前の半分くらいできれば嫁に貰ってやってもいいんだけどな。」

あいつ家事一般駄目だからな。

 

そんな勝手な事を言いながら勝手に鍋を開けてお代わりを入れている。

おい、ちょっと待て。

そんなにソースかけるなよ。都の分がなくなるじゃねーか。

 

そう言う俺にいーからいーからとこれまた勝手な事を言って、結局大量のミートソース

を食っちまった。

 

怒ったぞ。俺は本気で怒ったぞ。

てっめー。よくも俺の、いや都のミートソースを。

 

俺の怒りオーラが伝わったのか、権藤がちょっとバツ悪げな顔をした。

「いーじゃん。ちゃんと都の分残ってるんだし。」

「都が好きだから作ったのに、何であんたがほとんど食べるんだよ…。」

 

すると野郎は俺の顔を冷やかすようにしげしげと眺めてからこう言いやがった。

「ふーん。お前本当に都思いだよな。普通16のガキはそんな事しないぜ。

少なくとも俺はしなかったけどな。お前、マザコンか?それとも…」

 

ふふ、って趣味の悪い笑い声を漏らして笑うな!

疲れて帰ってくる養い主にメシ作って何が悪い!!

そう言いつつも俺は顔が赤くなってくるのを感じていた。くっそぉ〜。

 

 

 

 

 

過去 3

 

 

 

ふう。食った食った。

相変わらず透の作るスパゲティは美味いよな。

料理全般、いや家事全般上手いからなぁ、あいつ。

さすがに家事が全くできない女と8年も伊達に暮らしてねーな。

 

それにしても透の奴、本当に都思いだよなぁ。

いつも無愛想な顔してる割には、ちゃんとメシとか作ってるし。

それも何気に都の好きなメニューばっかり。

 

あいつが生まれた時の事情を考えれば、こんなに上手くいくはずないんだけどな。

 

思えば透は最初っから都に不気味なくらいなついた。

最初はちょっと人見知りっぽくて心配したけどな。

あいつ、あれかなぁ。母親の愛情に飢えて育ってるからかなぁ。

 

俺にも最初はとってもなついてたんだけどな。

『権藤のお兄ちゃん』ってうるさいくらいでさ。

なのに、こいつ成長するにつれて俺を疎んじるようになってきた。

なんでかなぁ。普通女親(?)の方を疎んじるようになるはずじゃないのか?

俺何かしたかなぁ。あいつの機嫌損じるような事。

 

ま、透と都がうまくいってりゃ、別に構わないんだけどな。

結局俺は一緒に暮らしている訳じゃないんだし。

それに上手くいってないって言っても単に俺に冷たいだけだし。

それもそのうち治るだろ。もう少し大人になったらな。

 

でも…俺達が透にひた隠しにしてることがある。

それはあいつの両親と俺達の関係。

16年前何があったのか。

何故明日香はあいつを疎んじたのか。

何故都が透を引き取ったのか。

 

透は何も知らない。何も知らされてない。

もし知ってしまったら、透はどうするのだろう。

俺達は今までのようにやっていけるのだろうか。

 

そこまで考えてから、リビングでテレビゲームに没頭している透を見た。

結婚もせず、自分の家庭も持たなかった都にとって徹は息子同然に大事な存在だ。

もし全てバレちまって、透を失うような事になれば大きなショックだろう。

 

それは俺だって同じ。

俺も結局結婚せずにここまで来ちまった。

毎日のようにここでメシ食って、毎日のように透の顔見て、毎日のように話をした。

そんな生活してて情が湧かないワケねーだろ?

 

ここだけの話、俺は最近透の事を本当の息子のように思い始めちゃったりなんかしてる。

オジンくさいから嫌なんだけど。

まだ34なんだぜ、俺は。

今から結婚して息子作ってもおかしくないくらいの年だ。全然OKだ。

でも今更誰かとガキつくろーって気にもなんねぇよな。

ぎゃあぎゃあ泣く赤ん坊のオシメ代えたりするの、俺やだぜ〜。

第一誰に作らせりゃいいんだ?

俺が一人で産むわけにもいかねーし。ゾウリムシじゃないんだから。

 

まぁそれは置いといて。

いつか透に話さないといけないとは思ってる。

いつまでも隠しおおせるものじゃないし、隠してていいものじゃない。

 

でも俺には一つ懸念がある。

透は明日香の息子でもあるんだ。

俺はまだ明日香のことが完全には許せてない。

俺を裏切ったからじゃない。

都を泣かせたから。都を裏切ったから。

透にはその明日香の血が半分流れてる。

 

「ねぇ、皿くらい洗っといてよね。」

 

無愛想な透の声に現実に引き戻される。

見れば、こっちを見もせずに再びゲームの世界に没頭してやがる。

俺様がこんなに深刻な物思いに耽ってるっていうのに。

なんつー能天気な奴なんだ。やっぱまだガキだな。

 

 

 

 

 

 

過去 4

 

 

 

やっと権藤の野郎、帰ったか。

あいつ都がいない日は絶対泊まっていかないからな。

俺がいなくて都だけがいる時は平気で泊まっていくくせに。

普通逆だよなー。多分普通はそうだよな。

でもあの二人付き合ってんのかもしれないから、それはそれで自然なのかも。

 

俺がいない時にあの二人がいちゃいちゃしてるのって…想像すんの難しいなぁ。

無理して想像してみたけどやっぱ何か変。気持ち悪いとまでは言わないけどさ。

 

妙な想像は止めて、さて、俺も寝るとしようかな。

でもなぁ、今日は金曜日。現在午後11時ちょっと過ぎ。

明日休みだってのに、こんなに早く寝ちまうのも芸がないしな。

 

あー、そうだそうだ。机の片付けしよう。

半年前に整理したっきりだから、ほとんどジャングル状態だし。

都もいないし、思いっきり派手に片付けられるぜ。

 

都もなぁ。家事全般からきし駄目なくせに、妙に神経質なんだよな。

ばたばた掃除とかしてたら「ホコリが出ちゃうじゃない!」って騒ぐし。

あれじゃあおちおち掃除もできたもんじゃないよな。

 

よしっ。掃除しよっと。

 

…あれ。これ何だ?

おっ、これ親父の形見が入った箱じゃねーか。

時計とか入ってたんだよ、確か。

 

3年前にこのマンションに引っ越してきた時に失くしたと思ってたのに。

こんなとこに入ってたのか。

あーでも見つかってよかったぜ。

実は結構悲しかったし。失くなってるのが分かった時には。

 

早速どきどきしながら開けてみる。

ダンボール素材のちっちゃな箱だけど、俺にとってはすごく大事な形見が入ってる。

久しぶりに親父に会ったみたいな気分になって、胸が高鳴る。

 

箱の中には腕時計とネクタイピンとそして指輪。

どれもこれも長い間使われてなかったせいで、うっすらと全体まんべんなく錆び

ついている。

錆びた鉄くさい空気が箱から出てきて俺の鼻を刺激した。

 

まず腕時計を手にとってみる。

錆びついてて手の平にねっとりと貼りつくような感触。

文字盤のガラスの中にはどこから入ったのかホコリが充満してて、ネジはメッキが

剥がれてる。

もちろん時間は止まっていた。4時37分くらいの所で。

これ、親父の死んだ時間じゃないよなぁ。そう思いながら箱に戻す。

 

次はネクタイピン。

ものすごく時代遅れなデザイン。

やっぱり錆びてて所々メッキが剥がれてる。

ふーん。

これも箱の中にそっと戻す。

 

最後に指輪。やっぱりちょっと錆びてる。

デザインから見て結婚指輪だとすぐに分かった。

 

両親が離婚してたから、俺は特別この結婚指輪に興味があった。

右手の人差し指と親指で挟んでしげしげと眺める。

 

しかし本当に何の変哲も無いデザインの指輪だねー。

シルバーかプラチナらしい、白っぽい色の細い指輪。

石は何もはまってないし、変わったデザインや模様も皆無。

 

でも、内側に何か彫ってあるのを見つけた。

やっぱ結婚指輪にありがちな“〜から…へ 愛を込めて”とかかな?、と思って

顔を近づけて見てみるとそこには細い字で

 

forever yours M.K

 

…そう彫られていた。

 

 

 

 

 

 

過去 5

 

 

 

M.K?誰だそれ?

俺の親父の名前は榊和仁。K.SS.Kだ。

お袋の名前は…榊明日香。だからA.SS.A

どっちも違う。

 

一瞬これはお袋の旧姓なんじゃないかとも思ったが、どっちにせよ明日香だから

Aの文字があるはずだ。やっぱ違う。

 

他人のと間違えて持ってきたのか?と思ってもう一度よく眺めてみた。

でもやっぱりこれは親父が死ぬ日まで左手の薬指にはめてた指輪だ。

表面の傷にどことなく見覚えがある。

間違いない。

 

こうなると余計に訳が分からなくなってきた。

このM.Kってのは誰なんだ?

何で親父の結婚指輪に他人のイニシャルが彫られてるんだ。

 

その時俺はある事に気が付いた。

よく見てみれば最初の“forever yours”の部分と、後の“M.K”の部分の字体が違う。

 

最初の方の字は指輪を買った時すでに彫られてたみたいな感じがする。

文字の周囲は全く傷ついてなかったし、何より指輪と調和していた。

それに対して後ろの方は後からどこか他所の店で彫らせたみたいに、周囲の地金を

傷つけて彫られていた。彫り方もちょっと荒っぽい感じだし。

 

てことは、親父は後からこのイニシャルを付け足した、って事か。

なるほど。

 

でも誰の名前だろう。恋人のかな?

だから親父、離婚してもずっとこの指輪してたのかな。

よく考えたら、離婚しても結婚指輪してるのって変だよな。

 

M.Kねぇ…。M.KM.K

そんなイニシャルの女っていたっけな?

覚えているわけないと思いながらもいたずらに記憶を辿っているうちに、

思いがけず一つの名前にぶち当たった。

 

『神崎 都』

 

 

 

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