過去 16
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「・・・昔、お前の親父と都は付き合ってたんだ。高校の時の話だけどな。 そんで、俺がお前の親父の親友で、明日香・・・お前のお袋が都の親友だった。 だから・・・多分そのイニシャルは都のものだと思う。確証は無いけどな。」 俺の顔を見つめたまま微動だにしなかった権藤が突然観念したように喋りだした。 いつもの機関銃みたいに次から次へと言葉を連発する話し方はすっかりなりを潜めてしまっていて、普段より1トーン低い、重苦しい声で慎重に言葉を紡いでいた。 「あの二人は本当に真剣だったんだ。それは間違いない。俺が保証する。」 じゃ、何で別れたの? 俺の問いに権藤は黙り込んだ。 俺の脅しに負けて告白しだした時から俺の目を避けるようにひたすら自分の足の爪先を見つめながら喋っていたのだが、その時初めて目が少し左右に泳いだ。 何かを迷ってるみたいだった。 「それは・・・」 そして一呼吸おいてから権藤は顔を上げて俺の顔をまともに見つめた。 何かを決心したような、今までに無いほど真摯な表情をしていた。 「これはお前には言ってなかった事だ。都と相談してそのうち話そうと思ってた。 多分お前にはショックな内容だと思う。だけどお前も一人前の男だから大丈夫だよな?」 真面目に「大人だから大丈夫だよな?」と念を押されて俺は正直言ってビビった。 そしてふいに俺は自分が十分に大人だという自信が持てなくなった。 今の今まで俺達の中で一番自分が大人だと信じて疑わなかったのに。 俺がかすかに頷いたのを見て、権藤の唇が動いた。 そして賽は投げられた。 『都と榊が―お前の親父が別れたのは・・・明日香が妊娠したせいだ。』 |
過去 17
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『都と榊が―お前の親父が別れたのは・・・明日香が妊娠したせいだ。』 俺の16年と言う短くもなければ長くもない人生の中で最も衝撃的な告白だった。 この瞬間、この声、この言葉を俺は死ぬまで忘れないだろう。 驚きとショックでわずかに口が開いた俺についぞ見慣れぬ慈しむような視線を送りながら権藤は続けた。 「その時の子がお前だ。それで都と榊は別れて、榊と明日香は結婚した。」 そういう事だ。 権藤はそう締めくくると、いかにも大儀そうにソファの背にもたれ直した。 軽い溜息のような息をしながら、俺の後ろの壁に目をさまよわせている。 遠くにある何かに思いを馳せているような表情だった。 だけど。俺はそれどころじゃなかった。 今の話だと、親父と都の仲を裂いたのは他ならぬこの俺自身ってことになる。 聞かなかった事にしたかった。 そうすれば今まで通りのさしたる悩みもない、些細な事に大騒ぎする自分でいられる。 でも俺は確かに聞いてしまった。 もう止まる事は出来ない。 最後まで、全てを知りたかった。知らなければいけなかった。 「都はその時・・・どうしたの?」 俺の問いかけに、権藤の泳いでいた視線が再び戻ってきた。 白昼夢から醒めたような、穏やかな表情をしていた。 その顔を見て俺は、権藤が俺よりはるかに大人の男だったことを今更ながらに認識した。 「何も言わなかった。もちろん内心では悲しかったと思うけどな。」 そう言う権藤の表情はさっきまで俺を見ていたのとはまた違う、悲しげでそれでいて 抑えられぬ慈愛の情に満ち溢れたものだった。 できるものなら代わってやりたかったとその表情が十二分に語っていた。 「だからお前に昔の話を蒸し返して欲しくなかったんだ。その指輪の話を聞けば都はまた悲しい思いをする。傷口に塩を擦りこむようなもんだ。俺はもう二度と都のあんな悲しそうなツラは見たくない。」 今にも感情の均衡が崩れそうな微妙で儚げなその表情を、俺は他の誰の顔にも見たこと がなかった。 権藤は権藤なりに苦しんだのだろう。都のために。 その時になって初めて、どんな思いで権藤が都を見つめていたのかを俺は知った。 きっと、ずっとずっと好きだったのだろう。 誰より、何より大切に思いつづけたのだろう。 俺は千春にだろうと誰にだろうとそんな表情をする事は出来ないと思うから。 |
過去 18
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俺は目の前に座る権藤の気持ちを思うと居たたまれない気分になった。 多分親父と都が付き合ってた当時から、権藤は都が好きだったんだ。 親父に負けない位の気持ちで都を見ていたんだろう。 でも都は親父を選んだ。 だから権藤は親父とは別の形で都の傍に居続けたんだ。 何年も何年も想い続けた相手が昔の恋人の息子を引き取って育ててるのを見守る気持ちってどんなんだろう? 俺には想像を絶するものに思えた。 どんな気持ちで権藤は毎日俺に接していたのだろう。 その時ほど自分の存在自体を呪ったことはなかった。 全ての不幸は俺が産まれたことにあるのだから。 「だから・・・だから親父とお袋は離婚したんだ。欲しくない子供だっただろうし。それにそのせいで都は結婚しなかったのかな。権藤兄も・・・」 きっともの凄く動揺していたのだろう。 全く言うつもりのなかった言葉が俺の唇を上滑りするように出て行ってしまった。 正面に座っている権藤の顔を直視することができない。 「透」 権藤の優しい声。でも俺は顔を上げる事はできなかった。 顔を伏せたままの俺にもう一度優しい、それでいて断固とした声が降ってきた。 そしてその声は俺に顔を上げて自分の顔を見るように要求していた。 「お前にもう一つ話しておこうと思う。多分これは・・・余計な話かもしれないが、やっぱりお前には知る権利があるからこの機会に話す。それとももう聞きたくないか?」 はっきり言って聞きたくなかった。 でも聞かなければこの先無数の妄想に悩まされそうで怖かった。 だから俺は首を左右に振った。 本当は絶対に聞きたくなんかなかったが。 |
過去 19
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「明日香がお前を置いていったのはお前が欲しくなかったからじゃない。お前が出来たと分かった時、あいつは本当に喜んでた。本当だ。」 「慰めてくれなくてもいいよ。お袋はずっと俺に冷たかった。その理由が今分かったよ。」 「違う・・・その訳は今から話す。俺はお前が産まれた直後にお前を抱いた明日香を見たことがある。本当に誇らしげな顔してな、大事そうにお前を抱えてた。だからお前は欲しくなかった子なんかじゃないんだよ。」 信じられなかった。 権藤は俺に冷たかったお袋の姿を見たことがない。 だからそんな事を言って俺を必死で丸め込もうとしてるんだ、そうとしか思えなかった。 「嘘だね。じゃあ何であんなに冷たくて無関心な訳?離婚してから会いにきたこともないし、親父が死んだ時だって俺を引き取ろうとさえしなかったじゃねーかよ。」 「それはお前の名前のせいだ」 俺がどんなにたくさんの言い訳を予想していたとしても、こんな馬鹿馬鹿しいものまでは予想ができてなかった。 『名前が嫌』って、お前・・・幼稚園生じゃないんだからさ。 「名前ぇ?何だよそれ。」 俺が小馬鹿にしたような声を上げても権藤の大真面目な表情は揺らがなかった。 「透って名前は都と榊が付き合ってた時に、将来自分の子供につけるならって、ふざけて決めた名前だったんだよ。二人の子供が息子なら透にしようって。ま、本気で将来どうこうしようって決めてたんじゃなくて、単にその場のノリでな。」 ・・・ノリ? じゃ、何か? 俺はその場のノリで決まった名前を付けられたわけか? おまけにそれで実の母親に嫌われた・・・ドラマにでもなりそうな話だ。 いや、余りに現実離れしすぎて却下される可能性のほうが大だな。 「榊はお前にその名前を付けたんだな。何でそんなことしたのか俺にもいまいち理解不可能だ。ま、それ言うと明日香との結婚指輪に都のイニシャル彫ってたのも理解できないけど。それだけ忘れられなかったんだろうな・・・とにかく、明日香はある時それに気付いたってわけだ。だからあいつがお前に冷たかったとしてもそれはお前のせいじゃない。」 |
過去 20
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お前のせいじゃないと言われたってねぇ・・・。 この状況ではいそうですか、長年の胸のつかえが取れましたって喜べる訳ねーだろが。 「親父って・・・何考えてたんだろ・・・」 俺の正直な感想。 「さあ。俺には分からん。」 権藤の正直なコメント。 二人揃って深い深い溜息を付いているところに突然玄関の鍵が回る音がした。 話に夢中になっててちっとも気が付かなかったらしい。 うぇ、と二人で慌てているところに都が普通の顔で入ってくる。 さっきまで普通の世界で普通に過ごしていた普通のテンションの都はこの部屋に充満していた重くて窒息しそうな雰囲気にすぐ気がついたらしい。 それにきっと俺達二人とも今にも首吊って死にそうな面をしていたんだろう。 いつもなら“辛気臭せー顔”と思う都の顔がやたらと晴れやかに思えたくらいだったから。 「どうしたの?二人揃って陰気な顔して。喧嘩でもしたの?」 それでもまだ事の重大さに気が付いてないらしく、顔が呆れたように笑っていた。 そんな都に、さっきより幾分和らいではいるもののやっぱり真面目な顔で権藤が告げた。 「昔の事、話したんだ。」 都の顔からワイパーか何かでふき取ったようにすうっと笑いが消えた。 心持ち顔色もワントーン青くなったような気がする。 おいおい、大丈夫か?この上貧血でもおこされたら俺、対処できねーぞ。 ああでも大丈夫か。この場にいるのは俺を除けば皆医者だ。 「え、昔の事って・・・な、何で勝手にそんな事すんのよ!」 「もう透も大人だから、知ってた方がいいと思って・・・」 「だからって何であたしに相談しないで勝手に話しちゃうのよ!どういうつもりよ!?」 「で、でもお前も話したほうがいいって意見だったろ?」 「だからって何で今あんたが一人で勝手に決めるわけ?」 都の怒りは突如沸騰し、天井知らずの勢いでどんどんボルテージを上げていく。 それに対して権藤の方は都の恐るべき勢いに押されて、どんどん劣勢になっていく。 全部権藤のせいにされ、責められまくってる今の状況を何とかしようと俺は口を挟んだ。 「俺が教えてくれって言ったんだよ」 そう言われて俺のほうをちらっと見たが、俺には何も言わずまた権藤にくってかかった。 「透がそんな事言い出すわけないじゃない。何も知らなかったんだから。祐一郎、あんた一体どういうつもりよ!?」 権藤の奴、どうしても指輪の事は都に言いたくないらしく、これほどヒステリックに問い詰められてもあぁ、とかうぅ、とか言うだけだった。 俺は腹を決めた。 指輪を見せて全部正直に話そう。そしてとにかく謝ろう。 それ以外にこの状況を打破できる方法は思い浮かばなかった。 そして俺がしたい事もなすべき事も。 |