過去 21
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「権藤兄の言う事本当だよ。俺が指輪、見つけたんだ。」 俺がそう言うとすごい勢いで怒鳴りまくってた都の声が止んだ。 そして俺の方を振り返る。 うぇ、すごい形相。 都さん、都さん。あなた本気で怒ってるじゃな〜いですか。 ・・・途端に俺は口を挟んだ事を後悔した。 「指輪?何の指輪よ?」 いつもより数段尖った都の声。 その声を聞いただけで俺はそのまま部屋から走って逃げたい衝動に駆られた。 いや、今からでも遅くないかもしんない。マジ逃げよっかな。 俺は意味も無く部屋の唯一の脱出口である玄関に通じるドアを伺ってしまった。 都は滅多に怒らないがキレるとかなり怖い。 この声はマジ切れ寸前もしくはマジ切れ直後の声だ。 あぁやっぱり口なんか挟むんじゃなかった。 沈黙は金なり、そんな言葉が俺の頭をよぎって消えた。 時間よ戻れ。そしたら俺は黙って静か〜に座ってます。 決して邪魔なんか致しません。ええ、決して。 「親父の結婚指輪」 それはさっきの話を聞いた後だからこそ、とても言いにくい言葉だった。 案の定都は一瞬怯んだ。 そして俺が手のひらに載せて差し出したその指輪を放射能汚染物質を見るような眼で 見つめた。 さらに差し出す仕草をすると条件反射的に右手が動いたが、やっぱりそれを手に取る事 はおろか、触れることさえせずにその手を下ろした。 一旦下ろした手をすぐに口元へもっていき、その手をすぐ横に滑らせ自分の顔を無意識に撫でまわす都。 目はあらぬところを泳いでいるし、どっからどう見ても動揺している人間の図そのものだ。 それはまるで漫画の登場人物みたいなぎくしゃくした動きだった。 それを見た権藤が、さっきまで喚き散らしていた人間とは思えないほどの静かさで呆然とする都の手を掴み「まあ落ち着いて座れや。な?」とあやすような声で言った。 都は「あぁ」とか何とか気の抜けた返事をしながら、権藤に手を引っ張られるままその隣にすとんと座った。 なるほど都はまだ座ってさえいなかった。 帰ってくるなりこの話だったからな。 座る間もなく喚き散らし始めたし。 せわしない世の中だよなぁ。やっぱ心に余裕が欲しいよね。 「それで?」 少し気を取り直した都が権藤に向き直って聞いた。 「・・・だから透が指輪見つけて・・・それで昔の事教えてくれって言うから・・・」 「何であたしが帰ってくるまで待てないの!?今日は帰ってくるって言ったじゃない!」 「いや・・・だから・・・」 相も変わらずしどろもどろな権藤の態度に都は再度キレたらしい。 声に怒気が戻ってきていた。どうやら元気も回復したみたいだ。 とにかくめでたしめでたし。 元気が一番。健康は国民の宝です。 どうやら権藤は何が何でもあの指輪に掘られていた言葉を都に言いたくないらしい。 都がまた悲しい思いをするのを見るのがよっぽど嫌みたいだ。 俺はその今までにない粘りに感動し、権藤の奴を久々に見直した。 キレた都に至近距離でああまで怒鳴られて耐えてるってのは並々な事じゃねーぞ。 普通なら自分を抹殺してでもこの場から居なくなりたい気分になるけどな。 しかし話の流れから言ってバレるのは時間の問題だ。 これはやっぱり諸悪の根源である俺が言わなきゃなるまい。 権藤の口から言わせるのは余りに憐れだ。 今この瞬間も都の金切り声に必死で耐えている、その姿だけでも十分憐れなのに。 「権藤兄は都にこの指輪を見せたくなかったんだ」 俺が再び口を挟むと今度は権藤が慌てた。 でも俺は続けた。 「この指輪の内側に文字が彫ってあったんだ。“forever yours M.K”って。お袋のイニシャルと違うから、おかしいなと思って。それで権藤兄に聞いたんだ。もしかしたら都と親父は付き合ってたんじゃないのかって。」 都はこの新事実に心底驚いたようだった。 鳩が豆鉄砲食らった顔って言うの?そんな感じ。 口がちょっと開いてたし。ぽかーんって。 ほら、って指輪を差し出すと今度はおずおずとそれを受け取って手に取った。 そして内側には・・・。 内側に掘られたものを認めた瞬間、都の瞳が揺れた。 もしかしたら泣くんじゃないかと思った。 でも都は泣かずに、ただその指輪を静かに俺に返した。 |
過去 22
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「それ、多分私じゃないわ。」 突然都は変な事を言い出した。 おいおい都。勘弁してくれよ。 話が振り出しに戻っちまうじゃねーか。 それじゃ一体このM.Kって誰なんだよ? 心当たりあるなら教えてくれよ〜。 「和仁は私の事なんかすっかり忘れてたと思うから、それ多分違うわよ。」 「都?何言ってるんだよ。あいつと付き合ってたイニシャルがM.Kの女なんて他にいなかっただろ。」 誰でも自分の好きな相手が自分を卑下するのを見るのは忍びないだろう。 しかもそれが何年もの間大切に見守ってきた相手なら尚更だ。 突然全てを否定しだした都に慌てた権藤がうっかり口を滑らせた。 そしてその言葉はさっきの話がことごとく真実だったと裏付けるのに十分なものだった。 やっぱり俺が諸悪の根源だったんか。 どうしよう・・・ 落ち込む俺をよそに、二人がけのソファに仲良く並んだ二人は「私じゃない」「お前だろ」と不毛な言い合いを続けていた。 何故か都は頑強にそれが自分のイニシャルであると認めるのを拒んでいた。 そのどこまでも不毛に馬鹿馬鹿しい口喧嘩を聞いているうちに俺は悲しくなってきた。 死んでしまった親父の気持ちが冒涜されてるみたいで。 だって親父はそのイニシャルの主―多分都だ―のことが好きで好きで仕方なかったからそんな一歩間違えば変態みたいな事までしたんだ。 それなのに当のご本人は「自分じゃない」と言い張ってるし。 おまけに「忘れちゃってたに違いない」なんて言われてて。 親父ぃ、死んでも死にきれないよなぁ。 可哀相に。すっかり死んじまってるけどさ。 ゾンビにでもなって生き返ってこればいいのに。 あ、もう灰になってるから無理か。 「あのさ。俺の名前、透ってつけたの都なんだろ。親父はそのくらい都の事が好きだったんだよ。都が付けた名前を俺につけたくらいだから。だから忘れてなんかないよ、きっと。俺もそのイニシャル、都のだと思うよ。」 助け舟を出したつもりの『俺の名前』発言に都は一段と激しい目付きで権藤を睨みつけた。 そしてゆっくりと、静かにおどろおどろしく真綿で首を締めるような声を発した。 「・・・祐一郎・・・名前の事まで喋ったのね・・・?」 「あ・・・いや、毒も食らわば皿までって・・・」 「何でそんな事まで喋ってんのよっっっっ!!!」 都の絶叫が響き渡ったのと同時にソファに置かれていたクッションが権藤めがけて飛んでいった。続けてもう一個。 慌てて都を取り押さえた俺は無意識のうちに謝り倒していた。 「ごめん。都。俺が悪かった。ごめんな。全部俺が悪いんだ。ごめん。ごめん。」 後々よく考えてみればどうにも理不尽なこの謝罪の文句を、荒ぶる大魔人を諌める呪文であるかのように俺は唱えつづけた。 何度も何度も。 確かに理不尽だ。だってそうだろ? 人間何に責任がないって言ったって、自分が産まれてきたこと以上に責任を持てないことってないと思うぜ? それでもその時は全部俺の責任だと思い込んでたから、ひたすら謝り続けた。 人間慌てちゃいけねーな。 何を考えつくか分かりゃしない。 |
過去23
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完全にヒステリーを起こした都はもの凄い力で必死に抑える俺の手を振り解こうとし、 権藤に襲い掛かろうとして思い切り暴れた。 そんな都を抑えている間中「俺が悪かったんだ。全部俺のせいだ。」って謝ってたら、何だか本当にそんな気になってきて、自分がこの上ない罪人みたいな気分になってきた。 そして何故か「俺みたいな罪深い奴は生きててもしょうがない」という考えに行き着くに至り、そう思うと無性に切なくて悲しくなってきた。 自分が生まれつき罪深い殉教者に思えて。 きっと俺も都のヒステリーに引きずられてヒステリーを起こしてたに違いない。 そうでなければ、そんな事考え付く訳もない。 あー、俺って恥ずかしい奴。殉教者だなんて。 俺は隠れキリシタンか?踏絵はどこだ? 普段なら「殉教者ぁ?何だそれ?食えるのか?」ぐらいの事は言ってやるところだが。 とにかくその時は真面目に「俺は生きてても仕方ない」みたいになってて、悲しくて悲しくて、とうとう都を取り押さえながら泣き出しちまったんだ。 背後から自分を取り押さえていた俺が突然泣き出したので、都は驚いて振り向いた。 ソファの陰に避難していた権藤もそろそろと出てきて俺の背後に立ったので、二人で俺を具にしてサンドイッチを作ってるような格好になった。 二人してテレビに出てくる無能な両親みたいに『あらまぁ、どうしましょう』みたいな感じでおろおろしているのを見て、余計に申し訳ない気分になった。 そんでぐしょぐしょに泣きながら―もう一度繰り返すが、俺は16だ―都に「ごめんね、ごめんね」と連呼したら、突然都の腕が俺を取り囲んだ。 それはぎゅっと強く抱きしめるという感じではなく、原因不明の夜泣きを始めた赤ん坊を新米ママが慌てふためきながらとにかくなだめようとしているような、そんなどこか頼りなげな抱き方だった。 ぐずる子供を寝かしつける時のように、都の右手は俺の背中を必死にさすっていた。 最初何が起こったか分からなかった。 この8年間で都が俺にしたことが無いことの中にこれも入ってたから。 でもそんな事に驚いている暇はなかった。 俺を腕に抱いたままの姿勢で、今度は都が俺に謝り始めたのだ。 「ち、違うの。透、ごめんなさい。ホントは私が全部悪かったの・・・だからもう泣かないで」 この半分泣きが入った詫びの言葉には俺だけではなく権藤も驚いたらしい。 俺の涙はびっくりの余りどこかに瞬間蒸発してしまった。 今ではおろおろとうろたえの極致にある都が俺にすがっているような格好になっていた。 「二人とも何も泣く事な・・・」 そう言いかけた権藤を遮って都がまた謝った。 「・・・違うの。私、祐一郎にも黙ってた事があったの。透も和仁も明日香も何も悪くなかったの。全部私が悪いの・・・」 「何でお前が悪いんだよ」 訳の分からない事をいう都に権藤が呆れたように聞いた。 そう言いながら都から俺を引き剥がす。それも結構力強く。 おいおい、こんな時にもヤキモチか?しかも俺にか? もしかしてお前って結構独占欲強くない?ヤバイぜ、それ。 俺から離された都は途端に冷静さを取り戻したが、同時にどこか所在なさげに見えた。 そして所在なさげなまま、ぱふっと音を立てて再びソファに座った。 「実は・・・あの時私達、別れてたの」 ・・・はい? あの時って・・・その時ですか? 俺を製作した時?親父、フリーだったわけ? 「何だって?」 「だから、あの時ちょうど喧嘩別れした所で・・・すぐによりを戻したんだけど、その後で明日香が・・・妊娠してる事がわかったの・・・。だから正確には浮気じゃなかったの。だから透が謝る事ないの。全部黙ってた私が悪いのよ。」 「・・・俺は聞いてなかったぞ、そんな事」 そうそう。それが言いたかったんだよ。 権藤兄、よくぞ言ってくれました。 聞いてねーっつーの。そんな事情があったなんて。 「・・・だって、祐一郎には話しづらかったから・・・」 その言葉を聞いて権藤の野郎、ちょっと傷ついたみたいだった。 そりゃそうだろーな。 こいつ、自分は都に一番近い人間だと自他共に、特に自分で大認めしてたからなぁ。 ある意味致命的な一言だな。都も鈍いよなぁ。 俺のそんな呑気な考えは、次の瞬間都が落とした爆弾でふっとんだ。 「・・・ほんとごめんね。でも、分かれた理由が・・・祐一郎だったから・・・つい言いにくくて」 |
過去24
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・・・何ですと? 今俺が聞いたのは耳の錯覚?それとも空耳?もしくは言霊? ぬぅわぁ〜にぃ〜!? 親父と都が別れたのは権藤のせいだぁ? 何だよそれっ。 権藤の奴いかにも『プラトニックでござい』みたいな顔しやがってやっぱり手ぇ出してやがったんじゃねーか。 おい、どういうことだよ。説明しろ。 俺がそんな思いを込めた熱い視線を権藤の奴に送ると、野郎は野郎で同じような視線を 都に思い切り注いでいた。 おや。どうやら権藤の奴も何かが腑に落ちないらしい。 てことはやっぱり都に説明してもらう以外にないか。 俺達二人の炎上するような熱い視線に耐えかねたのか、都は目を逸らせたまま話し始めた。 「だから・・・ああいう事になるちょっと前に和仁と喧嘩したの。ちょっとしたことだったんだけどね。何だか売り言葉に買い言葉ですごいことになっちゃって・・・それで、別れたわけなんだけど・・・」 「その喧嘩の理由が俺な訳か?」 「・・・うん、まぁ。理由って言うか原因と言うか発端と言うか・・・」 「とにかく俺の何が問題だったんだ?ちゃっちゃと話せよ。」 「うぅ・・・それはそうなんだけど」 そう言ってちらっと俺の方を見る。 どうやら俺にあまり話したくない話らしい。 でもこの期に及んでこれ以上に最悪の展開ってあるのかよ? 「・・・俺も知りたいんだけどな」 俺の冷たーい声に押されるように都がしぶしぶ口を開き始めた。 「実は・・・この映画見に行かない?って話になって、でもその映画は祐一郎と前の週に見ちゃってたのね。だからそう言ったら、不機嫌になって変な嫌味をちくちく言うのよ。それでこっちも頭に来て・・・」 「ちょっと待て。映画見に行ったくらいで、一体何の嫌味を言われたってんだよ?」 「お前最近俺より権藤とよく出歩いてるみたいじゃねーか、みたいな事よ。」 「何だ、それ?」 「知らないわよ。しまいに『お前案外権藤の方がいいとか思ってんじゃねーか』とか言い出して、人のこと浮気者呼ばわりするから私もキレちゃって。あんただって明日香と仲いいじゃないのよ、みたいな泥仕合になって・・・」 明日香、とお袋の名前が出た時都は済まなさそうな視線を俺に向けてきた。 済まないかどうかは別として、息子の俺が聞いてても確かにかなり情けない話だ。 俺の出生の秘密ってかなり深刻みたいだけど、かなり馬鹿馬鹿しくもあるのね。 親父も都もお袋も、皆しっかりしてくれよぉ。頼むからさぁ。 俺、息子としてマジ悲しいよ。 「で、どうしたんだ?」 さすがに権藤も呆れたらしく、かなりテンションの下がった声で続きを促す。 「私つい、『あぁそうよ。祐一郎の方があんたよりよっぽどマシよ。』みたいな事言っちゃたの。そしたら和仁すごく怒ってね。あんまり怒るから、こっちも後に引けなくなって。 結局何かその場のノリで『別れましょっ!』てなことになっちゃっったのよね〜・・・」 「お前、人のこと勝手にダシに使うなよ・・・。あ〜あ、榊、俺の事も怒ってただろうなぁ・・・」 「・・・ごめんね」 「今更謝られてもな・・・今から墓に向かって申し開きをする訳にもいかないし。俺、明日香との事が分かった時、あいつの事殴っちまったんだぞ。自分の事は思い切り棚に上げてる奴みたいじゃねーか。あいつ一体何て思ってたんだろ。」 どうすんだ〜、と権藤は真面目に頭を抱えている。 でも何でお袋と浮気したからって権藤が親父を殴るんだ? 都のためだけってんなら、いくら何でもそれはやり過ぎな気もするが。 そんな俺の疑問に、都の何気ない慰めの言葉がほとんど完璧な答えを与えてくれた。 「それは大丈夫よ。後でちゃんとそんな事は無かったって言ってあったし、明日香の件でも祐一郎には済まない事をしたって言ってたから。」 ・・・もしかしてお袋と付き合ってたのは権藤の方だったのか? てことは一つ間違えれば俺の親父は権藤だったって事になる。 うぇ、気持ち悪っ。 こいつが俺の『パパ』ってか?それだけは勘弁してくれよ。 それにしてもこいつらの関係って一体どうなってるんだ? え〜と。親父と都が付き合ってて、お袋と権藤の野郎が付き合ってた、と。 でも権藤が本当に好きだったのは都で、なのに何故かお袋と付き合ってたんだよな。 なのに親父とお袋が浮気して、やることやって子供ができて結局結婚した。 でもやっぱり親父が本気だったのは都の方みたいだし、都も邪魔っけなガキを引き取るくらいだから親父との事、真剣だったんだろうに。 ふぅむ。何だかぐちゃぐちゃどろどろの昼メロ状態になっちまってるぞ。 そのモットーは“少ない人数でなるたけ多くのカップリングとトラブルを。重複大歓迎”。 いいなぁ。俺、これ題材に小説でも書こっかな〜。 “16歳の新進小説家、衝撃のデビュー!”とか言って騒がれたりしてさ。 あ〜、結構いい考えかも。 そうでもしなきゃ元がとれないぜ、この事態はさぁ。 それにしても、お袋は一体何考えてたんだろう。 あいつの考えてる事って一切が謎だからなぁ。 あんま一緒に暮らしてないから、思考パターンも分かんないしな〜。 でもそれを言うなら親父の行動もかなり不可解だし、都も権藤も結構普通じゃない。 何が何なんだか。俺の周りは変人だらけだ。 もう俺にはさっぱり分かんないよ。 |
過去25
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結局その日はそれ以上の事実は判明しなかった。 俺も都も権藤もあまりにテンションが下がりすぎてて、それ以上何の昔話をする気にもならなかったからだ。 だからいつも通りに俺が飯を作って、いつも通りに皆で飯を食った。 そしていつも通りに11時前まで皆でだらだらしてから権藤だけ帰った。 きっとこの下がりまくったテンションの中、3人で居るのに耐えられなかったんだろ。 いつもなら泊まっていくはずなのに、今日は俺に言われる前にいそいそと帰ったからな。 残された俺達二人の間には重苦しい空気が権藤の残り香のように漂っていた。 二人して見てもいないテレビの前に座り、「そろそろ寝ようかな」って言うタイミングを計りながら何となく画面を眺めていた。 先に口を開いたのは都だった。 「明日早いから、もう寝るわ」 そう言って今まで座っていた場所から立ち上がり、自分の部屋に向かって歩いて行った。 俺はその後姿をじっと見ていた。 俺の視線に気が付いていたのか都は自室のドアを開けたところで立ち止まり、俺に背中を向けたままの姿勢でちょっと佇んでから言った。 「透、今日の事は本当にごめんなさい。いつかは話さなきゃと思ってたんだけど・・・もし、もし今まで通りに暮らすのは無理だって言うなら、祐一郎の所に引っ越しても構わないし一人暮らししても構わないわ。透の気持ちも分からないこともないし。とにかくあれは全部私が悪かったの。だから絶対に気にしたりしないでね。」 さっきからずっと、この言葉を頭で練っていたんだろう。 都らしい言い草だ。いらん所まで気を回しすぎるんだよな。 そして都はいつもよりかなりの早口で言うだけ言うと、逃げるように自分の部屋へと入っていこうとした。 俺はそんな都に座ったままで返事を返した。 「俺、全然気にしてないよ。これからも俺、ここに住んでて構わないだろ?権藤の奴と一緒に住むのって結構タルそうだし〜。」 俺の返事を聞いて都の一歩前に踏み出しかけていた足が止まった。 首筋のラインが振り向こうとするような動きをしかけたが、やっぱり振り向かずに同じ場所に突っ立っていた。 その背中の強張りがほぐれたのが遠目からも分かった。 安堵したのだろうか。 俺はそうであって欲しいと思った。 「もちろんよ・・・お休みなさい。透も早く寝なさいよね。」 さっきより幾分ゆっくりなペースでお休みの挨拶を言って、今度は落ち着いた足取りで再び部屋へと入っていこうとした。 けれど俺にはもう一つだけ、確認しておきたい事があった。 何より大切な事、絶対に知っておかなきゃならない事がまだ残ってる。 だから俺は都の姿を飲み込み、今まさに締まろうとしているドアの隙間に声をかけた。 「親父の事、愛してた?」 ドアの動きは止まった。 けれど返事は無い。 『聞こえなかったのかな?』と思い始めた頃に、低い、それでいてはっきりした声が5センチほど開いたままのドアの隙間から聞こえてきた。 「今までに付き合った誰よりも愛してたわ。」 一呼吸置いて一層低い、溜息とともに吐き出すような声が続いた。 「心の底から」 そしてドアは静かに閉まった。 『心の底から』 それは俺が聞いたことのあるどんな言葉よりも深くて重い言葉。 都の今までの全人生が凝縮されたその一言。 多分一晩中考えたとしても、今の俺にはこれ以上に真実な言葉を思い浮かべる事はできないだろう。 親父は幸せ者だ。俺はつくづくそう思う。 そしてもう一人、幸せにしてやらなきゃいけない奴がいる。 ちょっと癪だけどな。 コードレスの受話器を取り上げ、空でも言えるほど馴染みの深い番号をプッシュする。 「あ、もしもし権藤兄?俺思うんだけどさぁ、もう34なんだし権藤兄も身を固めた方がいいよ・・・だからさ、都にプロポーズしなよ?」 ―完― |
はい。やっと『過去』完結いたしました。
そしてこの後の場面を描いた番外編『運命』も同日UPさせていただきました。
これで長い長い都ファミリーとの付き合いもぶちっと途切れることになります。
ちょっとばかし残念な気もしますが、本業(学生)のほうにしばらく専念することにしましょうかね(^^)。
でも私的には榊と明日香の出番がとても少なかったのが心残りで・・・。
特に明日香。だから気が向いたら彼女が主人公の番外編をまた書くかもしれません。
それではその日までごきげんようm(__)m。