腐れ縁 6
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『死ねばよかった。』 今でもそう言う都の声が聞こえてくる。 明日香が退学し、榊が転校してから半年位経った頃。 全ての傷口がふさがったかに見えた頃。 文化祭の打ち上げで珍しくべろべろに酔った都が呟いた言葉。 テーブルの一番端と、その隣の席に陣取っていたので俺以外の誰にも聞こえなかったろう。 でも俺にははっきり聞こえた。できれば聞きたくなかったのに。 テーブルに横向きにしどけなく突っ伏してそう言った都の目は笑ってなかった。 憑かれたような光を宿したその目は酒の酔いも手伝って、どこか遠くを見ていた。 いつもと遥かに違うピッチで飲みつづける都を不安な目で見ていた俺は、この発言を聞くとすぐに都を連れて居酒屋を出た。 これ以上飲ませたらどうなるか分からなかったから。 そしてそれは俺自身のためでもあった。 こんな都は見たくなかった。 こんな自暴自棄になった姿は。 どうして都が今ごろこんなに自棄になったのか思い当たる節があった。 今朝ふと小耳に挟んだ噂。 クラスメイト達のひそひそ声。 明日香が男の子を産んだらしい、と。安産だった、と。 都の耳に入らないようにと願っていたのに。 もう傷はふさがったと思ってた。 ただの過去の苦い思い出になったのだと。 進んで話題にすることはないけれど、夜一人で思い出して泣く事もない程度の過去に。 帰り道、さっきまでの浮かれた雰囲気はどこへやら、重く沈んで口もきかない都を 家まで送り届けながら俺は尋ねた。 さっきの言葉は本気なのかと。 二・三歩先を歩いていた都はくるっと振り返り、無表情な瞳で俺を見つめた。 それからとても抑揚のない声で「何が?」と聞いた。 どうやら酔いは醒めたらしい。なかった事にするつもりのようだ。 うやむやは女の特権だしな。 それでも俺の不安はおさまらなかった。 酔っていたせいだろうか? じりじり身を焦がすような不安感に押されて俺は再び口を開いた。 「さっき、死ねばよかったって言ったろ?あれ本気なのかよ。」 三歩くらいの距離を挟んで立ち止まった俺達。 その短くて遠い距離越しに、何と答えるべきか一瞬都が躊躇したのが分かった。 けれど結局うやむやにする事は出来ないと悟ったらしい。 疲れきったような、投げやりな他人事みたいな声でただこう言った。 「本気だったら、どうすんの?」 都は俺の顔を見なかった。 俺の肩越しに何かを見ていた。多分後ろの電柱だろう。 そしてその態度と返事は、十分な肯定の意味を持って俺に伝わった。 伝わりはしたが、馬鹿な俺には何と言えばいいのか分からなかった。 言葉に詰まった俺に「ねぇ、どうすんの?」と意地悪く問い詰める都。 どうも今日は悪酔いの酒だったらしい。 俺のほうへとふらふらと近づいてきて、右の二の腕に手をかけた。 そして子供が良くやるようにぶんぶん左右に揺すぶって、無邪気そうに「ねぇ、ねぇ」 と繰り返した。 「そんな事…言うなよ。死にたいなんて。」 俺が脳みそから搾り出せた言葉は結局これだけ。 完全に都に押されぎみになってしまった。 真面目に問い詰めて改心させる場面のはずなのに。 あぁ俺って本当に馬鹿。馬鹿馬鹿馬鹿。 都はそんな陳腐な言葉しかいえない俺に興ざめしたようだった。 じいっと俺を見つめてから、掴んでいた手を離すとまたふらふらと歩き出した。 そして俺もその後についてった。何もなかったみたいに。 |
腐れ縁 7
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俺が過去に思いをはせている間ずっと、都は俺の側で黙って座っていた。 喋り疲れたのか、これ以上何も言う気はなさそうだった。 そんな都を横に感じながら俺は思った。「仕方ない」、と。 昔惚れた弱みってやつか。 「都」 俺の呼びかけに反応してこっちを向いた都に俺は言った。 「どうしてもお前がその子供を引き取りたいってなら、俺…応援するよ。」 どうやらかなり思いがけない言葉だったらしく、驚いた顔をしやがった。 「え?」なんてさ。聞こえたくせに。 「だから応援するって言ってんだよ。」 二度も言わせんなよ、照れくさいじゃないか。 「何で?」 本気で理解できないらしい。妙な顔をしている。 「何でって言われても…」 言葉に詰まる。こういう場合どう言えばいいんだろうか。 俺にだって分からないんだから説明のしようがないよな。 とにかくそんな気になったんだよ!いいじゃねえか。 |
腐れ縁 8
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「ねぇ、聞かないの?」 「何を?」 「私がなんで決心したのか」 聞きたいさ。そりゃ。 でもお前が話したくなければ仕方ない。 お前決心したんだろう?なら仕方ない。 お前の決心が固いことくらい分かってたさ。 あいつの電話一本で仕事放り出して出かけていったじゃないか。 あんなに生真面目でサボるってことを知らないお前が。 「選ぶ仕事を間違えた」っていつも言ってるけど、お前は仕事に対して人一倍真面目だ。 「患者のヤロー、ムカつくぅ〜」って嫌ってるフリしてるけど、いつも患者のために 頑張ってる。 そのお前が電話一本で何もかも放り出して出かけていった。 後の算段も何も考えずに。 結局俺が尻拭いしたんだけどな…。まぁいいけど。 とにかくお前にとって榊はそれほど大事な相手だって事だ。今でもな。 そんな大事な相手から頼まれた頼み事だ。断れないだろ? それじゃ仕方ねーじゃねーか。 お前が決心した事に俺が反対できるワケないだろ? 「別にお前が話したくなければいいよ」 「話したくないってワケじゃないけど。」 「じゃ、話せよ。」 やっぱ事情は知ってた方がそのガキとも接しやすいしな。 「えーと…」 何から話せばいいのか分からないらしく、やたらと唇を舐めている。 やめろよ、その舌なめずり。妙な気分になってくるから。 「じゃぁ、名前から…」 内心の狼狽を隠そうと、話を促してみる。 俺が変な気起こす前に早く話を続けろよ。ほれ、早く。 「名前は透っていうの。8歳で男の子。顔は…会った事ないけど和仁に似てるって。」 「ふーん。だから明日香の奴引き取りたがらないのかな。」 俺のどうってことない軽口に都がはっとした。 しまったと思った。俺は何か触れてはいけない話題に触れてしまったらしい。 何か言わねばと思った。でも何を言えばいいのか分からなかった。 俺達二人は少しの間、言葉を捜して黙っていた。 そして先に立ち直った都が話し始めた。 「そうじゃないの。明日香が…透を引き取りたがらなかったのは…名前のせいなの。」 「名前のせい?」 「そう。透っていう名前は…私が、いい名前だよねーって言ってた名前なの。」 「お前が?」 「昔よ昔。和仁と付き合ってた時、冗談で話したことがあったの。子供の名前は何がいい、って。それで、二人全然好みが合わないの。で、あれこれ出し合って、やっと妥協できた名前がそれだったの。男なら透。女なら沙夜子って。」 「だからその名前付けたってのかよ。明日香は反対しなかったのか?」 呆れた野郎だ。呆れてものが言えないとはこの事だ。 「明日香は…最初気付かなかったみたい。でもそのうち思い出しちゃったらしいの。 多分その話してる時、明日香も側にいたと思うから。」 そりゃそうだよな。俺達トイレに行くほかはほとんど一緒にいたしなぁ。 確かにそう言われてみれば、俺もその話聞いたことがあるような気がするぜ。 それにしても榊の奴何考えてるんだか。あいつアホだぜ。間違いない。 何でそんな事するかなぁ。 そりゃあ明日香も怒るよなぁ。馬鹿にしてるよな。 「それに気付いて以来明日香、その子に冷たくなったらしいわ。で、結局それが離婚の原因になったみたいよ。はっきりは言わなかったけど。」 はぁ。と溜息をつく。 そりゃそうだ。誰だって溜息一つくらいはつきたくなるような話だぜ。 俺に至ってはは頭痛がしそうなくらいだ。 |
腐れ縁 9
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ずきずき痛む頭をどうにかしたかった。 でも話を聞けば聞くほど頭痛は酷くなる一方で、ちっとも良くなりそうになかった。 それでも都の話は続いていく。あぁ…。 「実際子供に手を上げるってことはなかったし、冷たいって言ってもネグレクトってほどじゃなかったらしいわ。でも何だかねぇ、よそよそしくて…。和仁はそのうちもっとひどくなるんじゃないかって毎日心配だったらしいわ。まぁ、それだけが離婚理由ってわけでもないでしょうけど。」 「だからってお前が引き取るってのもなぁ。お前、責任感じてそんな事言ってるのか?」 「まぁ、それだけじゃないけど。でもあの時私達がそんな話さえしなければ…って思うと。その子に悪いなって思ったのも確かにあるわ。だって名前の件さえなければ明日香もその子を嫌ったりしなかったでしょ?離婚だってしなかったかも…」 なるほど。半分は責任感か。それじゃあ残りの半分は何だ? まぁな。こいつの顔を見てりゃ分かるよな。 榊の子だからだろ? あいつの子だから引き取りたかったんだろ? 赤の他人の子なら見向きもしなかったろ。 明日香だけの息子だったとしても同じだろ? お前はそういう奴だ。情に流されて後先考えない真似をするような女じゃない。 お前、あいつのことが本当に好きだったんだな。 「そう言えば一樹はどうするんだ?もう話したのか。」 ふと都の現恋人の事を思い出した。 この話って、俺より奴にするべきなんじゃないのか? 「別れるわ。」 凄まじくあっさりと都は言った。 そりゃまー、付き合ってからのこの3ヶ月というもの喧嘩ばかりしてたけど、そんな あっさり決めちゃっていいのか? 「だって絶対反対するし、その子にとっても悪影響だと思うのよね。」 事も無げに言い放たれたその発言は都の決心の固さを表していた。 いくら昔の恋人から頼まれたからって、まだ見たことも無いガキのために恋人と別れる っつーのはよっぽどの事だろう。 俺は図らずも都の榊に対する想いを垣間見てしまったような気がした。 できれば見たくなかったのに。 やれやれ。今度も俺の役回りは我慢一徹の片思い男らしい。 惚れた女をを影から支える男。何年も何年も。 恋愛ドラマの必須アイテム。パンツのゴム的役割。 でも決して主役にもなれなければ、想いが報われる事もない存在。 それが俺。昔も今も。8年前も8年後も。 それにしてもあんまり長くこの役回りやってるんで、今じゃどうこうしようって気も すっかり無くなっちまったぜ。 こんな場面でも悠長に大真面目に相談に乗ってるし。 普通ならおーきなおーきなチャンスだろ? 気になる女と二人きり。おまけに女は悩みを抱えて弱ってる。 側にはダンディな俺。ここで一発肩でも抱いて引き寄せれば…。 …それなのに俺は仲良く並んで、真面目に話を聞いて頭痛を患ってる。 もうほとんど妹とか、血が繋がってる家族っぽい感覚だぜ。ちっ。 |
腐れ縁 10
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ああ、そうそう。家族で思い出した。 「おじさんやおばさんはどうすんだ。もう相談したのかよ。」 「…まだ」 「おいおいそんな悠長な事」 「絶対反対すると思うしなぁ。一樹より難しいんじゃない。」 そりゃそうだろう。都は一人っ子だ。 それこそ手も濡らさずに育てた大事な一人娘だ。 その娘が結婚もせずに赤の他人の子を引き取るって言っても、はいそうですか、って 納得できるようなもんじゃないだろうしなぁ。 おまけにそのいきさつを知った日には絶対ムリだろ。 俺でも反対するね。 「じゃ、どうすんだよ。」 「う〜ん。子供引き取ることにした、って事後承諾にしようかと思ってるんだけど。」 「そりゃぁちょっとマズくないか?」 「しょうがないじゃん。」 「身元とかどうすんだよ。絶対聞かれるぜ。」 「私が医療ミスで死なせた患者の子っていうのはどう?子供を育てるのと引き換えに 黙っててもらった、って。それなら納得するかも。」 「…」 全く。こいつの考える事は昔からどこかイっちまってるな。 良心の呵責ってのはないのかね。 「とにかく、何とか押し通すことにするわ。」 「それでも駄目なら?」 「…」 「どうすんだよ」 「認めてくれるまで距離を置くわ。どうせ今も一緒に住んでるわけじゃないし。 どうせそのうち娘可愛さに折れるでしょ。長くて2、3年ってとこじゃない?」 こいつ…恋人ばかりか親まで切り捨てる気か? 何考えてるんだ、この馬鹿女。 俺には絶対できないよ。そんな真似。 「ねぇ…私が引き取るって言うの間違ってるかな。やっぱり親戚とかに任せたほうが いいのかな。血が繋がってる訳じゃないし、その子の意見も聞いてないし…」 あー、それはあるね。そのガキ自身の意見は聞いとかなきゃね。 そうしとかないと後々面倒だしな。確かにな。 「そりゃそうだ。そのガキの意見も聞かなきゃな。相性ってのもあるし。 クソ可愛げのないガキだったら俺、しばいちまうかもしれないぜ。」 「あのね…。8さいの子供相手にしばくも何もないでしょーが。」 「いや、今のガキはませてるからな〜。俺は容赦なくしばかせて頂きますよ。」 俺の言葉に都が笑った。良かった。 状況が全く変わってもなければ改善もしてない事はとりあえず置いとこう。 とにかく都が笑ったぞ、しめしめ。 「な、都。榊が元気なうちにその子に会いに行こうぜ。俺も一緒に行ってやるからさ。」 都が笑ったのに乗じて提案する。 また機嫌が変わらないうちに。 俺、都の悲しそーなツラ苦手なんだよ。まだゴキブリの方がましだ。 あれはスリッパか何かで叩けば終わりだからな。 まさか都をスリッパで叩き潰す訳には行かないし。 「まだ死ぬとは決まったわけじゃないわ。」 都が急に素に戻る。本気でむっとしてるみたいだ。 おいおい、それなら俺達今まで何の話してたんだぁ〜? 「まっ、とにかく一遍榊のとこ行ってみよーぜ。見舞い方々。な?」 最初都はかなり渋った。 それでも結局俺達は8年ぶりに榊に会いにいく事にしたのだった。 |