真夏の月 1

 

 

 

「久しぶりね」

 

そう声をかけられても、俺は目の前に立っているのが誰だか分からなかった。

 

「分からない?」

 

俺の心を見透かしたかのようにその女は言った。

その形のいい目が俺を抜け目なく観察している。

 

「あ、ああ…」

 

俺にはそう答える以外なかった。

加えてある事情が俺の口から言葉を奪っていた。

目の前の、壁にだらしなくもたれ掛かっている女の姿に俺の胸は高鳴っていたのだ。

 

確かに彼女は小綺麗な顔をしていた。

あまり表情の感じられない、作り物めいた顔。

そして人の心を見透かすようなその視線。

 

俺は一目見た瞬間から、心を奪われるような予感を感じていた。

 

「本宮君でしょ?」

 

片手に持っていた煙草を唇へと運んでくる。

その指先、その仕草までもが作り物めいていた。

 

「そうだけど。どっかで…会ったかな?」

 

俺の言葉が聞こえなかったような顔をして煙を吐き出す。

煙草の臭いがした。俺の吸ってる銘柄とは違う臭い。

 

「高校で」

 

そう短く答えた彼女はまたじっと俺を見た。

俺の出方を探るように。

 

 

 

 

 

 

真夏の月 2

 

 

 

「ごめん…俺、本当に思い出せない」

 

不覚だ。何たる不覚。

こんな、まさしく俺の夢の中から抜け出てきたようないい女を思い出せないなんて。

 

でもどんなに記憶の奥底を浚ってみたところで覚えがない。

これほど俺好みの顔を覚えていないはずないんだけど…。

 

心の底からすまなさそうな顔をする俺から女は片時も目を離さなかった。

まるで何かの研究対象を観察する科学者みたいな、体温の感じられない目。

 

そんな風にじっと見つめられて俺は居心地の悪さを感じた。

何でそんな目で見るんだろう…。

 

「木原夕貴」

 

女は唐突に口を開いた。

そしてその口から出てきた名前はこの上なく思いがけない名前だった。

 

「え…?木原って、あの木原?でも木原って兄弟いたっけ?」

「いないわ」

 

そう言って、煙草の灰を優雅な指先の動きだけで弾き飛ばす。

思わず『練習を積んだんだろうなぁ』と思ってしまうような、そんな動作だった。

 

「え…じゃあ君は…?」

「だから」

 

その時までほとんど表情を動かさなかった彼女が一瞬不安そうな表情をした。

それも目元だけで。

 

「木原夕貴だってば」

 

 

 

 

 

 

真夏の月 3

 

 

 

「え…お前木原か!?まさか…」

 

俺はすぐには信じられなかった。

あまりの意外さに顔が勝手に笑い出す。

 

この女が木原夕貴?嘘だろ〜?

 

そんな顔で相手を見ると、相手は全くの大真面目。

本気にしてない俺の態度が気に入らなかったらしく、少し眉根を寄せている。

 

「そんなに可笑しい?なに笑ってんのよ」

 

その不機嫌な表情と喋り方には確かに面影があった。

 

「え、じゃぁ本当に木原なのか?」

ごめん。あんまり変わったんで分からなかった。

 

俺がそう言うと眉間のしわが消えて、もとの人形みたいな顔に戻った。

また俺を見つめている。じっと。

 

何でそんな目で俺を見るのだろう。怒ったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

真夏の月 4

 

 

 

「お〜い、ユウキ〜。」

 

俺達が気まずく向かい合っている所へ、通路の奥のほうから間延びした声が

聞こえてきた。

 

その声に反応して、意外に機敏な動きで夕貴が振り向いた。

 

「なぁにぃ〜?」

 

さっきまでの硬い声とはうって変わった、年相応の軽い声。

心なしか表情までちょっと明るいような気がする。

 

通路の突き当たりにある店から出てきたのだろう。

男が一人歩いて来た。

 

眼鏡をかけていて顔はさほどでもないが、目立って背の高い男だった。

痩せ型ではあるが、肩幅からいくと中々の体格だろうと容易に想像できる。

 

「こちら、お客さん?」

 

その男は俺の方を見て言った。

その喋り方からして、どうもここの店で働いているようだ。

 

「さぁ」

 

夕貴までが俺に物問いたげな顔を向けてきた。

 

「あ、ああ。友達と待ち合わせしてて…」

 

「開店は7時からよ。」

 

「うん。7時に待ち合わせだったんだけど…」

 

そこまで聞くと夕貴は俺が今まで腕輪だとばかり思っていた時計を覗いた。

 

「6時53分…。相変わらず10分前行動ね。」

 

それだけ言うと、もうほとんど灰だけになっていた煙草を投げつけるようにして

床に捨てた。

その仕草と思い切り迷惑そうな表情に戸惑い、居心地悪げにしている俺にさっきの

男が「もうすぐ開店だから、店に入って待っててよ」と助け舟を出してくれた。

 

一瞬どうしようかと迷ったが、友人との約束もあったので結局甘える事にし、男の

後について開店直前の店に入った。

 

夕貴は何も言わずにそんな俺達の後からついてきた。

 

 

 

 

 

 

真夏の月 5

 

 

 

店内はすでに照明が落とされていて薄暗かった。

そこは若者向けのお洒落なバーを意識して作られた店らしく、狭いながらも内装は

かなり趣味良く凝ったものになっていた。

 

俺はこの店は初めてだったが、流行を追いながらもゲテゲテしさを感じさせない

品の良さのようなものが感じられるその雰囲気が一目で気に入った。

 

店に入ると夕貴は俺達に目もくれずに奥に入っていってしまった。

カウンターに座り、そんな夕貴の様子をを目で追っている俺にさっきの男が

すまなさそうに話し掛けてきた。

 

「ごめんね。夕貴、いつもあんな感じで無愛想だから…」

 

その保護者然とした物の言い方からこの男がこの店のオーナーか、もしくは

夕貴と特別な関係にあるかのどちらかだろうと俺は予測した。

 

別に気にしてません。俺がそう言うと男は興味ありげに聞いてきた。

 

「おたく、夕貴の友達か何か?」

「ええ。高校が一緒だったらしいんです。」

 

俺の返事を聞いて男は笑った。

 

「“だったらしい”って何だよ。」

「俺、さっきそう言われるまで気がつかなくって…。すっかり変わってたから。」

 

それ、夕貴に同じこと言っちゃったの?

戸棚の中のグラスを片付けていた男は仕事の手を休めて聞いてきた。

 

「え、ええ。多分似たようなことを…」

 

あちゃー。そりゃまずいなー。

 

男はカウンターに肘をつき、少し俺のほうに身を乗り出すような格好で辺りを見回し

ながら小声で言った。

 

「夕貴にそれ言っちゃぁ駄目だよ。あいつ、外見の事言われるの好きじゃないから。」

 

 

 

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