熱帯夜 1

 

 

 

「あらま。」

それだけ言うと紫乃は大声で笑い出した。顎をのけぞらせてケタケタと。

見れば全身が痙攣するほど笑っている。

俺はちょっと気を悪くした。いや、かなり悪くした。

 

「何だよ、他人事だと思って。」

憮然とした俺の声にちっとは常識を取り戻したらしい。

左手で左眼の目尻から涙を拭っている。でもまだちょっと笑っている。

 

場所は賑やかなビヤホール。右手には半分くらい入った中ジョッキ。

初夏の夜、男と女が元気にビールを笑いながら(女の方だけ)飲んでいる。

傍目から見たら爽やかな夏の情景なんだろうな。きっと。

 

でも実際俺達が話題にしてる事―正確には俺が話してる事はちっとも爽やかなんかじゃなかった。

爽やかどころか世の大多数の人々が聞こえないフリをしたがるような話題なのだ。

だって…俺今カミングアウトしたんだぜ!?したよな、確かに?

 

大の男が『俺は男が好きです。好きで好きでたまりません。やりたいんです!』って言う事ほど勇気がいる事がこの世に他に存在すると思うか?

まぁ、そこまでは言ってないけどさ…。

それをありったけの勇気を振絞ってカミングアウトしたと思ったら、この反応か?

思いっ切り笑い飛ばしやがって。

 

「ごめんごめん。」

まだ笑い発作が完全にはおさまってない。

あのなぁ。喘息みたいなヒーヒーいう音をさせながら謝っても効果ねーんだよ。

笑いすぎなの。笑いすぎ。

 

「悪気は無かったの。ただ意外だったから。」

あぁそうかい。そうかいそうかい。

当たり前だろーが?

「ああやっぱり」と言われるようなタイプじゃねーぞ。俺は。

一応外見だけは立派なタフガイだぜ。自分でも惚れ惚れするくらいだ。

なのに…。くそぉ〜。

 

「話した俺が馬鹿だった」と言う俺の言葉を紫乃のやつ完全に無視しやがった。

途端に張り切って質問とかし始めるし。

こいつ将来立派なおばさんになるぜ。間違いない。

誰彼構わず聞き込みしているその勇姿が目に浮かぶようだ。

 

「ねぇ、でもそしたら今まで付き合ってた山ほどの女の子達はどうしたの?」

と、そこまで言ってから急に嬉しそうに手を打ち合わせて喚いた。

「あーそうか、慎ちゃんバイだったんだー!そうかそうか。」

 

…ビールにむせそうになった。

こいつ急に何て事言うんだ?しかもこんな公の場所でそんな大声で。

まぁ場所については俺も人の事言えないか。

 

「違うだろ…。お前もう少し常識ってもん持てよな。」

「えー、慎ちゃんにそんな事言われたくない。」

 

それはそうです…。すんません。

どーせ俺は男が好きな変態ですよ。ええそうですともさ。

 

俺が黙ったのをこれ幸いと、悲しくいじけている俺に情け容赦なく紫乃は話を続けた。

「えー、じゃあの女の子たちどうしたの?どうやって誤魔化してたの?」

 

誤魔化してたって…もう少し人聞きのいい言い方は無いのか?え?

 

「ねぇ、あの女の子達全員と何も無かったの?ぶっちゃけた話、やらなかったわけ?」

 

げほげほ。今度こそむせた。

こいつ本当に女か?何でこう万事露骨なんだ。

こっちが恥ずかしくなっちまうぜ。

 

 

 

 

 

 

熱帯夜 2

 

 

 

紫乃とは大学で知り合った。

大学の二年生で俺は今年20歳になる。紫乃は一つ年下の19歳だ。

 

俺は本来なら三年なはずなんだが…去年ダブっちまったんだよ。

う〜ん、さすがに人類学の講義、一回も出席しなかったのはまずかったよな。

ちょっとなめすぎたかも。確かになめすぎた。

お陰でこのザマ。ダブっちまったぜ。見事に。

 

で、留年した先の学年に紫乃はいたわけだ。

もともとちょっと顔見知りではあったんだ。

同じ県出身だから、県人会とかで顔だけは見たことあるって感じの間柄。

でもさ、ダブっちまったらしゃーないでしょ。仲良くなるでしょ。

 

しかしこいつも見た目と全く違う女だよな。

紫乃という名前や外見からはどう見ても純和風な大和撫子にしか見えない。

かなり美化しての話だけど。

 

とにかく色白、小柄、切れ長一重ときたら誰しも浴衣の似合う日本風だと思うだろ?な?

なのに、なのになのに!こいつの中身は全然日本人じゃない!!

アメリカ女も赤面して逃げ出すほどのオープンさ。

お前外国にでも住んでたのか?いや、どっか他の星に住んでたんじゃないのか?

 

最初はかなりたまげたけど、まぁ慣れてみると結構面白い。

だから俺もついついしょっちゅう飲みに誘ったりしてさ。

今じゃこんなに仲良しこよし。今一番親しい相手じゃないかな。

週に2〜3回は一緒に飲んでるよなぁ。

 

俺も留年した先でこんなに面白い連れができるとは思ってなかったさ。

だって大概留年したその後は、孤独な歳月を送るってのが一般的だろ。

だから俺も覚悟してはいたのよ。超気を滅入らせながら。

 

それなのにこんなに毎日賑やかに暮らせるなんて。

紫乃を通して友達も結構できたし。

飲み会とかも結構誘われるし。ま、紫乃抜きの時は滅多に無いけど。

 

そんなこんなで俺一応喜んでもいたし、幸運に感謝してもいたわけよ。

だけど、だけどだけど今日だけは後悔した。

こいつと、こんな奴と知り合った事を深くふかーく後悔した。

 

もともと繊細な神経とは無関係な奴だと思ってたけど、いくらなんでもこれは酷すぎる。

俺結構傷ついちゃうよ。繊細なのよ。

俺の人生最大の悩みを笑い飛ばすなんて。お前、デリカシーってもんがないんか?

 

「ねえ、慎ちゃんってどんなのがタイプなの?」

 

紫乃のしつこい質問が思考に割り込んでくる…こいつ俺の告白を聞いてなかったのか?

聞いてたらこんな日常的な質問は出てこないよなぁ。普通。

 

分かった。もう一度だけ言うぞ。俺は男が好きなの。オ・ト・コ!

二度も言わせんなっ!!こんな恥ずかしい事をーっ!!

 

「それはさっき聞いたってばぁ。だからー、ジャニーズっぽい甘ったるいのが好きなの?それともデブ専?ジジ専?あー、もしかしてマッチョ好きとか?やだ〜。」

 

めまいがしそうだ。

こいつには驚くって事がないのか?

何でそんなに平気そうに聞いて来るんだよ?これは異常な事態なんだぞ?

それに何でそんな言葉知ってるんだ?デブ専だと?

 

「お前なぁ、そんな事平気で聞くなよ。俺は一応…アブノーマルなんだし…」

語尾が宙に消えた。

いくら自覚していたとしても、自分自身を異常呼ばわりするのは辛いものだ。

 

「え〜、いいじゃん別に。そんなの好みの問題だし。」

 

ぎょっとした。今までそんな風に考えた事も無かった。

しかし俺をぎょっとさせた当の本人は忙しく行き来するウエイターを呼び止め、ビールのお代わりを頼んでいる。もう5杯目だ。

 

「好みってお前、そんな簡単に言うなよな。」

「えー何で。いいじゃない。だってさぁ、ボーイッシュな女が好きな男が正常で、男が好きな男が異常って不公平じゃない?そんな大した違いないのにねぇ。」

 

不公平って、お前…。そりゃちょっと問題が違わないか?

 

「世の一般の人はそうは思わないよ。お前って本当に楽観的だよな。」

「えー、今時誰もそんな事気にしないよぉ。私も全然気にしてないし。」

「そりゃお前はな。」そう言って溜息をつく。はぁ。

 

「じゃあさ、慎ちゃんは私がその話聞いて、『うわ〜変態!私に触んないでよ!!』とか言った方が良かったわけ?それこそ変態じゃん。ひょっとしてマゾ?」

 

駄目だ。こいつに何話しても無駄だ。

こいつにかかるとどんどん俺の変態度が増していくだけだ。

 

それに紫乃の言う事にも一理ある。

確かにそんなもん好みの問題じゃねーか。

他人にとやかく言われるような事じゃねーぞ。

 

そこまで考えると俺は途端に気分がすっきりした。

数年来のわだかまりがすうっと溶けていくような気分だ。

肩の力が抜けて楽になった。やっぱり告白して良かった。

悩みを溜め込むのはやっぱ体に良くないよなぁ。うん。

よし、今日は飲むぞ。飲んじゃる!

 

さっきから量の減ってなかったジョッキをぐいっとあおった。

俺のビールはかなりぬるくなってたが、それでも美味かった。

 

「おっ、慎ちゃんいい飲みっぷりだねー。よし、もう一杯いってみよー。」

そう言って紫乃が二人分の新しいジョッキを注文した。

俺達は今日二回目の乾杯をした。

 

 

 

 

 

 

熱帯夜 3

 

 

 

ああ、疲れた。

部屋の電気をつける気にもならないほど疲れちゃった。

馬鹿の真似をするのも楽じゃないわ。

暗い部屋の真中まで歩いていってぺたんと座る。

行儀が良いとは言えないけれど、構うもんか。

 

それにしても今日はどうしようもなく疲れた気がする。

「そりゃないよねぇ…」

いくら何でも。

 

まさか慎ちゃんがホモだったなんて。

私、これからどうすればいいんだろう。

 

まだ指先が痺れているような気がする。ちょっと震えているかも。

あの時は本当に体温がすうっと下がっていくのが分かった。

あれを世間では血の気が引くと言うのか。初めて知ったわ。

 

確かになぁ。何だか勝手が違うと思ってたんだよねぇ。

今までにも何回か片思いくらいしたことがあるわよ。

でもそれとはどこか感じが違うのよね。

守備範囲外じゃなくて対象外、みたいな。そういう事だったのかぁ。

 

まぁね。

私だって外見・能力・性格共に人並み以上って言えるガラじゃないから、失恋だって

何回か経験あるし、全く相手にされなかった事だってあるにはあるわ。

でも…これほど勝ち目の無い勝負は初めて。

だってあの人の目に私は恋愛対象として映ってないんだもの。

映りようがないんだもの。

だって私は女だから。男じゃないから。

これ以上に決定的な理由がある?私には思いつかないわね。

 

だけど早まったことしてなくてホント良かった。

今ならまだ修復可能だわ。

あの人、私の気持ちなんか全く気付いてないから大丈夫。

今まで通り友達でいられるわ。

ちょっと不本意だけど、今はまだ慎ちゃんの側にいたい。

そのためならどんな不都合だって耐え忍んで見せる。

 

絶対に私の気持ちを気取らせない。

これさえ堅く守っていれば、私達の仲は元の通り。

何も変わらない毎日がまた続いていく。

恋人になれないなら、友達としてでも一番近くにいたい。

 

 

 

 

 

 

熱帯夜 4

 

 

 

慎ちゃんに好かれるためなら何でも努力する。

馬鹿の真似だってしてみせる。

だってあの人、明るくてちょっと頭軽めの女が好きそうなタイプなんだもの。

だったらそういうフリするしかないでしょ?

 

あの人、本当の私を知ったらきっと離れていっちゃう。

絶対そう。間違いないわ。

 

本当の私は…陰気で小心でどうしようもない根暗。

誰がそんな女好きになってくれる?私だって嫌よ。

 

ふっ、と宮下の事を思い出した。

本当の私を知ってて、それでもいいって言ってくれた人。

どうして別れちゃったんだろう。

ああそうか…私が振っちゃったことになってるんだ。

 

何か余計に気が滅入ってきたかも…。

いらん事思い出しちゃったなぁ。

 

だけど最近慎ちゃんの事ばかり考えてたから、ミヤの事は久しぶりに思い出した。

私達は本当によく似ていた。

彼が本当の私を拒まなかった理由もよく分かる。

だって自分と同類だもん。拒みようがないわ。

 

ミヤと今も続いていたらこんな辛い目にあう事もなかったかな。

多分無かった。少なくともミヤは女OKだったし。

 

そこまで考えたら何だか泣けてきた。

泣けて泣けてしかたなかった…。

泣くつもりなんて無かったのに。

泣かないって決めてたから。

 

ミヤとの約束。

「俺がいなくても泣くなよ」

でも破ってしまった。思い切り破っちゃってる。

ごめんなさい。ごめんなさい…。

 

 

 

 

 

 

熱帯夜 5

 

 

 

「おーい、松前〜。こら、そこ行く松前慎一郎!」

 

後ろから声をかけられた。

前の学年にいたとき、結構仲の良かったサークル仲間だ。

えっと…確か名前は…ああ、そうそう。宮崎だ。

 

「あー、久しぶりだな。元気か?」

 

こいつとは結構仲が良かったんだが、留年してからはとんと疎遠になっちまった。

まー、それが留年生の運命ってやつか。

 

「なぁなぁお前、最近竹内紫乃とつるんでるんだって?」

 

宮崎の口から思いがけない名が飛び出した。

何で宮崎が紫乃の名前知ってるんだ?

おまけに何だか含みのある表情してるし。やけに興味ありげだし。

 

「あっ、ああ。そうだけど。何で知ってるんだ?」

「マジかよ〜。お前よくあんな奴と付き合えるよな〜。」

 

は?こいつ何言ってるんだか。

どうも宮崎は紫乃と知り合いで、おまけに紫乃のことがあんまり好きじゃないらしい。

でもこいつら結構キャラかぶってると思うんだけどな。

 

「え、何で?あいつ面白いじゃん。」

「面白い?あいつがかぁ?」

「え、紫乃だろ?俺は面白いと思うけど。一緒にいて楽しいし。」

「おいおい、俺が言ってるのは竹内紫乃だぜ。」

「だからその紫乃だってば。」

 

何だか釈然としない宮崎。俺だって。

久しぶりに会った者同士、どことなく気まずい雰囲気が流れた。

 

「なぁ、おい。お前今暇か?」

「いや、今日はもう授業無いけど…。」

 

いまだ納得できないような表情を浮かべた宮崎を引きずるように、かつてよく溜まり場に使っていた喫茶店へと向かう。

これは何が何でも話を聞き出さないと。

俺の中の眠れる好奇心が目覚めるのを感じていた。

何だか面白そうじゃねーか。

 

 

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