約束 1

 

 

 

面食らった。

クラスメートに突然ひざまずかれ、『あなた様』呼ばわりされれば誰だって驚く。

 

しがない一サラリーマンの家庭に生まれて十余年、一度だって『あなた様』などと

呼びかけられたことは無かったし、未来永劫、墓に入るその日までそんな日は来ない

と確信してました。

いや、実際問題そんな可能性など考えたことさえなかったわ。

あった方が異常でしょ。

 

その馬鹿げた事件は、私が高校一年になった年の馬鹿みたいにくそ暑い夏の昼下がり

に起こった。

馬鹿馬鹿しい補習事業を受けた後の馬鹿馬鹿しい出来事。

それはまさしく馬鹿づくし、馬鹿のフルコースみたいな一日だった。

 

そしてその後起こった全ての出来事が余りに馬鹿馬鹿しすぎて我ながらいまだに

信じられない。

あれは少なくとも50%の確立で私の妄想だと思っている。

ある意味そうであって欲しい。いや、どんな意味でもそうあって欲しい。

 

その日は午前中いっぱい「特別進学コースの学生のための特別講座」なるかなり

意味不明な補習にかり出された。

何でもその趣旨は『優秀な生徒をより優秀に』というものだそうで。

美しい思い違いだ。あまりに力いっぱい思い違いすぎてて泣けてくるわ。

 

そんな事を考えながら廊下越しに窓の外をぼけーっと眺める私に妙な視線を

送ってくる奴がいるのには気付いていた。

気付くも何も隣の席から注視されたら気がつかない奴がいるか?

 

一学年の生徒数1000人以上のマンモス校にはいろんな奴がいる。

勝手に人のことをライバルだと思い込んでガンたれる奴などはいて捨てるほどいる。

今までに何人か経験済みだから間違いない。確実にそういう連中は存在してる。

 

こいつもきっとその一人だわ。

こんな奴は無視するに限る。無視無視。

 

授業が終わるや否や、午前中いっぱい頬杖をついてたせいで滅茶苦茶に痺れた肘を

ぶらぶらさせながら教室の後ろのドアからさっさと退出する。

隣の席のライバル志願者もさっさとお払い箱にした。サヨーナラ。

 

暑い暑い日差しの中をえっちらおっちら歩いて駅までやっとこさ辿り着いたと

思ったら、定期入れが無い!

嘘だろ〜。と心の中で呟きながらカバンの中をあさってみる。

しかし無い。いくら探しても無い。無いものは無い。

 

あまりの暑さにうんざりし、なげやりな気分になったその時、世にも不吉な考えが

私の脳裏を掠めた。

 

「・・・学校だ」

 

呆然としてしばらくその場にたたずんでいたが、一年たたずんでいたところで

定期入れが戻ってくるわけでもないのでしぶしぶ学校へと引き返す。

 

たかが定期入れ、されど定期入れ。サイズが小さいだけに腹立ちは大きい。

そんな物のために・・・と思えば思うほど日差しが強く感じられてくる。

おまけに時間はお昼頃。一番太陽が張り切る時間帯だ。

昨日まで雨続きだったくせに、今日に限って何でそんなに張り切るんだ?

 

そんなこんなでその日三度目の校門をくぐる頃にはかなり凶暴な気分になっていた。

それは認める。確かに気は立っていた。

 

疲れた足を引きずるようにして三階の教室に辿り着いたら、例のガンたれ野郎が

一人キザったらしく机に腰掛けてこっちを見ていた。

しかも足まで組んでやがる。足の長さもゆったりと。

 

それだけでも十分に神経を逆なでする光景だが、奴が右の手で放り投げては

キャッチしている黒い物体の正体が分かった時にはブチ切れた。

 

「ちょっと!それ私の定期入れなんだけど。」

 

その時、もしかしたら彼がそれを拾ってくれた善意の人かもしれないという可能性は

爪の垢ほども私の頭には思い浮かんでこなかった。

怒り全開モードで喚く私に野郎は、やけに落ち着き払った笑顔でこう言った。

 

「存じ上げています。お待ち申しておりました。」

 

「はぁ?」

 

怒りと暑さのために理性などとっくの昔にふっ飛ばしていた私は一瞬言葉を失い、

素っ頓狂な声をあげた。

そんな私の前でそいつはさっとひざまずいてこう言ったのだった。

 

「あなた様をお探ししておりました。我が君。」

 

「・・・」

 

「やっとお目にかかることができました。嬉しゅうございます。」

 

ひょっとして私はからかわれているんじゃなかろうかと思った。

もし真面目に言ってるんだとしたら、いくら変人が多いうちの高校でもこれは

ちょっと問題ありだろう。

こういうのって、マンモス校よりは精神病院にいるべきなんじゃなかろうか。

 

そんなこんなで頭を無意味にフル回転させてたたずむ、いや固まる私に奴は両手を

差し出しこう言った。

「どうぞお取り下さいませ」

その手の上には私の定期入れ!それ、さっさと返せ!!

 

ひったくるように受け取り、「さよならっ!」と言い捨ててさっさと教室から出よう

としたその時。

後ろから奴に腕をつかまれた・・・はっ、放せぇ〜っ!何すんだっ。

 

『やっぱり変質者?』と、ぎょっとして振り向いた私。

しかし、今思えば振り向いたのは失敗だった。

なぜなら振り向いた瞬間、野郎にもう一方の手まで掴まれてしまったからだ。

さっき掴まれてたのは右手一本だから、結局掴まれた手が一本増えてしまった訳だ。

 

うっ、事態はいよいよ悪くなってる〜。うぅぅ。

目の前10cmより近い所にある奴の顔は甘ったるいジャニーズ系。

その甘ったるい顔がニヤニヤ、いや、にこやかに笑ってるのは十二分に神経を逆なで、

いや神経を壊死させそうな風景だった。

私甘ったるい顔もジャニーズ系も大嫌いなのよぉ〜!!

 

おまけに何でお前、人の顔をそう嬉しそうにじろじろ見るのよ!?

やめてよ、顔が腐る。

腐るの通り越して醗酵しちゃったらどうすんのよ〜っ。

 

「やっと見つけました。約束通り見つけましたよ。」

 

約束ぅ?おのれと約束なんぞした覚えは無いわい!!

人違いじゃ。人違い。

な?だからさっさとその手を離してちょうだい。

 

そう言えばB’zか誰かの曲に『だからその手を離して』っちゅーのがあったような

…いや、そんな歌なんぞどうでもいい。

どうでも良くはないかもしれないが、とにかく今はどうでもいい。

 

だから、いやとにかくその手を離して!離せぇっ!!

 

「人違いよ。人違い。だってあなたと会った事ないもの。約束なんかしてないし…」

 

ぐいっと両手を引っ張られた。

自然な成り行きで私と奴の距離は近づく。ていうか、ぶつかっちゃう!!

 

やっとの思いで踏ん張って激突を防いだ。ふぅ。

と、思ったら野郎、また押し戻して元の位置に戻しやがった。

そんでバランスを崩しそうになった私の顔を無遠慮に覗き込む。

やめてよ〜、その至近距離に勝手に入ってくるの。

私はパーソナル・スペースが広いの。だからあんまり近づかないでぇ!

 

「覚えてないんですか?あの時の約束、覚えてないんですか?」

 

覚えてないも何も、お前とは今日始めて会ったんだし、約束なんてしてないって

言ってるだろうが!!

分かったか?

分かったんだったらそんな真面目に悲しそうな顔しないでよ。

何だか私が悪い事したみたいな気分になるじゃないの。

 

だからそのすがるような目、やめろっちゅーんじゃ!!

 

と、とにかくこの狂人をどうにかしなければと焦る私。

でも両腕はその気違いに掴まれたまんま〜。

私気は強い方だけど、腕力はからきし駄目なの。

振り払おうにも全然かなわない。

私が抵抗している事に相手は気付いてさえいないんじゃなかろうか。

 

何せ153cmしかない超小柄な私に対して野郎は育ちすぎたジャニーズ系。

脳みそは別として体だけはばりばり成長したらしく、間違いなく180cmは越えてる。

そんな大男に腕掴まれてりゃ、逃げようがないじゃな〜い〜!!

ど、どうしよう。こいつマジでヤバいかも…。

 

う〜ん。

こんな所を他人に見られたら恥ずかしいと思っていたけど、背に腹は変えられない。

一発大声でも出して、誰か助けを呼ぼうかと思い始めた矢先。

奴が再び私を引き寄せた。

そして囁く。

 

『瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に あわむとぞ思ふ』

 

その声に誘われて、一瞬だけ、幻覚を見た気がした。

 

目の前の男が鎧兜を着て見えた。

そしてその男はとても懐かしく、とても愛しい誰か…だった。

 

「思い出してくれましたか?」

そう目の前のジャニーズ顔に言われて我に返った。

見ればやけに真剣な面持ちでこっちを覗き込んでいる。

でもやっぱり甘ったるい顔。おかげで現実に引き戻された。

 

「あー、それ…和歌でしょ。詞花和歌集だったっけね。確かそうよ。うん、そうよ。」

 

妙に狼狽して解説する私に明らかな落胆の表情を浮かべる。

こいつがそんなことを思い出して欲しかったわけじゃないのは分かってたわよ。

このシチュエーションで「ああ、その和歌の出典が知りたかったんだ。ありがとう。」

なんて言ったら間違いなく気違いだわ。完璧に狂ってる。

 

でも私に何言わせたい訳?

さっきあなたが鎧兜着た武者姿に見えました、ってか?

 

そんなこと言ったら二人揃って精神科のお世話になっちゃうわ。

おかしいのはあんただけで十分よ。

 

それに私も私よね。幻覚見るなんて。

いくら暑いからって。脳みそ溶けちゃったのかしら。

 

やっぱ気違いと話してるとあっちの世界に引きずり込まれるっていうあの話は

本当だったのね。

これから気をつけなきゃ。

 

 

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