夜桜炎上

 

 

 

―人は運命に出逢い、そして一瞬で捕われる

囚われ人は永遠にそこから逃れられない―

 


 

「お慕いしています・・・心から」

 

燃え盛る炎の中で囁かれた、ただ一度きりの告白。

それは逃れ得ぬ運命、永遠の恋。

 

 

夜桜には鬼が棲むと言う。

人はそう言い、女を夜桜の君と呼ぶ。

 

その姿、夜桜の如し。

その心鬼の如し、と。

 

己が世におごりきった平家の世。

公達の一人が夜桜に懸想したが叶わず、病の床についた。

伝え聞いた平家の棟梁の総領たる公達がある夜悪戯に夜桜を垣間見、恋に落ちた。

この若君も文を送ったが、待てども待てども色よい返事は返ってこぬまま。

思い余った若者は時の権力者たる父に懇願する。

 

父は息子の懇願に動かされるまま、権大納言家に夜桜を所望した。

帝の后がねにと大事に夜桜を育てた父大納言は三度に渡って拒むも、拒まれれば拒まれるほどに若君の心は燃え上がるばかり。

とうとう“牽いてでも連れてこい”と配下の者に命じた。

 

その夜、大納言は夜桜を連れ去ろうとした狼藉者達を遮ろうとして殺された。

混乱のまま牽いてこられた屋敷では弦の音。

その美しい調べを聞いた瞬間、悲しみは夜桜を鬼へと変じた。

 

たとえわが身は与えても、決してこの心は与えまい。

それは何物をも愛さぬ鬼の誓い。

 

「待っていた」

 

そう言って塗り込めの部屋に入ってきた公達。

美しい衣、慕わしい香、そして何よりその姿。

それは鬼の心さえも動かすほど。

 

優しく自分を抱き寄せるその腕。

その腕の中で夜桜は生まれて初めての恋を知った。

 

けれど。

それは許されぬ恋。

鬼は、人を喰わねば生きてはいけぬ。

 

性急な逢瀬の後の短いまどろみ。

わずかの眠りを貪るその姿を夜桜は薄明かりの中、眺めていた。

 

−これほどまでに愛しくて

これほどまでに憎いとは−

 

夜桜の頬を一筋何かが伝って落ちた。

 

そして立ち上がり、手燭をとりあげ二人の周りにめぐらされた御簾に火を付けた。

ぱちぱちと軽い音を立てる炎にも、若い体は気付かず眠っている。

夜桜はその傍に戻って、そっと座った。

愛しい人を愛でながら。

 

炎が徐々に二人の周りに押し寄せる。

乾いた空気に喉が痛む。

そして目覚めが訪れる。

 

「何事ぞ?」

 

愛しいその声、その姿。

何も言わずにそっとその傍に臥す。

我が子をあやすように。

 

「・・・火が!」

 

慌てて立ち上がろうとする若君の袖をそっと掴んで引き止める。

 

「もう間に合いませぬ・・・」

 

炎の向こう側から声がする。

火を消そうとする者どもの声。ただ泣き喚く女房達の声。

・・・そしてこの世の者ならぬ者どもの声。

 

「・・・そなたか?」

 

何故に愛しいお方はそんな目で私を御覧になるのだろう?

こうする他はなかったものを。

 

「今宵父を殺されました。お許しくださいませ。」

 

「父君を?」

 

美しいその眼から炎が消えた。

何を思っておられるのだろう、そういぶかしむ夜桜をそっと優しく抱き寄せる。

今宵の始まりの時のように。

 

「そなたを悲しませるつもりはなかった。許しておくれ。」

 

夜桜をそっと包む腕に力がこもる。

もう二人の周りにはほとんど隙間なく、炎が取り囲んでいる。

夜桜は幸せを思った。

 

「そなたの髪を傷つけたくない」

 

そう呟くと、若君は夜桜の髪をその手に巻きつけて我が懐に導く。

 

「そなたも、そなたの心も傷つけたくはなかった」

 

もうすぐ、全てが終わる。

この身は滅び、魂は離れ行く。

薄れゆく意識の中、夜桜は愛しき人の胸にわが身の全てを預けた。

 

そして囁く。

 

「お慕い致しています・・・心から」

 

その囁きは愛しき人に届いただろうか?

確かめる術もなく魂はその身を離れた。

 

ただ一度きりの告白。

そしてそれは逃れ得ぬ運命。

 

 

 

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