これまで七回旅行し、思い出深い写真はいっぱいあるけど、旨く撮れているのは少ない。見せたいものが いっぱいあるのに残念。とりあえず、印象深かったものだけを公開します。暇ができたらもっといっぱい 掲載します。待っててね。それから、珍道中したメンバー、メールください。

「韓国人の家族と会話」

この写真は、2002年8月武稜源(張家界)の「黄龍洞」に行った時のものである。 とにかく広くて大きい鍾乳洞。内部は四層になっており、洞内川が流れている。ボートに乗ってこの川を 遊覧すると、あらためてこの洞窟の大きさを思い知らされる。(面積約18万平方メートル)そのボートで 偶然にも居合わせた韓国人家族、実践あるのみと話しかけた。


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「屈子祠」

戦国時代の詩人、屈原をまつった祠で、この屈子祠のある玉笥山は長沙(湖南省)と岳陽のちょうど中間、それぞれ 約80Kmの位置にある。彼は素晴らしい頭脳の持ち主で、楚の国の三りょ大夫に登用されるも、周りから有らぬ 陰口(讒言)にあい、イツ羅江に身を投じた。

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「前首相 田中角栄」

写真の説明はこうだ。 1972年、日本前首相田中角栄訪問、−−−−−−−毛沢東送一冊■楚ーーーーーーー人民友諠的記念。
(前田中首相が中国を訪れたとき、毛沢東は屈原先生の本を一冊プレゼントされた。)
昨2002年は日中友好30周年記念の年であった。これを祝ってNHKは9月14日から16日の三日間、デジタルハイビジョン による桂林特集を組み放映したのはまだ記憶に新しい。。




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「バナナを積んだ大型トラックと乗用車の接触事故」

2002年8月10日
 岳陽から長沙に向けて国道107号を快調に飛ばしていた我々のマイクロバスが急に進まなくなった。 この接触事故を目撃。写真を見ると、それほど大きな事故ではないが、これで上下線とも完全にストップした。
正常に戻るには5、6時間かかるというガイドの説明に上海での二日延長宿泊を覚悟したメンバーもいる。この時だった。 ガイドの努力が実を結び帯路をGETでき、なんとか張家界飛行場に着くことが出来た。
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「運送中の豚」

2002年8月10日 トラックと乗用車の接触事故が起きた時に撮った一枚である。 大型トラックで北方から南方に向けて運ばれていく豚。この暑い中、渋滞に巻き込まれ、「ブー、ブー」言っているにちがいない。 運転手も豚の背中をたたきながら、安否を気遣っていた。食肉用の豚だけに、二束三文になってはこまるから。

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「石炭を満載したトラックの横転事故」

2000年5月5日
 雲崗石窟を見学の為、大同(山西省)に向かう途中この横転事故に遭った。
これで約二時間のロス発生。余談だか゛現地の人はトラックに石炭を満載するのが実にうまい。目いっぱい積んでも 絶対運送中落ちないように旨く積む。積載技術を持っているようだ。ガイド曰く、「どの運搬車も重量オーバーしている。」と。

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「茶館」

2000年5月2日 太源(山西省)
中国風喫茶店。お茶を飲みながら舞台での歌を聞いたり、踊りを見たり、マジック ショウなどを楽しむことが出来る。いろいろな出し物があり、あっという間の一時間。

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「岳陽楼」

2002年8月9日 岳陽市(湖南省)
唐詩一百首で勉強したこともあり、一度は行ってみたいと思っていた所、 やっと実現。岳陽市の西門の城壁にそびえる高さ19メートルの三層の楼閣。
もともと、三国時代の呉の魯粛が水軍を 指揮する為に湖畔に築いた閲兵台で、716年、唐の宰相、張説が岳陽に左遷された際に改修を行い、岳陽楼と命名した。
杜甫の「登岳陽楼」は日本でも有名。
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「岳陽楼記」

宋代、巴稜郡(今の岳陽市)の太守が更に改修するに当たり、、範仲えんが有名な「岳陽楼記」を寄稿、現在、楼内 には清の書家、張照の筆による「岳陽楼記」が掲げられている。
この岳陽楼記で大事なところは後半部分の 「・・・・先天下之憂而憂後天下之楽而楽乎■微斯人吾・・・」とガイドは言う。
簡単に言えば「嫌なこと、 苦しい事は先に行い、楽なことは後からやりなさい。」ということか。
プロ野球の球場の一つに「後楽園」 というのがあった。この名前は恐らくこの岳陽楼記から引用したものと思う。
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「都一処」

「都」の意味は全部、みんなという意味である。「一処」は一箇所、ここだけという意味 。文字通り訳せば 全部の中で只ここだけの意か。
物語は省略しますが、かなり意訳すると、「暮れも押し迫った忙しい日に、こんな安い 値段で営業しているのは業界広しといえどもここだけですよ。」といったところか。


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「土家族の家」

2002年8月、張家界旅行で我々はガイドさんの計らいで、土家族の家と学校を見学することが出来た。
これは土家族の家で建ててからもう50〜60年になります。
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「陳麻婆豆腐店」

中国旅遊出版社の小冊子「成都」には、概ね、次の様に記されている。
陳麻婆豆腐店・・・今から140年ほど前の1862年、中国は清朝同治元年、場所は四川省の省都、成都の北部の万福橋に"陳興盛" の看板で飯屋を開業した。
この店の料理長は店の女房であり、瞼の上に麻(=麻子:あばた)があったことから、この店に来る常連客は 、その女房を「陳麻婆」と呼んだ。この陳麻婆が作る豆腐はピリピリと辛く、焼け付くほどに熱く、その風味たるや独特で、この 豆腐はすぐ有名になった。
この店の作る豆腐と他の店の豆腐とを区別する為に、陳麻婆が作った豆腐という意味合いから、客は 「麻婆豆腐」と呼んだ。店の名前はこれにより更に有名になった。
清朝の終わりごろ、陳麻婆豆腐は成都の著名な食品として 取り入れられた。1950年代、麻婆豆腐店は市内に広まり、現在は北部にも出店され、武候祠大通りなどにも支店が設けられた。
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「陳麻婆豆腐」

2001年8月、九さい溝/黄龍旅行で最後の夕食で食べた「陳麻婆豆腐」である。
実に辛く、しかし美味しかったのを覚えている。
尚、お土産用の陳麻婆豆腐が一箱10元で提供されており、10箱買った仲間もいた。

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