子夜呉歌

〔説明〕

晋のころに子夜という女性がいて自分で歌曲を作って歌ったが、その曲は大変物悲しく当時の人心を動かして大流行を 見た。
そこでその曲を子夜歌というようになったと伝えられる。 そして同じ曲によって幾つも歌詞が作られ、すべて子夜歌または子夜呉声四時歌などと呼ばれたが、子夜呉歌はその略称である。
このように曲か゜まずあってそれにあわせて歌詞を作るのは民謡ないし民謡風の歌謡の通例であり、それらの歌謡を漢代以来 「楽府」と呼んだので、子夜呉歌のような題名を「楽府題」と総称する。
楽府題はしたがってその曲名を示すだけで、歌詞の 内容とは必ずしも関係は無いが、伝統的にある題は悲しく、ある題は勇ましい歌というような傾向は決まっていることが多い。
もっとも李白の時代に、昔の子夜呉歌の旋律がそのまま伝えられてはいなかったであろう。だから曲調と一致するというよりも、 子夜呉歌という民謡風の表現やムードを持つ作品として、この詩は作られたものと考えられる。

長安 一片の月
万戸 衣をうつの声
秋風 吹き尽きず
総て是れ玉関の情
何れの日か胡虜を平らげて
良人は遠征を罷めん

長安の空に一つ、澄み渡ったお月様。その光に照らされた町では、あそこでもここでも、砧を打つ音。−−−−秋ももう深い。 秋風はあとからあとからと尽きるときも無く、吹き渡ってくる。この秋風のかきたてるものは、その吹き来るかなた、 遠い西の空にある玉関への思い。
いつになったら私の夫は夷てきを打ち平らげて遠征から帰ってくることだろう。