森、昼には爽やかな匂いを放ち、そして清々しい空気を生み出す。
しかし、夜になると不気味さを放ち、湿った土の香りを漂わす。

その森には道路と呼べるものは存在しない。
ただ、申し訳程度に砂利が敷かれた1本の道が存在するだけだ。
雨の日には決して通れたものではなく、自転車のタイヤでさえ沈んでしまう。
ここをほぼ毎日通る少年がいた。
学校へ行く時、遊びに行く時、買い物に行く時。
街灯もなく、自転車の明かりや遠くに見える家の灯りだけが頼りだった。
ただ、少年は夜の森へ足を踏み入れた事はなかった。
遅くなるといつも両親のどちらかが車で向かえに来てくれた。
その車内では決まってこう言われる、
「あの森を通るのはやめなさい、ちょっと遠くなるけど新しい道路があるだろ。」
それは少年もわかっていた。
アスファルトをタイヤが軽快に蹴り、早く走れる事も。
しかし、少年は森が好きだった。
舗装された人工物ではなく、暖かみがあり、雑踏を忘れさせてくれる森が。

ある日、少年の通る道に変化が現れた。
道の入り口には門が出来、「暗くなったら注意してください」の看板が付いた。
少年は深くは考えず、まためんどくさいものがついた程度に考えていた。
反対側から出た時、母親と仲の良いおばさんに出会った。
「あら、今からおでかけ?」
と、誰にでもまずはこう話しかけてくる。
「今、森を通ってきたでしょ? 気をつけないとダメよ?」
少年は何に気をつければいいのかわからず、
「え? 何かあったんですか?」
と、聞くと、
「あら、知らなかったの?
 門がついたでしょ? あそこでこの前の夜ね、女の人が暴れてたらしいの。
 幸い怪我も大した事なくて、ちょこっと足を切っただけなんだけどね。
 なんか・・・その女の人・・・何かちょっとおかしかったって話よ。」
と、丁寧に噂話まで教えてくれた。
少年はほぼ毎日通る道の事なので気になり、
「おかしかったってどういう事なんですか?」
女の人が暴れてるなんて尋常じゃなくおかしいだろうと思いながら
少年はおばさんが言ってほしかったであろう言葉を返した。
「いやね、裸足であの森を走り回ってたらしいの。
 ほら、情緒不安定っていうの? 恐いわねぇ。
 我を失うと人間何するかわからないじゃない。
 あの森はただでさえ不気味だからねぇ。」
少年はそれを聞くと理解出来ないが「そうですか」と告げ、おばさんと別れた。

数日が経ち、少年も門に慣れ、本屋へと出かけていた。
そしてマンガや雑誌など、おこづかいでは買いきれない本を立ち読みしていた。
読む事に集中していると、いつの間にか時間は過ぎ、時計は午後6時半を指していた。
6時半ならまだ暗くなってないと思い、少年は家路を急いだ。
森まではいつもの夕方と変わらなかった。
森の道にさしかかると少年は言葉を失った。
道路の方を見ると確かに夕方なのに、そこには夜が訪れていた。
いつもの明るい森と違い、闇と沈黙が押し寄せてくる様だった。
少年は引き返し、家へ電話を入れて向かえに来てもらおうか考えたが、
自転車で通ればすぐ通り抜けるだろうし、いつも通っている道だと思い進んだ。

進むにつれ暗さや静寂に飲まれていくのがわかった。
五感が研ぎ澄まされ、周囲の葉の動きまでわかってしまっていると思える。
道も中間にさしかかった所だろうか、
少年は自転車がガツガツと妙な動きをするのに気付いた。
いち早く道を通り抜けたく思い、無視をして進もうと決めたが、
ガツンという音とともに自転車は倒れた。
タイヤがパンクし、そこにこの道に敷かれた石が挟まったのだ。
少年は起き上がり砂をはたきながら周囲をうかがう。
誰もいないはずだし、野生の動物が見ている様な感じではない。
しかし、どこからか視線が飛んできている気がしてならなかった。
静寂の中、つい舌打ちをしてしまう。
それも深い森に吸い込まれ消えていくだけだった。
自転車を起こし、手で押して行く事にした。
早く歩こうとするのだが自転車に砂利が絡んで思うように進まない。
さっきこけた時に擦り剥いたのだろうか、右足の膝の辺りがヒリヒリする。
先ほどまでとは違いゆっくりしたペースにならざるをえない。
まるで墨汁をこぼしたように黒い森を少年は歩いていた。
後ろを振り返ったり、横を向いたり、
少年は視線らしきものを感じる所を常に警戒し、見ていた。
静寂の中、ジャリジャリと音が聞こえる。
少年の鼓動は早まり、その音は自分の耳にも届いていた。
音は後ろから聞こえた。
少年はゆっくり後ろを振り返り、音の先を確認してみる。
しかし、音は聞こえるのだが10m以上先は黒くとても見えそうになかった。
少年の足は速まり、それに伴い鼓動も速度を速めていった。
後ろを警戒しつつただひたすら前をめざした。
先ほどまでの静寂が嘘のようにうるさくなっていた。
少年の耳には自分の呼吸、鼓動、踏みしめる砂利の音が響く。
ようやく森の出口にあたる街灯が見えてきた時、少年の肩に何かが落ちた。
少年は恐怖のあまり止まり、自転車は倒れた。
木からぶら下がったそれは不気味に揺れ、風になびいていた。
少年は人形のように立ち、その不恰好なテルテル坊主を見上げていた。
そこで少年の意識はフェイドアウトするかの様に静かに消えていった。

目を覚ますとそこは真っ白な空間だった。
頭や喉がズキズキとした。
起き上がろうとしたが体が動かず少年は目を閉じ体が動くのを待った。
ドアの開く音が聞こえ「ありがとうございました」と、母親のよそ行き声が聞こえた。
少年の体も少し動くようになり上半身を起こした。
「目が覚めたの!?」
という母親の声が頭に響き痛みを増した。
「もぅ、いきなり倒れるから心配したのよ!!」
そんな母親の小言が聞こえる度に頭がズキズキする。
少年は枕元に置いてあったコップから水を飲み、母親に尋ねた。
「お母さん、いったい何があったの?」
「あなたは3日も意識を失ってたのよ。
 もぅ、何が起こったのかと思ったじゃない!!
 検査も色々あるそうだからもう少しゆっくりしてなさい。
 あまり無理しないで気持ち悪かったりしたら母さんに言うのよ。」
そう言うと母親は飲み物を買いに病室を出ていった。
少年は目を閉じ、ゆっくりと考えた。
母さんが忙しそうにしていたので聞くタイミングを失ってしまったが、
僕はどこで気を失ってしまったのだろう。
家で階段から落ちて? 学校でボールでも当たった?
誰かと派手な喧嘩でもしてしまったのか?
あの不恰好なテルテル坊主に見られて気を失ったのか?
気を失っている間に見た夢なのか。
それとも・・・・。



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