そうであるな、ここでは藩士ことユッキーの外遊記でも話そうかのう!
拙者は一年ばかしカナダ(加那田)にて外遊いたした事があるが、
その国にてさまざまな珍事が御座った。
ここだけの話しゆえ、貴殿さえ良ければ、お立ち寄りくだされ。

今から去る事数年前 拙者、思う事あって突如 藩主に談判致し、
外遊と相成り申した。いかにも突然であったゆえ、準備などは滞在VISAが発行と同時に出発
と言ったふうで 旅に出てしまった・・・・・。
「今思いおこしても不十分な旅支度であった。」

第七話「ケネス・マー・・・」の巻 

彼の名はケネス・マ、香港系カナダ人である拙者にとって、この一年間は彼なしには語れない。
 以後ケンと呼ぶ、ケンとの出会いは あるバーでの事、ファン・チョルスという
友人と麦酒なる南蛮渡来の酒を飲んでおったところカウンターなるところで泣きながら
酒を飲む
者あり、その泣きかたが、号泣なるゆえ見てられん 男子たる者泣きながら酒を飲むなど、
もってのほか なっとらん \(`o'")
拙者、なにげにその者に話かけてみた すると彼はあの名高いトロント大学で数学の助教授
であるというが、その任務に努めるあまり妻に逃げられたという。その夜は長く話した・・・。
その日を始めにケンとはよく飲み、そして毎日のように会うようになった、彼は拙者がいまだかつて
出遭ったことのない種類の人間であった、良く言えば 優しすぎる、寂しがり、欲がない、、、。
このような香港人、イヤ!人は会ったことがなかった。まったく人間くさい御仁じゃ
食生活も変わっておった、中華料理よりもパスタが好きで、毎日でもok
キレイ好きなので部屋の床は雑巾がけでぴかぴか、なのに土足であるきゴミはその辺に
ぽいぽい捨てる、ゴミ箱があるのに、、、そしてまた雑巾がけ、、、
大切なものは元奥さんからもらったクマのプーさんのシャンプー、もったいないから
という理由で使わない。離婚して弁護士から慰謝料などのきびしい要求でお金も
ぜんぜんなくても「今でも愛してるよ」と自然に言えるケンなのである。
ケンの話は多すぎるのでこの後もたくさん書くつもりであるゆえ
また、遊びにきてくだされ・・・。
第六話 「愛しのマルセーラー・・・」の巻

”ラテンの血”という言葉をよく聞くが、それをはじめて体験したのが
ホームステイという拙者が居候しておった先のマルーセーラー・ゴンザレス、
彼女は 南米・チリからカナダに移り住んできた、言わばコテコテのラテンのおばさんであった。
今回は彼女との思い出を話そう!それははじめて玄関をあけた日からはじまった。
いきなり!オーラ― (あらー、みたいな意味)抱きしめられる・・・・・。
かなり太ったおばさんであった、その後ペラペラとしゃべること数時間、気が済むと
「オーケー!ハヴァ グンナイッ。」翌朝「ハーイ グン モーニ―ン」抱きしめられる。
夕食時などはスゴイ!しゃべるは、食べるは、飲むは・・・、拙者も無口なほうではないが
押されっぱなしであった。今思い起こしても拙者気に入られていたのか何なのか
よく解らないが事あるごとにひっぱりまわされた所存であった。特に彼女はクリスチャン
であったためクリスマスなる時は拙者!外出すらままならぬ、何度か試みてはみたが
断念せざるをえなかった。捕まってしまい部屋の窓に何やら貼り付けたり、
さまざまな飾りをほどこした木(クリスマスツリー)を用意したりとこき使われた。
その間にも彼女はずっとしゃべりっぱなしであった、しばらくすると訪問客がどんどんと
やってくるではないか、しかもみんなラテン系ヒスパニックの人たちである
拙者は抱きしめられるは、頬に接吻されるは、飲まされるはで疲弊しきっていたが
その頃 彼らは歌っていた・・・・・。
何時間が経過したであろう、急に拙者はみんなに再び抱きしめられ、接吻された
そしてどこかへ帰っていった。やれやれ大変な日であったと思っていた矢先の事である
マルセーラーは出かけると言うのである、もちろん拙者もである。今から家族で集まる
というのである、、、そうして拙者はその後 市中ひきずり廻しの刑にあった。
今でも忘れることの出来ぬながーい 一日であった。ラテンの血の恐ろしさは
その後も拙者を悩まし続けたのである。

第五話 「そんな英語は知らん・・・」の巻

拙者が通った学校最初のクラスには、「男とみたり・・・」の巻 で紹介した台湾人のジャクソン
をはじめメキシコ、韓国、などさまざまな国よりイングリッシュなる語学を学びに来ておった。
拙者が居た時期は真冬であったため他に日本人はなかった・・・・・。それはさておき
他国の者が集う場でもある、最初に自己紹介なる事からレッスンは始まった
拙者がなぜか最初に指名されたので、仕方なくはじめた所存!
はじめたところ、やはりみなの者は拙者は中国人と・・・、誤解はすぐさま
はらせた、日本人と解ると急に質問攻めに会い申した。
そこで一歩も引いてはならぬと思い。必死で答え申した。
なかなかどうして、こやつら日本という国をまったく知らん!不快の極み 無礼千万である。
質問の内容はこうである。「日本人はみんな空手ができるのか?
日本人は魚以外に何も食べないのか?日本人はどうしてすぐ ソーリー!とあやまるのか?」
などと、、、拙者もう少しで名刀正宗のこいくちを切るところであった・・・が、
ある質問が流れを変えた。「忍者は本当に居るのか?」・・・・。拙者思わず、「居る」
と答えてしまった。その後もつづく・・・「壁をあるけるのか?」 「歩ける」
「天井で寝れるのか?」 「寝れる」 「消えれるのか?」 「消えれる」
次がすごかった!「忍者を知っているのか?」 「マイ ファーザー イズ 忍者!」
と答えてしまった、次の瞬間!おぉ〜、と全員の拙者を見る目が変わった。
しかし、この話には落ちが無い、そう拙者 不覚にも落とせなかったのである。
今も、そう訂正は出来ていない・・・・・。

第四話 「男と見たり・・・」の巻

拙者!カナダでは本当にたくさんの友人と知り合う事が出来た。
もちろん今でも連絡は欠かさぬ友人もあれば、筆不精な友人も少なくはないが、
今日は、はじめて親しくなった台湾人のジャクソンの話しをしよう。
もう貴殿はお気づきかな? そう台湾人でジャクソンと言う名はおかしいであるな。
彼の本名は、ジェ・スン・リー まことに言いずらい、だから拙者が勝手にそう呼んでいる
だけである。  ジャクソンと初めてあったのは学校の教室である、彼は拙者よりも前から
そこの生徒であるにもかかわらず、あまり顔をださぬゆえ周囲の生徒とも打ち解けぬばかりか
かって気ままに見え、第一印象はかなり悪う御座った。その後彼自信を知る事になり、拙者は
彼を理解出来たつもりではあるが、最初は理解に苦しんだ。
ひょんなことから、ある日ジャクソンを交えてスケートなる遊びに出掛けたのである。
拙者は、一人歩き出来るほどの腕前えはあったが、ジャクソンは初めてのスケートに
戸惑いは隠せぬようす。そこでいじわるな拙者は日本古来のあそび、鬼ごっこなるものを
提案し申した。もちろんずっとジャクソンが鬼である。かなり熱くなっておるジャクソンをおちょくるのは
恐悦至極成り!それはそれは、痛快であった。  ではあるが、拙者以上にジャクソンは興奮
していたのである。ついに疲労も限界に達したジャクソンは、足がいう事を聞かず、
おでこからまっすぐに氷にむかって転倒したのである。次の瞬間真っ赤な血が本当に
飛び散ったのである!うそではない!慌てた拙者はジャクソンの額を抑えるが、拙者の両手から
血が吹き出ているかの如く沸いて出るようであった。やっとのことで人を呼びジャクソンの肩を抱き、
担架に乗せようとしたとき、ジャクソンが拙者の肩に捕まり何かを言い残そうとしているのである。
耳を近づけ、聞くと 「 Your turn! (おまえがオニだ!) 」と、そうジャクソンは、
鬼ごっこをつづけていたのである。拙者!男を見た・・・・・。その日以来、ジャクソンとは
かなり親しくなったのは言うまでもない。

第三話 「カナダのバスって・・・」の巻

そんなこんなで一〜二月ほどが過ぎた頃、拙者も少しは慣れてき申した。
が、しかし あのバスとやらはどうも苦手じゃった。ある気温マイナス10度程の
し〜んと冷える帰路のことであった、地下鉄から乗り換えてバスに乗り
家路に着くというのが日課である拙者は、いつもと同じく身も凍てつく寒さじゃ!
バスの中でほっこりとしており申した。いつもはすぐには発車などせぬのに
その日にかぎって上機嫌の運転手は、すばやく駅を後にした。そして二十〜三十分ほど走り
ある停留所で事件は起こったのである。ある一人の老女が下車しようとしているのに
運転手が気づかずバスを出してしまったのである。幸いにも他の乗客が大声で叫び!
事は無くてすんだ、が・・・・・。その後が拙者には理解出来無かったのである。
運転手は落胆し、「 家へ返る 」と言い出し乗客に「 降りてくれ 」と伝えた。
乗客は誰も困った様子は無く、無いどころか一人づつ運転手に声を掛け励まし
その老女までが「 気にすることないわ チュッ! 」
などと全員(もちろん拙者も・・・)バスから降りた。その後拙者は今 自分がどこに居るのかも
わからないまま、さまよい、行き先もわからないバスに乗り継ぎ深夜遅くに帰宅した。
バスの直帰って聞いた事が無い。バスにまつわる珍事は多い・・・・・、
今思い出してみても話しきれぬ、また機会があれば話したいと思う。

第二話 「ペペロー二・・・」の巻

そう、今でも忘れないひとつの屈辱である。
まだ慣れない冬のカナダ、なんとか学校へもバス・電車を乗り継ぎ
まともに通えるようになった ある昼下がりのことである。
拙者!前々からピッツァなるものを一度食べてみたいと
思っておった。道ゆく者が、それは美味そうに通り過ぎてゆくのじゃ!
そこで意を決して店の中へ、目に付いたのが一番安い
ペペロー二という代物じゃ!おしながきのような写真を指指し
「ぺ ペペロー二・・・」 すると、それはそれは激しい赤ら顔の伊太利亜人
(イタリア人)店員が、「ノーッ!ペパロ〜二ィ」とツバキの跳ぶ勢いで舌を
巻くのである。拙者、思わずひるんだ・・が、すぐ気を取り直し「ペペァロ〜二ィ!」
店員「ノ〜ッ・・・ペパロ〜二ィ」  このやり取りがしばらく続き、お互い疲れた。
「もういいだろう!解っているならそれをよこせ!」といいたいところだが、
そんな英語は知らん。結局その日は、売ってくれなかった。
明日、出直す事にした。帰りのバスの中でも猛特訓した・・・。
翌日、再戦である。みごとそれを手にしたのであるが、
その後、違う物を注文しても店中の店員に笑顔で「ペパロ〜二ィ?」
と尋ねられるようになってしまった。

第一話 者は日本人・・・!?の巻

はずむ気持ちを抑えながら、拙者 飛行機に乗り申した。
単独の海外は はじめてではないものの・・・。
なにぶんお恥ずかしながら、全く英語なるものが話せないゆえ拙者
JALで行くことにし申した。これなら日本語で心配ご無用!と
勝手に安堵しておると、なにやら騒がしい・・・?
食事であった。見ると前より順に配膳しておる模様。
やはり日本人客がほとんど、日本語である。いよいよ安心である
と、拙者の列である・・・が、そのまえに隣の中国人らしき家族である
ところが、!   そう拙者が先だったのである。しかも
英語ではないか!「約束がちがう」と叫びたいのをこらえ「すみませんわかりません」
と日本語で返すとその日本人添乗員(スッチー)は「ビーフorチキン?」と
ゆっくり繰り返す。おまけに隣りの中国人までが「ユーノービーフ?」などと・・・
数分つづいて疑いは晴れた。どうやら拙者日本人には見えぬらしい  トホホ
つづく