草の竪琴 -2002年2月18日(月)
春休みです。
午前中は物件探し。僕が見つけてくる物件はどれもこれも家族に不評なんだけど(いわく「何も考えてない」)・・・4月までには何とかしなければいけまへん。
●Huysmans『En Rade』
牛の出産に付き合わされて、自らの経済的な不安も抱えたまま、神経をすり減らせたジャックが、中庭に夜が降りてくるのを見る場面が良い。じわじわと顔を出す無意識。夜が足元から登ってくる場面での、言葉の流れには思わず惹き込まれる。
●トルーマン・カポーティ『草の竪琴』
彼の記憶は円を描く。それは今に続く記憶ではない。記憶は円環状に自ら閉じ、完璧な姿を残して来た過去の中に保っている。シャボン玉の中を覗くと世界がある。それを頬杖ついて眺めている少年がいる。シャボン玉を見つめている少年もまたシャボン玉の中にいる。そんな何か秘密の宝物を掌中で見ているような、愛すべき本である。
幻想の彼方へ -2002年2月16日(土)
きのうはピアノサークルの友人に連れられて、大学の近所にあるピアノが弾けるバーに行く。5時から9時頃まで、紅茶一杯でねばる学生どもを大目に見ていただいて(その上、帰るときなぜか「また来てね」とプレゼントまでもらった)、ありがたいというかごめんなさいというか。
僕も最初は聴くだけのつもりだったんだけど、雰囲気に流されて久しぶりにピアノを弾きました。MY FAVORITE THINGS。あいかわらず右手がヘボイですが、それなりに気持ちがよかったです。リハビリも真面目にしませう、とやや反省。
その後カラオケに行って、歌というよりもモノマネ大会が繰り広げられる。みんな何かしらネタをもってるというのがすごい(しかもちょっと似てる)。ぱぱぱだぴょ〜ん。
ぐったりと疲れて、ユキオさんのバイト先にて早朝までクダ巻のパターン。一緒に行った友達と異様なペースで飲む。朝、まぶたの中にまで酒が入り込んでいるような感触で下宿に帰ったら、夢幻氏が粕汁を作ってて、軽くトドメを刺して夕方まで寝る。
●澁澤龍彦『幻想の彼方へ』
この本には個人的な思い出がある。子供の頃、ロンドンのレズビアン関連の書籍専門店へ姉についていったことがあって、僕はわけもわからず店内をうろついていて、その時、魅せられた絵葉書を一枚買った。全体的に暗く、クリーム色がかった陰鬱な背景に、黒いフロックコートと黒い帽子、ステッキを握った青白い顔の女性の肖像画である。男装の麗人という甘やかな雰囲気よりも、ストイックな厳しい表情をしたその肖像画に僕はとても惹かれた。何かいけないことでもしているような気持ちでその絵葉書を買って、今でもその肖像は僕の机の上に飾られている。
その肖像画が、ロメーン・ブルックスの自画像であることを知ったのが、この澁澤龍彦の『幻想の彼方へ』という絵画論集だった。もちろんロメーン・ブルックスという名前は絵葉書にも書いてあるのだが、何も知らない者にとってはそれはただの名前という記号にすぎない。そして彼の本で僕は再び、ロメーン・ブルックスに出会った。
いま再読してみると、今でも自分の好きな作家や画家のいかに多くを澁澤さんの本から教えてもらったことか、としみじみ感慨深かったです。
澁澤龍彦氏は心惹かれる絵画たちを「自らの気質を映し出す鏡」とし、そこに映し出された自分自身を客観視する。このような姿勢は中野孝次氏の『ヒエロニムス・ボス「悦楽の園」を追われて』のような本にも通じるところがあるように思う。
美少年的大狂言 -2002年2月14日(木)
試験期間が終わったら、どっか行こう・・・・・・・・・・
学校が終わってから、ユキオさんと鞍馬山に登る。なぜか。
次の読書会は鞍馬山を推薦しようかと思ったけど・・・暖かくなってからにしませうね。
●魔夜峰央『美少年的大狂言』
なにがすごいって『パタリロ』でも魔夜峰央の世界では、男同士であることが「ノーマル」な恋愛の姿という大前提があるってことですね。超硬派で右翼の高校生・城太郎のところへ、歌舞伎の女形の卵・桜丸が押しかけ同居するという設定で(魔夜峰央の描く男ってちっとも男には見えないんですが)、その二人はともかくとして、この漫画は脇役がおもろいです。絶対作者も「実は13代目風魔の小太郎」というすごい設定の新聞部長のことが気に入ってしまったに違いなくて、途中から明らかに主人公が新聞部長に代わっているという。僕もこの幻術つかいの新聞部長大好きです。文庫版の最後は、新聞部長が主人公の番外編が入ってて、実はこれが一番おもろかった。見た目がすっかりタマネギ部隊みたいだから、てっきり眼鏡を取ったら実は美少年なんていう設定だと思っていたんですが、結局眼鏡は取りませんでした。なーんだ(笑)。続編が出ないかと期待してます。
●魔夜峰央『妖怪缶詰』1巻・2巻
1巻は和もの、2巻は洋モノの魔夜ワールドです。『吸血のデアボリカ』『怪奇生花店』なんて待ってましたという感じで(笑)おもしろいんだけど、独特の笑いとおタンビーな世界のバランスが取れてて良かったのは『怪奇スペースハンド』でした。
今日も『パタリロ』を立ち読みしてたんですが、パタリロの中でも僕は魔王アスタロテが出てくるパタリロ番外編が大好きでして、コマの隅々にまで描かれるオブジェの不気味さといい、子供の頃舐めるように読んだ覚えがあります(笑)。(関係ないけど、あの番外編を読んで僕は「ボーイ・ジョージって顔が大きいんだな」と子供心に認識した。余談です)。
チリの地震 -2002年2月13日(水)
ふいに『パタリロ』が読みたくなって古本屋にてひたすら立ち読み。とうぶん続きを読みに通うかもしれません。購入したのは同じく魔夜峰央の『妖怪缶詰』1巻・2巻『美少年的大狂言』。
そして三原順『はみだしっ子』1巻。今半分ぐらいまで読んでますが、まだ4人の少年の過去が語られようとしてるところです。じわじわとおもしろくなってます。
●ハインリヒ・フォン・クライスト『チリの地震』
クライストの短編集。収録作品は小説が『チリの地震』『聖ドミンゴ島の婚約』『ロカルノの女乞食』『拾い子』『聖ツェツィーリエあるいは音楽の魔力』『決闘』と、『話をしながらだんだんに考えを仕上げてゆくこと』『マリオネット芝居について』のエッセイが入っている。訳は種村季弘氏で、巻末に解説がついています。
どの短編も中世の荒々しい激しさで、文章がぐつぐつと揺さぶられるかのようだ。復讐にせよ信仰にせよ、それらはいずれも度を越して過剰で激しい。カタルシスは唐突にやってきて、日常的な風景を引き裂いてしまう。天がまっぷたつに割れるように。
『聖ツェツィーリエあるいは音楽の魔力』という短編は、4人の兄弟が突然ファナティックに聖歌を歌いだすという怖い物語だが、魅せられた世界に旅立ってしまう者たちを見る残された側の恐怖という点で、ラブクラフトの書く小説の怖さと似ているように思った。怖いけれどどこか哀しく、「あちら側」への果てしない郷愁を誘う。
興味深いのが『マリオネット芝居について』というエッセイで、彼によると人形の魅力というのは反重力的であることだ。重さにしばられた人間の舞踏よりも、彼は明らかに人形の軽やかさを支持する。
「人形たちが大地を必要とするのは、風の精のようにそれをかすめ、一瞬制動をかけてあらたに各肢部の生気をよみがえらせるだけのためにすぎません。私たちのほうはしかし大地に憩い、舞踏の緊張から回復するために大地を必要としています。それは、明らかにそれ自体は舞踏ではなく、可能なかぎりすみやかにそれを消去しなければその先がはじまらないモメントです」
僕自身プラハでマリオネット芝居を見たが、クライストの言うようにマリオネットの操作には重心があり、のこりの肢部は「すべて死物も同然、純然たる振り子であって、たんなる重力の法則に従う」のである。彼はこの振り子運動の無意識こそが、優美であるとする。もし彼が、日本の文楽人形を見たら何と言っただろうか。文楽人形はマリオネットとは逆に、下から支えるタイプのもので、同じく「反重力」を魅力としながらも、重心は次々と移っていく。
だがクライストの次のような言葉は、動く人形の優美さを考えるヒントになるかもしれない。
「このように認識がいわば無限のなかを通過してしまうと、またしても優美が立ちあらわれてきかねないのです」
ねむり姫 -2002年2月12日(火)
風邪をこじらせて寝てたのだけど、連休中にトランスパーティーに行って更にこじれ、今ようやく浮き上がって来たようなところです。
10日のトランスイベントはフランスの大きなトランスレーベルが揃い踏みでやって来るというもので、以前AOAのライブに一緒に行ったボア好き留学生のP氏がとってくれたチケットで行ったんだけど・・・僕は熱&音楽の効果でまったくもって何が何やら、気持ちがいいくらいさっぱり覚えてません。床ばっかり見てた気がします。
●澁澤龍彦『ねむり姫』
短編集。収録作品は『ねむり姫』『狐媚記』『ぼろんじ』『夢ちがえ』『画美人』『きらら姫』の六編。いずれも日本の中世の都を舞台にした物語。
澁澤龍彦の小説は、いわゆる「小説」らしからぬ次元が僕にとっては魅力的で、彼のエッセイのように「作者」の存在が唐突にフィクションの中に顔を出す。例えば『ぼろんじ』のラストには、まるで後書きのようになぜ小説の題名に「ぼろんじ」という言葉を選んだかとか、参考文献をあげて解説を始める。登場するのは作者だけではなく読者も引っ張り出され、『ねむり姫』の最後ではあらかじめ設定した読者の質問に作者が答えている。舞台は後白川天皇の時代だろうと、人物は横文字の言葉をしゃべるのだ。この突き放した感覚がいい。
物語世界に唐突に穿たれた別の次元。そこは不思議に風通しがいい。彼が実験的な態度として、そういう手法をとっていたのかどうか、僕にはよくわからないけれど、急に登場する横文字もいたって無邪気な使われ方をしているように見える一方で、おそらくはそうした無邪気さも彼によって周到に用意された、次元の裂け目に漂うための快楽装置ではないかとも思える。
vision creation new sun -2002年2月6日(水)
N毛嬢と内藤裕敬作・演出『大胸騒ぎ』を見に行く。N毛嬢の「絶対おもろいって!」というお墨付きで行った12月頃彼の『青木さん家の奥さん』という総アドリブの芝居(?お笑い?)はすごかった〜。笑いの世界というのは、つくづくシビアでございます。彼らの芝居の打ち上げの席で、あまりの辛さに血を吐いた人がいるとかいないとか。
今回のは笑おうと思って行ったのに、全然シリアスな話で戸惑ってしまった。『青木さん』でかなりインパクト強かった松本キックが、いつおもろいこと言うんだろうかと待っていたら、最後まで笑かすことはなく、素で「ちょっとええ役」をやってた。『AKIRA』の病院にいた超能力少年みたいな役。
その後ボアダムスの『vision creation new sun』を聴きかつ飲む会(?)
初期の頃(ソウル・ディスチャージとかチョコレートあたり)の、鈍器で体中を殴られるような快感が好きなんだけど、この『vision〜』あたりのボアって他のユニットでいろいろ活動してる要素がうまく吸収されてておもしろい。身体が細胞単位に分解されて、どんどん上昇していく感覚。
曲名がすべて○とか☆とかなので説明しにくいんですが、1、2、4あたりかなり好きです。
天人唐草 -2002年2月4日(月)
●山岸涼子『わたしの人形は良い人形』『天人唐草』
コワッ!!(笑)山岸涼子の怖い話を集めた短編集です。『わたしの〜』はまぁ、古い日本人形の恐怖という、ありそうなパターンだったんですが、一番怖かったのは、『汐の声』でしたね。あのページを見開いたときのオソロシサといったら。部屋でひとりで読んでて、あんまり怖くなってきたので、同居人の部屋に持ち込んで、かえって僕が不気味がられる始末。
しかし、なんといっても彼女の絵が好きです。
僕は『日出処の天子』で彼女の漫画のファンになったのですが、彼女の漫画に登場する人物の目と、そして手足が好きです。腰の線とか。男も女も、伏し目がちにしてこちらをチラリと見る様子なんて、どこかそれを見る人の心を狂わせるような、それこそ『ハーピー』に登場する「宿命の女」的な魅力がありますね。男にしても同じで、男は女に近づき、女は男に近づくように描かれる、ヘルマフロディトスたちの魅力。まるで栄養失調な細くて長い手足も、肉のほとんどつかない腰の線も、彼らを男でも女でもない不思議な生物に変えてしまう。
全体的にトーンをあまり使わない白っぽい画面といい、彼女の世界はどこか、強い風でも吹けば、紙でできたパノラマセットが吹き飛ばされるように、一瞬にして消え去ってしまうかのような儚いところがあります。あの震えるようなペンの細さが魅力的です。これがもし、岡野玲子の『妖魅変生夜話』みたいに野太い毛筆で描かれてたら・・・・・・どうなってるんだろうか(笑)。
夜の樹 -2002年2月2日(土)
頭が痛い。
きのうは深夜(朝?)から出かけて、ユキオさんのバイト先にてクダクダくだを巻く。
カウンターの隅の蒼白い光で本を読むのが好きで、だけどチカチカして途中でだんだん眠くなってくる。気がつくとコインロッカーの隅に座り込んでいて、本格的に眠る。誰かが僕の足につまづいてビールをかぶったけど、なんかもうかえってどうでもよくなって、そのまま眠り続ける。
●トルーマン・カポーティ『夜の樹』
短編集。閉ざされた部屋。あるいは限られた時間性。ガラス玉がぷちんとはじけるようなラストの『誕生日の子供たち』や、ブルトンの『ナジャ』のごとく、異なる次元の住人のように主人公が彷徨する『無頭の鷹』がよかった。
閉ざされたものが好きだ
密室 箱 できれば墓
外側から錠をおろされないなら
内側から鍵をかける
鍵穴も どんな小さな隙間さえも
落とさず 目貼りしなければ
胸しめつけられる黴の匂いの中で
二つの膝こぞうを抱いて 蹲り
息をつめて窒息の練習 ときには
セルロイドの黄金仮面をかぶって
灰いろのフィルムの中の灰いろの沙漠の
遥かな地平線と平行になり 目をつぶる
(高橋睦郎『カタログ夢の少年』)
ヴィドック -2002年2月1日(金)
●『ヴィドック』
楽しみにしてた『ヴィドック』みてきました。
舞台は7月革命前夜のパリ。主人公のヴィドックはバルザックやユゴーの小説のモデルになり、世界初の私立探偵としてポーにも影響を与えたとされる。とはいえ主人公は冒頭でいきなり鏡の仮面をつけた怪人に殺されてしまい、彼の伝記作家と称する若者がヴィドックに代わって事件を解決しようとするストーリー。
バロック風の過剰な装飾性、細部への執着、19世紀初頭の汚らしくて同時に美しいパリの描写、特に何回か出てくるパリの俯瞰図は素晴らしい。ただたくさんの要素を詰め込もうとした結果か、それともひたすらに装飾性を追求するゆえなのか、ストーリーそのものや人物設定のおもしろみは少なく(特にあの踊り子の女性は何だったんだろう・・・)、ノックス先生の探偵小説十ヶ条を踏襲してるという感じでした。
ただヴィドックという人物が、たくさんの評伝・風聞、そして自身の回想録という記録によって有名になり、フランスではとても人気のある人物になっていることから考えると、この映画のもうひとりの主人公が、ヴィドックの伝記作家であるというのは示唆的です。
監督のピトフ氏はこの映画を、コスチューム劇でも歴史劇にでもしたかったのではなく、幻想的な絵画的な映画にしたかったと語っている。
ちょっと長いけど、以下に彼のインタヴューを引用します。
「参考になったのは19世紀の画家、ギュスターヴ・モローだね。美術面、視覚面においてモローがこの映画のガイド役になっている。色彩や光のアプローチの方法からいっても19世紀のギーガーといったところだね。モローの絵を分析するうちに絵の中の光と影が一度に見えてきたんだ。彼は背景をとても暗く描いているが、そこには質感の違う様々な素材がまざりあっていて非情に豊かな色合いが見える。だから全体としては暗く見えないんだ。色の点が無数に集まって光っていて、薄暗くて蒼白くぼんやり輝いて見えるけれど、その絵は陰惨であったり物悲しい印象を与えていない」
画面の基調となる色彩は、鈍い黄金色、すべては昼の光にではなく、人工の光に照らされて、ざらざらとした輝きを放つのは、とても美しい。こういう感じの映画としては、ラース・フォン・トリアーの『エレメント・オブ・クライム』を思い出します。
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