読書日記
ごく個人的な
舞台上の歌姫、ラ・スティラに恋をする二人の男。ひとりは伯爵、もうひとりは吸血鬼。伯爵は彼女との結婚にこぎつけ、非常に才能ある歌い手であった彼女に舞台から退くことを決意させる。しかし、一方の吸血鬼。彼はただ彼女の舞台をのみ見守っていた。彼女の舞台があるところ、必ず檻のはまった異様な桟敷に、奇妙なお供を引き連れて姿を現し、不吉な目で彼女を見つめている。この視線がやがて彼女の生命を奪ってしまう。ここに登場する吸血鬼は、直接血を吸うわけじゃない。その点、種村季弘が「吸血鬼幻想」で指摘しているような、オド(Od)の問題ということになるんだろう。精紳を食らうもの。吸血鬼が血を吸うとき、その血は、飲むことのできるオドなのである。吸血鬼に見つめられたものは、魅入られたようにその虜となったり、あるいは次第に憔悴していく。吸血鬼の視線は、彼の牙と同様に十分な武器になりうるのだ。この物語でも、吸血鬼であるゴルツ男爵が初めて人前に姿を現した瞬間には、「両目をかっと光らせて」いる。
歌姫は舞台上で、吸血鬼の視線に射られたかのように血を吐いて死んでしまうのだが、最後の場面、当の吸血鬼は伯爵に向かって「彼女を殺したのはきみだ!・・・テレク伯爵よ、きみにわざわいあれ!」と手紙をしたためるのである。これはなぜか。おそらく吸血鬼は、舞台上の彼女を、繰り返される舞台という時を止めた世界の住人だった彼女をこそ、愛していたのではないだろうか。彼はもしかしたら、彼女を自分と同族だとみなしていたのかもしれない。人間にして、永遠性とのはざまにあるもの。虚構の身を生きること。だから、吸血鬼はけっして舞台以外の場所で、彼女に会おうとはしなかった。彼女は舞台の上でのみ、彼の同族であり、愛すべき対象なのである。しかし、伯爵はそんな彼女を、現実の有限の存在にひきずりおろしてしまった。彼女の止まっていたはずの時計の針を、無理矢理すすめてしまった。ただ、あとはもう、死だけが彼女を永遠の世界に連れ去ることができるのだ。
僕が読んだのは、種村季弘編の吸血鬼アンソロジー「ドラキュラドラキュラ」に収められたもので、ヴェルヌ同名の長編小説からの抜粋である。だが独立したものとして読んでもじゅうぶんにおもしろかった。
2000.10.24.
「未来」という言葉を彼は皮肉をこめて使う。
現代の魔法使いとして描かれるエジソン博士のもとに、かつての彼の恩人である青年貴族エワルド卿が訪れる。彼にはアリシアという恋人がいるのだが、そのヴィーナスとも見まごう完璧な美貌とは裏腹に、彼女の魂はあまりに薄汚く、ブルジョワ的で愚かなものであった。彼女に絶望し自殺を考えていたエワルド卿にエジソン博士はある提案をする。もしあなたが彼女から魂さえ抜き取ってくれたらと思うのならば、私が彼女そっくりの人造人間を造ってさしあげようじゃありませんか、と。
それこそが、理想的な人造人間ハダリーであり、完璧な「未来の」イブなのであった。リラダンは人造人間をエジソンに説明させるにあたって、いったん幻想を否定するかのように見える。僕がおもしろいと思ったのは、この小説の約半分以上もの部分が、人造人間ハダリーがいかにして動き、どのような仕組みで見、聞き、話すかということが、実に詳細にわたって描かれているということだ。もしかしたらここに書かれているとおりに実験を行ってみたら、本当にハダリーを製造することが可能ではないか、という気持ちにすらなる。
だが、この詳細さは彼の周到な逆説である。科学進歩を称えつつ、彼が創り出そうとしているのは、人造人間なのだから。しかし、はたしてこれが呪われた未来だということができるだろうか。リラダンは皮肉を込めて、日蝕の彼方にある、甘美な人工の未来を逆説的に肯定する。エワルド卿は始め、人造人間など本物の人間の前では取るに足らないものにすぎない、と一蹴しようとするが、いざ彼の目の前に現れた「理想の人」ハダリーは、彼に「生きている女の方こそ幻なのだ」と声高に言わしめるのである。
エワルド卿が、人造人間ハダリーをそれと知らず、恋人のアリシアだと思いながら言葉を交わす「日蝕の日の暮方に」はこの小説最高のクライマックスである。もし世界が・・・否定すべき世界が目の前にあるのなら、僕もこの人工の楽園を手にするかもしれない。ハダリーがエワルド卿に告げる以下の言葉は、人工の生命のなんと誇らしげな宣言であろうか。
「<わたくしは誰か>とお尋ねになりましたわね。この下界にあって、わたくしといふ存在は、“少なくともあなたにとっては”あなたの自由意志次第なのでございます。わたくしに存在を授けてくださいまし、わたくしは存在しているのだと確信してくださいまし」
・・・もしかして僕はこの本を読んで、熱に浮かされたようにひどく興奮しているのかもしれない。このような形での解決策など、ないにこしたことはないのだろうとも思う。だけど、それでは理想はどうなるのか?陵辱された「理想」はけっして容赦しないのだから。
2000.10.16
現代に生きる不老不死の吸血鬼。輪廻転生を繰り返し、いつも巡り合ってはお互いを殺す運命にある男女。
夏ぐらいにこの漫画を見つけたのだが、どうしても1巻がないということで注文していたら、在庫もなかったらしく他の書店から取り寄せてもらい、今ごろになってようやく1巻を読むことができた。永遠の生命を生きる吸血鬼である主人公の東条蓮は偶然の事故から、かつての死に別れた恋人にそっくりの少女、環奈に自らの血を与えることによって、彼女も吸血鬼体質にしてしまう。彼女は心ならずも吸血鬼になってしまうのだが、彼もまた自らが吸血鬼になったときは、自分も予期していなかった方法で吸血鬼化してしまっているのだった。彼らの友人であり同じく吸血鬼体質のマリアとルイのカップルは、永遠に一緒にいられるなんて素晴らしいことだ、と実にあっけらかんと永遠の生命を肯定する。彼らは最終的にも蓮と環奈の傍観者でしかありえない。この漫画の基底にあるのは、永遠への呪詛と憧憬であり、この二律背反こそが甘美であり、両極に引き裂かれる感情はエロティックなものすら生み出すのである。輪廻転生をテーマにしたこの物語に、作者が主人公を吸血鬼という設定にしたのも肯ける。
彼女の漫画には、短編作品でもよく見られるけれど、今あるこの世界の更に外側に、何か別の僕たちでは測り知ることもできないような世界が広がっていて、そこの住人たち(多くの場合は子供)が僕たちの運命を作りあるいは無造作に壊し、あるいは美しい失敗作を大事にしまっている。このシーンがでてくる最終話は僕が気に入っている章のひとつ。線が細くて潔癖な印象の絵は非常に美しく、お勧めしたいところなのだが、店頭では品薄のようなので、見つけたら即買ってください(笑)。
2000.10.11.
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