読書日記
ごく個人的な
軽やかなエロティシズム。アンチモラルではなく、ノンモラル。ここではあらゆる性倒錯、例えば同性愛や獣姦やフェティシズムその他諸々が描かれるのだが、そこには暗さや罪の意識といったものが軽やかに欠如しており、むしろ伸びやかな明るささえ感じられる。例えば『肉体と死と悪魔』でマリオ・プラーツは次のように述べている。
「ビアズリーが描こうとしたものは、サロメにおいても悲劇ではなく、『ウェヌスとタンホイザーの物語』(『美神の館』というのは澁澤龍彦がつけた題名で、もとは『ウェヌスとタンホイザーの物語』あるいは『丘の麓で』)においては退廃ですらない。悲劇、退廃とは別のもの、装飾性であり美であるところの皮肉、エレガンスそういったものである」。
エレガンスという言葉はまさにこの小説にぴったりくる感じだ。ビアズリーが影響を受けたという18世紀フランスの人工世界、例えばポープがもっていたようなエレガンス。それはモラルを軽やかに越えた美である。ビアズリーの絵は純粋なる装飾芸術だとする意見に僕も賛成で、(彼とともに雑誌「サヴォイ」を創刊したアーサー・シモンズもそういったことを言ってるけど)、彼のこの小説もまさに装飾的な小説なのである。ビアズリーが挿し絵を描いているワイルドの『サロメ』なんかは、この小説と比べてみれば全く重く、思わせぶりにすぎるんじゃないかと思えてくるほどで、ここではエロティシズムはひたすらに優雅さとして表され、不道徳という概念など、なにかしかめつらしい、取るに足りない、そんなものは扇の先で投げ捨ててしまえるような、そんな洗練さの極みがある。小説の中に何点かビアズリー自身の挿し絵が入っているが、これらの絵に限らず、彼の絵は小説と同様、非常に洗練されていると同時に、奔放、放埓ですらある。一連のエロティックな絵など特にそういう感じを受ける。
内容にも触れておくと、これは中世のタンホイザー伝説をビアズリーが翻案したもので、伝説そのものはワグナーの歌劇なんかになっているから、わりと有名である。騎士タンホイザーは山中深くにあるウェヌスの館でありとあらゆる快楽の虜となり、やがて悔悛するのだが、法王に認められず、再びウェヌスの元へと戻る。しかしその直後、法王の杖にはそれがもしはえてきたなら彼を許そうと言っていた、若葉が芽生えててメデタシメデタシという話なのだが、ビアズレーの小説では、タンホイザーがひたすら快楽にひたっているところで終わっている。つまり未完なのだが、そもそもこの小説をビアズリーが終わらせようとしていたのかという疑問が残るかもしれない。澁澤龍彦が後書きで「ポルノトピア」という概念で、とてもおもしろいことを書いているので、ぜひそちらも見てほしいのだが、要はポルノトピア、エロティックな楽園を描く物語に終わりはないということ。結局、ビアズリーの健康状態がどうであれ、この物語は永遠に終わらなかったのではないだろうか。主人公であるタンホイザーも元は「大修道院長オーブリー」と呼ばれていたり、ウェヌスもヘレンという名前だったり、推敲そのものを楽しんでいるようなところがあって、自らのポルノトピアを反芻するように、何度も味わいながら遊んでいるような印象を受ける。ちなみにビアズリーは絵を描くときにも、何度も下絵の上から推敲を重ねて、えんぴつの線を何度も消したり書いたりしていたので、オリジナルの絵を見るとうっすらとえんぴつの線が残っていて、こんなところからも彼の小説や絵画に対する一種の楽しみ方というのがわかるかもしれない。
2000.11.05.
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