2001.04.30. テオフィル・ゴーティエ『ポンペイの幻』(教養文庫)
ゴーティエ自身がエグゾティックなものには二つの種類があると言っている。空間と時間によるエグゾティズム。そして、彼によるとより洗練されてずば抜けた退廃趣味は、時間を通してのエグゾティックなものへの好みだという。
主人公は「星の世界に恋を求めるような」非現実的な青年。彼は芸術上の偉大な女性に恋をしたり、ミロのヴィーナスを愛したりする。現実の女性は厭わしく、時間と実人生を抜け出して恋をしたい、と切実に願っているのだ。
彼は友人とポンペイの街へ観光に訪れ、眠れない夜、ヴェスヴィオ火山が噴火する以前の古代都市へとタイムスリップしてしまう。それも昼間に彼が、見事な形の乳房の跡だけを残して、火山灰に埋もれてしまった古代の少女に恋をし、彼女に会いたいと熱望したからだった。
古代の都市で、青年は乳房の型を残した少女と出会い、恋におちるのだが、それはキリスト教的な愛ではなく、彼が望むのはまさに異教的な愛。ふたりの恋を邪魔するのは、『死女の恋』と同様に、またしてもキリスト教徒の男である。男は彼に「ありのままの姿を見れば、おぞましい」ということを教えこもうとする。つまり、男を自らの死人の夢とも言うべき世界に引きずり込もうとする女・・・という「現実」を直視させようとするところで、彼は現代に引き戻され、豪奢な家も消え、廃虚になっている。後半部分は『死女の恋』と似た構成になっているが、主人公が実際に古代の街へ行ってしまったり、夢との2重生活という複雑さがないぶん、『ポンペイの幻』のほうがいくぶん無邪気な感じのする小説である。
2001.04.29. テオフィル・ゴーティエ『変化』(教養文庫)
絶世の美女である伯爵夫人にかなわぬ恋をした青年貴族が、インド妖術を身につけた怪しい医者の助力を得て、彼女の夫と身体だけを入れ替えるという話。
肉体交換というのは、変身願望の一形態としておそらくゴーティエ自身の中にもあっただろうし、おもしろいテーマではあるのだが、倒錯というには至らない。
思うに倒錯とは単なる肉の放蕩にあらず、涜聖という要素がなければその存在理由すら失うのではなかろうか。とすると、神なき現代には、倒錯ですら存在しなくなるかもしれない。あるのはただ、やるせない生ぬるさであるのか。
と、話がそれてしまったが、ゴーティエの小説に出てくる登場人物たちには、そうした涜聖を内に秘めた人物はかえって少なく、その絢爛豪華なエグゾティズムや死んだ女との恋などといった題材にもかかわらず、彼が描き出さんとしているのは、驚くほどのびやかでまっすぐな「愛」なのである。『変化』に登場する人物たちも、みなそうした愛に身を捧げる者らであり、残酷な排他性を持って、世俗から切り離されて浮遊しているのだ。
2001.04.22. ダン・シモンズ『ハイペリオンの没落』(早川書房)
前作『ハイペリオン』はチョーサーの『カンタベリ物語』のごとく、7人の巡礼がそれぞれの視点で自らの物語を語るという、いわばミクロな視点から語られたものであったが、今回は全体像を俯瞰するマクロの視点から描かれたものであり、そのマクロたる視点とは機械のつくりだしたサイブリットという復元人格が見ている夢なのである。複雑な入れ子細工の構成は『没落』においても健在である。そのうえに、くだんの復元人格なるものが、19世紀のロマン派詩人のジョン・キーツであるからには、ますます興味深い。そして今作は、前作で提示された謎が、さらなる広がりをもって展開する怒涛の解決編である。
キーツの詩をもとにした新旧の神々の交代、人間の意識から進化したという神と、機械のつくりだした究極知性との戦い・・・と、SFの醍醐味である世界そのものを創り出そうとする野心にみちた物語であり、前作で個々の視点から描かれていた謎は、より大きな視点を持ってそれぞれのピースがはめこまれていき、ところどころに文学的なパロディーや、土地の名前がネヴァーモアだったりとくすぐってくるようなおもしろさもあって、単純にエンターテイメントとしてもおもしろい。
個人的には、機械が創り出した地球の完璧なレプリカというのが気に入っていた。はるか昔に滅んでしまったという地球。機械のみる夢。キーツ人格のサイブリッドは、19世紀に生きていたキーツと同じように、自らの死に場所を求めて、ローマ、ただしレプリカのローマへと赴く。そこには人工世界に相応しく、誰も住人がいない精密な静寂の世界。で、いったいその場所は何だったのか、というのは思いっきりネタバレになるためここには書かないのだが・・・・・・僕はキーツのこれらの詩に関して、ポオやボルヘスにもつながる意図を持った作品だと思っていただけに、いざ「解答」のようなものが出てしまうと興ざめしなくもない・・・のだが、それはあくまでも好みの問題か。ただ、異界を描きださんとする情熱たらんやすさまじく、今まであまりSFを読んでこなかっただけに、少し前に読んだバラードと共に新鮮な魅力のある本だった。(ちなみに、ここに登場する「時間の墓標」とはバラードの小説からの引用だとのこと)
2001.04.20. A・ピエール・ド・マンディアルグ『ビアズレーの墓地』(白水Uブックス)
イメージの魔術師というに相応しい。
彼の小説は実に視覚的で、あるいは触覚、嗅覚、聴覚に訴えかけてくる、とても感覚的な読み物である。題名のビアズレーの墓地というのに惹かれて最初は読みはじめたのだが、内容的にはビアズレーと全く関係ないとしか思えない。前半と後半部分に分けられ、前半は主に黒人のテノール歌手について描かれる。舞台が終わったあとファンから逃れるために、オセロの衣装のままミシシッピ川につけた小舟で川を下る「荘厳なる船出」の場面や、そのテノール歌手がまさに王のごとく君臨する男だけのダンスホールにて、朝まで踊り狂う彼ら「お伽の国の黒い花々」たちが荒れ狂う場面などは、文字を読むことによって得られる鮮やかなイメージの楽しさを十分に味わえる。
そして後半がまた抱腹絶倒というか、緩慢な推移、中庸なるものを厭うプチ・コロンブなる貴婦人を主人公は訪ねるのだが、彼女のサロンはまさに極端から極端へと苛烈に煌きながら移動するかのような、奇妙奇天烈な世界。水晶の列柱が鏡によって永遠に増幅され、やがてそれは光のなかへ煌きとともに消えていく。蝸牛型の階段、蝦蛄貝の扉、いわくそれは軟体動物様式。噴水で作られた柱。大きな女たちと小さな男たちが囲むテーブルに出される食事は、なんと髪の毛のスープである!次々と奇想天外なものが給仕され、次第に屋敷の中は収拾のつかない大乱闘の場と化すのだが、主人公は命からがらその場を逃れるという・・・・・・
ストーリーはまさに抱腹絶倒。だがさらにおもしろいのは、空想上の感触である。その明るさが、グロテスクでもある世界。軽やかに飛翔する想像力。
2001.03.25. ダン・シモンズ『ハイペリオン』(ハヤカワ文庫)
時は未来、連邦<ウェブ>はいくつもの惑星を転位ゲートで支配する一大勢力であったが、時を逆行しつづけているという謎の遺跡<時間の墓標>を抱える辺境の一惑星ハイペリオンが、唯一の予測不可能の存在であった。連邦の危機に際し、<時間の墓標>に跋扈するいっさいの物理法則を無視する怪物シュライクとあいまみえるために、それぞれの思惑を抱えた7人の巡礼が、ハイペリオンの謎を解くべく最後の巡礼へと旅立つ。
この物語は全体で4部作になっており、この後『ハイペリオンの没落』『エンディミオン』『エンディミオンの覚醒』と続いていく。『ハイペリオン』はいわば、物語の謎の提示部分を構成しており、この4つをすべて読まないことには、全ての謎が解決しないそうだが、物語中の詩人の言葉を借りるなら、「アンチクライマックスこそ、ものごとの基本的なありよう」ともいえるのだろうが。
つまり、『ハイペリオン』はこの物語のみにおいては、“未完”であり、深読みするならば、その未完であるがゆえに完結している・・・・・・これは、ハイペリオンの物語の基底を流れているのが、ジョン・キーツの詩であるのと関係している。
シリーズの題名はすべて、キーツの同名の詩からとられていて、宇宙の存亡がキーツの復元人格、そしてキーツの詩の完成というところに関わっているらしい(まだ『没落』を読んでいないので推測に過ぎないけれども)。
ということで、謎の解決そのものは『没落』にもちこされてしまうのだが、『ハイペリオン』だけでも独立した面白さがあって、僕みたいなSFオンチにとっては慣れない用語でつまりつつも、扱っているテーマの魅力で読ませてくれる、非常に良質のエンターテイメントである。
物語の構成もおもしろくて、大きな枠物語の中に入れ子細工のように、7人の巡礼――神父、戦士、詩人、学者、探偵、領事たちの物語が挿入される。このそれぞれが日記体や、一人称三人称、またはペーパーバック風の軽い文体になったり、とバラエティに富んでいておもしろい。戦闘シュミレーションの中にのみ現れる架空の恋人や、怪物によって生み出された詩想か、あるいは詩想が怪物を生み出したのか、そして「神を創り出す」ということ・・・これらの興味深いテーマが、テンポの速いストーリー展開で繰り広げられるとなれば、あらゆるSF賞の総なめもむべなるかな。おそらく誰が読んでも、それなりに自分にとっての興味ある分野を引き出せる作品であると思うし、だからこそ名作の名に値するのでしょう。
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