THE WAY TO VAMPIRE
朝、今日は市場の方に行ってみようとユースを出る。
地図を見ていると、大学を通り抜けた方が早そうなので、工科大学へ行ってみると、ものすごい偶然にも出勤途中のマリアさんと出会った。彼女はここの大学の図書館に勤めている。出会ったとたん、彼女はすごい早口のマジャール語でなにやら話はじめる。どうやら時折混ざる英語と表情から察するに昨夜いなくなってしまったことを気にしているらしい。昨夜はアニャたちと楽しく過ごしたことを告げて、料理のお礼もあらためて言う。マリアさんが「今日はどこへ行くの」と言うので、ここはひとつマジャール語を使ってみようと思い、「市場(vasar)」と言うつもりが、なにをとち狂ったか、「日曜日(vasarnap)」と言ってしまう。あ、まずいと思ったがすでに遅く、マリアさんの顔がにわかに曇る。
「日曜日?図書館に行きたいの?図書館は日曜日は休みだけれども、今日は月曜日よ。大丈夫?」とマジャール語混ざりの英語でまくしたてられる。彼女は僕がマジャール語をほとんど理解してないということもおかまいなく高度な文法を早口にしゃべるので、ただ呆然とするしかないのだが、思い出したように英語を織り交ぜてくれるのでどうにか理解可能。
まぁ・・・確かに、どこへ行くのと聞かれて、いきなり「日曜日」はないよな。苦笑しつつ「また後ほど」とかなり適当なごまかし方でその場を立ち去る。
で、彼女と別れてから、そう言えばマリアさん、今日から仕事だったんだと気がつく。きのうまで長い休暇だって言ってたから。今日は9月4日月曜日で、大学の入学式ではなかろうか。そう思って見てみれば、周りにはスーツ姿が目立っている。入学式ということは、彼らは大体18歳か19歳で・・・僕と同じか一歳上になるのだけど、とてもじゃないけどそんなふうには見えません。向こうもそうは思ってないだろうけど。
トカイ・アスー
さて、僕のユースからもさして遠くない中央市場は、自由橋を渡ったすぐ側にある。日本の市場というと商店街のような道沿いに店が並んでいる印象があるけれども、ハンガリーの中央市場は、市場そのものがひとつの建物の中にすっぽりと収まっている。百貨店の食品売り場がもっとひろくなったような感じだ。表から見る限りでは、ここが市場になっていようとは思えないくらいの重厚なつくりの建物。そしてこの建物は19世紀に建てられたものだが、屋根にはジョルナイの華麗な装飾がほどこされている。
実に華麗なこの建物だが、中に入ってみるとすごいことになっている。ここは観光客も来るけれども、普通の市民の人たちの市場にもなっているので、朝からすごい雑踏なのだが(夕方早々に閉まってしまうからだろうけど)、売っているものがすごい。野菜、肉、果物、ワイン、と何でも揃っているが、皮を剥がれた豚がそのまま天井からぶら下がっていたり、でかいナマズがぴくついていたりで、よくもまぁここで食事のことを考えながら買い物ができるものだなぁと感心する。ハンガリー料理には、脳味噌のから揚げなるものがあるらしく、絶対食べたくはないが見てみたいと思って探したけど、脳味噌を売ってる店は見当たらなかった。
僕が市場に行った最大の目当ては、ジョルナイの屋根もあったのだけど、トカイワインを買うこと。トカイはハンガリーの名産ワインで、貴腐ワインというカビによって変質したブドウを使って作ったワインのことらしい。以前アーダムさんにご馳走になったのがトカイ・アスーで、これがものすごく美味しい。トカイワインの中でもトカイ・アスーは、ふつうのブドウと貴腐ブドウを混ぜて作ったもので、ものすごく甘くて黄金色がとても美しいワイン。古くはマリア・テレジアやピョートル大帝も愛飲していたそうで、今でもローマ法王庁やイギリス王室御用達だそうな。甘さは6段階まであって数字が増えていくほどに甘さも濃くなっていく。僕がアーダムさんと飲んだのは3のラベルがついていたので、今度は更に甘いものを飲んでみようということで。極度に悪食の僕には、口に入れるもので唯一興味を持てるのが、お酒とお菓子だけなのです。ワインショップで、3と6のラベルのついたトカイ・アスーを購入。どうやら甘さが上がるのと同時に、値段もあがっていくようだ。4を過ぎると小さいボトルでは売っていない。まぁ、どんどん飲めということだな、と勝手に解釈。
レストラン・グンデル
ワインの他にはパプリカを少しと、夜食べる用に洋ナシを買って、市場を出る。ブダペスト市内の本屋をめぐり(本がめちゃめちゃ安い!大判のバーナード・ジョーンズの画集が1000円ちょっとで買えてしまう・・・・・のでついつい買ってしまうんだよな)、昼食はカタシ先生と待ち合わせているので、トラムに乗ったり降りたりしながら市民公園へと向かう。僕はブダペスト到着してすぐに一週間の乗車パスを買ったのだが、これは買っても買わなくても関係なかったかもしれない。日本のように改札というものがないハンガリーでは、ずいぶん検札が厳しいってガイドブックには書いてあったけど、結局滞在中一度もチケットを検札されず。カタシ先生も2ヵ月の滞在中3度のみという。これじゃタダ乗りしてもわかんないよなぁ。ガイドブックが大袈裟なのか、僕らが幸運なだけなのかわかんないけど。まぁ、非常に甘い考えのノンキ旅行者であることは間違いありません。
それはともかく。
今日の昼食は豪勢に、ハンガリー最高級レストランという噂の「グンデル」にていただくということで、カタシ先生はかんなりの上機嫌である。悪夢の偏食家である僕は、これなら食べられるとわかっていさえすれば、いっそマクドだろうとなんでもかまやしないのだが、ファーストフードを今生の敵とみなしているカタシ先生とまさかマクドに行くわけにもいかないし、ニコニコと彼の後をついていく。
ちなみにここグンデルは、ハンガリーの有名なデザートにグンデル・パラチンタというクレープにチョコレートをかけたものがあるのだけど、これを作ったのがかのレストランの創始者グンデルさんらしい。レストランはヴァイダフニャド城を中心にした広大な市民公園の中にある。ここには例のチェスができるセーチェニ温泉や動物園、現代美術館があり、のどかで日差しも明るい一画である。色とりどりの花が咲き誇るテラスで、ゆっくり2時間ほどかけて食事。ハンガリーにかぎらず、たぶんヨーロッパではそうなのかもしれないが、ランチをしっかりと食べて夜はそれほど食べない。というか、お昼にこんなにたくさん食べたら、当分食べ物は見たくなくなりそう。ランチはバイキング形式になっていて、シャンパンが美味しくて酒を飲んでは甘いものを食べるという、それは昼食なんだかおやつなんだか飲み屋なんだかわからない状態だったが、バウハウス、モホイ=ナジの話などをしつつ居心地よく過ごす。ちなみに最高級と言われているこのレストランでランチを食べても、日本円にして600円ぐらい。
トランシルヴァニアの黒い屋根
午後からはというか、もう夕方近くなっていたのだが、市民公園をブラブラと散策してから、広大な池に臨むヴァイダフニャド城へ。この城は様々な建築様式が入り交じった複雑な折衷建築になっている。建築の狂宴。そこには20以上の建築様式があるという。目につくだけでもバロック様式のファサード、ゴシック様式のバルコニー、ロマネスクの中庭・・・とむしろキッチュな趣すらただよっている。とりわけ僕が見たかったのが、はね橋の前にある中世の尖塔。前にも書いたがルネサンス盛期のマーチャーシュ王はトランシルヴァニア出身であり、フネドアラ(現在のルーマニア領)にある彼の父親の城(同じくヴァイダフニャド城という)を縮小して模倣したものである。黒い、魔法使いの帽子めいた屋根の四隅に、小さな白い尖塔がついている(ブダペストの方には小さい尖塔はついていない)。カタシ先生は、モデルになったトランシルヴァニアの城館の方も見てきたそうだ。予定にはいれてなかったことだけど、僕もトランシルヴァニアに行こうかな。陰鬱な黒い屋根を見ていると、だんだんその気になってきてしまった。で、カタシ先生をトランシルヴァニア行きに誘ってみるが、当分あの方面は行きたくないと苦い顔。なんでやねん。事情を聞いてると、どうやらかの地であまりヨイ目におあいになっていないらしい。うーん。だけど、そう言われればますます行きたくなるのは人情というもので(笑)、カタシ先生がダメならひとりで行くか・・・あるいはフェレンツさんを誘ってみることにしよう。
と、新しい旅行のプランをたてながら、ヴァイダフニャド城にはいる。ハンガリーの田舎の貴族の館風で、とても官能的なバロック様式の建物は、農業博物館である。別に期待もせずに入ったのだが、この中が意外とおもしろかった。なんというかシュールなのだ。社会主義時代の匂いを残したまま、いかにも労働万歳といったふうに、働く人々の人形が飾られているのだが、この人形ども、どう見てもゾンビ、死霊のたぐいにしか見えないぐらい不気味なのだ。色浅黒く、小さな白目をひんむいて、歯茎を見せた口元、両手をダラリと前に上げてこちらを恨めしそうに見下ろす姿は、今まさに墓場から舞い戻ってきた死者そのものである。おざなりに農業用具などが周りにおいてあるが、ここが農業博物館だと聞いていなければ、太陽の光があるうちはストップモーションのように固まってしまい、夜になれば動き出す屍たちの住処であるかのようだ。それがまた、キラキラと輝くシャンデリアの下、ステンドグラスの光をうけながら佇んでいるのだから、これはもうシュールとしか言いようがない。2階へ上がっていくと、ここは動物の剥製コーナーで、これまたシュールな世界。ハハハ・・・と気だるく笑いながらも、けっこう楽しかった。
おまけ
この日は体調もあまりすぐれないので、早めに切り上げてユースへ帰ることに。夕食をどこかで食べるか買いに行くかしないと、店が閉まってしまうのでどうにかしないといけなかったのだが、昼あんなに食べたことだしどうでもいいやと思っていたら、カタシ先生も今日は僕の部屋で食べるという。なんもないですよ、と言うと、なんと彼のカバンから出てきたのは大量のパン!!いやー・・・いったいいつのまにグンデルのパンが彼のカバンに(笑)。近所の何でも屋(?)みたいなところでハムとジュースを購入してから、ひとまず夜の酒宴(飲んでばっか)。イスの上にグンデルのパンをひろげて、なんとも昼夜落差の激しい食事をする。食べてるものは同じなんだけどねぇ。真夜中過ぎ、カタシ先生をお見送りしてから、ユースの周りを徘徊。夜の匂いはやはり甘い。
上の写真で写っているパンがこんなところに
(つづく)
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