はじめに
私が初めてオーストラリアに行き、民族のバラエティー豊かな人たちと町ですれ違った時、「ここは一体、どこの国なのだろうか。」と一瞬考え込んでしまった。思えば、私にとってのオーストラリアは小学校・中学校・高校を通して、ただ、‘白豪主義だった国’というイメージであった。白豪主義がなくなったと知っていても、これほどまでに多民族国家だとは想像もしていなかった。そして、調べていくうちに、オーストラリアは、元を正せば、移民で始まり、移民とともに歴史を重ねてきた国であるということ、そして、今日の多民族国家に至るまでにはさまざまな紆余曲折があったということを知った。
オーストラリアに対するイメージが180度変わった今、オーストラリアの移民受け入れの歴史とそれを通して発展していった政策と試みを検証することで、オーストラリアがなぜ、そしていかに変わったのかを明らかにすることが本論文の目的である。
第1章では、オーストラリアにおける移民の受容史を概観する。オーストラリアの歴史をたどると、移民とオーストラリアの社会背景は密接に絡み合っていたことが分かる。今日、「移民国家」と呼ばれるそのスタート地点は、イギリス人がオーストラリアに初めて組織的に入植した1788年以来の流動的な移民の流れ、そして移民の出身・民族構成の推移に求めることができる。よって、オーストラリアの社会・経済等のあらゆる状況と、移民の流れを連関させて考察しながらも、時代ごとの民族や移民の構成の変遷を明らかにし、今日の多民族国家を形成する礎となったオーストラリアの姿を浮き彫りにする。
第2章では、オーストラリアが1972年、白豪主義を撤廃し、多民族国家としての道を歩むために明確にした指針としての多文化主義をとりあげる。オーストラリアが白豪主義を撤廃し、多文化主義という指針を打ち出すに至った経緯を、移民政策の変遷から解明する。白豪主義以降の移民政策を主要な時代ごとに検証していくことでオーストラリアが移民に対して寛容になっていった過程を探ることができよう。また、教育面での多文化主義は最も力を注がれた事業であり、移民に対する英語教育の整備が多民族国家の維持のためには重要とされた。オーストラリアでは、1970年以降、移民の受け入れを推進することと並行して、公的な英語教育プログラムの整備・充実を図ってきたという事実がある。政府による移民サポートという視点の表れである。第3章では、公的な移民成人教育の必要性と、政府が特に力を入れている成人移民英語教育プログラム(AMEP)への取り組みについて論じる。