第3章 成人移民への公的英語教育

 

(1)移民に対する英語教育の必要性

 オーストラリアは多文化主義を掲げているため、実質的にはオーストラリア国内で移民に英語の使用を強制的には迫ってはいない。すべての者がそれぞれの民族性や言語を維持しながらもオーストラリア市民として認められていることになっているからである。しかし、現実は、移民に英語を習得させることに政府は莫大な公的資金を投じている。

 英語を話せない移民の中には、オーストラリア社会に適応するのが遅れたり、また、雇用の面においては、不利益を被る例もある。ごく最近の移民でさえ、英語によるコミュニケーション力がないばかりに、技術はあっても実務に就くのを断念せざるを得ない状況にある。やむなく彼らは何も技術を持たない他の移民労働者同様に、どんな内容の仕事であろうと、当面の生活のために、とりあえず従事する場合が少なくない。非英語圏出身の移民で、熟練度の低い、低賃金の職種に閉じ込められている者の数は、他の集団に比べるときわめて比率が高い1)。

 1963年から1973年までの10年間にオーストラリアに入国した移民の調査にあたった結果、英語圏出身の人々が持つ海外での資格の60%は、オーストラリア国内でも承認されているにも関わらず、中東、ギリシャ、ユーゴスラビアなどの出身者が持つ資格のうち、オーストラリアで認められていたものはわずかに40%にすぎなかった2)。つまり、出身国で磨いた技術をいくら持っていても、それをオーストラリアで生かすには英語が必須なのである。流暢に英語を話せるかどうかが移民の成功への大きな鍵を握っているのだ。

 民族の多様性に寛容であり、多言語主義=英語以外の言語も許容する社会を提示しながらも、その一方で、異なる民族を一つの国でうまくまとめあげ、コミュニケーションの問題や労働環境・条件における不利益を是正するためにはやはり、英語は共通語として失うべきではない3)という矛盾に陥らざるを得ない。そこに移民大国・多民族国家の難しさがある。

 多文化主義というオーストラリアとしての姿勢は、多民族を一つの国でまとめあげる面では大きな貢献をしてきた。しかし、多言語も認めるといってもやはり、移民は英語を話せなければ、オーストラリアで恵まれた生活を実現することは難しい。オーストラリアが移民に対しての英語教育の整備に積極的に乗り出し、その実施に多額の補助金を投入してきた背景には、このような現実的な認識からである。

  (2)移民への英語教育の現状

 移民に対する公的な英語教育政策は、オーストラリア連邦政府と州政府の共同管理的権限とされ、双方が協力・連携して進めていくことが表明されている4)。

 移民英語を最前線で取り扱っているのが、成人移民教育サービスAMESAdult Multicultural Education Services)(註1)であり、各州に窓口を置き、政府が調整した計画や基金の範囲で実施している。しかし、州ごとでの公的成人英語教育には差異があり5)、その理由は、州ごとの民族構成の違いに求めることができる。たとえば、ニューサウスウエールズ州のシドニーやヴィクトリア州のメルボルンには非常に多種多様の民族が生活し、町では、様々な言語が飛び交っていることが想起されるが、そのことは、これら二つの州が、非英語系国の出身者数と州人口に占める割合で、ともに高い値を示している〔表1〕からも分かる。また、非英語系国の出身者の絶対数は、ニューサウスウエールズ州がビクトリア州より多いのに対して、州の全人口に占める割合では、ビクトリア州の方がニューサウスウエールズ州を上回っている。このように州人口に占める非英語系の移民数が最も多いビクトリア州は、1987年にオーストラリア連邦がはじめて言語政策を策定する以前の1980年代前半から、多様なビクトリア州の民族状況に考慮し、独自で言語教育政策を展開していた熱心な州である6)。

表1【州別】非英語系の国出身者数と州人口に占める割合

非英語系国出身数(人)

州人口に対する割合(%)

ニューサウスウエールズ州

855,573

14.9

ビクトリア州

707,931

16.7

南オーストラリア州

150,364

10.7

クイーンズランド州

208,812

7.0

西オーストラリア州

188,902

11.9

北部準州

16,338

9.3

タスマニア州

39,152

4.0

参考:Bureau of Immigration and Population Research, 1994.

Birthplace and Related Date from the 1991 Census-Expended Community Profiles.

 同じような視点で見ていくと、非英語系の国出身者数は全州で3番目であるクイーンズランド州は、非英語系国出身者数が、北部準州よりも圧倒的に多いにも関わらず、州人口との割合では、北部準州の方が高い。また、州別の主な英語以外の使用言語についての〔表2〕を見ても、先の〔表1〕で分かった結果とほぼ同じことが言うことができる。クイーンズランド州、北部準州、タスマニア州では、州人口の1%以上の人に第1言語として話されている英語以外の言語の種類は少なく、他の州との比較においては民族性はそれほど豊かとは言えない。事実、西オーストラリア州、タスマニア州、北部準州はで州独自の英語教育への取り組みが始まったのは1987年以降であり、英語教育促進の動機づけは弱い。 

表2 【州別】第一言語としての英語以外の言語を使用している者の数と割合7)

州/直轄区

 英語以外の言語使用者

第一言語として話されている英語以外の言語(州/直轄区人口の1%以上を占めるもの)

使用者数(人)

州/直轄区総人口に占める割合(%)      

ニューサウスウェールズ州

732,000 17.1

アラビア語 ドイツ語 ギリシャ語 イタリア語 ユーゴスラビア語

ヴィクトリア州

678,000 22.1

中国語 オランダ語 ドイツ語 ギリシャ語 イタリア語 マルタ語 ポーランド語 ユーゴスラビア語

南オーストラリア州

174,000 16.7

オランダ語 イタリア語 ドイツ語 ギリシャ語 ポーランド語 ユーゴスラビア語

クイーンズランド州

167,000 9.3

オランダ語 イタリア語 ドイツ語

西オーストラリア州

119,000 14.0

オランダ語 イタリア語 ユーゴスラビア語

北部準州

28,000 27.7

アボリジニーの言語 中国語 ギリシャ語

タスマニア州

13,000 4.1

注)1983年、15歳以上の者を対象としたデータである。

出典)State Board of Education and Ministerial Advisory Committee on Multicultural and Migrant Education, 1984. The Place of Languages Other Than English in Victorian Schools. P.5.

 多民族国家である以上、一つの国でありながら、各州の英語教育政策の実施状況も多様であって当然なのだ。そして、各州での移民の民族性の種類によって、英語教育に対する姿勢の温度差は変わってくる。各州は、その州の民族構成やその規模に沿って、オリジナリティーをもって、移民英語教育に生かしているのである。

 (3)成人移民に対する英語教育の意義

 政府が取り組んできた様々な公的英語教育プログラムの中でも、オーストラリアが最も力を入れて取り組んできたものが成人移民に対する英語教育であり、現在でも最も比重をかけている分野である8)。

 オーストラリアが成人移民への英語教育に熱心であることの意義は、大きく分けて2点が考えられる。第1点は、オーストラリアへの入国者の年齢層別分類から見えてくる。〔グラフ1〕を参照すると、1970年から1981年の間にオーストラリアにやって来た移民数は一貫して、25歳から44歳までの移民数が他の年齢層と比較すると多数である。その上、全体の入移民数に対する25歳以上の合計の割合は、1970年から1981年までを平均すると、約46.7%であり、移民のほぼ半数を占めていることになる。よって、移民の主流は成人であるのだ。25歳以上というと、年齢的には、教育というものからしばらく遠ざかっており、別な言語を新たに学ぶことには様々な障害や困難が伴う年齢層である。これら多数派を占める成人移民のためには、充実した英語教育制度とその実施が望まれていたわけである。 

グラフ1 オーストラリアの年齢別移民数(人)9)

 

(出典:Australian Bureau of Statistics(ABS), Oversea Arrival and Departures, Australia 1959-87

 第2点目に、成人への英語教育は、移民とオーストラリア双方の将来につながるのだという現実的な認識である。オーストラリアが歴史的に、労働力確保の大前提に立ち10)、移民を貴重な労働力とみなしてオーストラリア経済への貢献を期待している以上、移民労働者に仕事を全うしてもらうために英語力は絶対不可欠である。

 とりわけ、英語力の欠如は、学習の定着度や労働の効率を妨げ、最終的には社会参加と、将来のキャリア、経済的安定にとっての障害となる11)。また、最近の推計によると、英語力の欠如のため職場でかかる余分なコミュニケーションの時間によって、オーストラリアが被る損失は毎年32億ドルにのぼる12)という。英語を母国語としない移民がオーストラリアの職場で被る不利益のみならず、オーストラリア産業・経済全体にとっての非効率的な要素は政府が是正し、生産性の向上を図る必要がある。

 以上の主に2点から、オーストラリア産業・経済発展の担い手と期待される成人移民に重点的に提供される英語教育の必要性の高さは明らかであり、極めて理にかなっていると言える。

 

 (4)成人移民英語教育プログラムAMEP 

  (4)−1 AMEPの成立

 成人移民英語教育の中で中心的に機能しているものが、先のAMESによって管理・運営されているAMEPAdult Migrant English Program)である。AMEPは、オーストラリアに移住した人や難民の中で、英語を母国語とせず、実用的な英語能力がないと認められた成人の移民(18才以上)を対象としたほぼ無償の英語教育サービスであり、日常生活に必要な基礎的英語能力をつけることが最大の目標である(参照:巻末資料E)。

 1947年に導入されたAMEPは、いくつかの見直しがなされながら今日に至っている。例えば、AMEPはその設立初期には、計画・実施ともに連邦政府によって行なわれていたが、現在はオーストラリア連邦政府の機関である移民・地方自治および民族問題省(Department of Immigration, Local Government and Ethnic Affairs)が出資・計画し、連邦を構成する8つの州と地域によって実施される13)。現在では、英語を学ぶ必要のある移民の75パーセントがこのプログラムを受講するに至っている14)。

 このAMEPは、連邦政府によって確保された予算が、各州・地域の教育省を通じて大学その他の教育機関(参照:巻末資料F)に配分されており、各州・地域によって実際に担当する教育機関など実施の形態は異なる。しかし、このプログラムではAMEPのために発展し、全国的に信任を得ている、”Certificates in Spoken and Written English というカリキュラムに沿って授業が行なわれ15)、また、読むこと・書くこと・話すこと・聞くことの能力向上が、移民・難民にとって、オーストラリアでの自立した新生活につながると位置付けている点では、このプログラムの大義名分は、各州のAMEP全てで共通している。

  (4)−2 AMEPの具体的サービス

 AMEPのプログラム実施にあたっての学習形態は、下記のように数種類ある16)。

    ●教室内学習

    ●職場内教室

    ●ホームチューター制度(AMEP Home Tutor Scheme

    ●遠隔教育プログラム(AMEP Distance Education Program

    ●個人学習    

 最も普及しているのは、大学を初めとする高等教育機関(註2)や、各地のAMEPセンター内の教室で行なわれる授業である。

 職場内教室は、教師が仕事のために、教室になかなか来る時間を作れない移民労働者の職場に赴くものである。

 ホームチューター制度は1974年当時の移民大臣、アル・グラスビー(Al Grassby)によって提唱されたものであり、1974422日にオーストラリア移民局から公表され、今日、ホームチューター制度は、AMEPが最も力を入れて取り組んでいるものの一つである。 通常、週一回、教師が受講者の自宅を訪れ、2時間の英語学習を提供する。また、受講者にとって、最良の学習方法を話し合い、柔軟的な対応で英語教育を提供する。そして、言語的のみならず、オーストラリアでの生活全般に対する理解と認識を深めるためにアドバイスも与える17)。教師となる者は全てボランティアであり、実際にチューター活動を行なう前に所属する地区のAMEPコーディネーターによる研修を受ける。

 遠隔教育プログラムは、距離的に教室に通えない人はもちろんのこと、家庭や仕事、病気等の事情がある移民に配慮したプログラムである。受講者はプリント、ビデオ等の視聴覚教材、教師直通の1800番ホットライン、手紙、ファックスそしてEメールを駆使し、教師と生徒の相互連絡を緊密に図っている。

 AMEPによる複数の授業形態の提供は、移民・難民としてやって来る受講生には、能力様々な事情が存在するということに配慮したものである。ここにも、それぞれの民族性を尊重するオーストラリアの多文化主義の姿勢の一端がある。

 また、AMEPは、より多くの移民に公的英語教育サービスの存在が認識され、平等に恩恵が受けられることを目的に、幅広く活動を行なっている。中には、この英語教育プログラムが無償で受けられることを知らないでオーストラリアにやって来る移民・難民もいる。

言葉による不利益を減らし、平等に教育の機会を受けられるよう、オーストラリアに既に移住している人にも、今後移住を希望する人たちにも、幅広くこのプログラムが認知され、利用率の向上を目指している18)。このプログラムのガイドラインなどの情報をホームページ上(参照:巻末資料G)で18カ国語に自動翻訳され、表示できるようになっている。

 

 (4)−3 AMEPの展望

 AMEPの英語教育サービスは、あくまでも個々人の能力や状況に合わせたものであるが、たとえば、Tait (1991)AMEPの受講生に行なった1990年のアンケートでは、90%の生徒が「会話が上達した」と回答し、60%が「読み書きが上達した」と答えたとしている19)。このデータは、受講生の多くがAMEPの受講によって上達を認識していることを示すものであり、ゆえにAMEPは移民の英語習得において成果が見られると評価できる。

 また、AMEPは市民レベルでの多文化主義や多民族国家への認識を促進する側面を持っている。AMEPが募るボランティア教師は、英語の読み書きが堪能でありさえすれば人種を問わず、教師個々が持つ独自のアクセントの違いも問題にされない20)。習得される英語の発音等のスタイルはどうであれ、受講者は最低限のコミュニケーションのため、または生活に必要な情報の収集のために英語が必要なのであって、オーストラリア独特の英語を話すことまでは要求されていない。

 ボランティア教師の側も、様々なバックグラウンドの生徒と関わる中で他の民族への理解が深まる。つまり、AMEPは、本来は‘英語’という言語を、受講者である移民・難民に学習してもらうためのプログラムではあるが、結果としては、他のオーストラリア市民の多民族との交流の絶好の機会にもなっている。そしてオーストラリアが多民族によって成り立っていることを再確認し、他に対して、より寛容になる社会になることにも貢献する。     

 AMEPが英語をオーストラリアの単一言語保持の目的の下ではなく、移民のよりよい生活の一手段としての英語教育プログラムと位置付けているのは、正に、オーストラリアが目指す、多様性を尊重しながら共存を図る多文化主義に沿うものであり、それ故に、この英語プログラムは、今後もオーストラリアの多民族主義社会を支える重要なプログラムであり続けるであろう。

 

1) 総理府内閣官房多文化問題局「多文化国家オーストラリアのための全国計画」木鐸社 1979年 pp.232.

2) ジェフリー・シェリントン著 加茂恵津子訳「オーストラリアの移民」勁草書房 1985 pp.208.

3) 浅岡高子「オーストラリアの多文化・多言語主義政策」日本評論社 2000年 pp.173.

4) 中西直和 「オーストラリア移民文化論―「異文化」と「普遍主義」の節合―」松籟社 1999年 p.104.

5) Ibid., p.134-135.

6)神鳥直子 「多民族に対応する言語教育政策―オーストラリア社会をモデルとして―」『多文化教育の国際比較』玉川大学出版部 2000 pp.272.

7) Ibid., pp.276.

8) 中西直和 「オーストラリア移民文化論―「異文化」と「普遍主義」の節合―」松籟社 1999 p.94,104.

9) 人口問題審議会・厚生省人口問題研究所編「国際人口移動の実態 ■日本の場合・世界の場合■」

 東洋経済新報社 1993 p.173.

10) 中西直和 「オーストラリア移民文化論―「異文化」と「普遍主義」の節合―」松籟社 1999 p.88.

11) ジェフリー・シェリントン著 加茂恵津子訳「オーストラリアの移民」勁草書房 1985 p.216.

12) 総理府内閣官房多文化問題局「多文化国家オーストラリアのための全国計画」木鐸社 1979年 

pp.236.

13) 中西直和 「オーストラリア移民文化論―「異文化」と「普遍主義」の節合―」松籟社 1999年 p.104.

14) 上村圭介「オーストラリアの成人移民英語教育プログラム」http://www.glocom.ac.jp/users/kmmr/amep.html

15)AMEP http://203.111.74.13/language/amep.htm

16)Yeronga Institute of TAFE

http://www.yeronga.tafe.net/MAIN/faculties/business/english.htm

17)Department of Immigration and Multicultural Affairs, Home Tutor Scheme

18)(AMEPパンフレット)

19) AMEP(Adult Migrant English Program)  http://www.immi.gov.au/amep

20) 上村圭介「オーストラリアの成人移民英語教育プログラム」http://www.glocom.ac.jp/users/kmmr/amep.html

21) Volunteer Tutors  http://203.111.74.13/language/tutors.htm

 

(註1

成人移民教育サービスAMESAdult Multicultural Education Services

 非英語圏の移民に社会教育サービスを提供する政府機関のことで、特にその活動の中心は移民が英語の習得するための援助である。この機関は各州に置かれている。

(註2)オーストラリアにおける高等教育機関

 9年間の義務教育を終えた後に進むことができる教育機関。大学や、資格取得を主眼とした教育を提供するTAFE(テイフ)と呼ばれる教育機関がそれに含まれる。詳しいオーストラリアの教育システムは(巻末資料E)を参照されたい。