10時「理緒」




「あと、20分」
理緒はさっきからずっと電話の前から離れなかった。
狭いワンルームなのだから、どこにいてもすぐに電話はとれるのだが、殺風景な部屋の中で唯一家具と言っていいコタツの上に子機を置き、その隣には2ショットの写真を並べて、待っていた。

「あと、10分」
壁にかけてある時計に目をやった理緒は、突然鳴り出した呼出音に飛び上がった。
(まだ早いけど、もしかして?!)
「もしもし」
理緒の耳にカン高い母の声が聞こえてきた。
「理緒ちゃん!元気?こっちは寒いわよお」
(まずい、こんな時間におしゃべり好きなハハオヤからかかってくるとは)
理緒は内心舌打ちしながらも、嫁いだ理緒の姉が子供も作らず猫ばかり増やして困るとか、相変わらず父の帰りが遅いとかいう話に相づちを打っていた。
が、時計の針が10時になろうという時、とうとうしびれをきらした。
「お母さん!大変たいへん!明日提出しなきゃいけないレポートがあるのを忘れてたわっ。今、今すぐやらなきゃ。じゃ、じゃあねっ!おやすみ」
ひと息に言うと返事もきかずに電話を切った。
「はあ……ギリギリセーフ」
安堵のため息をもらし、壁の時計の秒針を見つめる。あと30秒……20秒……
10秒、9、8、7、6、5、4、3、2、1、
「10時ジャスト!」
理緒は電話の子機を見つめていた。

5分が過ぎた。
「遅いぞおお」
10分過ぎた。
「おーい」
もしかしたら自分がかける番だったかもと理緒はカレンダーを確認してみた。
「やっぱり先週の日曜日は私がかけたから今日は雄二だよねえ……」
理緒が親元を離れ、大学に入学してすぐに付き合い始めた雄二は、転勤で2年前から遠く離れたS県にいる。普通に付き合って2年、遠距離で2年。最初の頃は寂しくて毎日電話していたが、今では週に一度、日曜日の夜10時だけになった。
筆不精の雄二はメールのやりとりなど面倒で出来ないと断言していたので、理緒も無理強いはせず、電話で声を聞くのを楽しみにしていた。
時間に間に合わない時は事前に連絡を1本入れるのは暗黙の了解。だが、今日、その連絡はなかった。
30分が過ぎたところで、理緒は彼の携帯電話にかけることにした。約束違反だが先に約束を破ったのは向こうの方だから仕方ないだろう。
rrrrr……何回か呼出音がなってから、雄二が出た。
「はい、坂井です」
「雄二?私。理緒」
「……あ!悪い、また電話するから。今、車なんだ。じゃ」
ツーツーツー……
理緒は受話器を耳に当てたまま、しばらく動けなかった。
(雄二は電話の事を忘れていたみたいだった。それに、バックで流れてたのは、彼がデートの時にいつもかけてたラブバラード……)
「まさか……誰かとデート……?」

11時40分。理緒はすっかり泣き疲れてコタツで眠ってしまっていた。また電話すると言った雄二からはまだ何も連絡がない。
理緒は夢を見ていた。車で、どこかを走っている。運転しているのは雄二……だ。
だが、助手席にいるのは、自分ではない。長い髪をふわふわと肩にたらしている、おんなのひと。
雄二はそのひとに、とも理緒に、ともとれるような話し方をしている。
「なんか側にいるとホッとするっていうか、ぽっかり空いた穴を埋めてくれそうで」
(それって、そのひとのこと?雄二、そのひとのこと、好きなの?)
すると、「おんなのひと」は言った。
「どうして穴は空いちゃったのかしら」
「どうして、って、それは……遠く離れてて……」
「きっと、その穴は、あたしが埋めたつもりでもどこか合わなくて、隙間が残るわ。そしてその隙間はいつか大きな穴になる。あたしの心の中みたいに」
雄二は眼鏡に手をやりながら、答えを探している。
「だから穴の原因に会いに来た。会いたくてたまらなくなった。時間なんて忘れてた」
(雄二の温かい手が私の髪を撫でている……気持ちいい夢だな)
「来る途中、ずっといつものCDかけてきたんだ。そしたら、理緒と行った海とか、桜が葉っぱだけになっちゃった花見とか、まだ紅葉してないもみじ狩りとか、すっげーキレイだったクリスマスツリーとか、そんな時すぐ泣く理緒の顔が浮かんできてさ、なんか、分かったんだ」
(夢にしてはよくできてる……な)
「大学卒業したら、ここでバイトしながらオレのこと待つって言ってたけど、ダメだ。一緒に住もう。どこに転勤しても連れていく」
理緒はいつの間にか合鍵で部屋に入ってきた雄二が、自分の髪を撫でながら、とても嬉しい言葉を言ってくれた夢を見ているような気がして、それが目を開けた時に本当に夢だったらと思うと恐くて、ずっと、目を閉じていた。
確かな彼の温かさを、すぐ隣に感じながら。






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