1.東京〜伏木、伏木〜ウラジオストク

7/22 出発の日(\120使用)

 自宅から池袋へ。池袋からハイウェイバスにて富山駅へ。ほぼ時間通りの23:05にバスは池袋を出発。途中3回休憩するとのことだったが、寝ていたため、2回分しか記憶がない。翌23日5:50に、富山駅前着。昼頃には船の出る伏木港に行き出さねばならないが、それまでの時間のつぶし方には困っている。とりあえず、円→ドルへの両替と、海外旅行傷害保険の加入(結構深刻)の二つ、することがあるだけだ。ただ一つはっきりしていることがある・・・眠い!!

7/23 日本出国日、アントニーナ・ネジダノワ号1日目(\18,430)

 驚いた。ロシアに旅行するものなどほとんどいないと思っていたのに、同じようにシベリア鉄道でウラジオストク(以下、ウラジオ)からヨーロッパの方まで行くという人が、10人以上も同じ船に乗り合った。やはり同じ人間、考えることは一緒だということだろうか?
 今日は、午前中は富山で時間がたっぷりとれたので、待合室で眠りつつ、上のやること二つを済ませた。駅構内に旅行会社(なんていう会社だっけ?)のカウンターがあり、まずそこで保険に加入。東京海上の海外旅行傷害保険で、34日間、\17,450かかった。次に外貨両替、富山の街を歩き、富山銀行を見つけたので、そこで約\100,000をドルに替えようと思いたつ。ロシアでは円の力が弱いと聞いていたため、ドルが良いだろうということにしたわけだ。向こうの人が計算してくれ、800$(1$=\120.15で、\96,120)を、100$札から1$札までまんべんなく入手。昼近くなり、日本最後となる食事を、富山駅内の定食屋でとる。\980のネギトロ丼☆。向こうに行ったら、ご飯が恋しくなるんだろうなあ。12:34の電車で、富山から高岡まで。55gの大きなバックパックを背負った無謀な少年に、幾種類かの視線が突き刺さった。高岡で、伏木に行く氷見線に乗り換えなければならないが、次の列車が来るのが2:00近く。とてもこんなのでは間に合わん!ということで、急遽バスを使うことに。伏木港近くまで行く車内に、同じくロシア行きの船アントニーナ・ネジダノワ号に乗る人が3人乗車。一人は男性、残り二人は女性だ。共に向かうも、いきなり乗船しろと言われたため、家に電話する暇も、何か入り用なものを買う暇もあらず。カテゴリー3の、一番船底部の部屋に荷物を置きに行くと、四人部屋で上下に二段のベッド。上の二つは壁にかけられていて、下の一つのベッドには、誰かのバックパックが。既に乗船していたのだろうか。ホールで出国の手続き。パスポート・ビザ・乗船券を見せただけで終わり。夕方17:00。1時間遅れて、船は出航。船内の時計は、1時間進んでいる。ウラジオとの時差+2時間を考慮して、少しずつ変えていくのだろう。甲板で、陸地が少しずつ離れていくのを見、日本人たちと少しお話を。これから三日間、海の旅を一緒に過ごす日本人は、16人!!皆、年上かつ旅の達人のような人ばかりだが、僕は唯一ロシア語が若干(文字通り)できるという能力を生かすつもりだ。アナウンスは、ロシア語と日本語(カタコト)が流れ、後者が僕ら用らしい。出航後、レストランでおやつが出た。むっちゃくっちゃあっまーいケーキ。紅茶が出たので助かった。夕食は洋風料理。味はそこそこ。船員さんたちが、ホールでカラオケをやっている。案の定、ほとんど知らないロシアの歌ばかりだったが、一番最初に歌っていた「カチューシャ」は、加藤登紀子の歌で聞いたことがあった。しかし、夜寝る直前になっても、能登半島が見えている。これで本当に着くのだろうか?
 夜中、小さな船は異様に揺れた。

7/24 アントニーナ・ネジダノワ号2日目(0)

 二日目ももう、日記を書いている現在では、夜。船旅もあと数時間で終わりだ。今日また時計が一時間進められた。これでウラジオと同時間帯だ。すこし船のことを書いておこう。定員80数名のアントニーナ・ネジダノワ号は、写真で見るより遙かに小さい。これで日本海の荒波を乗り越えられるのだろうかと思ったが、何とか動いているようだ。すごく揺れるが・・・。しかし、その甲板には隙間のないほど日本車(ナンバープレートは外されている)が乗っている。これはもしや・・・!乗船の時、案内書を見ると手荷物のチェックをされるとあったが、全くない。いいのか?そうそう。一人、乗れなかった人がいるらしい。伏木ではなく、間違えて新潟港に行ってしまった(そもそも、普通は新潟出航で、二週間に一本の今日だけ伏木発だとも聞く)とか。この時点で一人脱落とは・・・!出航が1時間遅れたのもそれが原因か?ともあれ思ったよりは悪い船ではなかった。部屋によっては、クローゼットの鍵がかからなかったり(それで揺れたために夜はバタンバタンバタンバタン。椅子で固定するが、その椅子も倒れる始末)、電気がつかなかったりはしたが、ベッドもしっかりしていて(毛布もある)、お湯、シャワーもちゃんと出た。四人部屋に二人だったので、なかなか快適に過ごせた。料理(三食+ティータイム)は、質・量共に「大」だった。ナプキンを膝に乗せることや、ナイフ・フォークを外側から使うこと位しかマナーを知らない僕らは、初め若干緊張気味だったが、とりあえずまともな食事が出る今の段階で元気を蓄えておこう。
 知り合った人たちは皆、ウラジオに一泊してすぐにイルクーツクに行くらしい。そしてそこからモスクワに行ったり、ヨーロッパのあちこちに飛んだり、大陸を南回り(インドとかを通る)で半年くらいかけて戻る人もいるとか。とんでもない人たちだ。ウラジオで3泊する僕はそこで皆と別れる。寂しい気もするし、気が楽だとも感じる。もしかしたらモスクワあたりで会うかも知れないが。この後、メールアドレスの交換をする予定。ルームメイトは、鳥取の医学生(4年生、医大は6年制)山田さん。かなり船酔いしていた。何かと話題の早稲田大学の人が二人いた。一人は社学の9年生(!!休・留学のため)。もう一人は政経の4年生で、大魔神(横浜の佐々木)に似ている。名前は、田中さんだったかな?バスで会った石川さん。大陸を駆け巡って、来年1月に帰国するという野中さん。横井さん、保科さん、他、名前は聞くのを忘れたが、母娘連れ、美大三人組(男二人女一人)、女性二人組(一人は英語の先生だとか。先生というのは、旅に出るには最も都合の良い職業なのかも知れない)、少し年配の女性、フランス人の女性二人、が、話した人たち。女性も意外に多く、17人中7人が女性だった。
 今日は昼間することがなく、皆寝てばかりいたので、夜は眠れそうにない。サロンで話でもしようと思う。美大の男性二人が、フランス女性二人と共に踊っている。憎めない美大二人だが、彼らを見ているとこちらまで楽しくなってくる。山田さんも参戦したが、疲れが出ていた。二日酔いと船酔いの最強タッグだけは防ごう。


 

2.ウラジオストク、ウラジオストク〜ハバロフスク

7/25 ロシア、及びユーラシア大陸デビューの日(419p)

 朝9:00に朝食(船で最後)。9:30に若干急いで下船(ロシア入国)。揺れに慣れた足はしばらくふらついた。やはりここでも荷物検査などはなく、ほとんど素通り。本当に良いのか?入国審査などで多少時間はかかったが、最初の目的である入国は無事果たせた。港では、トランスファーを頼んでいないにも関わらず、ホテルからガイドの人が来ていて、ホテルまで案内(+少々の市内観光。但し、歩き)してくれた(サービスと言うことで無料!!)。ウラジオストク(以下、ウラジオ)の第一印象は、あまり大きな感動を伴うものではなかった。というのも、建物はなるほど洋風なのだが、行き交う人々に、日本人に似ている東洋系の人が多い。さらに、これが違和感のない最大要因だが、走っている車がほとんど日本車!(軍・警察関係以外の全てと言って良い!)右ハンドルで右側通行は運転しにくくないのだろうか。まあ、それに慣れていれば平気だろうが・・・。ホテルはその名も「ウラジオストク」。たいそうぼろいと聞いていたが、なかなかどうして、思ったよりきれい。入り口も、受付も、結構よく手入れされていた。部屋は、冷蔵庫、TV、ベッド、机、バス(バスタブはない)トイレ・シャワーなど、値段の高さに負けない(確か一泊\11,200。これでもウラジオで一番安い。他にはあまりないという説もあるが)位の満足度。部屋に荷物を置き、二つ着いた鍵をかけ(もの凄く開けにくい)、身軽になってからホテルの両替所で$→p(ルーブル)に替えた。レートは1$=24.05p。日本で聞いていたのとほぼ同じだ。ただ、直接\→$と両替するときは、1p=\17だった(1$=\120とすると、\→$→pでは1p=約\5)。・・・何故?港では1$=30p位だったとも聞く。・・・何故?
 その後、同じ船だった三人(ほとんどがホテルも同じだったが、両替後、先程のガイドさんの帰り道に再び案内をしてもらった・・・もちろんタダ!)とホテルを出、どの店が安い・うまいなどと聞きながら「革命戦士広場」でガイドさん(現地の旅行会社のスタッフだったのかも知れない。我々だけでは必ずトラブルが起こるからと、それを未然に防ぐために派遣された可能性もある)に礼を言い、別れた。広場では、開港○○周年の祭りのようなものをやっていて、軍関係のもの、大砲やら戦車、銃弾、潜水艦や潜水服などに子供が大勢群がっていた。ロシア人を少し観察すると、イメージは一般的な西洋人。男性はほぼ一律に髪が短く、日本で言う長髪の人は全くいない。服装も、若者ですらかなりきちっとしている。女性は、若い人はすらっとしていて美しいが、ある年齢を超えると突然横に広がり出すようだ(笑)。いわゆる、’おばさん’という年代が、具体的に何歳から始まるのか、考えていると面白い。ここで、我々も個人行動をとることになったが、僕は横井さんというひげを生やした(これが後で問題に・・・)人と共に歩いた。中央市場へ向かう予定だったが、足の向くまま進んでいる内に、海岸からまた広場に戻ってきてしまった(途中、何度か石川さん−伏木に行くときに出会った人、山田さん−船でのルームメイト、に会う。・・・あまり広い街ではないのだろう)。そこでコーラ(800ml)一本と軽いクッキーみたいなお菓子一袋を計26pで購入。コーラは8p(=\40)だった。これを物価の指標にしよう。郷土博物館に行く。学生は10p(=\50!)。内容はかなり多岐。絵画や宝石(原石)、戦争(日露など)関係のものまであった。日本でなら、\2、3,000はとってもおかしくないが・・・足が棒に・・・。
 そして、中央郵便局を見て、ウラジオストク駅まで行こうと思ったとき、事件は起きた。横井さんのひげのせい(?)で、警察の人(軍かも)に捕まってしまったのだ。パスポートを出せと言われ、ホテルに預けた(ホテルが、ビザを登録するために宿泊客のパスポートとビザを一時回収するという制度)と言うと、何やら険悪なムード。少し経って、偉い人か誰かが車でやってきて、こちらが国際学生証まで出すと、数分経ってようやく帰(返)してくれた。パスポートのコピーも見せたのだが、これは正式な書類じゃない!とか何とか言われ、効果はなかった。呼び止められただけで良かった。ガイドブックには同じ様な経験譚が載っていたのだが、まさか本当にある・・・いや、自分がそんな目に遭うとは・・・。やはり東洋人のひげは怪しさを思わせる(笑)のだろうか。横井さんは明日ひげ、剃ってくるかな?気にしてたし。
 とまあ、ちょっとした事件もあったが、次には駅の下見に行った。どうやらこちらでは改札などは全くない様子。しばらくして、同じ船に乗った人が一足先にウラジオを発つようなので、偵察かつ見送りを。僕も乗る予定のアケアン号(ウラジオ−ハバロフスク、18:40発、翌9:00着)は、18両編成で、やはりお世辞にも美しいとは言い難い。しかし、ほぼ予定通りの18:40に出発し、二人(一人は例の早稲田9年生。もう一人は会社を辞めた人で、二人旅をしている)に別れを告げた。駅のホームにはイスラム系(だと思うが、あとでジプシーだと判明)の一族十数人がいて、子供が怪しげなコインを1$と替えてくれと寄ってきた。ロシア語で、「我々は金がない、貧乏なんだ」と言うと、「うそだ、旅行者のくせに・・・」みたいなことを言う。これも聞き慣れた体験談ではあるが、やはり多少ショックだった。帰路、少し話題に上った炭酸抜き(びぇず・がーざ)の水を購入。こちらでは、「水」と言うと、炭酸入りが出てくるのだ。これを書いている今は、冷蔵庫で寝ている。
 そして、横井さんともう一人、少し年配の女性と一緒に、夕食を食べに「ルースキー(ロシアの、ロシア的の意)」レストランへ行った(ガイドさんが唯一安く、美味しいと言っていた)。一時間近く待った後、わけもわからず頼んだものは、いわゆる’とんかつ’だった。メニューで「のーう゛い・るーすきー(新しいロシアの)」とは言うが・・・。味は油っぽかったが、ソースなしでちょうど良い味の濃さだった。ビールも飲んだが、ドイツ製のもので高い(料理よりも)。料理は80p、ビール(пиво=ぴーう゛ぁ)は90p。心なしか、アルコール度数も高いような気が・・・。食料は露店で買おう。しかし何にしても、日本のシステムが一番だ。料理のメニューに写真が付いていないとどうしてもわかりづらい。贅沢病かな?その後、先程とは別の場所での祭り(何か歌手が歌い、騒いでいた計数千人が歩き回っていた−革命戦士広場より狭いところで、にぎやかに)を見つつ、帰る。夜中、10:00を過ぎても明るい。そして、現在、日記記入中。明日はもっとゆっくりしよう。しかし、他の人とは全てお別れだ。連絡先等、まだ聞いていない。聞かねば・・・。やっと家に電話も入れた。だが、1分ちょっとで207p(約\1,000)・・・これは・・・!?それより明日、起きられるか?

7/26 ウラジオ第2日目(44p)

 今朝は9:30頃起きた。日本では7:30。4日間着た切り雀の青いシャツ、グレーのズボンをまだ履き、ようやく10:30にホテルを出た。まず、目的地は中央市場。坂道を歩き歩き、1,2時間後、それとおぼしき場所に到着。リンゴ、オレンジ、桃、チェリー、ベリー類等の果物からちょっとした日用品までいろいろ売っていたが、隣の出店と全く同じ品揃え・値段!ばかりだった。次に向かったのは展望台。普通はケーブルカーで行くらしいが、歩いた。2時間近くかかった。午前中は霧がかかっていたものの、景色は良かった。港が一望でき、例の広場に今日は人が多くないのが見て取れた。今度はそこへ向かって坂を下り、広場でしばし休憩。狭い街、山田さんが現れた。彼に案内され、アメリカ資本だというハンバーガー屋Magic Burgerへ行くと、そこには石川さんと横井さんが・・・。ゆっくり喋り、3:00頃、日が出てきたのでサングラスをし、暑い中、ホテルに一人戻る。駅に向かう。駅の待合室には、今日ここを発つ何人かが休んでいた。そう、皆、今日中にはウラジオを後にするのだ。突然、石川さんの頭に浮かんだ、「日本沈没」の作者についてや、互いの失敗話等に花が咲いたが、列車が来て、旅立っていった。18:40のに乗ったのは、山田さんと少し年配の女性(結構お世話になったのに名前、知らない。ごめんなさい)。こちらも疲れたので、日本から持ってきたなけなしの食料をホテルで食べることに・・・。あ!メールアドレスを聞くの−忘れてた。まあ、いいか?いいな。いいや!
 それにつけても、やはり日本車。その上、ペイントなどもそのままに使っていて、日本語で『コープ神戸』とか『うさちゃんクリーニング』とか書いてある(爆)。それから、防犯装置なのか、車からひゅわひゅわいう音が出る。しかも突然。頻繁なので少し慣れたが、歩いて脇を通ったときに鳴り出されると・・・。祭りで花火やってた時は連動していたし・・・。昼に食べたマジック・バーガーのハンバーガー(гамбургер=がんぶるげる)は、案に相違せずこっちの人好みの味。大きさは日本と変わらないが。山田さんは、昨日10$→24pの両替(本当なら240p)の抗議をし、ホテルのオーナー室まで乗り込んで返してもらったとか。少し年配の女性(名前・・・聞いてなかった)は、リンゴ2個を34pで買った(山田さんは1個6P)らしい。横井さんは、駅に預けた荷物の預け証をなくした・・・(結局ひげもそのまま)。母娘の二人組は、今日飛行機で移動するはずだったが、乗り遅れ(ホテルにパスポートを忘れ)、野中さんと保科さんに届けてもらったが、間に合わず、結局もう一泊することになったという。しかし、安く泊めてくれたとかで、実は一番旅上手(結果論)?誰でも失敗はするものだ。僕も電話、忘れてたし。それすらも利用してしまえばいいのだ。例えば、横井さんは、母娘連れのお母さんの方のいい意味での図々しさを見習うつもりだとか。また、野中さんたちは、パスポートを届けるときに使ったタクシーで、良い市場を運転手さんに教わったり。
 明日からは一人旅。とりあえず、洗濯をしよう(青のシャツは、汗が乾いて塩の白い粉が・・・)。
 と、ここまで書いた後、暇だったので、夜0:00の列車で発つ人たちを見送りに行った。横井さん、(ずっと赤い服の)石川さん、野中さん、保科さん、女性二人(名前、聞くの忘れた)。野中さんに市場の詳しい行き方を教えてもらったり、保科さんの”中央線の呪い”の話を聞いたり、「日本沈没」は小松左京だと石川さんが思い出し(違っていても、当たっていると勝手に決めた)、ロシア語を教えてあげたり、炭酸抜きの水の話などしていたら、11:00を回ってしまった。流石に暗い。怖いので、走って帰った。
 何日かぶりに全身を洗った。お湯の出が悪くて苦労したが、さっぱりした。予想通り、髪の毛が大量に抜けた・・・。

7/27 ウラジオ3日目(48.5p)

 何と言うことだ!!洗濯していたら、シャツのポケットに入れていたホテルカードも一緒に洗ってしまった!ホテルの出入りとチェックアウトはこれで行うのに・・・。とりあえず、乾くのを待つことに。なかなか乾かない!乾いてもどうなるかわからないので、レセプションに言いに行くと、「全然問題ないですよ」みたいなことを言われた。預けたパスポートやビザの代わりだと思って重大視していたが、今度ばかりはこちらの大らかさに救われた。
 気分も新たに、赤いシャツと茶色のズボンを履いて外に出たが、今日はあまり歩きたくないので、ウラジオ駅前から市電(トラム、路面電車)に乗った。昨日去った人に聞いたとおり、”タダ”だった。ということで、終点まで言ってみることに。2、30分大きく揺られつつ進むと、そこには中央市場より遙かに大きな自由市場が!そう言えば、このことも昨日聞いたっけ。その散策に一時間ほど費やしたが、やはり品物は多い。パン7.5pを一つと、リンゴ7.5p一つを買って食べた。パンにはチーズが乗っていて(日本でも見たことが)まあまあの味。リンゴは妙に甘かった。甘酸っぱい果物が好きな僕にはちょっと不満。その後再びウラジオ駅前に戻り、今度は別方面の終着まで行く。こちらは、いわゆる閑静な住宅街という感じ。街外れまで行き、ウラジオの広さ(狭さ?)を体感できた。
 疲れがあるのか、駅の待合室で少し休んでいたら、眠ってしまった。5:00を回ったのに気付き、マジックバーガーでハンバーガー9p1個、チーズバーガー(ちーずぶるげる)10.5p1つ、フライドポテト(かるとーふぇり・ふりー、ポテトチップみたいなのとソーセージ×2)8p、コーラ6pを飲み(満腹)、ホテルに。
 明日はウラジオを発つ。考えたら、ウラジオに3泊は長すぎたな。多くて2泊で十分だ。洗濯物−乾くかな?早く寝てしまおう(しかし、まだ8:00前。日本では6:00だが、こっちは日沈が更に遅い・・・眠れるか)。東京より西にあって、それだけでも太陽は遅く沈むはずなのに、時間を進めるのだ。しかも、サマータイムの時だけ(他の時は、2時間遅らせるので、日本と同じ時刻になる)。・・・どういうこと?

7/28 ウラジオ出発日、アケアン号(51p)

 昨夕、食べ過ぎて、それを一生懸命消化してくれているのか、体が火照ってよく眠れなかった。何度か手足に水をかけて冷やしたのだが、すぐに元に戻ってしまう。8:30頃に起きたものの、何だかだるい。シャワーを浴び、荷造り。洗濯をしたもののいくつかが乾いていない−閉めきってたからかな?袋にまとめて入れ、あまり得意でないパッキングを済ませた。量が多くなったような気もするが、変わってないんだよな。いつもそう思う。11:30、制限時間12:00ぎりぎりにチェックアウトを済ませ、ロビーでアイスクリーム(мороженое、まろーじぇなえ)を食べ、口の中が甘苦しくなってしまった。ホテルを出、重い荷物(家を出たときに測ったら、18sあった)を駅の預け所に預け(6.50p)、また待合室へ。疲れがとれず、出歩く気がしない。本を読んだり、じゃがいも入りのピロシキとスプライトを飲食したりしていると、弾き語りが現れた。声が小さくあまり聞こえなかったが、他に人が少なかったのと、暇をつぶしてくれたのとで、5pコインを上げてしまった。日本円に直すと\25だが、物価が日本の1/3以下と考えると、結構なものだろう。ピロシキが1と1/2位食べられる。
 持ってきた本のことを書こう。全部で3冊。2冊は、ロシアの天才作家トルストイの『戦争と平和』(война и мир、う゛ぁいなー・い・みーる)の第3・4巻。物理的にも精神的にも重い。そこでもう一冊は軽めのものにしようと思い、宮部みゆきの『夢にも思わない』を詰め込んできた。後者は既に1/3以上読んでしまった。後30日近くあるのに・・・。ゆっくり読もうと決めていたのにこれでは。ついでに他の荷物のことも少々。今回、初の一人旅、しかも行き先がロシアということで、何をどれだけ持ってきたらいいのか全くわからなかった。そこで、『地球の歩き方』を買って、それに載っている持ち物リストをもとに自分なりのリストを作り、直前に買った55gのバックパックに入れたのである。パック自体は、大きな部分と小さな部分が切り離し可能で、全体にカバーも掛けられるタイプだ。パスポート等の書類はもちろん、服は2、3着、洗面用具、タオル、道具、カメラ、フィルム(24枚撮り×10!)、カセットテープ、安物のテープレコーダー、などなどなど・・・。およそ少しでも必要だと思われるものは全て持ってきたら、20s近くなってしまったのである。
 まだ陽は高いが、列車アケアン号が来た。荷物を取り、切符を出し、6号車へ。キロポストがあり、モスクワへのq数が表示されている。9288とあるが、本当は9297qと言うのを聞いた。車掌さんに切符を見せ、入り込んだ!僕の15番の席は、4人部屋の下段のベッドだった。狭いことは狭いが、一晩だけの辛抱だ。縦横2m弱、高さ3mほどのコンパートメントに、ベッドが上下二段ずつ左右にある。下は、昼間はソファーとして使うらしい。当然と言うべきか、ベッドはあまり大きくなく、身長の高い人は足を伸ばして眠れないだろう。背が低いのがこんなところで役立つとは!?18:35頃、同室者と思われるおじさんが入ってきた。無言・・・。しまった!挨拶するチャンスを逸してしまった。おじさんは突然着替えだし、大きなお腹が丸見えのTシャツ姿になった。18:40。列車が動き始める。外の景色が次々後ろに流れていく。おじさんはクロスワードをやり始めた。やはり無言。車掌さん(ほとんど女性らしい)が来て、切符を渡し、シーツ代13pを取られた。切符と一緒に入っていた20pはこのためだったのか!?冷房が効いているのか、涼しい。窓の外には、朱に染まる前の夕日の中、海で泳いでいる人が(我々は海岸を走っているらしい)。まだ早いが、揺れに身を任せてさっさと寝てしまおう。
 目が覚めると、やはり同室者らしい東洋人が覗き込んでいた。今度は挨拶できた。彼は他の部屋の知り合いと共にどこか(おそらく食堂車)に消えた。ロシア語を喋っていたことからすると、モンゴル辺りの人だろうか?


 

3.ハバロフスク、ハバロフスク〜イルクーツク

7/29 ハバロフスク到着日(313p)

 AM7:30。周りの人が慌ただしく動いていたため、目が覚める。ふと窓の外を見ると、流石に海は見えない。そろそろハバロフスク(以下、ハバロ)に到着か?布団や毛布を片付け、一口水を含め、見てみると・・・おじさんはやはりクロスワード。3ページ分位やっていた。東洋人の方は、知り合いのところに行ったのか、荷物もない。時計が8:30を指す。確か、8:40にハバロ着のはずだ。ほぼ定刻通りに列車は停車。駅を出ると、ウラジオほどにぎやかではない。どうやら街の中心部は少し離れているらしい。どうしよう。荷物を預けて散策しようか。チェックインは12:00。だが、ホテルまではかなりの距離が・・・。よし。3時間かけてゆっくり歩こう(この決意、少し後悔−疲れた)。途中、水を飲んだり、日本から持ってきた羊羹を一つ食べ、駅から南へ伸びるアムール並木通りをひたすら南下。11:00頃、ようやく雰囲気が変わってくる。更に行くと、そこにはこの街を象徴する大河アムール川が!ホテル・インツーリストはこの辺りのはずだが・・・と探しつつ、河岸を歩く。展望台らしきものが見えるが、改修中の様子。しばし立ち止まり、対岸を眺める。1q以上、2q近くあるだろうか。向こう側は、木ばかりが見え、建物は全く見えない。中国との国境でもあるらしい、この川は。ぼちぼちホテルに向かおう。インツーリストは、片側からは川が、もう片側からは街が一望できるところに高くそびえていた。今回の旅で、最も高いホテル(1泊\14,000位)だ。チェックインを済ませ、809号室へ。ドアの鍵は一つでオートロック。楽だ。ウラジオよりやや広いか?エアコンがあるが、付ける時はジェジュールナヤに言えとある。鏡があり、バスにはバスタブがあった。トイレの便座がおもちゃみたいだが。机の引き戸を開け、ファイルが出てきたので見ると、そこには何と日本語の案内が!どこに何があるか等が書いてあるものと、最上階の和風レストラン”UNIHAB”のチラシだった。
 再び外に出、川の遊覧船に乗ってみた。名は”Москва”号。2:00に出発。アムール川の上流(オホーツク海に出るので、西が上流)へ約1時間のクルーズ。両岸を結ぶ橋が見えた。中国側には、遠くの方に風力発電か何かの十数本の高い塔が見えるだけで、やはり建造物はない。気持ちが良かったので、少し寝てしまった。4:00ちょっと前、ホテルに戻り、バウチャーと引き替えに31日発の列車の切符を受け取った。・・・危うく忘れるとこだったよ。部屋に戻り、バックパックから乾いていなかった洗濯物を出し、干す。外には出せないが、一晩あれば乾くだろう。少し休んで、試しにガイドによると味・サービス共上々という”UNIHAB”に行ってみる。中へ入ると、作りは和風。店員もたどたどしいが、日本語を使う。日本人の団体客が楽しげに話していた。話しかけようとも思ったが、あまりに世界がそこで完結していたので、躊躇われた。メニューは英語、ロシア語、日本語が並んでいた。ご飯40pと味噌汁30p、肉じゃが32p、お茶10p(やっぱり取られるのね)、ビール180p(18pの間違いではなく、高いのだ。633mlのビン一本だったせいもあるが。アサヒのスーパードライだった)を頼む。味は日本を出てから一番僕の口に合っていた。欲を言えば、肉じゃがをもう少し煮込んで欲しかったな。明日の夕飯もここで食べてみよう。
 思えば、こちらに来てから食生活は乱れに乱れていた。ウラジオのホテルで朝食が出なかったせいもあろうが、大抵1日2食、その内容も時間もバラバラ。ここでは朝食が出るので、立て直そう。酔ったので早く寝る(毎日こう書いてる気が・・・)。

7/30 ハバロ2日目(160p)

 目が覚めて7:30。昨日、大量にルーブルを使ってしまった(それでも\1,500程度)ので、これまで使った金額を計算してみた。和を求めると、888.5p(最初の日本での金額含む)。8日間なので、1日平均すると111p→約\550だ!やはり物価は安い。切りつめれば、と言うよりレストランでビールを頼まなければ(笑)、1日\500で十分すぎるほど十分食べていけるだろう。だが、ウラジオで6,000p両替してしまったので、もう少し贅沢をしても良いか?ロシアを出る時、ルーブルは持ち出し禁止なので、使い切るか、最両替(レートは悪そう)をしなければならないから。ふと、手帳を見てみる。手紙を出そうと思って住所を記してきた欄が目に付いた。イルクーツクに着いて、時間があったら(4泊なのでたっぷり☆)書いてみよう。郵便の出し方も知りたいし。洗濯物も無事に乾いたので、そろそろ朝食にレストランに行こう。クーポンを渡し、席に座ると、前に座ったおじさん(日本人)が何やらいらいらした様子。どうやら頼んだメニューがなかなか来ないらしい。あげく、これが初めてかのようにウェイトレスがオーダーを取りに来たので、怒って帰ってしまった。そう言う国なんだから、少しは我慢すればいいのに・・・。僕の方は問題なく出てきたが−何となく頼んだものとは違うような−まあ、いいか。食べていると、隣の席にさっきとは違う日本人のおじさんがやってきた。話をすると、彼は飛行機でウラジオから来て、この後も飛行機で各都市(小さな街も)を回るらしい。10:00を過ぎた頃、食事を終え、おじさんと別れてホテルの外へ。今日はメインストリート、ムラヴィヨフ・アムールスキー通りをのんびり歩いてみようと思う。やはり、昨日駅から来たアムールスキー並木通りよりも人通りは遙かに多い。レストラン・サッポロや、ブラッド・ピット主演の映画のポスターが目立つ映画館ギガントなどを見ながら、一時間足らずでレーニン広場に行き着く。かなり大きな広場で、噴水が中央にある(水の噴き出し方が少しずつ変わっていくようだ)。ここに立っていると、街の中心部だなあと感じる。しばし休息を取っていると、結婚式直後なのか、正装の花嫁花婿が、ビデオや写真を撮られて、照れつつも楽しんでいた。2組ほどのカップルが祝福を受けている様は何とも微笑ましい。11:30。再び歩き出すと、曇った空から強い風と共に雨が降り出した。折り畳み傘はホテルなので、やむなく帽子で我慢することに。このまま中央市場を見ようと思ったが、更に土砂降りに!そのせいであまり市場を詳しく見ることはかなわなかったが、結構な広さの中、食料品や衣服など、いくつかの区画に分かれていたようだ。雨宿りをしたが、一向に止む気配がないので、急いでホテルに帰ることにした。怖いのは、風邪を引くことと靴が乾かないことだ。明日、18sの荷物を背負ってビーチサンダルでは文字通り荷が重い。ホテルに辿り着いた頃には完全に濡れネズミ状態。ジェジュールナヤも苦笑。部屋に入り、服を着替えて干し、シャワーを浴びた・・・あまり温かいお湯が出なかったのは残念だ。靴に新聞紙を詰め、乾くことを祈る。富山で買ったスポーツ新聞がこんなところで役立つとは!?富山で靴も買おうと思っていたのだが、売っている場所が見当たらなかったのだ。とりあえず、今日は雨が止まない限りホテル内で布団にくるまっていよう。ふと、テレビをつけてみると、6チャンネルでNHKヘッドラインをやっていたりする。何故ここまで日本語が侵出しているのだ!?ビジネスセンターがあり、インターネットができるというので行ってみる(17:10)。しかし、9:00〜17:00営業だった・・・とほほ。18:20。「UNIHAB」に行くも、今日は19:00〜だとか。厄日か?気を取り直し、19:15頃に再び11階へ。今度はやっていた(ホッ)。豚肉の角煮62p(少々焦げていたがかなり好みの味!)、冷や奴18p(木綿豆腐か?少し固め)、ご飯40p、味噌汁30p、お茶10p2杯(お茶は何杯でも10p?それとも向こうが忘れてた?)で160p。今日の出費は全部でこれだけだ。明日からは列車での食事になる。再び不規則に逆戻り!?「UNIHAB」で割り箸をもらってきた。ちょっと安心。かゆい髪の毛を洗おうっと。念のため風邪薬を・・・。

7/31 ハバロ出発日、ロシア号1日目(50.5p)

 靴と靴下がまだ濡れている。靴下は別の袋に入れるとして、くつはどうしよう。いいか、着干し(履き干し)で!列車の中においておけばその内乾くに違いない。−と、そろそろ荷造りを始めなければ。市場でカップラーメンや水などを買って行くつもりだったが、今日も雨が降り出しかねない空模様。朝食の帰りにロビーで買ってこよう。降る・・・と言えば、恐怖の大王はいったいどうしたのだ?実は7の月とは旧暦で、本当は8or9月とか言う人もいるとか。何も起こらなかったときのノストラダムス信奉者たちの言い訳が楽しみ。皆の祈りが通じたからだ!とか言いそう。ロシアの人工衛星が落ちてきたりして・・・(一番現実的かも)。ともあれ、7月最終日だ。朝食・買い物(水8p、カップラーメン10p×2、クッキー6.5p)も済ませた。10:00を過ぎ、もう一度ビジネスセンターへ行ってみる。金曜以外は9:00〜18:00で、時間的にはやっているはずだが、ドアも開かず、誰もいない。部屋で音楽でも聞きながらチェックアウト(12:00)ぎりぎりまで待とう。これまで何十回、そしてこれからも何百回聞くか知れない90分テープ。家で好きな曲を18曲録音してきたものだ。列車が14:00だから、13:00には駅に着いていたい。旅の中で、ここだけが始発ではなく途中停車駅の列車なので、旅行会社の人が一番心配していた。すると、12:00前にはホテルを出なければ。早めにチェックアウトしよう。NHKのニュースを見ながら(プロ野球のオールスター、見たかった!)、11:30になったので、重い重い荷を背負って3日間世話になったホテルを後にし、一路、駅へ。道端にはまだ昨日の雨の跡が残っていた。途中から、あまりの苦しさ(18s+カップラーメン等2s位)に、市電を利用することに。乗ると、何やら乗務員らしき女性が近づいてきて2pと言う。どうやらハバロでは有料のようだ。それが普通だよな。駅に着き、その名の由来となった探検家ハバロフの銅像の写真を撮り、駅舎に入ると、列車は13:34に到着予定とか。それまで一時間近くあるので、近くにあるというサッポロラーメンで昼食・・・と思い、捜したが見当たらず。古い情報だったのだろうか。そこで、駅舎3階(日本的に言うと2階)の待合室で時を稼ぐことに。間・・・。13:30頃、4番ホームに列車が来るというので行って待つ。やってきたロシア号、アケアン号とそっくりだ。車両番号5、席は車掌に聞けと切符にある。切符を見せると、車掌さん(男性だった。サッカー代表のトルシエ監督に似ている)は6と書いた。6番の席(ベッド)に向かうと、下の段には日本人女性が!?同室の人は、他にロシア人の男女が一人ずつ。列車が発車し、話などしていると、同じ車両にやはり日本人の男性二人、そして他の車両にも男女一人ずつ、女性二人がいることが判明。これで、ロシア旅行をする日本人が、出会っただけでも20人を越えた。しかも、まだ旅は1/3程度。シベリア鉄道の魅力(魔力?)とはかくも強いものなのか。早々と時計をイルクーツクのものにセット。これで日本と同じ時差だ。時間感覚はもはや完全に麻痺状態だが、日本人女性(まだ名前を聞いていない。明日、ゆっくり語ろう)がラーメンを食べ、上手いといっていたので、僕も食べる。ピリ辛だが、結構いける味だ。『夢にも思わない』が後1/4弱で読み終わってしまう。明日は『戦争と平和』で時間を稼ぐと共に、手紙の文面でも考えようと思う。食堂車にも行ってみたいな。しかし、揺れのせいで字が汚い(言い訳?)。

8/1 ロシア号2日目(36p)

 8:00、目が覚める。8月の始まりだ。何気なく外を見ていると、キロポストというやつだろうか。4桁の数字が見える。今は7,320q前後。7,313qのところにスコヴォロディノと言う街があり、10分停車するらしい。そこで何か買おう。キロポストには、100mおきにも無地に一桁の白い棒が立っている。それ一つを4秒くらいで通過したから・・・大体時速90q位で列車は走っているのだろう。7,314、7,313、7,312・・・まだ止まらない。7,307位でようやく停車。どうやらここにもずれがあるようだ。じゃがいも入りのピロシキ4pを2個買い、車内で食事。女性にトマト一個をもらった。ティーバッグの日本茶を飲み、満腹。今日の12:00に、日本人たちが12号車に集まるらしい。同席することに。集まったのは、僕を入れて8人、男4人、女4人ずつだ。同室の芋川さん(やっと名を聞いた!養護学校の教師をしているとか)、同車両の石川さん・太田さん(4号室同じ立教高校出身で、二人旅をしているらしい)、第11車両の丸山さん、山内さん、12車両の川上さん、長浜さん、ウラジオでの経験やこれからのことについてお話を。芋川さん・石川さん・太田さんはイルクーツクで降り、残りの4人はモスクワまで直行だとか。後4日。ご愁傷様。丸山さんはモスクワまで行き、そこからヨーロッパへ、ロンドンからニューヨークに渡り、バスでロスに・・・って世界一周!?自称「パーマです」と言う長浜さんは、川上さんと二人旅。知人の誰かと似ている気がする小学校教員の山内さんは丸山さんと同室。石川さんは僕のことを何故か名前で(姓ではなく)呼んでくれ(その方が楽だそうだが、そう言われたのは初めて)、長浜さんたちもそう呼び始める。太田さんは、外語大で、ロシア語を専攻しているらしい。ロシアに来て、ロシア語ができる日本人と、話したのはこれで初めてだ。船で会った人の中にもいたらしいのだが。イルクーツクでは、芋川さんはホテル・インツーリスト、石川さん・太田さんはルーシ、僕はアンガラと、ホテルはバラバラだが、2日目には4人でバイカル湖見学ツアーに行こうと約束(手配ツアーなので、多い方が安いらしい!)。その後、男女4人ずつ分かれてもっとお話を。石川さんたちの部屋(他に乗客はいない)で、男4人はウォッカを飲もうということに。ちょうど車内販売が来て、51pと36pのを示され、36pのもの(+_+)を4人で購入(一人9p=\45)。まず、ボトルのキャップで一気の回し飲み。やはり本場、上手い!純粋というか、素朴という感じがする。アルコール度数は40%と、ウォッカとしては普通(ウォッカの定義では40〜60%らしい)。喉から食道、胃がカーッと熱くなる。いつかロシア語の先生が、風邪を引いたときにウォッカを飲んで熱くなって寝るとすぐ治るといていたのを思い出す。酒は百薬の長とはこのことか(無茶苦茶曲解!)?それからまた日本人談義が盛り上がり、こちらの食事や、互いのバイトの話・普通の生活の話などし、このホームページのURLを教えてあげたりして時を過ごす。途中芋川さんがこちらに来て、話し、その芋川さんと丸山さんと再び12号車の女性陣に合流。テレビドラマの話が沸いた。その車両の子供たちに女性たちが折り紙の鶴を折ってあげたらしく、良く顔を出しに来る。子供は可愛いね。場の雰囲気がすぐに和んでしまう。彼らは調子に乗って女性たちを少しけなしたりしていたのだろうか、僕がロシア語を二言三言喋ると、一瞬’ヤバイ’と言う文字が顔に出ていた。陽が左から射したと思ったら、次には右から射したりする。進み方が折れ曲がっているのだろう。結局丸山さんが一番飲んでいたウォッカ(2番目は石川さん、三番僕、四番太田さん、女性たちはほとんど飲まず、しきりに消毒液だと言っていた)は、0.5gをほぼ空けてしまった。次は少し高いのを飲もうと言うことになったが、明日にすることにして分かれ、それぞれの部屋に散る。明日一日あってその晩にイルクーツクに到着する。暇をもてあますことはなくすみそうだ。話をしたり、ボーっとしたりする長い時間がたまには(いつも?)あっても良いだろう。キロポストは6,600q位。イルクーツクは5,191qだ。ちなみに当然モスクワは0。

8/2 ロシア号3日目、イルクーツク到着(翌0:53予定)(20p)

 起きると、隣のロシア人男性はもういない。知り合いのところだろうか。下の女性二人は窓の外を見たり本を読んだりしている。外では、遙かに広がる草原に牛が点として見え、時には樹海のような木々の中を時速100q近い速さで走り抜ける。9:40前後に停車した駅でピロシキとパンケーキ(合計5p)を購入。朝食に、芋川さんに青リンゴをもらう(少々酸っぱいが、好みの味)。石川さんたちは、間違って、と言うか、故意に、と言うか、ピロシキを大量に仕入れてしまって(7個)、処分に困っていた様子。食べてあげよう(笑)。彼らは牛乳(молоко、まらこー)もくれた。淡泊だが、不味くはない。ここで車中での食事について。全ては駅頭販売と乗車する前に買ったもの、食堂車での食事で何とかしなければならない。ほとんどが第一者になるだろう。買えるものは、大抵ピロシキやペリメニ、じゃがいも、マロージェナエ(アイスクリーム)、木の実類、水(ガス抜きはほとんどない−乗車駅で買うしかない)、ジュースなど。この内、当たりはじゃがいもだ。茹でて皮をむき、ネギのようなもののみじん切りをまぶしてある。これはどこのものでも美味しい!ピロシキは、こればかりでは飽きてくるが、中身が何かを聞かずに(聞いてもわからない?)買うと、福袋感覚で楽しめる。僕はじゃがいもばかりだった・・・。暑くなったらアイスクリーム。ジュースは日本人には向かないかも知れない。
 今日はほとんど寝て過ごしている。途中ペトロフスキー・ザヴォード駅で芋川さんは12号車へ行き、僕は外へ出、丸山さんや石川さんたちと会ったのを機に彼らの部屋へ行き、男4人で再び話し始め、日本に帰ってからも呑む約束を。例のピロシキを食べてあげた。7:00に女性たちが食堂車で食事をするとのこと。我々も混じってしまおう。ホームページ用の写真も撮りたいし(スキャナーはないが、今はCD-Rに焼いてくれる現像屋もあるし、旅が安く済めば買える安いスキャナーもある)。それまで部屋にいようと言うことにした。すると、ウラン・ウデ駅で、同室上段のロシア人男性に変わり、別のロシア人男性が入ってきた。そう言えば、下段の女性の名前を今朝聞いたが、リエナさんと言うらしい。閑話休題。ノート右ページの絵(スキャンは後日)は、その男性とのコミュニケーションで使ったものだ。男性は警官らしい。名前はニーシャ。彼の友達(にさせられた?)マイケル(怪しい自称学生。乗車したときにもらった、誰も飲まない炭酸入りの水のビンを、駅に降りて売っていた)とニーシャに、コニャック(40%)を2杯(も)、トマト、キュウリ(太い)、トマトジュースをごちそうになってしまった。ニーシャの弟(兄?)の息子が、どこかに飛び込んで亡くなったらしい。胸が痛いとか。とつおいつ逃れる術を探っている間に、丸山さんが迎えに来たため、太田さんたちも誘って食堂車へ。女性4人は既に席に着き、ボルシチに取りかかっていた。僕らもボルシチとビールを頼み、なかなかの味だと頷き合った。ビールは、昨日呑んだものもそうだったが、’醤油’っぽかった。パンも出てきたが、4人で103p、一人26pの安さ!やはりこういう物価なのか。8人全員で写真(ちょっとぼけてる・・・。元の写真自体が、ロシア人にとってもらったもので、ブレたのだろう。カメラも古いものだったし)を撮り、モスクワ組4人は見送りをしてくれると言ってくれた。真夜中なのに。部屋に戻って少し経つと、石川さんが来て僕らを廊下に導く。バイカル湖が見えた!弾ける波、空と水の蒼を背景に飛ぶ海鳥、やや高いが、朱色の太陽。もはや完全に海ですな、あれは。潮の香りが漂ってきそう。イルクーツク到着後、それぞれのホテルに落ち着いたら、AM10:00にインツーリストホテルのロビーに集合する約束をつけ、しばし湖に見とれた。到着はAM0:53。今は21:15。まだ3時間半以上ある。深く寝入らないように気をつけつつ、ゆっくりしよう。ちょっと部屋で横になっていたら、マイケルにまたコニャックを呑まされてしまった。ニーシャはもう眠ってるし・・・。イルクーツク一個手前のスリュジャンカ1でリエナさんが降りる様子。別れの挨拶До свидания(だ・すう゛ぃだーにゃ)を。僕らの目的地には0:53に着くはずだったが、実際は1:30近かった。到着後、4人が降りると、雨中だったけれども皆すぐにトランスファー(送迎)の人が見つかった。誰か一人でも来ていない人がいたら助け合おうという懸念はひとまずクリアだ。石川さん・太田さんはさっさと見つけて行ってしまったが。モスクワ直行の4人に別れを言い、HPを見るように念を押した後、僕は一人、送迎の人ユリアさんと共にタクシーでアンガラホテルへ。夜中のため、街並みもホテルの外観も今一よくわからず、しかし、ホテル内に入ると、造りは近代的で、少し渋めのセンスもいい。チェックインも代行してくれたユリアさんとも別れ、329号室へ。同じ3階にレストランもあり、朝食(7:00〜10:00)が採れる。鍵を開け、中に入る。広さは6畳弱、ウラジオより狭い。ベッド、テレビ、机、電話(ダイヤル式)、扇風機(!!)、ソファがある。電気類はベッド横の制御器(中国製・・・全部漢字)でon&off。トイレ、バスタブもあり、洗面所はやや広い。早速シャワーを浴びたかったが、何と、お湯が出ない!そう言えば、ロシアではお湯をどこかの工場で作って分配するシステムだと聞いたことが・・・。夜は供給しないのか!?仕方がない。明日起きたらシャワーを浴び、洗濯もしてしまおう。となると、こんばんは早く寝なければ。ただ今、2:30。


 

4.イルクーツク、イルクーツク〜モスクワ

8/3 イルクーツク1日目(819.7p)

 7:00過ぎに起き、シャワーを使ってみる・・・が、やはりお湯が出ない!ジェジュールナヤに聞きにいっても、”No hot water”と言う。何というホテルだ!仕方なく、水で頭を洗ったが、全然さっぱりしない−逆に風邪ひきそう。手が冷たくて洗濯する気にもならない。部屋のあちこちにもガタが来ていて、洗面所のドアは閉まらない。窓の鍵も壊れ、冷蔵庫もなく(まあ、これはいいか)、おまけに小型のゴキブリまで現れる始末。何というホテルだ!朝食に行ってみる。同じ3階のレストランには、5、6人のロシア人と3、4人の東洋人が皿を手に歩き回っている。ビュッフェ形式であるらしい。クーポンを渡し、砂糖の乗ったパン、ハム4枚、チーズ3枚、トマト、ニンジンと紅茶、ヨーグルトのようなもの(少しパサパサ)を盛り、空いた席へ。ほとんど並み以上の味だったが、ヨーグルトのようなもの(違うのか?)は無味。何かかけて食べるのだろうか。ともあれ、食事を済ませ、部屋に戻る。時刻は9:20。少し早いが、歩き出そう。インツーリストまで十分(否、40分か)な時間がある。アンガラホテルの目の前のキーロフ広場を歩く。弱いながらも雨が降っていて、爽快とは言い難い。もうインツーリストに行ってしまおう。街の規模と地図を実感するまで一、二度迷ったが、10:00の5分前に到着。まだ誰も来ていない。数分で4人がそろい、インツーリストオフィスのカウンターで、明日のバイカル湖ツアーを予約。30$らしい。ルーブルにすると、750p位。大量出費だ。それでも、\4,000弱だが(日本円に直すといつもこうだ)。それから、芋川さんは少し休みたいというので、石川・太田両氏と共に街を散策に。聞けば、彼らの泊まるルーシも、お湯は出ないが、こちらより広いらしい。値段はこちらの方が安いようなのだけれど。イルクーツク(以下、イルク)は、バイカル湖から唯一出るアンガラ川に北から西・南まで囲まれている。インツーリストはその川に近く、それに沿って歩くことに。雨はもう止んでいる。アムール川ほど大きくはないが、やはり川縁は気持ちがいい。風を受けながら、南下、上流へ。ガガーリンの像、オベリスク(シベリア鉄道建設記念碑)を見、今度は街の中心部へ。また迷ったが、クレストヴィズド・ヴィジェンスカヤ教会(カナでは長い・・・)を見学。レーニン広場(どこの都市にもあるな)で写真を撮り、Север Кафеで昼食。ピザとサラダ、ファンタオレンジを、太田さんがお札を崩したいというので、おごってもらう。太田さんは、「石川が保護者」と言い、多少無愛想だが大胆不敵、一方、石川さんは、気が弱いとは言うが、彼の笑顔は最強だ。彼ら二人はそこで一旦ホテルに戻り、僕は個人行動。メインストリートのバリシャーヤ通りをゆっくり歩き、途中で折れて中央市場へ。今回の旅の目的が、ロシアの街を歩き、見ることなので、必ずどこでも市場は見るようにしている。隣にデパートがあり、地図上では着いたはずだ。しかし、それらしき店は1、2しか見えず、代わりに体育館のような建物が。中に入ると、そこは巨大な市場。今まで見た以上の人集り。空間が限られているせいもあるだろう。売っているものがはっきりと区分けされており、そのため、種類がものすごく豊富だ。野菜、果物、パン、肉、魚・・・。2階まであり、そこは衣類や薬などが売られている。どうでも良いが、この国にはаптекаと書く薬屋が妙にたくさんある。そんなに必要なのだろうか?外のベンチで一休みし、デパートも覗いてみた。こちらは値段が高いばかりで、活気は全くない。庶民の勝ち(?)と言う感じだ。その後、東へ足を向け、ヴォルコンスキーの家(1852年、ペテルブルグでデカブリストの乱を起こした貴族たちが住んでいた家、イルクははその流刑地だった)へ。デカブリストたちの生活の跡が見られるところだ。初めは30pと言っていたが、日本の学生だというと、20pにしてくれた。2階建てで、2階から見るが、最初にデカブリストたちの写真などがあり、次にはトルストイの記念品などが。『戦争と平和』の著者だ。彼の使った様々なものが展示してあり、特に剣や銃は時代を感じさせた。『戦争と平和』の登場人物についての叙述もあり、ロシア語版の本もあった。次には1階に降り、再度デカブリストの生活用品→詩人プーシキンに関する展示と続いた。デカブリストと、トルストイやプーシキンにどんな関係があるのか、入り口で何年か前に記帳した日本人も不思議がっていた。何故だ?入り口のおばさんに会釈し、家の写真を古い気まぐれな(撮れるときと撮れないときがある)カメラで撮り、今度は街の端の道を通り、北端のズナメンスキー修道院へ。途中の市場(先程のとは違い結構大きい。車で直接乗り入れて買えるようだ)でスプライト(8.7p)を買って飲みながら向かう。修道院内部は、午前中に見た教会とほぼ同じで、大小数多くのイコン(宗教画)や、シャンデリアとしか言い様のないほど華美な燭台があった。寄付を求める子供たちと写真を撮り、一路帰ることに。ホテルの近くのキーロフ広場が、川の方まで伸びていると気付き、そちらへ。永遠の炎があり、川が見える散歩道では、タイタニックのTシャツを着た女の子やスポーツ刈りくらいの男の子たちが、インラインスケートで遊んでいた。30分ほど休み、ホテルへ戻る。部屋に入って間もなく、外はバケツ、否、アンガラ川をひっくり返したような土砂降り!間一髪だった。しかし、天気雨だったようで、すぐに止んだ。・・・と、突然部屋に備え付けの電話が鳴り出す。こちらの電話はコール音の感覚が長く、切れたのかとも思える。インツーリストの職員からで、今朝頼んだツアーは、今日中にお金を払わないといけないらしい。+αの見学(博物館など、無論有料。11$とか)もつけたらどうかと、日本語で言ってきた。6:30にインツーリストに再び集合することに。4人そろい、明日、10:00出発として(今朝は9:00と言っていた・・・早い)、支払いを済ませ(ドルでもできたが、僕はルーブルで払ってしまった。ちょっと損?)、カフェに夕食を食べに行くことに。バリシャーヤ通りのカフェで、ボルシチとハンバーグライス二つ(少しアクシデント)を食べ、コーヒーに誤って塩を入れてしまい(かなりアクシデント)、リンゴジュースで口直しをしてホテルへ戻る。部屋に戻っても、掃除もベッドメイクもしてくれていない。何というホテルだ!(3回目)列車のチケットが来ているはず(トランスファーの人が言っていた)なのに、「そんなの、知りません」みたいな口調で言われるし、おまけに英語が通じない。悪評、広めてやるぞ!良いところが一つもない。扇風機ぐらいか(笑)?もう完全に、坊主憎けりゃ・・・状態だ。夜、またもや突然電話が鳴りだし、女性が何か言う。意味が分からなかったのでとりあえず断ったが、これはもしや・・・!?

8/4 イルク2日目(257p)

 バイカル湖に行く日だ。8:00少し前に起き、昨日と同じ朝食(ヨーグルトが出ていたので食べた!)を採り、早めにインツーリストホテルへ(9:40頃)。列車の切符の件の相談だ。運良く日本語を話せる人(昨日の電話の人?)がいて、その人を仲介に旅行会社に電話すると、今日中にホテルに届けてくれるらしい。一安心したところで、ロビーで15枚入り絵はがき25pを買ったりして、3人を待つ。無事3人とも着き(チェックアウト済みらしく、荷物−軽そう−を持っていた)、バスも到着し、出発。ガイドは、日本語の達者なエレナさん。バイカル湖の入り口の村リストビャンカまで68q、一時間くらいかかるらしい。エレナさんは、街中のちょっとしたガイドと、バイカル湖の伝説まで語ってくれた。『地球の歩き方』に載っている話だったが・・・。一時間、ほとんど森の中の道を走り続ける。起伏が大きく多く、自転車で駆け抜けてみたくなる。最初に止まったのは、バイカル湖とアンガラ川との境界で、シャーマンの石という石が河中に見える場所だ。中程にある小さな石で、その内流れに削られてなくなってしまいそうだ。その後、湖畔の聖ニコライ教会を見、湖がよく見える港へ。やはりこれは広い!遙かに見えるスカイラインがなければ、本当に海としか思えない。エレナさんにおごってもらい、シベリア松の松かさの実を食べてみる。かさから実を取り出すのが面倒だが、現地の村リストビャンカの人は簡単に剥き、よく食べるという。シベリア現地人は、シベリアの森をタイガと言い、「緑の海」の意味らしい。中学校の時の知識がここに符合した。次は動物園・・・と言っても、熊2匹、キツネ2匹(寝ていた。イメージ通りのキツネ)、ヤギ2匹、ガチョウ(みたいなの)2匹がいるだけだ。だが、熊は野生のものに近く、迫力があり過ぎるほどあった。その後、バイカル生態学博物館へ。アザラシが間近に見られた。太田さん曰く「だきつきたくなるね」。バイカルホテルのレストランで、オームリ(バイカル湖で捕れる魚)、ビーフ・ストロガノフ(生まれて初めて)、サラダを計176p(やはりレストランはこの位か)で食べる。まだ帰るまで間があるので、砂浜でのんびりすることに。石を投げて水面をはねさせる遊び(何と言うんだっけ?)を大人気なくもし、ふと横を眺めると、何と!人が身動き一つせず、うつ伏せに倒れているではないか!?もしや死んで・・・?と思いつつ近づくと、胸が上下して呼吸している様子がうかがわれる。傍らにはウォッカのビンが・・・。そういうことか。帰りのバスでは、これから先の(モス・ペテ)見所をエレナさんに聞く石川さんや、ロシア語を教わる太田さんを後目に、眠ってしまった。えらく気持ちが良かった。目が覚めると、もう見覚えのある街並みが流れていた。インツーリストホテルに帰着。芋川さんはエレナさんのお宅にお邪魔するとか。僕ら3人は、一休みするためにキーロフ広場へ。芝生で3人、ビールをあおっていると、そこに日本人らしき人が!話しかけると思った通り。名を志村さんと言い、「志村けんの志村と同じ」と言う。千葉県在住だが、出身が関西らしく、関西弁が随所に現れる。彼はまだボルシチを食べたことがないそうで、4人でカフェへ行き、僕らは3日連続でボルシチを胃に入れた。今日のものは何故かぬるく、志村さんには残念だ。食後、「モスクワのイズマイロヴォ・ホテルで会いましょう」と言って(3人は今夜の列車でモスクワへ。皆、ホテルは同じイズマイロヴォ・ホテル。石川さんは8/10が誕生日らしいので、祝ってあげなければ)、僕はアンガラホテルに戻る。レセプションで切符のことを聞くと、まだ来ていないではないか!!!でももうこの調子にも慣れたぞ。明日、ホテルが旅行会社に連絡してくれるらしい。寝て起きたら、それを期待しながら何人かに絵はがきをゆっくりと書こう・・・と書いたところでノックが。ジェジュールナヤが切符を持ってきてくれたのだ。少し、否、大いにホッとした。今日はベッドメイクや掃除もしてくれているみたいだし。こういう国なんだなと思った(何度目だ?)。・・・とうとう『夢にも思わない』、読み終えてしまったよ。

8/5 イルク3日目(118.5p)

 目覚めは8:00頃。やはり同じ朝食を採り、今日何をすべきかを考える。まず、午前中は昨日買った絵はがきを書こう。それを出し、いくつか残っている見るべき場所を回り、明日のために早く休むことにしよう。
 手が疲れるー!!宛名、文面と書いていくと、右手が釣りそうなほど疲れた。こんなにたくさん書くのではなかったな。日記を付ける手がひきつっているのがわかる。これ程書いたのは、昔のロシア語のテスト以来初めてかも知れない(書きまくるテストだった)。ぶっ続けで、11:30位までかけてやり、ようやく終わったので外に出ることに。最初に、州立美術館(20p)へ。ほとんど絵画で、イコンやレーピンなどの作品がある。一通り見るのに、一時間弱。そろそろ腹の虫が鳴り出したため、次なる目的を昼食に。ドーカ・ピッツァ(ピザの達人)と言う店があるというので捜してみる。しかし、あるべきところを何度往復しても見つからない。仕方がないので、市場でピロシキを買って食べることに。6pで、初めて肉の入ったものを食べた。マロージェナエで暑さを和らげつつ歩き出すと、2度目の事件が!警官が寄ってきて、パトカーに入れられ、パスポートを見せろと言う。旅行者はホテルにパスポートとビザを預けるというシステムが伝わっていないのだろうか。それとも、それを利用した東洋人の犯罪が多いのだろうか。「パスポートをホテルに預けている」の意味のロシア語を覚えることにしよう。「常に携帯しなさい」と言われ、放された。そう言えば、返してくれと言えば返してくれるらしかったな。そうしないこちらにも非はあるわけだ。警官たちには悪いが、座っていたことで疲れた足には良い休息になった。郵便局の場所も教えてもらってしまったし。気を取り直して、この後は、謎だったロケット埠頭(地図を見ても、ある方向しか載っていない)へ向かおう。アムールスキー通りを4,5q歩いただろうか。一向にそれらしきものは見えない。ロケット、と言うからにはガガーリン(「地球は蒼かった」と言った人)関係?埠頭と言うからには、川端?だが全く行き着けない・・・と、前方の交差点近くに、何やら塔状のものが立っている。オベリスクに似ているが、何だ?レーニンの名が刻んである。これがそうなのだろうか。一応写真を撮り、引き返すことにした。同じ道を戻ってもつまらないので、川沿いを行き、石川さんたちが勧めていた中央公園(遊園地のようになっている)の観覧車に。思ったより高く、いわゆるコーヒーカップのように、真ん中の輪によってゴンドラ自体が回るようだ。ちょっと休憩した後、今度はイルクーツク国立総合博物館歴史館へ。15pで、シャーマン(宗教的指導者)関係や、原住民の衣服などが1階に、大戦や近代のいろいろなことを報じた新聞がたくさん、2階にはあった。ホテルに帰るにはまだ早いので、もう一度アンガラ川へ向かう。こちらからの道がついた島のようなものが見えるので行ってみる。オーストラリアのオペラハウスを小さくしたようなコンサートハウスや、ここにも遊園地の遊具がいくつかあり、ものすごい音を出す小さなジェットコースターが人々の笑いを誘っていた。島の反対側は砂浜で、多くの水着姿の観光客が寝そべったり泳いだりしている。暑いから、気持ちいいだろうな。そこからの景色が妙に印象に残り、貴重なフィルムを使ってしまった。あるいは、これがロケット埠頭なのだろうか。謎のままだ。そして、ようやく郵便局へ。中に入り、手紙を見せると、切手代1枚5pと3.5p(手数料か税か何かだろう)を取られ、切手を自分で貼り(これが大変だった。2.5p切手を2枚ずつ貼るため、小一時間かかる)、投函。ホテルへ戻る。水で全身を洗う。ううう。さぶい・・・が、多少さっぱり。明日は、シベリア鉄道3種類目のバイカル号(イルク始発)に乗る。少しは変化があることを願おう。
 はっ!そう言えば、明日は朝食がないんだ(何故だ?)!仕方ない。駅でピロシキだ。これから10食連続が11食連続になるだけのこと!・・・(*_*)。

8/6 イルク出発日、バイカル号1日目(39.05p)

 目覚ましを8:00にセットしておいたが、その前に起きてしまった。・・・と言って、することもない。音楽を聞きながら、あるいはテレビでも見ながら荷造りを始めよう。赤いシャツ、茶のズボンを履き、青のシャツ、グレーのズボンは衣類圧縮袋(掃除機で吸い出すヤツではなく、丸めて空気を抜く旅行用のもの)に詰める。そちらの方が容量が小さいのだ。9:20。そろそろチェックアウトしよう。列車は11:40。駅に行く前に、ビオネール宮殿というのを見る。外からだとあまり他の建物と変わらない。看板があったが、読む暇も(時間がかかるから)、中に入る暇もない。写真だけ撮って駅へ。意外に遠く、1時間近くかかってしまった。荷物が重いからだろう。来たときには夜中であまり見られなかったイルクーツク駅に到着。列車はまだ来ていないが、始発なのでかなり止まっているはずだ。それは安心。2.5pの、じゃがいもと野沢菜みたいなのが入ったピロシキを2個食べる。・・・しょっぱい。水を2本(1.5g)買い、そのピロシキとアイスを朝食に。11:20頃、ようやく列車の来るプラットホーム番号が表示された。3番ホームだ。荷を抱えて階段を下り上り、少し待って、バイカル号がやってきた。11号車。英語を話してくれる車掌さんに切符を見せ、21番席へ。誰もいない。下の段だ。上が良かったのだが。11:47。少し遅れて列車は出発。どうやら同室者はまだいない様子。バイカル号の造りは、ロシア号・アケアン号と全く同じ。だが、部屋のテーブルにはバイカル号専用のクロスの上にティーポット、4人分のカップ、コーヒー、お菓子、ジュース、水(ガス入り)、有料らしいが・・・。さらには花まで(造花だが)置いてある。カーテンも新しく、気分がいい。シーツ代は13.65p。紅茶が欲しいときはいつでも言ってくれと言う。四つ目のウスノエ・シビルスカヤ駅で、ロシア人の母娘が乗ってきた。母親はリューバさん、5,6歳の女の子は、ダーシャちゃんだ。ロシア号で出会った女性たちに倣って、鶴を折ってあげたら、ものすごくはしゃいでいた。日本から持ってきたカップヌードルを食べる。濃く、懐かしさを感じる味だ。ジマと言う駅に長く停車したが、いつものように駅頭販売の人たちが外で売ってはいず、キオスクを探していたら、出発しそうな気配になってしまった。それからまだ10分くらい止まっていたけど・・・。車掌がパスポートとビザを見せろと言ってきた。ロシア号などではなかったことだが、切符の番号と照合するらしい。ちょっとトラブルがあって時間がかかったが、何とか無事に切り抜けられた。その後、僕の上段のベッドに男性がやってきたが、他のコンパートメントに家族がいるようで、ほとんどこちらには顔を出さない。15:00頃、ニジュネウジンスク駅に15分停車したため、肉入りのピロシキを二つ食べる。リューバさんに、ひまわりの種らしきものをもらう。バイカル湖の松かさと同じく、中身を出すのが面倒だが、ハムスターは簡単に剥き、食べる(笑)。車掌さんの薦めで紅茶を飲んだが、2.4p取られた。やっぱり有料なのね。列車に乗ったとき、時計をモスクワ時間に合わせ、5時間戻す。ただでさえ時間感覚が滅茶苦茶なのに、昼が5時間長くなったわけだ。4日間かけてゆっくり馴らしていこう。

8/7 バイカル号2日目。

 3:30頃、目覚める。5時間ずらしたわけだから、8:30。1日経ったから、1時間減らすと(そう考えると判りやすいらしい)、7:30。もう、そんなことどうでもいいや。暗くなって眠くなったら寝る。明るく目が覚めたら起きる。それでいい。と考えていたら、再び寝てしまった。起きて、ボゴータルという駅に10分停車。朝早いせいもあろうが、露店はあまりやっていない。何も買えないので、コーンスープでも飲んで、次の長時間停車で朝飯だ。8:00ちょっと過ぎ、マリーンスク駅停車。じゃがいものピロシキ4p×5個購入。この辺りでは、あまりピロシキを売っていないのだろうか。イルク以東と比べて少ない気がする。ともあれ、5個あれば今日1日持つだろう。朝食に2個食べ、緑茶を飲む。することがないので、昼まで読書だ。昼、先程と同じメニュー。14:30頃、ノヴォシビルスク駅着。少し有名な街だ。エメラルドグリーンと白の駅舎をフィルムに収め、マロージェナエをおやつに。やはりすることがない。傍らの話を聞いていると、ダーシャちゃんはリューバさんを”бабушка:ばぶーしゅか”(=おばあちゃん)と呼んでいる。母娘ではなく、祖母と娘の関係だと気付いた。チュメニまで行くらしい。少しブルーがかったグレーの透き通るような瞳が可愛らしいダーシャちゃんは、他のコンパートメントにマリーナという友達ができたようで、廊下で遊んだり、向こうに行ったりしている。やっと静かになったという感じだ。外を見ると、広大な平原に、線路に沿って電柱が立っている。おいおい!!電柱の下の方が折れて、宙に浮いているぞ!いいのか?しかも、それが何カ所もあるではないか。風で揺れてるぞ。線が切れてるところもあるし・・・。いろいろな意味ですごい国だ。夕食は残ったピロシキ一つとカップヌードルだっ。

8/8 バイカル号3日目(38p、これまでの小計2438.23p、1日平均約135p=\677)

 朝6:40頃、チュメニに到着し、リューバさんとダーシャちゃんが降り、部屋から二人分の居場所が空いた。二人の写真撮るの、忘れたな。僕も一旦外に出、軽く歩き(運動不足だよー)、温かいピザ(14p)を買った。これとスープで朝食にしよう。コンパートメントに戻ると、僕と同年代の男性が向かいのベッドに座っている。新しい同室者だろうか。しかし、荷物が一つもない。あいさつをしたが、彼も家族がいるらしく、どこかへ行ったきり帰ってこない・・・暇だ。本を読むか。次の停車はスヴェルドロフスク。エカテリンブルグの街がある。当初、そこにも2,3泊する予定だったが、予算の都合で諦めたところだ。予定よりやや遅い。11:20過ぎて到着。正体不明のピロシキを3つ購入。中身は・・・ご飯だった。一つは夕飯に、と思っていたが、勢いで3つとも食べてしまった。ほんの少し塩分の混じったご飯入りピロシキは、妙に虚しさを催させる。部屋には、ロシア人の若い男女。先程の男性はどうしたのだろう。降りたのだろうか。二人は着替えると言って僕を外に出した・・・と、廊下には多くの人が窓にへばりついている。そうだ。1,777qのところに、ヨーロッパとアジアの境を示すオベリスクがあるのだった。少しカメラが斜めになったが、何とか激写!文字も読めた。境界はウラル山脈が作っているので、いよいよなだらかな下りと共にヨーロッパに突入だ。そう言えば、さっきのピロシキ3個は幾らだったのだろう。言われるまま10p渡し、何だか小銭をたくさんくれた。やけくそという感じだったな、あのおばあさん。小銭の用意はあったのに・・・。本当にすることがない!書くことも当然ない。17:14に停車したペルミ駅で温かいじゃがいもと鶏肉(15p)を買って食べる。じゃがいもが少々生っぽかった気がする。鶏肉はローストチキンのようで、予想に反して味は薄い。何か物足りないので、日本から持ってきた最後のカップヌードルを食べた。辛さUP!レッドカレーと銘打っているだけあって、かーらーい!!だが、体が温まってきた。外が雨で、冷えてきてたんだよね。とにかく、これで少しずつ荷物が減ってきている。お土産を入れるスペースができてきた。買う予定の土産は、今のところマトリョーシュカ、ウォッカ、キャビア、・・・といったところだろうか。後は何か気に入ったもので、かさばらなければ買っていっても良いな。残りの三千数百ルーブルを使ってしまおう。向かいの席では、例の男女がじゃれあっている。おいおい、人のいるところで。ずっと眠っていた気がする1日だった。


 

5.モスクワ、モスクワ〜サンクト・ペテルブルグ

8/9 バイカル号4日目、モスクワ到着日(372p)

 今日のPM3:18、モスクワに着く(予定)。ようやく、と言った感じだ。もしこんな風に一人の日本人とも会わず、まともな会話ができない状態が一週間も続いたら、発狂していただろう。そう考えると、ウラジオからモス(バーガーではない)まで、ロシア号で一気に7泊かけて行った人たちはすごい。まあ、とにかく、食料はほとんど空になった(一番重い水が少し残ったが)ので、多少の少位は楽になるだろう。モス(こけでもない)では7泊するので、行動日は7日間ある(今日入れず、また最終日は夜発)。『地球の歩き方』で、1日ごとに見る区域を大まかに分け、ちょうど良い日数だと気付いた。朝食は、隣の男性が呼び止めてくれた(男女はマキシムとリエナ)車内販売で肉入りピロシキ2個13pに最後のスープ、イルクからこっちは(あるいはバイカル号は)車内販売の方が駅頭販売より多く利用した気がする。男女はまたいちゃついている。全く、最近の若いもんは・・・!『戦争と平和』は、もうちょっとで第3巻が読み終わる。何せ、1頁の文字数が半端でなく、600頁もあるものだから、読み応えたっぷりだ。さっきのご飯でまだ腹が張っているので、昼食は抜いてしまおう。気が付いたら、もうモスまで止まらないし・・・。2,000円のレコード(録音)ができないテープレコーダーの電池は、バイカル号に乗ったときに2度目の交換をし、まだ保ってくれている。2,30回は聞いただろうか。今朝起きたときには、いつの間にかキロポストが3桁に、そして今また2桁になっている。それに連れて、窓の外には、舗装された道路が増え、建物も大きく近代的になってくる。荷物整理を済ませ、しばらくすると、列車は静かに停車。シベリア鉄道全体として、発車と停車はスムーズ(腕がいいのか)、途中は船と同じくらい揺れた。それはともかく、ロシア首都モスクワだっ!ホームはこれまでと違い、高く、階段が必要ない。ローカル線も同じプラットホームだからだろう。左右どちらに行ったらよいかわからないが、ここは人の流れに従い、左へ。まだ列車の横を歩いているとき、また警官に呼び止められたが、何とかかわし、駅外へ。駅の外と言っても、つながっていて、改札などないので、境目はない。人口850万人の大都市の印象は、”さすが首都、でかい!”だ。地方都市では、地図を見ればどちらに何があるのか、大体わかったが、このメガロポリスでは、文字通り右も左もわからないお上りさん状態。時間は15:30。予想通り、今日は歩き回る暇はなさそうなので、ホテルに直行だ。それには、まず地下鉄、メトロだ。ここの地下鉄は、ジェトンと呼ばれる共通のコインで乗り、1回でどこまででも1枚だという情報は仕入れていた。だが、今はカードが主流のようで、20回分のプリペイドカードを購入(60p)。初め、掲示されているカードを適当に指さしたら、間違えてテレホンカードを買ってしまった(80p・・・大出費だ)。カードを改札(地下鉄はある、自動改札)の下に入れ、すぐランプが変わり、すぐ上から出てくる。無機的に通り過ぎる他の人の、見よう見まねだ。エスカレーターで、地上から地下に降りる。あまりに早くて、大縄に入るときのようにタイミングを計りにくい。しかもその速さで、2,3分かかるほど深く潜るのだ。ここコムソモーリスカヤ駅は、いくつかの路線が乗り入れているため、どれがどこ行きだかわからず、最初、別の路線に乗ってしまい、見当違いの方向に進んでしまった(間違い2回目)。何とかコムソモーリスカヤに戻り、今度こそ本当の列車に乗る。次のクールスカヤ駅で乗り換えだ。ここでもどこへ行ったらよいか迷ったが、辛うじて正解。3番路線の4つ目、イズマイロフスキー・パルク(公園)駅で降りることができた。しかし、この国の地下鉄は、世界一美しいと言っていいのではないだろうか(ほとんど日本のものしか知らないのだが)。ホームにも、そこへの道にも、芸術品とも言える天井画や壁画が飾られ、思わず足が進むことを拒否してしまう。広さも、日本とは比べものにならない。イズマイロフ公園駅から地上に出ると、いくつかのキオスクが正面に見え、左を向くとコンクリートの高層ビル群が。ん?”がすちーにっつぁ・いずまいろう゛ぉ”?ここは、これから一週間滞在するホテルではないか。今までで一番大きい・・・と言うか、これ以上のものは見たことがない。アルファ、ベータ、ガンマ、デルタ棟があり、どれかわからずアルファに行くも、どうやら違う様子。ガイドには、7,500部屋あるという行と共に、外国人は主にデルタ棟とあるため、そちらに行くと、ようやくチェックインできた。部屋は15階の17号室。何故か、ベッドが二つある。別に、お金はもうとっくに払ってあるからいいけれど。まさかこの後誰か来たりしないよな?調度品も、アンガラより遙かにしっかりしている。プッシュ式の電話(アンガラではダイヤル。どうでもいいことだが・・・)、サムソンの13インチ位のテレビ、冷蔵庫、2枚の壁画、そして、一番気になっていたことは−やった!!お湯が出るぅー!!!これで久しぶりに気持ちよく体を洗える。髪の毛も、ムースはとうに落ちてベトベトだ。うっれしいなっと♪部屋の広さは15〜20畳程度だろうか。ベッドが二つあるから狭くは感じるが。一通り確かめたところで、腹の虫が昼食抜きを責め立ててきた。地図も欲しい。1階で、先に地図を30pで手に入れ(結構店がある)、そこの先のカフェで夕飯。よくわからないので、目の前にあった4種類のパイを一つずつ食べる。チーズのが二つ、野菜が一つ、肉入りが一つで紅茶も飲み、190p。高いな。カフェでこれでは・・・。ホテルを一周してみたが、寒いだけであまり収穫なし。レセプションでパスポートとビザを返してもらい、インツーリストのオフィスで朝食のクーポンをもらうと、そこに日本人らしき大柄な男性が。話をすると、彼は大学4年生で、、石川さんたちが乗ったロシア号に乗っていて、連れが一人い、もう一人女性にもあったというから、彼らは全部で7人になったわけだ。それだけいれば退屈はしなかっただろうな。しばらくどこが良いかなど伺っていると、現れたのは芋川さんと、もう一人の女性。再会だ。二人と男性は、今日それぞれがどこに行ったか話をし、僕はそこから情報を抜き取っていた。男性にクレジットカードでの国際電話のかけ方を教わり(ホテルに何機かそれ用のものがある)、僕と芋川さんは、石川さんたちを訪ねにベータ棟へ。男性二人組と女性、芋川さんはデルタで、石川さん・太田さんはベータだという。あ、志村さんのことは聞いていないや。ベータ2036へ行くも、二人はまだいず、伝言だけ残し、引き返す。明日9:00に再び全員ロビーに集まるらしい。その時、石川さんの誕生パーティーの打ち合わせもするとか。再び彼らと話したが、モスクワでは今までより遙かに物価が高いらしい。何だかんだ言って、僕ももうかなり使ってるし。でも後3,000p以上使っても、予算の30%程度、250$だし、後50$(1,200p)位なら、予想よりずっと少なく済んだ、と言えそうだしね。明日、時間があったら、ホテルから国際電話をかけてみよう。しかし、時差が東京はここから+5時間。向こうの夜8:00にかけるには、15:00か、きついかな?街歩いてる頃だ。今夜は部屋でゆっくりしよう。シャワーも浴びよう。お湯だっ!ハバロを出発して以来だから、実に10日ぶり。気持ちよかー。髪の毛?バンバン抜けろ。どうせ普通でも1日2、30本は抜けるんだ。3日洗わなきゃ100本だ。栓なんか、詰まってしまえー!本当に詰まったけど・・・。全身を洗い、10日ぶりにスッキリ。こんなことはかつて、数日間山にこもったときにあっただけだ。次はお洗濯。やはりお湯だとやりやすい。基本的に、汚れは水より落ちるし、何より、足が冷たくならないのが良い。ペテで、お湯が使えるかわからないので、出発前にもう一度お湯の洗濯を楽しもう。これから16日まで1週間、お世話になります。

8/10 モス2日目[歩き回るのは1日目](402.5p)

 ホテルの朝食に、2階のレストランへ。バウチャーにはビュッフェ形式と書いてあったが、その通りだった。思えば、アンガラでもそうだったが、ここのはずっとまともだ。コーヒー、紅茶はもちろん、メニューも豊富で、例えば、サラダなども数種類ある。ウェイトレスも何人もい(これが普通?アンガラでは一人の女性が全てを切り盛りしていた)、フロアも、200人位は余裕で入るだろう。イズマイロヴォは、ロシアに来て一番当たりだ。サービスも良いし、昨日渡されて書いたアンケートからはさらなる向上意識が見て取れる。それを見たら、部屋ごとにパソコンをおいた方がいいかと言う項目があったので、それは近い内に実現するかも知れない。今は3つ星だが、明らかにより上を目指しているのだろう。喜ばしいことだ。気分良く食事を済ませ、9:00に待ち合わせの1階ロビーへ。一度部屋に戻るなどし、9:30頃に集合が完了。皆さん、今日レーニン廟に行くらしいので、同行することにした。志村さん、石川さん、太田さん、芋川さんの4人。レーニン廟では、チェックがかなり厳しく、カメラなどは絶対にダメだそうだ。2組に分かれ、一方が見ている間、もう一方は荷物を預かり、当たりを散歩などして待つことにした。とりあえず、それのある赤の広場まで行かねばならない。5人、地下鉄でアルバーツカヤ駅まで。地上に出ると、モスクワに来て間もない僕には、紛れなく大都会の姿が目に入った。4人に付いて、レーニン廟へ。まず、僕と志村さん、芋川さんが見ることにし、石川・太田両氏に荷を預ける。念のため、カバンも止めようと言うことにしたのだ。15分ほど並び、警官にポケットまで探られ、3人はいよいよ廟へ。ソ連の革命の指導者であるレーニンの遺体が、1924年の死後そのままの状態で(ホルマリン漬けのようなもの?)眠っているという。正面にЛЕНИНとある、一目でそれとわかるお墓の中へ。ここでも警備は厳しく、一言も喋ってはいけない。無茶苦茶怒られている人がいた。志村さんは、これでも警備は甘いのではないか、何かしようと思えば、簡単だと言っていたが。そして、当のレーニン!20畳くらいの部屋の中心に横たわり、その三方をぐるりと歩く。何だかろう人形のように見える。何故か、右手は軽く握られ、左手は開かれていた。しかし、なかなか渋くて格好の良いオジサンと言う感じ。そして外へ出ると、日本の社会主義者片山潜、スターリンなどの墓も見られた。順路に沿って廟を見終わると、下の場所に戻るにはグム百貨店を通らなければならない。良いところに作ったな。残りの二人と交替し、その間に僕らは無名戦士の墓へ。1941〜45とあり、全く身動きしない二人の兵が脇に立っている。二人が見終わり、やはり人形のようだったと話した後、石川さんの誕生パーティーのため、7:00にホテルのロビーで待ち合わせし、一旦解散。が、目標クレムリン(城塞の意)が共通するので、僕は石川さん・太田さんと過去の文化と現在の政治の中心に向かう。クレムリンの入場料+見学料+撮影料は合計320p(140:入場と主な見学料+110:武器庫+(40+30):それぞれの撮影料)。たっかいなーっ。流石首都。これでも学割効いている。石川さんは学生証忘れ、480p!ここでも荷物は持ち込み不可で、預かり料3p取られ・・・。やっとのことで中へ!クレムリンは、二つの角が取れた三角形をしていて、ほとんどの見学施設は中心部に集中している。ほぼ一通り見て、14:30入場開始と時間が決まっている武器庫へ。・・・と言っても、武器はその一部(昔のピストルやサーベル、馬具など。サーベルは1回手に持ってみたいな)で、後は博物館という感じ。昔の女性の衣装や馬車、金銀細工などが飾ってある。別料金を払って入る謎の部屋があったが、入らなかった。帰ってガイドを見ると、そこはダイヤモンド庫だという。他にクレムリンで見た(見られる?)ところは皆、イコンや棺や壁画などのある教会ばかりが7,8箇所。しかし、現在も政治の中枢がここにあるからか、警備は厳重で、少し横断歩道からずれただけであちこちから笛が鳴る。武器庫を見る直前から雨が降り出し、3人は僕一つの折り畳み傘で雨を避けつつ(天気予報見といて良かった)、クレムリンを後に。外でホットドッグ(15pと8p一個ずつ)2個を食べる。その後、再度グム百貨店に行き、石川さんたち二人はちょっと遠くにある楽器店を見に行くというので別れる。百貨店では、お土産(自分への?)に欲しいものが二つ。一つは懐中時計。これは昔からの夢で、大人になったら持とうと思っていたもの。ダンディーな感じがするし。もう一つは絵、と言うか世界地図。B5(横)ほどの大きさの古い時代の地図が、金色銀色を中心に描かれている。それは最も小さく安くて、150p位だったか?時計は確か350p。これは旅行中費用と言うより、普段のお小遣いとして、クレジットカードで買おうかな。でも一応衝動買いは止め、少し考えてからにしよう。時間はたっぷりある。ちょっと早いが、ぶらぶら歩いてホテルに戻ろう。地図を見ずに、足の向くまま進んで、最初に着いたキタイ・ゴーラッド(中華街?)駅から、イズマイロヴォ・ホテルへ。約束の7時までにはまだあるので、部屋でソファーに沈んでいると、ノックをして芋川さんがやってきた。石川さんのために、ケーキを買ったらしい。ワンホールの大きなもの。彼女と志村さんは今日の晩にサンクト・ペテルブルグに発つらしい。既にチェックアウトしているので、部屋に入れない。そこでケーキを僕の冷蔵庫に入れるために来たらしい。石川さんたちのベータ棟は、ここデルタとは違ってかなり悪いらしい。部屋も狭く、ボロボロでもちろん冷蔵庫はない。そろそろ7:00。僕もロビーに向かおう。こっそり誕生日カードも書いて(芋川さんは石川さんの年齢を一つ間違えて書いていた・・・)、相談したところ、下手なレストランより、キオスクなどで食料を買い込んで、ホテルの部屋で家庭的に祝うことに。必然的に僕の部屋になる。ベッドを少し動かし、僅かながらもそれらしい雰囲気を作る。パン、ローストチキン、サラダ、魚を買ってくる。全部で200pちょっとかな?一人4、50p。石川さんに出させるわけには行かないが。そしてケーキをテーブルに乗せ、主賓の登場を待つ。彼が来て、ケーキのふたを開けて、ハッピーバースデーの歌を合唱。С днём рождения!パーティーの開始だ。4人はシベリア鉄道で皆同じコンパートメントに入ることができたため(途中でそうしてもらったよう。もともと3人が同室で、そこに入ったロシア人が厭がったからだとか)、至極楽しかったらしい。トランプをしたり、今のようにいろいろ食料を買い込んだり、こちらは一人、退屈で発狂しそうだったというのに。まあ、そんなことはどうでもいいが。今夜はロシアへ来て一番楽しい夜だった。まさか異国で日本人のバースデーを祝うことになるとは思いもよらなかったし、大量に仕入れた食べ物は予想を裏切らずに余り、志村さん曰く「最後はごめんなさい」と言うことで僕の部屋の冷蔵庫に。一週間あるから良いが、それでもケーキが・・・。今日食べた一人分でも気持ち悪くなりそうなのに、それ×3もある。ともあれ、バースデーカードも渡し、僕の手持ちの乾燥サラダと、煎茶のティーバッグをジェジュールナヤに頼んだお湯で戻して最後に飲み、お開き。撮った写真を送ってくれるように志村さんに頼み、お別れ。連絡先は教えたが、もうロシアで芋川さんと志村さんには会わないだろう。日本で会う約束をし、お礼をし、見送った。彼らの残りの旅が無事済みますように。その帰途、水を買い(18p)、石川さんにケーキを食べに来てくれるように頼み(彼ら二人は今夜を入れてもう2泊する)、部屋に戻った。2度目になるが、最高の夜だった。

8/11 モス3日目[2日目](152p)

 宴から一夜明け、残ったのは清々しい気持ちと大量のケーキ。月並みな表現だが、かけがえのない仲間たちを思いながら、本日の予定を立てる。外は霧でほとんど何も見えず、天気予報では雨マークが。列車の中で決めた大まかな7つの予定(7日間分)の内、どこに行こうかと物色する。昨日は@クレムリンと赤の広場に行ったから、順番は変則的だがCアルバート通りと新アルバート通り+ヴォルホンカ・プレチースチェンカ・大ピロゴーフスカヤ通りにしよう。ボロジノの戦いやトルストイ関係(『戦争と平和』の影響)の展示を見られるらしい。8:00を過ぎたことに気付き、朝食へ。昼・夕食代を安く済ませようと言う野望の下、たくさん食べた。独特のヨーグルト飲料”けふぃーる”も飲んでみる。プレーンの飲むヨーグルトと言った感じだ。そして、9:40、ホテルを出る。イズマイロフ・パルク駅の手前で、4度目!!警官にパスポートの提示を迫られる。どうしてこう頻繁に?そう言えば、芋川さんが、山内さんが最初に僕を見たとき「モンゴル系に見える」と言い放ったと言っていた。そうなのかなぁ。でも、他の人はほとんどないと言うし。とまれ、昨日と同じ革命広場駅で降り、車が多く通る大通りを通って新アルバート通りへ。国立図書館、アルバート広場を経、新アルバート通りへ。ドム・クニーギ(本の家)に入ってみる。ロシア人がヨーロッパ一と言うだけあって、かなりたくさんの本が2階に渡って置いてある。1階には文具やPCソフトなどのコーナーも。『戦争と平和』のロシア語の本でもあれば買おうと思ったが、探せどない。同じトルストイでも、『アンナ・カレーニナ』はあるのに。この通りには他にもいろいろな大きい店があり、ウィンドウ・ショッピングだけでも楽しめる。そして更にその先へ。日本では警視庁のビルが少し変わった形だが、モスクワ市庁舎のビルもおかしな角度が付いていて、面白い形だった。くねくねと折れ曲がって街をあちこちで横切っているモスクワ川を越えると、そこにはものすごく荘厳な感じの、宮殿のような建物が!ガイドを見ると、ウクライナ・ホテルとある。こんなところに泊まる人たちって・・・一体?そこから通りはクトゥーゾフ通りと名が変わる。1812年にナポレオンが攻めてきたとき、それと戦った司令官クトゥーゾフの名前だ。昨日顔を見て親しみが沸いてきたレーニンさんの塔がある広場で一休みし、再び2q程度歩く。途中、フィルムが残りほとんどなくなり、手持ちはないしホテルまで戻るのもいやなので、12枚撮りのものを買った。こちらのが使えるかどうかのテストも兼ねて。しかし、44pと高い。かなり安い部類のものを選んだのに。日本円にしても\220。直しても日本より高いなんて、初めてだ。そして、やっとボロディノ戦闘パノラマ館へ。学生料金で7.5pだったが、本に出てきた登場人物たちの肖像があり、次に2階へ上がれと言う。すると、そこにはドーム状の丸い部屋全体に、戦闘時の様子が壁画として描かれ、手前には実物大の焼けた建物や大砲の模型が!極めて精密で、両者の境界もわからないほど。360度戦場で、本当にそこに立っていたような気がした。そこを出て、クトゥーゾフ将軍らが通った記念の凱旋門があり、老将の姿が一番上に見られる。凱旋門はパリだけではないのだな。そして、その道の反対側を通って戻る途中、路地の奥に市場らしきものが見え、足を惹き付ける。そこはかなり大きな、”ロシアらしい”市場で、近代的なものばかり見ていた目を安心させてくれた。そのまま進んだところ、キエフ駅に出てしまい、少し戻ると、マクドナルドが見える。少し遅いがобедだ。間違えてセットのものを頼んでしまい、しかも、よくわからないで首を振ったら、飲み物とポテトをいらないと言ってしまったらしく、大きめのハンバーガー一つで35.5pも請求されてしまった。しかし、基本的な値段は、ハンバーガー9p、チーズバーガー10.5pで、ウラジオのマジックバーガーとあまり変わらない。少しホッとした。味もまともだし。モスクワ川を渡り、アルバート通りの歩行者天国へ。志村さんたちは絵を買い(彼は何故かウズベキスタンの絵)、芋川さんは似顔絵を描いてもらったという(結構似ていた)。入り口のところで、石川さんにあった。顔が赤かった・・・。僕も似顔絵、描いてもらおうかとも思ったが、他に行きたいところが残っていて、時間も迫っているので止めた。どうせモンゴル人だし(笑)。アルバーツカヤ駅からメトロでクロポトキンスカヤ駅へ。ヴォルホンカ通りだ。今、15:30位、プーシキン美術館へ。学生は60pだが、それに見合う質・量の内容だ。数々の名匠の絵画(ホンモノ)、教科書に出てくるような有名な彫刻(模型。教育目的で建てられた美術館のため)に見とれ、早く出るつもりが、1時間30分もかけてしまった。外に出るともう17:00。トルストイ博物館とノヴォデヴィッチ修道院はもう閉まっている(『地球の歩き方』より)。救世主キリスト聖堂はまだ完成前(後で知ったことだが、建物を回り込むと、入り口があるらしい)。残るトルストイの家博物館へ。大通りを渡るのに戸惑ったりしながら、17:30前には着いた・・・が、閉まっている。ベルを鳴らすと、警備の人が出てきてもうダメだという。18:00までって、書いてあるじゃないかぁ!気落ちし、もうホテルに戻ろう。夕飯は・・・ケーキでいいや。サラダとかも少しあるし。あぁ、ビール買えば良かったな。でもケーキで酒は気持ち悪いか。8:30位に、石川さんが来た。彼らは明日の晩にサンクト・ペテルブルグ(以下、ペテ)に発つが、明日会えなかったときのために向こうで会おうと言うことだった。僕は17日の朝に到着し、その晩に彼らは帰国の途に着く(ペテ→(夜行)→モス→(国内便)→ウラジオ→(30人乗りの国際便)→富山→(深夜バス)→東京。全4泊)。ロシアで会うのはそれで最後だろう。ホテルも全然違うし(二人はユースホステル・ホリデー、僕はオクチャブリスカヤ・ホテル)。モスクワ駅(モスやペテでの駅名は、そこから出る列車の目的地名になっていることが多い)のインツーリスト前に夜7:00と約束し、彼は帰った。あーっ!ケーキ食べてもらうの、忘れてしまったではないか!

8/12 モス4日目[3日目](261p)

 朝、テレビの天気予報を見ると、やはり雨。ここに来てから一度も晴れない。降水量は東京の半分らしいが(8月)。面白い番組をやっている。1チャンネルで、今日1日やる番組の名前を、その時間と共に観衆の一人(クイズに勝った人)に1分間で言わせるのだ。チャンネルの宣伝にもなるだろうし、良い企画だ。昨日は全部言えていたが、今日と一昨日の人は半分位。残ったところを、アナウンサーが超速で言っていた。8:00直前にやるようだ。それを見て、朝食に。ここへ来てから、いつも2,3人の日本人を見かける(日本語を喋っている)。今日も大量に食べ、帰りにサービス・ビューローでどんなオペラやバレエが見られるか聞いたが、今はボリショイ劇団が巡業でモスクワの外にいるためやっていないらしい。だったらボリショイ劇場の掲示、外しとけよな。去年ロシア語の授業で扱った『スペードの女王』(プーシキン作。結局1年かけても終わらなかった・・・)とか『白鳥の湖』とか、見たかったのに・・・。町中のチケット売場で、他の劇場でやっていないか見てみよう(忘れていなければの話)。今日はEヴァラビヨーヴィ丘でモスクワ大学などに行き、時間が余ったら、昨日までに見ていないところや、アルバート通りの似顔絵に挑戦してみよう(やっぱり気になる。石川さんも描いてもらったと言っていたし)。更に暇があれば、グム百貨店で自分へのお土産だ。他人へはまだいいや、重くなるから。それに、ホテルの近くの公園でお土産マーケットがあるらしい。土日は盛況のようなので、最後の日当たり、行ってみよう。例によって、イズマイロフ公園駅からメトロでウニヴェルスィーツェット(大学)駅まで。地上に出ると、前に、柵に囲まれた遊歩道と住宅街があり、柵は見える限り続いている。何ーっ!これがモスクワ大学の構内だとーっ!?東京ドームがいくつ入るのだ?最も中心の本館は、スターリン様式で、30階建てだという。28階には、地球科学博物館があり、そこからの眺めが素晴らしいようだが、入り口で見学したいと言ったらダメだという。裏口にも言ったが、やはりダメ。これが、学生などが多ければ、それに紛れることもできたろうが、生憎人の出入りが少ない時間帯。仕方なく、写真だけ撮り、裏口の正面にある展望台から街を眺め、次の目的地、ノヴォデヴィッチ修道院へ。と思ったが、近くに橋(モスクワ川を渡る)がない!!しかも、最寄りのメトロの駅が改修中なのか、使えない!10数qは歩いただろうか。やっと駅が見つかり、修道院の近いスパルチーヴナヤ駅へ。ノヴォデヴィッチは、太田さんたちが薦めていた。テリトリーの入場は学生14p、メインのスモレンスキー寺院は入らなかったが、入り口からある程度中が見えた。イコンがたくさん見えた。また、ここにはフルシチョフやゴーゴリなどの有名人の墓が多くあるらしいのだが、知っている人の墓は見つからなかった・・・。その次は、トルストイの家博物館。学生は15pで、トルストイが住んでいた家がほぼそのままの形で残されている。『戦争と平和』以後の、『復活』などが書かれたという。その後、トルストイ博物館へ(学生10p)。こちらは、トルストイ’関係’の絵や写真、彼の自筆の原稿などがあった。肖像画もあり、その姿は、『戦争と平和』に出てくる主人公アンドレイの父(世をすねた偏屈者)のイメージと重なった。そこを出ると、もう16:30。アルバート通りに向かい、予定通り似顔絵を描いてもらう。200p。他の人たちは、10$(240p)とか300pとかなので、少し安い。30分くらいかかり、途中で石川さんと太田さんが歩いてきた。最後の偶然か?二人は今日一日航空券のリコンファーム(予約の再確認)でつぶされてしまったらしい。石川さんが、「格好良く描けてますよ」と言ってくれ、ちょっとうれしい。再びペテで会う約束を確かめ、5日間の別れだ。出来上がった絵は、位置が少し紙の上の方だが、上手く描いてくれた。定着剤をスプレーしてくれ、丸めてくれる。17:30近いので、ホテルへ。駅を降り、ビール(500ml10p)とローストチキン&ポテトセット(15p)、パン(7p)を買い、部屋で食べようと思う。仲間たちも言っていたが、その方が絶対に安上がりだからだ。合計32p。パンは小さい6pのものを買おうとしたが、おばさんが2倍くらいの大きさの7pのものにしなさいと言ってくれ、それにした。部屋で食べ、飲む。パンが大きすぎて少し残ったが、一昨日のサラダは減らせた。この調子なら、モスを去るときにはなくなるだろう。石川さんたちは、今夜の夜行列車”赤い矢号”でペテに向かう。二人が着く明日は、芋川さんがロシア最終日だとかで、共に食事するとか。志村さんはもう次の国に行っているだろう。この旅のスプートニク(旅仲間)には、ものすごい恵まれていたな。
 今日は午後から晴れだした。この調子が続いてくれると良いのだが。明日は、石川さんたちが薦めていた郊外(列車で1時間30分位)か、インターネット、国際電話、オペラ・バレエのチケット売場探しのどちらかをしよう。残り日数を考えると、先に後者かな?

8/13 モス5日目[4日目](274p(+20$。自分へのプレゼントは旅費に含めないことにした))

 旧に悖らず、朝食は大量に。パンの小片二つ、ご飯(少々パサパサなのは否めない)、サラダ、チーズ、ハム2枚、ウィンナ、パンケーキ(クレープみたいなものを巻き、中に何か甘い物が入っている。何かは不明)、ヨーグルト、コーヒー(飲んでいる途中で席を立ったら、持って行かれてしまった)、そしてエクレアと紅茶まで。これだけ食べれば大丈夫だろう。今日は、A劇場通りからマホーヴァヤ通りと、F街を歩き回る。メトロ(地下鉄と書くより画数が少ない)で革命広場駅へ。10:00から開かれる聖ワシリー聖堂へ。しかし、掲示には11:00からとある。まだ30分以上あるではないか。しばし呆然としていると、人の良さそうな男性が、にこやかに切手集を買わないかと薦めてくる。中を見ると、結構充実している。20$。こちらの人にとっては高値だが、わるくはない。買ってしまおう。今回、自分へのお土産は50〜100$にしようと決めていた。旅程の2/3で20/50なら、まだまだ余裕はある。仮に、例の懐中時計と古い地図の絵を買ったとしても、計40$位だ。その二つは、まだしばらく買わないことにした。何故なら、ホテルの近くのイズマイロフ公園で土日にお土産マーケットが開かれるらしいし、それのあったグムは、ペテにもあるはず(どこにでもある。確かウラジオにも)だから。グムで少し時間をつぶし、11:00。やっと聖ワシリー聖堂へ。学生は26p。中は、1階が、今までの教会を多少金銀きらびやかにした感じで、大きなイコンが見られる。そして、2階に上がる階段が狭く急で、ものすごく雰囲気がある。隠れ家や迷路のような気がして、楽しい。2階は、一番高い塔を中心に不規則な高さの塔(外観から。どこから見ても左右対称ではない)に行くことができ、探検しているようだ。外に出ると、それまで降っていた雨が止んでいる。次は、赤の広場を挟んで反対側の、国立歴史博物館だ。赤い煉瓦でできていて、正面から見るとどこか平面的な印象を与える。学割で38p払い、バッグを預けるように言われたが、面倒なのと預け場所が見つからなかったので、すぐに展示室へ。その名の通り、人類史の初めから、近くなると歴代の皇帝の肖像など、くさび形文字の刻まれた壁画、ツタンカーメンの仮面など、2階に渡って、ガイドによると30万点以上あるという。一通り見た後、ニコーリスカヤ通りからルビヤンカ広場へ。ここから劇場通りが始まる。お昼を回り、13:00近いので、軽い昼食。フランス式ホットドッグ(フランスパンに縦に穴を空け、マヨネーズとウィンナを差し込む、26p)と、前から飲みたかったクヴァス(9p)を露店で購入。黒パンを発酵させて作った炭酸飲料クヴァスは、やはり黒パンのコク。結構クセがあるが・・・。そして、高名なボリショイ劇場へ。前述の通り、劇団が今はいないので、閉まっているが、中から歓声が聞こえてきそうな重厚さだ。結局、街のチケット売場を5つほど見たが、知っている名のオペラやバレエは、『白鳥の湖』と『ドン・キホーテ』(共に日付が全く合わない)だけ。ボリショイでなくとも、バレエ『白鳥の湖』かオペラ『スペードの女王』が見られれば良いなと思っていたが、その期待も裏切られた。そのまま通りを歩き、クレジットカードで国際電話がかけられるところがないかと、インツーリスト・ホテルに入るがなく、隣のナツィオナーリ・ホテルは高級ホテルらしくドアボーイの雰囲気が極めてフォーマルなため入ることすら躊躇われる。だが、考えてみれば、明日は土曜。土曜なら、平日より外出している可能性は低いだろうから、時差を考えてイズマイロヴォで朝食の時位(8:00〜10:00。日本では13:00〜15:00)にかけてみればいいのだよな。歩を進め、ガイドにはあるが入ることのできないいくつかの建物を横目にしていると、前方に、頭一つ分、他より高くて目立つものが二つ。一つは教会のようなもので、地図等で確認すると、改修中で中には入れなかった救世主キリスト聖堂と判明。もう一つは、更に目立つ。何と、ビルより高い船の形だ!時刻は15:00。本日のメイン・イベント、トレチャコフ美術館に行く前に、近づくことに。モスクワ川の左岸、右岸どちらにあるかわからない(川はうねっているから)ので、左側を進むと−外れ。右だった。高さはモスクワで一番高いと言っても良いかも知れない。その黒い彫刻か何かの船の上にでっかい人(レーニンか?)が乗っている。細く、バランスが悪そうだ。あまりの高さで、フィルムに入れるのにかなり遠ざかる必要があった。その意味では、左で正解だったかも。中に入るものではなさそうだし。ふと後ろを見ると、そこはイスクーストフ公園。7月に何か展示をやっていたらしく、たくさんの彫刻が飾られている。それの期間が終わったからなのか、タダで入れた。ラッキー!そこは、隣のトレチャコフ美術館(こちらは新館。まだ旧館がメイン?)のようだ(後でわかったので入らなかった。ガイドは2行で終わっているのであまり大したことはないのかも知れない)。そして、いよいよペテのエルミタージュ美術館に次いでロシア第二というトレチャコフ美術館(旧館)へ。流石に高く、学生が100pと撮影24p。だが中も流石!有名な画家たちの作品が数多く、ヴルーベリと言う画家の大きな絵や、レーピンなどの描いたトルストイの肖像をカメラで撮る。せっかく24p払ったからね。帰りに、文庫本サイズの美術館の画集を24pで手に入れる。ロシア語ので、一番安いやつだ。英語版ではつまらないから。ゆっくり見て、1.5時間ほど。あとで、エルミタージュと比較してみよう。17:30、ホテルへ。今日はビッグ・バーガー18pと9pを。ケーキも今日一つ減らさねば。歩き回る日が7日中4日、半分以上が終了。今のところ順調だ。メトロに乗るのも5日目。発車・停止が素早いのにも(今でもよろめくが)、ドアの開閉の勢いがすごいのにも、エスカレーターが早くて勾配が急なのにも、ときどき一瞬電気が消えるのにも(・・・)慣れた。ホームの端に、デジタルの時計があり、その右に、前の列車が出てからの経過時間も表示される。時刻表などはなく、長くても2分以内、普通1分位で次のが来るようだ。これで駆け込む必要がなくなり、ドアが閉まりそうになったらみんな手前で待っている。立派だ。モスへ来てから使ったのが1461.5p。一日292.3pだ。計算では、1日300pで、全費用300$で済む(自分のものは含まず)。この調子かな?(全平均211.7p、全計7,200p)天気は晴れたり雨が降ったりしたが、良い1日だった(天気予報はあまり当てにならないかも知れない。これは世界共通か?)。朝と夕は疑問の余地なく晴れ。明日もお願いね☆今日で終わったものが二つ。一つはボールペン1本。かなり気に入っている種類で、書きやすいがインクが早くなくなる。3本持ってきて順番に使い廻したのだが、1本死に、残り2本も瀕死。青のものが丸々1本あるので、何とか保つかな?(ノートも、終わり頃には怪しいかも知れない)二つ目は、『戦争と平和』の第3巻。これで残った本は、同じく第4巻だけ。4巻は他より短いとは言え、相変わらず文字数多い上に500頁以上あるから帰国まで、十分だろう。500mlのビール(9p=\45)で軽く酔い、乾燥しかけてきた甘いケーキで眠くなぁ〜る。明日はセルギエフ・パッサートだ!

8/14 モス6日目[5日目](91.6p(+10$+約10$:国際電話、家の留守録の関係で、出なかったが、もしかしたら請求されるかも))

 昨晩、バイカル号以来ずっと来ていた赤いシャツ・茶色のズボンペア+下着類を踏み洗い。洗剤が残り少ないのも、シャツの色が落ちているのもお構いなし。もう一着、全く着ていないペアがあるので、帰国はそれにしよう。後1回、ペテで洗濯すれば、ちょうど良い。とりあえず、これから5日間は蒼いシャツ・グレーのズボンだ。朝食の後、クレジットカードで国際電話をかけてみる。が、誰も出ず。やっぱり土曜日でも昼間は難しいかな。10:00から、公園でお土産マーケットが開催される。それに合わせてホテルを出ると、ホテル前の道を、右(駅方面)から左へ大勢の人が切れ目なしに歩いている。その先を探ると、これが公園に向かう列だった。入場に10p取られたが、中の賑わいは、ウラジオで見た一番大きい市場と同じほど。しかも、その広さは東京ドーム位あるだろう。百を越えるお土産屋で、ついに懐中時計を買ってしまった。プーシキンが表面で横を向いている(・・・トルストイはなかった)。生誕200周年記念のもののようで、ゼンマイ式!10$。グムでは350p。10$=250pだから、こちらの方がかなり安い。他にも、本物の、木に描かれた古いイコンや、絨毯、アルバム、マトリョーシュカ、絵、食器、時計、カメラ・・・などなど、何でもあった。他人へのお土産と、地図の絵、アルバム(旅で撮った写真用)は、かさばるためペテで最後の頃に買うことにした。30分くらいで切り上げようと思っていたが、11:00を過ぎてから公園を出た。このマーケットは、モスクワの名物にも成りうるだろう。これで、今日は何があっても満足だ。しかし、更に幸福を求め、セルギエフ・パッサートへ。シベリア鉄道を降りたヤロスラブリ駅で、セルギエフ・パッサート(以下、セルギ)行きの近郊列車の切符を買おう。案ずるより生むが易し。行き先を言ったら、簡単に切符(12.8p。何か、ただのレシートに見える)を手に入れられた。列車は11:59に発車。何時間かかるかわかりやすくていいや。乗り込むと、当然ロシア号などとは違い、日本の特急列車のような対面配置の席を普通列車のもの(木製の、それに若干のクッション)で作った感じ。30分ほど寝てしまったが、到着までの1時間20分、切符のチェックに来る気配はなかった。寝ている間に来たのだろうか。これでは無賃乗車のし放題ではないか。セルギに着き、そこからどう歩けばいいか、全くわからない。地図もない。とりあえず、人の流れに従ってみる。すると、10分弱たって、それらしき教会ライクな建物が見える。人は次第に多くなり、そこが目的地セルギエフ・パッサートだと確信。前の広場では、マトリョーシュカなどのお土産が売られている。高い壁に囲まれた内部は、スカーフを被った女性や黒服の男性など、ロシア正教の聖地らしく神学生が歩き回っている。団体にくっついてトロイツキー聖堂に入る。中では、数々のイコンを背に賛美歌(だと思う)が歌われ、長い列を作って蝋燭を捧げる人たちの姿。ウスペンスキー大聖堂では、その方法が使えず、入れなかったが、おばさんたちが掃除しているようで、中にはやはりイコンが。一通り眺め、修道院前の広場へ。その前には、ベリョースカ(お土産屋)。左手にはレーニン像の手前に、馬車が。客に乗らせているようだ。昼食代わりにマロージェナエとペプシコーラ(4p、6p)を。そして、マクドナルドの標識が見えたりする通りをモスクワ方向へ。5分ほど歩いていくと、赤い煉瓦づくりの、木々に少し隠れたおもちゃ博物館。学生は5p。中には、ロシアのマトリョーシュカはもちろん、日本の雛人形やこけし、中国の獅子舞など、世界各国のおもちゃや人形が展示されている。15:30。ぼちぼち駅に戻り始めよう。ピロシキとパイの相の子のようなものを食べ(少し空腹だったため、6p)、12.8pの切符を買って、16:22の列車で1時間25分位でモスに帰る。帰りは車掌さんが来て切符の確認をしていた。普通そうだよね。メトロへももうスムーズに乗り換えでき、イズマイロフ公園で降りるには後ろの方に乗れば出口に近いことがわかり、地上で今日はハンバーガー、チーズバーガー、ビール(12+14+9p)を買ってホテルの部屋に着いたのが18:30。残っていたナスのサラダとオレンジ(芋川さんが別れ際にくれた)を食べる。これで冷蔵庫にはケーキだけが残った。明日にはなくなるな。今日はのんびりしていたが、楽しい日だった。計3時間。列車の席で座っているような日を、7日間の半ば位に配置できたのは正解だった。セルギも1日つぶせる楽しいところだった(確か志村さんもそう言っていた)し、イズマイロヴォのマーケットも最高!モスクワでの暮らしが、街をある程度理解できたことで面白くなってきた。ただ、油断は大敵。旅行会社の人も、甘く見ると痛い目に遭うと言っていたし。気を締め、明日は電話を忘れずに、トヴェルスカヤ通り周辺などを歩き、モスで初めにあった男性が言っていた、メールの出せるところを捜そう。2本目のボールペンのインクがなくなってしまった・・・。

8/15 モス7日目[6日目](64p)

 前日の言葉、ちょっと訂正。ボールペン、ほとんどなくなってはいたが、まだ辛うじて生きている。しかし、今日出かけて帰ってきたら−ない!どうやらジェジュールナヤの人が、なくなったと思って捨ててしまったのだろう。仕方なく、青のボールペンで書いている(もう1本の黒のは、手帳記入用に残しておく。それだけの用なら十分だろう)。
 今朝は、朝食後、9:30にホテルを出た。その前、9:00頃に国際電話をかけ、無事を知らせる。今日はつながったが、つい長話をしてしまい、20$もかかってしまった。1分2.5$だから、8分だ。手紙(イルクで出した)はまだ届いていないようで、安心したようだった。それはともかく、革命広場駅から歩きだし、Bトヴェルスカヤ通り周辺+大ニキーツカヤ通りが今日の予定。まず、先日も通った、インツーリスト・ナツィオナーリ両ホテルから始めるトヴェルスカヤ通りを歩こう。中央電話局を反対側に見て(この辺りにインターネットができるところがあるという。後で時間があったら捜してみよう)、トヴェルスカヤ広場、モスクワ市庁舎、プーシキン広場へ。そこの広場の奥には、プーシキンスキー映画館があり、スター・ウォーズ・エピソードIの看板が大きく目に付いた。革命博物館を見つけ、入る。学生は5pのはずだが、10pと、別棟用の10p、計20p取られた。内容は、ロシア革命関係を主に、大戦・戦後のロシアの歴史も紹介していた。それらのポスターが数多く、風刺的なものもあって面白い。レーニン廟に名の刻まれていた片山潜の、レーニンの著書の和訳もあったりした。次は、グリンカ中央音楽博物館へ。途中、雨が降り出し、急いだが、закрыто(休館)!失意のもとに若干名前が変わった第1トヴェルスカヤ通りを進み、ベラルーシ駅へ。そこからメトロでクラスノプレスネンスカヤ駅へ行き、大ニキーツカヤ通りをモス中心部に戻るつもり。しかし、降りた目の前が動物園で、何となく惹かれ、入ってみる(20p)。日本で入った動物園の記憶が古いため、上手く比較はできないが、かなり大規模な部類にはいるだろう。中には、遊園地もどきの施設もあり、子供たちがかなり陽気にちょこまかと走り回っていた。イタリアかどこかの、口を手に入れて正直さを測る顔の模型(何というのだっけ?)もあり、機械仕掛けになっていた。1時間くらい遊び、外へ。大ニキーツカヤに行こう。・・・と、その前に、チェーホフの家博物館があるというので行くが、ここも何故か錠が下りている。諦め、次は大ニキのゴーリキーの家博物館へ。ここはようやくやっていて、タダで中に入れ、彼の生活を多少なりと感じることができた。その前に小さな修道院に入り、しばし息を休めたのが良かったのか、元気が出てきた。雨は上がり、晴れ間が見えてくる。大ニキを進む。この辺りには、日本大使館があるらしい。いざとなったら駆け込もう。ガイドによると、ピアノの巨匠リヒテルを生んだというチャイコフスキー記念モスクワ音楽院を見、歩き続けていると、前方にエメラルドグリーンの建物に、музей(博物館)の文字を発見。入ってみると、学生などは5p。展示物を見てびっくり。入り口にはзоо(三百ではない、=zoo)の字も見えたので、動物関係だとは予想していたが、古今東西、ありとあらゆる動物の標本、骨格、ホルマリン漬けが陳列されている。例を挙げればきりがないので止めておく(万単位だろう)が、地球の歩き方に載っていないのがおかしいくらいの穴場だ。そこで大ニキも終わり、クレムリンの城壁が見えてきた。先程保留していた、インターネットセンター探しだ。中央電信電話局の入り口に、その建物の裏にцентральный телеграф(訳は中央電報局と言う感じか?)があり、英語でInternetとあるので行ったが、今日日曜日は休みらしい。月曜はやっていて、8:00〜17:00なので、明日の朝一番で行ってみよう。時刻はまだ16:00前だが、ホテルに戻る。歩いている途中、懲りずにチケットのキオスクを当たってみる。・・・何と、その内の2ヶ所に『スペードの女王』を発見!日付は8/26と、10日以上も先だが、やっていることがわかったのは収穫だ。ペテに着いたら真っ先に見てみよう。最後の賭だ。今日はピロシキ2個(5×2p)とビール(9p)を買う。モスに来てからはピロシキをあまり食べていない(どうやら最近はハンバーガーやホットドッグなどのファーストフードに流行が移ってきているみたいだ)ので、苦しかったシベリア鉄道を思い出す。それらと、残っていたケーキの最後の一切れを平らげ、ほろ酔い加減。が、まだ18:00にもなっていない。よし!理性がマヒしている間に、もう一つの野望に果敢に挑んでみよう。即ち、カジノだ。・・・が、列車の切符をもらう交渉をしている内にやはり一人では心細いと、怖じ気づいてしまった。ここはロシアなのだ。他の国と一緒にはいかない。明日、朝食の時にでも日本人に声をかけて一緒に行ってもらおう。切符はまだホテルになく、明日には届くから心配するなと言われた。でも明日出発だぞ!?夜だからいいけど。それらを考慮すると、明日は朝、日本人を誘ってチェックアウト、ホテルに荷物を預け、昼は街を歩き、夜にカジノと荷物の受け取り、23:55の列車だから、23:00前に駅に着いていればいいや。とすると、明日の朝で一週間滞在した部屋とはお別れだ。最後の夜は、まだ長く過ごせそうなので満喫しよう。シャワーを浴び、お湯を贅沢にたっぷりバスタブにためて、肩までどっぷり浸かる。やっぱり、お風呂はこうでなくちゃ!雨と泥で汚れたズボンの裾だけを石けんで洗い、マウンテンバイクのレースをやっているテレビを見ながら就寝だ。

8/16 モス8日目[7日目]、出発日(→ペテ、夜行23:55発、翌8:25着)

 最後とは言え、容赦せず、ご飯はたくさん♪日本人を捜せど、それらしい人たちがいたと思えば、よくわからない中国か韓国の言葉を喋っている。カジノの夢は諦めるか。それに伴って、予定も少し変更。チェックアウトをしないで、街を歩き、早めにホテルに戻って夕食を取ってからチェックアウト。駅に向かい、待合室で読書などしながら数時間を過ごす。ついでに明朝からの予定も。ホテルにアーリーチェックインし、地図を入手し、アエロフロートのオフィスを探して、帰りに航空券のリコンファーム(再確認)をする。これをしないと、予約が無効になってしまうそうだ。そしてもう少し歩き、夜19:00に石川さん・太田さんと最後の晩餐だ。あ!オペラなどのチケットも手に入れよう。
 イズマイロフ公園から革命広場駅へ。もはや手慣れた経路だ。まず、例の中央電報局へ向かう。建物の完全に裏で、あまり人気のないところだが、2階の一室で、1分7pでインターネットができるという。まず、メールを書く。当然、日本語は使えないので、英語で(ロシア語でもいいが、向こうがわからないし、上手く表示されない可能性もあり得る)。届いているかどうか心配だ。差出人はどう設定されるのだろう。しまった!署名するの、忘れてた。でも、モスクワからなんて他にいないからわかるだろう。2,3、見たいサイトがあったのだが、URLを指定しても、接続にあまりにも時間がかかり、結局エラーになってしまうので諦めた。それを何度も繰り返したため、112pも取られてしまった(16分)。ちょっと不満。気分を変えて、歩き出そう。降りた駅の方に戻り、最後のDミャスニーツカヤ通り+平和通りとВВЦへ。ルビヤンカ広場から始まるが、早速迷ってしまう。何せ、そこから大小8本の道が出ているのだ。ようやく探し当て、進み出す。しかし、ホテルを出た頃から雨が降ったり止んだり。おまけに風も強く、天気予報では1日中雨、気温は15℃だと言う。それが最高気温だとしたら、今は12,3℃か。風のせいで体感温度は日本の真冬並み。歩けば暖かくなるだろうと言う期待は、北国という巨人の前に脆くも崩れ去った。今日は月曜日(понедельник)と言うことで、ロシアの多くの博物館などは休みだらけ。よって、街をただ見るだけでこの通りは終わりそうだ。残り3本+数枚と言うフィルムには良い特効薬だ。通りの最後の向かいには、シベリア鉄道の到着したヤロスラブリ、そして今日ペテに旅立つレニングラード両駅、そしてカザン駅のあるコムソモール(または”とぅりー・う゛ぁぐざーら”=3つの駅)広場があるが、それは後のお楽しみに取っておこう。サドヴァーヤ・スパスカヤ環状道路を使い、平和通り(проспект мира)へ。ここも、街の雰囲気を感じるためだけに歩いたようなものだったが、ハバロのレーニン広場周辺を思わせる大きな建物群が見える1時間だった。左前方には、ホテルからもその高さが伺われたオスタンキノ・テレビ塔がそびえている。かなりの高さで、近づいたと思ってからふもとに着くまでにも多くの時間を要した。真下から見ると、昔、ドラゴンボールという漫画に出てきたカリン塔を彷彿とさせる形で、塔の途中は何ヶ所も横に出っ張っていて、てっぺんは雲の中だ。экскурскаяと言う入り口から、ふもとの建物に入り、切符билетを買う。上の方にレストランもあるようだ。80pもした。それから、切符と一緒にB6位の何か書かれた藁半紙を受け取った。何か書くようだが、そこまでロシア語はわからない。何人かに、英語が分かるかと聞いて、若い男性二人に教えてもらった。どうでも良いが、英語の浸透率はやはり若い人の方がいいようだ。上から順に、レストランに入るか否か(без рестрана или с рестраном)、見学日とその右に時間、名前(ロシアでは名・姓・父姓を使う)、パスポート番号、国名、住所(Япония、ホテル名)だ。親切な二人に礼を言い、いよいよ塔内部へ。警備員のいるところで切符を切ってもらい、書いた紙を渡して中に入る。すでに何人かがエレベーターを待っていた。待つ間に、チケットを見ると、何と、塔は540mの高さだという。エレベーターが来て、10人くらいが乗り込み、上昇を始める。地上から○○mと言う表示があり、100、200、300を越え、337mで止まる。ここにレストランもあり、外(下?)が見られるようだ。東京タワーが333mだから、誰も上れないその頂点から更に4m上にいるわけだ。扉が開き、絶景が目の前に!いや、目の前にあるのは絶景ではなく、急速に流れる雲だ!!雨はまだ降っているが、この高さではまだ氷の塊で、雪のように舞ったり、ダイアモンドダストのようにきらきら輝いている。ここから落ちる空気との摩擦で溶けるのだろう。そして何より、眼下に広がるモスクワの街並み!一部には、足下がガラス張りで、真下が見えるところもある!何pか下からは300m以上の無だ!宙に浮いているような、本能的な恐怖が背筋を冷たくする。生憎まだ曇っているため、クレムリン方面はよく見えない。晴れないかなぁと、オペラグラスの代わりにと日本から持ってきた双眼鏡をかざしていると、モスクワの中心部に、陽が当たり始め、明るくなってくるではないか!!!この時ばかりは、僕のために神がいるのではないかと思ってしまったね。建物(グムか?)の影で、クレムリンはあまり見えなかったが、聖ワシーリー聖堂の、不規則に並ぶたまねぎ形の屋根が、その上に頭を覗かせていた。右の方には、救世主キリスト聖堂や、あの謎の巨大な船も見える。そしてそして、左の方に目を転じると、見覚えのある4つの建物群。あれは、我がイズマイロヴォ・ホテルではないか!?これで双方から双方を眺めたことになる。無邪気にも、そこの狭い空間に1時間以上も居座ってしまい、フィルムも10枚位使ってしまった。ようやく下に降りると、15:00。レストランで食事をするのも忘れてしまったほど、感動した(ロシアに来てから一番かも知れない)。偶然の重ね合わせだが、あちこち歩き回って、最終日に来てモスの全貌を見渡せたから、一層感慨深かったのかも知れない。下ではすっかり雨も上がり、晴れ間も見えてくる。次はВВЦ(Всероссийский выставочный центр、全ロシア展覧会センター)だ。ホットドッグ6p(こればっかりだな)でささやかな昼食。ВВЦを歩く。巨大な門を潜ると、前には大きな公園のようなものがある。町中より少し大きめの屋台が建ち並び、右や左には観覧車(両方に計二つあった!)や様々な遊具が。たとえるなら、日本の郊外で稀に行われるお祭りを、規模を100倍にして常設とし、遊園地と東京タワーより高い塔(オスタンキノ)をくっつけた感じ。とにかく、ものすごい。真ん中の建物では、最新の電化製品やコンピュータ機器なども売っている。特にパソコンなどは、PentiumIII550Hzとかの一番新しいタイプが、13,000pほどで売られている(日本円に直すと\65,000!直販メーカーでも3・40万はするだろうに)。最も高いものでも1万円もしない(\8,000位)スキャナーなどは、本気で買おうかと思った・・・絶対税関、ひっかかるけど。教会のホログラフィーを96pで購入。買ってから、犬や猫のものにすれば家族への良いお土産になっただろうと気付いた。でもまあいいや。ホログラフィーは、以前大学の実験で失敗したことがあり、ちょっとコンプレックスがあった。その他にも、面白い施設がたくさんあり、モスクヴィッチの休日を体験した思いだ(月曜だけど)。石川さんのバースデーパーティーの時がロシアで最高の夜なら、今日はロシア最高の昼だ。17:00を過ぎ、ВДНХ駅からイズマイロフ公園駅へ戻り、夕食(ハンバーガー12p+チーズバーガー14p)を買って、チェックアウトをしようと部屋に行こうとすると、ジェジュールナヤがチェックアウトは12:00だと言って、もうダメだからレセプションへ行けと言う。1階に戻り、インツーリストの職員と話すと、昼から半日分のホテル代を払わなければならないと言う。しまったぁーっ!考えてみれば常識だし、日本にいるときから、チェックアウトは12:00だと言う情報がなかったわけではない。ホテルカードに12:00と記されているのを知らなかったわけではない。だが、大丈夫だろうとたかをくくっていたのは事実だ。僕の凡ミスだが、インツーリストの人が交渉してくれ、何とか支払わずに済むようにしてくれた。列車のチケットの遅滞の件での向こうの責任も影響していたかも知れない。やはり油断は禁物だ。甘く見ない、と誓ったばかりなのに。しかしこれで喝は入った。列車の切符をもらい、今日もベッドメイクをしてくれていたジェジュールナヤの人に100p渡し(そうするよう言われ)、19:30と早いが、レニングラード駅に行こう。ホテルを出る前に、エレベーターで日本人男性と会い、彼は中国からシベリア鉄道でモスに来たばかりのようなので、今日行ったところのすばらしさを訴えた。これで、ロシアで話した日本人の数が30人を越えた。多いな。ここに来てからは話しかけるのも嫌になるほど多くの東洋人がいるため、話すことは少なかったが、見ただけなら、既に三桁に突入しているに違いない。モスクワにいる日本人は3,000人だとも言うし(ペテでは150人だと聞く)。地下鉄のカードも残り度数1回でちょうど良く、コムソモーリスカヤで下り(上り?)レニングラード駅だ。いくつかある待合室(流石大都市)でハンバーガーとスプライト(14p)を腹に収め、この一番長い日記を書きながら、23:55を待つ。アイス5pを食べ、水16p(わざとガス入り、飲み過ぎないで済むと思って)を買う。定刻を待たずして、7番ホームにモスクワ発サンクト・ペテルブルグ行きの赤い矢号、красная стрела号が到着。後ろから15号車、14、・・・と続くので、僕の乗る3号車は遙か遠く、疲れた足にむち打って3号車の車掌さんに切符を渡し(これまではまず、見せたっだけだった)、7番席へ。奇数は2段ベッドの下。5番には、既に少し年配の男性が。あいさつあいさつ。コンパートメントは、やはり、と言うべきか、シベリア鉄道と全く同じ。外見が、その名の通り赤いので、ちょっとばかり期待していたのだが。尤も、夜行だけあって布団は元々敷いてある。その内、男性の上の6番席に女性が来た。英語圏の人のようで、神戸に何週間か住んでいたとか・・・が、間違いがあったようで、本当は彼女は16番席だった。一悶着あったが、6にも、僕の上の8にも、男性がおさまった。23:57。列車は出発。街の灯りがようやく暗くなれた空を休ませず、何となく哀愁を感じさせる。そうだよな。一週間のモスクワ滞在は、もう終わってしまったのだ。赤い矢、英語に直すとレッドアロー号(西武線の特急と同じ名だ。どちらかがどちらかの真似なのか?)のテーブルには、茶色のクロス、その上にミネラルウォーター4つと紙コップ(プラスチック?)が何故か5つ。カップ4つ、そして、明日の朝食だろうか。パンやヨーグルトなどの入ったパックが4つ置いてある。カーテンも茶色で、これも夜行のためか、少し分厚く感じる。・・・時刻は0:30。日付が変わってしまったのでもう寝よう。


 

6.サンクト・ペテルブルグ、ペテ〜東京

8/17 サンクト・ペテルブルグ到着・1日目(160p)

 朝、目が覚めると、同室の男性が微笑みかけてくる。「おはよう」と言いたいのだが、まだ寝ている人をはばかっているのだろう。いい人だ。置いてあったパン二つ、パイ、ハム、チーズ、ヨーグルトを食べ、紅茶を飲む。シーツ代なども取りに来ないことから、もうこれらの代金は切符に入っているのだろうと推測。8:25。時刻通り、サンクト・ペテルブルグ(以下、ペテと略)に到着!駅舎の外、そして中にСанкт−Петербургの文字。いよいよ最終地だ。街に出ると、雰囲気こそモスとあまり変わらないが、若干古都らしい洗練された印象を受けたのは気のせいだろうか。まずはホテル探しだ。リゴフスキー通り10番地と言う住所しかわかっていない。地図を買おうにも、店はまだ閉じている。とりあえず適当に歩き出すと、対岸にリゴフスキー・プラスペクトの標識がある。駅の真ん前を横切っているのが目的の通りだったとは!?しかし、1/2の賭けに負け、逆の方向に来てしまったようなので、戻り戻る。すると、43番地に、目指すオクチャブリスカヤ・ホテルが。しかし、同名のホテルが二つあるという情報は収集済み。迷わずその先へ。43と10ではかなり遠いと思っていたが、何のことはない、目と鼻の先。全く同じ看板がどちらからでも見えるではないか。同系列のホテルであるに違いない。駅から直行すれば5分もかからなかっただろう。そして9:00、ホテルにアーリーチェックインだ。最後の一枚となったバウチャーを出すが、見もせずに返してくれた。パスポートがあれば平気のようだ。ちゃんと17〜24日と書かれた紙と、ホテルカードを渡され、自室となる3階の589号室へ。部屋番号が3桁ということは?そう言うことなのだろうか?否、ここでは階数と部屋番号に関係がなく、1階から5階まで全部統一された番号がつけられているようだ。2枚の紙と交換にキーを受け取り、部屋に入る。どこかのホテルもそうだったが、鍵がなかなか開かない。苦心してやっと中に重い荷を置くことができた。部屋の内装は、これまでで最もきれいかも知れない。白を基調とした壁紙・カーテンに、黒のクローゼット・机・テレビ・冷蔵庫・ベッドが映え、シックなセンスを感じさせる。洗面所も白で(これは当然?)バスタブ、トイレ、洗面台とあり、お湯も出る。何だか今回の旅では、値段の安さに比例してホテルの質が向上しているような気がする。でもまあ、ここ(2番目に安い)もイズマイロヴォ(1番安かった)も三ツ星ついてるからな。TVをつけると、イズマイロヴォのよりも多くの番組をやっている。見慣れたHTBとPTPもあり、後者の毎日見ていたニュース番組Доброе утро россия(「おはよう日本」が日本にあったが、これは「おはようロシア」)の天気予報で、今日のペテは晴れ後曇り。気温は15〜17℃。では、歩き出そう。ホテルの1階で40pの地図を購入。しかし、英語のもので、よけいわかりづらい。街で、全く同じもののロシア語版を18pで買う。値段の違いは、翻訳だろうか?今日は、ペテのハイライトということで、メインストリートのネフスキー大通りを突き当たりまで行こうと思う。地下鉄蜂起広場駅でメトロのカードを買おうと思ったが、何種類かあり、どれにしたらよいかわからない。期限付きとなしのものがあるという噂はあったが、多くの人が並んでいる中で時間をとるのは躊躇われる。一日歩いてみてわかったことだが、この街ではあまり地下鉄の必要性はないようにも思う。石川さんたちにも聞いてみよう。通りを進むと、左手にオストロフスキー広場は見え、休憩を取り、カザン聖堂へ。この建物はすごい。クトゥーゾフとバルクライ・デ・トーリの像が前にあり、古さを感じさせる柱に支えられた回廊が左右につき、中心に入り口がある。中には、教会らしくイコンがあるが、これまでのようにただ敷き詰められているわけではなく、1枚ずつ額に入れられ、要所要所に配されている。この方が好きだな。通りを更に行き止まりまで行くと、右前方に、緑と白の大きな宮殿のような建物が見える。エルミタージュ国立美術館だ。ここは、明日以降の楽しみに取っておこう(2,3日かけて見たい)。入り口の確認だけをし(裏にあった)、建物を一周、もとの場所に戻る。今日は火曜日で、いろいろ休みのところが多い。やはりハイライトだけだな。もう一度ネフスキー大通りを逆方向に少し歩き、左に折れる。モイカ川沿いに、プーシキン記念館(ここも火曜は休館)をもかすめて、スパース・ナ・クラーヴィ聖堂へ。モスの聖ワシーリー聖堂に似たたまねぎ状の屋根だ。そこで日本人男性に会い、多少話を。彼は前日、やはり赤い矢号でペテに到着。聖堂は7p(学生)。学生でない彼は、何故か100pも払わなければならないらしく、そんなに持っていない、自分の分も見てきてくれと言い残し、去った。彼はサンクト・ペテルブルグ・ホテルの客で、もしかしたらまた会うかも知れない。次は、プーシキン像のある芸術広場へ。母子が雀や鳩にクッキーのかけらをあげている光景が牧歌的で良い。かけらをとったらすぐに跳び去る雀の方が、鳩よりも(ずる)賢いようだ。そして、夏の庭園。エルミタージュは冬の宮殿という建物が主で、ここには夏の宮殿がある(ものすごくちっちゃい!)。庭園には多くの彫刻があり、それもあってか、学生で3p取られる。中心部で、若い男性が鉄琴を弾いている。CDやカセットも出すプロのようで、芸術家のイメージそのまま、透き通るような音色に聞き惚れてしまった。空腹と疲弊した足を堪えつつ、街を貫くネヴァ川沿いに、北東へと歩く。植物園を横目に(お腹が空きすぎて入る気が出ない)、スモーリヌイ聖堂に行き着く。青が目立つ大きな聖堂の中は・・・お土産屋(小)。さらに奥へも入れるが、100p払わなければならないので諦め、ホテル方向にスヴォロフスキー大通りを進む。それにしてもお腹空いた!やっとマロージェナエ屋を見つけ、バーのアイスを食べる。途中からウェハースがついていてそれを先に食べようとしたところ・・・ポトリ。残りの部分が落ちてしまったぁ〜っ!!時間が止まったと思ったね。その後、屋外カフェでホットドッグを胃に収め、何とか平静を取り戻す。昨日、疲れに比して睡眠時間が足りなかったのと空腹で、フラフラだったから。ホテルに着き、サービス・ビューローでパスポートを返してもらい、アエロフロートのオフィスは街で見つからなかったので、電話でリコンファームをしようと思い、指定されたところにかけるが、どうやら違ったみたいだ。ホテルに代行してもらうのが一番手っ取り早いかな。30分ほど睡眠をとり、6:40。モスクワ駅へ。石川さん・太田さんと7:00に待ち合わせだ。僕の方が先のようで、2,3分待つと、僕より遙かに小さな荷物(全部でも)を持った二人が登場。何日かぶりの、2回目の再会。メトロで(ジェトンを買えば良かったようだ。あまり乗る機会もないかも知れないし。ジェトンは1枚3p×2枚)移動。文学カフェで食事ということになったが、そこは止め、近くのカフェで積もる話をしながらビールを飲み、まともな食事(76p)。二人はバレエを2回も見たようで(『ジゼル』と『くるみ割り人形』)、それと川の遊覧船を薦めてくれた。列車まで間があるようなので(23:59発。赤い矢号ではないようだ。赤い矢号は23:55発でモス⇔ペテ)、僕の部屋へ。水20p(ガス抜き)を買い、スナックも買って戻り、時を過ごす。彼ら曰く’最悪の’ユース・ホステル・ホリデーと値段はほとんど同じなのに、こちらの方がずっといいようだ。向こうは地獄だ!とか。話に花が咲き、23:00頃、ホテルの規定により、二人は駅へ。これで会うのはおしまいだ。彼らは4日かけて日本に(21日)、僕は後7日いて直行便で成田へ(25日)。再度、日本で会う約束をして別れた。シベリア鉄道の苦難を共に乗り越えた最良の仲間よ、気をつけて!
 明日はリコンファーム、そしてバレエ及びオペラのチケット入手だ。直接劇場に出向けば、300pで手に入るらしい。インツーリストで頼むと、60$とか言っていたという人もいたらしい。ダフ屋だと当日直前は200pになることもあるらしいが、前日に買うのが一番良いという。やはり夏はあちこちの劇団が巡業に出るため、ほとんどやっていないらしい。チケット売場でも見たが、バレエは一ヶ所、オペラは有名なのはどこもやっていない。
 それから、二人に少し暗い話を聞いた。8/10あたりに、ウラジオで日本人女性が殺されたと言うではないか。また、イズマイロヴォで会った女性が、赤い矢号で同室となった酔っ払いの現地人たちにからまれ、服を脱げとか言われたらしい。結局車掌さんの部屋で荷物を抱えて一睡もしなかったそうだが、そう言う悲しい、かつ怒りを催させる話もあるのだ。いいこともある中で、それを忘れてはいけないのだろう。ニュースによると、トルコで大地震があったとも聞き、700人死亡とか。同じ船に乗った何人か(横井さんら)はトルコに行ったはずなので、心配だし。もう言うことが何もなくなってしまうよ。

8/18 ペテ2日目(740p)

 今朝からは朝食がない。まず、ホテルを出るときに、サービス・ビューローでリコンファームのことを聞くと、ネフスキー大通りの7番地(遠い・・・)に、アエロフロート(ロシアの航空会社)のオフィスがあると教えてくれた。代行はしてくれないようだが、どうせしてくれても手数料を取られていただろう。アレクサンドリンスキー劇場がその途中なので、歩きつつまずバレエのチケットを買おう・・・と思ったが、カッサ(切符売り場)がまだ閉まっている。何時に開くかわからないので、歩行を再開(この時点、10:30)。通りかかったマックで、ブランチ。ビッグマック1個とポテト、スプライトのセットで45p(26+10+9)。日本円にして\225。日本なら倍はするだろう−が、シベリアの都市でなら、ここで3倍or4倍or5倍と言えた。やはり大都市の物価が高いのは世界共通か?アエロフロート・オフィスは、それのある建物が改装中で、直接アエロフロートと書いた看板もなかったが、何とか見つけ、そこの国際便の部で用を果たすことができた。担当の人がいず、最初は30分ほど待ったが、リコンファーム自体は10分ほどで、こちらのペテでの連絡先(ホテルの番号とルームナンバー)を紙に書いて終了した。石川さんたちは1日半かかったと言っていた(彼らはウラジオ→富山と飛ぶため、ウラジオに電話をかけなければならなかったからだそうだ)し、芋川さんもその位だったそうなので、多少覚悟はしていたのだが。結局午前中に終わったため、助かった反面、今日の予定を考えなければならない。しばらく気ままに歩き、芸術広場で再びプーシキン像を眺めながら座って休む。そう言えば、ここの前のロシア美術館が今日はやっているらしい(昨日:火曜は休み)。エルミタージュのロシア部門の作品を移して作られたとかで、モスのトレチャコフ並みに期待できそうだ。学生料金は70p。3つの建物がそれぞれ2階建てで、かなりでかい。イコンや彫刻、中世・近代の、どこかで見たような(もしかしたらトレチャコフ?だとしたら・・・?)絵画に、2時間かけてゆっくり見入った。その後、再びアレクサンドリンスキー劇場に行き、明日19日の『白鳥の湖(Лебединое озеро)』のチケットを購入。だが、525p。300じゃなかったの?作品による違いなのかしら?まあ、明日が楽しみだ。お金がなくなったので、両替所(Обмен валыты)で50$→1225pに両替。お土産とか、空港でカードで買えばちょうどいいかな。他に今日のところはすることがない(遊覧船は最後の頃にしよう。歩いた街を、おしまいに一望するという感動を一昨日味わってしまったから)ため、昨日味を占めたメトロでホテルに戻る。まだ17:00。18:00位になったらホテルのビュッフェで夕食にしよう。それまでの時間つぶしにと、テレビをつけると、、トルコの地震のことをやっている。3,000人がなくなり、学者の見解では、今世紀最悪とも言う。神戸の震災で経験豊富な日本のレスキュー隊などが派遣されたらしい。しかし、建物の多くが木製で、火災がひどく、また、不慣れなレンガ造りの構造物にも妨害されてなかなかうまくいかないようだ。思えば、ロシアに来てから、国際的なニュース(テニスのグラフの引退など)は知ることができたが、日本のことはほとんど知らない。7月末のハイジャック事件(機長が殺されたとか)や、プロ野球のオールスターも、丸山さんや石川さんに聞いて初めて知ったし、ウラジオの日本人女性殺害事件もそうだ。浦島太郎だな、完全に。また、円高が進み、出発時は1$=\120位だったのが、1$=\111になっている。ルーブルも、1$=24p→25p位(今日は少し下がって24.5p)になっていて得にはなっているが、日本に戻ったときに損だ。戻らないかなぁ。18:20、少し予定より遅れたが、同じ3階にあるビュッフェに夕食を採りに出かける。ウェイトレスのおばさんは、僕のつたないロシア語を、メニューを覗き込んで良く理解してくれた。ボルシチはないとのことで、スープはサリャンカという肉とキュウリのスライス、オリーブのスープ(不正規の過程で手に入れた−いわゆる、拾った−英露の会話集:フレーズブック&辞書による)と、150gのビーフステーキ、0.33gのビールを頼む。全部で95p。スープは本場だけあって、ロシアに来てから外れがない。ステーキも、ポテトがついていてなかなかの味。ここCAMELは、これからちょくちょく利用しよう。部屋に戻ってもまだ19:00。結構ゆっくり食べていたのだが。満腹で、眠い。昨日も寝たのは”今日”だったから、無理もないか。このところ、疲れの量に対して食事はともかく、睡眠が追いついていない。今日は早く寝て、明日に備えよう。まだまだ先は長いし。ペテはモスほど大きな街ではない。明日から2,3日、エルミタージュで昼を過ごすつもりだ。これは日本にいたときから、そのためにモスとペテの宿泊数を同じにした、ずいぶん前からの予定だ。石川さんたちも、2,3時間ではとても回りきれなかったと言っていたしね。そして夜はバレエ『白鳥の湖』だ。バレエは生まれて初めてなので、とても楽しみだ。見た石川さん・太田さんも、絶賛していた。眠って、短い夜を一層短く感じてしまおう。

8/19 ペテ3日目(474p+5$)

 昨晩、9:00にはもう眠り、今朝は7:00に起きたので、久々に睡眠を十二分にとることができた。ニュースではトルコの大地震で、死者が4,000人を越え、まだ10,000人が不明だという。
 昨日写真を1枚も撮らなかった(気付いたら使っていなかった)ので、と言うか、それでも残りのフィルムは1本+20枚位。足りなくなったら買ってしまおう。今日は昼間エルミタージュで、夜8:00からバレエだ。帰ったら、11:00を過ぎるだろうが、気合いを入れて最後の洗濯だ。
 地下鉄で、蜂起広場駅から、ガスチーヌイ・ドヴォール駅へ向かう。駅名のもとになったデパート、ガスチーヌイ・ドヴォールの1階にあるファーストフード店で、チーズバーガーセット(チーズバーガー+ポテト+スプライト、計39.7p)でзавтрак(朝食)。ポテトがまだできていず、2分待てとのこと。全体、ちょっと足りな目だが、旅立ってから胃が伸縮自在になっている。大丈V・・・って古いか。そして、本屋へ行ったりして時間をつぶしながら、10:30のエルミタージュ開館を待つ。のんびりと美術館前の宮殿広場を歩き、10:45頃、裏の入り口に到着。並んでいるが、一度に大量に入れるらしく、数分で中に入ることができた。それからカッサに並ぶ。学生はタダだという情報が複数の筋からあったが(他が全て有料なので、あまり期待はしていなかったものの)、その通り、ISICカード(国際学生証)を見せると、と言うか、一瞬顔を見て、すぐにチケットをくれた。荷物(切り離した小さなバックパック)を預け、いざ出陣。建物は3つ、3階建て。まず、今日は1階全てと2階の半分ほどを回ろう。最初に、1階の、古代文明系。エジプトに始まり、各地の古代の遺物が展示されている。ミイラなどもあり、美術館と言うより博物館と言った方が近いか?そして2階。ここは最も人気のある絵画だ。西欧のは明日にし、今日はロシア美術だけにしておこうと思ったが、階段を上って左に行くと、初めに覗いた部屋がフランスの絵画。特別展の部屋なのか、モネ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホなど、芸術に疎い僕でも知っている名が並び、いきなり目が肥えた思いだ。次には、ここがもとは宮殿であったことを再確認させてくれるきらびやかな部屋。金の孔雀の時計などがあり、僕はこれまでも本当に感動したときにしか誉め言葉は使っていないが、ここでは豪華絢爛と言うほかない。そこから、ロシアのイコンが続き、突然、レオナルド・ダ・ヴィンチの名が!世界に12点しかないという天才の作が2つ、「ベヌアの聖母」と「リッタの聖母」。5分ほど、と言うか(何だか、貧弱な語彙力がばれてしまうな)、穴の空くほど見つめてしまった。2階に来る前に館内のカフェで軽食(ハンバーガー26p、紅茶9p・・・高いな少し。メニューも単調になってきた)を食べたとき、13:00で、この調子だと、ゆっくり見ても今日中に全部回れてしまうかな、と思ったが、この辺りから全くそうもいかないだろうことがわかり始める。巨大な絵の集まった大きな部屋、レンブラントの部屋、ミケランジェロの部屋、1812年の間(ナポレオン戦争−ロシアでは”祖国戦争”という−の将軍たちの肖像数百枚が薄暗い中に整然と並ぶ)、・・・と続き、入り口から見て右前方の方まで見た後、1階に下り、再びオリエント世界の原始文化へと移る。これが見終わった頃、このコーナーはもう終わりらしく、僕を待って、係りのおばさんたちが仕切をしていた。時計の針は17:00近い。美術館全体の2/3は見ただろうか。ちょうど良いかも知れない。まだ日は沈む気配もない。それもそうだ。夏至の頃は白夜なのだ、ここは。英字新聞によると、今でも日の出が4:30頃、日の入りが22:30頃だった。まだ早いが、夕食といこう。場所は、プーシキンが決闘に行く前に寄った、ちょっと有名な文学カフェ!カフェと言うより、中はしっかりしていて、高級レストランと言い換えた方が勘違いはないかも知れない。もともとロシアでのカフェは、喫茶店ではなく、日本でのレストラン(ファミレスより若干上)に当たり、レストランというと更に高級になるようだ。ついでに、ビュッフェとはいわゆるカフェ・バー、酒も飲めて軽食も採れる場所だそうだ(例のフレーズブックによる)。ウェイターは白いYシャツに黒のスラックス、ネクタイ姿と、かなりフォーマルだ。ボルシチと、ビーフストロガノフ、ビールを頼む。味もいい。ビール(一番少ない0.25gのを言ったはずだが、何故か大ジョッキ。いいや、呑んでやろう)が来るとほぼ同時に、バイオリンとピアノの生演奏が始まる。良いところだが、高い!頼んだ順に、80、150、40p、それからサービス料や演奏料やらで335p、ときた。ええい、酔って気が大きくなってるからチップとして350pで釣りはいらねぇ!外に出たとき、18:30。通りでは、ストリートミュージシャンがちょっとした野外コンサートのようなことをやっている。軽快な音楽に合わせ、小さい子供たちが踊りだしていた。こういう光景って、良いよね。取り忘れていた文学カフェの写真を撮り、そろそろ劇場(チアトル)に向かおう。劇場前のオストロフスキー広場のベンチでは、何組かがチェスを戦わせている。この国の2大スポーツはサッカーとチェスで、チェスはスポーツ扱いらしい。チェスのルール、忘れてしまったなあ。19:30少し前に着いて、切符を切り、中へは入ったものの、席のあるところにはまだ10分と言われ、入れてくれない。しかし、そう言ったおばさんが面白く、多少ロシア語で笑いあっている内に中へ入り、席を示してもらって座る。プログラムを買いに行こうと立ち、捜していると、日本人男性に会う。プログラムをどこで買ったか教えを請い、トイレがどこにあるか教えてあげた。彼とは幕間でもシャンパンを交わしながら話したが、関西の大学の3期生で、チケットをデパート前のカッサで、2,000円で買ったらしい(400pほど)。何故違う!?彼には連れがいるが、そちらは音楽に興味がなく、一人で来たとか。しかし、プログラムが125p(or5$)、シャンパンが50pとは・・・高い!彼は日本に比べると安いと言ったが、シベリア鉄道を知る身としては、法外だ(その人は、これからキエフ−だったかな−に寄って、モスに行くらしい)。バレエは、もう感激。ストーリーはガイドで見て知っていたので(でないとわからなかっただろう)、純粋に楽しめた。特に半ばの、ヒロインが何十回転もするところは(数えるのも忘れるほど)すごく、拍手喝采だった。今日1日だけを見れば、パリではないが、芸術の都サンクト・ペテルブルグと言う感じだ。ホテルに戻ると、11:00過ぎ。洗濯(ロシアで最後だろう)を急ぎ、日記を書き終わって、1:00。Спокойной ночь!(お休みなさい!)

8/20 ペテ4日目(263.3p:昨日のメトロのジェトン代含む+42$)

 今日で、日本を出てから30日が経つ。ホームシック、と言うのとは少し違うだろうが、海外滞在が長いと、日本でしたいことやりたいことがかなり浮かんでくる。試しに手帳にいくつかピックアップしていたら、丸々1ページ分になってしまった。全部やるとすると、日本に帰ったら結構忙しくなってしまうな。まあ、それも旅の特徴だろうと割り切っていこう。
 昨日と同じく、地下鉄でガスチーヌイ・ドヴォール駅へ。ペテのメトロは、ドアが二重になっていて、エレベーターが並んでいるように見える。これも昨日と同じ店で朝・昼食を採る。クラブバーガー(ビッグバーガーみたいなもの)のセットで、58.3p。今日はハンバーガーを5分待て、と。満腹状態でエルミタージュへ。国際学生証を見せ、チケットを受け取る。無償って言うのは最高だね。学生はお金のことなど考えずに勉強しろって言われているよう。他の業界もこうならいいのに。豪奢な階段を上り、昨日見ていないロシア芸術部門を先に見、これで2階はマスター。残るは3階だ。館内図で右下の部分から見る。古い絨毯や壺など、そして、インド、中国、日本と、山水画や小さな人形などが続く。ここいらにはあまり人は集まっていない。ここからが多いのだ。19,20Cのフランス芸術が始まるのだ。マチスやピカソ、ルノワール、セザンヌ、・・・昨日見た、2階にも一部があったが、こちらも更にすごい。個人的には、ピサロの描いたいくつかの絵が気に入った。3階も見終わり、もう一度レオナルド・ダ・ヴィンチの2作を見て、1階に戻る。エルミタージュ完全制覇だーっ!!ベンチで30分ほど休憩し(一瞬眠ってしまった)、エルミタージュのガイドブック:カラー・日本語版(各国語版が売っている)・16$と、3DバーチャルツアーのあるCD−ROM:26$を買い(ドルでの買い物、多いな)、2日に渡った冬宮(エルミタージュのここの建物の別名。エルミタージュ美術館は、他の場所にも多くの展示があるらしい)の攻略を終える。14:30、ゆっくり歩き、アレクサンダー公園、デカブリスト広場へ。公園の中心では、ちょうど15:00で、音楽が流され、その強弱に合わせて噴水もその勢いが変わるというアトラクションに見とれ、広場では青銅の騎士像の前に、結婚式を挙げた何組かのカップルに、ラッパの曲が送られていた。次は、広場の前にあるイサク聖堂。世界第3位の大きさだという。裏のカッサで、30分近くの雨の中を並び(係りの人の手際が悪いのか、全く進まない)、中にある博物館と展望台で、7+4=11p。小銭がないので100pを出すと、1p出せと言う。ないと言ったら、思いっきりそっけなく100p札を返す。何だその態度は!?さんざん待たせておいて、釣りもないとは・・・!おまけに、それを見ていたロシア人がくすくす笑っている。腸煮えくり返り、、さっさと立ち去った。冷たい雨(朝から降ったり止んだり)に当たって体も頭も冷やされたが、それでも怒りはおさまるところを知らない。こういうことがあると、その国の良い部分も全て打ち消されてしまうから嫌だ。この類の経験をした人は、それを見失って、悪い情報源となってしまうのだろう。それで、人の印象というのは完全に対極二分化するのだろう。この間知ったいくつかの暗い事件もそうだし、地球の歩き方にある、文学カフェの2種類の評価(好悪)も、悪いイメージが時と共に増幅されてしまったための産物なのだ。
 まだ少し早いが、戻ろう。ホテルの部屋に帰り、17:00。今日も18:00を過ぎたら夕食だ。他の階にもビュッフェがあるらしいので、それを試してみよう。・・・と思い、一つ上の4階に行くと−誰もいない。何それ?この際だ。外のカフェに行ってしまおう。ホテルの右前にあるカフェ”エネイ”。メインストリートではないリゴフスキー通りを、少しモスクワ駅から離れていったところにあるため、あまり明るい雰囲気ではない。が、感じは悪くない。ウェイトレスは無愛想だが、愛想が悪いのではなく、ないだけ。他のカフェでもそうだが、ボルシチは冷たいのもある(夏だけ?)ようで、ここでは冷たいものだけ。それを頼み、スダックと言う謎のメインをオーダー。そして小さな330mlビンのビール。ボルシチは、冷たさとサワークリームで多少酸っぱさが目立つ。続いて来たスダックは、何か白身魚を、表面に油をかけて焼いたようなもので、バイカルでのオームリ以来の魚料理だけに、美味しく頂いた。スダックは、例の露英フレーズブックには載っていたが、今度は英語も分からない。無学だなぁ。全部で154p。こんなところか。このカフェで、携帯電話を使っている女性を見た。これまで、一月で3,4人しか見なかったな、そう言えば。グム当たりでは、6,000pとかで売っていたっけ。日本円に直して3万円。物価の違いを考えると、もっとだ。まだこちらでは高嶺の花なのだ。でも、そのおかげで不快な音に悩まされることはない。しかし、劇場で一度鳴ったときには、怒りと共に妙な懐かしさが・・・。お腹がいっぱいになったところで、帰りに水2gとポッキーみたいなお菓子、スニッカーズ(同名で売られていて、CMも時々流れる)を計36pで購入。小腹が減ったときの足しにしよう。BBCで、トルコの地震の続報。死者1万人、3万5千人が土の中だという。本当に横井さんらが心配だ。英字新聞で、日本料理店”京都”の掲示を発見。二つ畳の部屋があり、金土はライブミュージック付きだとか。明日は土曜、行ってみよう。・・・一人だけ平和なテーマで盛り上がってごめんなさい。でも、もうしばらく美術館はいいや。

8/21 ペテ5日目(482.3p)

 モスやペテでは、あまり’雲一つない良い天気’と言うのに出会わない。今日もその例に漏れず、昼晴れ、夕方から雨だ。こういうものなのだろうか。それとも、ただ運が悪いだけなのだろうか。
 今朝は、蜂起広場駅近いカフェで朝食。その前に、ホテルで3度目の国際電話(ウラジオ、モス、ここ)をし、クレジットカードで22$分の話をした。最初はつながらず、何度かやって、市外局番から0を抜くと、かかった。この間のメールも届いていたようだ。お土産、期待するなと言う言葉に猛反発していた。カフェに入ると、内装はファーストフード店風。メニューは・・・っと、ん?店の名前−Carrols?昨日、一昨日と同じ名前ではないか!キャロルズというのは、それほどのチェーンなのか。1qくらいしか離れていないのに。今日はキャロライナ・セットにする。キャロライナバーガー(ダブルバーガー)とポテト、飲み物で62.3p。一番高いが、クラブバーガーの方が大きかった気がする。今日は、と言うか、ここは、ポテトがもう2分かかるという。朝はそういうものなのだろうか。それとも、ただ運が悪いだけなのだろうか?おまけに、椅子とテーブルがつながっていて、セットを置いてから座ったら、揺れてかなりスプライトがこぼれた。今日はまず、南東のアレクサンドル・ネフスキー修道院へ。地球の歩き方では無料とあるが、学生で1$取られる。確か、外貨払いは禁止ではなかったか?中は、典型的なロシア教会で、祈祷式が見られたのが幸いだった。その後、入り口の左右にあるお墓へ。公園のようなところに有名な何人かのお墓があり、モスのノヴォデヴィッチ修道院で、有名人の墓を見つけられなかったため、ここでは地図を確実に見て歩く。ムソルグスキー、チャイコフスキー、ドストエフスキーらの墓を探し当てた。お墓を見終わり、次はメトロでガスチーヌイ・ドヴォールへ。見慣れた道を進み、エルミタージュを横目に、ネヴァ川にかかる宮殿橋を渡る。この先は、大小のネヴァ川が分かれた後のヴァシリエフスキー島である。まず、中央海軍博物館。学生料金は5p。軍艦の模型や大砲などが陳列され、日露戦関係のものもある。その近くにある文学博物館にも行ったのだが、入れない。ガイドには、団体エクスカーションで、予約しなければならないと言う。そこは諦め、小ネヴァ川のほとりでしばし休憩。スニッカーズでささやかなобед。これ、ボリュームはあるのだが、歯にくっつくんだよね。近く−と言っても1q位ある−のヴァシレオストラフスカヤ駅から、メトロで一駅。プリモルスカヤに到着。海に行けるのだ。2、300m、スモレンカ川沿いに歩く。ここは、小ネヴァ川から流れてはいるが、海からの風で、流れは止まっていて、あまりきれいではない。が、まだ天気も良く、気持ちよく散歩することができた。そして、−海!フィンランド湾の奥だが、紛れもなく海。大西洋とつながっている。これで、完全な大陸横断の達成だ〜っ!海が好きで、何時間見ていても飽きない僕は、泳いだり、日焼けに勤しんだり、犬に、海に投げた棒を取ってこさせたりして遊ぶ人々やはしゃぐ子供たちを見ながら、あるいはここにも持ってきた双眼鏡で遙か遠くを眺めながら2時間くらい過ごしてしまった。右と左からは、湾だけあってまだロシアの陸が見えるが、ほぼ正面にも、建物が彼方に見えたりする。まさかスウェーデンのストックホルムではあるまいが、フィンランドのヘルシンキくらいは見えても良いかも知れない。300qほど先だが。最後に水をなめたが、しょっぱくない。つまんないの。16:00を周り、再びガスチーヌイ・ドヴォールへ。”京都”に行こう。かなり早いが、まず捜す。フォンタンカ川沿いの77番地。だが、76と78の間をいくら注意深く見ても、一向にそれらしき看板がない。どうしてだ?と思う内、この国では通りの片側が偶数、もう片側が奇数だと思い出す。川沿いの道なので、それに気付くのが遅れたのだ。雨が降り出したので、急ぐ。ようやく見つけ、中に入ると、障子が見えたり、純日本的な雰囲気。しかし、他に客はいない。ビール、ご飯、味噌汁、トンカツを頼む。間違って、アルコールなしのビールを頼んでしまい、ちょっとショック。それが冷める間もなく、ご飯、味噌汁の後、トンカツではなく串カツが出てくる。間違えたのだろうか。オーダーを取るとき、一度向こうが串カツと言ったのを訂正したのだが、それでも間違えられた。しかし、量がすごい。大きいのが4,5個も刺さっている串が3本も来るのだ。何とか平らげたが、味は下の中といったところ。特にカツは、油が多く、肉も質が悪くて硬い。音楽も全くない。まあ、客一人だけのためには、生演奏はもったいないのはわかるが。これで332pもとるのだから、法外だ。やはり、海外の日本料理店はこのようなものなのだろうか。それとも、ただ運が悪いだけなのだろうか(しつこい?)。雨はまだ止まないので、センナヤ広場駅からメトロで帰ろうと思ったが、この駅の入り口は今月いっぱい使えないらしい。乗換駅のサドヴァーヤ駅から入り、そちらのホームから乗る。この駅周辺はあまり治安が良くないのか、怪しい人が多く見られる。警官の数も多く、常に目を光らせている。実際、目の前で女性が捕まっていた。それに、何だか臭い。何だこの匂いは?ともかく、無事にホテルに帰り着いた。入り口の店で、36枚撮りのフィルムを一つ買った。今日持ってきた最後のフィルムを入れ、7枚撮ったので、後3日、ちょうど良いくらいだろう。明日は晴れたらペテロパヴロフスク要塞。そうでなければ郊外に行こうと思う。理由はまた明日。芋川さんが、郊外のペトロドヴァレェツに行ったらしいので、同じところもつまらないから、地球の歩き方に載っている2都市プーシキンとパヴロフスクに行きたい。
 どうでも良いが、ノートの残りが少なくなったので、字を小さく書いている。これから1日1頁位にしないと足りない。ルーブルも、もうほとんどない。石川さんも言っていたが、どうせ日本に帰っても物価が高いのだから、ケチらずにどんどん使ってしまおう。これまでおよそ400$。500$位まで、使っちゃおっかなー。お土産に50$、生活に50$、1,200pか。3日間だから、今の手持ちも合わせると、1日500p。いろいろ買いまくろう。バックパックもかなり空きができたことだし。

8/22 ペテ6日目(203.3p+35$)

 天気は曇り。時折雨もぱらつく。ジェジュールナヤに、明後日ホテルを発つと伝える。そうホテルカードに書いてあったのだ。ホテルだけでなく、もうすぐロシアからも出ることになるのだ。とりあえず、昨日と同じキャロルズでзавтрак。クラブバーガーセット58.3p。今日はハンバーガーとポテトを5分待たされる・・・って、ジュースだけじゃん。朝食後、両替をしにОбмен валытыを捜す。その間に、もう一つキャロルズを発見してしまった。これで3つ目だ。1$=24.5pのところが一番良いレートのよう(日曜なので、他にはあまりやっていないからだという説もある)だったため、40$→980pを手に入れた。天気が良いとは言えないが、明日もどうなるかわからない。ペトロバヴロフスク要塞に行こう。メトロでゴリコフスカヤまで乗り、そこからは歩きだ。方角が分からないが、やはり人の流れに従うと、それらしき水上の城塞が見えてくる。イメージは、ペテのクレムリンと言う雰囲気だ。ただし、入場料は無料。だが、いくつかの建物に入るには切符が必要で、セット料金のみ、学生は1.5$。クレムリンより遙かに良心的だ。0.5$がないため、全てルーブル払い。38p取られる。まず、メインで中心にあるペトロバヴロフスク聖堂。いわゆるロシアの聖堂だが、ニコライ2世らの墓もあり、また、造幣局が要塞内にあるため、コインやメダルなどの展示もある。クレムリンと同じように、いくつかの展示館を一つの切符で済ませるため、切符に番号を振り、入るときにそこの番号のところを千切るシステムだ。聖堂を出たところで、要塞の出口が見えたため、一旦外に。いよいよ大いなる目的を果たすときだ。さっきから、ばばばば・・・という音を立てて空を飛んでいるヘリコプター。北側の広場から、それに乗れるのだ。聞くと、35$。100$札出して、お釣りで財布が分厚くなってしまった。ただでさえ、両替したばかりだったのに。値段は情報とは違うが、そんなことはもう慣れっこだ。次のフライトまで30分位あるので、中で待っていても良いという。いざというときのためだろうか、名前とパスポート番号を記帳する(思えば、オスタンキノ・テレビ塔の時もそうだったのかも)。他には日本人も一人いた。ノザワさん。席の移動ができなかったのと、下りてから僕は写真を撮っていたので話はしなかったが。ヘリは20人乗り。12:30。予約していた人も無事乗ったようで(全14、5人)、ドアが閉められ、ローターが回り始める。周りの草が風にたなびき始め、更にモーターは回転音を高める。浮いたー!フラフラしているが、突然、上昇。あっと言う間に要塞が小さな窓から一目で見られるところまで来た。ネヴァ川に沿って、少し上流へ。スモーリヌイ修道院が見え、そこから急旋回。左45度から右45度へ!死ぬかと思った。左側の席だったため、ようやくエルミタージュやイサク聖堂が見え、今度は急上昇。Gにつぶされそうになったが、後には、視界に、昨日見た海が!再び一回転し、もとの場所に戻る。要塞を空撮し、ゆっくりと降下。着地。ホンの10分ほどだったが、モスのオスタンキノ以来の感動だ。空の旅っていいねぇ。最後に、パイロットの人の好意で、コクピットで操縦桿を握った姿を写真に撮ってもらい、もう一度要塞に入る。200$払えば、スカイダイビングもできるらしい。まあ、ある程度の訓練は必要だろうが。要塞で、かつての政治犯の監獄跡や技師の家、兵士の家など、博物館になっているいくつかを見て、天文学博物館も見、要塞の川側の岸(砂浜で、ビーチバレーや水浴びをしている人が!)で少し休み、外へ。ヘリで大量に写真を撮ってしまったので、昨日買ったのに変えると、何故か突然シャッターが効かなくなった。これまで何度も同じことがあった。・・・ったく、一体何十年前のカメラだ、これは?フラッシュが焚けるのにも30秒位かかり、1枚1枚撮った後も、全部撮った後も、手でフィルムをまかなければならないし。新しいのを持ってきても、何かあったときに嫌だというのでこれにしたのだが、ここまでとは思わなんだ。そういえば、こちらでもカメラを売っているが、2,000p前後する。一番安いのでも、4、500pだった。買うのもヤだしなあ。次は巡洋艦オーロラ号だ。そこに着く前に、ようやくカメラが息を吹き返し(ショック療法?)、ロシア革命の始まりを告げた軍艦を収めることができた。タダで乗ることができ、中は昨日の海軍博物館の分館らしく、いくつか似たような展示があった。それから、メトロで渡っていたネヴァ川を戻り、マルス広場へ。ロシアで4回目の永遠の炎がある。モスクワのは、ここから運ばれたらしい。16:30だ。まだ早いが(いつも早いな)、他に行くところもないので今日はホテルの近くの市場へ行って、久しぶりにピロシキか何か買って部屋で食べよう。・・・が。市場の入り口(大都市の市場は建物状になっているようだ。最近のことか?)に、19:00までと。今は−19:05。ほとんどが店終いをしているところだった。泣く泣くホテルに空腹で戻り、この間も入った、同じ階のビュッフェCAMELへ。思うところがあって、前と同じサリャンカとビーフステーキとビール’ネフスキー’をオーダー。すると、懸念通り、サリャンカは中身が違う。前回はハムのようなものだったが、今回は鶏肉の皮のようなもの、じゃがいもが入っている。しかも、妙に早く来た。その日仕入れた具を入れて常に煮込んでいるのだろうか。値段も107pと、前より12p高い。何故?いっか、お腹いっぱいだし。ロシア語では、空腹のことを’すいた’と言う(女性形だが)。今日は、あまりたくさん見て回ったわけではないが、ヘリは最高だった。明日は郊外のプーシキンとパヴロフスクに行こう。今気付いたが、ロシア滞在も後2日で終わりだ。最後の日は、午後になったら空港に行きたいから、実質的には明日でラスト。楽しもう。
 ・・・もう一個位フィルム買おうかな。しかし、これで完全に300枚を越えた。現像代が怖い。このホテルでも、アンガラと同様、夜、女性からお誘いの電話が。ここでは、知り合いでも23:00過ぎたら中には入れない。それをものともしないほど、巨大なマフィアの影が・・・。毎日しつこいので、受話器を外しておこう。

8/23 ペテ7日目(796.3p)

 月曜日。PTPで、例の1分間で1日の番組表を言う番組をやっている。マカロニなどのたくさんのパスタが参加賞のようだ。ふと気付くと、いつも外でやっているその会場は、あのВВЦではないか。生だろうから、この時間に行けばやっているのだろう。聞き慣れた声の男性中年アナウンサーうるさいほど喋っている。今日、クイズで勝ったのは、10代の少年。3/4位しかできず、アナが超速で言って、景品のテレビはお預けをくっていた。
 今日も9:30にホテルを出て、キャロルズで58.3pのクラブバーガーセット。ここのキャロルズも、何日か使ったが、これで最後だろう。今日は何も待たされず、気持ちよく朝食を済ませる。昨日まで寒かったので、その教訓を生かし(遅い?)、フリースのジャンパーを羽織っている。メトロでプーシキンスカヤ駅まで。そして、地上に出てすぐ左に行くと目に付くヴィチェブスク駅から近郊列車でプーシキンまで行こう。だが、何となく雰囲気が違う。多少なりと経験を積んだ僕には、長距離列車用という感じがするのだ。案の定、メトロの出口から見て建物の裏に、近郊行き用のカッサとプラットホームがあった。プーシキンまでは6p。\30だ。25q位だから、1q1円程度だ。楽しいね、そういうことを考えるのは、いつになっても。10:38に列車があるはずだが、ちっとも来ない。それどころか、次の51分のも、来る気配もない。時刻表を見ると、よくわからない欄に、土、日曜と書いてある。ひょっとしてそれは、土日しか運行しないと言うことなのか。すると・・・10、11時台は軒並みないではないか!一番すぐのもので、12:00ジャスト。しゃあねぇなあ。待合室で読書だ。『戦争と平和』の第4巻の、100頁位が読み終わった。11:30頃、ホームに。一週間位ぶりに。肉入りピロシキ(8p)を食べ、12:00発の列車が来ているようなので、乗り込む。定刻に出発し、到着は12:30前後だろう。と、言っても、アナウンスも全くされず(時々聞こえることもあるが、声と思えないほど小さく雑音混じり)、駅名を示す看板もほとんどない。いくつ目なのかも確かめずに乗ってしまったので、いつ下りるのかもわからない。仕方なく、30分位たって、人が多く下りる駅の二つ目で下りてみる。駅舎を回り込んでみてみると、プーシキンの文字が!今日はカンが冴えてるなあ。ここは昔ツァーリスカエ・セロー(皇帝の村)と呼ばれていて、今はプーシキン村。しかし、駅名はジェッツカエ・セロー(子供の村)で、カッコしてプーシキンと、切符売り場にはあった。だが、来てみたものの、右も左もわからず、おのぼりさん状態。地図を売っているところはないかと、30分ほど捜して、ようやく一つだけ見つけた。それには、地球の歩き方に載っているペテ近郊の3都市(前から3つ)の地図があり、これからパヴロフスクにも行こうと思っていたため、ちょうど良かった。少し歩き出してから、ふと気付く。果たして、パヴロフスクに行く時間があるだろうか。今1:30。・・・ないな、諦めよう。諦めるとは、言葉の帝王と書くのだ。恥じることではない。再び歩を進め、ちょっとした広場に行き着いたので休憩。目の前には、いくつ目だろうか、レーニン像が。地図ではその横に博物館があるらしいので行くが、工事中。次は、村の名の由来である、ロシア人の心とでも言うべき詩人プーシキンの記念館へ。ガイドでは、火曜が休みとあったが、月曜日もコンスタントに休みらしく、彼がここに住んでいたという記念碑だけをフィルムに収め、歩行再開。右手に見えてきたのはアレクサンドル宮殿。博物館があり、学生は40pと、荷物預け代1pで、皇族たちの生活の跡が垣間見られる。次はいよいよこの街の目玉、エカテリーナ宮殿だ。プーシキンも学んだという学習院は外観だけ見て、25p払い、エカテリーナ公園へ。この中に、青と白の壮大な宮殿がある。そこに入るのにまた94p、撮影代90pとられて、足にはアレクサンドル宮殿のところでもそうだったが、靴にカバーを掛ける。他には、モスのトルストイの家、ゴーリキーの家もそうだった。宮殿内部は、真っ金金だった。それぞれの部屋が、いろいろな色(洒落ではない)を基調に、金の要部、そして絵画が天井、壁に。すっごいな、ここは。エルミタージュの一室に、金の孔雀があるきらびやかな部屋があったが、ここは全ての部屋がそんな感じだ。それにつけても、団体エクスカーションの鬱陶しさよ。ただでさえ、通路は狭く区切ってあるのに、あれでは、個人で訪れたものは絶対に良い印象が残らないだろう。エルミタージュでも結構日本人団体がいたが、ロシア語、英語、日本語、ドイツ語、etc。月曜日なのになあ。その後、公園を歩き、池で10分ほど座って休み、エルミタージュ(ここでは文字通り隠れ家)を見て、これでは隠れられないだろうと思ったりしながら、外へ。16:00だ。戻り始めよう。駅のカッサで6pの切手を買い、5.3pのマロージェナエを食べながら列車を待つ。5時5分ほど前に来た。混んでいて、座れない。やはり30分近く立っていたが、往路も復路も、切符の検査に来ない。ホントに良いのか?ペテに戻り、そろそろ夕食にしよう。ロシア最後のужин(夕飯)だ。記念すべきカフェは、ガスチーヌイ・ドヴォール・デパートの向かいにある、ネフスキー40。ネフスキー通りの40番地にあるからだろうか。0.5gのビール’バルチカ’とスープサリャンカ(ペテでは、これが最もメジャーらしい)、牛フィレ肉の料理(名は忘れたが、ホットメインの一番上にあったので、この店の特製のようなものだろう)。46、102、262pで計410p。高いが、メインのフィレ肉は、レアに焼いてあって歯ごたえがとても良い。店員も良く気が付いて当たりも柔らかだし、英語のメニューを出してくれたりする。 ラストで、良い思いができて良かった。ホテルに戻り、36枚撮りの(多いが、少ないよりはましか)フィルム、スニッカーズ2つ、ポテチ(日本に持って帰ってロシアのお菓子だと自慢しよう)を65、10×2、9pで購入。残りは150pとちょっと。明日は出発日。午前中はガスチーヌイ・ドヴォール当たりでカードで買い物をし、13〜14:00には空港に向かおう。トルコの地震では、生存者の救出から、ブルドーザーでの掘り起こしに作業の中心が移ったらしい。そう言う時は、必ず来るのだ。決断をする人は、大変だろう。
 ロシアももう、終わりなんだよなぁ。

8/24 ペテ、及びロシア最終日、帰国[18:40発、翌9:15成田着、アエロフロート](431.8p+214$)

 いよいよ今日で最後だ。早く起きた(6:30)ので、ボーっとして、荷造りを始める。PTPをつけると、この国ではCMに音楽を使う、と言うか、音楽のCMが多く、ニュースの合間に3,4分流れる。この時間帯は決まっているのか、2,3曲、モスから毎日のように聞いていたが、それも終わり。例のクイズ、年配の女性に勝って番組読み上げに挑戦したのは若い女性。56秒で全部言え、テレビを手に入れていた。見ているこちらも幸先良い朝だ。それが終わってもまだ8:00。のんびりいこう。10:00過ぎ位まで、テレビドラマ(何度か見たアクション・サスペンス)を見たり、ソファにずっしりのしかかったりして過ごす。昨日で、残りのルーブルが150ちょっとになっていたが、ドルの残りは230$前後。何故だ?計算では、ちょうど500$位使って、300$以上残っているはずなのだ。まあ、ちょっとずつ見逃していたのだろう。旅にはよくあることだ。こんなことを書いている間に、青のボールペンもご臨終?だんだん薄くなってきて、ついにはインクが出なくなりそう。虫の息だけあるので、なくなり次第赤に移行しよう。そちらはたっぷりあるので。荷物を片付けていると、ありふれた言い方だが、持ってきたものの一つ一つにたくさんの思い出が詰まっている。古いカメラ、拾った会話集、インクのない黒ボールペン、一度も着なかった雨具、大活躍の衣類圧縮袋、アルバート通りの似顔絵、一冊使い切った大学ノート、電卓、地球の歩き方(もうボロボロ)、読み終わった『夢にも思わない』と『戦争と平和』第3巻、まだ途中の第4巻、ホテルや列車で履いたビーチサンダル、かなり残った単3電池、足りなくなって買い足したフィルム、踏み洗いしたがなかなかきれいにならなかった洋服・・・。さあ、感傷に浸らず、片付けなければ。スニッカーズで朝食とし、歯を磨いて洗面用具等も全て詰め込むと、パックには、4,5g分の空きができた。ここにマトリョーシュカなどを入れよう。ドラマも終わり、身支度も完了。軽くなっているはずの荷を背負い、部屋を出る。ジェジュールナヤにキーを返し、礼を言う。これでチェックアウトだ。一週間以上家にしたホテルともおさらばだ。1階に荷物預け所があったが、鍵がかかっていて開かない。荷物は一旦、モスクワ駅に預けることにしよう。コインロッカーだが、10.5p。しかし使い方がわからない。4つのダイヤルを適当に合わせ、扉を押しつけたら、閉まった。番号は・・・何だっけ?−なんて。確か、A123にしたはず(何と安直な)。まあ、何とかなるだろう、しなければ。とりあえずお土産を買いに、メトロでガスチーヌイ・ドヴォールへ。このデパートには、何でも売っているのだが、高そう。街で捜し歩くことに。30$をルーブルに替えて、絵1枚250pと大きなマトリョーシュカを4つ54$(50$+100p)も購入。バッグに入るかどうか怪しい。無駄に歩き回ったせいか、時計は12:30を指している。昼御飯は、2回ほど利用したドヴォール内のファーストフード店キャロルズ。キャロルズ自体は6回目か?クラブバーガーセット58.3p。これがルーブルを使う最後かな?13:20。駅に荷物を取りに戻り、意外にも僅かに空きを残して全部入った。駅までの途中で、マトリョーシュカの入ったビニール袋が破れ(ものすごく脆い袋!)、大変だったが、何とか抱き抱えて持っていった。そろそろ空港に向かおう。まずはメトロでモスコフスカヤまで行く。メトロも最後!国際線のプールコヴォII空港へは、そこから路線タクシーが出ている。プールコヴォIIの字を捜すと、メトロの近い方ではなく、遠い方の出口(道の反対側)に見つけた。もう車はいたが、まだ誰も乗っていない。この路線タクシーというものは、バスの路線を走るミニバンで、マルトルーシカと呼ばれている。4p(これで本当にラスト!)で空港に直通だ。店員まで乗った後、出発。20分もかからなかったろう。プールコヴォII空港前のロータリーは、空港によくあるように、車で埋め尽くされている。ディパーチャーの建物に入る。少し戸惑ったが、両替をしてルーブルを全てドルに戻し(ルーブルは国外持ち出し禁止なのだ)、プールコヴォIIの写真を撮り、税関、チェックイン。チェックインがいつ始まるのかわからなく、税関を通った後で戻るのは嫌だったため、ずっと待っていたが、2時間前の16:40頃、始まる。そう言えば、2時間前という情報をどこかで見た、忘れていては意味がないが。大きな荷物は制限15sを越えていて、機内持ち込み不可。小さい方を切り離し、大きい方だけ預けることに。パスポートチェック等を済ませ、デューティー・フリー・ショップへ。ウォッカなど、最後のお土産を買った。164$。そんなに持っていないので、カードで。税関で気付いたが、残りの手持ちはたったの184$だった。帰ってから、ちゃんと精算してみよう。・・・って、184$なら164$は足りたが、1$札ばかりだったので、出すのが億劫だったのだ。ともあれ、出発ロビーへ。周りはもう日本人だらけ。もうロシアも見納めなんだよな。出発予定時刻の15分前になってようやく搭乗。アエロフロートと横に大きく書かれた機体は、ジャンボジェットとまではいかないが、なかなかのもの。チェックイン時窓側の席が良いと答えたので、席番号は36K、右の窓側だ。窓から見える空港の建物には、サンクト・ペテルブルグと、英語とロシア語で書かれている。間もなく、轟音と言っていいエンジン音が耳を聾し、出発だ。スピードが出てきて、機体が持ち上がる。アナウンスは、ロシア語、英語、日本語(たどたどしい)の順に流れる。ペテの街、そして昨日行ったプーシキンを上から眺め、水平飛行に入る。ヘッドホン、スリッパをもらい、飲み物は、最後は優雅に白ワインを頼む。時計を5時間進めると、もう日付が変わる。9時間30分の空の旅。シベリア鉄道さながら、食べて寝て終わるだろう。国内線→国際線(30人乗りの小型機)乗り継ぎで4日かける石川さんや太田さんがうらやましがるだろう。こちらは一眠りで成田だ。2,000年問題の影響がないことを願おう。食事は、黒パンや普通のパン、ドーナツ(ちょっとパサパサ)、サラダ、ササカマなどが出、何と、ビーフストロガノフまで!味はやはり機内食・・・。ビール、紅茶も飲み、隣の席に誰もいないので、テーブルを二つ使ってしまった。今、高度10,100m、時速520q、-55℃らしい。行きは3日かけて日本海を渡ったのに・・・。

8/25 日本帰国日(\4,410)

 東京の時刻でAM7:00。アナウンスが入り、後2時間で到着だという。夜は、後ろの人が何十回も蹴っ飛ばしてくれたおかげで、ほとんど眠れなかった。全くもう。なんてマナーの悪い日本人だ。外では、ユーラシア大陸が終わりを告げ、海岸が見えてきた。朝食は、パンと生ハム、キュウリ、トマト、そしてヨーグルト(ロシア語では”いおぐると”)。海の上に、綿を千切って浮かべたような、真っ白い、あるいは、所々に埃を履き集めたように灰色の雲が、ポツポツと見える。東京は、35℃だとか言う話を小耳に挟んだ。ペテでは最低5〜6℃だったから、30℃違うわけだ。すごいなあ。でも、これまでの一ヶ月も、環境の変化の連続だった。が、最終的には楽しい旅だった。「人は辛い思いをしても、楽しいと思える心がある。だから、一度でも幸せだと思える瞬間があれば、その人の人生は幸せだった」と言うミッシェル・ド・ラップ・ヘブンの言葉がある(笑)が、本当に幸せだった。そして、その言葉が過去形ではなく、これからも続くであろう友誼ができたし、確実に将来実を結ぶ多くの経験をした。などと書いている間に、8:17、日本列島が見えた!もう1時間位だろう。ヘッドホンを回収、後20分で着くという。これから下降開始。東京は今、24℃だとか。蒸し暑いのは嫌だ。飛行機は、雲のギリギリ下を飛んでいる。海に出た。太平洋だ。ここから逆向きになり、成田に向かう。離陸と並んで、飛行機事故のほとんどの割合を持つ着陸は、今まで感じたことがないほどスムーズ。やっぱり、腕はいいようだ。停止し、扉が開く。スチュワーデス(フライトアテンダントと言わなければならないのだったか?ロシア語では、女性形はスチュアルデッサ、男性形がスチュアルデス)に、最後のロシア語、”Спосибо!=すぱすぃーば”で感謝を伝える。リムジンバスでターミナルビルへ。荷物を受け取り、税関を通過、入国管査も終了。これで再入国の手続きは終わり!帰ってきたのだ!ドル→円の両替をしようと思ったが、両替所が、12:00に開くという。また言葉の帝王だ。後は、自宅に向かうだけ。とりあえず、出発の地、池袋へ、10:16の成田エクスプレスで行こう。\3,310だった。ロシアの100倍だな、こりゃ。ここまでで思ったのは、服が体にべっとり付くような湿度と温度の高さ、そして、エスカレーターの遅さだ!特に後者は、遅すぎてキレる寸前だった。家に着いたのは、12:30。お土産、荷物を片付けなければ。だが、それも旅の楽しみの一つ。楽しんでしまえばいいのだ。
 今は何度言っても足りないほど、充足感がある。もう地球が滅んでも、本当に構わない。最後に、お世話になった人たち全てに、無限の感謝を捧げたい。
 1,000q近くを歩いた靴は、底が磨り減って真っ平らだ。


 

7.あとがき

 私は元来無感動にできていて、もし日本にいてこの旅日記を読まされても、何も心に感じずに読み飛ばしていたことでしょう。ただ言えるのは、実際に体で体験したことを完全に文字化することは、今の僕の文章力では叶わないと言うことです。現地で思ったことを取り留めもなく綴ったこの旅日記は、ホームページという媒体に載せる以上、人に見せるに恥じない一般性をとどめていなければなりませんが、一人の目から通した文であるため、どうしても客観視を徹底させることすらできません。しかし、質は伴わなくとも、ロシアを多角的に覗けたという自信は、大学ノート一冊という量に込められています。今自分でざっと見ただけでも、東から西への緩やかな変化が感じ取れます。そして、時折辛さが思い出されるものの、最終的には幸福感と懐かしさが甦ってきます。・・・という文をただ見たら、私は一笑に付すだけだったでしょう。是非皆さんも一度、旅をしてみて下さい。私は・・・これからどうするのでしょうか?

 

The End