2.ウラジオストク、ウラジオストク〜ハバロフスク


7/25 ロシア、及びユーラシア大陸デビューの日(419p)

 朝9:00に朝食(船で最後)。9:30に若干急いで下船(ロシア入国)。揺れに慣れた足はしばらくふらついた。やはりここでも荷物検査などはなく、ほとんど素通り。本当に良いのか?入国審査などで多少時間はかかったが、パスポートやビザを見るだけ。とりあえず、最初の目的である入国は無事果たせた。港では、トランスファーを頼んでいないにも関わらず、ホテルからガイドの人が来ていて、ホテルまで案内(+少々の市内観光。但し、歩き)してくれた(サービスと言うことで無料!!)。ウラジオストク(以下、ウラジオ)の第一印象は、あまり大きな感動を伴うものではなかった。というのも、建物はなるほど洋風なのだが、行き交う人々に、日本人に似ている東洋系の人が多い。さらに、これが違和感のない最大要因だが、走っている車がほとんど日本車!(軍・警察関係以外の全てと言って良い!)右ハンドルで右側通行は運転しにくくないのだろうか。まあ、それに慣れていれば平気だろうが・・・。到着したホテルはその名も「ウラジオストク」。たいそうぼろいと聞いていたが、なかなかどうして、思ったよりきれい。入り口も、受付も、結構よく手入れされていた。部屋は、冷蔵庫、TV、ベッド、机、バス(バスタブはない)トイレ・シャワーなど、値段の高さに負けない(確か一泊\11,200。高いが、あまり選択の余地がないのだ)位の満足度。部屋に荷物を置き、上下に二つ着いた鍵をかけ(もの凄く開けにくい)、身軽になってからホテルの両替所で$→p(ルーブル)に替えた。レートは1$=24.05p。日本で聞いていたのとほぼ同じだ。ただ、直接\→$と両替するときは、1p=\17だった(1$=\120とすると、\→$→pでは1p=約\5)。・・・何故?港では1$=30p位だったとも聞く。・・・何故?
 その後、同じ船だった三人(ほとんどがホテルも同じだったが、両替後、先程のガイドさんの帰り道に再び案内をしてもらった・・・もちろんタダ!)とホテルを出、どの店が安い・うまいなどと聞きながら「革命戦士広場」でガイドさん(現地の旅行会社のスタッフだったのかも知れない。我々だけでは必ずトラブルが起こるからと、それを未然に防ぐために派遣された可能性もある)に礼を言い、別れた。広場では、開港○○周年(何周年だったかな?)の祭りのようなものをやっていて、軍関係のもの、大砲やら戦車、銃弾、潜水艦や潜水服などに子供が大勢群がっていた。ロシア人を少し観察すると、イメージは一般的な西洋人。男性はほぼ一律に髪が短く、日本で言う長髪の人は全くいない。服装も、若者ですらかなりきちっとしている。女性は、若い人はすらっとしていて美しいが、ある年齢を超えると突然横に広がり出すようだ(笑)。いわゆる、’おばさん’という年代が、具体的に何歳から始まるのか、考えていると面白い。ここで、我々も個人行動をとることになったが、僕は横井さんというひげを生やした(これが後で問題に・・・)人と共に歩いた。中央市場へ向かう予定だったが、足の向くまま進んでいる内に、海岸からまた広場に戻ってきてしまった(途中、何度か石川さん――伏木に行くときに出会った人、山田さん――船でのルームメイト、に会う。・・・あまり広い街ではないのだろう)。そこでコーラ(800ml)一本と軽いクッキーみたいなお菓子一袋を計26pで購入。コーラは8p(=\40)だった。これを物価の指標にしよう。郷土博物館に行く。学生は10p(=\50!)。内容はかなり多岐。絵画や宝石(原石)、戦争(日露など)関係のものまであった。日本でなら、\2、3,000はとってもおかしくないが・・・足が棒に・・・。
 そして、中央郵便局を見て、ウラジオストク駅まで行こうと思ったとき、事件は起きた。横井さんのひげのせい(?)で、警察の人(軍かも)に捕まってしまったのだ。パスポートを出せと言われ、ホテルに預けた(ロシアには、ホテルがビザを登録するために宿泊客のパスポートとビザを一時回収するという制度がある)と言うと、何やら険悪なムード。少し経って、偉い人か誰かが車でやってきて、こちらが国際学生証まで出すと、数分経ってようやく帰(返)してくれた。パスポートのコピーも見せたのだが、これは正式な書類じゃない!とか何とか言われ、効果はなかった。呼び止められただけで良かった。ガイドブックにもこの手の経験譚は載っていたのだが、まさか本当にある・・・いや、自分がそんな目に遭うとは・・・。やはり東洋人のひげは怪しさを思わせる(笑)のだろうか。横井さんは明日ひげ、剃ってくるかな?気にしてたし。
 とまあ、ちょっとした事件もあったが、次には
の下見に行った。どうやらこちらでは改札などは全くない様子。しばらくして、同じ船に乗った人が一足先にウラジオを発つようなので、偵察かつ見送りを。僕も乗る予定のアケアン号(ウラジオ――ハバロフスク、18:40発、翌9:00着)は、18両編成で、やはりお世辞にも美しいとは言い難い。しかし、ほぼ予定通りの18:40に出発し、二人(一人は例の早稲田9年生。もう一人は会社を辞めた人で、二人旅をしている)に別れを告げた。駅のホームにはイスラム系(だと思うが、あとでジプシーだと判明)の一族十数人がいて、子供が怪しげなコインを1$と替えてくれと寄ってきた。ロシア語で、「我々は金がない、貧乏なんだ」と言うと、「うそだ、旅行者のくせに・・・」みたいなことを言う。これも聞き慣れた体験談ではあるが、やはり多少ショックだった。帰路、少し話題に上った炭酸抜き(びぇず・がーざ)の水を購入。こちらでは、「水(う゛ぁだー)」と言うと、炭酸入りが出てくるのだ。これを書いている今は、栓を開けられるのを待って、冷蔵庫で静かに寝ている。
 そして、横井さんともう一人、少し年配の女性と一緒に、夕食を食べに「ルースキー(ロシアの、ロシア的の意)」レストランへ行った(ガイドさんが唯一安く、美味しいと言っていた)。わけもわからず頼んだものは、一時間近く待った後に出てきたが、それはいわゆる’とんかつ’だった。メニューには「のーう゛い・るーすきー(新しいロシアの)」とあったのだが・・・。味は油っぽかったが、ソースなしでちょうど良い味の濃さだった。ビールも飲んだが、ドイツ製のもので高い(料理よりも!!)。料理は80p、ビール(пиво=ぴーう゛ぁ)は90p。心なしか、アルコール度数も高いような気が・・・。食料は露店で買おう。しかし何にしても、日本のシステムが一番だ。料理のメニューに写真が付いていないとどうしてもわかりづらい。贅沢病かな?その後、帰りに見えた海岸(先程とは別の場所)での祭り(何か歌手が歌い、騒いでいた計数千人が歩き回っていた――革命戦士広場より狭いところで、よりにぎやかに)を見つつ、帰る。夜中、10:00を過ぎても明るい。そして、現在、日記記入中。明日はもっとゆっくりしよう。しかし、他の人とは全てお別れだ。連絡先等、まだ聞いていない。聞かねば。・・・やっと家に電話も入れることができた。だが、1分ちょっとで207p(約\1,000)も請求された。・・・これは・・・!?それより明日、起きられるか?

7/26 ウラジオ第2日目(44p)

 今朝は、9:30頃に起きることができた。日本では7:30。4日間着た切り雀の青いシャツ、グレーのズボンをまだ履き、ようやく10:30にホテルを出る。まず、最初の目的地は中央市場。坂道を歩き歩き、1,2時間後、それとおぼしき場所に到着。リンゴ、オレンジ、桃、チェリー、ベリー類等の果物からちょっとした日用品までいろいろ売っていたが、ある店が、”隣の出店と全く同じ品揃え&値段”という繰り返しだった。次に向かったのは展望台。普通はケーブルカーで行くらしいが、自分でもどういうわけか、歩いた。2時間近くかかってしまった。午前中は霧がかかっていたものの、景色は良かった。ロシア人カップルに写真を撮ってもらう。港が一望でき、例の広場に今日は人がそれほど多くないのが見て取れる。今度はそこへ向かって坂を下り、広場でしばし休憩。・・・と、狭い街、山田さんが現れた。彼に案内され、アメリカ資本だというハンバーガー屋Magic Burgerへ行くと、そこには石川さんと横井さんが・・・。ゆっくり喋り、3:00頃、日が出てきたのでサングラスをし、暑い中、ホテルに一人戻る。その後、駅に向かう。駅の待合室には、今日ここを発つ何人かが休んでいた。そう。出会った全員が、今日中にはウラジオを後にするのだ。突然石川さんの頭に浮かんだ、『日本沈没』の作者についての話や、互いの失敗談等に花が咲いたが、列車が来て、何人かは旅立っていった。18:40のに乗ったのは、山田さんと少し年配の女性(結構お世話になったのに名前まだ聞いていない。ごめんなさい)。こちらも疲れたので、日本から持ってきたなけなしの食料をホテルで食べることに・・・。あ!メールアドレスを聞くの――忘れてた。まあ、いいか?いいな。いいや!
 それにつけても、やはり日本車。その上、ペイントなどもそのままに使っていて、日本語で『コープ神戸』とか『うさちゃんクリーニング』とか書いてある(爆)。それから、防犯装置なのか、車から”ひゅわひゅわ”言う音が出る。しかも突然。非常に頻繁なので、少し慣れてきたが、歩いて脇を通ったときに鳴り出されると、飛び上がってしまう。祭りで花火やってた時は連動していたし・・・。昼に食べたマジック・バーガーのハンバーガー(гамбургер=がんぶるげる)は、案に相違せずこっちの人好みの大ざっぱな味。大きさは日本と変わらないのだが。山田さんは、昨日10$→24pの両替(本当なら240p)の抗議をし、ホテルのオーナー室まで乗り込んで返してもらったとか。少し年配の女性(名前・・・結局聞かなかった)は、リンゴ2個を34pで買った(山田さんは1個6P)らしい。横井さんは、駅に預けた荷物の預け証をなくした(結局ひげもそのまま)。母娘の二人組は、今日飛行機で移動するはずだったが、ホテルにパスポートを忘れたため乗り遅れ、野中さんと保科さんに届けてもらったが、間に合わず、結局もう一泊することになったという。しかし、安く泊めてくれたとかで、結果論だが、実は一番旅上手?誰でも失敗はするものだ。僕も電話、忘れてたし。要は、それすらも利用してしまえばいいのだ。例えば、横井さんは、母娘連れのお母さんの方のいい意味での図々しさを見習うつもりだとか言っていた。また、野中さんたちは、パスポートを届けるときに使ったタクシーで、良い市場を運転手さんに教わったり・・・。
 明日からは一人旅。とりあえず、洗濯をしよう(青のシャツは、汗が乾いて塩の白い粉が浮き出ている)。
 と、ここまで書いた後、暇だったので、夜0:00の列車で発つ人たちを見送りに行った。横井さん、(ずっと赤い服の)石川さん、野中さん、保科さん、女性二人(名前、聞くの忘れた)。野中さんに市場の詳しい行き方を教えてもらったり、保科さんの”中央線の呪い”の話を聞いたり、『日本沈没』は小松左京だと石川さんが思い出し(違っていても、当たっていると勝手に決めた。何故ならこのまま議論を続けても、誰も結論を以ていないことが明らかだったからだ)、簡単なロシア語を教えてあげたり、炭酸抜きの水の手に入れ方の話などしていたら、11:00を回ってしまった。流石に暗い。お別れをし、怖いので、走って帰った。
 何日かぶりに全身を洗った。お湯の出が悪くて苦労したが、さっぱりした。予想通り、髪の毛が大量に抜けた・・・。

7/27 ウラジオ3日目(48.5p)

 何と言うことだ!!洗濯していたら、シャツのポケットに入れていたホテルカードも一緒に洗ってしまった!ホテルの出入りとチェックアウトはこれで行うのに・・・。とりあえず、乾くのを待つことにする。しかし、なかなか乾かない!考えた末、乾いてもどうなるかわからないので、レセプションに言いに行くと、「全然問題ないですよ」みたいなことを言われた。預けたパスポートやビザの代わりだと思って重大視していたが、今度ばかりはこちらの大らかさに救われた。少しこの国のことがわかった気がした。
 気分も新たに、赤いシャツと茶色のズボンを履いて外に出たが、今日はあまり歩きたくないので、ウラジオ駅前から市電(トラム、路面電車)に乗った。昨日去った人に聞いたとおり、”タダ”だった。観察していると、払う人も受け取る人もいないのだ。全員定期券を持っていて、見る必要がないなどと言うことはあるまいな。乗り放題ということで、終点まで言ってみることに。2、30分大きく揺られつつ進むと、そこには中央市場より遙かに大きな自由市場が!そう言えば、このことも昨日聞いたんだっけ。その散策に一時間ほど費やしたが、やはり品物は多い。パン7.5pを一つと、リンゴ7.5p一つを買って食べた。パンにはチーズが乗っていて(日本でも見たことがある)、まあまあの味。リンゴは妙に甘かった。甘酸っぱい果物が好きな僕にはちょっと不満。その後再びウラジオ駅前に戻り、今度は別方面の終着まで行く。こちらは、いわゆる閑静な住宅街という感じ。街外れまで行き、ウラジオの広さ(狭さ?)を体感できた。
 疲れがあるのか、駅の待合室で少し休んでいたら、眠ってしまった。5:00を回ったのに気付き、マジックバーガーでハンバーガー9p1個、チーズバーガー(ちーずぶるげる)10.5p1つ、フライドポテト(かるとーふぇり・ふりー、ポテトチップみたいなのとソーセージ×2)8p、コーラ6pを飲み(満腹)、ホテルに戻る。
 明日はウラジオを発つ。考えたら、ウラジオに3泊は長すぎたな。多くて2泊で十分だ。それより、洗濯物――乾くかな?まあ、それは忘れて早く寝てしまおう(しかし、まだ8:00前。日本では6:00だが、こっちは日沈が更に遅い・・・眠れるか)。東京より西にあって、それだけでも太陽は遅く沈むはずなのに、時間を進めるのだ。しかも、サマータイムの時だけ(他の時は、2時間遅らせるので、日本と同じ時刻になる)。・・・どういうこと?

7/28 ウラジオ出発日、アケアン号(51p)

 昨夕、食べ過ぎて、それを一生懸命消化してくれているのか、体が火照ってよく眠れなかった。何度か手足に水をかけて冷やしたのだが、すぐに元に戻ってしまう。8:30頃に起きたものの、何だかだるい。シャワーを浴び、荷造りをする。洗濯をしたもののいくつかが乾いていない――閉めきってたからかな?袋にまとめて入れ、あまり得意でないパッキングを済ませた。量が多くなったような気もするが、変わってないんだよな、これが。いつもそう思うのはなぜだろう。11:30、制限時間12:00ぎりぎりにチェックアウトを済ませ、ロビーでアイスクリーム(мороженое、まろーじぇなえ)を食べ、口の中が甘苦しくなってしまった。ホテルを出、重い荷物(家を出たときに測ったら、18sあった)を駅の預け所に預け(6.50p)、また待合室へ。疲れがとれず、出歩く気がしない。本を読んだり、じゃがいも入りのピロシキとスプライトを飲食したりしていると、弾き語りが現れた。声が小さくあまり聞こえなかったが、他に人が少なかったのと、暇をつぶしてくれたのとで、5pコインを上げてしまった。日本円に直すと\25だが、物価が日本の1/3以下と考えると、結構なものだろう。ピロシキが1と1/2位食べられる。
 持ってきた本のことを書こう。全部で3冊。2冊は、ロシアの天才作家トルストイの『戦争と平和』(война и мир、う゛ぁいなー・い・みーる)の第3・4巻。物理的にも精神的にも重い。そこでもう一冊は軽めのものにしようと思い、宮部みゆきの『夢にも思わない』を詰め込んできた。後者は既に1/3以上読んでしまった。後30日近くあるのに・・・。ゆっくり読もうと決めていたのにこれでは先が思いやられる。ついでに他の荷物のことも少々。今回、初の一人旅、しかも行き先がロシアということで、何をどれだけ持ってきたらいいのか全くわからなかった。そこで、『地球の歩き方』を買って、それに載っている持ち物リストをもとに自分なりのリストを作り、直前に買った55gのバックパックに入れたのである。パック自体は、大きな部分と小さな部分が切り離し可能で、全体にカバーも掛けられるタイプだ。パスポート等の書類はもちろん、服は2、3着、洗面用具、タオル、道具、カメラ、フィルム(24枚撮り×10!)、カセットテープ、安物のテープレコーダー、などなどなど・・・。およそ少しでも必要だと思われるものは全て持ってきたら、20s近くなってしまったのである。
 まだ陽は高いが、列車
アケアン号が来た。荷物を取り、切符を出し、6号車へ。キロポストがあり、モスクワへのq数が表示されている。9288と書いてあるが、本当のところは9297qらしいと言うのを聞いた。車掌さんに切符を見せ、入り込んだ!僕の15番の席は、4人部屋の下段のベッドだった。狭いことは狭いが、一晩だけの辛抱だ。縦横2m弱、高さ3mほどのコンパートメントに、ベッドが上下二段ずつ左右にある。下は、昼間はソファーとして使うらしい。当然と言うべきか、ベッドはあまり大きくなく、身長の高い人は足を伸ばして眠れないだろう。うう。背が低いのがこんなところで役立つとは!?18:35頃、同室者と思われるおじさんが入ってきた。無言・・・。しまった!挨拶するチャンスを逸してしまった。おじさんは突然着替えだし、大きなお腹が丸見えのTシャツ姿になった。18:40。列車が動き始める。外の景色が次々後ろに流れていく。おじさんはクロスワードをやり始めた。やはり無言。車掌さん(ほとんど女性らしい)が来て、切符を渡し、シーツ代13pを取られた。なぜか切符に同封されていた20pはこのためだったのか!?冷房が効いているのか、涼しい。窓の外には、朱に染まる前の夕日の中、海で泳いでいる人が(我々は海岸を走っているらしい)。まだ早いが、揺れに身を任せてさっさと寝てしまおう。
 ある瞬間に目が覚めると、やはり同室者らしい東洋人が覗き込んでいた。今度は挨拶できた♪彼は他の部屋の知り合いと共にどこか(おそらく食堂車)に消えた。ロシア語を喋っていたことからすると、モンゴル辺りの人だろうか?

3.ハバロフスク、ハバロフスク〜イルクーツクへ