5.モスクワ、モスクワ〜サンクト・ペテルブルグ
8/9 バイカル号4日目、モスクワ到着日(372p)
今日のPM3:18、モスクワに着く(予定)。ようやく、と言った感じだ。もしこんな風に一人の日本人とも会わず、まともな会話ができない状態が一週間も続いたら、発狂していただろう。そう考えると、ウラジオからモス(バーガーではない)まで、ロシア号で一気に7泊かけて行った人たちはすごい。まあ、とにかく、食料はほとんど空になった(一番重い水が少し残ったが)ので、多少の少位は楽になるだろう。モス(こけでもない)では7泊するので、行動日は7日間ある(今日入れず、また最終日は夜発)。『地球の歩き方』で、1日ごとに見る区域を大まかに分け、ちょうど良い日数だと気付いた。朝食は、隣の男性が呼び止めてくれた(男女はマキシムとリエナ)車内販売で肉入りピロシキ2個13pに最後のスープ、イルクからこっちは(あるいはバイカル号は)車内販売の方が駅頭販売より多く利用した気がする。男女はまたいちゃついている。全く、最近の若いもんは・・・!『戦争と平和』は、もうちょっとで第3巻が読み終わる。何せ、1頁の文字数が半端でなく、600頁もあるものだから、読み応えたっぷりだ。さっきのご飯でまだ腹が張っているので、昼食は抜いてしまおう。気が付いたら、もうモスまで止まらないし・・・。2,000円のレコード(録音)ができないテープレコーダーの電池は、バイカル号に乗ったときに2度目の交換をし、まだ保ってくれている。2,30回は聞いただろうか。今朝起きたときには、いつの間にかキロポストが3桁に、そして今また2桁になっている。それに連れて、窓の外には、舗装された道路が増え、建物も大きく近代的になってくる。荷物整理を済ませ、しばらくすると、列車は静かに停車。シベリア鉄道全体として、発車と停車はスムーズ(腕がいいのか)、途中は船と同じくらい揺れた。それはともかく、ロシア首都モスクワだっ!ホームはこれまでと違い、高く、階段が必要ない。ローカル線も同じプラットホームだからだろう。左右どちらに行ったらよいかわからないが、ここは人の流れに従い、左へ。まだ列車の横を歩いているとき、また警官に呼び止められたが、何とかかわし、駅外へ。駅の外と言っても、つながっていて、改札などないので、境目はない。人口850万人の大都市の印象は、”さすが首都、でかい!”だ。地方都市では、地図を見ればどちらに何があるのか、大体わかったが、このメガロポリスでは、文字通り右も左もわからないお上りさん状態。時間は15:30。予想通り、今日は歩き回る暇はなさそうなので、ホテルに直行だ。それには、まず地下鉄、メトロだ。ここの地下鉄は、ジェトンと呼ばれる共通のコインで乗り、1回でどこまででも1枚だという情報は仕入れていた。だが、今はカードが主流のようで、20回分のプリペイドカードを購入(60p)。初め、掲示されているカードを適当に指さしたら、間違えてテレホンカードを買ってしまった(80p・・・大出費だ)。カードを改札(地下鉄はある、自動改札)の下に入れ、すぐランプが変わり、すぐ上から出てくる。無機的に通り過ぎる他の人の、見よう見まねだ。エスカレーターで、地上から地下に降りる。あまりに早くて、大縄に入るときのようにタイミングを計りにくい。しかもその速さで、2,3分かかるほど深く潜るのだ。ここコムソモーリスカヤ駅は、いくつかの路線が乗り入れているため、どれがどこ行きだかわからず、最初、別の路線に乗ってしまい、見当違いの方向に進んでしまった(間違い2回目)。何とかコムソモーリスカヤに戻り、今度こそ本当の列車に乗る。次のクールスカヤ駅で乗り換えだ。ここでもどこへ行ったらよいか迷ったが、辛うじて正解。3番路線の4つ目、イズマイロフスキー・パルク(公園)駅で降りることができた。しかし、この国の地下鉄は、世界一美しいと言っていいのではないだろうか(ほとんど日本のものしか知らないのだが)。ホームにも、そこへの道にも、芸術品とも言える天井画や壁画が飾られ、思わず足が進むことを拒否してしまう。広さも、日本とは比べものにならない。イズマイロフ公園駅から地上に出ると、いくつかのキオスクが正面に見え、左を向くとコンクリートの高層ビル群が。ん?”がすちーにっつぁ・いずまいろう゛ぉ”?ここは、これから一週間滞在するホテルではないか。今までで一番大きい・・・と言うか、これ以上のものは見たことがない。アルファ、ベータ、ガンマ、デルタ棟があり、どれかわからずアルファに行くも、どうやら違う様子。ガイドには、7,500部屋あるという行と共に、外国人は主にデルタ棟とあるため、そちらに行くと、ようやくチェックインできた。部屋は15階の17号室。何故か、ベッドが二つある。別に、お金はもうとっくに払ってあるからいいけれど。まさかこの後誰か来たりしないよな?調度品も、アンガラより遙かにしっかりしている。プッシュ式の電話(アンガラではダイヤル。どうでもいいことだが・・・)、サムソンの13インチ位のテレビ、冷蔵庫、2枚の壁画、そして、一番気になっていたことは−やった!!お湯が出るぅー!!!これで久しぶりに気持ちよく体を洗える。髪の毛も、ムースはとうに落ちてベトベトだ。うっれしいなっと♪部屋の広さは15〜20畳程度だろうか。ベッドが二つあるから狭くは感じるが。一通り確かめたところで、腹の虫が昼食抜きを責め立ててきた。地図も欲しい。1階で、先に地図を30pで手に入れ(結構店がある)、そこの先のカフェで夕飯。よくわからないので、目の前にあった4種類のパイを一つずつ食べる。チーズのが二つ、野菜が一つ、肉入りが一つで紅茶も飲み、190p。高いな。カフェでこれでは・・・。ホテルを一周してみたが、寒いだけであまり収穫なし。レセプションでパスポートとビザを返してもらい、インツーリストのオフィスで朝食のクーポンをもらうと、そこに日本人らしき大柄な男性が。話をすると、彼は大学4年生で、、石川さんたちが乗ったロシア号に乗っていて、連れが一人い、もう一人女性にもあったというから、彼らは全部で7人になったわけだ。それだけいれば退屈はしなかっただろうな。しばらくどこが良いかなど伺っていると、現れたのは芋川さんと、もう一人の女性。再会だ。二人と男性は、今日それぞれがどこに行ったか話をし、僕はそこから情報を抜き取っていた。男性にクレジットカードでの国際電話のかけ方を教わり(ホテルに何機かそれ用のものがある)、僕と芋川さんは、石川さんたちを訪ねにベータ棟へ。男性二人組と女性、芋川さんはデルタで、石川さん・太田さんはベータだという。あ、志村さんのことは聞いていないや。ベータ2036へ行くも、二人はまだいず、伝言だけ残し、引き返す。明日9:00に再び全員ロビーに集まるらしい。その時、石川さんの誕生パーティーの打ち合わせもするとか。再び彼らと話したが、モスクワでは今までより遙かに物価が高いらしい。何だかんだ言って、僕ももうかなり使ってるし。でも後3,000p以上使っても、予算の30%程度、250$だし、後50$(1,200p)位なら、予想よりずっと少なく済んだ、と言えそうだしね。明日、時間があったら、ホテルから国際電話をかけてみよう。しかし、時差が東京はここから+5時間。向こうの夜8:00にかけるには、15:00か、きついかな?街歩いてる頃だ。今夜は部屋でゆっくりしよう。シャワーも浴びよう。お湯だっ!ハバロを出発して以来だから、実に10日ぶり。気持ちよかー。髪の毛?バンバン抜けろ。どうせ普通でも1日2、30本は抜けるんだ。3日洗わなきゃ100本だ。栓なんか、詰まってしまえー!本当に詰まったけど・・・。全身を洗い、10日ぶりにスッキリ。こんなことはかつて、数日間山にこもったときにあっただけだ。次はお洗濯。やはりお湯だとやりやすい。基本的に、汚れは水より落ちるし、何より、足が冷たくならないのが良い。ペテで、お湯が使えるかわからないので、出発前にもう一度お湯の洗濯を楽しもう。これから16日まで1週間、お世話になります。
8/10 モス2日目[歩き回るのは1日目](402.5p)
ホテルの朝食に、2階のレストランへ。バウチャーにはビュッフェ形式と書いてあったが、その通りだった。思えば、アンガラでもそうだったが、ここのはずっとまともだ。コーヒー、紅茶はもちろん、メニューも豊富で、例えば、サラダなども数種類ある。ウェイトレスも何人もい(これが普通?アンガラでは一人の女性が全てを切り盛りしていた)、フロアも、200人位は余裕で入るだろう。イズマイロヴォは、ロシアに来て一番当たりだ。サービスも良いし、昨日渡されて書いたアンケートからはさらなる向上意識が見て取れる。それを見たら、部屋ごとにパソコンをおいた方がいいかと言う項目があったので、それは近い内に実現するかも知れない。今は3つ星だが、明らかにより上を目指しているのだろう。喜ばしいことだ。気分良く食事を済ませ、9:00に待ち合わせの1階ロビーへ。一度部屋に戻るなどし、9:30頃に集合が完了。皆さん、今日レーニン廟に行くらしいので、同行することにした。志村さん、石川さん、太田さん、芋川さんの4人。レーニン廟では、チェックがかなり厳しく、カメラなどは絶対にダメだそうだ。2組に分かれ、一方が見ている間、もう一方は荷物を預かり、当たりを散歩などして待つことにした。とりあえず、それのある赤の広場まで行かねばならない。5人、地下鉄でアルバーツカヤ駅まで。地上に出ると、モスクワに来て間もない僕には、紛れなく大都会の姿が目に入った。4人に付いて、レーニン廟へ。まず、僕と志村さん、芋川さんが見ることにし、石川・太田両氏に荷を預ける。念のため、カバンも止めようと言うことにしたのだ。15分ほど並び、警官にポケットまで探られ、3人はいよいよ廟へ。ソ連の革命の指導者であるレーニンの遺体が、1924年の死後そのままの状態で(ホルマリン漬けのようなもの?)眠っているという。正面にЛЕНИНとある、一目でそれとわかるお墓の中へ。ここでも警備は厳しく、一言も喋ってはいけない。無茶苦茶怒られている人がいた。志村さんは、これでも警備は甘いのではないか、何かしようと思えば、簡単だと言っていたが。そして、当のレーニン!20畳くらいの部屋の中心に横たわり、その三方をぐるりと歩く。何だかろう人形のように見える。何故か、右手は軽く握られ、左手は開かれていた。しかし、なかなか渋くて格好の良いオジサンと言う感じ。そして外へ出ると、日本の社会主義者片山潜、スターリンなどの墓も見られた。順路に沿って廟を見終わると、下の場所に戻るにはグム百貨店を通らなければならない。良いところに作ったな。残りの二人と交替し、その間に僕らは無名戦士の墓へ。1941〜45とあり、全く身動きしない二人の兵が脇に立っている。二人が見終わり、やはり人形のようだったと話した後、石川さんの誕生パーティーのため、7:00にホテルのロビーで待ち合わせし、一旦解散。が、目標クレムリン(城塞の意)が共通するので、僕は石川さん・太田さんと過去の文化と現在の政治の中心に向かう。クレムリンの入場料+見学料+撮影料は合計320p(140:入場と主な見学料+110:武器庫+(40+30):それぞれの撮影料)。たっかいなーっ。流石首都。これでも学割効いている。石川さんは学生証忘れ、480p!ここでも荷物は持ち込み不可で、預かり料3p取られ・・・。やっとのことで中へ!クレムリンは、二つの角が取れた三角形をしていて、ほとんどの見学施設は中心部に集中している。ほぼ一通り見て、14:30入場開始と時間が決まっている武器庫へ。・・・と言っても、武器はその一部(昔のピストルやサーベル、馬具など。サーベルは1回手に持ってみたいな)で、後は博物館という感じ。昔の女性の衣装や馬車、金銀細工などが飾ってある。別料金を払って入る謎の部屋があったが、入らなかった。帰ってガイドを見ると、そこはダイヤモンド庫だという。他にクレムリンで見た(見られる?)ところは皆、イコンや棺や壁画などのある教会ばかりが7,8箇所。しかし、現在も政治の中枢がここにあるからか、警備は厳重で、少し横断歩道からずれただけであちこちから笛が鳴る。武器庫を見る直前から雨が降り出し、3人は僕一つの折り畳み傘で雨を避けつつ(天気予報見といて良かった)、クレムリンを後に。外でホットドッグ(15pと8p一個ずつ)2個を食べる。その後、再度グム百貨店に行き、石川さんたち二人はちょっと遠くにある楽器店を見に行くというので別れる。百貨店では、お土産(自分への?)に欲しいものが二つ。一つは懐中時計。これは昔からの夢で、大人になったら持とうと思っていたもの。ダンディーな感じがするし。もう一つは絵、と言うか世界地図。B5(横)ほどの大きさの古い時代の地図が、金色銀色を中心に描かれている。それは最も小さく安くて、150p位だったか?時計は確か350p。これは旅行中費用と言うより、普段のお小遣いとして、クレジットカードで買おうかな。でも一応衝動買いは止め、少し考えてからにしよう。時間はたっぷりある。ちょっと早いが、ぶらぶら歩いてホテルに戻ろう。地図を見ずに、足の向くまま進んで、最初に着いたキタイ・ゴーラッド(中華街?)駅から、イズマイロヴォ・ホテルへ。約束の7時までにはまだあるので、部屋でソファーに沈んでいると、ノックをして芋川さんがやってきた。石川さんのために、ケーキを買ったらしい。ワンホールの大きなもの。彼女と志村さんは今日の晩にサンクト・ペテルブルグに発つらしい。既にチェックアウトしているので、部屋に入れない。そこでケーキを僕の冷蔵庫に入れるために来たらしい。石川さんたちのベータ棟は、ここデルタとは違ってかなり悪いらしい。部屋も狭く、ボロボロでもちろん冷蔵庫はない。そろそろ7:00。僕もロビーに向かおう。こっそり誕生日カードも書いて(芋川さんは石川さんの年齢を一つ間違えて書いていた・・・)、相談したところ、下手なレストランより、キオスクなどで食料を買い込んで、ホテルの部屋で家庭的に祝うことに。必然的に僕の部屋になる。ベッドを少し動かし、僅かながらもそれらしい雰囲気を作る。パン、ローストチキン、サラダ、魚を買ってくる。全部で200pちょっとかな?一人4、50p。石川さんに出させるわけには行かないが。そしてケーキをテーブルに乗せ、主賓の登場を待つ。彼が来て、ケーキのふたを開けて、ハッピーバースデーの歌を合唱。С днём рождения!パーティーの開始だ。4人はシベリア鉄道で皆同じコンパートメントに入ることができたため(途中でそうしてもらったよう。もともと3人が同室で、そこに入ったロシア人が厭がったからだとか)、至極楽しかったらしい。トランプをしたり、今のようにいろいろ食料を買い込んだり、こちらは一人、退屈で発狂しそうだったというのに。まあ、そんなことはどうでもいいが。今夜はロシアへ来て一番楽しい夜だった。まさか異国で日本人のバースデーを祝うことになるとは思いもよらなかったし、大量に仕入れた食べ物は予想を裏切らずに余り、志村さん曰く「最後はごめんなさい」と言うことで僕の部屋の冷蔵庫に。一週間あるから良いが、それでもケーキが・・・。今日食べた一人分でも気持ち悪くなりそうなのに、それ×3もある。ともあれ、バースデーカードも渡し、僕の手持ちの乾燥サラダと、煎茶のティーバッグをジェジュールナヤに頼んだお湯で戻して最後に飲み、お開き。撮った写真を送ってくれるように志村さんに頼み、お別れ。連絡先は教えたが、もうロシアで芋川さんと志村さんには会わないだろう。日本で会う約束をし、お礼をし、見送った。彼らの残りの旅が無事済みますように。その帰途、水を買い(18p)、石川さんにケーキを食べに来てくれるように頼み(彼ら二人は今夜を入れてもう2泊する)、部屋に戻った。2度目になるが、最高の夜だった。
8/11 モス3日目[2日目](152p)
宴から一夜明け、残ったのは清々しい気持ちと大量のケーキ。月並みな表現だが、かけがえのない仲間たちを思いながら、本日の予定を立てる。外は霧でほとんど何も見えず、天気予報では雨マークが。列車の中で決めた大まかな7つの予定(7日間分)の内、どこに行こうかと物色する。昨日は@クレムリンと赤の広場に行ったから、順番は変則的だがCアルバート通りと新アルバート通り+ヴォルホンカ・プレチースチェンカ・大ピロゴーフスカヤ通りにしよう。ボロジノの戦いやトルストイ関係(『戦争と平和』の影響)の展示を見られるらしい。8:00を過ぎたことに気付き、朝食へ。昼・夕食代を安く済ませようと言う野望の下、たくさん食べた。独特のヨーグルト飲料”けふぃーる”も飲んでみる。プレーンの飲むヨーグルトと言った感じだ。そして、9:40、ホテルを出る。イズマイロフ・パルク駅の手前で、4度目!!警官にパスポートの提示を迫られる。どうしてこう頻繁に?そう言えば、芋川さんが、山内さんが最初に僕を見たとき「モンゴル系に見える」と言い放ったと言っていた。そうなのかなぁ。でも、他の人はほとんどないと言うし。とまれ、昨日と同じ革命広場駅で降り、車が多く通る大通りを通って新アルバート通りへ。国立図書館、アルバート広場を経、新アルバート通りへ。ドム・クニーギ(本の家)に入ってみる。ロシア人がヨーロッパ一と言うだけあって、かなりたくさんの本が2階に渡って置いてある。1階には文具やPCソフトなどのコーナーも。『戦争と平和』のロシア語の本でもあれば買おうと思ったが、探せどない。同じトルストイでも、『アンナ・カレーニナ』はあるのに。この通りには他にもいろいろな大きい店があり、ウィンドウ・ショッピングだけでも楽しめる。そして更にその先へ。日本では警視庁のビルが少し変わった形だが、モスクワ市庁舎のビルもおかしな角度が付いていて、面白い形だった。くねくねと折れ曲がって街をあちこちで横切っているモスクワ川を越えると、そこにはものすごく荘厳な感じの、宮殿のような建物が!ガイドを見ると、ウクライナ・ホテルとある。こんなところに泊まる人たちって・・・一体?そこから通りはクトゥーゾフ通りと名が変わる。1812年にナポレオンが攻めてきたとき、それと戦った司令官クトゥーゾフの名前だ。昨日顔を見て親しみが沸いてきたレーニンさんの塔がある広場で一休みし、再び2q程度歩く。途中、フィルムが残りほとんどなくなり、手持ちはないしホテルまで戻るのもいやなので、12枚撮りのものを買った。こちらのが使えるかどうかのテストも兼ねて。しかし、44pと高い。かなり安い部類のものを選んだのに。日本円にしても\220。直しても日本より高いなんて、初めてだ。そして、やっとボロディノ戦闘パノラマ館へ。学生料金で7.5pだったが、本に出てきた登場人物たちの肖像があり、次に2階へ上がれと言う。すると、そこにはドーム状の丸い部屋全体に、戦闘時の様子が壁画として描かれ、手前には実物大の焼けた建物や大砲の模型が!極めて精密で、両者の境界もわからないほど。360度戦場で、本当にそこに立っていたような気がした。そこを出て、クトゥーゾフ将軍らが通った記念の凱旋門があり、老将の姿が一番上に見られる。凱旋門はパリだけではないのだな。そして、その道の反対側を通って戻る途中、路地の奥に市場らしきものが見え、足を惹き付ける。そこはかなり大きな、”ロシアらしい”市場で、近代的なものばかり見ていた目を安心させてくれた。そのまま進んだところ、キエフ駅に出てしまい、少し戻ると、マクドナルドが見える。少し遅いがобедだ。間違えてセットのものを頼んでしまい、しかも、よくわからないで首を振ったら、飲み物とポテトをいらないと言ってしまったらしく、大きめのハンバーガー一つで35.5pも請求されてしまった。しかし、基本的な値段は、ハンバーガー9p、チーズバーガー10.5pで、ウラジオのマジックバーガーとあまり変わらない。少しホッとした。味もまともだし。モスクワ川を渡り、アルバート通りの歩行者天国へ。志村さんたちは絵を買い(彼は何故かウズベキスタンの絵)、芋川さんは似顔絵を描いてもらったという(結構似ていた)。入り口のところで、石川さんにあった。顔が赤かった・・・。僕も似顔絵、描いてもらおうかとも思ったが、他に行きたいところが残っていて、時間も迫っているので止めた。どうせモンゴル人だし(笑)。アルバーツカヤ駅からメトロでクロポトキンスカヤ駅へ。ヴォルホンカ通りだ。今、15:30位、プーシキン美術館へ。学生は60pだが、それに見合う質・量の内容だ。数々の名匠の絵画(ホンモノ)、教科書に出てくるような有名な彫刻(模型。教育目的で建てられた美術館のため)に見とれ、早く出るつもりが、1時間30分もかけてしまった。外に出るともう17:00。トルストイ博物館とノヴォデヴィッチ修道院はもう閉まっている(『地球の歩き方』より)。救世主キリスト聖堂はまだ完成前(後で知ったことだが、建物を回り込むと、入り口があるらしい)。残るトルストイの家博物館へ。大通りを渡るのに戸惑ったりしながら、17:30前には着いた・・・が、閉まっている。ベルを鳴らすと、警備の人が出てきてもうダメだという。18:00までって、書いてあるじゃないかぁ!気落ちし、もうホテルに戻ろう。夕飯は・・・ケーキでいいや。サラダとかも少しあるし。あぁ、ビール買えば良かったな。でもケーキで酒は気持ち悪いか。8:30位に、石川さんが来た。彼らは明日の晩にサンクト・ペテルブルグ(以下、ペテ)に発つが、明日会えなかったときのために向こうで会おうと言うことだった。僕は17日の朝に到着し、その晩に彼らは帰国の途に着く(ペテ→(夜行)→モス→(国内便)→ウラジオ→(30人乗りの国際便)→富山→(深夜バス)→東京。全4泊)。ロシアで会うのはそれで最後だろう。ホテルも全然違うし(二人はユースホステル・ホリデー、僕はオクチャブリスカヤ・ホテル)。モスクワ駅(モスやペテでの駅名は、そこから出る列車の目的地名になっていることが多い)のインツーリスト前に夜7:00と約束し、彼は帰った。あーっ!ケーキ食べてもらうの、忘れてしまったではないか!
8/12 モス4日目[3日目](261p)
朝、テレビの天気予報を見ると、やはり雨。ここに来てから一度も晴れない。降水量は東京の半分らしいが(8月)。面白い番組をやっている。1チャンネルで、今日1日やる番組の名前を、その時間と共に観衆の一人(クイズに勝った人)に1分間で言わせるのだ。チャンネルの宣伝にもなるだろうし、良い企画だ。昨日は全部言えていたが、今日と一昨日の人は半分位。残ったところを、アナウンサーが超速で言っていた。8:00直前にやるようだ。それを見て、朝食に。ここへ来てから、いつも2,3人の日本人を見かける(日本語を喋っている)。今日も大量に食べ、帰りにサービス・ビューローでどんなオペラやバレエが見られるか聞いたが、今はボリショイ劇団が巡業でモスクワの外にいるためやっていないらしい。だったらボリショイ劇場の掲示、外しとけよな。去年ロシア語の授業で扱った『スペードの女王』(プーシキン作。結局1年かけても終わらなかった・・・)とか『白鳥の湖』とか、見たかったのに・・・。町中のチケット売場で、他の劇場でやっていないか見てみよう(忘れていなければの話)。今日はEヴァラビヨーヴィ丘でモスクワ大学などに行き、時間が余ったら、昨日までに見ていないところや、アルバート通りの似顔絵に挑戦してみよう(やっぱり気になる。石川さんも描いてもらったと言っていたし)。更に暇があれば、グム百貨店で自分へのお土産だ。他人へはまだいいや、重くなるから。それに、ホテルの近くの公園でお土産マーケットがあるらしい。土日は盛況のようなので、最後の日当たり、行ってみよう。例によって、イズマイロフ公園駅からメトロでウニヴェルスィーツェット(大学)駅まで。地上に出ると、前に、柵に囲まれた遊歩道と住宅街があり、柵は見える限り続いている。何ーっ!これがモスクワ大学の構内だとーっ!?東京ドームがいくつ入るのだ?最も中心の本館は、スターリン様式で、30階建てだという。28階には、地球科学博物館があり、そこからの眺めが素晴らしいようだが、入り口で見学したいと言ったらダメだという。裏口にも言ったが、やはりダメ。これが、学生などが多ければ、それに紛れることもできたろうが、生憎人の出入りが少ない時間帯。仕方なく、写真だけ撮り、裏口の正面にある展望台から街を眺め、次の目的地、ノヴォデヴィッチ修道院へ。と思ったが、近くに橋(モスクワ川を渡る)がない!!しかも、最寄りのメトロの駅が改修中なのか、使えない!10数qは歩いただろうか。やっと駅が見つかり、修道院の近いスパルチーヴナヤ駅へ。ノヴォデヴィッチは、太田さんたちが薦めていた。テリトリーの入場は学生14p、メインのスモレンスキー寺院は入らなかったが、入り口からある程度中が見えた。イコンがたくさん見えた。また、ここにはフルシチョフやゴーゴリなどの有名人の墓が多くあるらしいのだが、知っている人の墓は見つからなかった・・・。その次は、トルストイの家博物館。学生は15pで、トルストイが住んでいた家がほぼそのままの形で残されている。『戦争と平和』以後の、『復活』などが書かれたという。その後、トルストイ博物館へ(学生10p)。こちらは、トルストイ’関係’の絵や写真、彼の自筆の原稿などがあった。肖像画もあり、その姿は、『戦争と平和』に出てくる主人公アンドレイの父(世をすねた偏屈者)のイメージと重なった。そこを出ると、もう16:30。アルバート通りに向かい、予定通り似顔絵を描いてもらう。200p。他の人たちは、10$(240p)とか300pとかなので、少し安い。30分くらいかかり、途中で石川さんと太田さんが歩いてきた。最後の偶然か?二人は今日一日航空券のリコンファーム(予約の再確認)でつぶされてしまったらしい。石川さんが、「格好良く描けてますよ」と言ってくれ、ちょっとうれしい。再びペテで会う約束を確かめ、5日間の別れだ。出来上がった絵は、位置が少し紙の上の方だが、上手く描いてくれた。定着剤をスプレーしてくれ、丸めてくれる。17:30近いので、ホテルへ。駅を降り、ビール(500ml10p)とローストチキン&ポテトセット(15p)、パン(7p)を買い、部屋で食べようと思う。仲間たちも言っていたが、その方が絶対に安上がりだからだ。合計32p。パンは小さい6pのものを買おうとしたが、おばさんが2倍くらいの大きさの7pのものにしなさいと言ってくれ、それにした。部屋で食べ、飲む。パンが大きすぎて少し残ったが、一昨日のサラダは減らせた。この調子なら、モスを去るときにはなくなるだろう。石川さんたちは、今夜の夜行列車”赤い矢号”でペテに向かう。二人が着く明日は、芋川さんがロシア最終日だとかで、共に食事するとか。志村さんはもう次の国に行っているだろう。この旅のスプートニク(旅仲間)には、ものすごい恵まれていたな。
今日は午後から晴れだした。この調子が続いてくれると良いのだが。明日は、石川さんたちが薦めていた郊外(列車で1時間30分位)か、インターネット、国際電話、オペラ・バレエのチケット売場探しのどちらかをしよう。残り日数を考えると、先に後者かな?8/13 モス5日目[4日目](274p(+20$。自分へのプレゼントは旅費に含めないことにした))
旧に悖らず、朝食は大量に。パンの小片二つ、ご飯(少々パサパサなのは否めない)、サラダ、チーズ、ハム2枚、ウィンナ、パンケーキ(クレープみたいなものを巻き、中に何か甘い物が入っている。何かは不明)、ヨーグルト、コーヒー(飲んでいる途中で席を立ったら、持って行かれてしまった)、そしてエクレアと紅茶まで。これだけ食べれば大丈夫だろう。今日は、A劇場通りからマホーヴァヤ通りと、F街を歩き回る。メトロ(地下鉄と書くより画数が少ない)で革命広場駅へ。10:00から開かれる聖ワシリー聖堂へ。しかし、掲示には11:00からとある。まだ30分以上あるではないか。しばし呆然としていると、人の良さそうな男性が、にこやかに切手集を買わないかと薦めてくる。中を見ると、結構充実している。20$。こちらの人にとっては高値だが、わるくはない。買ってしまおう。今回、自分へのお土産は50〜100$にしようと決めていた。旅程の2/3で20/50なら、まだまだ余裕はある。仮に、例の懐中時計と古い地図の絵を買ったとしても、計40$位だ。その二つは、まだしばらく買わないことにした。何故なら、ホテルの近くのイズマイロフ公園で土日にお土産マーケットが開かれるらしいし、それのあったグムは、ペテにもあるはず(どこにでもある。確かウラジオにも)だから。グムで少し時間をつぶし、11:00。やっと聖ワシリー聖堂へ。学生は26p。中は、1階が、今までの教会を多少金銀きらびやかにした感じで、大きなイコンが見られる。そして、2階に上がる階段が狭く急で、ものすごく雰囲気がある。隠れ家や迷路のような気がして、楽しい。2階は、一番高い塔を中心に不規則な高さの塔(外観から。どこから見ても左右対称ではない)に行くことができ、探検しているようだ。外に出ると、それまで降っていた雨が止んでいる。次は、赤の広場を挟んで反対側の、国立歴史博物館だ。赤い煉瓦でできていて、正面から見るとどこか平面的な印象を与える。学割で38p払い、バッグを預けるように言われたが、面倒なのと預け場所が見つからなかったので、すぐに展示室へ。その名の通り、人類史の初めから、近くなると歴代の皇帝の肖像など、くさび形文字の刻まれた壁画、ツタンカーメンの仮面など、2階に渡って、ガイドによると30万点以上あるという。一通り見た後、ニコーリスカヤ通りからルビヤンカ広場へ。ここから劇場通りが始まる。お昼を回り、13:00近いので、軽い昼食。フランス式ホットドッグ(フランスパンに縦に穴を空け、マヨネーズとウィンナを差し込む、26p)と、前から飲みたかったクヴァス(9p)を露店で購入。黒パンを発酵させて作った炭酸飲料クヴァスは、やはり黒パンのコク。結構クセがあるが・・・。そして、高名なボリショイ劇場へ。前述の通り、劇団が今はいないので、閉まっているが、中から歓声が聞こえてきそうな重厚さだ。結局、街のチケット売場を5つほど見たが、知っている名のオペラやバレエは、『白鳥の湖』と『ドン・キホーテ』(共に日付が全く合わない)だけ。ボリショイでなくとも、バレエ『白鳥の湖』かオペラ『スペードの女王』が見られれば良いなと思っていたが、その期待も裏切られた。そのまま通りを歩き、クレジットカードで国際電話がかけられるところがないかと、インツーリスト・ホテルに入るがなく、隣のナツィオナーリ・ホテルは高級ホテルらしくドアボーイの雰囲気が極めてフォーマルなため入ることすら躊躇われる。だが、考えてみれば、明日は土曜。土曜なら、平日より外出している可能性は低いだろうから、時差を考えてイズマイロヴォで朝食の時位(8:00〜10:00。日本では13:00〜15:00)にかけてみればいいのだよな。歩を進め、ガイドにはあるが入ることのできないいくつかの建物を横目にしていると、前方に、頭一つ分、他より高くて目立つものが二つ。一つは教会のようなもので、地図等で確認すると、改修中で中には入れなかった救世主キリスト聖堂と判明。もう一つは、更に目立つ。何と、ビルより高い船の形だ!時刻は15:00。本日のメイン・イベント、トレチャコフ美術館に行く前に、近づくことに。モスクワ川の左岸、右岸どちらにあるかわからない(川はうねっているから)ので、左側を進むと−外れ。右だった。高さはモスクワで一番高いと言っても良いかも知れない。その黒い彫刻か何かの船の上にでっかい人(レーニンか?)が乗っている。細く、バランスが悪そうだ。あまりの高さで、フィルムに入れるのにかなり遠ざかる必要があった。その意味では、左で正解だったかも。中に入るものではなさそうだし。ふと後ろを見ると、そこはイスクーストフ公園。7月に何か展示をやっていたらしく、たくさんの彫刻が飾られている。それの期間が終わったからなのか、タダで入れた。ラッキー!そこは、隣のトレチャコフ美術館(こちらは新館。まだ旧館がメイン?)のようだ(後でわかったので入らなかった。ガイドは2行で終わっているのであまり大したことはないのかも知れない)。そして、いよいよペテのエルミタージュ美術館に次いでロシア第二というトレチャコフ美術館(旧館)へ。流石に高く、学生が100pと撮影24p。だが中も流石!有名な画家たちの作品が数多く、ヴルーベリと言う画家の大きな絵や、レーピンなどの描いたトルストイの肖像をカメラで撮る。せっかく24p払ったからね。帰りに、文庫本サイズの美術館の画集を24pで手に入れる。ロシア語ので、一番安いやつだ。英語版ではつまらないから。ゆっくり見て、1.5時間ほど。あとで、エルミタージュと比較してみよう。17:30、ホテルへ。今日はビッグ・バーガー18pと9pを。ケーキも今日一つ減らさねば。歩き回る日が7日中4日、半分以上が終了。今のところ順調だ。メトロに乗るのも5日目。発車・停止が素早いのにも(今でもよろめくが)、ドアの開閉の勢いがすごいのにも、エスカレーターが早くて勾配が急なのにも、ときどき一瞬電気が消えるのにも(・・・)慣れた。ホームの端に、デジタルの時計があり、その右に、前の列車が出てからの経過時間も表示される。時刻表などはなく、長くても2分以内、普通1分位で次のが来るようだ。これで駆け込む必要がなくなり、ドアが閉まりそうになったらみんな手前で待っている。立派だ。モスへ来てから使ったのが1461.5p。一日292.3pだ。計算では、1日300pで、全費用300$で済む(自分のものは含まず)。この調子かな?(全平均211.7p、全計7,200p)天気は晴れたり雨が降ったりしたが、良い1日だった(天気予報はあまり当てにならないかも知れない。これは世界共通か?)。朝と夕は疑問の余地なく晴れ。明日もお願いね☆今日で終わったものが二つ。一つはボールペン1本。かなり気に入っている種類で、書きやすいがインクが早くなくなる。3本持ってきて順番に使い廻したのだが、1本死に、残り2本も瀕死。青のものが丸々1本あるので、何とか保つかな?(ノートも、終わり頃には怪しいかも知れない)二つ目は、『戦争と平和』の第3巻。これで残った本は、同じく第4巻だけ。4巻は他より短いとは言え、相変わらず文字数多い上に500頁以上あるから帰国まで、十分だろう。500mlのビール(9p=\45)で軽く酔い、乾燥しかけてきた甘いケーキで眠くなぁ〜る。明日はセルギエフ・パッサートだ!
8/14 モス6日目[5日目](91.6p(+10$+約10$:国際電話、家の留守録の関係で、出なかったが、もしかしたら請求されるかも))
昨晩、バイカル号以来ずっと来ていた赤いシャツ・茶色のズボンペア+下着類を踏み洗い。洗剤が残り少ないのも、シャツの色が落ちているのもお構いなし。もう一着、全く着ていないペアがあるので、帰国はそれにしよう。後1回、ペテで洗濯すれば、ちょうど良い。とりあえず、これから5日間は蒼いシャツ・グレーのズボンだ。朝食の後、クレジットカードで国際電話をかけてみる。が、誰も出ず。やっぱり土曜日でも昼間は難しいかな。10:00から、公園でお土産マーケットが開催される。それに合わせてホテルを出ると、ホテル前の道を、右(駅方面)から左へ大勢の人が切れ目なしに歩いている。その先を探ると、これが公園に向かう列だった。入場に10p取られたが、中の賑わいは、ウラジオで見た一番大きい市場と同じほど。しかも、その広さは東京ドーム位あるだろう。百を越えるお土産屋で、ついに懐中時計を買ってしまった。プーシキンが表面で横を向いている(・・・トルストイはなかった)。生誕200周年記念のもののようで、ゼンマイ式!10$。グムでは350p。10$=250pだから、こちらの方がかなり安い。他にも、本物の、木に描かれた古いイコンや、絨毯、アルバム、マトリョーシュカ、絵、食器、時計、カメラ・・・などなど、何でもあった。他人へのお土産と、地図の絵、アルバム(旅で撮った写真用)は、かさばるためペテで最後の頃に買うことにした。30分くらいで切り上げようと思っていたが、11:00を過ぎてから公園を出た。このマーケットは、モスクワの名物にも成りうるだろう。これで、今日は何があっても満足だ。しかし、更に幸福を求め、セルギエフ・パッサートへ。シベリア鉄道を降りたヤロスラブリ駅で、セルギエフ・パッサート(以下、セルギ)行きの近郊列車の切符を買おう。案ずるより生むが易し。行き先を言ったら、簡単に切符(12.8p。何か、ただのレシートに見える)を手に入れられた。列車は11:59に発車。何時間かかるかわかりやすくていいや。乗り込むと、当然ロシア号などとは違い、日本の特急列車のような対面配置の席を普通列車のもの(木製の、それに若干のクッション)で作った感じ。30分ほど寝てしまったが、到着までの1時間20分、切符のチェックに来る気配はなかった。寝ている間に来たのだろうか。これでは無賃乗車のし放題ではないか。セルギに着き、そこからどう歩けばいいか、全くわからない。地図もない。とりあえず、人の流れに従ってみる。すると、10分弱たって、それらしき教会ライクな建物が見える。人は次第に多くなり、そこが目的地セルギエフ・パッサートだと確信。前の広場では、マトリョーシュカなどのお土産が売られている。高い壁に囲まれた内部は、スカーフを被った女性や黒服の男性など、ロシア正教の聖地らしく神学生が歩き回っている。団体にくっついてトロイツキー聖堂に入る。中では、数々のイコンを背に賛美歌(だと思う)が歌われ、長い列を作って蝋燭を捧げる人たちの姿。ウスペンスキー大聖堂では、その方法が使えず、入れなかったが、おばさんたちが掃除しているようで、中にはやはりイコンが。一通り眺め、修道院前の広場へ。その前には、ベリョースカ(お土産屋)。左手にはレーニン像の手前に、馬車が。客に乗らせているようだ。昼食代わりにマロージェナエとペプシコーラ(4p、6p)を。そして、マクドナルドの標識が見えたりする通りをモスクワ方向へ。5分ほど歩いていくと、赤い煉瓦づくりの、木々に少し隠れたおもちゃ博物館。学生は5p。中には、ロシアのマトリョーシュカはもちろん、日本の雛人形やこけし、中国の獅子舞など、世界各国のおもちゃや人形が展示されている。15:30。ぼちぼち駅に戻り始めよう。ピロシキとパイの相の子のようなものを食べ(少し空腹だったため、6p)、12.8pの切符を買って、16:22の列車で1時間25分位でモスに帰る。帰りは車掌さんが来て切符の確認をしていた。普通そうだよね。メトロへももうスムーズに乗り換えでき、イズマイロフ公園で降りるには後ろの方に乗れば出口に近いことがわかり、地上で今日はハンバーガー、チーズバーガー、ビール(12+14+9p)を買ってホテルの部屋に着いたのが18:30。残っていたナスのサラダとオレンジ(芋川さんが別れ際にくれた)を食べる。これで冷蔵庫にはケーキだけが残った。明日にはなくなるな。今日はのんびりしていたが、楽しい日だった。計3時間。列車の席で座っているような日を、7日間の半ば位に配置できたのは正解だった。セルギも1日つぶせる楽しいところだった(確か志村さんもそう言っていた)し、イズマイロヴォのマーケットも最高!モスクワでの暮らしが、街をある程度理解できたことで面白くなってきた。ただ、油断は大敵。旅行会社の人も、甘く見ると痛い目に遭うと言っていたし。気を締め、明日は電話を忘れずに、トヴェルスカヤ通り周辺などを歩き、モスで初めにあった男性が言っていた、メールの出せるところを捜そう。2本目のボールペンのインクがなくなってしまった・・・。
8/15 モス7日目[6日目](64p)
前日の言葉、ちょっと訂正。ボールペン、ほとんどなくなってはいたが、まだ辛うじて生きている。しかし、今日出かけて帰ってきたら−ない!どうやらジェジュールナヤの人が、なくなったと思って捨ててしまったのだろう。仕方なく、青のボールペンで書いている(もう1本の黒のは、手帳記入用に残しておく。それだけの用なら十分だろう)。
今朝は、朝食後、9:30にホテルを出た。その前、9:00頃に国際電話をかけ、無事を知らせる。今日はつながったが、つい長話をしてしまい、20$もかかってしまった。1分2.5$だから、8分だ。手紙(イルクで出した)はまだ届いていないようで、安心したようだった。それはともかく、革命広場駅から歩きだし、Bトヴェルスカヤ通り周辺+大ニキーツカヤ通りが今日の予定。まず、先日も通った、インツーリスト・ナツィオナーリ両ホテルから始めるトヴェルスカヤ通りを歩こう。中央電話局を反対側に見て(この辺りにインターネットができるところがあるという。後で時間があったら捜してみよう)、トヴェルスカヤ広場、モスクワ市庁舎、プーシキン広場へ。そこの広場の奥には、プーシキンスキー映画館があり、スター・ウォーズ・エピソードIの看板が大きく目に付いた。革命博物館を見つけ、入る。学生は5pのはずだが、10pと、別棟用の10p、計20p取られた。内容は、ロシア革命関係を主に、大戦・戦後のロシアの歴史も紹介していた。それらのポスターが数多く、風刺的なものもあって面白い。レーニン廟に名の刻まれていた片山潜の、レーニンの著書の和訳もあったりした。次は、グリンカ中央音楽博物館へ。途中、雨が降り出し、急いだが、закрыто(休館)!失意のもとに若干名前が変わった第1トヴェルスカヤ通りを進み、ベラルーシ駅へ。そこからメトロでクラスノプレスネンスカヤ駅へ行き、大ニキーツカヤ通りをモス中心部に戻るつもり。しかし、降りた目の前が動物園で、何となく惹かれ、入ってみる(20p)。日本で入った動物園の記憶が古いため、上手く比較はできないが、かなり大規模な部類にはいるだろう。中には、遊園地もどきの施設もあり、子供たちがかなり陽気にちょこまかと走り回っていた。イタリアかどこかの、口を手に入れて正直さを測る顔の模型(何というのだっけ?)もあり、機械仕掛けになっていた。1時間くらい遊び、外へ。大ニキーツカヤに行こう。・・・と、その前に、チェーホフの家博物館があるというので行くが、ここも何故か錠が下りている。諦め、次は大ニキのゴーリキーの家博物館へ。ここはようやくやっていて、タダで中に入れ、彼の生活を多少なりと感じることができた。その前に小さな修道院に入り、しばし息を休めたのが良かったのか、元気が出てきた。雨は上がり、晴れ間が見えてくる。大ニキを進む。この辺りには、日本大使館があるらしい。いざとなったら駆け込もう。ガイドによると、ピアノの巨匠リヒテルを生んだというチャイコフスキー記念モスクワ音楽院を見、歩き続けていると、前方にエメラルドグリーンの建物に、музей(博物館)の文字を発見。入ってみると、学生などは5p。展示物を見てびっくり。入り口にはзоо(三百ではない、=zoo)の字も見えたので、動物関係だとは予想していたが、古今東西、ありとあらゆる動物の標本、骨格、ホルマリン漬けが陳列されている。例を挙げればきりがないので止めておく(万単位だろう)が、地球の歩き方に載っていないのがおかしいくらいの穴場だ。そこで大ニキも終わり、クレムリンの城壁が見えてきた。先程保留していた、インターネットセンター探しだ。中央電信電話局の入り口に、その建物の裏にцентральный телеграф(訳は中央電報局と言う感じか?)があり、英語でInternetとあるので行ったが、今日日曜日は休みらしい。月曜はやっていて、8:00〜17:00なので、明日の朝一番で行ってみよう。時刻はまだ16:00前だが、ホテルに戻る。歩いている途中、懲りずにチケットのキオスクを当たってみる。・・・何と、その内の2ヶ所に『スペードの女王』を発見!日付は8/26と、10日以上も先だが、やっていることがわかったのは収穫だ。ペテに着いたら真っ先に見てみよう。最後の賭だ。今日はピロシキ2個(5×2p)とビール(9p)を買う。モスに来てからはピロシキをあまり食べていない(どうやら最近はハンバーガーやホットドッグなどのファーストフードに流行が移ってきているみたいだ)ので、苦しかったシベリア鉄道を思い出す。それらと、残っていたケーキの最後の一切れを平らげ、ほろ酔い加減。が、まだ18:00にもなっていない。よし!理性がマヒしている間に、もう一つの野望に果敢に挑んでみよう。即ち、カジノだ。・・・が、列車の切符をもらう交渉をしている内にやはり一人では心細いと、怖じ気づいてしまった。ここはロシアなのだ。他の国と一緒にはいかない。明日、朝食の時にでも日本人に声をかけて一緒に行ってもらおう。切符はまだホテルになく、明日には届くから心配するなと言われた。でも明日出発だぞ!?夜だからいいけど。それらを考慮すると、明日は朝、日本人を誘ってチェックアウト、ホテルに荷物を預け、昼は街を歩き、夜にカジノと荷物の受け取り、23:55の列車だから、23:00前に駅に着いていればいいや。とすると、明日の朝で一週間滞在した部屋とはお別れだ。最後の夜は、まだ長く過ごせそうなので満喫しよう。シャワーを浴び、お湯を贅沢にたっぷりバスタブにためて、肩までどっぷり浸かる。やっぱり、お風呂はこうでなくちゃ!雨と泥で汚れたズボンの裾だけを石けんで洗い、マウンテンバイクのレースをやっているテレビを見ながら就寝だ。8/16 モス8日目[7日目]、出発日(→ペテ、夜行23:55発、翌8:25着)
最後とは言え、容赦せず、ご飯はたくさん♪日本人を捜せど、それらしい人たちがいたと思えば、よくわからない中国か韓国の言葉を喋っている。カジノの夢は諦めるか。それに伴って、予定も少し変更。チェックアウトをしないで、街を歩き、早めにホテルに戻って夕食を取ってからチェックアウト。駅に向かい、待合室で読書などしながら数時間を過ごす。ついでに明朝からの予定も。ホテルにアーリーチェックインし、地図を入手し、アエロフロートのオフィスを探して、帰りに航空券のリコンファーム(再確認)をする。これをしないと、予約が無効になってしまうそうだ。そしてもう少し歩き、夜19:00に石川さん・太田さんと最後の晩餐だ。あ!オペラなどのチケットも手に入れよう。
イズマイロフ公園から革命広場駅へ。もはや手慣れた経路だ。まず、例の中央電報局へ向かう。建物の完全に裏で、あまり人気のないところだが、2階の一室で、1分7pでインターネットができるという。まず、メールを書く。当然、日本語は使えないので、英語で(ロシア語でもいいが、向こうがわからないし、上手く表示されない可能性もあり得る)。届いているかどうか心配だ。差出人はどう設定されるのだろう。しまった!署名するの、忘れてた。でも、モスクワからなんて他にいないからわかるだろう。2,3、見たいサイトがあったのだが、URLを指定しても、接続にあまりにも時間がかかり、結局エラーになってしまうので諦めた。それを何度も繰り返したため、112pも取られてしまった(16分)。ちょっと不満。気分を変えて、歩き出そう。降りた駅の方に戻り、最後のDミャスニーツカヤ通り+平和通りとВВЦへ。ルビヤンカ広場から始まるが、早速迷ってしまう。何せ、そこから大小8本の道が出ているのだ。ようやく探し当て、進み出す。しかし、ホテルを出た頃から雨が降ったり止んだり。おまけに風も強く、天気予報では1日中雨、気温は15℃だと言う。それが最高気温だとしたら、今は12,3℃か。風のせいで体感温度は日本の真冬並み。歩けば暖かくなるだろうと言う期待は、北国という巨人の前に脆くも崩れ去った。今日は月曜日(понедельник)と言うことで、ロシアの多くの博物館などは休みだらけ。よって、街をただ見るだけでこの通りは終わりそうだ。残り3本+数枚と言うフィルムには良い特効薬だ。通りの最後の向かいには、シベリア鉄道の到着したヤロスラブリ、そして今日ペテに旅立つレニングラード両駅、そしてカザン駅のあるコムソモール(または”とぅりー・う゛ぁぐざーら”=3つの駅)広場があるが、それは後のお楽しみに取っておこう。サドヴァーヤ・スパスカヤ環状道路を使い、平和通り(проспект мира)へ。ここも、街の雰囲気を感じるためだけに歩いたようなものだったが、ハバロのレーニン広場周辺を思わせる大きな建物群が見える1時間だった。左前方には、ホテルからもその高さが伺われたオスタンキノ・テレビ塔がそびえている。かなりの高さで、近づいたと思ってからふもとに着くまでにも多くの時間を要した。真下から見ると、昔、ドラゴンボールという漫画に出てきたカリン塔を彷彿とさせる形で、塔の途中は何ヶ所も横に出っ張っていて、てっぺんは雲の中だ。экскурскаяと言う入り口から、ふもとの建物に入り、切符билетを買う。上の方にレストランもあるようだ。80pもした。それから、切符と一緒にB6位の何か書かれた藁半紙を受け取った。何か書くようだが、そこまでロシア語はわからない。何人かに、英語が分かるかと聞いて、若い男性二人に教えてもらった。どうでも良いが、英語の浸透率はやはり若い人の方がいいようだ。上から順に、レストランに入るか否か(без рестрана или с рестраном)、見学日とその右に時間、名前(ロシアでは名・姓・父姓を使う)、パスポート番号、国名、住所(Япония、ホテル名)だ。親切な二人に礼を言い、いよいよ塔内部へ。警備員のいるところで切符を切ってもらい、書いた紙を渡して中に入る。すでに何人かがエレベーターを待っていた。待つ間に、チケットを見ると、何と、塔は540mの高さだという。エレベーターが来て、10人くらいが乗り込み、上昇を始める。地上から○○mと言う表示があり、100、200、300を越え、337mで止まる。ここにレストランもあり、外(下?)が見られるようだ。東京タワーが333mだから、誰も上れないその頂点から更に4m上にいるわけだ。扉が開き、絶景が目の前に!いや、目の前にあるのは絶景ではなく、急速に流れる雲だ!!雨はまだ降っているが、この高さではまだ氷の塊で、雪のように舞ったり、ダイアモンドダストのようにきらきら輝いている。ここから落ちる空気との摩擦で溶けるのだろう。そして何より、眼下に広がるモスクワの街並み!一部には、足下がガラス張りで、真下が見えるところもある!何pか下からは300m以上の無だ!宙に浮いているような、本能的な恐怖が背筋を冷たくする。生憎まだ曇っているため、クレムリン方面はよく見えない。晴れないかなぁと、オペラグラスの代わりにと日本から持ってきた双眼鏡をかざしていると、モスクワの中心部に、陽が当たり始め、明るくなってくるではないか!!!この時ばかりは、僕のために神がいるのではないかと思ってしまったね。建物(グムか?)の影で、クレムリンはあまり見えなかったが、聖ワシーリー聖堂の、不規則に並ぶたまねぎ形の屋根が、その上に頭を覗かせていた。右の方には、救世主キリスト聖堂や、あの謎の巨大な船も見える。そしてそして、左の方に目を転じると、見覚えのある4つの建物群。あれは、我がイズマイロヴォ・ホテルではないか!?これで双方から双方を眺めたことになる。無邪気にも、そこの狭い空間に1時間以上も居座ってしまい、フィルムも10枚位使ってしまった。ようやく下に降りると、15:00。レストランで食事をするのも忘れてしまったほど、感動した(ロシアに来てから一番かも知れない)。偶然の重ね合わせだが、あちこち歩き回って、最終日に来てモスの全貌を見渡せたから、一層感慨深かったのかも知れない。下ではすっかり雨も上がり、晴れ間も見えてくる。次はВВЦ(Всероссийский выставочный центр、全ロシア展覧会センター)だ。ホットドッグ6p(こればっかりだな)でささやかな昼食。ВВЦを歩く。巨大な門を潜ると、前には大きな公園のようなものがある。町中より少し大きめの屋台が建ち並び、右や左には観覧車(両方に計二つあった!)や様々な遊具が。たとえるなら、日本の郊外で稀に行われるお祭りを、規模を100倍にして常設とし、遊園地と東京タワーより高い塔(オスタンキノ)をくっつけた感じ。とにかく、ものすごい。真ん中の建物では、最新の電化製品やコンピュータ機器なども売っている。特にパソコンなどは、PentiumIII550Hzとかの一番新しいタイプが、13,000pほどで売られている(日本円に直すと\65,000!直販メーカーでも3・40万はするだろうに)。最も高いものでも1万円もしない(\8,000位)スキャナーなどは、本気で買おうかと思った・・・絶対税関、ひっかかるけど。教会のホログラフィーを96pで購入。買ってから、犬や猫のものにすれば家族への良いお土産になっただろうと気付いた。でもまあいいや。ホログラフィーは、以前大学の実験で失敗したことがあり、ちょっとコンプレックスがあった。その他にも、面白い施設がたくさんあり、モスクヴィッチの休日を体験した思いだ(月曜だけど)。石川さんのバースデーパーティーの時がロシアで最高の夜なら、今日はロシア最高の昼だ。17:00を過ぎ、ВДНХ駅からイズマイロフ公園駅へ戻り、夕食(ハンバーガー12p+チーズバーガー14p)を買って、チェックアウトをしようと部屋に行こうとすると、ジェジュールナヤがチェックアウトは12:00だと言って、もうダメだからレセプションへ行けと言う。1階に戻り、インツーリストの職員と話すと、昼から半日分のホテル代を払わなければならないと言う。しまったぁーっ!考えてみれば常識だし、日本にいるときから、チェックアウトは12:00だと言う情報がなかったわけではない。ホテルカードに12:00と記されているのを知らなかったわけではない。だが、大丈夫だろうとたかをくくっていたのは事実だ。僕の凡ミスだが、インツーリストの人が交渉してくれ、何とか支払わずに済むようにしてくれた。列車のチケットの遅滞の件での向こうの責任も影響していたかも知れない。やはり油断は禁物だ。甘く見ない、と誓ったばかりなのに。しかしこれで喝は入った。列車の切符をもらい、今日もベッドメイクをしてくれていたジェジュールナヤの人に100p渡し(そうするよう言われ)、19:30と早いが、レニングラード駅に行こう。ホテルを出る前に、エレベーターで日本人男性と会い、彼は中国からシベリア鉄道でモスに来たばかりのようなので、今日行ったところのすばらしさを訴えた。これで、ロシアで話した日本人の数が30人を越えた。多いな。ここに来てからは話しかけるのも嫌になるほど多くの東洋人がいるため、話すことは少なかったが、見ただけなら、既に三桁に突入しているに違いない。モスクワにいる日本人は3,000人だとも言うし(ペテでは150人だと聞く)。地下鉄のカードも残り度数1回でちょうど良く、コムソモーリスカヤで下り(上り?)レニングラード駅だ。いくつかある待合室(流石大都市)でハンバーガーとスプライト(14p)を腹に収め、この一番長い日記を書きながら、23:55を待つ。アイス5pを食べ、水16p(わざとガス入り、飲み過ぎないで済むと思って)を買う。定刻を待たずして、7番ホームにモスクワ発サンクト・ペテルブルグ行きの赤い矢号、красная стрела号が到着。後ろから15号車、14、・・・と続くので、僕の乗る3号車は遙か遠く、疲れた足にむち打って3号車の車掌さんに切符を渡し(これまではまず、見せたっだけだった)、7番席へ。奇数は2段ベッドの下。5番には、既に少し年配の男性が。あいさつあいさつ。コンパートメントは、やはり、と言うべきか、シベリア鉄道と全く同じ。外見が、その名の通り赤いので、ちょっとばかり期待していたのだが。尤も、夜行だけあって布団は元々敷いてある。その内、男性の上の6番席に女性が来た。英語圏の人のようで、神戸に何週間か住んでいたとか・・・が、間違いがあったようで、本当は彼女は16番席だった。一悶着あったが、6にも、僕の上の8にも、男性がおさまった。23:57。列車は出発。街の灯りがようやく暗くなれた空を休ませず、何となく哀愁を感じさせる。そうだよな。一週間のモスクワ滞在は、もう終わってしまったのだ。赤い矢、英語に直すとレッドアロー号(西武線の特急と同じ名だ。どちらかがどちらかの真似なのか?)のテーブルには、茶色のクロス、その上にミネラルウォーター4つと紙コップ(プラスチック?)が何故か5つ。カップ4つ、そして、明日の朝食だろうか。パンやヨーグルトなどの入ったパックが4つ置いてある。カーテンも茶色で、これも夜行のためか、少し分厚く感じる。・・・時刻は0:30。日付が変わってしまったのでもう寝よう。