
1年ぶりに涸沢にテントを張った。しかし、今回は一人では無い、また彼女と一緒である。
今回の目的は、奥穂高登頂である。行程は決して楽なものでは無かった。
9月13日、オレの21才の誕生日である。深夜11時、新宿を出る上高地直通のバスが出る。バスが着くのは、翌朝、14日のの早朝5:35であった。上高地は軽く小雨が降っており、バスを降りた登山客は、みな雨具をまとい、足首にはスパッツを付ける。オレとミキさんは5千円で買ったディアプレックスのジャケットを着て、軽く食事をして、クツのヒモを締めた。1日目の目的地は涸沢である。
涸沢までは17kmほど離れており、上高地から明神、徳沢、横尾、と宿営地を結ぶ平坦な道を経てゆく。標高1500m程度の上高地から、2300mの涸沢迄の道のりは、バスで十分な睡眠がとれなかったにもかかわらず、たいしてキツいものでも無かった。上高地から横尾までは11kmであり、約3時間で着く。そして横尾から涸沢が、3時間である。
雨はすぐやんだ。天気は良いとは言えないが、途中、太陽が姿を見せるコトもあり、1年前とはまた違う風景を楽しみながら、歩いた。ミキさんは本格的な登山はコレが始めてだが(オレも2回目だケド)、道の左手に広がる絶景に目をしばしば奪われつつ、軽快な足取りで道を行く。順調に距離を伸ばしながら、9:40、横尾に着く。

途中、紳士的なおじさんと30分ほど行動を共にした。テントと小屋で3泊ほどするらしいが、とても荷物が大きい。かなり食料を持ってきたそうで、それがかさばるのだと言う。オレの荷物は水を含めて11キロほどで、ミキさんは5キロ無いだろうか、テントで2泊で、それだけに収まるとは、偉いなぁ、と褒めてくれたが、実際良く収まったと思った。オレは30リットルのカリマーのザック(ノモトさんにもらったヤツ)で、ミキさんはアーク・テリクスのデイ・パックである。
さて、横尾でしばらく休憩をした後、涸沢に向けて出発するのであるが、1時間ほど登ったところで、とうとう雨に降られてしまった。最初は軽いポツポツ程度で、息を切らしつつ、汗をかいていた二人は雨具を付けずに、シャツ1枚のままで登った。体温ですぐ乾くのである。しかし、途中からいよいよ本降りになってきた。幾つかのグループが行動せずにビバークしていた。雨がやむのを待っているのだろうか。次第に疲れて来て、スピードも目に見えて遅くなってきた。1歩1歩が重たい。手首や首筋から、雨が入ってきて、体温を奪う。まだか、まだか、と登っていくうちに、とうとう涸沢小屋/ヒュッテの分岐路に出た。ここからテント場まで、あと10分程度である。
テント場に着いた。二人に必要なことは、一刻も早く、テントを設営することだ。二人ともバスの中でロクに寝れて無かった。雨で冷えた体と服を、乾かす必要があった。濡れた衣類を脱ぎ、ガス・ランタンに灯をともす。暖かい小さな光に覆い被さるように、体を乾かした。二人ともザックカバー(雨からザックを守る為のカバー)を持っていなかった為、かなりの荷物が浸水にやられていた。ストックの着替えも相当やられており、寝袋も軽く表面が濡れている。絶望的な気分だ。
とりあえづ、暖かいものでも食べて、元気をつけるか、とういコトで、涸沢小屋へ行き、カレーうどんとラーメンを食べる。途中、一緒に行動していた紳士的なおじさんから、枝豆をもらう。小屋の中は暖かく、人の心も温かい。雨は小降りになってきていた。二人はテントに戻って、疲れた体を休めるコトにした。時刻はおやつの時間の3時だった。
目が覚めたのは5時頃だ。トイレに行きたいが、ガマンする。ミキさんが寒い、と言う。軽く咳をしているので、こりゃヤバイかな、と思い、再びランタンに灯をともす。抱くようにして温めてやるまま、寝入ってしまったようで、起きたのは8時だった。起きた時、ミキさんは少し元気になっていた。
9時に、夕食にするが、ミキさんはハラが減ってない、とのコトで、食べないと言う。メニューは、山菜おこわ。370kカロリーの、フリーズドライ(お湯で戻す食事)、コレ1品のみである。ミキさんには、無理矢理カロリーメイトを食べさせた。
外では、小雨が絶えない。気温は思っていたよりも低く無くて、霧もたいして出ていない。視界は良いほうである。オレだけトイレに行き、再び寝袋の中に収まる。
明日、晴れてくれるコトを祈りながら、1日目の行動は終わった。
15日、とうとう太陽が射した。6:10。これほどまでに、日の光を有り難く思ったコトは無い。一気に気温があがるのがわかる。後ろでは北穂が姿を見せ、正面には屏風がどっしりと構えている。奥穂高は、霧に包まれて見えない。
濡れた服を石の上に広げ、水を汲んで、食事の支度をする。今日の予定は、涸沢にテントと荷物を置いたまま、奥穂高に登頂するコトである。天気にも恵まれた。ミキさんのデイ・パックに、二人分の雨具と携行食、水を1.5リットル持って、7時、出発する。

ミキさんは手ぶらなので、二人はかなりの速度で登っていった。途中、クサリ場といって、岩場に鎖が打ち込まれている場所がある。鎖が無いと、登るのが困難な道のコトだ。かなりの高度まで登って来た。下には涸沢に張ってある、自分のテントが豆粒以下の大きさに見える。ココで、ミキさんのペースが落ちた、というより、止まった。これ以上登る自信が無いという。たしかに、手を放せば滑落は必至で、生死にかかわるハードコアな岩登りである。やっぱ北穂にすりゃヨカッタかな、と思った。恐らく、彼女は何度も引き返したい、と思ったに違わないだろうが、その後、再び登り始め、9:40に、奥穂高小屋に着いた。ひどい霧で、視界は20mほどだ。
この小屋で、カップラーメンとミルクティーを頼んだ。緊張した体がほぐれる。休憩が終わって、いよいよ奥穂高の山頂を目指す。小屋から1時間ほどだ。小屋を出てすぐ、右手の霧が晴れ、遠く絶景が目に飛び込んでくる。オレはこの光景に心を打たれていたが、ミキさんはそれどころでは無いらしく、ハードコアなクサリ場の連続に、真剣に引き返すかどうか迷っていた。

しかし、再び進むコトを決意したようで、5人のツアー集団と行動を共にさせてもらい、とうとう11:20、穂高の山頂にたどりついた。
標高3190m、山頂では強い風が吹き、軽い吹雪のようだった。髪の毛とまつげに、霜が付く。視界は最悪で、10mも無い。当然、何も見えないが、ミキさんの心は充実感で一杯だったに違いない。もちろん、オレもだ。
こうして、穂高の山頂を後にし、途中、雨に降られるコトも無く、無事に涸沢に着いた。あと、穂高小屋のトイレが水洗だったのでびっくりした。
涸沢までの下山は特に難しいコトも無く、なんなくこなせた。そして、午後3時、テントに戻ってきた。
実は涸沢まで降りる途中、ずっと一つのコトが心を支配していた。
屏風に登りたい。
時刻はまだ早く、天気も悪いワケでは無い。去年は槍まで行って、大キレットを越えた。それに匹敵するようなハードコアな登山がしたかった。正直いって、涸沢から奥穂までの往復では物足りなかった。
結局、ミキさんと相当モメた結果、オレは出発するコトにした。デイパックに雨具と水を500mlだけ、携行食を少々のみを詰めて、午後3時に出発した。急げば5時半には戻れるはずである。一応、6時までに戻る、というのを約束とし、オレはミキさんをテントに残して、出発した。
まったく自分勝手甚だしい話である。しかし、押さえることの出来ない感情を溜め込んだまま、テントで休むことなんて出来なかった。残された日没までの3時間で、可能性を試したかったのだ。

屏風とは、屏風岩、屏風の頭、いろいろ登るポイントがあるが、オレが目指したのは屏風の頭である。標高2565m、涸沢から急げば1時間半程度で着くはずである。往復で3時間あれば楽勝な山だった。
テント場から、まずは西のほうに行く。小屋を通り過ぎると、パノラマコースと書かれた札があり、ほどなくして山の斜面に沿って進む道に入る。登山道は鬱蒼と草木が生い茂り、所々、巨大な岩壁が突き出ている。道は細く、大人一人がやっと通れるほどの狭さしか無い。足を踏み外しても死にはしないだろう、慎重に行きたいところだったが、時間のこともある。かなりのハイペースで進む。
しばらく進むと、高さ5m程度の登りに出くわした。ロープが上から垂れ下がっており、これを掴んで登れ、ということか。昨日降った雨のせいか、足下では濡れた岩が鈍く光っている。さらにコケが生えていて、滑るのである。うまく突きだしている岩や、木の根に体重をあずけ、多少手間取りつつも、クリアする。目的地は遠い。
方角的には、南東に向かっているのである。左手に、涸沢が見える。ミキさんがいるはずのテントも、見えた。まだ時間は30分も経っていなかった。
時間がもう遅いせいか、この道自体がマイナーなのか、誰ともすれ違わない。まったくの一人である。一人で登り始めた途端、色々なコトが頭の中を渦巻く。一番思っていたのは、テントの中にいるミキさんのコトだった。
だが今は、まだ登り始めたばかりだ。意識を集中する。かなりのスピードで行動していたので、汗をたくさんかく。持ってきた水は500mlだけだった。もっと持ってくればよかった、と思いつつ、一口、二口と喉を潤す。
またしばらく行くと、今度は崖にロープが張ってある。ロープを掴みながら、幅15cm程度の足場を進まなければならない。ここもたいした崖では無いので、落ちて死ぬようなことは無いだろうが、さすがに慎重にならざるを得なかった。こんなロープ場やクサリ場を経て、ほどなく稜線に出た。
稜線とは、少なくても両脇が下り斜面になっており、尾根づたいに歩く線のコトを言う。両脇は絶景が望めるが、常に風にさらされるコトになり、道的にオレは好きだが、ビバーク出来るような場所もなかなか無いっぽい。左手には涸沢、右手には大天井岳が見える。はるか下方に、横尾だろうか、徳沢だろうか、建物の屋根が映える。
さすがに風が強い。今までシャツ一枚だったが、ここでジャケットを着る。
すると、分岐点に出た。上に進めば屏風の頭で、下へゆけば徳沢だ。コースタイムより相当早いペースで来た。ここで、しばらく息を整える。水を飲んで、携行食を食べる。イイ感じのペースだ。
また歩き始める。「山の青春よ永遠に」と書かれた石碑を見つける。登山道自体が半場人工的なものであるが、分岐路の看板や、こうしたものに出くわすと、思わず心が和んでしまう。一瞬、孤独を忘れさせる。
そこからは道のオンパレード、という感じで、背丈の短い木に囲まれた小さな登山道から、細かい岩が散乱してるガレ場、大きな岩がゴロゴロしている岩場など、短い距離でバラエティに富んでいる。だんだん道が険しくなっていく。休むヒマも無く、岩場をどんどん登って行く。ポピュラーな道では無いのであろう、登山道は途中、消えかけては現れ、山頂を目指す。そして、まもなく、とうとう山頂についた。
っと思ったら、それは2番目のピークで、キレット(谷みたいなもん)を越えたコトロに、最終目的地である屏風の頭がそびえたっている。相当キツい崖を降りて、再び登らなければならない。
木が横に突きだしている崖を、しばらく降りる。十数メートルほど降りると、次は登りだ。下りより、登りのほうが楽しい。登り終えると、平坦な場所に出た。
そこが、山頂だった。
そこには、オレがいた。オレしかいなかった。
手を広げ、向かってくる風を受け止める。
世界は自分のものだ。
前方には涸沢のテント場が見える。彼女がいるはずの、緑色のテントも見えた。山頂にいるオレに、気が付いているだろうか。稜線に張り付いていたオレに、気が付いただろうか。
時間は午後4時15分、出発して1時間15分である。下りは、1時間程度で行くかもしれない。そして、下山である。山頂を出てすぐ、道が右に折れているように見えた。崖を再び下って、第2のピークに戻る道である。
ほぼ垂直に近いような崖を降りていく。突きだしている木を頼りにして、降りて行く。
途中、大きな岩があったので、足場にしようと体重を乗せた。途端、その岩はけたたましい音をたてて、谷底へと転がって行った。
はて、と思いつつも、別に岩に足を乗せる。すると、その岩も転がって下のほうに消えていった。音は、ずっと続いていた。
どうもおかしい。登山道であるはずなのに、こんなに落石が起きて良いものか。自分の中で、一つの疑問が浮かび上がり、徐々に大きくなっていく。
道を間違えたのではないか。
いや、もう少し進んでみよう、さっきは登りだったから、楽だったのかもしれない。
激しくなる動悸を押さえながら、自分は大丈夫だ、と言い聞かせる。
さらに下る。数m下るのにも、非常に時間がかかる。すると、辺りを覆っていた木の隙間から、下が見えた。何も無い、崖がひたすら続いていた。
道を間違えたのだ。
急いで、来た道を引き返す。ひたすら登る。心臓の鼓動が、一気に早くなる。
このまま、落ちて死ぬ。
そういう思いにとらわれた。
こんな急な斜面、もろい岩盤、はたして戻れるだろうか。ここで滑落して、死ぬのでは無いだろうか。
仮に滑落して、助かったとしても、戻れるだろうか、前方に涸沢は見えるが、自分とを隔てる谷は深い。誰も通らないだろう。誰も見つけてはくれない。自力で帰れないというコトは、死を意味する。彼女を残したまま、このまま死ぬのだろうか。
一度、そのような思いにとらわれたら、もうずっとそのままである。息が苦しい。
こんな恐怖は、産まれた初めてだった。心を恐怖が支配する。これが山の恐ろしさなのか。
頭ではパニックを起こしそうになりつつも、体は冷静に崖を登って行く。足場が非常に不安定だ。手を放さなくても、確保を怠れば、さっき落ちた石と同じ運命を辿るのだろうか。
1m、また1mと、確実に体を上げていき、とうとう戻ることが出来た。やはり道を間違えたようだ、別の細い道が延びていた。
すると、途端に雨が降ってきた。かなり本降りである。あと5分遅かったら、雨に流されて、谷底に落ちていたかもしれない。
幸運に感謝しつつも、急いで下山する。もう15分もロスしていた。
帰り道は、道を間違えたことによるショックと、雨のせいで、楽なものでは無かった。注意が散漫になる。浸水がひどい。ジャケットはずっと付けていたが、レインパンツをはくのが遅れてしまった為だ。草木にズボンが触れると、水滴を全部吸い取ってしまう。雨水は靴下を伝わり、足の先まで侵入してくる。途中、何度も靴下をしぼらなければならなかった。
雨で体温を奪われ、体力が低下するのが一番怖かった。夢中で携行食を口にほおばる。汗をかいている、体はまだ熱い。大丈夫だ。そう自分に言い聞かせ、道を急ぐ。
しかし、心配のタネは、雨だけでは無かった。
時間である。稜線の分岐点に出た時、既に5時だった。ライトも何も、光源を持っていない。日が落ちれば、道を見分けるのは困難になる。気温も下がるだろう。
なかなか雨でペースを上げられない。焦りが募る。
途端、体の右半分が登山道から躍り出た。足を踏み外したのだ。無意識的に、左手が渡してあったロープを掴む。一瞬の出来事だった。
また死にかけた。今日何度目だろうか。
しかし、これで散漫だった意識が引き締まった。テントまでもうすぐのはずなのだ。
そして、前方にうっすらと明かりが見えてきた。明かりはすぐ目の前にある小屋のものだとわかった。帰ってきたのだ。
濃い霧の中を進み、テントに戻る。
時計は5時40分を指していた。
長い2時間40分だった。
帰る時、ミキさんに、自分が無事であるコトを何より伝えたかった。すごい心配してると思った。雨も降ってるし、時間もギリギリだったからだ。
ミキさんは、どんな気持ちで待っていただろう。オレが帰った途端、泣き出してしまった。もう別行動はしない、と約束した。
だけど、同時の心の中で思った。次に涸沢に来た時は、また登るだろうと。
その後、小屋でビールを飲み、暖かい食事を摂り、テントに戻って休んだ。精神的に疲れていた。体は思ったほどでも無い。
外では雨がまだ降っている。明日は家に帰らなくてはならない。こんな過酷な場所なのに、名残惜しい。
朝、再び晴れた。この3日間で、一番晴れたと思う。濡れているものは全部乾き、気分までカラ、っとする。
いつものフリーズドライの食事を摂り、荷物をまとめる。
次に来るのはいつだろうか。また来年の夏だろうか。
今、こうして書いていて、また登りたくてしょうがない。来年はまた槍に行こうと思う。

