平成30年4月27日発行   我孫子市史研究センター会報   194号  通算501号
  編集:編集委員会 

 ―常陸国 河内郡 龍ケ崎・初夏・・城跡・寺訪ねる−

龍ケ崎市(市の公文書表記は「龍ケ崎」で統一されている)は茨城県の南部に位置し、JR常磐線・国道6号線は市の西部佐貫地区を通っている。小貝川と鬼怒川に挟まれた沖積平野は豊かな穀倉地帯で、北部台地は住宅地として開発が進み、現在人口約八万人の首都近郊都市である。牛久沼全域は名前が同じ牛久市でなく龍ケ崎市域である。

当市は江戸時代以前から小貝川の河岸として、また、仙台藩の陣屋所在地としても繁栄した。そのことが、明治33年龍ケ崎と佐貫間の鉄道(茨城県で最古の私鉄)を開通させた経済力の基盤となっている。

@     日時; 5月11日()  (雨天決行)   *中止の場合前日19:00までに連絡します。

A 集合場所; JR常磐線佐貫駅改札口9時45分(我孫子駅発9:24、天王台駅発9:28勝田行きが便利)

B 行程;歩行距離 6km

*午前 関東鉄道竜ヶ崎駅発(10:10)〜龍ヶ崎市歴史民俗博物館〜馴馬城跡〜来迎院・多宝塔 

 ・馴馬城跡    〔南北朝時代 南朝方の拠点 足利方に2度攻略されている〕

   ・多宝塔     〔国指定重要文化財 建立年代不明〕

*昼食12:00〜12:50 ・すし屋吉兵衛 0297-84-6798 @五目釜めし\950,Aロ−スかつランチ\1,058

     ・準備の都合上申込時選択した番号をお知らせください(税込単価)       

     ・当日キャンセルの場合実費負担をお願いします。

*午後 すしや吉兵衛(12:50)〜愛宕神社〜般若院〜龍ヶ崎城跡〜仙台藩陣屋跡〜大統寺〜小野瀬家店舗兼住宅〜八坂神社〜薬師堂〜関東鉄道竜ヶ崎駅(解散 15:00)

・愛宕神社   〔寛永18年(1641)伊達忠宗創建〕

・般若院    〔大永4年(1524)創建 金剛山観仏寺 天台宗 樹齢450年以上の枝垂れ桜〕

 ・龍ヶ崎城   〔戦国時代 江戸崎城主土岐治英第二の拠点 1602年廃城〕 

     ・仙台藩陣屋跡 〔慶長11年(1606)徳川家康から常陸河内郡信太郡一万石を与えられた飛地〕

   ・大統寺    〔天正12年創建 曹洞宗 竹柏(なぎ)の大木〕

・小野瀬家店舗兼住宅〔登録有形文化財〕

・八坂神社   〔7月下旬祇園祭最終日の撞舞は関東の三大奇祭〕

・薬師堂    〔宝永期(17041710)建立)〕 龍ケ崎を守護する役割を持っていたと云われる〕

C 参加費;  ¥200  (保険代、その他)(交通費、昼食費は別途)

D 申し込み、問合せ先; (電話・FAX 中川 満 04−7182−5312) ( 茂木 勝己 )

(メ−ル 長谷川秀也 sakts@jcom.home.ne.jp    受信確認の返信をします)

申し込み締め切り 5月6日

多宝塔 龍ヶ崎市歴史民俗資料館
     多 宝 塔               歴史民俗資料館

当会会員も整理に参加した『旧・布佐町 井上家資料目録』(T)、(U)、(V)が公刊された

(事務局)

今年度総会で紹介した井上家文書目録が、我孫子市教育委員会から“我孫子市史 資料目録12”として、平成30330付で刊行された。

A4判横書きで全3冊一組になっている。(T)が書類・書簡(明治47月以前)でいわば江戸時代の文書の目録であり、(U)が書類・書簡(明治48月以後)の目録、(V)には(U)の続きと書籍・写真・美術品・民具の目録がまとめられている。

・目録作成の経緯について

目録(T)のはじめに“『井上家目録』編さんについて”として目録作成の経緯が述べられている。井上家文書目録としては『我孫子市史 資料目録6 旧布佐町・井上武家文書目録』が1987(昭和62)年に刊行されているが、明治初期以降に限られていた。その後継続して整理された資料の目録は、ご当主の代が替わり井上基家文書としてまとめられていたが、公刊されていなかった。さらに蔵に残されていた資料が母屋二階に集められ、2010年に当会の有志でこの資料を整理目録化することを井上家に申し出て2013年作業完了した。この作業には当会会員10名、我孫子の文化を守る会会員4名が参加した。続けて先にまとめられてあった井上基家文書目録についても再度確認修正作業を行った。この二つの整理した目録の電子データを20142月教育委員会に提供した。教育委員会ではさらに写真、美術品、民具の整理も行い、今回すべての目録を一つに集めたものとして3冊一組に仕上げたのである。

・目録の内容について

文書(書簡・書類)目録の表は従来と同様に資料番号、資料名、内容、年代、差出人、受取人、形態、数量、備考、小分類に分けて示されている。近世文書は便宜的に「廃藩置県」が実施された明治47月以前のもの、以前と推定されるものを(T)巻に収められている。そして従来の我孫子市史資料目録が単純年代順記載だったのに対し、この目録では「分類」ごとに区切り、それを年代順に記載している。内容や分類で調べようとするにはこの方式が適している。分類項目は近世(明治47月以前)の場合20あり、それぞれに各文書を当てはめて重複は無いようにされている。また、同分類の中でさらに小分類を設けこの小分類で年代順に並べた部分もある(鹿狩、鳥猟、鮮魚街道など)。近現代では22の分類項目がたてられている。

・目録の受贈

市史研にはこの目録3セットが寄贈された。その内1セットは井上家文書研究部会に、また1セットは会員希望者への貸出用に、1セットは市史研保管用にしたいと考えています。

教育委員会ではあまり多く印刷しなかったようで、将来的にはWebで見られるようにする考えのようです。頒布価格はセット売りで1セット6,000円とのこと。



古文書解読日曜部会4月の活動報告

古内 和巳

〇日時:41日(日)1300〜1500

〇場所:アビスタ第3学習室

〇出席者:20

昨年9月から「我孫子宿乗り船一件書抜控」を解読してきたが、このところ新会員が途中参加されている。今までの経緯の詳細は各月の活動報告で、また会報No.189号の山崎会員「古文書の原風景をよむ」に、この時代の幕政や地域経済の背景が挙げられているのでご一読願いたい。以下これまでの概略を述べる。

文政年間に入り、人々の往来(鹿島・香取の参詣・銚子見物人の増加)や商人による諸荷物の流通・輸送が盛んとなるが、我孫子宿を素通りする旅人・商人・荷物が増え、水戸道の継ぎ宿場として幕府の庇護下にあった我孫子宿の経済は衰退の傾向となった。当時、手賀沼縁の村々では、藻草・漁業用の船や水害避難用の船を旅人乗船に転用した農間稼ぎが横行していた。

文政9年(18268月我孫子宿は、近年沼縁り村々の百姓が、田船で往来の旅人を乗せたり、諸荷物を運送したり、馬持百姓が駄賃稼ぎをし、また旅人を止宿させているので、我孫子宿の相続に支障をきたしているとして、手賀沼縁村々を評定所に訴えた。我孫子宿は、評定所の「御理解」のもとに、沼縁り村々と乗船の差し止めの示談交渉をした。戸張村・呼塚村・根戸村・大森村・発作新田惣左衛門組とは議定書を交わしたが、発作新田(茂左衛門)・浅間前新田・相島新田や柏村・松ケ崎村・竹袋村との交渉は不調に終わった。

発作新田・浅間前新田・相島新田の惣代として訴訟相手となった相島新田の喜兵衛(近世後期から明治の初期まで利根川・手賀沼で船運業を営み財を成した)は、三新田の言い分を通すべく、評定所の6回にもおよぶ御吟味で、いろいろ村の窮状を訴へ、また論争点を変え、時には入牢を覚悟で従来通りの主張を続け通した。

しかし、手賀沼においては、藻草・漁業の田船で旅人を乗船できないと、御奉行から直々に説明を受け、「それ程云うなら其筋(川船役所)へ申し出たらどうか」との御言葉にこれからの乗船への望みを見いだし、我孫子宿との間に「藻草取り船で、旅人又は荷主へ、相対で船賃を請取り、乗せ船や船積み等をしない。勿論、他村の親類でも、乗せたりしない。且つ、村用で乗せ船すること、其外村内御年貢米や手作米の積送りをすることは、是迄通り我孫子宿では差障りはない筈」との済口議定を取り交わし、文政10年(18275月に伝馬造り茶船2艘を、船大工布佐村清五郎、船主惣兵衛の名前で川船役所に届け、極印を請けた御年貢役銀上納の船で船稼ぎをしてきた。

しかし、手賀沼ではその後も夥しい荷物運送が続いたので、我孫子宿との間で度々問題がおきた。喜兵衛たち三ケ村と我孫子宿との間では、天保13年(1842)に我孫子宿下新田名主久左衛門の仲裁で一先ず金7両で示談内済するが、翌年正月破談となった。

喜兵衛たち船仲間は、早速その対応策として、天保14年(18432月に、新造耕作船(喜兵衛名5艘、与右衛門名5艘)計10艘の新規造り立てと鑑札願を川船役所に出し、御年貢役銀上納の船10艘による舟運業に乗り出していくことになる。

以上、こうした経緯を踏まえての4月の例会解読である。

「入置申一札之事」 (p35p36)

往古から発作新田・浅間前新田・相島新田三ケ村では、旅人や諸荷物は藻草取り船で乗送りしてきたが、文政9年(1826)我孫子宿は、村々の百姓が持ち船で、往来の旅人を乗せたり、諸荷物を運送したり、馬持ちの百姓が駄賃稼ぎをし、また旅人を止宿させているので、我孫子宿の相続に影響し、このことは沼縁り船運送の問題であるとして手賀沼縁り村々を評定所へ訴え、奉行所での吟味となった。

三ケ村惣代である喜兵衛は、種々事情を申し上げ、数度にわたるお願いをしてきたが、御法や厚き「御理解」もあり承伏し、「藻草取り船では諸荷物を乗船させないこと」の議定書を作成し、内済した。川船運送については、「その筋へ願い出よ」という「御理解」により、文政10年新規に伝馬造り茶船2艘を造り、極印を請け年貢役銀上納の船で、旅人乗送り、諸荷物運送などの船稼ぎを以前のやり方通りすすめてきた。しかし、その船も古くなったので、天保14年新規に造り立てることになり、同年2月に新造耕作船10艘の御願は、一人ずつの名前にすると出府の折りに諸費用もかかるので、喜兵衛船5艘、与右衛門船5艘としてもらい、両人の名前で鑑札も頂戴した。

以来、前々の仕来り通りの稼ぎ方で、年々御年貢役銀は船仲間で割合負担し納めてきたが、稼ぎ収入も不十分となり、後年になって御年貢御役銀の上納に差支えがあっては心配であるので、この度御年貢上納は毎年315日限りとし、遅れることなく世話人が徴収し、

各々方(喜兵衛と与右衛門)へ渡し、若し未納したり、遅れた場合は、その当人より出府道中の費用を必ず差出させ、また年貢上納出府の際は一同で見送りをするなど、御苦労、御迷惑をかけしないようにする。後々のため船仲間一同から船名義人両人に一札をいれる。

講座の後半は、山崎会員による「船年貢と役銀銭との関係の考察」と題して、江戸幕府の関東における川舩政策の調査報告がなされた。年代を追って極印打が変化したこと、年貢米輸送が百姓直納体制から船問屋請負制など時代とともに制度や仕組みが変わったこと、役銀の起源・本来の目的・徴収・船鑑札の目的、また、今回の解読文書に出てくる各種の船の規定等、について貴重な解説があった。



歴史部会3月の活動報告

逆井 萬吉 

日時 平成30324日(日)1330分〜16

北近隣センターつくし野館 出席者20

発表者 品田 制子 会員

テーマ「岩村藩3万石大名松平家(大給(おぎゅう)息女お敏の生涯相島新田井上家第10代佐平治に嫁ぐ」

本文    A4判 5

史料  B4判 4枚 A4判 8

 発表の要旨

美濃岩村藩3万石大名松平家(大給)息女お敏は、旧下野国吹上藩1万石大名の華族有馬氏弘に嫁ぎ、離縁して旧米沢藩主14万石上杉茂憲に嫁ぐ。再び離縁の後、布佐相島新田井上佐平治に嫁入りした、波瀾万丈の生涯を検証した。

嘉永5828日生まれのお敏、有馬氏弘に嫁いだ日時は不明であるが、22歳になった明治64月には離縁している。

翌明治74月に茂憲に嫁ぐも、同89月に離縁。1年半に満たない離縁に、品田氏は、大藩米沢藩の上杉家における地位や家族関係、それらを取り巻く社会的人間関係に耐えられなかったのではと、論じていた。

井上佐平治には明治15124日に嫁ぐ。当時は電気もない井上家に嫁いだ敏。しかし、3度目の婚姻では子宝も授かり、幸せな人生を送ったようだ。佐平治没後翌年明治34年、51歳で佐平治の後を追っている。

長年井上家文書を追究し続けられている品田氏の、克明で素晴らしい発表。お敏が嫁ぐ3家の系図や、嫁入りする時の関連諸経費一覧など史料も豊富であった。また、発表の導入段階で、今日の岐阜県大地図を示し、美濃岩村藩の位置、環境や関ヶ原以降の藩の歴史を解説した。本論の時代背景等をしっかり把握していなかった者には非常に親切であった。

4月(第30回)研究講座

○422日(日)1330分〜1630

会場 我孫子北近隣並木館 会議室3

発表者  竹森 真直 会員

テーマ「小金原における鹿狩り」
*研究発表の内容は、会報
195号で報告

5月(第31回)研究講座の予定

○527日(日)1330分〜1630

会場 我孫子北近隣並木館 会議室3

発表者 加藤 直道  会員

テーマ「邪馬台国の謎」    以上


井上家文書研究部会4月の活動報告

品田 制子

日時:414日(土)13;001440

場所:アビスタ第3会議室

出席者:10

解読文書:No.963(P1P9)

配布文書:1117A,B 171316691311A,B

今回は場所がアビスタということもあって、時間の配分ミスと井上家文書御用留、安永4年未正月「御用御廻状写」963をテキストとしたが、紙魚による破損が著しく難読を極め、B426枚中9枚で時間切れとなった。この廻状は根戸村から始まり、手賀組合、藤ケ谷村留の廻状である。内容は当未年(安永4年)の宗門五人組帳と村小入用帳を310日までに差し出すようにとの記述から始まる。一つ書では

一 関東の川々御普請による役人が見分のため廻村するにあたり、人馬継送や普請場所の道案内など支障をきたさないように、また、役人が休泊の折には賄いは有り合わせで一汁一菜にすること。

一 夏成(畑年貢)は昨年の通り本途(田畑や林野に課される本年貢)見取反高は三分の一、諸運上(漁猟などの雑税)がある村も同様に515日から615日限り納めること。もし遅滞した場合はお咎めとなるので心得ておくように。

一 関八ケ国(武蔵、相模、常陸、下総、上総、安房、下野、上野)で作付けされた綿実の売買は買問屋とし、その買問屋は江戸表拾軒、在々40軒と定められた。買問屋に売買する仲買人は、荷主や売り先から口銭として拾両ニ付き壱分(判読できないので推測)を受け取ること。綿実はすべて仲買人が取り集め、買問屋に売買すること。脇売り(株仲間などの特権商人以外の者がその営業区域内で販売すること)は禁じられ、定められた買問屋に売り渡すこと。江戸の買問屋九兵衛が本船町から南新堀町三郎兵衛店に移り買問屋をしていること。

一 安永23年関東筋利根川、荒川、江戸川、小貝川、鬼怒川、御普請の費用は10分の1が幕府の負担、残りは六ケ国(文書では五ケ国、武蔵、下総、安房、常陸、上総)で御領、私領、寺社領の別なく百石ニ付き金壱両ト銀4匁33厘宛の負担とする。

一 村々の年貢は9月上旬から20日までに収めるよう通達したがその気配がなく、来月中旬まで五分通り御蔵納すること、残りの分も小前より取り立てること。

一 米の品質が悪く買納の願いは来月20日までとし、日限遅滞の場合は代金納ではなく買納の御廻米とする。との廻状写しである。

次回はP10以降を解読予定。


歴史探訪部会 5月・6月の活動予定           長谷川 秀也

4月の歴史探訪部会は休会

5月の歴史探訪;511() 龍ヶ崎市歴史民俗資料館、馴馬城跡、来迎院多宝塔その他。佐貫駅から竜ケ崎駅まで一両編成のディゼルカー乗車(7分間)。(参加申込締め切り56日)

6月の歴史探訪;水戸道中を歩く 『荒川沖宿』

青山台フェニックスクラブ 学習会          東 日出夫

43日、同地区の青年館における青山台フェニックスC総会後の学習会に招かれました。昨年12月の飯白さん・岡本さんの講演に続いてでしたが、大部会長さんの郷土資料館運動のその後の話が聞きたい、との要望に応えたものでした。時間は40分ほどでしたが、PCの映像を軸に、これまでの運動の概要を報告してきました。地区の高齢の方々の集まり(40人余参加)でしたが、旧会員の大杉さん・現会員の相津さんの御顔も見受けられました。皆さん、熱心に聞いて下さり、学習会後「署名運動をするなら、みんなでしますよ。」との声も掛けて下さり、心強く感じました。会長さん・田村さんはじめ皆さんに感謝申し上げます。

又、130日には我孫子地区ロータリーCの定例会(川村学園内の一教室・20人余)に招かれ、短時間でしたが、郷土資料館についてのお話をしてきました。


我孫子の社寺を訪ねる 27

中峠地区(7宝照院(法照院、法性院)

合同部会 中澤 雅夫


宝照院(法照院、法性院) 中峠1433

宝照院は湖北駅北口駅前通りが突き当たった国道356号線の左斜め向かい側にある。

直ぐ先(西)の右折路は亀田森稲荷神社、追分、順道塚、足尾山神社などに行く愛称「古利根通り」である。

国道に面した入口には、右手に「中峠上区掲示板」が立ち、銀杏の木が聳えていて、その樹下には「我孫子市消防団第11分団器具置場」の建物がある。

境内、正面奥の間口8間・4間半程の木造切妻造り平屋建て建物(東端が一部2階建て)が青年館「中峠上区集会所」で、左端の1間半四方ほどの部屋に不動明王像が安置されている。

軒下の白壁には「中峠青年館」と書かれた扇形の木製額が掛かっている。

境内左際には新四国相馬霊場の第28番大師堂と阿弥陀如来・石神社・天満宮・待道権現が納められている切妻屋根長屋形堂が並んでいる。

大師堂と長屋形堂の間、長屋形堂の左脇(南側)に幾つかの石碑が立っている。

また、尊像安置室の前には梅の木があり、長屋形堂の前には樅の大木がある。

新四国相馬霊場札所参りは、東隣りにある龍泉寺(第76番)から来て、この第28番札所を参拝し、西北にある法岩院(第51番)に向かう。その大師道は、龍泉寺、第76番大師堂の右脇(北側)の小路を道なりに進み、大師道標に従って左折すると集会所建物の東側に入ってくる。当所参拝後は、かつては、集会所建物の西側を通って小路に戻っていたが、現在はその道がなく、入ってきた道を戻る。

  
青年館「中峠上区集会所」(写真左)の西の間にある仏間と安置されている不動明王像(写真右)

1.沿革

宝照院は、『湖北村誌』では「法性院」と書かれ、「社寺要覧」『我孫子市史 民俗・文化財篇』などでは「法照院」と書かれている。

現在は、『あびこガイドまっぷ』(我孫子市環境経済部商業観光課作成)に「宝照院」と書かれており、当市史研刊行の『新四国相馬霊場八十八ヶ所を訪ねる』(平成25年(2013)刊)では「宝照院」と表記した。

『湖北村誌』によると、中峠区寺前に大日松という天に迫る老松があり、毎年214日の点灯念仏(天道念仏またはテントウ念仏)の時、宝照院住職がその樹下で梵天を授けていた。

後、宝照院は宿通りに移転し、その跡地は寺屋敷と呼ばれた。寺屋敷966歩(9,500u余)は宝照院が管理し、院の廃寺(明治初年)後は龍泉寺の管理となった。

なお、「宿通り」の小字名は国道の北側が西から「宿通上北」、「宿通中北側」、「宿通下北」、南側が「宿通南」、「宿通下南」で、宝照院は「宿通中北側」の西端にある。

樹木はどんな老松古杉でも、雷に打たれると枯れてしまう。しかしこの老松は何回雷に打たれても枯れることなく、却って色鮮やかになった。しかし、惜しいことに明治41年(19083月、時の龍泉寺住職に伐られて、その土地は民家に売られてしまった。

そして、テントウ念仏も見られなくなった。ただし、大日神社跡の土地は阿部住職が買い戻したという。

「社寺要覧」によると、元文5年(1740)の『中峠村田畑社地不残大概書』に、宝照院は龍泉寺末で、弥陀堂その他大陸天□之石宮、大師堂、勢至堂、弁才天□之石宮、山王宮、雷宮、道祖神、弁才天宮、鹿島宮(都部村鹿島)の別当とあり、近在の石祠や堂を管理していたということだろう、と記している。

昭和41年(19663月に、老朽化した旧本堂の建物を建て替え、青年館「中峠上区集会所」とした。

2.本尊など

山号は宝霊山、真言宗、もと龍泉寺末である。

本尊は大日如来であるが、仏間には不動明王像が安置されている。

『湖北村誌』に「幾百年来鎮座せる大日如来の石塔は、龍泉寺境内の一隅に遷座せられたり」とある。大日堂に安置されている大日像がそれであろうか。

なお、以前は第76番大師堂と大日堂が並んでいたが、改築の時、それを1つの大きなお堂にして大師像と大日像を一緒に安置した。

3.建造物


 左:長屋形堂  右:第28番大師堂

中峠上区青年館:切妻造木造平屋建。ただし、東端が一部2階建て。左端に尊像安置室。昭和41年建設。

新四国相馬霊場第28番大師堂:方一間、宝形造、向拝付、瓦葺。宝形造の大師堂は我孫子市内でこの1棟のみ。平成22年に屋根が修理された。

切妻屋根長屋形堂:阿弥陀如来、石神社、天満宮、待道権現の祠が一間ずつ仕切られ、納められている。

我孫子市消防団第11分団器具置場:切妻作りプレハブ建物。隣に小形スチール製物置。

 4.石造物

大師堂と長屋形堂の間

@愛染明王・二十六夜塔:延享3年(1746)。

A新四国相馬霊場道標:半分埋没。

B手水鉢:明治18年(1885)。

C新四国相馬霊場第28番札所塔:明治25年(1892)。

長屋形堂南脇

善光寺参拝紀念、昭和17年(1942)。

5.テントウ念仏

『湖北村誌』では「点灯念仏」と表記され、かねてより近江礼子合同部会員から正しくは「天道念仏」であると指摘され、『新四国相馬霊場八十八ヶ所を訪ねる』(2013年、市史研刊行)では「天道念仏」と表記した。

一方、『我孫子市史研究』12号(1988年)の「湖北歳時記」では「テントウ念仏」とカタカナが使われた。

ここではカタカナを使用する。

「湖北歳時記」は湖北座会の有志が中心となって調査・記録したもので、「湖北座会」十年の歩み『利根川・手賀沼と湖北』(1994年)にもそのまま転載された。

この調査・記録の一員であった飯白和子合同部会員からテントウ念仏に参加していた方による「念仏」の写しのコピーを提供して頂いた。

以下、『湖北村誌』と「湖北歳時記」の記述を概略ご紹介する。

『湖北村誌』では概要次のように述べている。

この念仏は毎年214日より始める。

当日は、早朝より下組老人達は照明院、上組は法性院(宝照院)に集まって、徹夜念仏に明かす。

15日、下組老人が上組老人の集合所法性院目指して出発しようとする時、樽入れの式と唱えて村内の若者等が四斗樽を持ち込んで縦横無尽に転がし回る。

  老人達は樽に押し倒されたり、ひっくり返ったりして大騒動になり、一同哄笑のうちにこの式を終わる。

老人達は前庭に祀った梵天を取巻き、若者頭取が戸籍読み上げの式を行う。この式は最も厳格で、下組一番端の家より順次読み上げると老人達は粛然として襟を正し、水を打ったようになる。

この式が終わると、法眼等が打ち鳴らす鐘太鼓を合図に「ヤーレソーレカーミトシモトブッコミダ」と掛け声面白く練り出す。

そのあとから老若男女、近郷近村の花嫁花婿等が化粧を凝らして付き従い、仮装役者が種々雑多の得物を持って踊り狂って行く。

龍泉寺門前を過ぎようとする時、上組老人達も同じような出で立ちで「ヤーレソーンシモトカーミリブッコミダ」と合唱しつつ出迎える。法眼等は鐘と鐘、太鼓と太鼓を相接触させ、無言目礼してから躍り上がって足を踏みならし、力一杯鐘太鼓を打ち鳴らす。

両組の老人達、仮装役者、見物人に至るまで、一斉に「ヤーソーレカーミトシーモトブッコミダ」と合唱する。実に天下一品の奇観である。

この念仏も、樽入れ、戸籍読み上げの式は幕末に廃止となり、往来を練り歩くことも近年その筋より差し止められ、珍奇無類の「ブッコミ」も今は僅かにその形骸をとどめるに過ぎない。


テントウ念仏:「六座念仏」の一例、始めの部分

「湖北歳時記」によると大要次の通りである。

旧暦の214日から15日、昭和10年頃からは月送りにした新暦314日、15日に地区の年寄り連(念仏講ともいう)が行った行事で、年寄りの祭りとも言われた。昭和30年頃からは念仏講に入る人もいなくなり、漸次消滅した。

中峠地区のテントウ念仏は上区と下区に別れて行われ、上区は旧法照院(宝照院)、下区は照明院の境内に梵天を立て、オオネンブツ(六座六編から成る)とコネンブツ(小念仏)を唱え、大日如来とお日様を拝む。

他の地区と異なるのは、15日の午後「ブッコミ」があること。上の年寄り連が法照院より、下の年寄り連が照明院より、香炉持ちを先頭に道具持ちが続き、男は「行衣(ぎょい)」を着て頭に白木綿の兜巾をつけ、鉦・太鼓を叩き、「ヤーレ、ソーレ、ジャン(鉦)、ドコ(太鼓)」と踊りながら龍泉寺の境内までブッコンで行く。

男の「行衣」は、白木綿の上着で、出羽三山等に登山した折に着用、背中に阿弥陀如来の朱印を押してもらう。

龍泉寺の境内にも梵天が飾ってあり、上・下の鉦・太鼓の競演(「合わせ太鼓」という)、ヒョットコ・オカメ・若い女装等の仮装も繰り出し、大変な賑わいだったという。

「湖北歳時記」では、このあと、続けてテントウ念仏の世話当番、黄粉団子作り、梵天作り、中里・古戸・新木地区のテントウ念仏、二番テントウ念仏などの説明があり、巻末に幾つかの念仏資料が記載されている。

なお、芝原・中峠を含めて、幅広い話しをお聞きした今井恒雄氏によると、終戦直後の昭和212月のテントウ念仏時、龍泉寺に来合わせたジープに乗った米兵が物珍しくて見物したところ、一方の念仏参加者は米兵が物珍しいのでどっと押し寄せた。米兵は、兜巾を付けた老人達が押し寄せてきたので怖くなったのだろう、空に向けて銃を放ち、老人達がひるんだ隙に布佐の方へ走って行ったということであった。

参考文献

『湖北村誌』:菅井敬之助著、湖北村役場、大正9年(1920)刊(復刻版)。

「我孫子市社寺要覧(寺院篇)」:『我孫子市史研究12』、我孫子市教育委員会、昭和63年(1988)刊。

「湖北歳時記」:同上。

『我孫子市史 民俗・文化財篇』:我孫子市教育委員会、平成2年(1990)刊。

『我孫子の石造物』:我孫子市史研究センター合同部会、平成17年(2005)刊。

『新四国相馬霊場八十八ヶ所を訪ねる。』:我孫子市史研究センター編、平成25年(2013)刊。

『我孫子の地名と歴史』−わが町の字誌(あざし)−:我孫子市史研究センター編、平成27年(2015)刊。


我孫子市の社寺を訪ねる 28

― 緑(2) ― 大光寺

合同部会 江澤 由紀子

大光寺                      我孫子市緑2-3-1

山号院号 南海山不動院

宗派   真言宗豊山派

JR常磐線我孫子駅南口から国道356号線を東に進み、鉤形に曲がる所の右側に山門がある。

この右角には東京歯科大学創立者で、野口英世の恩師でもある血脇守之助の生家(旅館「角屋」)があった。その向いには明治17年(1884)、天皇がご宿泊された角松旅館(当時は松島屋)があり、大光寺は我孫子宿の中心にあった。

参道を100mほど進むと本堂がある。


本堂

境内の正面に本堂、左側に鐘楼、歴代住職の墓、新四国相馬霊場42番の大師堂はじめ、たくさんの石造物が並ぶ。

左手奥には聖天堂、右側には光幼稚園がある。

現在の本堂は昭和22年(1947)に再建された。昭和16年(1941)に発刊された滝井孝作の『無限抱擁』の中には、境内での活動写真の様子が記されており、たくさんの人出だったとある。また境内入口左側には子供が23人入れる大きなウロ(洞)を持つ欅があった。戦後、駅弁屋弥生軒で働いていた放浪画家の山下清は、その中で昼寝をしたり絵を描いたりしていた。

夏休みは緑陰教室が開かれ、映画会や盆踊りなど、いつも地域行事の中心だった。

1.沿革

「我孫子市社寺要覧(寺院篇)」(『我孫子市史研究』12。以下「社寺要覧」と略す)によると、「開山、開基不詳であるが、『本土寺過去帳』に「八日大高寺、延徳二庚戌(1490)正月アヒコ」とあるのは当寺のことで、創建は室町時代にさかのぼることがこれによって知られる。寺勢は我孫子宿の発展にともなってさかんになり、人別改めが当寺で行われたという」とある。この「人別改め」がどのようなものであったか不詳であるが、我孫子宿の発展に伴って大光寺も繁栄したことが窺われる。

「社寺要覧」は続けて大要次のように沿革を記述している。

寺では、法流開基秀恕(しゅうじょ)法印とし、安永5年(1776)の相馬霊場札所の角柱標識に「大光寺第一世法印秀恕」と刻んでいる。

秀恕は小金の大勝院を建立した人で、当寺に閑居、鐘楼や客殿を建てたが、文化2年(1805)の我孫子宿の大火で建物は類焼し、秀恕はその年に示寂した。

なお、このとき古記録を失ったために古い歴史を知ることができない。本堂の再建は進まず仮堂のまま推移したが、境内の歓喜天堂は、「聖天堂棟札」の写しによって文化7年(1810)に再建されたことがわかる。

その後、文政10年(1827)にも大火があり大光寺住居が類焼したが、仮堂及び聖天堂は焼け残った。

嘉永4年(1851)には高野山から「夢告大師尊」像が迎えられ、ついで安政3年(1856)には「大師の御衣、御袈裟と御念珠の三品」が授与された。

明治の初めは境内1152坪、建物391坪半であった。しかし本堂は昭和22年(1947)になり再建された。

2.建造物

本堂 本尊不動尊、間口6間、奥行4間の銅板葺入母屋造で内部は6室、三方に廊下を廻らす。玄関の柱の虹梁木鼻は旧物を利用しており、木鼻の獅子の胸に「取手宿、穀屋嘉兵治」「高野山村。鈴木藤兵衛」の刻銘がある。

鐘楼 旧梵鐘は昭和17年(1942)に供出、現在は昭和54年(1979)鋳造の物である。

聖天堂 「歓喜天堂」 本尊十一面観世音

間口3間、奥行2間の銅板葺き入母屋造で、高欄のある廻縁及び向拝付。各部に装飾彫刻がある。内部奥に厨子があり、その扉に龍涛板彫刻があり、部屋の中央に宝塔を安置、天井は九区の格間に梵字を配している。
 文化7年(1810)の再建で、昭和37年(1962)に一部改造された。古くは我孫子の聖天様として知られていた。
 夫婦和合、子授かりの神であり、女子が二股大根を供える習慣もあった。


聖天堂

鳥居 石造明神鳥居。聖天堂の鳥居として明治40年(1907)建立。

大師堂 方一間、瓦葺入母屋造、向拝付、昭和10年(1935)建立。石の土台を巡らし、松と鷹、笹に小鳥の彫刻などがある。また足元には信者の身を清めると云う蓮の実の円盤が埋め込まれている。

稲荷社社殿 切妻造向拝付、内部に「当宿中」とある石祠を安置する。覆屋を頂く。

3.仏像

本尊 不動明王(厨子入)木造彩色像で、文化2年(1805)の火災で損傷したが、昭和10年(1935)に修繕された。

弘法大師像(夢告大師) 嘉永4年(1851)高野山北室院より贈られたもので、厨子背面に「昭和五年三月修復、南海講、大光寺現住職越智信海代、発起人、武藤吉五郎、小熊りう、仏師取手町福田運章」の朱漆銘がある。

   本尊前の須弥壇中央に安置。

遣迎二尊及脇侍像(厨子入) 各二尊2基。1基には定印釈迦如来坐像及観音菩薩坐像、他の1基には定印阿弥陀如来坐像及勢至菩薩坐像の各2躯をそれぞれ幅の広い蓮華座上に安んじ、夢告大師像の左右に配する。どちらも木造漆箔、江戸時代作。

両祖大師像(厨子入) 2躯。弘法大師と興教大師の一対で、本尊不動明王の左右に配する。

    木造玉眼彩色、昭和5年(1930)に夢告大師と同時に補修された。江戸時代作。

大日如来坐像(厨子入) 智拳印坐像で高い蓮華座上に座す。木造漆箔像。本尊の脇に安置、江戸時代作。

大威徳明王像(厨子入)素木像、江戸時代作。

歓喜天像 秘仏。聖天堂厨子に安置されている。もと筑波に祭られていた霊像という。

聖観音立像 聖天堂安置。

大師御衣、御袈裟、御念珠。 天保13(1842)高野山で調製されたもので、安政3(1856)北室院より拝戴された。

4.主な石造物

弘法大師一千恩忌塔 天保5(1834) 江戸施主本材木町4丁目木村甚兵衛と当所施主長塚甚兵衛建立。

成田山 五千万遍供養塔 「開眼 成田山現主 正七位僧正照鳳」明治22年(1889)。

三尊阿弥陀如来供養塔 「善光寺講中せわ 開眼導師大 蓮永」明治36年(1903)。

弘法大師巡錫線刻立像 明信講 「我孫子区講員一同」昭和5年(1930)。

秩父、坂東、西国、四国霊場巡拝記念 「山高南涯書」大正11年(1922)。

三尊阿弥陀如来供養塔 「願主世話人 鈴木屋 鈴木源四郎」大正11年(1922)。

光明真言種子 「積講中 大師真言供養塔 諸願成就嘉永元年(1848)。

地蔵立像 享保11年(1726)「奉造立法華経六十六部□□□地蔵」銘。


地蔵立像、六地蔵

角柱碑 寛政10年(1798)「奉敷石 水海道願主妙□、大光寺□秀恕、取手石工平吉」銘。

手水鉢 安政3年(1856)「新調遍照金剛御衣着□、南海山現住蓮融代 当所講中・・」銘。

南海講記念碑 昭和7年(1932)「金八円矢口金次郎、金五十銭小熊鷹蔵、高野山北室院御請来弘法師並基ニ両祖大師修繕、御厨子鰐口緒新調。敷石二百五十一枚調製。現住 越智信海代、世話人 武藤吉五郎、小熊リウ、大塚興市、島根三平」銘。

聖天堂再建記念碑 昭和37年(1962)「南海山 大光寺 信勝代」銘。

百庚申 天保13年(1842)〜嘉永元年(1848 37基。


百庚申

  特筆すべき石塔 

   「江戸大傳馬町木村屋甚兵衛、當宿長塚甚兵衛」寄進8基。「御用鉄代人守谷八十八、小熊勝太良、荒井傳五郎」「遠州秦原郡貴里村、中奥作兵衛内、作五郎」。その他我孫子宿の人多数。

庚申塔 宝暦10年(1760)〜嘉永5年(185220基(百庚申列並び)、造立年不明2基(聖天堂境内)。

筆子塔 明治10年(1877)「杉山行弦之墓、筆子中」。

筆子塔 大正14年(1925)「高徳院審教英山居士 浄徳院法山貞鑑大姉 霊位」

顕影碑 大正8年(1919)「杉山英先生之碑」。杉山先生養老基金として我孫子町が金百円を、教え子の血脇守之助はじめ大勢も拠出して、250×94×19pの板石に刻む。揮毫者は講道館の設立者で、この地に別荘があった嘉納治五郎である。


杉山英先生之碑

杉山行弦は安政元年頃、三河国から我孫子宿に着いた。旅籠「かど屋」の主人 加藤栄助は行弦の人柄を見込み、家を贈り塾を開業させた(加藤栄助は血脇守之助の祖父にあたる)。伝承によると行弦の子・英も16歳の頃から教えていた。明治5年の学制発布により、英は延寿院を校舎として開校された我孫子小学校の教員となった。英と妻のこよは親身になって子供達の面倒をみた。大光寺の「杉山英先生之碑」は、教え子の守之助はじめ多くの町の人々が、英夫妻の老後の為に基金を出し合い顕影碑も建てたものである。碑の最後には「先生夫婦在世中毎月金五円ツツ送金 血脇守之助」とある。

『杉山英と血脇守之助』大井正義著 

(崙書房より)

5.行事

 大師御影供 321

 聖天堂秘仏開扉 大晦日

参考文献

『我孫子市史研究』第12号(1988

「我孫子市社寺要覧(寺院編)」

『我孫子市史資料 金石文篇1』(1979

『我孫子市史資料 金石文篇U』(1981

『我孫子の庚申塔』(合同部会2000

『新四国相馬霊場八十八ヶ所を訪ねる』(2013

『本土寺過去帳地名要覧(上)(1987


鎌ヶ谷市に見る我孫子市内寺院のおふだ(御札)

近江 礼子

鎌ケ谷市郷土資料館において、「鎌ケ谷・おふだづくし 〜信仰の玉手箱〜」(本稿では、御札とする 右写真)が開催されている。前期の217日から318日迄は主に神社発行の御札、後期の324日から527日は寺院発行の御札が展示されている。その中に我孫子市内寺院の御札があったので、紹介したい。詳細は図録『鎌ケ谷・おふだづくし 〜信仰の玉手箱〜』(300円)を参照いただきたい。

1 御札とは

御札は護符、または護身符ともいわれ、各種の災厄を除け、幸運をもたらすものとされる。また、神様や仏様の分霊ともいわれ、大切に扱われる。御札には神棚や仏壇に祀る紙札や木札、体に身に着け携行する御守や守札等があり、文字札の他に絵札もある。御札の起源は7世紀迄遡るとされ、入手方法は御師等の宗教者による配札、旅先の寺社へ参拝し求めて来た、あるいは代参講による場合がある。

入手した御札を仏壇・神棚・玄関・台所等に祀る以外に、札板[ふだいた]と呼ばれる巾1m弱の長方形(下写真)や絵馬型の板に御飯粒で御札を貼る事例があることを初めて知った。我孫子市内にもあるのだろうか。

2 菊名家の御札

一般的に御札は1年毎に新しい御札に代えられ、役目を終えた古い御札は年末年始のお焚き上げ、正月のどんど焼き、寺社の御札納所等に納められる。しかし、昔は俵や菰に包まれて母屋の屋根裏に保管され、「火事を防ぐ」などと言われ家を守ってきた。

鎌ヶ谷市初富の菊名家の場合、平成元年に茅葺の母屋が解体され、屋根裏から小屋組に括り付けられた4つの古い俵が発見された。そして、中に山形県から広島県に及ぶ御札1902枚が納まっていたのである。菊名家は明治初年の初富開墾時、葛飾郡鎌倉村(三郷市)からの入植者で、代々東葛・印旛大師(新四国八十八ヶ所)や成田山新勝寺、特に真言宗を深く信仰してきた家である。

神社発行の御札 菊名家の神社発行の御札584点は、発行神社数64社(不明4社を含む)からなり、都道府県別に点数の多い順に記すと、意外にも第1位は茨城県であった。以下、表1のように2位埼玉県、3位栃木県と続き、千葉県は5位である。

1 神社発行の都道府県別
1 茨城県  115点(19.7%)
2 埼玉県  84点(14.4%)
3 栃木県  57点(9.7%)
4 神奈川県 55点(9.4%)
5 千葉県  41点(7%)

また、神社別の順は、表2のように今も火除け・盗賊除け等幅広く篤い信仰を集める秩父市の三峰神社である。2位のつくば市金村の別雷[わけいかずち]神社は、雨乞い・雷除け・雹除けに霊験があると農民の信仰を集めた。3位の伊勢原市の大山阿夫利神社は、江戸時代は石尊大権現と称され、雨乞いを祈願する石尊詣で(大山詣で)が盛んに行なわれた。我孫子市内でもこれらの石塔が建立され、その信仰を窺うことができる。

2 神社別
1 三峰神社        76
2 金村別雷神社           72
3 大山阿夫利神社        47
3  古峯神社(栃木県) 47
5 水天宮(東京都)    31
6 御嶽神社(長野県) 25
7 伊勢神宮        20
7 別雷神社        20
9 神明社(柏市)        14
9 筑波山神社     14

寺院発行の御札 寺院発行の都道府県別の集計では千葉県が723点(67.7%)と圧倒的であった。そして、県内の市町村別集計では、成田市が453点と非常に多く、次に柏市、市川市、以下表3の通りである。

3 寺院発行の千葉県市町村別
1 成田市 453
2 柏市    76
3 市川市  41
4 流山市  30
5 松戸市  29

千葉県の次は東京都77点(7.2%)、神奈川県31点、埼玉県24点、茨城県21点と近隣の関東都県が続く。発行寺院数は81寺(不明3寺を含む)で、表4のように成田山新勝寺が395点と圧倒的である。3位の東勝寺は佐倉藩領の義民木内惣五郎(佐倉宗吾)を祀り、「百姓の神様」として農民が篤い信仰を寄せた。

寺院発行に準ずる東葛・印旛大師講の弘法大師御影や巡拝札が87点確認でき、菊名家の信仰の特徴を表している。

4 寺院別
1 成田山新勝寺      395
2 五智山総持寺(西新井大師)60
3 鳴鐘山東勝寺(宗吾霊堂)  58
4 登慶山持法院(柏市)       39
5 医王山宝泉院              28
6 金剛山平間寺(川崎大師)  26

3 我孫子市内寺院の御札
菊名家の他に、渋谷家(幕末の草莽の志士渋谷総司の生家 509点 発行寺社92)や浅海家(298点)の御札も展示され、その中には我孫子市内寺院の御札(紙札)が表5のように確認できた(下写真)。

5 我孫子市内寺院の御札
寺院名 主銘文
大光寺 弘法大師御祈祷之札 我孫子 大光寺
延寿院 梵字)奉修子将神護摩供長日安全祈攸 白花山 延寿院
法岩院 奉請道了薩?諸災難消除祈攸 令諸天人永離一切災横 疾疫貧窮飢渇寒熱等苦 祝融山 法岩院


大光寺

延寿院

法岩院

これら3点(写真は図録より転載)は弘法大師を信仰している鎌ヶ谷市の旧家が、近隣では一番知られ、賑わった新四国相馬八十八ヶ所霊場の寺院を順拝した時に求めた御札と推察できる。因みに大光寺は相馬霊場42番、延寿院は43番、法岩院は51番である。この他に同じ相馬霊場の取手市内の1番取手長禅寺・82番白山弘経寺・19番小文間明星院・88番取手長禅寺、柏市の68番布施弁天の御札も確認できる。

延寿院の御札は、寿の子将神(子之神大黒天)の別当が延寿院であったことを示す。巡拝順路は延寿院の次が緑の大光寺で、両寺共に真言宗豊山派の寺院である。

そして、中峠法岩院の御札にある道了薩陲[さった]は、室町時代の曹洞宗の僧の名である。道了は相模最乗寺(南足柄市、山号は大雄山)の開山了庵の弟子となり、応永元年(1394)の最乗寺創建に助力した。同18年に同寺守護の大願を起こし、天狗となって昇天し、道了大権現として祀られた。末寺門派は関東を中心に4000ヶ寺余あるとされ、法岩院境内にはその御堂「道了尊 英爰疑謹書」がある。また、真言宗豊山派の高野山最勝院には明治291127日建立の角柱型石塔「道了大薩 (35名)」、曹洞宗の柴崎東源寺にも同3212月の石祠「道了大薩 世話人之内荒川玄龍」が建ち、台石には「講中」と刻まれている。(この段落で「陲」と記した文字は実際は土偏に「垂」です)

4 講演会

展示期間中の325日には、日本民俗学会の木原律子氏の講演会「人びとはおふだに何をたくしたのか」があり、房総の事例(香取市玉井家910点・富里市鈴木家約4500点・鴨川市尾形家2193点)が紹介された。そして、今やこうした大量の御札は大事な信仰民具であり、それはまさに「信仰の玉手箱」であると結ばれた。

おわりに

会期もあと1ヶ月余となったが、428日(土)・510日(木)・525日(金)の午後130分から230分には、学芸員による展示解説があるので、御興味のある方は是非訪れてみてはいかがでしょうか。館長(学芸員)立野晃氏には、大変世話になりました。記して感謝申し上げます。


合同部会4月の活動

 中澤 雅夫 

○日時:421日(土)

○出席者:10

社寺調査報告書案を検討した(13:3016:00、於市民活動St.大会議室)。

検討に先立ち、三谷和夫部会員より講演会「東葛地名考」の案内があった。

概要は以下の通りである。

1 講演会「東葛地名考」

「流山市立博物館友の会」主催、市史研後援により、516日(水)13:30、けやきプラザ9Fホール(我孫子南近隣センター)において、「東葛地名考」と題する講演を行う。馬橋の由来を調べたりしていろいろ知った。会費500円が掛かるが、多数のご参加をお待ちする。

2)社寺調査報告書案検討

中峠地区「宝照院(法照院、法性院)」(担当:中澤雅夫)と緑地区「大光寺」(担当:江澤由紀子)の社寺調査報告書案を検討4月市史研会報に掲載する報告書を決定した。

この他に、中峠地区の「照妙院不動尊」の報告書案(担当:中澤雅夫)を配付した。検討の過程で出された主な修正点と問題点は次の通りである。

@「中峠上集会所」→「中峠上区集会所」。

A大光寺の「人別改め」とは何か?「我孫子市社寺要覧」(『我孫子市史研究』12)に記述があり、大光寺ないし我孫子宿の沿革に関して重要な出来事であったのであろうから、出所を明確にして記載しておいた方がいい、という意見と、中身が分からないのに掲載するのはいかがか、という意見があり、部会長一任となった。結果としては、出所を明記し、中身不詳を付記することにより原文を残した。

35月の予定

519日(土)13:00、中里地区の薬師堂と諏訪神社を訪れる。


古文書解読火曜部会4月の活動

中嶋 正義 

○日時:413日(火)13001500

○場所:名戸ヶ谷あびこ病院7F大会議室

○出席者:34

今回は先月の「手賀沼千間堤移」の「相定申一札之事」終盤(p16p17)と「口上書」(p18p23)を解読した。

1、「手賀沼千間堤移」の「相定申一札之事」終盤(p16p18

要旨は次の通り。これから(1778年)は六軒・木下圦樋伏替・悪水落とし堀筋床下げ・堀さらい人足割り付け諸掛り諸出銭が下沼上沼同様の申し達しが有った。

もし、下沼から違背にてそれがたとえ公になっても、この度相談相極め置いたことは、この先、困難が有っても総代共は諸雑用滞りなく対応するということを申し出でたので後日の為に一札入れ置く、との宝永7年(1778)上沼19ヶ村の文書でした。

2、「口上書」(p18p23

今回の口上書は、明治33月、一宮藩御支配岩井村の当該役所に同村百姓辰五郎が訴え出た供述を筆録した口書から始まる。

口書の要旨は次の通り。去る3月、長百姓久左衛門殿が他村に出で広言されていることについて、村小前一同参会し相談することになりました。その折り、私辰五郎は農間木挽きで隣の鷲谷村へ出かけていました。

私にも、出席せよとの呼びかけが有りましたが、戻るのに何かと暇を取り延刻しました。

その事に関し、先の小前や隣家の藤蔵・藤四郎や本家の新七からも事情の問い詰めが有りました。本家新七からは従来貰っていた井戸飲み水の差し留めにもなりました。多勢に無勢なので間に詫び人を入れて再三謝りましたが詫び一札出さねば済まぬとのことになりました。

私辰五郎は日々農業第一に勤め村方に迷惑をかけた覚えもございませんので、難しい一札を差し出すつもりは有りません。その為か先の人々は今でも手を替え品を替え言いがかりをつけてくるので、私辰五郎も久左衛門殿と同じく呑み潰したくも有りますが、それでは妻子共に生活にも支障をきたしてしまいます。

このままでは農間出稼ぎもできず破産するしかありません。この413日、お上に一札入れて貧民救い米の村方小前への貸し付け割り渡しが有りますが、それでは今回の事件は解決せず一札差し出しかねています。

やむなく御役所へ駆け込みました。本件御取り上げいただき、長百姓久左衛門殿、本家新七、藤蔵、藤四郎の四人を呼び出し御調べいただければ真相も分かると思います。既に田植え付けの時節でもあり、村中付き合いが成り立ちますようにお願い申し上げます。

今回の口書はここまででした。

当時、例えば、江戸での民事訴訟は、奉行所へ訴え出る前に、まず五人組に訴えの理由を語り、その承諾を得るなどの種々の手続きを要した。今回の様に五人組内かつ一宮藩御支配所内での争論、次回最終p24-29ではどのような判断が下されるか。次回には現代では想像でき無い様な思わぬ展開が有る。



我孫子市史研究センター 平成30年度定例総会議事録


日 時:平成3048日(日) 午後130分〜4

会 場:アビスタ 第2学習室

出席者:東、荒井、飯白、石井英、岩ア、瓜生、近江、岡本、加藤直、金山、金成、越岡、後藤、逆井、品田、柴田、清水(書記)、鈴木、関口、関口、高橋、田中、田中、中川健治、中川、中澤(総合司会)、中嶋、萩原、長谷川、樋口、古内、星野、松本、宮川、村上、矢田部、吉田会員、以上計37

ビデオ上映】 午後130分〜2

   「手賀沼を愛した文人たち」(我孫子ビデオクラブ制作)

   「岡田(武松)博士 ―台風を名付けた男― を偲ぶ」(J:COM制作)

 ・総合司会の中澤会員より、郷土資料館設立運動(文書の散逸を防ぎ「保存・保管」を促進する運動)をしているが、今回のビデオ上映のように、文書もビデオも活用することが大事である。推進会の運動に「活用」を加えたらどうかとの提案があった。

総 会】 午後2時〜4

1.会長挨拶  : 関口一郎会長

2.議長選出  : 飯白和子会員を選出(書記に清水千賀子会員を指名)

3.議事審議

@ 第1号議案  平成29年度事業報告について          岡本和男 事務局長

 1) 会議関係:定例総会、運営委員会(全12回)、資料館設立推進会(推進会全8回及び五団体会議全5回)について

 2) 事業活動:(1) 歴史講演会(白水智 中央学院大学教授「古文書はいかに歴史を語るかー文献史料が語る多面的な世界―」)、史跡見学会(“新田氏・徳川氏発祥の地「世良田」と埼玉小日光「妻沼・歓喜院」を訪ねる”)の開催について (2) 一般向け 19回、第20回「古文書解読講座」と第8回「古文書新・初心者講座―古文書を初体験―」の開催について (3) 郷土資料館設立運動で、推進会が取り組んだ活動について ― 他市の郷土資料館視察、市内古文書の現況調査、市内近隣センターに於ける展示・講演会・見学会の実施、市内他の市民団体との連携等々― :教育委員会で平成30年度に市内各所蔵家の現況調査が行われるが、我々の活動の成果ともとれる(事務局長談) (4)“市民のチカラまつり”展示・発表部門に参加について (5) あびこ市民活動ネットワーク及びインターンシップ制度参加、並びに広報活動について ― 会報・チラシの充実と増加に伴う会報作成担当委員の増員(No.191号より萩原正美、飯白和子両委員が会報作成を担当)、今後も担当者を募集 (6) 部会活動について ― 古文書解読日曜部会、古文書解読火曜部会、井上家文書研究部会、合同部会、歴史部会、歴史探訪部会以上6部会の年間活動報告 (7) 研修(今期なし) (8) 会報・チラシは(5)広報活動に収用 (9) 刊行事業(今期なし)(10)受贈・寄付について (11) 平成29年度役員名簿について、以上、総会資料に即し詳細な報告がなされた。( 詳細は同資料p.18を参照 )

A 2号議案  平成29年度収入支出決算の認定について  金成典知 会計担当委員

1) 2号議案―1  平成29年度 収入支出決算報告(同資料p.9参照)

 2) 2号議案―2  平成29年度 運営推進基金 報告(同資料p.10参照)

B 監査意見書

後藤美鈴会計監事より、平成29年度収支決算について、監査結果は適正であった旨の報告があった。

C 3号議案  当期収支差額の一部基金繰入について    金成典知 会計担当委員

1号議案、2号議案、3号議案を賛成多数で承認

D 4号議案  平成30年度事業計画(案)について     岡本和男 事務局長

1) 会議関係:定例総会、運営委員会、(不定期 )編集委員会、郷土資料館推進会について

 2) 事業関係:(1) 歴史講演会(市教委共催事業):H.31.1.27()、市民プラザホール、「古代常総地域の交通路(仮題)」講師:山路直充氏(市立市川考古博物館学芸員)、 史跡見学会:H.30.10.11(木)結城・小山方面見学を予定  (2) 一般向け第21回「古文書解読講座」(H.31.2月、けやきプラザ研修室を予定、講師:未定)、第9回「初級古文書講座」(H.30.8~9月、名戸ヶ谷あびこ病院大会議室、講師:東日出夫会員) (3) 「字誌」の増刷、「会誌」の発行 ― 1.「字誌」増刷400部、制作費54万円(税込)、崙書房出版(株)へ100部渡し、その他諸費用含め、50万円を予算計上、資金は運営推進基金から支出  2. 我孫子市史研究センターの機関誌としての冊子(「会誌」)の創刊号を発行:企画内容(2年に1度の発行、頁数100頁前後で大きさA5構成は論文(12,000字以内)、研究ノート(8,000字以内)、随筆・その他(5,000字以内)、原稿は書き起こし稿のみ、編集は歴史部会の担当者が当たる、発行300部(公刊はしない)、予算15万円程度とする) (4) 郷土資料館設立について推進活動を強力に取り組む ― 1. 各近隣センターでの「巡回展」(まち協と共催)開催を予定 ○新木近隣センターで617() 講師:飯白会員 ○久寺家近隣センターで826日(日)講師:逆井会員 ○天王台北近隣センター 1020日(土)講師:未定、なお、ホール等において演題に関連するパネルや郷土資料館に関するパネル展示を行い、地域により町歩きも企画する  2.「五団体会議」の継続 3. 他市の郷土資料館見学の継続  (5) “市民のチカラまつり”H.30.9.22~23(土、日)への参加を検討  (6) センター組織の充実・推進活動  (7) 部会活動 : 古文書解読日曜部会、古文書解読火曜部会、井上家文書研究部会、合同部会、歴史部会、歴史探訪部会、以上6部会の今年度の目標と予定について、資料に即し説明がなされた。

( 詳細は同資料p.1113を参照 )

中川満会員からの要望:我孫子の文化を守る会では、市の後援を得て嘉納治五郎銅像建立の運動が進んでいる。我孫子にとって治五郎は、白樺派の文人との関係や1940年の東京オリンピック誘致(中止)とその際手賀沼にボート競技会場を予定するなど、その功績は大きい。2020年の東京オリンピックに向け銅像建立が実現するよう努力している。市史研からも協力や協賛など戴けないか。

事務局長の返答:運営委員会ですでに文化を守る会の活動に「協力」することが決まっており、協力を惜しまない。

E 5号議案  平成30年度収入支出予算(案)について  金成典知 会計担当委員

資料(p.14)に即し説明がなされた。通信費に関し、今期より1通あたり約20円の値上げとなり、会報はこれまで運営委員が自分の住む地区を担当し100部以上を宅配してきたが、今回の値上げのため予算額を増やしたとの説明があった。

F 6号議案  運営推進基金からの支出について      金成典知 会計担当委員 

  資料(p.15)に即し説明がなされた。

・宮川速水会員の提案: 運営委員による会員への会報の配達は申し訳ない。会費2000円の値上げを検討してみてはどうか。

・岡本事務局長(個人意見):会費値上げの件は、できるだけ努力しもう少しこのままで頑張ってみたい。 

・関口会長(個人意見):会費値上げはリスクも考えなければならない。止める方も出るかもしれない。消費税UPなどがタイミングの一つになるのでは。

・金成会計担当委員:会の収入源は、会費収入と参加費収入である。参加費の設定が今のままで良いかの検討が必要と思われる。

・宮川会員:会員無料の催しを止め、参加費を取るなどの方法もあるのではないか。

 以上の意見が出された。

・追加意見:古内和巳会員より、総会における岡本事務局長の仕事量が多い。部会報告は各部

会長による報告にしてはどうか。

4号議案、第5号議案、第6号議案を賛成多数で承認(それぞれの議案の(案)を削除する)

G 7号議案  役員改選(案)について           岡本和男  事務局長

会則第6条に則り、平成3031年度の新役員(案)が提示され、承認された。

(案)を解除。

新役員は以下の通り

会長:関口一郎  副会長:中澤雅夫、品田制子、荒井茂男、清水千賀子○ 事務局長:岡本和男  事務局次長:飯白和子、萩原正美○、長谷川秀也○、中嶋正義○、後藤美鈴(会計補佐 地区委員:我孫子地区;三谷和夫、鈴木絵里子○、関口眞喜子○、田中康弘○ 湖北地区;田中由紀、茂木勝美  布佐地区;関谷俊江  市外;谷田部隆博、白神正光  部会委員:古文書日曜部会;清水千賀子、山崎章蔵  古文書火曜部会;東日出夫、中川健治  合同部会;中澤雅夫、近江礼子  歴史部会;谷田部隆博、逆井萬吉  歴史探訪部会;荒井茂男、長谷川秀也  井上家文書研究会;品田制子、岡本和男  会計:金成典知  会計監事:加藤直道○、安本正道  顧問:長谷川 一、松本康夫、柴田弘武 (○は新任)

・新年度への会長挨拶:(1)新役員構成のポイントである事務局態勢の強化は、できるだけ仕事の分担を図って進めてほしいこと。(2)資料館設立推進活動について、さらに継続して進めてほしいこと。(3)毎月の会報への寄稿・執筆等について、できるだけ多くの会員の皆さんに登場していただきたい。この3点を特にお願いしたい。

.議長解任

5.閉会

  
        会長挨拶                 議案説明                新任役員紹介



各部会活動・5月の予定
会員は下記6部会のどれにも参加できます。初めての参加の時には部会の担当者に連絡して下さい。

部会と集まり 担当
@古文書解読日曜部会(第2日曜) 513(日) 1300 我孫子北近隣センター
並木本館
3会議室
清水 千賀子
テキスト  印西市五十嵐家文書我孫子宿乗船一件書抜扣
A古文書解読火曜部会(第3火曜) 515(火) 1330
市民プラザ会議室
日出夫
テキスト 沼南・岩井村 勝谷家文書「手賀沼御薬園御免願書移
B井上家文書研究部会(第2土曜) 512(土) 1330 我孫子北近隣センター
並木本館2会議室
品田 制子
C歴史部会 (第4日曜)
「邪馬台国の謎」加藤 直道会員
527(日) 1330 我孫子北近隣センター
並木本館会議室3
谷田部 隆博
D合同部会 (第3土曜)
 社寺調査(中里薬師堂・諏訪神社)
519(土) 1300 中里・薬師堂又はJR成田線湖北駅改札前 集合 中澤 雅夫
E歴史探訪部会2水曜/2金曜)「常陸国河内郡―龍ヶ崎・初夏・城址・寺院―を訪ねる」
511(金) 945 JR常磐線佐貫駅改札口我孫子駅924分発勝田行きが便利 荒井 茂男
5度運営委 525(金) 940 市民活動St.大会議室 岡本 和男
郷土資料館設立活動日程:推進会 58日(火)16時市民活動ST

事務局便り

平成30年度会費納入のお願い

4月から新年度に入ります。30年度会費(年2,000円)の納入をお願いいたします。

部会などで運営委員にお渡し下さるか、同封の郵便振替用紙でお振込み下さい。6月末までに納入して下さいますよう、お願いいたします。

なお、ご都合で退会を希望される方は、事務局へ早めにご連絡をお願いします。

<新入会員のお知らせ>

宮本 研三 さん(我孫子市天王台)

近松 義昭 さん(松戸市北松戸)

中臺 卓夫 さん(柏市箕輪)

酒井 一男 さん(柏市篠籠田)

加賀美 一 さん(我孫子市我孫子)

どうぞよろしく。

<当会後援・講演会のお知らせ>

流山市立博物館友の会主催講演会「東葛地名考」

日時:516() 1330〜(13時開場)

会場:けやきプラザ9Fホール(我孫子南近隣C)

講師:三谷 和夫

参加費:500円(当会後援のため友の会会員並)

当会会員の三谷和夫さんは流山市立博物館友の会の会員でもあり、このほど同会主催講演会で関心の高い地名のお話をされます。会費は一般800円のところ割引があります。どうぞ、ご参加下さい。


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