まいたうん☆光が丘
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その1 概要
東京都練馬区光が丘地区は以前は米軍の住宅などがありましたが、
近年は高層集合住宅が立ち並び、その中心には光が丘公園があります。
光が丘公園は都内有数の大規模公園として春はお花見、
秋には紅葉の楽しめる場所として、休日には近隣だけではなく、
遠方からも多数の方が来園する有名なスポットになっています。
また交通面でも、
首都圏の主要都市をつなぐ環状線「都営地下鉄大江戸線」の
起点になるのが光が丘駅です。
駅には総合ショッピングセンター「光が丘IMA」と百貨店、
スーパーが融合した駅ビルがあり、
警察署、消防署、郵便局など抜群の生活環境空間が創出されています。
その2 歴史
戦時中は成増飛行場、
戦後は米軍宿舎跡地だった当時グランドハイツと呼ばれていた所で、
昭和48年に日本に返還され、公園及び住宅の整備事業が行われ、
昭和56年12月26日に公園が開園され、
住宅団地の入居も段階的に行われ、
昭和62年4月にショッピングセンターIMAが開業され、現在に至っています。
その3 光が丘公園
60万平米と都立公園でも最大級に入る公園で、
豊かな自然に満ち、充実したスポーツ施設に訪れる人も多くいつも賑わっています。
(都立公園64のうち、4番目の規模だ。
大きい順から葛西臨海公園、水元公園、小金井公園に次ぐ。)
最近ではお花見スポットとしても有名で、
地域からばかりでなく、遠くからもたくさんの人がやってくる。
ここは戦後グランドハイツといって米軍の施設であったため、
立ち入ることができませんでした。
昭和48年に返還が完了し、
東京23区最大の「光が丘団地」として整備が進められ、
全敷地の約1/3を公園として確保してあります。
とにかく広いというのがこの公園の印象ですが、
ただ広いだけではありません。
自然や施設の充実度が高く、誰と訪れても満足のいく対応をしてくれる公園です。
数ある都立公園の中でもオススメのひとつです。
アクセスも良いので、ぜひ訪れてみてください。
その4 光が丘団地と啓志線
東上線成増駅のやや南側に
都市基盤整備公団の開発した「光が丘団地」がある。
その場所は大元を辿れば戦時中に首都防衛空港として建設された成増空港で、
終戦直後からは進駐軍の滞在地として
「グランドハイツ」という米軍士官だけが居住出来る高級住宅街が建設された
。このグランドハイツへの輸送機関として
現在陸上自衛隊練馬駐屯地まで伸びていた軍事貨物線を
このグランドハイツまで3.5kmの区間を延長する事になり
昭和21年3月25日に開通した。
この路線は非電化で、東上線の電車が入線出来ないため
国鉄のガソリンカーが東上線に入線し運転された。
グラントハイツには映画館やデパートはもちろんゴルフ場までもが
存在する1つのアメリカの街が存在していたという。
ちなみに路線名である啓志は啓志線建設の
総責任者である「ケーシー中尉」の名から漢字を当てはめたものらしい。
しかし、
グラントハイツ居住者が異動により減少し
啓志線は昭和34年7月に廃止されたが、
現在マンモス団地となった光が丘団地へ現在も運転されていれば
東上線の1つの大きな支線であったことは間違いないだろう。
その5 消えたやすらぎ?
光が丘LIVIN前の「ふれあいの径」の真ん中にあった窪みがコンクリートで埋められた
。ここ何年か落ち葉などで吹き溜まりになっていて、
あまり景観が良いものではなかったし、じゃまなだけだった感じもするので、
やれやれやっと平らになったかと、と思う人が少なくないかもしれない。
【かくいう、おいらも自転車で転けた経験あり(笑)】
それにしても無粋な埋め方である。
13年前、ここには水がたたえられ、潤いある街並みを演出していたらしい。
「人間は、水が近くにあると精神的に安らぐもの。
ポコポコと15分間隔で噴水とわき水を合わせたもっていたらしい。
いつしか水が涸れ、無用の長物と化してしまったらしい。