これから、ぼくが調べた、こけしの真実を、発表します。
こけしは、みんな「飾り物」だと思っていると思いますが、こけしは、昔、「飾り物」でも、「置き物」でもありませんでした。
こけしが誕生したのは、江戸時代でした。では、その頃の様子をお話しします。
江戸時代は、子供が一人産まれて、その子供が6歳以上になると、子供も畑で働いて、米を国に出さなければいけなかったのです。
しかし、6歳では、まだ働けません。そういう時は、親が、子供の分と、自分(親)の分を、まとめて働かなくてはならなかったのです。
しかし、子供の分も働いたりすると、疲れてしまったり、もしも国に米を出せなかったりすると、五人組(隣近所の五軒に住んでいて、助け合っている人たち)全員、罰を受けてしまうのです。
そこで、小壁村では、赤ちゃんを一人産むと、親が、小壁村にある崖から、産んだ赤ちゃんを落としていたのです。
そして、その翌日に、「神隠しに遭った」などと言って、罪を隠したのです。
その後、その法令がなくなったとき、現小壁村の人たちが、亡くなった子供たちを慰めようと、こけしを作ったのです。
だから、こけしを漢字で書くと、「子消し」と書くのです。