第2章死後の世界



 広島県佐伯郡湯来町は、広島県の南部と北部とのちょうど境界に位置している。温泉が有名で、広島市内から車で国道433号線を北に走り、約四十分で役場の前のT字路にぶつかる。そこを東に進むと湯来温泉・西に進むと湯の山温泉に行き着く。両温泉は年間数千人の湯治客で賑わっている。温泉地にしては珍しく、黒字経営なのだそうだ。
 町は南北を山に囲まれ東西に川が流れ、谷間に家々とのどかな田園風景とがせめぎあって建てられているといった感じで、ちょっとした都市に住んでいる人には信じられないくらいにのどかで、親しみやすい。初夏になると、鮎を釣る人の姿もみられる。どこにでもあるただの田舎町だ。
 ここに、ある宗教の本殿が建てられるという噂が流れたのはもう十年も昔のことだそうで、この間反対運動らしい反対運動もなく地域に根を這っていった。今では、湯来町民の中にも信者がかなりの数にのぼり、もともとの土着の宗教に追い付き追い越せという勢いで、地域に認められた宗教というものは、認められはじめた時点から爆発的に勢力を拡大していくのだそうだ。
 その本殿で殺人事件が起こったと聞いて町は大変な騒ぎになった。もともとが刺激の少ない、小さい町なのだ、この事件が伝わらないはずはない。この事件は町を揺れ動かすような大きな衝撃となっていった。本殿には信者やこの宗教の反対勢力、ただの野次馬で一時は大変なパニック状態だった。反対勢力としては、この事件を利用して、この本殿を排除せよという運動にまでつなげたいらしい。信者達はそういう動きが出ることを予想して、この殺人は反体勢力の奴らの仕業ではないかと応戦した。両者のあいだでしばらく睨み合いが続き、もうあと一歩で正面衝突、という所で警察が到着し事態を収拾した。表面的には落ち着いているが、町民の間にはいいしれぬ怒りや嘲笑が残っていて、この件についてはまだ終わっていない。
しかし、靖彦たちが到着したのは午後十時を過ぎていて、町は静寂さを取り戻し、なにごともないいつもの夜のように静まりかえっていた。



 役場から車で十五分ばかり走ったところに岡崎の家があった。岡崎の家に着き、チャイムを鳴らした。しかし誰も出てこなかったので、景山に頼み、本殿へ連れていってもらった。
 「すごい。こんな建物がこんな所にあるなんて、全然知らなかった」
靖彦は驚いてしまった。田舎とはいえこれほどの物を作ろうとすると大変な費用に違いない。誰の寄付でこんな物ができるのだろう。
 岡崎家からさらに車で二十分ほど山道を走ったところに本殿と呼ばれる大きな木造の神社のような建物がたっていた。毎回、集会には、二百人程の人が集まるということだった。この日も集会には二百人程の人が集まったと伊東が言った。
 「どうしてそんなことを知ってるんだい」
靖彦が不思議に思い、そう聞くと、
 「このまえ岡崎に電話をした時に聞いたんだ、信者の数もだんだん増えているらしいぜ。しかし、こういうことがあると信者ってどうするんだろう」
と変なことを気にして言った。
 本殿の周りには警察の現場検証のためのロープが張ってあり、とても中に入れるような状況ではなかった。そのとき、本殿の中から斎藤と天道が出てきた。
 「斎藤、天道」
伊東の声に気がつき、こちらに来てくれた。
 「どうなってるんだ。小夜子が死んだっていうのはどういうことだ」
伊東が突き詰めた。斎藤と天道は互いに視線を交わしながら、
 「おれたちにも、何が何だかさっぱりわからないんだよ。さっきも刑事さんにしつこく聞かれて、もうくたくたなんだ。あの刑事しつこくってさ」
斎藤が言った。この二人は本当になにも知らないようだった。
 「事件があった時、みんなはどこにいたんだ」
靖彦は真面目すぎるほどの口調で聞いた。斎藤も天道ももういいかげんにしてくれといわんばかりに、
 「刑事と同じ事を聞くなよ、そのことは何度も答えてもうすっかり暗記しちゃってるくらいだよ。あのとき、俺と天道は、岡崎の家にいたんだ。岡崎に頼まれて、本殿に持っていく白衣を忘れたんで、取りにいってほしいって。だから二人で取りに戻ってたんだ。」
 「岡崎に頼まれた・・・、今までもそういうことがあったのか?」
不思議でしょうがなかった。宗教をみんなにひろめたのは岡崎だし、いちばん熱心だったのも当然岡崎だった。その岡崎が大事な道具を忘れたりするだろうか。靖彦が考えこんでいると、
 「いいや、忘れたことなんか、一度だってなかったよ」
と、天道が答えた。
 「もういいだろう。いいかげんにしてくれよ、疲れてるんだ。いまから岡崎の家に帰って少し休ませてもらうんだ」
斎藤は疲れきった顔で言った。
 「おれたちもいくよ。でも他の奴らはどうしたんだ?」
伊東が言った。神岡は今、事情聴取の最中で岡崎は小夜子の遺体と一緒に湯来町から車で五十分ほどの廿日市の病院へ行き、それから事情聴取を受けることになっているということだった。
 靖彦はどうしても現場を見ておきたかった。小夜子が殺された場所を。
 「僕は少し中を見てみたいんだけど、先に帰っといてくれないか。あとで刑事さんにでも送ってもらうから」
みんなそんなことはできるわけがない、やめておけと言ったが、みんなに先に帰ってもらい、どうするかしばらく考えていると、
 「岩下。岩下か? なんでこんな所にいるんだ」
という声がした。高校時代の先輩で悪友だった藤井 尚隆だった。こっちも驚いてどうしてこんなところにと聞き返した。藤井は高校卒業後広島県警に就職し、去年から刑事になったとのことだった。まさかこんなところで出会うなんて、なんて偶然なんだろう。靖彦は事情を説明し、なんとか中に入りたいと藤井に頼んだ。始めはダメダメと言っていた藤井も、僕の元彼女で彼女の死んだ場所で冥福を祈りたいという言葉に負けたのと、高校時代に、靖彦に助けてもらったことを気にしてかそのうち、
 「中の物に絶対さわるなよ」
としぶしぶ承知してくれた。藤井がこんなところで捜査をしているとは、本当にありがたい。彼は高校時代の靖彦の名探偵ぶりを知る、生き証人だった。上司に見つかると何かとまずいことになるだろうが、被害者の友人という形でならなんとかなるだろう。それに藤井にしてみれば自分の友人が被害者について何か聞き出してくることで、他者を一歩も二歩もリードすることができる、ここで靖彦に恩を売っておいて損はないと考えた。もちろん靖彦のほうも、事件を最終的に片付けるのは警察であると考えているし、別に自分が有名になろうとは考えていない。そして先輩の藤井が犯人を逮捕したとなれば、嬉しいかぎりだとも思った。



 本殿の中にはステージがあり小夜子はステージのすその奥にある控え室で死んでいた。控え室に行くと、小夜子の倒れていた所にテープが張られ、血痕が残されていた。小夜子は右を下にして、横向きに倒れていた。刃物で腹部と背中から心臓を突かれていたそうだ。とても苦しかったに違いない、床の絨毯に爪痕が残っている。靖彦はこらえられなくなって、横を向いた。
 「やっぱり素人だな。これくらいで気分を悪くしてたら刑事にはなれんぞ。まあ、元彼女だからな、無理もないけど。しかしまあ不思議な死顔だったなぁ。なんかこう、すごく楽しそうでもあり、辛そうでもあり・・・」
藤井が不思議そうに言った。今までに見たこともないほど不思議な顔だったなどと小夜子が聞いていたらきっと藤井を蹴とばしているに違いない。
 「楽しそうで、辛そうって、どういう顔です? それに最初に見つけたのは誰だったんです?」
靖彦は藤井に聞いた。
 「いやぁ何て言うかその、不思議な顔だよ、何かこう、うそでしょうって感じのさ。まあ今から殺されるっていうんだから、そういう顔にもなるわなぁ。それから、第一発見者は害者の旦那の岡崎 慎二、それと神岡 良人だ。詳しい事は言えないんだが、害者の帰りが遅いので本殿の中に迎えにきたところ、この状況だったらしい。通報したのは、神岡で、旦那はその間ずっとここで付き添っていたそうだ。気の毒に」
藤井は詳しいことは言えないといっておきながら、ずいぶんといろんなことを教えてくれた。靖彦は、声にならない声で「うそでしょう、か」と呟き、ふと疑問を感じた。
 「えっ。でもおかしいじゃないですか。斎藤と天道は岡崎に頼まれて、白衣を取りに戻ったと聞きましたよ。集会が終わったあとに白衣を取りにいったんですか?」
 「さっそく情報を仕入れてるな。しかしどうもそういうことらしい。その集会のあと、教祖にちかい位置にいる幹部連中が集まって何とかという儀式をする予定だったそうだ。まだ詳しいことは聞いてないんだが、どうやら幹部会の前に被害者が教祖に呼ばれ、控え室に入ったらしい」
藤井は靖彦との会話を楽しんでいるようだ。
 「じゃあその教祖さんは、いま事情聴取ですか」
靖彦のほうも今のうちに情報を仕入れられるだけ仕入れておこうといろいろと質問をした。
 「それがどこを捜してもいないんだ。まあ、付近の道路では検問もしているし、じきに捕まえてみせるけどね。こうなると、教祖が一番怪しいと思うのはあたりまえだからね。教祖を逮捕して吐かせれば事件は解決、一件落着というわけだ」
藤井はごく普通の殺人事件と考えているらしく、ペラペラと話した。
 「はあ、そうですか」
この状況で教祖の姿が見えないとなると、やはり教祖が犯人なのか? 靖彦は思った。
 「もう一つおもしろいことを教えてやろうか、事件があった時この部屋は密室だったんだ」
藤井は事件を楽観視して、つぎつぎに情報を教えてくれる。
 「えっ、密室ですか」
さすがに驚いた。小説じゃああるまいし、密室殺人なんて、考えられない。靖彦の疑うような視線を感じて、藤井は笑いながら言った。
 「まあトイレなどでみかけるボタン式の鍵だからね。害者を殺害して外に逃げる時にボタンを押せば密室のできあがりってわけだ」
 部屋には出入口が二つあり、岡崎達の入ったステージ側からの入口と外からの入口の二つがあった。外へぬける入口の鍵はボタン式のキーで、ボタンさえ押して出れば鍵がかかるようになっている。ステージ側の方は戸に回転式の鍵がついている。どうやら、小夜子が入る時に閉めたらしい。ステージ側の鍵はいつもステージの袖に掛けてあり、誰でも控え室に入ることができたという。鍵は戸にかけっぱなしで、小夜子が入った時には教祖がさきに部屋に入っていたため鍵は開いていたのだろうということだった。警察では、犯人の教祖が控え室の中に入った小夜子を殺害し、外に向かって逃げたのだろうと見ている。
 しかし、外に幹部達がいるのがわかっていながら、そんな場所で人を殺したりするだろうか、そのことが靖彦には気になった。警察ももちろんバカではない。そのことを含め、いろいろな人物から事情聴取をしている。幹部は全部で四人で、この日は、一人が欠席していて、残りは、岡崎と地元の有力者でもある新田 太一朗、そして教祖の慈恵院だということだった。



 岡崎の家では、斎藤と天道、伊東、景山が休んでいた。
 「なんで小夜子が・・・、どうして」
景山が何度もつぶやいていた。
 「知るか。どうなってるんだ、まったく」
斎藤がいった。
 岡崎の家は、町から借り受けた一戸立てで、六畳の部屋が一階と二階で三部屋、ダイニングキッチンの六畳、という造りだった。生前の小夜子の性格が偲ばれるような、可愛く、しかも機能性を重視したインテリアだった。四人は一階の居間に集まりそれぞれのおもいを語っていた。
 しかし、いくら話してみたところで結局は自分たちには何がどうなっているのかわかるはずもなかった。
 「今後は、警察にまかせるしかないだろう。警察が一刻もはやく、小夜子を殺した犯人を逮捕してくれることを期待しよう」
という伊東の言葉に、結局はそれしかないだろうというのがみんなの一致した意見となった。
 みんな疲れきっていた。警察での事情聴取やさっそく事件をかぎつけた雑誌記者、新聞記者等の対応におわれていた。靖彦も岡崎の家に入る時、そういった連中にしつこいほど岡崎家との関係を聞かれ、だんだん腹がたってきた。
 「なんなんだ、あの態度は。はらがたつなぁ」
ふだん怒りを表にださない靖彦がそう言ったのを聞いて、伊東たちも外の連中にだんだん腹がたってきたようだった。
 「どうだった。中に入れたのか?」
伊東がどうなったのか知りたそうに聞いてきた。
 「うん、現場を見てきた」
 「へぇー、入れてくれたのか。よく入れてくれたもんだ。絶対入れないと思ってたのに・・・、入れなくてべそかいて戻ってくる靖彦君のために斎藤と天道に部屋の地図を無理いって書いてもらったのに、むだになっちゃったなあ」
 「えっ、地図、ください、その地図、部屋を一度見たくらいでは、はっきりと状況が見えてこないんだ」
そういって靖彦はテーブルに置いてあるメモを手に取った。そこにはさきほど見た本殿の控え室の地図が煩雑に書かれていた。靖彦はそのメモをポケットにいれ、伊東にいままでの経緯をかいつまんで話した。もちろん、自分が刑事の藤井に頼んで中に入ったことは黙っていたが。
 「それじゃあ教祖の慈恵院が犯人だな」
伊東は力強く言ってテーブルを叩いた。その勢いで、テーブルの上の灰皿が倒れて吸いがらが散らばってしまった。あわててテーブルの上をきれいにしながら、
 「どうしてだ。なんで慈恵院が小夜子を殺さなきゃならないんだ」
さらにそういってずっと黙り込んでしまった。
靖彦の悩みも事実そこにある。なぜ慈恵院が小夜子を殺さなければならないんだろう。電話で小夜子が言っていたことと何か関係があるんだろうか。教祖はどこに行ったんだろうか。いろいろな疑問が靖彦の頭の中でぐるぐる回っていた。
 「ちょっと斎藤たちに聞きたいことがあるんだけど、いいかな」
靖彦はそれまで黙って二人の会話を聞いていた斎藤と天道にいった。
 「どうして、小夜子はこの宗教に入ったんだろう。ほかにもいろんな新興宗教があるのに。なんでだろう」
それまで泣いていた景山が突然喋りはじめた。
 「岩下君、あなたのせいよ。小夜子が殺されたのはみんなあなたのせいよ」
突然の攻撃にみんな驚いて景山の方を向き、次の瞬間事態を理解した。ただ一人靖彦だけがまったく理解できていなかった。
 「恭子! いいかげんにしろ。おまえはもう休め」
伊東がきつい口調で言い、そのまま二階の客間に連れて行った。
 「どういうことなんだ。なんでぼくが・・・、小夜子を殺したなんて・・・」
靖彦にはまったく理解できなかったが、斎藤が説明をしてくれた。
 「景山は混乱しているんだ。気にしなくてもいい。ただ景山が言いたかったのは、五年前おまえと小夜子が別れただろ。そのことが原因で小夜子がこの宗教に入ったんでこんなことになったんだって言いたかったんだと思う」
 「僕との別れ・・・」
それを聞いたとたん靖彦は倒れそうになった。あのころ靖彦も岡崎に誘われ行ってみようかと思ったこともあったが、そのとき猛烈に反対したのは小夜子だった。その小夜子が僕との別れが原因で、岡崎に誘われ宗教に入っていたなんて。なんてことだ、こんなことって・・・。そういう思いと同時に、斎藤たちは、岡崎はどうしてこの宗教に入ったんだろうという疑問が頭をかすめた。



 神岡が帰ったのは、午前二時を少し回っていた。とても疲れた顔で帰ってくるなり、倒れんばかりの様子だった。
 「今は、何にも話したくない。明日にしてくれ」
そう言ってさっさと寝てしまった。みんな疲れていて、今から何かをしようという気力は残っていなかった。
 靖彦は岡崎の態度が妙にひっかかった。たとえ短い間でも自分の奥さんだった人間が殺されたというのに、岡崎は涙ひとつ見せていない。今は興奮し混乱していているにしても、何かおかしいんじゃないか、そう思った。しかし、自分を振返ってみるとやはり涙を流していないことに気がついた。

 (五年か・・・、意外に長かったんだなぁ、こんなに冷静に小夜子の死を受け入れられるなんて。でもやっぱりおかしい、何かが間違っている)

そう思ったが、岡崎の性格から考えると人前で涙を流すとはとても思えなかったし、もしかしたら岡崎は寝室に行って今一人で泣いているのかもしれない、そう思っても見たが結局確かめることは出来なかった。



 翌日朝刊には、さっそく事件のことが大きく取り上げられていた。新聞には、大きく

 湯来の新興宗教聖地で殺人事件

 昨夜午後8時ごろ、広島県佐伯郡湯来町で殺人事件が起きた。殺されたのは、同町に住む岡崎 小夜子さん(25)で、小夜子さんはその日、本殿と呼ばれる木造の寺社造の建物の中で集会があり、それに参加したあと殺害されたもようで、事件の担当の廿日市署では、教祖の慈恵院の行方が事件後分らなくなっていることから、同人を重要参考人として捜索中。

という記事が本殿と小夜子の写真付きで載っていた。岡崎家では昨夜に続き皆どうすることもできないまま、居間で黙り込んでいた。斎藤、天道そして神岡の三人は警察にこの場に残っておくようにとの命令が出されているため、身動きがとれないでいた。伊東と景山、岩下は仕事の都合で自宅に帰っていた。
 靖彦が家につくなり、
 「小夜子さんが殺されたって、どういうことです」
これは近年稀に見るほどの不機嫌さだ。
 「そういうことですよ」
靖彦がそう答えると、
 「あなた、そういうこととは、どういうことですか。もう、本当にはっきりしない人ですよ」
岩下の母、旦子はにえきらない息子を叱咤した。息子のこの煮えきらない態度のために何度苦汁をなめさせられたことか、と言いたげであった。
 「この事件はもうすぐ片づきますよ。新聞にも出ていたでしょう、教祖がいなくなっているのですから、それが見つかれば事件は解決です」
口ではそういっているが、靖彦は教祖が捕まっただけでは、この事件は解決しないのではないかと思っている。警察には言っていない、小夜子からの電話がやけに気になってしようがない。

 (あの電話は何だったんだろう)

その思いがつのってくるばかりだった。もう一度行ってみようか。そう決めた靖彦は、
 「しばらく湯来町に滞在しようと思います。何かあったら湯来温泉のみどり旅館に連絡をして下さい」
 「なにもあなたが湯来町へ滞在することはないでしょうに、警察で調べているのでしょう。それに仕事はどうするの。変なことに首を突っ込まないでちょうだいな」
母もそういったが顔はそれが当然だ、あなたがなんとかしなさい、と言っていた。
 高校時代から探偵としての才能だけが自他共に認める靖彦の才能だった。高校の時、集団万引き事件があり、無実の罪で捕まっていた藤井を助けた事もあって、刑事の藤井は今でも靖彦に頭が上がらない。そういう状況を利用するのは靖彦の趣味ではないが、今回はそうも言っていられなくなるだろう。
 旦子に言われるまでもなく靖彦はそうすることに決めていた。景山に責められたこともあったが、それよりも事件の結末がどうなるのか、どういうことがあったのか、それが知りたくてたまらなかった。
 靖彦は、愛車のフェアレディーZで湯来町に向かった。湯来町へは母のお供で温泉に何度か来たことがあった。しかし、あの本殿のようなものがあんな所にあるということは全く知らなかった。仕事をどうしようかと考えていたが、五月のGWの休みをここで消化して足りない所は有給休暇でもとればいいと考えた。世の中そんなに甘くない、という人もいるが就職して5年にもなると、世間は結構甘いものである。
 岡崎家についたのは、午前十一時くらいだった。ばつの悪い顔で岡崎と顔をあわせた時、岡崎のほうから
 「ああ、岩下か。今回はとんだことになった。もううんざりだよ」
岡崎は警察の事情聴取でかなり厳しく色々なことを聞かれたらしくとても疲れていた。靖彦が現れたのを快く思っていないのがありありと見てとれた。靖彦は気にも止めない素振りで、
 「ちょっといいかな」
と家の中に入っていった。岡崎はおもしろくなさそうにしぶしぶ中へと案内した。昨夜と同じく、斎藤と天道、神岡が座っていた。それぞれにいろんな姿勢でこちらを見た。昨日起こった事件については誰も話したがらなかったが、靖彦が来たことによって多少気が変ったらしくしだいに色々なことを話しはじめた。
 「最近の小夜子のことを聞かせてほしいんだ。何か変った様子はなかったか、何かに悩んでいる様子はなかったか、何でもいいんだ」
靖彦が部屋にいるみんなに聞いた。
 「それも警察でさんざん聞かれたよ。みんなも聞かれたと思うけど、別に変った様子なんかも感じなかった」
と岡崎は冷たく言った。靖彦と小夜子がつきあっていたことをみんな知っているし、なにより、靖彦と別れたあと、岡崎とつきあい、結婚をした。靖彦は岡崎の手前、踏み込んだことも聞けずにいた。みんなにもその空気が伝わっているらしく、口が重かった。靖彦は、小夜子からの電話のことをみんなに話すかどうか悩んだが、電話の内容が小夜子自身がみんなに言えないと言っていたのだし、当然話していないだろうと考え、もう少し様子を見てからにしようと決め、質問を変えた。
 「そうか。 ところで小夜子だけがなぜよばれたんだろう」
 「小夜子は次期教祖に指名されていたんだ。あの日もきっとそのことで呼ばれたんじゃないの?」
斎藤は岡崎に質問するように答えた。岡崎もそれに追随するような形で答えた。
 「一点回帰教の慈恵院様の後を次ぐのが小夜子だったんだ。もう少し修業をすれば小夜子にも・・・」
そういって黙ってしまった。靖彦はすかさず聞いた。
 「小夜子にもどうなんです」
 「小夜子ももう少し修業すれば、神が入られるようになれたんだ」
黙っている岡崎の代わりに神岡が言った。
 「神が入る・・・」
やはり彼等は信じているのだ。現代の科学万能と言われる時代に、神というものが人の体を借りて、話しかけてくると言うことを。いや、科学万能と言われる時代だからこそ信じたいのかもしれない。確かに、そんなことがあれば人間は救われるのかもしれない。世紀末になると新興宗教が流行するというのも頷ける気がする。岡崎達の宗教も世紀末までに百八人の生き仏を捜すことが目的で、そのためにみんなを誘っているのだという。靖彦にしてみれば世紀末とは西暦での計算上のことで、仏教を看板にしている一点回帰教とは関係のないものではないかと思うし、西暦という年代の数えかたが今この瞬間に何か他の数えかたが出てきた時にはどう対処するんだろうと思うのだが、そんなに簡単なものではないらしい。何かと理由をつけて、世紀末にはやはり、人類絶滅の危機が訪れると信じこんでいる。この件に関しても靖彦は全く理解できずにいた。靖彦は、もし世紀末に人類全てに危機が訪れ、それを救うのも、全人類規模で働くのではないのか、その宗教に入っていると助かると言うけど、地球から人類が滅んでしまったあと、生き残った人達だけでどうするつもりだろう。生き残った連中がその地球をパラダイスにするとなどという夢物語を本気で考えているのだろうか、そしてそれこそが、この宗教の目指しているところなのではないかという思いが、靖彦の思考回路の中を走っていった。幹部の連中には信者にそんなことを信じさせる自信があるのだろうか?
 しかし、信者の数が五百人を越えているという事実がある。そんなにまでして、助かりたいと思うのだろうか、まあその時が来て、助かればそれはそれでいいのかも知れない。どのみち、この宗教を信じていない靖彦は死んでしまっていて、確かめようはないということになるのだ。
 こんな論議が二,三十分も続いたが、靖彦は苦笑して、この論議を中断させた。信じているものと信じていないものにはどうしても埋められない、深い溝がある。第一、こんな論議をするためにここに来たのではない。この事件のことをもっと聞いておきたかった。
 「事件の前の集会ってどんなことをしたんです?」
靖彦が質問すると、
 「いつもと変らなかったよ。七時には信者が二百人ほど本殿に集まり、お教をあげるんだ。その後、慈恵院様がステージに出てきて、順番に五人くらい呼んでその人に助言するんだ」
さきほどの議論の後、黙っている岡崎や神岡を見ながら、靖彦が言った。
 「五人だけ呼ばれるんですか?その五人は前もって決まっているんですか?」
 「いや、その場で慈恵院様が呼ばれるんだ、そこで本当に不思議なんだけど、何でも言い当てるんだ、どうして分かるのか不思議なくらいに。すごいんだ、本当に」
斎藤はまるで自分が言い当てているかのように答えた。靖彦はどういう理由でその五人が選ばれるのかが知りたかった。はじめて見る人間のことが、何でもわかるなんて、神様がいると信じなければ説明がつかない、何かトリックがあるはずだ、そう考えた。
 「集会の時、本殿の中はどうなっているのかな。印象的には何が残っている?」
 「いつも、香をたいていることかなあ。それから早く来た人が本殿に座り、遅くなってしまった人は、後ろとか、横とかから、立ってみている」
みんなの意見を聞いたが、だいたい、にたりよったりだった。岡崎だけは、「たくさんの信者が集まってくれている」という、幹部らしい言葉を発した。幹部会はどういうことをするのかを訊ねたが、神岡も岡崎も詳しいことは話せないということだった。
 しばらくして、岡崎に電話がかかり、青い顔をして出ていってしまった。なにもこんなときにでて行かなくてもよさそうなものだが、一人で考えたいということもあったのだろう。靖彦に話すことなど何もない、というのが、本当のところなのかも知れない。



 岡崎のいなくなった家で靖彦は今度の事件について三人にいろいろ質問をした。
 「どうしてこの宗教に入ったかを聞かせてほしいんだけど」
この質問には三人が三人とも岡崎に誘われたと答えた。なぜ岡崎はこんなにいろいろな人を誘ったんだろう。靖彦は不思議に思い、
 「どうしていろんな人を誘うんだろう。どうして信じてしまうんだろう」

(信じている人は信じている人だけで勝手にやればいいだろうに。)

宗教を信じている人にとってその宗教こそがすべてで、その宗教を信じていないことのほうがおかしいと思っている。信じている人にとって信じていない人の存在自体が悪であり、世を滅ぼす元凶と考えているようだった。神岡は、なにをいいだすんだばかやろうと言いたげな顔で、
 「おまえはなんで信じないんだ。そのことから考えた方がいいんじゃないのか。慈恵院様は何でもご存知だった。本当に素晴らしい方だったんだ。それがこんなことになるなんて・・・」
そう言って、涙を見せた。今までこの宗教に恩恵を受けてきたはずの自分、すべてを捧げてきた慈恵院という教祖が今は、小夜子を殺し、逃亡中だと新聞に書き立てられ、重要参考人として警察から追われている。そう考えると靖彦も同情してしまった。

 (神岡も被害者かもしれないな。)

 斎藤は疲れきった顔で言った。
 「はやく犯人を捕まえてほしいもんだ。仕事だってあるし、もういいかげんうんざりだよ。靖彦の質問に対する答えはこうだ。まず、誘われたのは岡崎に間違いない。あのころ俺もいろいろとあったからね。岡崎に誘われて、まあ、付き合い半分、遊び半分ってとこだったんだけど、はじめて行った時の印象が強烈でね、これは本物だと思ったんだ。それからあとの質問はだな、・・・」
 「ちょっとまって、最初の印象っていうと、どういう印象だったんだい」
靖彦はまったくの素人が宗教と出会う時にはどう感じるのかが知りたくて聞いてみた。
 「ああ、はじめて行ったのは五年前だ。俺と天道、それに景山と小夜子で行ったんだ。」
 「えっ、そのときにその四人で行ったの。岡崎は?」
 「もちろん行ったさ。言ったろ、岡崎に誘われたんだって。その日は全員集会の日でたくさんの人が、そうだな、二,三百人はいたんじゃないかな、とにかく集まってて、最初はなんかやばいとこに来てしまったって感じで、みんなで逃げようかって話してたんだ。そこへ慈恵院様が現れていきなり小夜子を呼んで何かを喋りはじめたんだ。その時の様子を見てこいつは本物だ、何てすごいんだって思って入信したって訳さ」
 「へぇー。そんなことがあったのか。それで小夜子がその時にはじめて行ったって本当なのかな」
 「本当だって。信じろよ、あの夜岡崎の家でみんなではじめて会ったのにどうして何もかも分かったんだろうって不思議そうな顔してたんだから」
どうやら斎藤も怒らせてしまったらしく、斎藤はおもしろくなさそうにタバコに火をつけた。そのあと、天道にも同じ質問をしたが、答はにたりよったりのものだった。
 「慈恵院はどこに行ったんだろう。なにか思いあたる所はないかな」
聞いてはみたが、誰も知っているはずもない。知っていれば当然警察にも言っているだろうし、警察でもさんざん聞かれたに違いない。その質問をした時、急に神岡が立ち上がり、
 「どういうつもりだ。だいたい何の目的でこの件に首を突っ込む。いいかげんにしてくれ、もうつきあっていられるかっ。いいかげんにしろっ」
と怒って二階に上がっていった。悪かったと思う。たしかに靖彦はこの事件と直接関係はない。誰かに文句を言われるとひきさがるしかないのである。しかし、元とはいえ自分の彼女だった女性が殺され、黙っていられるほうがおかしいではないかという思いもある。
 「どうしてこの事件に首を突っ込むんだ?警察でも調べているじゃないか」
二階に上がっていった神岡に刺激された斎藤も靖彦に尋ねた。
 「僕の好奇心、としか言いようがないんだ。僕は事件の真相が知りたい、それだけなんだ。ただじっとして警察の捜査が終わるのを待つなんて僕にはできない。それに警察は警察、僕には僕のやり方がある。警察と同じ視点では本質的な所は見えてこないような気がする」
そう靖彦が答えると、斎藤は何ともいえない表情をつくった。それは五年前のことを思いだしていたからか、靖彦=探偵という言葉に思い当ったからだろう。
 二人が黙っていると急に天道が喋りはじめた。
 「じつは俺、もうこの宗教やめようと思ってたんだ。だんだん何が本当なのか分からなくなってきて、自分でもどうしたらいいのか分からないんだ。岡崎や神岡に言われてずるずると続けてきたけど、そろそろ潮時じゃないかと思う」
いつも何かを聞くまで黙っている天道が急に喋りはじめて靖彦は驚いたが、ふと気になることがあった。
 「そういえば、神岡はいつからこの宗教に入ったんだろう。あのころは僕と二人で宗教は信じないなんて話してたのに、いつの間にか信じるようになってたよね」
靖彦が聞くと、
 「そういえばいつからだったろう。俺たちが入ってから、三ヵ月くらいしてからじゃなかったかな」
斎藤が答えた。天道もはっきりわからないけど 「斎藤の言っていることに間違いないだろう」
といった。
 「やっぱり岡崎に誘われたのかな」
 「そうだろう。岡崎の下には二百人ほどいるらしいしな」
 「えっ、二百人もいるの。すごいなぁ」
靖彦は思わず言ってしまったが、よく聞くと岡崎の下に直接二百人の信者がいるわけではなく、岡崎の下の斎藤の下というようにネズミ算式に集まっているのだそうだ。靖彦は聞いているだけでいやになってきた。
 ひと通り話しを聞いた靖彦は、旅館に帰って考えをまとめることにして、
 「何か気がついたことがあったら、みどり旅館に泊っているから」
と言って岡崎家を後にした。