第4章 過去からのメッセージ
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影山 恭子は、学校を卒業していわゆるOLをやっている。本人としても、就職する時には夢も希望もあったのだが、毎日毎日くだらない雑用とお茶くみとに追われている。ふと気がつくと同年代の同僚はどんどん結婚していくし、最近ではさっさと仕事などやめて結婚でもしようかと考えているのだが、かんじんの伊東のほうがいまいち煮えきらない。伊東のほうは農家の長男で、恭子のほうも農家の長女という本人同士には問題がないのだが、家と家の結婚という日本の慣習にどちらともが悩まされている。靖彦にこの話をした時、なぜ個人の主張を大切にしないのかと真剣に怒っていた。靖彦自身、まだ結婚をしていないのだからえらそうなことも言えないだろうにと考えていたが、たしかにそろそろ個人を大切に考えてもいい年齢になろうとしているのは否定できない。今日もこうして伊東と一緒にいるのだし、別に家になど頼らなくても、自分で生きていける自信もあった。3年前、伊東からプロポーズをされたことがあったのだが、その頃は結婚するにはふんぎりがつかず、結局今までずるずると引きずってきた。伊東がそのことをどう思っているのか知りたかったが、結婚についてどう思っているのかなどと自分から聞くのもくやしいし、今もつきあっているのだから、また言ってくるだろうと思っていた。
「ねぇ、今日は泊っていくの?」
「そうだな、明日は休みだし泊っていくかな」
そんな日頃ありふれた会話をしながら、どうしても話は小夜子のことになってしまう。
恭子には、思いあたることがあった。小夜子が死んだ二日まえ、小夜子から電話があった。内容はとりとめのないものだったのだが、今考えるとそのことが非常に重要だと思えてくる。電話で小夜子は靖彦に電話をしたと言っていた。そして、靖彦と別れるつもりもなかった、五年前のあのことがなければ今でも靖彦とつきあっていただろう、でも今は岡崎という主人がいて、とてもそんなことを考えている暇はないと言っていた。その時の小夜子の口調はどこか寂しそうで暗い雰囲気だった。恭子にはそのことが気になってしかたがない。どうしてあのときあんなことを言ったのだろうかという思いが頭から離れない。岡崎の家に行った時、思わず靖彦にひどいことを言ってしまったが、冷静に考えると靖彦が小夜子を殺すことなどできないし、靖彦は小夜子を殺した犯人を必死になって捜しだそうとしていた。それにくらべ、岡崎の方は何もなかったような顔をして疲れたと言ってさっさと寝てしまうありさまだった。そのことが恭子に何かがあったのだという疑惑として、形を作らせていった。
伊東にそのことを言うべきかどうか悩んだが、結局何も言えないまま、今日まで来てしまった。
「小夜子が死んだ二日前にね、小夜子から電話があったの」
恭子が何気なく言うと、伊東の顔が一瞬変わったように思えた。しかし、次の瞬間にはいつも通りのやさしい顔になっていた。
(えっ、なに・・・)
そう思ったが、伊東が話しかけてきて、そのことについて何も疑問を感じなかった。
「電話って、どういう?」
「なんでもない話なんだけどね、岩下君と話をしたとか、宗教にもう一度来ないかとかって言う・・・」
「そうか、そんなことがあったのか。聞いてなかったぞ、そんなことがあったなんて。それで、他には何か話したのかい」
「どうしてそんなに気になるの。ほんとにたいした話しなんてしていないのよ。どうでもいいようなことばかりだったわ」
伊東が話の内容をこんなに聞きたがるとは思っていなかったので、驚いてしまった。恭子は不思議に思って聞いてみた。
「どうしてそんなことが気になるの。おかしいよ」
伊東は少し困ったような顔をして、
「靖彦の影響かな。自分まで探偵みたいな気になってきてさ」
そう言って笑った。恭子も伊東の笑いにつられ、思わず笑ってしまったが、あの顔はなんだろう。何かを隠しているような感じがした。長年つきあってきただけに、伊東のああいう顔に何かがあることは確かだと分かるのだが、それが何なのかまではさすがに分からない。
恭子は気になりながらも、伊東の意見を聞き入れることにした。小説じゃあるまいし、靖彦も探偵みたいなことをして、変な人だという思いで笑えてきた。小夜子が死んでから、やっと笑うことができるようになった。
「私、もう一度湯来町へ行ってみるわ」
「えっ、どうしてだい。おまえが行ってもしようがないだろう」
「だってこのままじゃ納得いかないもの。それに小夜子だってこのままじゃかわいそうだわ。ねっ、もう一度行ってみましょうよ。それに岩下君に謝りたいの、あの時ひどいことを言ってしまったから」
恭子は、伊東に何と言われようと湯来町へはもう一度行かなければならないと決めていた。それに伊東に言ったように、どうしても靖彦に謝っておきたいと思った。
しかし、伊東はどうしても片づけたい仕事があって休むわけにはいかないし、湯来町には当分行くつもりはないと言って断り続けた。恭子の方も、もう湯来町に行くことに決めていたので、別に一人ででも行くつもりではいたが、伊東がここまで頑固に断るとは思っていなかっただけに、腹が立ってきた。
「もういいわよ。私一人で行ってくるから」
「そう怒るなよ。もう少し日にちを延ばしてくれれば一緒にいけるじゃないか。」
伊東はそう言ったが、二人の休みが重なるのを待っていたら、湯来町に行くのがいつになるかわからない。
そのことでその日は二人が想像していた夜とはまったく違ったものになってしまった。
そして次の日、そんな状態のまま伊東が帰ってしまった。
(どうしてこうなっちゃったんだろう。たまにしか会えないんだから優しくしようと思うのに、結局口喧嘩になって、こういう別れになってしまうのよねぇ)
恭子は伊東が帰った後、いつも自分の悪いところを反省して、この次はうまくやろう、もっと優しくなろうと考えるのだが、なかなか思いどおりにはならない。しかし、伊東の方ももっと考えてくれればいいのにという思いもないではなかった。湯来町に行くことはもう決めているのだし、何とかして一緒に行くとか、行けないのなら行けないで、もう少しきちんと謝ってもいいのではないかとも思う。
伊東がいないとなると少し心細いが、女の意地だ、負けるもんかと自分を叱咤して、湯来町に一人で行くことを決め、湯来町に向かった。
いつも大抵のことは聞いてくれる伊東がどうしても行きたくないと言って来てくれようとしなかった。喧嘩というほどではないが気まずい別れかたをして少し気になっていた。
(なんなのよ。いつもは何でも聞いてくれるくせに、なんで小夜子の所に行くのがいやなのかしら?)
考えれば考えるほど伊東の行動が納得いかない。しかし、恭子がどんなに考えてみても伊東の真意はわかるはずもない。
(まあいいわ。そのうち彼の方から謝ってくるでしょう)
と軽く考え、伊東のことは考えないことにした。今はそれよりも小夜子の死んだ原因が知りたかった。岡崎や神岡から聞いた状況から自殺だとは考えられないし、新聞にも慈恵院の死体が発見されたという記事が載っていた。恭子の知っているかぎりでは、慈恵院と小夜子の関係はとても他人とは思えないほど良かった。まるで親子のようだとさえ思えた程だった。それがなぜ殺人ということになったのかが知りたかった。その思いと、岡崎の小夜子に対する態度に一言いってやろうということもあった。小夜子が死んだ時、恭子自身も混乱していたが冷静に考えてみると、岡崎は小夜子が死んで確かにショックは受けていた様子だったがとても自分の妻が死んだ、それも誰かに殺されたんだという人間には見えなかった。そこが岡崎の人間的な強さだと言ってしまえばそれまでだが・・・。
広島市内から国道433号を通って湯来町に向かう途中の道は、国道になってまだ日が浅いせいか道幅の広い所と狭い所が非常に極端で、整備され美しい所もあれば狭くて車での離合がやっとという所もある。だいたいが川にそって作られた道路が多いので狭いのも当然といえば当然なのだが、免許を取ったばかりの恭子には少し苦労する道だった。
少し広い道路にでて一息ついた時、突然前方からやってくるトラックが突っ込んできた。
(えっ、なに、なんなのよ)
必死になってブレーキを踏み、ハンドルをきった。かろうじてトラックは恭子の横を通り過ぎた。何がどうなったのかしばらく分からなかった。トラックの運転手が居眠りでもしていたのだろうか、とも考えたがその後、普通に通り過ぎたことを考えると居眠りとはとても考えられない。そう考えた途端、全身が凍るような寒気を覚えた。
(私も狙われてる? なぜ、どうしてよ)
その思いが普通は恐怖に変わるところである。しかし、今の恭子は伊東とのこともあってどうしても引っ込みがつかない。恭子は(こうなったら死ぬ気でやってやるわよ、鬼でも悪魔でもかかってらっしゃい)、と考えた。しかしなぜ命を狙われなければならないのだろう。恭子には全く思いあたることはなかった。こんなことがあったと伊東に電話をしようかとも考えたが、伊東に電話をすればすぐにでも家に帰るように言われるに違いないと思った。湯来町まで行けば靖彦がいるはずだし、靖彦に相談をすれば何か教えてくれるかもしれないと考え、急いで湯来町に向かった。
2
島根県はいろいろな町のいたる所に古代の神々の伝説が今なお生きている。その中でも特に有名なのが須佐之男命(すさのおのみこと)と八岐大蛇(やまたのおろち)の凄じい戦いが繰り広げられる伝説である。簡単に説明すると、八岐大蛇が八人のお姫様を次々に襲い七人を餌食にし、最後のクシナダ姫を食べようとした時、高天原を追われた須佐之男命が出雲の国(島根県)に通りかかってその話を聞き、八岐大蛇と戦いみごと勝利してクシナダ姫と結婚をする、という話である。縁結びといえば出雲大社が有名だが、実際に須佐之男とクシナダが結ばれたのは、 神社という神社で、地元の人やその道に詳しい人は 神社にいくのだそうである。
靖彦は広島県から高速に乗り、最近できた広島浜田道路を通って島根県浜田市へやってきた。浜田市は海浜公園が有名で夏場になると近県からたくさんの人が集まって、海水浴やキャンプを楽しむ。さすがにこの時期にキャンプをする人は見当たらないが、海岸でたわむれているカップルが二、三組見える。島根県へやってきてきたのは初めてではなかったが、3年前に来た時もこの海浜公園までだった。伊東の声かけで影山と斎藤、それに靖彦と岡崎、そして小夜子、その他二,三人のメンバーだった。あのときは靖彦とその他のメンバーが遅れてしまい、どこにテントを張っているのかわからなかったために、夜の海浜公園を一時間も捜し回った。いたる所にテントが張ってあり、伊東たちがどこにいるのかまったくわからないまま捜していたため、手間取ってしまった。それでもなんとか見つけ出し、一日目は随分と遅くなったため、何もできなかった。それでも二日目以降は海水浴、バーベキューと思いもよらない、非常に楽しい休日になった。
そのとき、小夜子と岡崎が結婚を前提につきあっていることを直接本人から聞いた。その時は本当にショックを受けた。自分と別れたことはしかたがないとあきらめてはいたが、まさか岡崎と結婚を考えているなどとは、夢にも思わなかった。岡崎とつきあっていることは知っていたが、それ以上の関係になっていたのである。靖彦は岡崎を人間的には好きだったし、尊敬もできる人物だと思っていた。岡崎の方も靖彦のことをそう感じていたらしい。しかしただひとつ、どうしても両者の間に信頼関係が生まれなかったのは、両者の宗教感の違いだった。一方は神仏の存在を主張し、もう一方は全く神仏というものを信じていなかった。この一点、このことさえ両者の間で争われなければ親友という友情の形になっていたかもしれない。靖彦自身岡崎とは何か身近な関係というか、自分に近い存在であることを感じていた。それだけに、靖彦と岡崎は何か遠慮しあい、どちらとも相手の考えていることは分かったのだが、それを口に出して言うことはなかった。
この計画が出来上がって伊東に誘われた時、靖彦は断ったのだがどうしてもついてきてほしいと伊東に頼まれたために参加した。その時のことが淡い記憶となって、靖彦の頭に紡ぎだされる。あの時伊東はどうしても一緒にいってほしいと頼んだが、本当は小夜子と岡崎の関係を靖彦に知らせるために仕組んだものだったのではないかと思っている。そのことが分からないような靖彦ではなかったが、あの時一緒に行っていなかったら、その後の小夜子との関係がきまずい物になっていたかもしれない。しばらくは伊東に腹を立てていたが、時が経つにつれ伊東の深い考えに感心したものである。靖彦自身、何かにつけ伊東に頼み事をしていたし、小夜子も伊東を信頼していた。あのまま小夜子との関係が気まずいままだったら、この事件を調べる気にはならなかったかもしれない。そんなことを考えながら、海浜公園を後にした。海浜公園から江津まで、車で三時間はかかった。最近は随分と改善されてはいるらしいがまだまだ不便きわまりない。しかし、生い茂る緑の中に忽然と現われる神社や遺跡などの多さに驚かされてしまう。こういう所もわるくないな、靖彦は道路の不便さも気にならなくなってきた。どうせ締切があるわけでもないのだ、ゆっくり犯人を追い詰めよう、そう考えると幾分楽になった。それにせっかく島根までやってきたのだから、伊東の家にもよって行こうと思っていた。連絡をしていなかったがいなければいないでしょうがない。影山と伊東はどうなるのだろう、このままうまく続いていけばいいが・・・。靖彦は自分のことは何も考えないで人のことばかり気にしてしまう。自分のことを少しは考えなさいと母にもよく言われるが、母親でなくても心配になってしまうほど自分のことはあまり考えていないようである。
事件に関係しているかもしれない松尾という人物はいったいどういう人なのだろう。慈恵院の幼い頃を知る唯一の人物で、戦争中は広島県にいた、そして慈恵院と新田氏をつなぐ人物、そんなことを考えながらゆっくりとカーブを曲がり、伊東の家を目指した。伊東の家に行ったことはなかったが、宍道湖の近くということと、近頃できたという島根ドーム、島根ワイナリーの近くだということを聞いていたので、宍道湖のすぐそばのバスターミナルで電話をかけた。
十回、二十回とコールしても誰も出てこなかった。伊東の家は農家をしていて誰もいないはずはないのだが、そう思いかけた時ふと気がついた。
(そうか、伊東の家は農家だったか。この時期は田植えの時期だから誰も電話にでなくてあたりまえか。そうなるともう少し遅くならないとつながらないかもしれないなぁ)
しかしコードレスホンを使えば外にいても電話にでることができるのだが、そこまで伊東の祖父母に求めるのは無理かなぁ、と思いながら伊東がいないということははっきりとわかった。まだ午後三時をまわったばかりである。先に松尾氏に会いに行こうかとも考えたが、住所も近いし伊東が知っている人なら伊東を通じてアポイントをとることができるだろうと考え、伊東を待つことにした。たぶん仕事が終わって帰ってくるのは午後六時をすぎるだろうから、それまでに一度連絡をして、家で待ってもらうことにした。それまでの間今来た道を引き返し、島根ワイナリーにでも行って時間をつぶしておこうと、太陽の照りつける海のように広大な宍道湖を後にした。
島根ワイナリーは島根ドーム・出雲大社と並ぶ島根県の観光名所である。単にワインの醸造工場という物ではなく、ワイナリー全体が別世界のような雰囲気をかもし出している。民家がまばらに建ち並ぶ一車線の道を進んで行くと突然全体がオレンジ色の建物が現われる。ワイナリーの中には、レストランや売店等気のきいた設備になっていて驚かされてしまう。島根ワイナリーに来たことがなかった靖彦はどうして今まで来なかったのかと、後悔をしたくらいだった。そこでしばらく時間をつぶし、再び伊東の家に電話をかけてみた。案の定伊東は帰宅していた。
「どうしたんだ、こんな時間に」
「今、島根に来ているんだ。ちょっと会って話したいんだけど、今からいいかな。」
「靖彦、おまえ湯来町にいたんじゃなかったのか・・・」
「いろいろとあってね、慈恵院の事件を調べて見たらどうやら島根県で何かがつながりそうなんだ。まあ、詳しいことは会ってから話すよ」
「そうか、わかった。それで今、どこにいるんだ」
靖彦が島根ワイナリーにいることを話すと伊東は少し用事があるとかで、一時間後に来てくれる約束をした。
それにしても、湯来町にいるはずの靖彦が島根県に来ていたところでそれほど驚くことでもないだろうに、伊東は驚いていた、というより困惑していた様子だった。短い電話ではっきりとはわからなかったが、そう感じられた。そんなことを考えながらワイナリーへと戻っていった。
3
湯来町についた恭子は、靖彦が泊っている旅館に向かった。一刻も早く靖彦についさっき起こったことを話したかった。しかし、旅館に行ってみると靖彦はすでにチェックアウトしていた。旅館で靖彦の居場所を訪ねると、家に帰ったということだった。まったく頼りにならない人だと思いながら、部屋をチエックインをして、靖彦の家に電話をかけてみた。
「はい、岩下でございますが」
突然上品そうな声が聞こえてきた。靖彦が一人暮らしだと勝手に決めつけて、電話にでるのは靖彦しかいないと思い、すぐに怒鳴ってやろうと身構えていただけにこの声には驚いてしまった。
(どういう家なんだろう? 家政婦でも雇っているのかしら)
そんなことを考えながら、聞いてみた。
「あのぉ、岩下さんのお宅でしょうか?」
「はい、さようでございますが、どちら様でしょうか」
「はい、影山と申しますが、靖彦さんはいらっしゃいますか?」
「まあ、靖彦は島根県に行くとか申しまして出ていったままで、何の連絡もございませんのよ、ほんとにどこでどうしているのか、全くわからないんですよ」
靖彦は家にはいないということだった。かんじんなときにいつも靖彦はどこかに消えてしまっている。普段はぜんぜん頼りになりそうもないのにめずらしく頼りたい時にはどこに行ったのかがわからないなんてなんて人なんだろうと思っていると、
「失礼ですが、息子とはどういう関係でいらっしゃいますか」
と、思わぬ攻撃をうけてしまった。どういう関係と言われても別にたいした関係ではない、学生時代の同級生だと伝えると靖彦の母はがっかりしたように受話器を置いてしまった。あとに残された恭子は、つのる不満をどこにぶつけることもできず、フラストレーションのかたまりになっていた。とにかく誰かに話しを聞いてもらいたい、その思いは強まっていくのだが伊東に話すのはしゃくにさわるし、靖彦はいない、となると残るは岡崎の所しかないという結論にいたった。
岡崎の家について呼び鈴を鳴らすと神岡が出てきた。一瞬神岡の表情が何とも言えない顔に変わったような気がした。
(えっ、なに)
伊東と話しをした時も、伊東の顔が今の神岡のような顔をしたことを思い出した。
(何だか最近こういう顔をよくみるわねぇ)
などと思いながら、
「ちょっといいかしら」
と言って岡崎の家に入った。
岡崎の家には、神岡しかいなかった。岡崎は今日も本殿に行っているということだった。神岡の方ももう少ししたら本殿に行くと言うことだった。恭子はとにかく今日起こった出来事を誰かに話したいと思っていたので、神岡に話した。しかし、神岡の反応は冷たかった。
「ふうん、大変だったねぇ。そのトラックの運転手は居眠りでもしていたんだろう。危なかったね」
いままで自分が狙われていると思っていた恭子は力が抜けてしまった。やはり普通の人はそう考えるのだ。自分が狙われているなんてやっぱりばかげてる。そう思ってしまった。小夜子が殺されてから、どうも精神のバランスがおかしくなっているようで、つまらないことをいつまでも気にしたり、怒らなくてもいいことまで怒ったり、つまらない意地を張ったりと、自分自身でもわかっているのだが当分なおりそうにもない。
「そうよね、やっぱり。ほんとに危なかったんだから」
そういってすませたが、靖彦だったらどう言っただろうかと考えずにはいられなかった。 「慈恵院様が死んでから、一点回帰教はどうなったの」
恭子が聞くと、神岡はしばらく黙っていたが、
「そのことなんだが、あまり人には言わないでほしいんだけど、もうすぐ幹部会が開かれて新しい教祖を擁立することになったらしいんだ。俺としては慈恵院様の力と同等の力なんて小夜子くらいしかいないと思っていたんだけど、どこからか連れてくるらしい。」
「へぇー、でもそんなに簡単に新しい人が見つかるのかしら、慈恵院様はほんとにすごかったもの」
「そうだろ、そう思うよな。まあ、俺はついていくけどな」
神岡はそういったが、やはり慈恵院あっての一点回帰教だったという思いがしているらしい。それは神岡にかぎらず、信者の大半はそういう思いだろうと思った。
岡崎はどう考えているのだろう、小夜子が教祖になるはずだったのに、新しい教祖です、はいそうですかと認めることができるのだろうか。そう考えていると、ちょうど岡崎が帰ってきた。
「よう、どうしたんだ。恭子が一人で来るなんてめずらしいじゃないか」
「私だって一人で行動することだってあるわよ、失礼ね、いつもいつも伊東君と一緒じゃないんですよ」
「ははは、まあそうとんがるなよ。で、今日はどうしたんだ」
岡崎はすっかり精神的に立ち直っているようだった。恭子はまだ精神的に立ち直っていないのに、やはり男の人は強いのだろうか、それとも岡崎だから立ち直ることができたのか、伊東も自分が死んだらこんなふうにすぐ立ち直るのだろうか。
「小夜子にね、挨拶にきたのよ。岡崎君もいろいろたいへんね。なにか力になれることがあったらいつでも言ってね。協力するから」
「ありがとう。まあ、ゆっくりしていってくれ」
岡崎は軽く言って二階に上がって行った。
「なんだか疲れているみたいね、岡崎君」
恭子は神岡に言った。
「最近ずっとあの調子なんだ。まあ、ごたごたしているからね。しょうがないんだろうけど」
神岡はそういって本殿に出かけてしまった。恭子も一人でいるわけにもいかず、旅館に帰ることにした。
4
伊東とであった靖彦は、慈恵院と新田氏、そして松尾氏という人物の話しをした。そしてすぐにでも松尾という人と会いたいということを伊東に伝え、伊東に松尾氏のことを聞いてみた。
「いやぁ、松尾何ていう人は知らないなあ。この辺りに住んでいるのかい。俺がいってもしようがないと思うが、まあ行くだけはいってやるが・・・」
「たのむよ、伊東しかいないんだ。僕が行っても会ってもらえないんじゃないかと思うんだ。地元の人が一緒なら、何か理由をつけてでも話ができるんじゃないかと思ってるんだ」
「どういう理由をつけるんだよ、そんな穴だらけの計画が通用するかね」
「理由は僕が考えるからさ。とりあえず松尾氏に会いたいんだ」
「わかった。しかし、会う前に松尾という人物について調べておいたほうがいいんじゃないか。じいちゃんやばあちゃんなら知っているかもしれんし、一度俺の家へ戻ってからにしよう」
伊東がそう言ったので靖彦も従うことにした。確かに、松尾という人物について、少しでも情報があったほうがいい。靖彦と伊東はそれぞれの車に乗り込み、伊東の家をめざした。
伊東の家は、伊東と両親、弟、それに祖父母という六人家族で父親は地元で小さな工場を経営し、祖父母と母親は農業をしている。弟は地元の会社で働いているということだった。伊東の家に入ったのは初めてだったが、田舎のよい意味での古びた感じがとてもよかった。
伊東家で松尾氏のことを聞いてみたが誰も知らないということだった。靖彦としては田舎の事だし伊東の家族の誰かが知っているだろうと軽く考え、そこから松尾氏に近付くきっかけがあるだろうと考えていたのだが、なかなかうまくいかないものである。何にしても松尾氏には会わなければならないと考えていると、伊東に電話がかかった。伊東が部屋から出ていって靖彦は一人残された。ちょうどいい機会なので今まで起こったことをまとめてみることにした。まず小夜子の死については、何の疑いもなく他殺である。誰がどういう理由で殺したかはまだ何も分かっていない。その闇の中に包まれている部分が見えてくればこの事件全体が解明されると靖彦は思っている。そして慈恵院の死、これは自殺と他殺のどちらとも考えられる。現に警察は自殺として処理してしまっている。しかし靖彦はどうしても納得がいかなかった。慈恵院が小夜子を殺し、その罪の意識から自殺をしたとはどうしても考えられない。肝心のなぜ小夜子を殺したのかがまるで説明がつかない。誰かがこの二人を殺した、もしくは殺さざるをえなかったのである。二人に共通するものでまず頭に浮んでくるのは一点回帰教である。この宗教がなければ二人は出合わなかっただろうし、こんな事件も起きなかっただろう。この他にはともに女性であるということくらいで靖彦が考えるかぎり、他の共通点は思い浮かばない。
(やっぱり宗教かなぁ。そういえばあのときの電話で小夜子が・・・)
何かが見えかかった時、突然伊東が部屋に入ってきた。
「恭子からだ。おまえに話しがあるんだそうだ」
そう言って靖彦に受話器をわたした。
「もしもし、靖彦だけどどうかしたの」
「どうかしたのかですって、大変だったんだから。トラックには引かれそうになるし、電話じゃお上品なおばさんが出てくるし・・・」
「ちょっとまってよ、どういうことかぜんぜん分からないよ、ゆっくり落ち着いて順序立てて話てよ、落ち着いて」
「落ち着いてなんかいられないわよ、小夜子の事で何か分からないかと思って湯来町に来てみれば靖彦君はいなくなってるし、どこ行ってたのよ、ほんとにもう」
「僕の方もいろいろ調べることがあってね、ところでさっきトラックがどうとかって言ってたけどどういうこと、そのあとのお上品なおばさんて言うのは誰の事か言わなくても分かるんだけど」
「そうなのよ、湯来町に来る途中にね、トラックが襲いかかってきたのよ。上岡君はトラックの運転手が居眠りでもしてたんだろうって言うんだけど、ものすごく怖くて不安でどうしようもなくなってそこに電話したのよ」
「襲われたって・・・、そうだそのトラックのナンバーを憶えている? それからどこの会社のトラックかも・・・、とにかく憶えていることがあったら何でもいいから言ってみて」
「やっぱり狙われているのかしら・・・、どうしよう靖彦君」
いまにも泣き出しそうな声で恭子は喋っている。不安でしょうがないという声だった。
「今は何とも言えないけど、たぶんそうだと思う。なるべくそこから動かないようにして・・・、あっ そうか!」
「何、どうしたの」
「ああ、いや、何でもないんだ、ところでナンバーはどう、憶えている?」
靖彦の中に閃きがあった。それが形作られていくまでにもう少し時間と資料が必要だが、何かが見えてきた。靖彦の推理はまず閃きがあってそれを物質面と時空間、そして精神面で考え、理論を作っていくのである。これが正しいとか間違っているとかはこの際問題外で、自分の信じた道を進んでいく。いままでそうやって一度も失敗がなかった。これから先、失敗をするかもしれないが、その時にまた考えればすむことだと考えている。
「怖くてそれどころじゃなかったわ、トラックの色が茶色で荷物を積んでいなかったこと、そういえばトラックの後に広島 256って大きく書いてあったわ」
「それだけ分かれば十分だよ、今からそっちに行くから、岡崎の家だよね、そこから絶対に動かないで、いいね、誰に誘われてもだよ」
恭子との電話の後、靖彦はすぐに湯来町へ向かうことにした。松尾氏にどうしても会わなければならないのだが、それよりも恭子が狙われているかもしれないという事実から、恭子の方を優先させるべきだと考えた。
「どうして一緒に行かなかったんだ、恭子がどうして一人で行ったんだい」
靖彦は納得がいかなかった。伊東と恭子はいつも二人で行動をしていたように思ったからだ。
「俺は行くなと言ったんだ、仕事の都合で俺が行けなかったからね。だから今度の休みに一緒に行くつもりだったんだが。しかし、本当に狙われたんだろうか?」
「たぶんね、恭子が湯来町に行くことは誰がしっていたんだい?」
「俺と岡崎くらいだと思うけど、まさか岡崎が恭子を・・・」
「そう思いたくないんだけど、どうやら今回はそう考えるしかなさそうなんだ。まだ時期じゃないから話さないけど・・・、だいたい見えてきたよ、今回の事件が。後もう少しなんだ、何かが足りないんだ、何かが・・・」
後半部分は伊東にも聞き取れないほどの小さな声だった。
「これから湯来町に行くけど、どうする?」
靖彦は伊東に聞いた。
「俺は行かんぞ、だいいち本当に狙われているかどうか分からないじゃないか」
伊東はそう言って下を向いてしまった。靖彦は、恭子と伊東のバランスのとれていた関係が微妙に崩れはじめているのを感じたが、何も言わなかった。
靖彦は伊東の家族に礼を言い、伊東家を後にした。伊東の家をでてすぐ、廿日市署の藤井に電話をし、恭子を襲ったトラックの会社と運転手を調べさせるように手配をした。極秘に、誰にも気づかれずにという靖彦の注文に驚いたようだったが、なんとか承知してくれた。伊東の家から電話をしようかとも考えたが、靖彦が警察と共に行動をしていると知られたくなかったし、靖彦の考えていることを、今は誰にも知られたくなかった。
それにしても、ワイナリーから伊東に電話をかけた時の対応が妙に気にかかる。どうして島根に来てはいけなかったんだろう、そんなことをなにげなく考えながら、靖彦は湯来町に向かった。