第5章 接点


 湯来町に向かう車の中で靖彦はこの事件をもう一度整理してみることにした。

 @小夜子の死の理由
 A慈恵院の死の理由もしくは自殺の動機
 B新田氏と慈恵院(松尾氏)とのつながり
 C岡崎と新田氏、松尾氏の三人の関係
 Dなぜ恭子が狙われたのか

 この一つ一つを整理していくことで事件の核心部分が見えてくるのではないかと考えた。まず、@については他殺に間違いなく、必ず犯人と動機があるはずである。今の所誰が何のために小夜子を殺したのか皆目見当もつかない、というのが本当のところである。Aについては、自殺他殺どちらともとれるが靖彦は他殺とみている。斎藤たちの話しでは、慈恵院は小夜子を後継者と決め、正当な後継者になるための教育もしていたということだった。その慈恵院が小夜子を殺して自分も死のうなどと考えるかどうか疑問である。小夜子が慈恵院の弱味を握りそれをネタに慈恵院をゆすっていたとすれば考えられないことではないが、小夜子がそんなことをする人間だなどと考えたくなかったし、小夜子のことをよく知っている靖彦には彼女がそんなことをする人間ではないことはわかっていた。慈恵院が小夜子を殺したと仮定して考えていくと警察と同じ結論になる。そうなるとそのあとの恭子が狙われたことにつながってこない。もちろん、警察は恭子が襲われたことは知らない、藤井には知らせてあるが、本当に恭子が狙われていると確認できてからでなければ動けないだろう。Bについては、恭子との電話で気が付いたことだが、恭子を狙ったトラックが地元の有力者である新田氏の関係会社のものなら責任の追及から一気に事件との関わりを攻めることができるのではないかと考えた。単純に足がつくようなことはしないだろうが、どこかに糸口があるはずである。そして、靖彦が見つけた本の中にも新田氏、松尾氏の両名の名前があり、一点回帰教の幹部にもなっている新田氏と確認はできなかったが慈恵院とつながりがある松尾氏の関係も探っていかなければならないだろう。Cについては、Bとともに考えなければならないが、その中になぜ岡崎の名前が入ったのか、岡崎がどのような役割を果たしているのかなどまだまだわからないことがありすぎる。Dは、なぜ恭子が狙われたのかということである。どう考えても恭子が狙われる理由が思い浮かばない。恭子と話せば少しは何かが見えてくるかもしれない。恭子が何を知っているというのだろうか。まず考えられることは学生時代に小夜子と仲が良く、その関係が今も続いているとすれば小夜子から何かを聞いているのかもしれない。
 そのとき、靖彦にある考えが浮んだ。もし犯人(複数かもしれないが)が、今の靖彦と同じことを考えたとすると、恭子が何も知らなくても恭子を襲ったかもしれない。しかし、その仮説にも、小夜子と恭子が学生時代に仲が良かったことを知っていなければならないという絶対条件がついている。この仮説を成り立たせるとなるとやはり岡崎が仕組んだことかという考えになってしまう。靖彦はその考えを捨てたかった。自分の同級生、そして自分とつきあっていた彼女が選んだ男性である岡崎が事件に関係して、なおかつその中心であるなどとは思いたくなかった。しかし、小夜子の死より慈恵院の死を哀しみ、慈恵院の死体を本殿にかくまったりと、靖彦にいい印象を与えたものは何もなかった。自分自身の精神的なものが岡崎を排除したいと考えているのではないかとも思ったが、冷静に、客観的にみて岡崎は黒に近かった。まだそのことを誰にも言えはしないが・・・
 島根県から湯来町へは国道433号線を使った。高速道路を使おうかとも考えたが江津からでは広島−浜田道路へ出るだけで2時間ばかりかかってしまう。それを考えると国道を使っても大差はないと考えた。湯来町まで3時間というところだろうか。できるだけ早く恭子の所に行きたかった。もし岡崎が黒だとしたら、靖彦が恭子に言ったことは間違いだったかもしれない。犯人かもしれない人物の家にいるのである。そのことを恭子に伝えておいてもよかったのではないかと後悔した。


 湯来町の旅館で恭子は一人靖彦が来るのを待っていた。部屋に入って少し落ち着いた所でもう一度冷静に考えてみようとした。なぜ自分が襲われなければならないのか、いままで誰も信じてくれなかったし、自分でも半信半疑だったできごとが靖彦の言葉によって形作られていった。靖彦には信じてもいい何かがあるように思えた。トラックが自分を襲ってきたと考えるということはその人物は恭子に湯来町に来てほしくなかったということになる。

(なぜだろう)

 そのことまではわかるのだがどうしても思考がそこから先に進まない。考えれば考えるほどわからなくなってくる。
 靖彦が来てくれれば何とかなる、そう考えて気分を落ち着かせ、長い時の流れをじっと過ごしていた。


 一方、刑事である藤井は警察という組織の中にあってはそう簡単に単独行動が取れるわけではなく、靖彦との連絡も取りづらくなっていた。靖彦が言っていたトラックの会社の割出しも上司の目を盗んで密かに行っているのだから無理もないが、心理的に自分も組織の一員なのだということが重くのしかかり、作業の時間をも鈍らせている。いくら学生時代に世話になったとはいえ、現在の自分の状況を考えるといずれ靖彦とも別れなければならない、いつまでも素人の靖彦と行動を共にするわけにはいかない。もともと自分自身が靖彦を釣るようなことをしておいてそうかんがえる自分が情けなく思えてくる。こういうことも心理的に作業を鈍らせているのかもしれない。
 そんなとき、靖彦からの電話があった。
「いま湯来町に向かっているんですが、例の会社、分かりましたか」
「それがまだなんだ。申し訳ない。警察ではただの居眠り運転としてあつかったんだ。実際に事故が起きたわけじゃないから、これ以上ははかどらないだろう」
「ばかな、まさか藤井さん、それを信じているんじゃないでしょうね。僕は、影山を襲ったことからこの事件は謎が解けると思っているのですが・・・」
「その気持ちも分からなくはないが、これ以上は無理だ。あきらめてくれ」
 この時、完全に二人の会話は平行線を辿っている。しばらく話したがこの溝は埋りそうもない。
「今から湯来町に来て頂けませんか」
 靖彦は突然そう言った。
「無理だ。他の事件で手がまわりそうもない。すまんな」
藤井も靖彦に頼んでおいて申し訳なく思いながらもそう答えた。そう答えることが精一杯だった。
「このままでは次の事件が起こってしまいます。早くしなければいけないんです。もう間に合わないかもしれませんが、なんとかなりませんか、藤井さん」
靖彦が言っていることが、妙に腹立たしく聞こえた。ふいにもう終わったんだ、という意識が芽生えた。
「しかし、もう片付いたんだ。これ以上動きようがないんだ。すまん」
藤井はこれ以上単独で続けることは不可能だった。靖彦にもその気持ちが伝わったのか、
「分かりました。僕は僕の考えで動いてみます」
 そういって靖彦は電話を切った。決定的な決別の時だった。藤井は後味の悪さを憶えたが、それを拭いさり、今抱えている仕事に打ち込もうとした。しかし、考えれば考えるほど、組織の中の一員でいることに嫌気がさしてくる。なにかにつけ、そのことが頭の中をかけめぐり、仕事も手につかないほどになった。何度思い返してみても、靖彦との決別が悔やまれてしかたがなかった。
 そして、その後悔が形となって現われてしまった。靖彦の電話の後、三十分もしないうちに、岡崎の自殺という形で。その話を聞いた時、藤井はショックで倒れてしまいそうだった。そして靖彦の顔がチラチラと浮んできた。靖彦には分かっていたのだ、こうなることが。そしてそれを防げるのは唯一自分だったかもしれないと考えるといても立ってもいられなくなった。そしてこれから湯来町に向い靖彦にどんな顔で会えばいいのか分からなかった。ともかく、今回の事件に関連してこれで三人の人間が死んでしまった。岡崎が自殺であろうと他殺であろうと、である。靖彦の言うように他殺であった場合、犯人は絶対に自分でつかまえて見せる。そう考える藤井だった。

 藤井が聞いた岡崎の自殺の状況はおおよそ次の通りである。本殿の掃除に来ていた近くにすむ老人三人が本殿に入ろうとした時、本殿の裏口近くの木に何かがぶら下がっているのが見え、不思議に思って近付いてみると幹部である岡崎が首を吊って死んでいるのが見えた、その老人は幹部がこんな所で吊り下がっていては反対派に何を言われるか分からないと考えすぐに死体を下ろし本殿に運び、黙っているわけにもいかず警察に電話をしてきた。というものだった。

(まさか、そんな・・・)

 靖彦の言ったとおりになった。何という事だろう、靖彦が電話をしてきた時すぐに湯来町に向っていれば、状況もずいぶん変わっていたにちがいない。悔やんでも悔やみきれない心の傷みが襲ってきた。
 自殺ということだったが、靖彦の言うように他殺なのかもしれない、いやきっとそうに違いない。とにかく現場の状況と捜査を急がなければならない。そして靖彦に謝らなければならない。藤井の頭の中を靖彦の顔がチラチラとさまよっている。早く靖彦に会いたいと思う藤井だった。



 湯来町では岡崎の死を知った信者たちが次々と岡崎の家に集っていた。その人数は百人にもなろうかという勢いでとても家の中に入ることができるような状態ではなかった。さすがに宗教の幹部ともなれば違うものであるが、一方で反対派の人達が「あの宗教には何かの祟りがある」などということまで平気で話しをしている。靖彦が岡崎の家を訪ねた時にこの騒ぎである。何が起こったのか全く知らないのだからしかたがないが、何かがあったことは確かなようだ。
「あのぉ、すいません。何かあったのでしょうか」
おそるおそる近くの人に聞いてみると、その人は無視して行ってしまった。岡崎の家にいる誰に聞いても同じだった。誰もが口を噤み何も喋らずただ岡崎の家を出たり入ったりしているのである。中に恭子がいるのかどうかも確認ができない状態だった。しかたがないので近所の人に聞くと、なんと岡崎が自殺をしたというのである。

(しまった。おそかったか・・・)

 その思いが広がった。小夜子の死に始まったこの事件の糸口がぷっつりと切れたように思った。小夜子が死に、慈恵院が死に、そして恭子が狙われ、岡崎が死んだ。もうたくさんだ。こんなことが何度もおきてたまるか。許さないぞ。絶対に許さない。絶対に犯人を捕まえて見せる。決意を新たにし、すぐに岡崎が死んだという現場に向った。藤井とはああいう別れ方をしたが、すぐまた出合うことになるだろう。藤井が動かないはずがない。今度こそ藤井に手伝ってもらわなければならない。

(なにかあるはずだ。岡崎が死んだという事実がある。きっと岡崎はメッセージを残している。警察が見落とすかもしれない何かのメッセージが・・・)

 岡崎の死という事実が眼前に現われ、事態が一歩進んだことになる。靖彦が思い描いている犯人像がだんだん固まっていった。警察は小夜子を殺したのが慈恵院で、その慈恵院が自殺をし事件が解決したという結論を出している。恭子が襲われたことはそう感じただけで岡崎が死んだことは小夜子と慈恵院が死んだことのショックのための自殺と言うのはできすぎている。新聞・ニュースで見聞きしている人はそう感じるかもしれない。しかし、靖彦にはうまくできすぎているようにしか感じなかった。
 とにかく今は恭子に会わなければならない。恭子が襲われたのが事実であれば犯人は必ず恭子を襲う。恭子は何も思い当ることがないと言っていた、実際そうなのかもしれないが犯人は恭子を恐れている。恭子が何か知っていることに恐怖すら感じているに違いない。 靖彦は岡崎の死体にできるだけ近付いてみようと試みたがやじうまや熱心な信者、そして警察にはばまれ、断念せざるをえなかった。近くにいる巡査に県警から藤井が来ることを聞いて安心した。まだ藤井も諦めていない、その思いが体を熱くさせた。事件のことは藤井に任せておけば後で何とでもなる。警察の科学捜査に素人がかなうはずがない。ひとまず安心して恭子の所へ向かった。



 恭子は部屋でじっと待っていた。その間、神岡から岡崎の死を知らせる電話があった。すぐに本殿に来るように言われたが靖彦が来てからと断っていた。
 伊東と喧嘩をして、意地を張って一人でやってきたことを後悔していた。しかし靖彦と伊東が来れば何とかなる、そう思いじっと待っていた。

(どうして私がこんな所でじっと待ってなきゃいけないの)

という思いがだんだんつのってくる。岡崎も誰かに狙われたのかもしれない。靖彦が言ったことは正しかった。そしてなにより自分がトラックに襲われたという事実があるいじょうどうすることもできなかった。神岡の言ったことが正しければ何でもないことなのかも知れない。何でもないことならここにじっとしていることもない。そう思うのだが、靖彦の言ったことを思うと動けなくなる。いつもなんだか頼りない男が妙に頼りがいがあるように思える。そんなことを考えていると突然ドアをノックする音が聞こえた。
「はい。何方様でしょう」
「僕だ、靖彦だ」
靖彦の声を聞いたとたん恭子は涙が出てきた。すぐにドアを開け靖彦を部屋に入れた。すぐに伊東がいないことに気がついた。
「伊東君はどうしたの?」
伊東が来なかったことがよほど不安なのだろう、とまりかけていた涙がまた溢れてきた。
「伊東は来なかった。どうしてだか分らないけど、何か用があるみたいで。」
「そう・・・、いま家の方が大変だから・・・」
「えっ、何のこと。家が大変って」
靖彦が知らないことがあるようだ。伊東の家に行った時は何もなかったし、伊東自身も何も言わなかった。
「ううん、いいのよ何でもない・・・」
伊東が靖彦に話しをしていなかったことを自分が話してもいいものか悩み、靖彦になら話してもいいかとも思ったが、伊東が靖彦に話していなかった事が不思議だった。
「よかったら話してくれないかな。絶対に口外しないから」
靖彦にしては珍しく強い口調だった。その口調に負け、ぽつぽつと話し始めた。
「じつはね、三ヵ月くらい前かしら、お父さんが事業に失敗しちゃったらしいの。それでね、彼もいろいろ動き回っていたみたいなんだけど・・・」
「そうか・・・、そんなこと何も言わないんだからなぁ。もし僕になにかできることがあったらいってよ」
「何とかなったんじゃないかな。昔の父の知り合いが何とかしてくれるみたいなことを言ってたから・・・」
 その時、靖彦は閃きを感じた。それがなんなのか分らなかったが、今回の事件を解く鍵が見つかったような気がした。
「その昔の知り合いというのはどういう人なのかな」
「たしか松尾とか何とかいってたような気がしたけど、それがどうかしたの?」
「松尾・・・、いや別にどうってことないんだ。ただちょっと知ってる人かと思ってね。どういう関係だっていったっけ」
靖彦は驚いた。まさかここで松尾の名前がでるとは思ってもいなかった。恭子が言った松尾氏が慈恵院と関係があるとすれば、今まで仮定していたことの大部分に説明がつく。

(そうか、そうだったのか)

 靖彦が一人で考え事をしている顔を恭子が不安そうに覗いていることに気がついた。
「恭子には哀しい思いをさせるかもしれないけど、小夜子や岡崎、慈恵院の死について大部分が分かったよ」
靖彦がそういって恭子に話しかけた。恭子の方は全く訳がわからなくなった。いま自分の言ったことが事件を解くことにどう繋がっているのかすらわからなかった。
「どういうことなの、それに私が哀しい思いをするって・・・、伊東君がなにか関係あるの?」
恭子は不安でしかたなかった。

(いまここに伊東君がいてくれれば、何かわかるのかもしれないのに、なぜ・・・。)

そんなことをふと考えた。
「恭子、小夜子とはよく会ってたの?」
思いもかけない靖彦の言葉に驚いてしまった。気持ちの高ぶりを押さえるように静かに答えた。
「ええ、そうちょくちょくじゃないけど、月に一回は必ず会ってたわ」
「そうか、そこで慈恵院については何か話さなかったかな、クラス会のすこし前だと思うんだけど」
「そうねぇ、クラス会の前のときは、クラス会の話しをしてて・・・ そうそう、したわ、慈恵院の話し。私が慈恵院になるのかとか何とかいって、でもクラス会の話しをしてて突然だったんで驚いてちゃかしたんだけど・・・、それくらいかなぁ」
「慈恵院になる、そう言ったんだね。だけどそんな話しを小夜子はよくしてたの?」
「いいえ、一点回帰教にはよく誘われたけど、小夜子も岡崎君につきあってたって思ってたからあのとき驚いちゃったのよ」
そう言って黙り込んでしまった。小夜子との日々を思い出して、また涙がでそうになったのを必死に耐えているようだった。
「僕に電話が掛かってきた時は、私にも神が入ってくるようになったとか言ってたんだ。そんな話し僕が信じるわけないから岡崎とか神岡とかに話せばって言ったんだ、僕もそのときもう少しちゃんと話しを聞いておけば・・・、そうだあのとき岡崎や神岡じゃだめなんだって・・・、どうして岡崎や神岡じゃだめなんだって聞いたんだ・・・。あのときもしかして小夜子は分かったのかもしれない。こうなることが予測できたんだ、自分が誰かに殺されるかもしれないってことが、だから僕に電話をかけてきたんだ」
 靖彦は何とも言えない気持ちになっていた。自分があのときもっとしっかり話しの内容を掴んでいればこんな事にはならなかったのかもしれない、そう思った。どうしてこうなる前に気がつかなかったんだろう、事件はあの時すでに始まっていたんだ。その思いばかりが靖彦の頭を駆け回っていた。
 そのとき、部屋に電話が掛かってきた。恭子がとると、藤井刑事から靖彦に電話だった。靖彦は電話で何か話しているようだったが、恭子の耳には入らなかった。今までおこったことを恭子は考えていた。小夜子が死に、慈恵院が死に、そして岡崎が死に、自分が襲われた。どうしてこんな目にあわなきゃいけないんだろう、小夜子や岡崎、靖彦や伊東と過ごした学生時代の事を思い返していた。みんなで島根の海浜公園にキャンプに行ったり、学校の近くの公園でバトミントンやサッカーをしたりして楽しく過ごしていたのにどうしてこんな事になったんだろう、昔の事を思い出してまた涙が溢れてきた。気がつくと隣に靖彦が優しい目をして座っていた。
「どうしてこんなことになったんだろうね。学生時代は楽しいことばかりだったような気がする、もっともっと楽しい思い出をつくっておけばよかったと思うよ。それから、もう少ししたら伊東がここに来ると思うよ。僕はこの前泊った部屋に居るから、もう少し調べたいこともあるし。それと、どうなるか分からないけど一応話してみるつもりだから・・・」
靖彦はそこまでしか言わなかった。もし伊東が来ても靖彦に知らせなくてもいいと暗に言ってくれていた。選択権は恭子に一任すると言っているのである。頷いて答えたがどうすることが正しいのか恭子にも判断はつかなかった。それに伊東が本当に来るのかどうかも分からなかった。
「本当に来るの?」
恭子は靖彦に聞いた。靖彦は、必ず来るよ。恭子を一人で置いておくはずがないじゃないかといって部屋から出て行った。

 靖彦の言ったとおり、三時間ばかりして伊東が恭子の所にやってきた。
「どうしたんだ、いつもの恭子らしくないな。靖彦は来なかったのか?」
いつもとかわらない伊東だった。恭子はどうしていいか分からなかった。
「ううん、来てくれたわ。学生時代のことを話したの。あの頃は楽しいことばかりだったって、もっともっと楽しい思い出を作っておけばよかったって言ってた」
「そうか、そんなことを言ってたか、そのとおりだな、もっと楽しい思い出を作っておけばよかった」
「どうしてそんなことを言うのよ、今からだって楽しい思い出が作れるじゃない」
「そりゃあまあそうだが、どうしたんだ、いったい。何か変だぞ、お前」
「靖彦君がね、伊東が必ず来るからその時は話しがしたいって、違う部屋で待ってるの、もしかしたら私に哀しい思いをさせるかもしれないって・・・」
「そうか、靖彦が待ってるのか」
「どうして私が哀しむのか全然わかんないのよ、何かあるの、ねぇ」
「靖彦を呼んでくれ」
伊東は哀しそうな顔をして言った。どうして伊東がこんなに哀しそうにするのか、靖彦に何が分かっているのか、恭子には分からなかった。ただなんとなく靖彦が伊東と話しをすることによって決定的な別れが来るような気がしていた。



 靖彦が伊東と恭子の待つ部屋にやってきたのは伊東が電話をしてから十分ばかりしてからだった。靖彦は恭子に自分の部屋を使うように言ったが伊東がどうしても一緒にいてほしいといい、靖彦もそれに同意した。
「俺が何か事件に関係があるって言ったそうだが、どういうことだ」
伊東が口火を切った。伊東は目を閉じ、靖彦が話しかけるのをじっと待っていた。
「僕は宗教が嫌いなんだ。そのことは二人とも知ってるよね。どうしても信じきれない部分があってね。宗教っていったいなんなんだろう」
靖彦が言うと伊東は黙っていた。
「僕はまず小夜子の死について考えていたんだ。本殿の控え室で小夜子が死んでいた。そこからが事件の始まりだって考えていたんだ。でもそうじゃなかった。クラス会の前に僕と恭子の所に小夜子から電話があったんだ。その時すでに事件は始まってたんだ。」
恭子にはなんのことか分からない。伊東にも全く関係なさそうだ。
「それがどうして伊東君と関係あるの。なんで・・・」
恭子が話しているのを、伊東が止めた。
「続けてくれ」
伊東はそう言って、また目を閉じた。
「結論から言うと小夜子を殺したのは慈恵院と岡崎だ。二人が死んだ今となっては確認のしようもないけど」
靖彦がそう言うと一息ついた。
「岡崎君が・・・、じゃあ慈恵院はその後、それを苦にして自殺したの?」
恭子が聞くと、靖彦は首を振った。
「ちがう、慈恵院も殺されたんだ、そして岡崎も。僕が疑問に思ったのはそこだったんだ。小夜子が死んで慈恵院も死んだら一点回帰教は潰れてしまう。僕は最初、慈恵院を殺したのは岡崎じゃないかと思ってたんだ。状況は岡崎に不利なようにしか取れなかったからね。でもある時気付いたんだ。岡崎は熱心な信者だったってね。慈恵院を殺すはずがない、いや殺せるはずがないんだ」
靖彦はそう言ってうつむいた。
「話しを戻そう、小夜子のことだけど、小夜子には分かってしまったんだ、一点回帰教のからくりが。一点回帰教はね、阿片を使ってたんだ。もちろん巧妙にね、香にまぜて来た人がそれを吸うようにしてたんだ。もちろん同一集団であるという一種の気分の高揚状態というのもあるんだろうけど、それを増幅させていたんじゃないかと思う」
そう言って伊東を見つめた。伊東は何も言わず、ただ黙って目を閉じていた。
「そして、そのことを岡崎に告げたんだと思う。岡崎は一点回帰教の幹部だったから当然このことは知っていたんだ。岡崎は小夜子に言われるまで阿片とは知らずにその薬を使っていたんじゃないかな、そうでなければ小夜子を殺したりするはずがないからね」
靖彦の言うことが、恭子には不思議でしかたなかった。
「どうして小夜子は阿片について知ってたんだろう、そんなもの一般には出回っていないじゃない。それにどうして小夜子はそのことを岡崎君に言ったりしたのかしら」
恭子が聞くと靖彦はゆっくりと話し始めた。
「小夜子が死んだ時、恭子は僕のせいだって言ったよね。そのとおりなのかも知れない。僕が歴史に興味があることは知ってるよね。僕と小夜子がつきあっているときに、中国の阿片戦争の話しをしたことがあったんだ。その時僕が知っている阿片についての知識は全部小夜子に話していたんだ。だから・・・」
「そんな・・・、そんなことって・・・、 だけど」
恭子も言葉をなくしていた。
「だから僕に電話をしたんだ。小夜子は僕にそのことを伝えたかったに違いないんだ。どうして気が付かなかったんだろうと後悔したよ。そしてあの時の言葉が恭子が狙われた原因になったんだ。あの時の言葉には阿片について知っている岡崎にとっては脅威だったろうと思うよ。小夜子は僕に聞いたことをまず岡崎に言ったんだ、岡崎は真相を確かめるために慈恵院の所に行った。そして慈恵院に小夜子を殺すように言われたんだ。それだけのことでと思うかもしれないけど、そうとしか考えられないんだ」
「そんなことで、そんなばかなこと・・・」
恭子はすでに言葉を失っている。自分の精神のバランスが崩れないよう必死で気持ちを押さえている。靖彦もこのことを思いついた時どうしようもない怒りが込み上げてきた。
「話しを続けようか。慈恵院についてはすでに末期症状だったんじゃないかな。阿片による中毒と小夜子を殺させたことへの意識から錯乱状態だったんじゃないかと思う」
「それじゃあやっぱり慈恵院は自殺じゃ・・・」
恭子が言うと、靖彦はきっぱりと言った。
「違う、慈恵院は自殺じゃないんだ。もしかしたら自らあの滝へ落ちたのかもしれないけど、そのときあの場所にもう一人いたんだ。もう一人・・・」
「誰、誰がいたの」
恭子は聞いたがなかなか靖彦は答えなかった。そして伊東の方を向き、じっと伊東を見つめた。伊東は目を閉じたまま言った。
「続けてくれ、誰がいたんだ」
靖彦は伊東の問い掛けに戸惑いながらもゆっくりと答えた。
「あのとき、あの場所には伊東、君がいたんだ」
その言葉を聞いた時恭子は気を失いそうになった。どうして伊東がそんなところにいなければならないんだろう。
「どうして!」
恭子は思わず叫んでしまった。その叫びを押さえるように、靖彦は静かに答えた。
「一点回帰教についてもう少し考えてみよう。教祖は慈恵院、本名は松尾 恵、そして幹部が岡崎、神岡、地元の有力者でもある新田、そしてもう一人。この一人が僕を悩ませたんだ。始めは気にもしていなかったんだけど、どんどん時間が経つにつれて残りの一人の存在が気になってきたんだ。まだ確認は取れていないけど、新田氏と松尾、慈恵院の繋がりは見つけたんだ。戦後の広島の原爆資料の中に二人の名前を見つけたんだ。だけど慈恵院と岡崎、神岡の繋がりが見つからなかったんだ。小夜子や恭子のように誰かに誘われたって考えるのが妥当だろうと思う。そこで残りの一人が問題になってくるんだ」
「それが伊東君だっていうの、いいかげんにしてよ、だいたい靖彦君と伊東君が仲がよくなったのは二人とも宗教を信じていなかったからでしょう。なのにどうして伊東君が幹部だなんて事をいうの。ねえ、伊東君、嘘でしょう、そんなこと、ねぇ」
恭子は信じられないという目で伊東を見つめた。伊東は恭子を見ながら、
「靖彦、続けてくれ。まだ先があるんだろう」
と言って、靖彦の方に向き直った。
「恭子の言うように伊東は宗教を信じていないんだ。そんなもののために伊東は動いたりするはずがないからね。慈恵院が死んだ時あの場所に伊東がいたということに気付いたのはずっと後の事なんだ。警察は慈恵院の死を自殺として片付けていたんだけど僕にはどうしても納得がいかなかった。本殿からほとんど出ることがなかった慈恵院があの辺で自殺ができる絶好の場所を知っているとは思えないしね。どうしてあの場所を選んだんだろうと考えてたんだ」
「岡崎君が死んだのは、どういうことなの・・・」
恭子は黙っていられなかった。
「岡崎の死は新田氏の犯行だと思う。慈恵院が死に、岡崎はこれから一点回帰教がどうなるのか不安でしようがなかったんじゃないかな。そこで新田氏と話しをしたんだと思うよ。新田氏も宗教なんて信じていなかったんだろうね。どこかに眠っている阿片を使って金もうけをたくらんだんじゃないかな。そこで岡崎に一点回帰教は解散すると言うことを告げ、自分一人が利益を独占しようとした。解散することを話した時、岡崎は阿片の事について新田氏と言い争いになって恭子を襲った奴と岡崎を殺したんだ。まあ、新田氏の件については警察が動いているからね。もう少し待てば連絡が入るんじゃないかな」
「警察が動いてるって、それじゃあ・・・」
恭子が心配そうにいうと、
「だいじょうぶ、ここにはまだこないよ。そのとき神岡が捕まればどうなるか分からないけどね」
「それじゃあ、私を襲ったのは神岡君なの」
「残念だけど、そういうことになるね。神岡は岡崎よりも新田氏の方についたんだ。自分自身のためにね。そして伊東も、でも僕にはそこが分からなかったんだ。どうして伊東が自分自身のために動いたのか・・・、どうしてなのか教えてくれないか」
靖彦はそういうと、伊東の方を見て彼が喋り始めるのを待った。
「恭子、よく聞いてくれ、俺という人間がどんな人間なのかということを」
そういって話し始めた。
「確かに俺が幹部の一人だ。靖彦のいうように宗教なんて全く信じていないがね。俺が一点回帰教に入ったのは新田に言われたからなんだ。靖彦には言わなかったが親父が事業に失敗してな、金を作るのに親父の知り合いの松尾という人にあったんだ。そのとき、その場にいたのが新田だったんだ。新田は自分の言うとおりにすればそれくらいの金は用意をしてくれるといい、俺を幹部の一人として一点回帰教に入信させたんだ。そのくらいの事で金を用意してくれるのなら簡単なことだと思ったさ。だけどそれだけじゃなかった。松尾のじいさんと新田が組んで自分の娘を使い、宗教で金もうけをしようとたくらんでいたんだ。うまい具合にじいさんの娘はちょっと変っていて自分が神であるとか何とか言ってたらしいんだ。そして戦争中敵に対して使う予定だった阿片を戦後のどさくさに紛れて自分たちで保管していたらしいんだ。そいつも使えば間違いなく信者は増えていくからな。 宗教を始めるとなにかといろいろあってな、そこで幹部をもう二人増やすことにした、それが岡崎と神岡だったんだ。岡崎と神岡には阿片の事など全く話していなかったんだがね、神岡の奴はいつの間にかそれに気付いて、自分のためにその事を利用しようと新田に近付いたんだ。そして・・・、あとはだいたい靖彦の言ったとおりだ」
 そう言い終えると伊東は頭を下げた。
「そうか、家族のためか。それを聞いて安心したよ。それとあと一つ慈恵院の死についてなんだけど・・・」
靖彦が聞くと、
「もういい、もうたくさんだわ。どうしてなの、どうして・・・」
恭子は泣き叫んでいた。それでも伊東は話し始めた。
「慈恵院は自分で滝の中に落ちていった。本当だ。あそこまで連れていったのは俺だ、それが殺人になるというのならそうなのかもしれない。じいさんと新田に楽にしてやってくれと頼まれてね。しかし、どうしても殺すことはできなかった。そして新田が俺以外にも手足のように使える人間がいたとは思わなかったよ。まして恭子を狙った時には驚いたよ。それから、監視のつもりで恭子に近付いたんだ。すまん」
「いやぁ・・・」
伊東が話し終えると恭子は床に泣き崩れてしまった。靖彦はいたたまれない気持ちで伊東を見つめていた。
「連れていってくれるかな。自首したいんだ・・・」
伊東はそういうと立ち上がり部屋を出ていった。

プロローグ

 とてもよく晴れていた。こんな天気は久しぶりだった。

(何ていい天気だろう)

 恭子は墓参りのために湯来町に来ていた。ここで靖彦と会う約束になっていた。
 
(あれから三ヵ月か、早いものね)

そんなことを考えながら小夜子の墓の前にいると、
「やあ」
と靖彦が声をかけてきた。しばらく二人で小夜子の墓前で祈りを捧げたあとどちらともなく歩き始めた。
「あれからどうしてたの。靖彦君」
「いやぁ、あれからたまっていた仕事を片付けるのに苦労したよ。あの間ずっと仕事をしていなかったからね。母にもえらく叱られたよ」
「うふふ、お母様は怖そうですものね」
そう言って笑った。靖彦は恭子の笑顔を見て安心した。なんとか立ち直ってくれた、その事が靖彦にとっても何よりも嬉しかった。しかし、二人で話すとどうしても事件の事になってしまう。
「事件の方はどうなったの」
「神岡はあの時点で逮捕された。案外あっさり認めたらしいよ、恭子を襲った件はね。まさか殺人まで捜査が進んでいるとは思ってなかったんだろうね、すぐに新田氏が保釈してくれると思っていたらしいよ」
「そう、それから」
「新田氏も別件で逮捕して、それから徐々に詐欺、殺人というふうに固めていったみたいだ。それから阿片なんだけど、もうニュースで知ってるよね。本殿の地下に大量に見つかったらしいよ。松尾氏も逮捕された」
「伊東君はどうなったの」
「たいした罪にはならないと思うよ、まだはっきりしたわけじゃないけど。伊東は実質的には何もしていないからね」
靖彦は伊東を待つのかどうかを聞こうと思ったがやめた。聞いたところでどうなるものでもない。それに恭子自身が決めることで靖彦が口をだすことではない、そう思った。それを察してか恭子が言った。
「私ね、どうしようか考えていたんだけど、これから、なにか新しいこと探そうと思って…」
「そうか…」
靖彦は短く言った。
 伊東のことは聞けなかった。確かに始めのうちは監視のためだったかもしれない。しかし、伊東がそこまで割り切って女性とつきあえるはずはないし、恭子の気持ちも伊東には伝わっていたはずだ。伊東の言った最後の言葉は彼の優しさからではないかと靖彦も思っていた。
「僕は少し後悔しているんだ。こんなことになるなんて、僕は変わらなければいけないような気がする」
「何いってるのよ、靖彦君のおかげで小夜子も安心して眠れるわよ」
恭子は言った。
「ああ、そうだね。僕は・・・」
「よかったのよ、これで」
それから二人は別れるまで何も喋らなかった。
「それじゃあ」
恭子は握手を求め、靖彦もしっかりと握り返した。
それから恭子は、もう少し歩きたいからと、湯来町を流れる水内川のほとりをゆっくりと歩いていった。