私の好きな戦国武将
武田信玄
甲斐の虎と呼ばれ、信長に最も恐れられた武将であり、また越後の上杉謙信との川中島の戦いは有名である。 しかし、信玄と謙信の一騎打ちは、両方とも影武者だったと言われる。 信玄の影武者は弟の信廉で、謙信の影武者は荒川伊豆守であったという。 天下をとるため上洛を目指すが志半ばで病死する。 ちなみに徳川家康の唯一の負け戦が、信玄最期の戦である三方ヶ原の戦いである。
松姫
信玄の六女であり、政略結婚のため信長の嫡男信忠と婚約していた。 たがいに手紙や贈り物をやりとりするなどして、心を通わせていたが、 信長が三方ヶ原の戦いの際に、家康に援軍を送ったことが発覚し、破談になる。 武田家の滅亡の際、八王子に逃れる。 その後、松姫の居所を探しあてた信忠により、あらためて結婚を申し込まれ信忠のもとに向かうが、 その途中で本能寺の変が起こり、信忠が自害。 そのため八王子に戻り、出家して「信松尼」と名乗った。
竹中重治(半兵衛)
秀吉の軍師として有名である。無駄な戦を嫌い、戦わずして勝つことを得意とした。 戦国屈指の堅城である稲葉山城を、わずか17人で奇襲し落とす。 しかし、城を乗っ取った後、城主の斎藤龍興に国政に力を入れることを説くと、 あっさり城を返還し、自分の居城に戻る。 このとき、信長から美濃半国を条件に稲葉山城の引渡しを求められたが拒否するなど、 欲のない控えめな性格であった。 その後秀吉に出仕を要請され、始めは拒否するが、秀吉の度重なる懇願と熱意に折れ受諾。 以後36歳で病死するまで、秀吉を補佐し活躍した。 秀吉が信長の家臣の中で、異例の大出世を遂げられたのは、半兵衛の力も大きかった違いない。
大谷吉継
越前敦賀城主。秀吉に見出され活躍する。秀吉に「100万の兵を指揮させてみたかった。」と 言われた名将。関ケ原の戦いでは、敗戦を覚悟しながらも、盟友・石田三成との信義を貫き西軍に付く。 病のため目もほとんど見えず、手足も不自由ながら、東軍を相手に奮戦した。 しかし、小早川秀秋の裏切りが起こり、大谷隊に属していた脇坂・小川・朽木・赤座の4隊も連鎖して裏切ったため、 大谷隊は壊滅、吉継は自害した。小早川隊の裏切りを吉継は察知し対処していたが、脇坂隊らの裏切りは予想外だった。 ちなみに吉継の娘は、真田信繁(幸村)に嫁いでいる。