garimegane foundation's message

ガリメガーネ・ファウンデーションからのお知らせ


髑髏平和論(髑髏と平和についてのメッセージ/初出1996)

ガリメガーネ財団髑髏部門代表/サワヤ リュウコ

髑髏とイドラ

 

 髑髏と言われて、あなたは何を思いうかべるか? 海賊、毒薬のマーク、ヘビメ

タ、デンジャラスゾーン、死…。およそポジティブに程遠いものばかりであろう。

 我々はイドラにとらわれて生きている。イドラとは、フランシス・ベーコン説くと

ころの”幻想の意”。正しい認識を妨げる先入観や偏見のことだ。17世紀の啓蒙思

想家トーマス・ペインは「黒人を無色にする最善の方法は、白人に純白な心を持たせ

ることである」といった。この言葉には2つのイドラが存在する。「黒人を無色にす

る」イドラと、「純白(な心)」というイドラだ。冷静に考えれば、いかにこの言葉

が偏見に満ち溢れているかが分かるだろう。斯様にイドラは我々を惑わせる。イドラ

あるところに真実はない。「髑髏=ネガティブ」の思考も幻像なのである。    

 イドラを廃し、再び髑髏を考察してみよう。まず、髑髏に性別はない。人種もな

い、貧富の差もない、争いもない、イデオロギーもない。まるでゲゲゲの鬼太郎の歌

のようになってしまったが、すべての差別を乗り越え、超然と現実世界に実在するの

が髑髏なのだ。                               

付属物としての髑髏

 

 髑髏には多分に死のファクターがある。死をネガティブと見るか、ポジティブと見

るかは各人に因りけりだが、どちらにしても髑髏は死後、つまり魂の抜け殻を象徴し

ている。抜け殻に何の価値があるのか?と疑問に思う向きもあるだろう。だが、髑髏

は付属物でありながら、およそあまねく人類と、類人猿〜20世紀の我々が変わらず

持つという普遍性がある。                          

 普遍かつ、差別外の存在である髑髏は、学歴や地位、人種など他の魂の付属物と決

定的に異なる。否、付属の位置を突出し、主に変わりえたるものだ。突き詰めていけ

ば、「人間は髑髏」とも言い切れるのかもしれない。              

髑髏的平和社会

 

 ここであえて極論を吐こう。髑髏こそ平和のシンボルである。混沌の20世紀末、

我らが目指すべき道は髑髏的平和社会の設立だ。死の世界が平和と言っているのでは

ない。自らが「ただひとつの髑髏」と自覚することにより、現在の紛争原因となって

いるさまざまな人間同士の相違点は解決されよう、ということだ。「私も髑髏、あな

たも髑髏、世界皆が髑髏だよ」なんである。己は他者とはあまり差異がないことを理

解し、身の程を知ろう。                           

 たたえよ髑髏!                              

 

                             


●ガリメガーネ・ファウンデーション髑髏部門代表とは?●

 

市井の未来研究家でもあるサワヤリュウコが「1996年は髑髏の年」の予言を基に設立した、

髑髏平和論を唱える部門。

実際に1996年は、

ドクロアロハやドクロTシャツなどの髑髏グッズが売り出され、

                         髑髏ブームの年となった。                          

(2000.9.1記)

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