Cancan De Poisson 2
マジで五輪を考える、なんて似合わんかなぁ?(苦笑)
9月26日(火)
また、日記!(笑)でも、五輪が終るまでだから、ほんの6日ほどなんだけど
ミーハーよりなCancan De Poissonとは別の内容が書きたくなったので
新たに起こしました。
ミーハーも私なら、この時々不定期に訪れるマジモードも私なんだよね。(苦笑)
ま、そんなわけでこちらでもお付き合いください。
◇メダル至上主義◇
オリンピックは参加することに意義があると述べたのは
かのクーベルタンだったかなと記憶をたどりながら
ホントは今でもそうなんだよ、とM紙のスポーツ欄に小さく載る記事を見ながらつぶやく。
そこではいつも勝利、メダルとは無縁のオリンピックの一面を捉えているのだが、かなりポイントが高い。
例えば昨日の見出しは「ゴールと思って感謝の祈り えっ もう一周?」というもの。
高橋が歓喜のゴールテープを切ってから約50分後、五輪に初参加した東ティモールの選手が
トラックに入ってきてゴールと勘違いし、ひざまずき感謝の祈りを捧げ始めた。
その写真が1枚目。もう1枚は、競技委員が「まだ一周残ってる」と促しているところ。
一連の流れがなかなか微笑ましい。
微笑ましいと言えば、水泳で、初めて100mを泳いだ、という赤道ギニアの選手。
スタートの都合だろうか、一人で力泳する姿に観客がやんやの拍手をしていた。
赤道ギニアには25mプールしかなくて…というエピソードがおまけに添えられていたが
記録の方も48秒台のWRに比べて、倍以上の時間を要していた。(笑)
溺れてる?とも思わせる必死の泳ぎでもあった。
オリンピックは本来こういうものであるべし。と言う想いが時々頭を擡げる。
それは400人以上の選手団を送りながら、ごく一部のメダリストとメダルに手が届きそうな選手だけが
クローズアップされるという現状が全てのスポーツを嗜む人に対して失礼なものであると感じるからだ。
もちろん400人は日本選手団だけで、全ての選手がスポーツにおいては平等であるはずだ。
昨日の帰国組を見ていてもその想いが過った。
笑顔で手を振る選手の傍らで俯き加減に、足早にそこを通り過ぎようとする選手。
みんな胸を張って欲しい。精一杯戦ったのだから!
顔を上げろよ、俊輔!世界は甘くないということだよ。
現状での100%の戦いだったと信じているよ。
マスコミはメダルのことばかりを記事にしないで欲しい。
取れる!頑張れ!とはやしたて、ダメならこき下ろすなんてことはいい加減に辞めて欲しい。
取れた人の努力は素晴らしいけれど、手が届かなかった者だってみんな一生懸命にやっている。
参加することに意義がある、からいつの間にかメダル至上主義に走っている。
オーストラリアのスポーツ記者がこんなことを書いているのをご存知か?
「日本はオリンピッククレイジー」
選手にエールを送るのは良いことだとと思うが、ここまで言われる所以に心当たりもあるだろう。
メダル獲得に小躍りする私とこればかりがオリンピックじゃないんだと否定する私。
どちらも間違いなく私自身である。
9月27日(水)
◇これで限界?◇
本家の方(!)で少し触れたことの続きを書いてみたい。
シンクロファンの方は怒る無かれ!これが現状だと思える。
シンクロの決勝が終った時、解説をしていた女性が
「これは金と同じことだと受けとめています」と言い、それくらい価値があると続けた。
最初は身贔屓だろうと冷ややかな反応をしていたが、どうやらそうではなさそうだ。
これはずっと他の競技でも感じていたことなんだけれど
審判の判定で順位を決める競技は、殆どどの競技でも欧州寄りな判定が目立っている。
あの篠原の柔道然り!
今回のシンクロは、ロシアが金メダルに最も近く、それを日本が追う形だった。
ロシアは、7月の欧州選手権でドーピングが発覚しメダルを剥奪された
キセレワ(背が高い方の選手)の練習不足が案じられていた。
事実、スピンの脚が傾いたり、立ち泳ぎが低かったりというマズさが再三指摘されていた。
その都度なるほどと思ったが、全体をリズム感あふれる演技でまとめ、
そんな些細なミスを気にならなくしてしまうほど、構成が巧かった。
音楽との相性もよく、溺れているような立ち泳ぎは上手に隠されたのだ。(苦笑)
案の定、ロシアの得点は10点のオンパレード。
日本は準決勝の時に比べて、小さなミスがあったものの
両者の差が実際に出された得点ほどあったとは思えない。
冷静に判断して、ロシアの決勝の出来が準決勝を大きく上回るものではないと思うが、
それでも得点はあの開き、これは何を意味してるんだ?と考えずにはいられない。
判定をする審判団の国旗が画面に映し出され、その下に出る得点を見ていると
或ることに気付く。
10ヶ国、ロシア、オーストラリア、フランス、チェコ、日本、アメリカ、カナダ…
アジアは少ない。欧州が多い…
ロシアの得点が準決勝並みに留まっても、日本ペアは金には届かなかった。
が、実際はあの得点差ほど金と銀に開きはないのだ。
欧州の審判団が犇く舞台で勝つことは容易ではない。
しかし、体操で中国の選手がアトランタに続いてV2をやってのけている。
日本シンクロ界は腐らずに精進してもらいたい。
いつか、いつかきっと欧州の審判団をねじ伏せて一番いい色のメダルを獲得して欲しい。
それより、何より、アメリカ&カナダがメダルを逃した今大会で
前回より高いところに立った立花・武田ペアに心から拍手を送る。
9月28日(木)
◇戦犯◇
戦犯がはっきりしないというか、特に求めたくなかったサッカーに比べて
こちら、野球は戦犯がはっきりしている。
しかもそいつは、プレイヤーでも、監督でも、コーチでもなくて
オーストラリアにはもちろん行っていなくて
日本でのーのーと満悦な笑顔で、「来年以降もこの方針で」と
ほくそえんでいる、ヤなヤツだ。
そいつがガンとして反対したせいで、同じリーグの殆どのオーナーが
同調せざるを得なくなって、自分のチームから選手の派遣を見送った。
とゆーより、その巨大勢力をして派遣しないのであるから
弱小とまでは行かずとも(中には明らかに弱小もあり、苦笑)
ごく平凡な戦力で巨大勢力に立ち向かうだけでなく、一人二人と
主力を欠けば、戦いはますます不利になるであろうと思われる。
見送りは当然と言うか、致し方のないことであろう。
今更何を言っても仕様が無いが
全く送らなくてもこの体たらく、いっそのこと、どのチームも選手を派遣して、
一人も派遣をしない巨大勢力チームを逆にあざ笑ってやれば
それはそれで痛快だったのではないかと考えている。
そうしていれば五輪の結果も変わっていただろう。
とりわけチームの頭脳として期待されていたある人、
‘そのお方’が行っていれば戦況は大きく変わったであろうという
主役級の彼の眼鏡の奥の瞳は複雑な色をしていたように感じられた。
彼はきっと行きたかったはずである。
「今まで過ごした野球人生の中で最高の2週間でした」
試合後、ミスターアマ野球の杉浦と握手をして号泣したノリの言葉。
反対されてもアテネに行きます!と彼は語った。
そうだろう、あの出来では不満だろう。わかる、わかる。
キミの顔を見るのが辛かった悲運のエース、松坂。
「打たれたから不満が残る、心残りはある」
その想いは来年、再来年に。
さらば!セリーグ!
私は○○年間続けてきた某在阪セリーグ球団のファンの看板を下ろし
パリーグを応援する。
水島さんに弟子入りするんだ…
この想い、本物です。
10月2日(月)
◇Farewell Sydney◇
開幕を間近に控えた頃、幾つの金メダルが取れるかな?を繰り返す
マスコミの煽動に少々???を感じ
そんなことはどうでもいいけど
またプレッシャーに泣く選手の姿を見ることになるのかも?
と漠然と考えていたら、案の定幾つかはそんな光景の目撃者になってしまった。
嫌なものである。
日本人はプレッシャーに弱い!とまた煽りたてるマスコミ。
をいをい、何も日本人ばかりがプレッシャーに
押しつぶされていないって。よく見ろよと言いたい。
どうやら日本のマスメディアは他の先進国に比べて特殊な面を沢山持っているらしい。
もちろんスポーツに対するメディアに限ったことではなくて
様々な日本(独自)流がこの国にはあり、
海外から特派員記者が来日した時にそれを目の当たりにして
驚くというようなこともざら!とは言わないまでもかなりの数あるとか。
やれやれである。
マスメディアについてはまた別の機会に詳しく触れるとして、
シドニーではいろいろなことがあった。
ここcancan2は辛口路線なので‘そっち系’の話をしようと思う。
世紀の誤審!と話題になった柔道100kg超級の決勝戦で
主審を務めた某氏(オーストラリア人)のところに
あの後脅迫や抗議が殺到したという記事をご覧になった方はいるだろうか?
多くはEメールで、日本からのものであるという。
やっぱりというか、何をか謂わんや、である。
気の毒とまでは言わないが、済んだことをどうして当事者でないものが
あれこれ干渉するのだろうと不愉快になった。
提訴するならするで、然るべきところ(CAS)に然るべき団体(この場合は日本柔道界)
がすればいいのであって、傍観者が口を出してはいけない。
すっきりしない判定で暗雲が垂れ込めたムードはあの会場だけで沢山だ。
余計な行為(脅迫等)はそれこそがミスジャッジ。慎みたいものである。
誤審はどこまで許されるか―――
これがシドニーからアテネに至る最大の課題ではないだろうか。
Hometown decision(地元&身内贔屓)なのか、Misjudgementなのか。
人が人を評価することは難しいが、
‘納得できない’を減らすことは可能ではないかと思う。
五輪が既にアマスポーツの祭典ではなくなったことを認めないわけにはいかない。
プロが競う大会なら審判もプロでなければならないはずである。
「参加することに意義がある国」と「勝つことを必然とされた国」
「アマしかいない国」と「プロばかりの国」
国と地域も様々なのだ。
五輪が進化しているのだから、受け入れ側も進化する必要がある、
それに尽きるのではないだろうか。
ところで、進化していて、プロ化しているのなら
ミスジャッジに対しては抗議→乱闘も有りだ!
とはくれぐれも言わないで欲しい。(笑)
私も一瞬、その図(乱闘風景)を考えたのだが
どうやら、そんなギャグでは済みそうも無いから…(苦笑)
ミーハーなCancan De Poissonに対してマジ路線で
行きたいと思って書き始めたここ、Cancan De Poisson 2。
昨日の五輪の閉幕と共に、本日にて終了させていただきます。
ご拝読くださった方、本当にありがとうございました。