私の懺悔録 

これまで犯してきた罪深い人生を聞いて下さい。

といっても刑法に触れるようなことは一切犯しておりませんが*****

出生:

1948年(昭和23年)京都市の北、西陣のはずれに生まれました。父親は公務員でありながら途中退職してしまい、その後は母親も仕事の傍ら家事を営まなければならない。まぁ当時はそんな家庭も多かったはずですが。京都市立待鳳小学校〜京都市立旭丘中学校〜京都府立洛北高等学校(4年間在籍)〜京都工芸繊維大学建築学科、と順調に進学したけれど、高校の頃のオルグ活動がどうしても就職の際の足枷となってしまった。それ以外にもノンポリとして出向いた佐世保事件の顛末も何故か漏れていたり。。。不思議なものです。

職歴:

三菱アセテートにどうにか潜り込み東京勤務となったのも束の間、古巣の京都へ出向を命じられそれはそれで結構気楽なもので、待遇面の考慮の結果出向先に転籍してしまった。繊維不況など昔からあるものと高を括っていたが、ほんの一時の華々しい転籍時代も会社の整理休業にともない失職の身の上に・・。しかし、捨てる神あれば拾う神ありで、なにがどうなったのか理解できないままに「田中の六さん」の事務所にころがりこんでしまい、その後は秘書とも呼ばれず安い給金で(だが実際は実入りのいい職場)馬車馬のように。代議士が死んでしまえば、やはり失職。特にクリーンな人だっただけ、余計に後がなかった。そして、昔の顔のツテで政治家絡みの商社へ再就職したが、ここも3年少しで破綻寸前となり、船が沈む前の鼠のように集団で人が離れていった。この時、現在の職場が見つけられたのは奇跡に等しい。そして、ようやく学校で習得した技術の活かせる職を見つけることとなりました。

家族:

初めての家内は熊本県八代市生まれ。親族は八代近くの千丁町の名家。1年あまりの生活に、お互いが不平を持ってしまい、どうにもならずに破局を迎える。翌年、30歳にして2度目の結婚。今度はキャリアウーマンではないごく普通の女性との結婚だが、家内の父親は亡くなるまで、私がバツイチだとは知らなかった。どうも、家内が教えなかったようで。今から14年前に長女が、そして10年前に長男が生まれて打ち止めです。内緒ですが、実はもう一人****これは本当に内緒なのです。昨年までは足掛け21歳の三毛猫が同居していましたが、老衰であえなく他界しました。現在はキジトラの雑種猫が通いで食事を取りにやってきます。

現在の悩み:

仕事がうまくいきません。建築関連(鉄骨製作)の受注製造業ですが、何年か前の指数を100とすれば、この頃の受注単価は50以下までおちこんでいます。注文を受ければ受けるだけ赤字操業となってしまいます。かといって、注文を受けなければ工場や工員が遊んでしまい、そして給料は必要ですから、資産が目減りしてゆくのですね。見積書に間接費を計上するのも憚られる状況……、計上すれば同業他社に仕事を持って行かれる。ゼネコンの馬鹿野郎!

教育:

長女、長男ともに幼稚園からミッションへ。二人とも、小学校は「知・徳・体」の三育を教える東京三育小学校へ、だが中学校から全寮制となり茨城県か広島県の附属中学となるために、断念して、長女は共立女子大附属女子中学へ進学させた。これは高校や大学への受験の負担を軽減させるためにとの親心のつもりだったが、当人は共学制の学校へ行きたいと高校受験。そして合格。もう親離れしてしまったのかも知れません。下の子は現在小学5年生ですが、こちらはもう何処へでも・・と思っております。

老後:

どちらにしても子供達は離れて行くので、そうなれば今すんでいる家を売り払って、どこか温暖な地方へ転居したいものと思っています。毎日、好きなことをやって、出来れば食料自給率を高めるために畑を借りて、の〜んびりと暮らしていきたいものです。パソコン通信やインターネットで双方向通信を楽しめば淋しいなどという気も起こりませんしね。そして、ポックリとあの世に行きたいものです。 

今日の懺悔はこれまでです。聞いて頂いてありがとう。4月16日の懺悔録より。

:Thursday, June 24, 1999