鉄輪のおばあちゃん
おばあちゃんとの出会い
おばあちゃんとの出会いは、秋田教授に連れて行っていただいたことが初めだった。
急な坂の上に在る、○○荘に住んでいた。 ホンットに急な坂。
私達が来るのが少し早かった様で、おばあちゃんはご飯を食べていたらしい。が、片してくれた。
小柄だけど元気な声を出す、カワイイおばあちゃんだ。
ユカリと私はおばあちゃんの家にあがった。
私達を送り届けて、秋田教授は帰っていった。感謝感謝です。
何から話し始めていいのやら…。と思いつつも、どうして鉄輪へ移り住んできたのかを聞いた。無難にね☆
子がいなかったので、老人ホームに入ろうと思った。っで、どうせなら温泉のあるところがいい!!!ということで鉄輪へ。
入った老人ホームがこれまた凄かったらしい。
女学校を出た方が多く、「ココは老人ホームとは呼ばないのよ」なんて言っている人もいたとか。
他にも、パーティーでは衣装の見せ合いの場だったようで…。
「女って凄いと思いましたよ。」と、おばあちゃん。
しまいには、ご飯がマズイ!!!冷凍ものも多く味付けが薄い。調理師免許も持っているおばあちゃんにとって、食べ物の味付けが合わないのは、おばあちゃんにとって苦痛(≫‐≪)だったはず。
まぁ、なんだかんだ言って、そこに2年と8ヶ月入っていた。
おばあちゃんの生き様
専門学校(看護学校)に2年いったとです。
そいで、終戦後は学校看護婦(保健の先生)になったのよ。 ←きっとカワイイ先生ってうわさだったろう…。
昭和22年ごろになると、白み取りや虫薬をのませたりという仕事をするようになった。
その為、保健婦の免許を取る必要がでてきて、ひたすらお勉強。
昭和22年〜23年頃、調理師・保健婦の免許を取得。
おばあちゃん言ってました。「ホントに頑張りましたよ。頑張りました…。」って。
保健婦の試験はかなりの難関だったらしく、なんと…
50分の2 の確率!!!!本当に素晴らしいと思う。そして、
養護助教授になる。←子供達は?と疑問に思う私がいた…。
まぁ、何はともあれ翌年教授となる。それからは30年小学校に勤めた。←よかった…。
というか、おばあちゃんの教師人生はかなり長い。61歳で退職し、先生の代用という形でぼちぼち勤め続け、
70歳頃まで勤めた。
長い教師生活…保健の先生としての生活の中で見た30年間の児童の変化について
戦後、道徳教育がなくなり教育しずらくなっていった。敬語を使わなくなり、礼儀もなくなっていった。
それと、とにかく親が子供を甘やかすようになった。 その一例↓
ある日、6年生の児童が「お腹が痛い」と保健室にやってきた。 理由は、
「焼き鳥食べた。」しかも60本。60本。60本。←親も親だけど、食べられるあなたもどうなの…。
おばあちゃんの趣味
「全国の観音様を参ったことがございますよ。3,000キロくらい歩いたりしましたよ。」←ハンパないね…。
62歳の時、友達と二人で申し込んだ。そして、体操服で始めましたの。←これくらい気軽に始められます(笑)皆さんも時間が許すならば、一度参加してみてはどうでしょうか。
質屋のおいさん・金物やのおいさん・農家のおいさん・・・ectと出会えるチャンス(^−≪)☆
様々な芸能人がお寺を廻る、NHKの番組を必ず見ているの。と、言っていた。この前家にお邪魔したら、テレビが新しくなっていたので、きっと綺麗な画面でこの番組を見ているんだろうな…。
さてさてついにここで 秘伝の栄養ドリンクを伝授
忘れないで欲しいのは、おばあちゃんは今年で満90歳を迎える。しかも90歳とは思えないほど元気!!!!
そのおばあちゃんが毎日飲んでいる、自家製栄養ドリンクでございます。
ぎんなん+にんにく5個+ピーマン+ポタージュの素
+売っている野菜ジュ−ス(+すいか・りんご・ばなな)
注:にんにくは、臭みを消すために焼酎につけたものを使用。
注2:効果は個人差があると思われます。が、体に害を及ぼすことは無いと思われますので、毎日こつこつ飲んで下さ い。
長寿の秘訣第2弾!!! 長寿の秘訣はお灸だった?!
「膝が痛いとかそういうこともないしね。私、お灸をしてますのよ。」全てはここから始まった。
「お灸で博士にならしゃった人がおるんよ。」
その名をしめたろうと言う。しめたろう先生はなんと、106歳まで生きたらしい。
さらにおばあちゃんは言う。
おぎゃっ!!!と生まれてお灸を始めた人物は
220歳まで生きた
と伝えられる。 注:中国の支那の文献にあったらしい。
と、いうことで・・・お灸は長寿に繋がる。と、思います。多分・・・。