マグロ漁師のおじいちゃん
おじいちゃんとの出会い
おばあちゃんが、「マグロ漁をしていたおじいさんがいるから話を聞いたらいい」と教えてくれた。
おじいちゃんは、おばあちゃんと同じアパートに住んでいる。
次のアポを取るべく、おじいさんの家にお邪魔した。ドアを開け、入って行くおばあちゃんの後ろから見えた、おじいちゃんの
部屋に驚いた。驚くほどキレイに整頓されている。よく言う、「男の一人暮らし」という感じは全くない。
初めて会うにもかかわらず、気さくに話してくれた。 とりあえず次のアポをとり、授業へ行った。
おじいちゃんとマグロ漁(生い立ち)
大分県津久見市、保戸島で育つ。
終戦1ヶ月前に、保戸島の小学校が爆撃を受けて174人程亡くなったという。おじいちゃんは当時中学2年生で、爆撃には
遭わなかった。(当時:15歳)
高校には行かずに、神奈川県三浦岬へ行き、マグロ漁の修行へ!!!!(当時:18歳)
「っでまあ、10年ばかしやったわけよ。」と、おじいちゃん。
その10年の間に、台湾の水産学校で1年間マグロの捕り方を教えたりしたわけよ。
結婚するために、保戸島へ帰ったのが28歳。おじいちゃんはお見合い結婚。「親が選んでくれたから、いい人に巡り逢った
んよ。」と、言っていた。結婚して、子供をもったおじいちゃんは、またマグロ漁を再開する。
「イスラエルへマグロの捕り方を教えに行ったわけ。」って、おじいちゃん…凄いや。国際派だ。
イスラエルでは、当時も戦争が絶えなかった。マグロは、缶詰にするだけはなく、兵士の食料としても(マグロをパンに挟んで食べるために)必要だった。
$:当時は、郵便為替には10万までしか入れられんかったもんやから、3つに分けて送ったんだ。
…驚いた。大金だ。
おじいちゃんが送ったその大金は、少しも減ることなく貯まっていった。なぜでしょう?それは、「奥さんのお陰」だった。
と、おじいちゃんは言う。奥さんは、そのお金には手をつけず、自分は編物の教室を開いたりして生活していたのだそうな。
素晴らしい…。
戦争の流れによって、イスラエルと不仲にになってしまった日本。後、おじいちゃんはアルゼンチンへ。
日本で造られた電車を船で運んだりする仕事をしたのだという。(当時:42、43歳)
やっぱりマグロ漁から離れられないおじいちゃんは、兄弟で古くなった船を700万で買った。
マグロ漁を小型の船で始めた。 $:「そんときゃ、1千万くらい稼いだな。」って…。
でも、これで満足はしないのがおじいちゃん。←「おじいちゃん」と書くのにに違和感を感じてしまうのはなぜでしょう。
1億4千万円で、マグロ船(大型船)を買おうとする。お兄さんは4千万持っていたが、1億円足りない…。ということで、熊本へ行き、国に9千万円借りる。 実は、この裏にはワイロが…。ネクタイピンとか、120万円相当を、担保(家とか)の下見に来た人のポケットに入れた(笑) 結果的に大成功!!! おじいちゃんとおにぃさんはお金を借りることができたのでした。
注:勿論、担保がしっかりしていたことも事実です。
購入した船で、10年ほどマグロ漁をしていた。が、
漁業のできる海域範囲が狭められ、赤字になる…。3千万円借金が残っていた。が、国が船を引き取るのを条件に、借金をチャラにしてくれたらしい☆ 当時女の子3人、男の子1人の親だった。と、言っていた。
もしかしたら、これを機にマグロ漁から身を引いたのかもしれないなと、感じた。
40年、マグロに関わった人生。
$:最高は、1ヶ月で仙台の本マグロを捕って、4千万(当時の価値)儲けた。
「でもね、機関長とか船長の資格をとれたことがよかったんよ。」と、言っていた。「堀内先生には本当にお世話になって、感謝してる。」
おじいちゃんの訪問した国&思い出
イスラエル・ブラジル・台湾・
アルゼンチン
日系の人が多く住んでいて、行く度に「味噌や醤油を持ってきて」と言われた。
持っていくと、ご馳走を作ってもてなしてくれた。(豚の丸焼きとか)
$:300万円(現在の価値で言えば3千万以上)をカジノで、儲けた。
オーストラリア
1航海で3億稼いだ!!! 1人の分け前が120万あった。
おじいちゃんは上のほうの人だから120×3(倍)=360万もらった。
「当時は千円札しかなかったもんやから、ボストンバックいっぱいにして家に帰ったら、奥さんが洗濯物をたたみよった(たたんでいた)。バックを開けて腰抜かしたわ。」と、笑いながら話してくれた。
そのお金で土地を買って、家を建てた。
最近のおじいちゃん
67歳くらいの時、大腸ガンになり、手術。なぜか調子がよくなる。
最近、胃ガンになり、手術。元気そのもの。
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