徒然呟事

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部屋が寒い

最近,というか物心ついてからだが,このところとみに朝が辛い. 目覚まし時計は 6 時 30 分には鳴ったはずなのに,目覚めは 8 時を廻っている. 仕事を始めるのは 9 時に出勤したとしても,まあ,仕事を始めるのは 9 時半と言ったところか. フレックス万歳と言いたい所だが,皆が働いているのを横目に見ながら出勤するのは情けない. 何が悪いと考えてみると「部屋が寒いせいだ」と思いつくが,もとを正せば,何のことはない自分の意思が弱いせいである.

何御託を並べているのかしらん.まあ,酔っ払いの戯言.明日は朝一に会議というのに.
オヤスミナサイ.

2002年01月21日 22時59分37秒


鳴らない電話

携帯電話が壊れた.
人の顔を見ずに話すことが苦手なこともあって電話をかけることの少ない僕が何を思ったか携帯電話を購入したのはおよそ半年ほど前になる.「まあ皆が持ってるし...」ぐらいの理由だった.気が付くといつの間にか 50 人余りの連絡先と知人から受けたe メールが貯まっていた.たまに見返してみては「にっ」と笑ってしまうものもあり,削除されることもなく半年間の記憶が少しずつ小さな機械の中に積もっていった.

携帯が「ピーッ」と最期のうめきを上げて壊れたのは,ゴールデンウィークも終りに近づいたある朝のこと.朝寝ぼけながら顔を洗っていると「コトッ」と何やら硬い物体が落ちる小さな音に嫌な予感を覚えシャツの胸ポケットを探ると,そこに或るはずのものはなく,目を開けてみると元気良く水浴びをする携帯がそこにいた.後の祭りとはこのことか.着替えをする前に顔を洗っておけば...などと後悔することしきり.即座に水から取り上げて乾かしてはみたものの,彼は目を覚ますことはなかった.最後に鳴った不通音がやけに頭のなかに残り,自身の後悔に加え携帯電話の無念さのようなものを感じて,不憫でならない.物言わぬ機械のこととはいえ,あの最後の一瞬,ショートによる過負荷はメモリーチップの記憶を一気に放出して,半年間の記憶を思い巡らし「あぁ」と溜息を漏らしたようにも思える.楽しい記憶,辛い記憶そして僕の知らない記憶.

義兄が逝ってもうすぐ十ヶ月になる.僕の中からは記憶は消えない.ただ何やら整然としたものに容を変えて薄れ行くのを感じている.そして次の記憶,喜び,悲しみ,心の中に積もって行く.

懲りもせずにまた携帯をかった.少しずつの記憶でもいい,生きている証.


2001年05月22日 00時32分38秒


桜の季節の来る前に



今週末,久しぶりに大学時代の級友達と会う. 一年半ぶりだから “久しぶり” と言って差し支えないだろう. 社会人になって十一年の歳月が過ぎて,大半は結婚して立派な父親になっている. 今回会う面子の中で,単身生計者は私ともう一人だけである. 蛇足であるが三十五歳を過ぎた頃からだろうか,“独身” という言葉に照れを感じるようになった. “単身” のなんとなく主体的な響きがしっくり感じる,しかしその反面うらぶれた感覚を醸し出すのも否めない.

今回この時期に級友が集まるのには訳がある. 大学 3 年の如月のある休日に,教養部最後ということもあって皆で近くの動物公園だったか森林公園に出かけた. とは言っても,私は珍しく野暮用で夜の飲み会からの合流だった. 飲みも園酣になって,まだ A が来ていないことに気が付いた. A は公園で別れた後一人バイクで戻った. 奔放な A のこと,宴会など何処吹く風とバイクを走らせているのだろうと,皆酔いの中に意識を鈍らせていった. 翌朝になって彼の事故を知った.

それから一ヶ月間,延髄に溜まった血餅は彼の意識を甦らせることはなく,彼の二十余年の短い人生を綴じた. 彼の生き急ぐような生き方は,この日を自ら予感していたのかと思わせる. 彼の生き方が我々に残したものはあまりにも大きかった.

彼が逝って十五年目の春を迎える. A の記憶は色褪せることなくあの頃のままである. この十五年,私は何を得たというのか. 失った時間に比べたら得たものは一握もないのではないか.

今週末,久しぶりに大学時代の級友達と酒を飲み交わす. この時期集まるのには訳がある. 春は何につけ人をまどろみに,そして酩酊へと誘う. もうすぐ梅の季節である. そしてじきに,夜桜の季節がやって来る.

2001年03月06日 02時08分44秒


車のある生活


車が壊れた. 代車は出たが,大きな RV 車に乗っていた私にとって,小さな軽自動車はちと辛い. 遊園地のゴーカートの感覚. 運転の荒い私には軽自動車ぐらいの方がちょうど良いとの声もあるが,やはり不便である. もともと出不精な私は,休日に部屋でボーっとすることが更に増えた. まだ補償期間とはいえ,損傷個所が良くなかったとみえて,いつ車が直ってくるのかまるで見当がつかない.

こんなことになって,ふっと思った. いつから車に頼った生活をするようになったのだろうか. 歩かない生活. 駅前の商店街,アーケード街を行き交う人々のざわめき,そんなごく普通の風景や音に触れなくなって,どれぐらい経つのだろう. 二百メートルも離れていないコンビニに煙草を買いに行くのにも車を使う. いったん車に乗り込めば,流れ続ける CD の音が街の喧騒も,静けささえも遮蔽して,私は目的地へ誘われる. 点と点を結ぶ生活. 恐らく,その点と点を結ぶ様々な多くの物事を見落としながら,この街で暮らしてきたように思う. 実家に帰省するにしても,友人達と行楽に行くにしても混雑を避けて裏道をうねうねと曲りながら,まるでタイムを競うように目的地に向う. そして,混雑を逃れ,いち早く目的地に着いたことに安堵する. いつからだろうか.

大学生のある夏休みに,友人数人と東北に車で旅行をしたことがある. 一台の車に乗り込んで当て所のない旅. 一週間ほどだったと思うが,テントで寝泊りしながらの旅は目的地など無かった. あえて目的地を言えば着いた場所すべて,道すがらに出会うものすべて. 同じ車での移動でも,あんな充実した感覚はここ十年感じていない.

車は壊れたが,そのおかげで少しだけ立ち止まることができた. 悪いことばかりでもない.

今度帰省するときは,久しぶりに電車で帰ってみようか. 丁度ゴールデンウィークの頃,夜行電車からは湖のように煌く故郷の水田地帯が見えるはずだが..... .

2001年02月16日 01時14分43秒


夢の顛末




  最近,藤原正彦の新しいエッセイ集を見つけた. 藤原正彦といっても,彼を知る人は少数派であろう. 彼は,作家の故・新田次郎と詩人藤原ていの息子であり,一数学者である.
私が彼の文章に初めて出会ったのは高校 1 年生の冬,20 年以上も前のことである. その当時,本の虫だった私は,父の書棚にある日本文学,欧米文学そしてロシア文学を読み漁り,読む本が尽きると,店員に白い眼で見られるのも気にせずに書店の書棚の前に居座り続ける毎日だった. ある日,当時予備校生だった 3 才年上の姉が二冊の本を借りてきた. 借りてきたというよりは,遊びに行った高校の恩師から「面白いから読んでみなさい」と渡された物らしく,当然のごとく彼女の机の上に放置されたままになっていた. そのうちの一冊が藤原正彦の処女作「若き数学者のアメリカ」である.当然,本に渇望していた私がそんな好機を見逃すはずはなく,二冊とも私の悦楽の餌食になった. ちなみに,もう一冊は米国ベストセラー作家 D キイスの処女作「アルジャーノンに花束を」である.
私が藤原の文章に魅了されるのに時間は懸からなかった.文章に魅了されたのか,彼の若い夢に自らを重ね合わせたのか,多分両方であろう. 若い数学者がアメリカ留学で出会った人々との交流,苦悩そして冒険が新鮮にまるで私自身の体験のように私の中を駆け回った. 一気に読み終えた. 恐らく,姉がその本を返却するまでに 3 回は読み返したと思う. 他人の人生とはいえ,内向的だった私がはじめてベクトルを外に向けることに喜びを感じた. 世の中を知りたい,人と交わりたいそして夢を追いかけたい,そう思う切っ掛けだったのかもしれない.

彼の新しいエッセイ集「古風堂々数学者」を見つけたときは,長い間音信の取れなかった旧友との出会いに似ていた. やあ,久しぶり,元気だった? 今でも夢は.....  
しかし,彼は既に夢見る青年の時を何処かに置いてきてしまったようだった. 50 才を越して,世の若者を憂い憤る無骨な数学教授がそこにいた.

私もいつのまにか 37 才になってしまい,夢を語ろうとすると周りから窘められる.
もうそんなことを言っている歳でもあるまいに. 夢だけじゃ生きていけないんだよ.....

人の一生は蜻蛉の如し.蜻蛉の羽の鼓動が止むまでに,私は夢を掴めるのだろうか. いつか現実を.
私はまだ暁のまどろみから目覚めることができないようだ. .

2001年02月04日 12時46分06秒


最近,引っ越しなるものを行ってみた




 最近,引っ越しなるものを行ってみた.

 前の住処に居着いてどれくらいになるだろうか. 恐らく,六,七年棲んでいたように思う. 二十歳を過ぎてからの人生において (長くも短くもない中途半端な人生ではあるが),最も長く居着いていたように思う.

 大学時代の六年と余年は,二から三年で下宿を代えていた. 一度大学を移り,二度目の大学は六年間在籍したが,その間二度下宿を代えた. 学生時代の住処は人の出入りが多かった. 特に交友関係が多かった訳ではないが,首都圏近郊の大学のせいか教養部の頃は自宅から通う奴らが多く,田舎から来ていた私の下宿は格好の溜まり場と化していた. 夜更けに酩酊して部屋に帰ると誰かが勝手に入り込んで熟睡していた. また,休日出掛けて帰って来ると,下宿の前で麻雀牌を抱えた数人が私の帰りを出迎えた. 麻雀は大学に行くまで全く知らなかった. しかし,私が寝ている隣でジャラジャラとやられては覚えないはずもなく,何時しか格好のカモとして仲間に加わった. 無論,彼らとしても家主が同類に加われば更に気兼ねなく部屋を利用でき,一石二鳥というものだろう. 学部に移って,住処を代えた. その頃は一緒に遊びに行く女友達もできた. 我が部屋に屯っていた奴らも,各々部屋を見つけ,彼女を見つけていつの間にか疎遠になっていった. それでも,寂しさは感じなかった. 学生生活に見切りをつけた時は二十六になっていた.

 社会に出て,十年が過ぎた. 最初の四年間は一,二年毎に住処を代えていた. 浦和,仙台そして板橋と移り住んだ. 自ら進んで代えたわけではなく,仕事の都合上自ずと代わらざる得なかった. そして,関東の隅の地に移り住んで六年が過ぎた. 転々と住処を代える生活に馴染んだ私にとって,六年は長い. 多くの友達が結婚して家庭を築いてゆくのを横目に,仕事にかまけていた. ふと一息ついてみると,一所にこんなに長くいたと気づいた.


 最近,引っ越しなるものを行ってみた. あと二,三年は自ら築いた錯覚の中で過ごしてゆくのだろうか. 明日,明後日と変化の確信を抱きつつ,いつか錯覚を自覚するときまで.


 そしてまた,次の引っ越しを考える.

2000年07月08日 00時28分07秒