あれからしばらくの間シャワーを浴びて、バスタブには浸かること無くバスルームから出る。
「あ、おはよ〜…」
悪夢のバスルームから出てきた渉を、寝ぼけた顔でチサトが迎えてくれた。
「おはようございます…。」
チサトの声で渉の存在に気づいたセンリも、すかさず挨拶をする。
(いかん。子供の前で暗い顔するなよ。)
「おはよう。よく眠れた?」
渉は作り笑顔とは思えない、爽やかな笑顔で答える。
(とほほ…。完全に爽やかお兄さんが板に着いてるよ。)
心の中で半ば落胆気味の渉をよそに、双子は元気良く答える。
「うん!」
やはり2人同時に答える。
朝から気が触れそうなほど続く緊張を和らげてくれる子供たちに、渉は心の中でそっと感謝した。
「ところでお腹減ったんだけど〜」
しかしこの図々しさはどうにかならないかと、渉は心の中で尋ねずには居られなかった。
しょうがないので普段滅多に立つことの無いキッチンの前で、今朝の献立を確認する。
「トーストとスクランブルエッグで良いだろ?」
居間でTVを見ている2人に声を掛ける。
「…男の料理なんてそんなもんよね…。」
チサトの呟く声が渉の耳に届く。それをかき消すかの様に
「おねがいします!それで良いです!」
センリの声が狭い室内に響く。
(いや、それで良いですってのも失礼だと思うぞ。俺は)
渉は諦めたような表情を浮かべ、不器用な手付きで玉子を割り始める。
少しづつ、中学生のきりやっていない家庭科の授業の要領を思い出す。
じっとTVを見ている2人を背に、渉は黙々と野菜を冷蔵庫から運んでいた。
(母親ってのは当たり前のようにこんな理不尽なことをやらされているのか。)
渉は、これからは親孝行な人間になろうと思った。
そろそろ双子の胃が抗議を始めようとしたその時、ようやく渉の料理は完成した。
「おそいっ。」
と、チサトからお叱りを受けてしまった。
(何かどんどん辛辣になっていかねーか?チサトの言葉。)
「はいはい、お待ちどうさま〜。」
思っていることは口に出さず、こめかみを引きつらせながら料理をテーブルに載せる渉の姿を怖々とセンリがみつめる。
(オマエも男なんだから、びくびくすんなっ!)
適当に作ったサラダを置きながら、半ば八つ当たり気味に心の中でセンリに怒るが、これも口には出さない。
言えば泣くだろうということぐらい、短い付き合いとは言え何となくわかった。
しかし、思っていることを口に出せないのは結構辛いものがあった。
ストレスで禿げるのを怖れた渉は、冷蔵庫から牛乳を取り出しカルシウムを沢山摂取しようと思うに至った。
「それじゃ、いただきます。」
渉に続いて2人も
「いただきます。」
と両手を合わせ、同時に食べ始める。
今朝の一件で食欲など湧かないと思っていた渉だが、あいにくそんなデリケートな神経は持ちあわせていなかったようだ。
(神経ズブトイなぁ…。普通、あんな後にバクバクとメシ食うか?)
思ったより自分が悩まないと言うことが悩みと言う、オメデタイ渉をよそに2人は着実にスクランブルエッグを我が物にしていく。
「ああっ!オマエらそんなに食うなよな!」
するとチサトが当たり前と言う顔で
「だってもう食べるもの無いんだもん。」
と答える。
テーブルを見回すと、サラダまで消えていた。
「ああああっ!」
「何?ケチくさいわねぇ。意地汚いと嫌われるわよ。」
本当に悲しそうな顔で渉が問う。
「誰に?」
「オンナ、によ。意地汚い上に鈍感なんて…。」
「食パンはそこにあるから、足りなかったら自分で焼いて…。」
虚しかった。この20と余年の人生は、こんな女の子に敗北するような薄い内容だったのだろうか…。
人生の敗北者を脇に、幸せそうにパンをほうばるセンリ。
「早く食べないと冷めちゃうよ。」
わずかながら自分の皿にとって置いたスクランブルエッグを、センリは渉の皿に移す。
「あぁ、ありがとうな…。」
渉はこの日初めて、中高校生になめられるオヤジの辛さが身に染みた。
別の方向に悩み始めた渉の食欲は、そのわずかなスクランブルエッグで事足りるようだった。
2人も食事を終え、後片付けが始まった。
後片付けは双子がやってくれている。
意外にも、それはチサトの提案だった。
ここで渉も意外そうな顔はせずに、
「ありがとう。悪いね。」
の台詞だけで済ませた。内心では
(それくらい当たり前だけどな。)
と毒付いていたが。もしそれを表情に出そうものなら、チサトが
「何?何か文句あるの?」
と噛み付いてきただろう。
(金輪際チサトとは口論しないぞ…。俺はオトナだからな。)
それは逃げともとれるが、争い事はしないに限るのも正論で、間違ってるとも言えなかった。
ただ、本音の所は「チサトには勝てないから」で、一般的に見てそれは余りに情けないことなのだが。
取り敢えずは悩み事にピリオドは打てたわけで、TVを点ける。
(そう言えば、今日は日曜だよ。)
チャンネルの何処を回しても下らない番組なので、ようやく思い出す。
だからと言って特に好きな番組も無いので、基本的には渉の中には面白いチャンネル等と言うものは存在しない。
(せっかくの休日が子守りでパーか。)
なんだか早いとこ双子(特にチサト)に帰って貰いたい渉だが、うっかりそんなことを言おうものなら敗北宣言をしたようなものだ。
しばらくはタイミングを見計らって、その事について何も言わないことにする。
「終わったよ〜。」
軽い疲労を表情に見せながらセンリがこっちに来る。チサトもそれに続いた。
「あ〜、疲れた。」
「ごくろうさま〜。助かったよ。」
渉が労いの言葉をかけると、センリは笑顔を渉に向け、チサトは特に表情を変えずにベッドに腰掛けた。
「何か飲む?」
食器棚からカップを二つ取り出すと、
「ちょっと、食器洗う前に言いなさいよ。また洗わなきゃ駄目じゃない。」
またもやチサトからお叱りを受ける。
「あぁ…それは後で俺がやるから。で、ミルクティーで良い?」
とにかくチサトと口論に持っていきたくないので、渉は話しを勝手に進める。
「コーヒー。」
渉は思わずぎょっとする。センリがコーヒーを好むとは、予想が出来なかった。
「両方共、ミルクも砂糖は要らないから。」
続いてチサトの注文に、更に驚く。
(なに!?俺だってミルクと砂糖は入れるのに。)
それだと自分だけミルクと砂糖を入れるのはカッコ悪い気がしたので、2人には気づかれないように渋々とコーヒーを煎れた。
「いただきま〜す。」
センリは何かを口に運ぶ時は本当に幸せそうにする。
「インスタント…ねぇ。」
と軽く呟いてからチサトもカップに口をつける。
普通にコーヒーを飲む2人を見て、渉は軽い驚きを見せた。
(偏見はダメだな。世の中にはこんな子供が居たって不思議じゃないさ…。)
違いがわかる小学生を見ながら、渉もそれにならう。
(やっぱり苦いモンは苦いな…。)
これからは普通に飲もう。大袈裟にも心に決めながらコーヒーを飲み干した。
それから何をするわけでもなく、別に取り立てて面白くも無いが、見ることが習慣化された番組を見ながら、チサトが呟く。
「お腹減った。」
渉はその言葉に反応し、チラリと時計の方に目をやる。アナログ時計の針は11:43を指していた。
「あぁ、もうそんな時間なんだな…。」
(まだウチで飯を食う気か…。)
その図々しさに渉は半分呆れて、半分感心した。
元々一人暮らしで自炊しているわけでは無いので、食材と呼べるものがもう冷蔵庫からは出てこない。
「じゃ、出前で良い?」
だからと言って今から買い物に出かけるのも面倒だったので、出前の方が渉は楽だった。
「良いわよ。別に。」
チサトからもお許しの声が出たので、2人に近所のラーメン屋のメニューをそれぞれ1つずつ渡した。
「決まったら言ってね。」
そういってまた面白くも無いTVを見る渉。
メニューとにらめっこしているセンリと、冷ややかとも言える視線でメニューを眺めるチサトを見て、
(こういう風に表情が違うと、全く別の顔に見えるもんだな…。)
とか、
(見比べてみると面白いよなぁ。)
等と、2人には気づかれないように横目でちらりちらりと観察してみる。
不意に渉の顔から笑みがこぼれる。
(あ、今幸せかなぁ、とか思ってるし。)
思わず苦笑する。そんな渉には気づかずに2人はメニューに目を通している。
(まぁ、これも今日だけの話しだ…。今のうちに幸せを噛み締め噛み締めておくか。)
2人はまだメニューを離さなかった。
戻る