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成田山新勝寺境内ご案内
皆様、本日は、ご遠路ようこそご参拝下さいました。私は の です。よろしくお願いいたします。
寺号成田山新勝寺は、成田不動ともいわれるようにお不動様をおまつりしています。弘法大師のお開きになられた真言宗の教えを伝えるお寺で、真言宗智山派の大本山という寺格を持つ寺院であります。成田山は、940年、今から一千六十有余年前に寛朝大僧正により開かれ、現在では初詣でを中心に年間一千二百万人のご参拝をいただいております。(資料−1:1月一ヶ月間の参拝客は380万人。そのうちの290万人は三が日の間にくる(明治神宮につぎ日本で二位)。資料−2:千葉県内には年間訪問者数が1000万人を超える場所が三つある-ディズニーランド、空港、成田山。資料−3:昨年成田市を訪れた人は1400万人(電車で650万人、観光バスで120万人、マイカーで630万人。)資料−4:新名所-桜の山公園(空港を一望)、酒田が池公園。資料−5:5万坪(40エーカー)の中に40のお堂。重文五つ(1700-1800年代の寺院建築)、平和のシンボルの1984年建立の平和の大塔、人間教育への重要性から、二つの幼稚園、小、中、高の学校、図書館、博物館、四万坪(32エーカー)の公園、70箇所の末寺(支店)subordinate temples、1978年には空港が出来・・・ |
ガイド諸氏が日本のことを説明するうえで日本語と英語の専門用語の学習は、結構骨の折れるものです。ここに紹介する方法は、日本語と英語の文章を左右に並べて対比させ、左側の日本文を読んでみてその中で英語でどういうのかわからない語句があったらすぐ右側の英文の中から探し出せるというものです。用いられている資料は、成田山新勝寺の和・英パンフレットならびに発刊文献、「シルバーボランティアガイド」の田中氏、雨宮氏、磯岡氏その他各氏の作成の文書からの引用等がもとになっていることをご了解くださるようお願いします。日本の事物を外国人に英語で説明するうえでお役に立てられればとの思いで作っています。
未完成です。記述の間違い等によって引き起こされるかもしれない不利益などについての責を負うものではありません。
公共(外国人訪問者)への利益のために、が私の信条です。Help is wanted!
2002/10/26
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朱雀天皇 寛朝 中興の前16世 照範上人 中興の後19世
22年前 1978年 |
成田山の歴史
成田山新勝寺は、京都広沢遍照寺の寛朝大僧正によって、平安時代の天慶三年(940年、今から1060年余前)に開創されました。天慶二年(939)平将門が乱をおこすと、時の帝・朱雀天皇は朝敵降伏の密勅を寛朝大僧正にくだし、追討の軍を東国に派遣されました。
大僧正は、弘法大師が敬刻開眼( 年前)し、京都高雄山神護寺に奉安されていた不動明王尊像(高さ6尺、1.81m)と、≪天国≫の宝剣を奉じ、難波津から東国にむかいました。そして上総国尾垂ケ浜に上陸し、戦乱の地にほど近い下総国公津ケ原(現在の成田山から三キロメートル離れた不動ヶ岡)に尊像を奉安し、乱平定を祈る不動護摩法を修したところ、21日間の満願の日に当たる天慶三年二月十四日に平将門が討たれ、さしもの乱も平定されたのであります。
大任を果たした大僧正は、再び尊像を奉じて京都に帰ろうとしましたが、不思議にも尊像が盤石のごとく微動だにしません。奇異に感じ、合掌しお祈りしましたところ、「我が願いは、尽きることなし。永くこの地に留まりて、無辺の衆生を利益せん」との声が響きわたりました。このことを天皇に奏上いたしますと、天皇は、深く感動され、国司に命じてお堂を建てさせ、新たに勝った因縁にちなんで「新勝寺」の寺号を授与し、成田山が東国鎮護の霊場として開創されました。
以後、法灯は、連綿として受け継がれ(中興の前16世、中興の後今日まで19世)、特に江戸時代に入ると、佐倉城主稲葉氏、堀田氏などの外護を受け、大きく発展することになりました。中興の祖として仰がれる照範上人(中興第一世)は、元禄十四年(1701)本堂(現在の光明堂)を再建し、寺格の向上と境内拡張整備を図りました。いま見られる寺院の基盤は、照範上人の代に築き上げられました。その一端をあげれば、成田山として初めて江戸深川にて、本尊の出開帳を奉修したことであります。これによって、成田山の名は広く江戸の町民に親しまれるようになりました。これとあいまって、成田山不動明王に信仰のあつい初代市川団十郎が「成田屋」の屋号を名乗り不動明王を主題とする歌舞伎を上演し、成田不動と団十郎との仏縁が評判となり、江戸中に成田山の名が知れわたりました。これらのことにより、成田詣は、信仰と遊山を兼ね、飛躍的に発展しました。
明治、大正期に入り、鉄道など交通機関の発達により、成田詣が、全国的に広まったのです。
戦後の成田山は、引き続き精力的に境内整備、堂塔伽藍の造営に尽力してきました。主なものとして、新大本堂、光輪閣、平和大塔、聖徳太子堂などがあります。成田市に昭和五三年(1978)新東京国際空港が開港され、日本を代表する門前町に、文化、経済などの面で国際化という大きな波が打ちよせてまいりました。この波を正面から受け止め仏教を通して世界平和実現への道を推進し、世界各国との交流を図り、今や「世界の成田山として大きく羽ばたかんとしております。成田山は国境、民族、宗教を越え、人類共生の実現のためご本尊不動明王のご加護をいただき、仏教の教えを広めてまいります。
追加:江戸時代以前は田舎の小さな一寺院に過ぎなかったものが、照範上人(中興第一世)による出開帳などにより多くの講もでき(現在では1400の講があり、正月には130本の臨時電車で来訪)、初代市川団十郎の信心にも助けられ、東京まで往復三日の道のりを多くの丈夫な男性が来訪するようになり、明治初期には成田鉄道が出来旅館、みやげ物店がにぎわった。今は、60kmの東京まで1時間。宿泊客が少ない。昭和の始めにはモータライゼイションの到来を予見したのか交通安全祈祷が始められた。
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History and Introduction
This temple has a history of 1060 years. It was founded by archibishop Kanjo in the year of 940. The Temple is dedicated to Fudo Myoo, the god of fire, the image of which was carved and consecrated by Saint Kobo Daishi (Kukai, the founder of Shingon Sect of Bhuddhism). The Emperor at that time was Emperor Saga, who requested for its making. It was kept at Takaosan Jingoji Temple in Kyoto. When Taira-no-masakado led a revolt against Emperor Suzaku in 939, Priest Kanjo received a
secret order from Emperor Suzaku to suppress the revolt. He went to the district bearing the
image of Fudomyo-o and performed a three week Goma rite for peace. Miraculously, on the final day
of the Goma rite, on the 14th of February in 940, the revolt was suppressed completely.
Priest Kanjo, thus fulfilling his duty, prepared to return with the image of Fudomyo-o to
Kyoto, but he found that it had mysteriously grown as heavy as a huge stone and could not
be moved. Soon he heard the oracle of Fudomyo-o saying, "My wish has not been fulfilled.
I wish to stay here forever and relieve innumerable people from suffering." Deeply
impressed by the mercy of Fudomyo-o Emperor Suzaku ordered a temple be erected to enshrine
the image on that spot. Then Naritasan Shinshoji Temple was established by Priest Kanjo.
The Temple attracts many followers and worshippers as the center of faith in Fudo. Visitors total somewhere between ten and twenty million a year. On its premises, the Temple has five structures designated by the government as important national cultural assets.
Chishakuin Temple in Kyoto officially proclaimed Naritasan as the cathedral of the Chizan-ha Sect of esoteric Shingon Budhism in 1951.
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Narita City 年中行事 |
Profile of Narita City
Population: 93,000 Households: 36,000.
Flanked by the Tone River to the north, take Inba to the west and an extensive plateau to the southeast, Narita City was born in 1954 when six villages and a town were incorporated into one. For more than thirty years, since, Narita has achieved dramatic development as an international city where historical establishments such as Narita-san Shinsho・ji Temple and Sogo Reido Mausoleum stand in harmony with modern facilities typified by the Narita Airport. Designated as a model international tourist area, the city embraces many other scenic spots and places of historic interest. The city also presents a variety of agricultural products and articles of folkcraft.
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年中行事
成田山は、お護摩といわれるようにご信徒の皆さんが毎日楽しく平安であられますようお護摩ご祈祷をしておりますが、毎月一日、十五日、二十八日のご縁日の他、一月の初詣、二月の節分、四月の花まつり、和太鼓フェスティバル、茶筅塚供養会、五月の春詣、薪能、六月の青葉まつり、弁天まつり、七月の祇園祭、暁天講座、九月の秋詣、表千家献茶式、庖丁塚供養会、十月の雅楽演奏会、十一月の七五三、御利生祭時代絵巻、十二月の納め不動、お焚き上げ等、毎月大きな行事がございます。詳しくはパンフレットをご覧の上この次のご参考として下さい。このように成田山はご信徒の皆様が成田山にお参りをして幸せになっていただくために先すは成田へ来るきっかけをつくるためいろいろな行事を催しておるとのことであります。
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社会事業 Airport 22年前 1978年 Tourist Pavilion |
社会事業
日本で初めて庶民の学校である「綜種芸種智院」を開校され、人々の幸福を願い、その理想社会を目指された弘法大師の教えを伝える成田山は、すべての人々に奉仕するという本尊不動明王のご誓願にのっとり、「浄財を浄処に」という先師の遺訓により、社会事業に力をそそいでまいりました。それは、成田山五大事業と呼ばれるもので、成田中学校、成田図書館、成田幼稚園、成田感化院、成田山女学校です。現在、施設の名称こそかわりましたが、この精神は、脈々と受け継がれ、運営内容をさらに充実、発展させ今日にいたっております。
また成田山では、ご信徒の奉納した清らかな浄財を社会に還元しております。成田山で.は浄財を浄処にと云う代々の貫首様の方針に基ずき、多くの社会事業を経営しております。平成一〇年(1998年)に創立100周年を迎えた成田高校、そして付属中、付属小、と幼稚園二つ。親の都合で親子一緒に暮らせない子供を育てる、成田学園。仏教関係の蔵書が充実している仏教図書館、成田山信仰の歴史を展示する霊光館、そして我が国近代を代表する書家の作品が展示されている書道美術館。ご本堂裏手に広がる五万坪(165,000平方メートル)の成田山公園。このように地域住民はもとより多くの人々の教養、教育、福祉の向上の為に寄与しています。このように多くの事業をとおして社会に貢献している、これは日本広しといえども宗派、教団で経営するところはあっても一寺院での経営は成田山だけではないでしょうか。皆様には成田山がお不動様のご本誓のもとに宗教的使命を果たす為にこのような努力をされていることを念頭にいれてご参拝頂きたいと思います。それでは皆様とご一緒に境内諸堂の諸仏を参拝致します。
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Narita Airport
Since it was opened in 1978 (22 years ago, Narita Airport has accommodates about 330 flights a day of 50 airlines companies, linking Narita to more than 98 cities in 38 countries of the
world Passengers in and out of the airport total 20 million a year, the fifth largest(65,000passengers a day on an average and 4,200 tons of cargo a day) in the world in the number of passengers and number one in cargo volumes.
The airport has facilities built with advanced technology such as 4,000-meter runways and terminal buildings When expansion construction is completed, the airport will be one of the world's largest both in name and reality
Narita tourist pavilion
Inside the hall are presented the temples and shrines as they were during the Edo Period together with the two floats which are paraded in Narita Gion Festival, and other vehicles of past times Tourist information is also provided by videotex and other means 9:OOam-5: OOpm (October through May) l O: OOam -6: OOpm(June through September) (Closed: Mon and year end period)
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御水舎(おみずや)
先ず境内の入口の御手洗所(水舎)で手を洗い、口を漱ぎます。これは体と口を清めてから境内に入ると云うことになります。(お護摩受付所経由)
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お護摩受付所
お護摩札を申し込まれる方はこちらのお護摩受付所でお申し込みください。お護摩札には、剣の形をした木札と箱型の箱札との二種類があります剣の形の木札は不動明王の心形である利剣を表しています。箱型の御札は、中に不動明王のお姿を内符としてお納めしてあります。お護摩札は大小さまざまな形をしていますが、どちらも不動明王のご分身であります。お護摩札をご自宅または会社にお持ちかえりになりましたら、仏壇、神棚、床の問にお祀り下さい。そのような場所がない場合には、清らかな少し高い場所にお祀りし毎日お水を上げてお不動さまのご真言を唱えご加護をお祈りして下さい。
ご参考までに申し上げますと、
お護摩札の初穂料
初穂料普通護摩3,000円以上
5,000円、10,000円
特別護摩20,OOO円
特別大護摩30,OOO円以上
願意の詳細はパンフレットを参照して下さい。
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お護摩
大本堂に入りお護摩を参拝致します。成田山のお護摩は、弘法大師が開かれた真言密教の秘法です。成田山では開山以来一日も休む事なく、不動護摩法を修法されご信徒の諸願成就をお祈りしています。間もなくこの大本堂に僧侶が入堂されます。お護摩が修法されますと護摩壇の炉に火が入り、私達の煩悩を焼き尽くし、私達の願いが清浄な願いとして成就することを祈ります。お護摩の炎の中で導師の「修法の力」と「お不動様の力」が一つになり、そしてもう一つ私達の「心から祈る力」が加わりこの三つが一体となったとき、「霊験利益」を感じとれます。この時の状態を形で表されたのがお護摩です。ですから皆様がお受けになられるお護摩札はお不動様のご分身ご分霊です。ご自宅に帰られましたら清らかな所にお祀りされ、毎朝お水を上げてご真言をお唱えし、お不動様とのご縁を深めて戴き幸福で楽しくなるようにお祈り下さい。間もなくお護摩が始まります。ごゆっくりご参拝下さい。(お護摩終了後、諸札受場経由釈迦堂に向かう)
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170年前 200年前 32年前 |
仁王門
始めの石段を登りますと、一番始めに私たちを迎えてくれる国の重要文化財の仁王門についてご案内いたします。この建物は高さ約十九メートル屋根は千鳥破風の入母屋造りで、文政十三年(1830年)に中興第九世照融上人代に再建され、左右には密迹金剛、那羅延金剛、裏仏には広目天、多聞天が安置され、境内の入口にあって伽藍守護の役目をしております。
特に左右の仁王像は「朱振りの仁王」と称され隣村の寺台城主海保甲斐守(かいのかみ)三吉が白木のままであった仁王に人一倍の腕力増進を祈願しその大願成就のお礼として朱塗りにしたと云われております。仁王と言いますと阿形、吽形の二力士ですが、成田山の仁王様も右側の那羅延金剛力士像は口を開き、左側の密迹金剛力士像は口を閉じています。「阿」は口を開いて発する字音であり、「吽」は口を閉じて発する最後の字音でそこから万物の始源と終極を象徴すると見なされています。
狛犬(こまいぬ)
初めの石段を登りますと、仁王門前の狛犬が迎えてくれます。狛犬はお不動さまにお参りされるご信徒を「入り来る人にはやすらぎを、去り行く人にはしあわせを」と温かく見守ると共に、これから先は聖域であることを示しています。狛犬には、出雲式の前を屈めお尻を上げて相手を威嚇するかのような狛犬と、足の下に玉を持つ「玉取りの狛犬」子供を抱く「子取りの狛犬」と呼ばれる狛犬がいます。
大提灯
次にこちらの真っ赤な大提灯ですが、一度でも成田山を参拝された事のある方はその大きさを忘れる事はないと思います。明治二十年に発行された「成田山縁起」の中に文化元年(1804年)に日本橋の小田原町有志より大提灯の奉納があり、連続して今日に至ると云う記録が魚河岸講にあります。この「日本橋小田原町有志」と云うのは旧日本橋魚河岸を指していると思われます。約200年も昔から仁王門には大提灯が掲げられていたのです。以来、魚河岸講中より奉納されております。現在の大提灯は重さ800キログラム。合金製で昭和四十三年(1968年)大本堂建立を記念して奉納されたものです。江戸庶民が如何にお不動様の熱烈な信仰者であったかが、この大提灯の歴史から伺い知る事ができます。大提灯の上の「成田山」の大額は「山崩しの額」とも言われ宝永年中に東大寺別当道恕上人が揮毫されました。別当とは僧官の一つで大寺院に置かれた僧官の事です。
身代りお守
私達が事故や災難にあった時、木の小さな御守が真二つに割れて、私達の身代わりになって下さる有り難いご霊験で有名な成田山の身代わりお守りの由来ですが、この仁王門上棟式が天保二年三月に行われました時、大工の辰五郎が上層の足場に移ろうとして、足を踏み外し、約二.七メートルの高さから墜落しました。居合わせた人々は即死したものと駆け寄ったら忽然として起き上がったわけです。あまりの奇跡に人々は声も出ず辰五郎の体を調べるとかすり傷すらなく常に持っていた成田山の鑑札が真二つに割れていたとの事でした。ご霊験を目のあたりにした人々は今更ながらお不動様のご霊徳にひれ伏したとのことであります。以来成田山の身代りお守りは老若男女多くの人々に親しまれ持たれています。
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Nio-mon Gate
This is Nio-mon Gate. This building houses a pair of statues called Nio or the Deva
Kings (Kongo Rikishi in Japanese). The original one built in the same age as the Bell Tower in the year of 1706 was burnt down. The one you see today dates back to the year of 1830(170 years ago) and is an important national cultural asset designated by the central government. The pair of Deva Kings
in front and another pair of statues in the back, one called Tamonten and the
other called Koumokuten, ward off evil spirits out of the temple. These deities of indignation in front of the gate are called Naraen Kongo, the one on the right with his mouth opened
emitting the sound of 'A' and Misshaku Rikishi, the one on the left with his mouth closed emitting the sound of 'N'. 'A' and 'N' are the first and last alphabets of
Sanskrit language representing the begining and end of the universe or alpha and
omega in Western philosophy. These two letters sometimes are interpreted as our birth
and death as we are born with the mouth open and die with closed.
Komainu
These are Komainu, Korean dogs, the lion-shaped guardian dogs, squatting in a pair
at the left and right sides of the entrance of a shrine or temple. (There are three types of
guardian dogs; 1) Izumo-style, 2) Playing with a ball under its foot, 3) Holding a baby dog.
They were brought into Japan as one of the influences of Chinese culture as talismans protecting against evil spirits. They guard the sanctity of the Shinto-shrine or
Buddhist Temple by warding off devils.
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正面階段
成田山の正面階段は53段あります。皆様は右手にお水舎を見ながら最初の17段を上り、仁王門をくぐって3段、亀が沢山いる仁王池にかかる橋を渡り、そして急勾配の33段をあがって大本堂へお参りします。この五十三段の石段は、東海道五十三次と同様に「華厳経」というお経からヒントを得たものです。仏の道を求める善財童子が五十三人の善知識者を尋ねて、深い知恵と大いなる慈悲の心を身に付けたところに由来します。皆様が石段を上がってお不動様にお参りすることにより、知恵と慈悲の心を深められるよう願っての事です。
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53 Steps to Climb These staircses have 53 steps, 3 steps, 17 steps and 33 steps respectively, with a total of 53. This figure coincides with the number of 53 sceneries of Tokaido Highway from Tokyo to Kyoto (514 km or 334 miles) painted in wood block prints by Ando Hiroshige. According to Kegonkyo, one of the Buddhist Sutra, a devotee Buddhist follower
looking for religeous wisdom and mercy of Buddha, met 53 high priests before he could achieve the purpose after experiencing all kinds of hardship. You could get the ultimate realization of the supreme truth in Buddhism as the devotee apprentice did in olden days by climing up the very steep 53 steps to the top of the premise.
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毀(こわれ)不動
仁王門をくぐり抜けますと左右に亀の群がる仁王池があります。この池は放生池です。左の細い石段の上にある一.ニメートル四方の小さいながら唐破風総彫の精巧華麗なお堂が毀れ不動です。このお堂は、今まで何度修復しても、不思議にこわれてしまうので、このような名が付けられました。現在のお堂は、明治三十二年、十五世貫首石川照勤上人の代に再建されました。この折りの棟梁は有名な宮大工、神田黒門町の村田惣三郎で、棟札には「故和礼(こわれ)不動堂」と書かれております。このお堂の本尊は、倶利伽羅不動明王です。このお不動さまは黒い竜が巻き付いた剣を持ち、様々な病気や魔障を取り除き、私たちの願いをよく叶えてくださいます。
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大錫杖(おおしやくじよう)
五十三段の石段を登り切りますと、大広場の右側に、大きな錫杖があります。お山にあるすべてのものは「お不動さまの説法の方便。用具である」とされています。錫杖は僧侶が修行するときや旅行するときに携帯する杖です。成田山ではお護摩ご祈祷には欠かせない法具であります。錫杖を振る音の力により、一切衆生の煩悩が清められます。力自慢の方はどうぞ大錫杖を持ち上げて振り鳴らし、お不動さまのご加護をお受けください。
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・仁王門: 1830+170 重文
(ORIGINALは、1701年鐘楼と同年)
大本堂(四代本堂) 1968年建立 - 2000年現在まで
32年間、
大本堂内の不動明王は重文
940年前、1060年、寛朝大僧正(朱雀天皇/平将門)
香閣: 1868+32
鐘楼: 1701+294
一切経蔵: 1722+278
聖徳太子堂: 1992+8
薬師堂(初代本堂)
・光明堂(二代本堂) 1701+299〜1858+142
157年間の本堂 重文
・釈迦堂(三代本堂) 1858+142〜1968+32
110年間の本堂 重文
・三重の塔: 1712+288 重文
・額堂: 1868+139 重文
平和の大塔: 1984+16
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294年前 1701年 |
鐘楼
大本堂に向かって右奥の高い所にあるのが鐘楼です、成田山中興第一世照範上人が元禄14年(1701年)建立、屋根は入母屋造りの銅版葺きで成田山の境内に残る建築物しては光明堂とならび最も古い建物です。また梵鐘は昭和四三年本堂の建立記念として現代わが国を代表する香取正彦先生が鋳造されたもので高さ181センチ重さ1068キロあると言われ、毎朝の鐘、正午の鐘、夕方の鐘と一日三回打ち鳴らされ時を告げております。
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Bell Tower
18.1 meter high, the bell weigning 1,068 kg. They gong the bell three times a day, in prayer of peace for the world. A priest pulls and releaces a wooden hammer suspended by sevral ropes.
It was erected in the year of 1706 by Priest Shouhan who restored the Temple (first restoration)and has an irimoya-type of roof of copper, one of the traditional Japanese architectural styles. This is, together with Koumyoudou, the oldest structure remained today at the Temple. The bell was casted by Mr. Katori Masahiko, in the year of 1968.
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278年前
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一切経蔵
鐘楼の左隣の建物は屋根は向拝のある宝形造りで一切経蔵と云いまして、照範上人が享保七年(1722年)建立、お堂内中央の台には八角形の回転式輪蔵があり、その中には一切経全巻が納められ、輪蔵を一回転すると一切経を全部読誦したと同じ功徳があるといわれています。現在は文化財保護の為廻すことはご遠慮願っております。
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Issaikyozo (All Scripture House)
Issaikyozo (All Scripture House) was built by Saint Shohan in 1722(
278 years ago). It houses a complete set
of the Buddhist scriptures. They are kept in a kind of
revolving bookshelf, several wooden bars stretching out of the shelf so that
people can push the bar to rotate the shelf. It is said that once someone turns it
around one round all the knowledged inside the scriptures can be transferred magically to
the person.
It has a Hogyo type of roof with Kohai (a root of penthouse to protect visitors
from the weather).
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288年前 16年前 |
三重塔《重文》
彩り美しい三重塔は正徳二年二月(1712年)に建立され、内部には五智如来を奉安し周囲に「十六羅漢」の彫刻をめぐらし、又雲水紋の彫刻を施した各層の垂木は普通の棒垂木と異なり一枚板で造られた珍しい建築技法です。塔の高さは約二五メートルあり昭和五九年(1984年、2年半かかった)に(享和三年(1602年)の彩色仕様書に基づき、復元施工され江戸中期以降に見られる彩色を施した建物として数少ない貴重なものであります。
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Three Storied Pagoda
The ashes of Shakyamuni Gautama, the founder of Buddhism,
was buried under a stupa in the north of India 2500 years ago. As Buddhism was
brought to China the Chinese pagoda was put to use in place of a stupa at a
temple. Thus, the origin of Buddhist pagoda. It was erected in 1712(288 years ago), 25 meter tall. The Five Buddhas are enshrined in the
Pagoda. Five Buddha Statues representing Five Different Wisdom of Buddha, or Gochinyorai in Japanese, Nyorai an honorific title of Buddha, are housed in the pagoda.
In each wooden relief on the wall you can see a carving of two Rakan or Buddhist Saints. There are 8 relieves altogether totaling 16 Rakans. The rafters, carved with cloud and water design, are made of single solid wooden blocks. It was restored to the original state in 1984 (16 years ago). One of the few remaining structures in this country, using many colors, of the mid-and-later-Edo period.
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Shotoku-taishi-do Hall
It was erected in 1992 (H4)(8 years ago) . Inside on the wall are paintings of four seasons painted by Mr.Ooyama Chusaku. Shotoku-taish, as is named after, sat up himself the prince regent for Emperor Suiko
in 593, proclaimed Budhism the official religion of Japan in 594, built Horyuji in 607 and died in the year of 622. He proclaimed Buddhism the official religion of Japan and is called the father of Japanes Budhism. The building was built in prayer of peace for the
world out of reverence for the first article of the "Seventeen-Article Contstitution" compiled and enacted by Shotoku-taishi himself in 604, which stressed
the value of unity and harmony. |
聖徳太子堂
このお堂は平成四年(1992年)に真言宗中興の祖であられる興教大師の850年ご遠忌を記念して、我が国仏教興隆の祖として崇められる聖徳太子の「和を以て貴しとなす」の教えに基き世界平和を願って建てられました。壁面には日月、春秋の絵が日本芸術院会員の大山忠作先生により描かれています。
周りの掛灯篭(左右に閣210個、合計420個)は300万円の寄進。裏手の銅のplateは100万円。
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| 32年前 1968年 |
香閣
先程仁王門下のお水舎で身体と口を浄めましたが、この香閣は心(意)を浄め、身体の障害を直すと云われています。香閣の煙で心を浄めて下さい。これは大本堂の建立とともに建てられ、大香炉は梵鐘と同じく香取正彦先生が作られたものです。
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Ko-Kaku
Down back there we washed the hands and rinsed the mouth with water at the sacred basin as a symbolic act of purification of our body. The insence here is believed to purify our spirit and heart and cure a person of a disease. It was erected in 1968,32 years ago, when the new Great Main Hall was built. The iron structure was casted by Mr. Katori Masahiko, the great master of iron works and an intangible important national cultural asset designated by the government.
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大本堂
弘法大師によって彫られ、開眼された不動明王をご本尊とし成田山で最も重要なお護摩を祈祷する中心道場です。
成田山は940年(1060年前)寛朝大僧正が開基。
この大本堂は昭和43年1968年(32年前)に成田山開基1030年を記念建立されました。歌舞伎座、吉田茂邸、明治座などを設計された数奇屋造りの第一人者吉田五十八設計による昭和を代表する仏教建築物です。
20間x20間。(浅草浅草寺は19間x19間)
昭和43年(1968)(32年前)建立。弘法大師によって彫られ、開眼された不動明王を御本尊とし当山
で最も重要なお護摩ご祈祷を行う中心道場です。弘法大師(空海)は今から1193年前(806年)に真言宗をお開きになられました。296畳(一畳5人座れるとして、1500人)。
右が胎蔵界=真中に大日如来、それを囲んで菩薩、明王(不動明王の他に5明王)、天部、七福神、羅漢、絹の生地に6〜7回のアイ染めをし純金で描画している-作者によると300年は持つとのこと。
左が金剛界=3x3、上段真中が大日如来で左右に如来・・・
両界曼荼羅(平成大曼荼羅)(大日如来が中心、その周りに菩薩、明王、天部、七福神、羅漢)。
その他にせいたか童子、こんから童子の両童子、四大明王。東西の翼殿1階は、お護摩札のお渡し所。2階は、お守り受場になって
います。お初まいり祝祷所(お子さまの誕生をお祝いすると共に身体健全を祈願。
裏仏には大日如来(真中)、虚空蔵菩薩(右)、16才の時の聖徳太子(左)が安置されている。
裏手の壁には計44体の
仏像、真中の不動明王は左のせいたか童子(文殊または弥勒菩薩の化身、3尺=90cm)、右のこんから童子(観音菩薩の化身)の脇持に守られ、
松ノ木は赤松が多く公園内の茶室せきしょうあん(赤松庵)、公園は五万坪
鏡石寄進は(メモ、推定100万円?、九人兄弟の橋幸夫)。
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諸札受場
こちらは講札受場でございます。成田山よりご信徒に授与する「御守り札」のうち、家や店にお祀りするのが「御護摩札」であり、身体につけるのが「御守り」であります。「御護摩札」や「御守り」には様々な種類がありますが、数種類の「御守り」を一緒にお受けしても差し支えありません。いずれも不動明王のご分身ご分霊であります。
The Great Main Hall
The Great Main Hall, erected in 1968 in commemoration of the 1030th anniversary of the founding of the temple. The designer, Mr.Yoshida Isohati,
is the greatest contemporary architect in Sukiya Style Japanese houses and in design of temple
architecture. It is dedicated to conducting the daily Goma
rite, the most important of all temple services. Here is enshrined the image of
Fudo-myoo, the god of fire which is said to have been carved and consecrated by
Saint Kukai in the year of . Saint Kukai founded the Shingon Sect of Budhism in the
year of 806.
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八大童子三十六童子
大本堂裏山には不動明王の眷属である八大童子三十六童子が奉安してあります。向かって左が八大童子であります。八大童子、三十六童子、計44の童子(1890年頃の寄進)が。右手のほこらの中にいるのはエンの行者(役の行者)、左端にいるのは大日如来で俗に濡れ仏。
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 : 142年前  :  :  : Gohyaku- rakan  :  : Senju- kannon |
釈迦堂
次は一代前の本堂をお参りいたしましょう。現在は釈迦堂と呼ばれています。昭和四十三年に今の大本堂が出来上がるまでの110年間、本堂として今の大本堂の位置にありました。安政五年(1858年)照獄上人(中興第11世)によって建立され、総欅造りで10間4面で現在は国の重要文化財です。堂内にはご本尊の釈迦如来。普賢菩薩。文殊菩薩・弥勒菩薩・千手観世音菩薩。裏仏には大日如来をおまつりしています。お堂の周囲には五百羅漢の彫刻は、仏師松本良山が10年の歳月をかけて彫り上げた傑作です。五百羅漢は今から2000年前仏典を編集するために最初に集まった五〇〇人の最高位の修行僧を云います。よく見ると皆様の亡くなられたご先祖の顔が見られます。十二枚の扉には島村俊表の二十四孝の親孝行物語で江戸時代後期の特色をいかんなく発揮したお堂です。
中国の二十四孝pious to the parentsのlegends, legendary stories物語(冬の鯉、病の母が冬こいを食べたい、池は凍ってる、裸になって氷を溶かして・・・、夏蚊が多い、服を脱いで酒を塗り蚊が親のところに行かない様に・・・、祈ったら筍が生えた・・・、母と祖母=母のstepmotherの折り合いが悪く母は息子に父親との離婚を口にした。息子は心配して母に思いとどまるよう説得・・・)。
コンクリは80年、ケヤキは既に140年、後100年は大丈夫。(法隆寺はヒノキspruce1200年たっている)
厄除け(42,33才)おはらい祈祷所。
次は一段高い所にある額堂、開山堂、光明堂、奥の院を順次ご案内致します。
Kanzenon-bosatu,
known as the Goddess of Mercy. The expression of the face is so tender and mervciful that it looks feminine, although it is actually a male deity. He made a vow to save all human beings and is always shown as an attendant statue of Amitabha. There are many different kinds of Kannon statues all having differeng features, such as the six Kannon, the 63 Kannon, Bato-Kannnon, and so forth, but the most common Kannon is the Sho-Kannon. kannon came to be widely worshipped with the spread of the Hokke-kyo (the Sutra on the Lotus of the Wonderful Law).
Buddhism仏教
Buddhism was founded by Shakyamuni Gautama in India in the fifth century B.C. Buddhism is a religion in which the ultimate goal is to attain enlightenment, a state of spiritual emancipation and freedom achieved by understanding and practicing the Buddhist teachings. Buddhism teaches that correct living and self-denial will enable the soul to reach nirvana, a divine state of release from bodily pain and sorrow.It was on Dec. 8 according to the popular Buddhist belief, that Buddha (Sakyamuni)
reached his spiritual enlightenment when he saw the morning star fall after many
years (some records say 12 years) of meditation under a linden tree.
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Shaka-do(Buddha Hall)
Important Cultural Property (Nationally certified). The former main hall of the Temple,
erected in 1858 (142 year ago). The image of Shakanyorai Buddha, the founder of Buddhism, is now
enshrined here.
Gohyaku-rakan (Five Hundred Buddhist Saints)and Niju-Shiko(Twenty-four Paragon of Filial Peity)
are carved in relief on the wooden siding walls and doors around the hall. It is truly characteristic structure of the Late-Edo Period.
Gohyakurakan
(Five Hundred Buddhist Saints) and Niju-shi-ko (Twenty-four
Paragons of Filial Piety) are carved in relief on the wooden siding walls and doors around the
hall. It is a truly characteristic structure of the Late-Edo period.
千手観音
The Kannon of this temple actually possesses 20 hands on her each side, and each of 40 hands
is believed to save a creature in 25 different categories of existence. Therefore, 40 hands
are regarded as one thousand hands, hence the name of the deity.
He is one of the deities constituting the six Kannon. He is sid to have 1000 hands and 1000 eyes but actually has 40 hands. He has one eye on each palm of the hand and the power to save 25 persons in each hand. Sometimes, he has 9 or 11 faces on his head. His hands and eyes symbolize his immeasurable mercy bringing salvation to manknd.
One thousand is an important symbolic number in Buddhism, especially associated with worship
of Kannon. It is preached that one thousand is the number of perfection symbolizing the absolute love of Kannon.
観音
Kannon is the most popular Bodhisattva both in China and Japan. In Sanskrit he is called the
"Lord who looks after all beings with a infinite pity. He is believed to be the incarnation
of Pity and the spiritual son of Buddha Amitabha, and is often represented as an attendant to
Amitabha in triad image. He refuses to become a Buddha until all beings are saved and is believed to be performing his
task of salvation, visiting hell, converting cannibal witches and manifesting himself in the 33
various forms.
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| 62年前 |
開山堂
開山堂は昭和十三年(1938)の成田山開基1000年祭記念事業として建立されました。このお堂は成田山を開かれた寛朝大僧正をお祀りしており、平成10年の寛朝大僧正の1000年ご遠忌の年、格天井に仏典にでてくる100種の植物画が描かれ、荘厳されています。お堂の形は今から1060年前寛朝大僧正が公津ケ原に設けた仮堂を模したものです。
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| 139年前 |
額堂(重文)
反対側の額堂は文久元年(1861年)信徒から奉納される額や絵馬を掲げられておりますが総てご信徒がお不動様のお加護に感謝し奉納されたものです。近世に於ける庶民信仰を表す代表的建築物の一つです。屋根は入母屋造り瓦葺き、重要文化財であり以前は市川団十郎が寄進された額堂もあり、団十郎ひいきの豊国の筆により彼の舞台姿、「石橋」等の絵馬が奉納され、この事が江戸でも評判となり参拝者が多かったと云われている建物です、また多くの中には文化財的に大変貴重なものもありますので、重要なものは大塔霊光殿の方にこれを永世保存しています。
将軍家茂の時代の「青銅製大地球儀」 アメリカ南北戦争(リンカーン)の時代
霊光館に谷文晁の絵等があります。
当時は額堂が一切経蔵の隣にもう一つあったが燃えてしまった。
鐘のオリジナル-32年前まで使っていた。
市川団十郎
この像は歌舞伎十八番を作られた事で有名な七代目市川団十郎です。成田山と市川宗家とは初代が子宝に恵まれずご本尊様に祈願して男子を授かった事から新作歌舞伎「成田山分身不動」を父子で上演して、お不動様に感謝し、以来屋号を「成田屋」と称して、現代に至るまで代々の団十郎とは篤い信仰で結ばれています。
額堂の裏に、あさひ観音(聖観世音菩薩二体)、天満宮(前に左右に紅白の梅)、その隣に三社(もとは下の光輪閣の近くにあった):白山明神、金毘羅、今宮(大阪の商売繁盛のお宮)
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Gakudo (Tablet Hall)
Important Cultural Property (Nationally certified). Erected in 1861 (139 years ago). The Gakudo Hall is
a structure where large votive tablets (votive pictures of horses and the like) offered
by devotees are displayed. It stands as good evidence of people's profound devotion
to Buddhism in earlier times.
It has an irimoya-type tiled roof.
Ema-A Votive Wooden Tablet with a ridge in the form of a roof on which is painted a horse. This tablet, usually a square or oblong piece of wood, is offered to a shrine or a temple in prayer for future good luck or often one's players are answered. Tablets displaying hopes for assistance in entrance examination can be found in the precincts of shrines or temples.
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| 268年前 |
清瀧権現堂・妙見宮
享保十七年(1732年)建立、天明八年(1788年)安政五年(1857年)改修され、清瀧権現と地主妙見を合祀した当山の鎮守であります。1732年(272年前 268?)、鬼門に位置し当山の鎮守の宮・・・、御輿(みこし)が隣に収納されている(妙見宮)
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| 299年前 Dainichi- ryorai Aizen- myoo |
光明堂(重文)
正面の光明堂は元禄十四年(1701年)に中興第一世照範上人が建立されたもので二代前の本堂で157年間使用され、堂内には大日如来(中)不動明王(右)・・愛染明王(左、手が六つ)が奉安されております、堂の高さは約十五メートル周囲には朱漆が塗られ、屋根は入母屋造り瓦葺きで、江戸中期の建物で貴重なものです。
上人は光明堂建立の元禄十六年四月江戸深川永代寺八幡宮境内で最初の出開帳を行い大成功を収めました。
期間中の収入は二千百二十両にもなり、それまでの借財を精算して余ったお金で仁王門、鐘楼を建立しました。
照範上人の出開帳の大成功により、成田山は、成田不動と云う名で江戸を中心として全国に広まっていきました。当時の光明堂は今の大本堂の位置にあり安政の大本堂を建てるにあたり、移動するため、女性の大切な毛髪をたくさん奉納いただいてそれを束ねてロープを作り光明堂を移動しました。その「毛綱」は現在霊光館に展示してあります。この光明堂も仁王門、三重塔、釈迦堂、額堂と共に昭和五十五年に国の重要文化財指定されました。
5円を入れる、今のはやりは45円≪始終ご縁がありますように≫
毛綱は東本願寺にもある。
身代わりのお札
(あまくにほうけん)天国の宝剣=7月7-9日に、スロープをつけてお加持
成田山祇園会の七月七、八、九日の三日間に限りこの光明堂で「天国の宝剣」加持が受けられます。この「天国の宝剣」は当山第一の霊宝です。歴代の天皇が常に玉座の側に奉安されていた剣で、玉体御守護の霊剣と云われております。天慶二年(939)平将門が反乱を起こし、朱雀天皇の密勅をうけた寛朝大僧正が朝敵降伏の護摩を修するため京都の高雄山神護寺の護摩堂の御本尊と共に関東の地へ出発の時、朱雀天皇よりこの宝剣を授かったと伝えられています。
天武天皇の御代に、刀工藤原天国に命じて作らしめたので「天国の宝剣」と言います。「天国の宝剣」はご本尊不動明王の霊徳と共に、不思議な霊徳を表し、古来より「宝剣頂戴」と称して、この宝剣のお加持を受けると速やかに病気を治し諸々の魔障を除き、息災延命が得られると言われています。普段は、御内仏殿に奉安されています。
奥の院
光明堂の裏にあります奥の院は大日如来をお祀りし、毎年七月七・八・九日の三日間(注:平成13年から第一週の週末金、土、日)、開催される祇園会のみ開扉されます。奥行き十五、五メートルの洞窟となっております。
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Komyodo Hall
Important Cultural Property (Nationally certified). An early main hall of the Temple,
erected in 1701 (299 years ago). Dainichi-nyorai Buddha, the principal deity of the Shingon Esoteric
Buddhism, is now enshrined in this hall. The outside of the hall is lacquered in red.
It has an irimoya-type tiled roof.
The features of the original structure are well retained in the engraved ornaments.
It is an invaluable work of the Mid-Edo period.
Dainichi-Nyorai(大日如来、Vairocana Buddha: vea)
is the principal image of Buddha in the pantheistic esoteric Buddhism which identifies the entire universe as his body. He is called Dainichi because his light extends everywhere. He is represented by two kinds of Buddha image, constituting the world of wisdom and that of reason. He is the principal image of Buddha in the Shingon sect of Buddhism.
Aizome-myo-o(愛染明王),
the god of love often found at the side of the Goddess of Mercy. He is portrayed with three pairs of arms and three eyes and painted red all over the body. He holds a bow and arrow as the symbol of love. Being the guardian god of love, he protects a married couple from discord, harm and danger. He is also worshipped as the patron deity of women of the gay quarters and dyers.
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●(左手、乙姫(otohime)さん寄進の)修行空海像
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| 16年前 Myooden Fudomyoo |
大塔
次は成田山平和の大塔をご案内致します。色彩鮮やかな建物が大塔です、平和の大塔と云いまして昭和五九年(1984)に弘法大師1150年ご遠忌を記念し建立され真言密教の教えを象徴する塔で総高さは五八・一メートル、塔の中心である二階の明王殿には大塔のご本尊不動明王・四大明王(降三世明王(ごうさんぜ)=東、大威徳明王=西、軍茶利明王(ぐんだり)=南、金剛夜叉明王=北)・昭和大曼茶羅≪胎蔵界=右、金剛界=左)≫・真言の教えをインド・中国・日本、そして成田山にお伝え下さった10人の祖師のお姿とその行状絵図が奉安されています。十人の祖師とは龍猛菩薩・龍智菩薩・金剛智三蔵・不空三蔵・善無畏三蔵・一行阿閣梨・恵果阿閣梨・弘法大師・興教大師・寛朝大僧正です。この10人の中から弘法大師の行状図絵について説明致します。
この行状絵図は、成田山開基1060年記念事業として製作されたものです。弘法大師の行状絵図の左上の「三鈷飛来」は、弘法大師が唐の留学から帰る時、乗船の前、日本に向かって三鈷杵(さんこしょ)を投げ、密教の流布にふさわしい地に着く事を念じた所、不思議にも高野山山頂の樹木に飛来したという場面です。隣の「高野山開祖」は弘法大師が高野山結界の為に登られたとき、高野明神が黒犬と白犬とを連れて案内する場面です。右上の「清涼殿般若心経講讃」は、内裏で嵯峨天皇に弘法大師が般若心経を講讃した功徳により、弘仁九年の疫病による病人が総て治癒したという伝説の場面です。
右下の「済世利民民心安楽」は、弘法大師は密教修行だけでなく、広く教育、文化、福祉に活躍し、世を救い人々が平安で幸せになれることを願い実践されました。その様子の場面です。左の「綜芸種智院創設」は我が国初めての一般庶民の為の学校ですべて無料にて勉学修行が出来るように創設された風景を描いた場面です。
(300億円(6ヶ月で回収)=$300million)
また、大塔の地下にはローマ法王、イギリス・エリザベス女王、アメリカ・レーガン大統領、ダライラマ、中曽根首相等、世界を代表する方々、十七通の平和へのメッセージがタイムカプセルに入れて埋設されています。弘法大師1600年ご遠忌の年である2434年に開封されます。
霊光館
昭和21年に創立された歴史博物館施設で、第一展示室には常設展示で成田山の創建・成田山の興隆・成田詣でと門前町・成田山と市川団十郎・成田山縁起の美術品など五つのコーナーに展示され、豊富な資料が沢山あります。

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Great Pagoda of Peace
Full height 58m (176 ft). The Pagoda was erected in prayer for eternal world peace in 1984.
The messages and prayers for eternal world peace of the world leaders of those days have been placed in the time capsule which lies under the ground beneath this Great Pagoda, and it will be open in the year of 2434, in commemoration of the year, 1600 years from the death of Kobo-daishi.
In the main sanctuary of
the Pagoda, Myooden(2nd floor),
are enshrined the image of Fudomyo-o as principal deity of the Great Pagoda,
the height is 6 m high, and the images of the
Four Great Myoos, the great Showa Mandala, and the portraits of the 10 saints of the Shingon
Buddhist sect. In the sanctuary, Kongoden, on the fifth floor are enshrined the statues of
five Buddhas, Gochi-nyorai.
Fudo-myoo不動明王
The Buddhist deity, an incarnation of Nyorai, usually representing fierce rage which conquers devils. He sits cross-legged on rocks with burning flames surrounding the statue. In the right hand, he holds a sword to smite the guilty and in the left, a coil of thr rope to tie up evildoers. He quides bigoted people toward the realization of the truth by subjugating evilspirits.
成田山公園
成田山公園はその広さ5万坪と広く自然美の豊さをかもしだす作りになっており、四季を通じて梅、桜、つつじ、新緑、と四季を楽しむに十分な処であり、成田山公園は近世を代表する名園でこれほどの公園を無料開放しているのは成田山公園だけです。ご信徒に四季折々のこまやかな情趣を味わって戴く事は勿論ですが仏教の生きとし生けるものの総ての生命を尊ぶという思想が組み込まれた三つの池は放生の場を表し、お互いに共生を育む事を教えて下さっています。この後、お時間のある方は平成大改修が完成した五万坪の成田山公園へと足をお運び下さい。公園散策時間は一周約一時間位です。また池の畔には近代我が国を代表する作家の作品を展示する書道美術館、もありますのでご鑑賞下さい。(入館料五〇〇円月曜定休)
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光輪閣
光輪閣は昭和五十年(1975)に建設された成田山の客殿で地上四階、地下二階、延面積12604平方メートルです。お護摩ご祈祷をされたご信徒が精進料理や献酒による坊入りの接待が受けられます。この精進料理に出されます牛蒡は成田山独自のものでありまして、直径十五センチメートルもの太さの牛
蒡を何日もかけて灰汁抜きし、調理いたしたものであります。是非ご賞味ください。四階の光輪の間は480畳敷の大広間で、一度に1000人の坊入ができます。正面舞台には、京都西陣のつづれ織にして、お不動さまの種子「カンマン」という梵字が織り込まれております。三階の寺宝室には、ご信徒からの奉納物や寺宝を展示しています。この階にあります菊の間では、お不動さまの信仰篤い篤信のかたが、坊入り膳の接待を受けられ、ここから眺める庭園は、深山幽谷を偲ばせるものがあります。二階の日輪・月輪の広間は「日月春秋」の襖絵が、昭和五九年弘法大師1150年ご遠忌記念として、芸術院会員であります大山忠作画伯によって描かれました。福島県三春町の天然記念物である滝桜の巨木を、同じく同県にある楓の古木を題材にされました。また日輪の絵はフランスのパリにありますマルモッタン美術館でモネの日輪と共に展覧されたものでございます。一階は、お護摩総受付所になります。
明治天皇行在所(あんざいしょ)
光輪閣の後方に在って奥庭に面した所に、明治天皇行在所があります。明治天皇は、明治十四年および十五年の二回、成田市の元、下総種畜場(広く牛馬の良種を海外に求めて種畜改良の基礎を築かれる)へ行幸(天皇の外出)されました。その折り、成田山を行在所(天皇がお出ましの時の仮の御殿)と定められ、昭和八年十一月、史跡として文部大臣より指定されました。また明治天皇が明治十五年の行幸の折り、地元の人たちは旅情を慰めんと花火を打ち上げ、また成田山では、その夜、用意された蛍約八○○匹を容器にいれて展覧いたしました。明治天皇は、蛍火相映ずる様をご覧になられると共に、ご嘉納の光栄に浴しました。このために、成田山において集められた蛍の総数は約二万二千匹(???)に達したといわれています。
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大師堂
弘法大師(6/15生誕)、興教大師(6/17生誕=向かって左)、理源大師(右)
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水行堂
この建物の中には水行者が浄水を汲み上げる井戸があり、昔から江戸、芝の増上寺第九世道誉上人、同じく増上寺三六世の祐天上人または二宮尊徳「出家とその弟子」で有名な倉田百三氏、代々の団十郎などが、この水を浴してご本尊に祈られ貴い霊験を授かったことで有名な水行堂です。このうち、祐天上人の霊験談を申しますと、祐天上人はお坊さんになって5〜60日過ぎても一字も覚えられず、思い余って入水しようとしたそうですが同僚に諌められ増上寺で七日の断食をしたところお告げを頂き成田山で断食水行することになったとの事です。成田山で一所懸命修行されその満願の日、不思議にも今まで晴れていた空は一天俄に荒れてきましたが、この時上人少しも慌てずに一心不乱にお不動様に念じたところお不動様が現れ「善い哉、善い哉。吾れはこれ成田の不動なり。汝たぐいまれなる念力類なき事を感じ、今現れて示す事なり。汝が前世の罪悪深きこと、二世三世に変わり、生まれ変わりても尽きる事あるべからず。今よりこの長短二剣の内一振りを飲んで悪血を吐き出し新血を生じて生まれ変わるべし。この二剣のうち、長短何れかを飲まんや」と述べられました。上人は謹んで「短剣を飲むも死、長剣を飲むもまた死す。死は一度のみ、願わくは長剣を飲まん」と答え、ご真言を唱えられますとお不動様は上人の口の中に長剣を貫きました。上人は倒れましたが、気が付くとお経は一度読めば一字一句すべて講じられたとの事です。以後名僧となって増上寺の三十六世上人になられたことは有名であります。水行堂にまつわる霊験談の一つを説明させて頂きました。水行をご希望の方は女性には水行衣を隣の参篭堂で貸してもらえますのでこれをご利用ください。
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交通安全祈祷殿
交通安全の自動車を日本で最初にご祈祷したのが成田山です。今では交通安全の総本山ともいわれ「仏心で握るハンドル事故はなし」のスローガンのもと心の迷いを断ち切って不動明王の御加護を願う為にこのご祈祷をして不動明王の分身である一お札・お守り一をいただき、ご祈祷を受け清らかな心でハンドルを握れば、不動明王の広なご加護により事故からお守り下さいます。車の交通安全ご祈祷をご希望される方は交通安全祈祷殿へお越し下さい。
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書道美術館
日本の伝統文化とも言える書道の美術館が成田山公園の中にあり、延床面積三九〇〇平方米と広大な館内は近代書道の名作が展示され又は収蔵されており、そしてまた書道の研究所としての役割も果たして居ります。〈拝観料五〇〇円)
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開運地蔵尊
鐘楼の前の階段を降りますと、開運地蔵尊があります。開運を願う人が多く祈願されております。
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出世稲荷
本堂に向かって左手奥の階段を上ると明治二十一年(1888年)に再建、ご本尊はだきにてんそんで出世稲荷と称せられ毎年二月は二の午の祭礼で賑わいを呈します。
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Copyright シルバー亭銀世界 無断複写禁止
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