95年 あれは確か三月だったろうか。。。
Sandiego のベースに 数週間後に転勤する予定になっていた彼。私も夏には USA に行くこととし既に退職届を出し三ヶ月後に発つことにしていた。
ところが、accident has happend....急に軍を止めることになった 彼。そして この先どうしようかと考える間もなくUSAに帰ってしまった。
今更後に引くのも納得できず、散々皆に”大丈夫なの?”と心配をかけたまま 彼を追ってアメリカに来てしまった。
こんな計画じゃなかったけど、とりあえず。。という甘い考えだった。
彼のマミーが SANDIEGO にいるのでそこで二人で始めてみよう。と彼女のお世話になる。
仕事のない彼、仕事のない私、車もなく何処かいくのも マミー
に借りて、。。。こんな状況になんて今まで二人ともなったことなかった。
焦りばかり積もり二人の-ーーというより私の貯金もどんどん減るだけ。楽しい時はいいけどやっぱり現実を考えると気が滅入り喧嘩ばっかりしていた。
精神的に余裕がなかったので 私も怒るとコントロールができなくなり、エンゲージリングを高速道路に走ってる車の窓から投げ捨てたり、御母さんの家の壁に物を投げて穴を開けてしまったりという状態だった。
japanese girl ってこんななわけ? と 御母さん、首をかしげてました。
I can't do it !! と とうとうプレッシャーに押し潰されて彼が結論をだし、話し合いの結果 彼は彼でホームタウンで Get himself together することに、そして私は日本に帰ってもっと英語でも勉強して 自立できるよううに頑張る事にした。
悲しい結論だったけど、愛があるからだけじゃやっていけないんだ って初めてこの時気づくなんて、私ってもっと賢いと思ってたのに。。。
三日後に日本に発った私。今でも二人 忘れない。あの Most worst feeling。あんなに悲しかった事ってない。
日本に帰って早速仕事を見つけて働きだした。正看護婦の仕事は何処でも募集してたので職探しは簡単だった。暇 だと気が滅入るので忙しくしてた方が好かった。
彼は Hometown に帰り Homeboys 達と Hang around するようになる。仕事は感単に見つからないし 今まで離れてた時間を catch up しようと遊ぶので忙しかったようだ。
そんな矢先に妊娠してることに気づいた私。人生って Ain't that bitch?
切迫流産のため仕事も止めるはめとなってしまい、またも 計画 変更。
愛してるし 一緒にいたいけど どうしたらいいか 分からない彼。ため息ばかりの私に 家のママが ”男の人って 自分では体の変化がないし。ピンとこないのよ。増して離れてて見えないから 大変さに気づかないのいよ。”と元気付けてくれた。
彼のママも心配してくれて もしそっちに行った時は 彼女が いろいろ手続きしてくれるから大丈夫と言ってくれた・
とにかく彼に会おう。それで 彼が目覚めなかったら 帰ってくればいい。と決心して妊娠六ヶ月の身で Sandiego に飛ぶ。同時期 彼もホームタウンから御母さんのところに移る。
おなかの大きくなってきた私をみて よううやくハッとして しっかりしなくちゃ。。。と自覚してくれた。それからは 仕事を頑張って探し始め、毎日毎日 面接にいくけどなかなか採用にならない。とってもストレスフルだったと思うけど 諦めず 新聞を見ては電話したりと前向きに探し続けてた
六ヶ月間の成長を見過ごしたからとその後は何でも二人でシェアした。
べ-ビーがおなかの中で動いたりするととっても感動してた彼。お腹の中の赤ちゃんに歌を歌って聞かせたりしてたっけ。
お金のない中での ささやかな 結婚式。リハーサルもなっかったので 早い英語をそんなによく聞き取れなかった当時の私は 誓いの言葉を 牧師さんの後について唱えることができなくって 吹き出しちゃったり。
妊娠してるからドレスが見つけられないだろうと 家のママが 買ってくれたドレスに身を包み、お互いこの先の現実の厳しさを承知の上で誓いのキスをした。
その一ヶ月半後に 二人にとっても可愛いべ-ビーが生まれる。壊れちゃうのでは。。。と恐れ恐れお風呂にいれたり、おむつ交換。育児にはいつも参加してくれてた。
娘の寝顔をみて、幸せってこれだよな。。。もう少しで失うところだった。とつぶやく彼。
良かった一緒に居れて。。。色々回り道をしたけど だからこそ本当に大切なものにお互い気づくことができた。これも全て神様の 計画だったのかしら。