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San diegoでは なかなか仕事が見つけられず それと物価が高いのもあって 96年の夏、ペンシルバニアに移って来た。始めは収入がゼロだったから ミルクやオムツなどの baby に要る物などは高くて大変だったので 一時期 福祉のおせわにもなったりした。旦那の弟の家に 自立できるまでの間 居候させてもらってた。今でも lil bro にはとっても感謝している。without you, we couldn't make it happens.
やっと彼にも仕事が見付かり、私も紅花でウエイトレスのバイトをして本当にギリギリの生活をしていた。余裕がなっかたので外食なんて本当にスペシャルの時以外できなかったな。そうこうしてる内に 彼が 運良く大手の会社でシーズンで雇われ、私もフットロッカーが日本に店を出すので account の方で簡単な抄訳できる人を。。。とパートタイムだったけど一応きちんとした仕事を もてることになった。 念願の自分たちだけのアパート。2ベッドルーム。始めは 家具も揃ってなくてガランとしてたけど やっぱり home sweet home...嬉しかったな。それでも 何かとやりくりは大変で車の故障とか 予定外の大きな出費があったりすると、Waーどうしよう とパニックになったり 落ち込んじゃったりしてた。喧嘩も良くしたけど 色んなこと お互いに話し合ったし、良い事も 悪いことも 全部二人で シェア した。 正直言うと 何度か 日本に帰っちゃおうかな。って頭をよぎった事はあった。でも 意地もあったし とにかくやれるとこまでやってやろうぜ、というど根性で頑張った。それまでの人生 あんまりにもスラーっとし過ぎてたもの。そのつけがまわってきたのかもね。でもね、もし周りの人たちが冷たくしたり、彼の親戚や友人から disrespect なあつかいされてたら きっと意地も砕けてたかもね。私はとっても恵まれてて 本当、びっくりするくらいthey respect me, and love me.勿論 彼の私への treatの仕方 が反映してるのだろうな。 シーズンの仕事がそろそろ契約切れになるという頃、彼に丁度 他の良い仕事が見つかり 私もフットロッカーの会社でフルタイム採用になることができた。それからかな、生活にも余裕ができ始めてきたのって。。。去年から私は違うもう少しお給料のよいところに転職 彼は同じ会社で頑張ってくれている。なので今は 生活が安定。 それと私の両親そして友達、本当にありがとう。いつも心にかけてくれてて 困った時には何時も助けてくれて それでいて批判せずに支えてくれた。I'm so glad that I have most wonderful friends and family. 彼を選んで良かった。この先何があるかは 解らないけど お互いを信じてやって行こう。 |